日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
9月分「日々録」
【10月30日】
何となく蒸し暑いような気がする。まもなく11月になろうという時期なのに。どういう事なのだろうか、と思う。僕は暑いのは苦手なのである。
今日は、平穏な一日だった。授業は3時間。時間内の会議が一つ。国表の作品を読み、漢字の小テストを採点し、推薦入試の小論文の添削をし、という一日。
夕方からミューズの「第九」の練習に行く。声の調子は今いちで、途中で歌うのを止めてしまった。喉に変な具合に力が入ると、本当にとんでも無いことになってしまう。咳は出るは、涙は出るはで、歌うどころでなくなってしまうのだ。これは、苦しい。
ただ、歌った後は、すっきり爽快という状態になるのは有り難い。鼻歌混じりで帰宅する。
夕食は食べず、チリワインを飲んでいる。赤ワイン。味わい、香り、そして見た目も「強い」ワインである。美味しい。
ワインは健康に良いそうだけれど、ワインだけの夕食ってのは、体にはあまり良くないだろう、と思う・・・。少し、ドライフルーツなど摘む。
【10月29日】
国語表現の授業、「この世界に存在しないものを可能な限り具体的に書く」という課題。我ながら何という滅茶苦茶なものを、とも思ったのだが、想像力と創造力の刺激ならびに涵養ということで、まあ良いかと出題する。
この講座の生徒諸君は、なまじっかな課題ではへこたれない。30分程の時間でほとんどの生徒が書き上げて仕舞った。読んでみて、なかなか面白かった。僕より上手いのではという生徒もいて感心してしまう。はたまた、何ともおどろおどろしい世界やら、清浄な世界やらの多彩な世界が描かれていてつい読み耽ってしまった。
高校生といえどもなかなかやるものだ、と感心する。生徒諸君の無意識レベルの世界の片鱗があるかも、などとも思ってしまう。そうなると、ほとんど覗き見の世界になってしまうが・・・。
その国表を受講している生徒の一人が競馬関係のホームページを作っていて、その中の日記をたまに見に行く。面白い(競馬の事は分からないけれど)。でも、これもなんとなく「覗き見」みたいな気がしているのだ。彼は、僕がホームページを作っていることを知っているのだろうか。
このところ多少憂鬱な気分である。疲れているのかもしれない。毎日が何となく面白くないな、という気分なのである。生活全般が停滞しているのだろうか。よくわからない、が、面白くない。これは良くない兆候である。用心の為に、行きつけの飲み屋さんに行く。近鉄大久保駅の近くのMという店。気分転換に軽く一杯というところ。太刀魚の焼いたのが美味かった。
帰宅してシャワーを浴び、一息つく。あっ、原稿を書かなければ。憂鬱な気分の一端はこれだな、と思う。別の所属誌からも、一句評釈の原稿依頼が来ていたのだ。あーあ。
【10月28日】
今日の授業は主にテスト返却。ついでに、夏休みの課題の読書感想文も返す。テストの結果については、生徒は割と淡泊。解答について、こちらに食らいついてくる生徒はもういない。あまり、点数にこだわっていないのか、と思う。
テスト疲れか、欠席生徒が何人かいる。遅刻してくる者もちらほら。そのあおりを受けてか、掃除は男子一人が来ただけだった。いくら家庭科の調理実習があったとはいえ、ちゃんと来いよなー、と思わず思ってしまう。明日の授業では、きっと掃除の事を言うであろう。
こちらも少々疲れ気味。早めに帰ろうと思ったが、「桐」の操作を教わっているうちに7時前になってしまった。
帰宅後は、とりあえず洗濯。何故、洗濯が平日になってしまうのか。どうも、洗濯のサイクルが良くないらしい。ここのところ、「夜濯ぎ」状態が続いている。
今日は、このあと明日の授業の準備と自治会の夏祭りの会計の監査の用事、そして、辻田先生の『昼寝』の書評のための資料整理。
長ーい2学期の後半の開始。ぼちぼち行こうと思う。そうも言っておれないのだけれども。
【10月27日】
今日で中間考査は終了。明日から平常授業に戻る。採点、成績整理、そして明日からの授業の準備と、周りは忙しそうである。採点を早めに終えて、その分、時間を授業準備に使えたのでやや余裕があるかな、という状態である。とは言っても、明日からは、また「バタバタ」の日が続くのである。
担任代行でHRに行く。考査が終わって、生徒達は生き生きしていた。そういえば、試験が終わった日の開放感は、何十年かたった今でもはっきり覚えている。本当に、頭の上の重たい蓋が取りのけられてような爽快軽快な気分であった。今日の午後なんかは、生徒諸君にとっては、「美味しい」時間になるのだろう。
「あまりはめをはずさないように。」と一言添えて、HRを終えた。
高校時代、漫画ばかり書いていた。それこそ、帰宅後はずっと漫画を書いていたのだ。別にプロを目指していた訳ではない(漫画研究会の仲間の中にはプロ漫画家としてデビューした人もいたが)。ただ漫画を書くことが、無条件に楽しかった。
だから、試験前2週間から試験期間中は、一切漫画には触れないと言う禁欲的期間でもあったのだ。だから、試験が終わった日は本当に嬉しかった。これで、思う存分漫画が書けるのだ。
今では、全く漫画は書いていないのだが、ものを作る面白さや喜びの自分にとっての原点は、そこにあると思っている。純粋な遊びの時間であった。
自宅の屋根裏の物置には、ダンボール箱一杯の漫画原稿が、今でも残っている。帰省した折、奥の方に仕舞われた箱を引っぱり出して、見てみようかな、という気持ちになる時があるが、未だに実行はしていない。
【10月26日】
昨日は、丹後へ句会に行った。いつもの会場ではなく、会員さんの自宅離れを提供してもらう。「ムラサキシキブ」が花瓶に活けてあり、可憐であった。今回は、参加者が少なかったため、逆に俳句やそれ以外の四方山話を聞くことが出来ておもしろかった。会員さんが持って来られた「刀豆(なたまめ)」を初めて見た。大きなエンドウ豆のようであった。
帰りの「丹後エクスプローラー」は満員状態(こんなことは初めてだった)で、京都に着くまで二人とも立ちっぱなしであった。少々疲れたが、ビールを飲みつつ、俳句について、岩城先生と色々話が出来た。岩城先生がやろうとしておられることの一つは、筒井康隆が『残像に口紅を』でやっていたことに通じるもののようであった。筒井氏はそのため胃に二つ穴をあけたそうだが、何とも困難な道であると思った。
帰宅後、テストの採点を行う。なんとか、終了。心安らかに眠る。
今日は中間考査三日目。監督の途中で生徒が腹痛になって保健室に運んだりとか、「おっちゃん教師(他人の事は言えないが)」の我が儘に腹を立てたり、生徒抜きの防災訓練で消火作業を面白がったり(久しぶりに消火器を使いました)とか、結構色々あった一日であった。
『14歳』読了。前にも書いたが、まさに「本音トーク」という感じ。しかも、それが何故か一種の理想論のように聞こえてしまう所に、現代の状況の困難さや混迷の深さを思ってしまったりした。
『殺人者の心理』という本も読んでいる。これも同じく、青少年を扱った著作。読み始めたばかりで、内容はまだなんとも言えない。
結社への投句は一応済ませた(遅れてしまった。没もやむなしであろう)。角川『俳句』11月号の雑詠欄、久しぶりに「推薦」に入った。「油照り東寺の塔の真黒に」。そういえば、夏と黒とは関係があったのだ、と今頃になって思い至った。
【10月24日】
眠い。今日は5時に起きて、準備をしてゴルフへ行く。スタートが7時30分だったせいでそんなに早く起きる事になってしまった。
ゴルフの結果はさておき、途中で雨に濡れた木の階段で滑って、足を「ぐねって」しまった。そのままプレーを続けたが、痛みがとれず、OUTが終わった時、フロントから湿布薬を貰って貼り付けて、プレーを続けることになった。
おかげで、足首が酷く腫れ上がってしまった。あーあ。歩くのが痛い。
帰宅後、一休みして、中間考査の採点を行う。3年生2クラス分を一応終了。2年生のテストの採点にかかるが、眠い。一休みを兼ねて、これを書いている。
明日は、台風で順延になった丹後の「いさなご句会」がある。句会用の作品は、未だできていない。困った。しかも、眠い。
所属している結社の投句もまだであった。どうしよう。
いかんなあ。全く。
【10月23日】
試験2日目。どっとテストが返ってくる。採点を始めねばなるまい。あー、苦痛だ。採点、少しした。出来は良くない。ややこしい教材ではあったが、結構、面白い(と勝手に思っていたのだが)作品であったが。
金曜日はミューズの練習日。帰宅は10時。帰ると、留守電に姪の伝言あり。「HAPPY BIRTHDAY TO YOU」との事。今日は、小生の誕生日であった。ははは、泣かせるぜ、と思う。
小浜逸郎の『14歳』を読んでいる。本音トークみたいな内容の話。結構、面白い。そして、少々憂鬱にもなる。
基本の発想は「14歳」をありのままに、ということであろうか。既成の価値観が通用しない地点に今の「14歳(若年層)」は存在するということか。
帰宅してみると、ジブリの「耳を澄ませば」をやっていた。ほっとした。郷愁の世界という所。30年代と思われる世界(40年代か)、それは仮想された世界ではあるのだが。このような「のどか」で「泣かせる」世界は、僕などにはやはり、必要である、と思う。勝手に感情移入しているのではあるが。弱いのかもしれぬ。しかし、バランスを保つためには、片方に乗る錘は是非必要ではあるのだ、と思う。
今日は、「泣かせられる」気分なのかもしれない、などと思う。誕生日なのである。あーあ。
外は雨である。明日はゴルフのコンペである。雨の中のゴルフは、あまり嬉しくはない。(今日は、なんとなく「は」という助詞を多用したようだ・・・)
【10月22日】
小人閑居して不善を為す、ということなのだろう、と思う。中間考査が始まった。試験は全部出来上がった。
試験期間中は、テストさえ出来れば、教師はかなり気が楽になるのだ。もちろん、試験が終われば、すぐに採点作業が始まるのではあるが。
そこで、試験と採点の間の、多少余裕の出来た時間に、為すべき事を為せばよいのであるが、そうは問屋がおろさない、ようである。いかんなあ。
夕方までは、教務ということで、テスト提出を待つ。試験前日の正午までに提出ということになっているのだが、世の中そうそう上手くはいかないものだ。僕は7時前には帰ったが、主任は提出を待って8時か9時までは学校に残っているのでは・・・。
帰る前に40分程走った。ついでに、ゴルフの打ちっ放しで練習もした(土曜日にコンペがあるのだ)。帰りにいつもの飲み屋で軽く飲む。ついでにふさしぶりでパチンコに行く。結果は予想通り、お店に奉仕してしまった。
そして、帰宅。酔っぱらってヘラヘラ状態である。秋灯一つ増す為の帰宅かな(字余り)、という風情である。
洗濯をしている。TVは「レオン」をやっている。いまいち。日本語吹き替えが、雰囲気を壊しているのでは。あーあ。
【10月20日】
昨日、用事を済ませられなかったため、本日朝に1時間年休を取って、用を済ます事にする。その結果、朝ゆっくり出る(普通は7時出勤)ことが出来、TVを見ていたら、番組の1コーナであの松任谷由美が俳句を朗読するものがあって、感心してしまった。俳句はこんな所にも進出していたのである。遅い出勤の余得であった。
ついでに、今日の新聞の投書欄に、CMの中の咀嚼音、嚥下音をたしなめる投書が載っているのに気が付いた。やっぱり、気にする人はいるのだと思った。実は、たかがCM、気にするのは大人げないかと思いつつも、TV好きの僕も、そのCMになると嫌悪感のため、ボリュームを落としてしまう自分が、少々過剰反応かと思ったりもしていたのだが。
ビールゴクゴクの音はまだ大丈夫だが、ご飯を掻き込む音や、味噌汁を啜り飲む音、缶コーヒーの最後の一滴を啜るリアルな音はどうにも我慢できなかった。生理的嫌悪感をいたく刺激されてしまうのだ。
前にも書いたけれど、人が物を食べるという事自体には、僕はある尊厳といとしさのようなものを感じている。特に、子供が美味しそうにご飯なんか食べている姿には、つい感動すらしてしまうのだ。しかし、あれらの一連のCMはだめだった。
そう言えば、最近、生徒達の一部に見受けられる行動の中でどうしても気になることがある。それは、食べ物を食い散らかすということだ。随分な言い方と思われる人もいるだろうが、彼らの姿は、そのようにしか僕には表現できない。特に、掃除の際に、その後かたづけを当番の生徒達にしてもらいながら、その感じを強める。
食べさしの食べ物やそれが入っていた小綺麗な袋、あるいは中身の残った缶ジュースの缶などが、所かまわず捨てられてある。それは、生徒のみではなく、街中での若者達にも共通している姿であろうが、その様子を見ると、一種の違和感を感じてしまう。
食べるということをとても軽んじている、そんな感じを強く持ってしまう。そしてそこには、あのCMに象徴されるように、「食べること」が売らんかなの商業主義の中で、「食」が翻弄されているような気がして仕方がない。どうなのだろうか・・・。
【10月19日】
昨日は日曜日。のんびりした。ゆっくり寝て(と言っても6時前には目が覚め、ベットの中でうだうだしていたが)、7時には起きてゆっくり朝御飯を作って食べて、コーヒーを飲んで、ボヤーとTVを見て、その後、2時間程かけて、家中掃除機をかけ、風呂場を洗い、洗面所を綺麗にし、家のあちこちに散らばった本を整理し、そして、午前中は終わった。幸せな気分だった(ホントにそんな気分になるものです)。
午後は、とりあえずホームページの更新にかかる。うだうだと資料を調べたり、文章を考えたりで、2時間程かけて終了。思った程時間はかからなかった(それならもっと早くやれ)。。
久しぶりに10キロ程ギョギングする(普段は4〜5キロ程度)。鴨川の土手を走り、保津川との合流点まで走る。以前は良く走ったのだが、引越をして後、少し距離が遠くなったのでこの道を走ることはなくなった。本当に久しぶりで、なつかしかった。この道も良い道だ。台風のせいか、川の水量は多かった。それにしても、鴨川より保津川の水の量の方が多いような気がした。。
ジョギングはある程度まとまった距離を走った方が楽なような気がする。普段走る4〜5キロという距離は、中途半端な距離のようにも思う。マイペースで走って10キロ程とういうのは、体が走ることに慣れてきていて、一定の状態で走り易くなるような気がする。どうなのだろうか。
夜、ついつい「ゴーストバスターズ2」を見てしまう。「1」の方が面白かったかな、と思う。
月曜日。今日である。ばたばたと時間が過ぎる。文字通り「ばたばた」という感じである。
所用の為、1時間年休を取って、早めに学校を出る。しかし、時間があわず用事は果たせなかった。あーあ、どうしよう。とりあえず、帰宅。仕方ないので、30分程、走る。今晩も、中間考査の問題作り。あーあ。
【10月17日】
きょうは土曜日で4時間連続授業の日。教室と職員室の往復。当番が掃除に来ないので立腹。担任と話し合う。
午後は早く帰るつもりで、結局、添削指導や小テストの採点、中間テスト作りなどで夕方までかかる。
台風が来つつあるそうだが、外は高曇りで雨も降ってこない。帰宅後、軽くジョギングする。途中、雨が降り出す。
夕食後、引き続きテスト作り。
岩城先生から電話あり。明日の「いさなご句会」は、台風の関係で一週間順延とのこと。丹後に行けないのは残念であるが、一日フリーな時間が出来たのは有り難い。
外は、雨はやんでいるが、風がかなり強い。物干し竿を部屋の中に入れておく。
少々眠くなってきた。
【10月16日】
テスト問題を作らねばならない。と思いつつ、なかなか出来なくて困っている。今夜中には、一問作らねば、と思いつつ「日々録」に書き込みをしている。
ホームページの更新もしなければと思いつつ、なかなか出来ないでいる。明日は土曜日、試験前でクラブもないし、試験問題作りつつ、なんとかしなければ・・・。それにしても、一日は長いのに、一週間は何て短いのだ、と思ってしまう。
日曜日は岩城先生と丹後へ「いさなご句会」。一日仕事(?)となる。やっぱり、やるとすれば、明日しかない。
球技大会が中止になるかもしれない。実施について、体育委員の生徒達の多くの反対によるものだ。どうしたのか、と思ったが、理由を聞いて、考え込んでしまった。自分たちが一生懸命事前の準備をして当日に臨んでも、肝心の参加するはずの生徒達の身勝手さに、実行委員として空しさを感じてしまうと言うのだ。おいおい。
確かに、体育祭や球技大会の折などに、競技に参加している生徒達がいる一方で、何をするでもなく、ぼんやりしている生徒の姿があることも確かだ。競技に魅力を感じていないといえばそれまでかもしれないが、何かに「参加」するという姿勢に乏しい生徒が増えてきているようにも思う。学校という限定された場所での事ゆえであろうか。
などと思っていたら、3年生の有志が中心になって200名程の生徒の署名を集めて、体育委員会の球技大会中止の決定の再審査要求を成立させた。こんな行動力とそれを支持する層が一方では生徒の中にあるのだ。さて、球技大会はどうなるのだろうか。
今日はミューズの第九レッスンの日。学校近くの喫茶店で軽い夕食をとって参加。体調は悪くないのに、頭の方がいまいち(とにかく眠い)というちぐはぐ状態が、歌っているうちにアウフヘーベン(なんとも古風な言葉であるが)されて、かなり復活した。ともかく、テスト問題を作ろう。
【10月15日】
今月の「俳句研究」11月号を読んでいたら、「俳句研究賞」の最終候補作品の中に知り合いの人の作品があった。そう言えば、昨年も最終候補に残っていたのを思い出した。たいしたものだと感心した。
中間考査1週間前となった。そろそろテストを作らねばならない。と言うわけで先ほど一つ作った。
授業もカウントダウンが始まり、授業進度と残り時間の追いかけっこ状態となる。2年生は余裕があるのだが、3年生の1クラスがきつい。とうとう、他の先生から授業を1時間もらう事になってしまった。
20年程前の「俳句研究」年鑑を読んでいる。俳壇総展望(座談会)が面白い。高柳重信が進行役となっている。そこで語られている内容は、今現在の俳壇状況とそうかわらないのではないか、と思ってしまう。内容が古びていると感じないのだ。一体どうなっているのだろうか。
俳壇の保守化にしろ、連句の流行にしろ、主宰者の問題にしろ、俳壇自体の隆盛と俳句自体の衰退にしろ、現代の状況にそのままに近い形で重なるのでは、と思ってしまう。
夕方ジョギングをする。頭は疲れているのに、体調の方は良い。ちぐはぐな感じである。困ってしまう。
帰宅途中で近所に住む知り合いに出会う。ABC篠山マラソン参加申し込みを済ませたとのこと。今年は僕も参加するつもり。
【10月13日】
そう言えば、なぜか火曜日にお酒を飲みに行っている。なぜなんだろうか・・・。と言うことで、今日も少々酩酊状態ではある。
『十四歳』を国表の課題に使用。筆者の考えに対して、賛否を問う。もちろん、賛であろうと、否であろうと、それはかまわない。生徒が自己の考えを的確に表現しえるかどうか、という事が問題となる。
生徒の書いたものを読みながら、こちらの方が随分考えさせられた。こちらの中途半端な考えを撃つような、真剣な作品が多かったのだ。作品を読みつつ、一種の混乱状態にこちらが陥ったような有様だった。途中で、読む事を中断。明日、仕切直しとする。
国語表現は、大変だけれども面白いと改めて思う。(こんなこと言っていいのか)手応えを感じる授業が少ない中で、これは面白い。やりがいを感じている。
今日は、これまで。
【10月12日】
『十四歳』読了。小説仕立てのルポルタージュ。読み応えのある作品だった。最後は希望のようなものを残しつつ、話は終わる。人は変わりうるという事であろうか。
どう変わるかは、その人自身の問題であり、そこに周りから特定の価値観をおしつけても、それはほとんど意味をなさないのかもしれない、と思う。「自分を見ていてほしい」と作中で、主人公の少女はルポライターの女性に語る。そして、その女性はその言葉の通り、「見ている」のである。
「依存しつつ自立する」という事を聞いたことがある。子供はそのようにして、大人に変わっていくという。ただ、何に依存するかは、わからない。その結果、どのような大人になるか、あるいは成りうるのかも分からない。そんな、苦しさの中に、今、生きているのだろうか。
主人公の少女は、この本の中で言う、「運の良い稀な例」の一人なのかもしれない。
授業とその準備・小テストの採点2クラス分・中間試験の日程作成と監督表作り・短大向け放課後補習・進路関係の小論文添削指導・国表の創作俳句(的)作品の評価と返却準備・清掃指導・SHR(短いホームルーム)代行・教科(国語)会議。本日の仕事の主な内容。
夕方、ジョギングする。30分ほど(もちろん、勤務時間終了後です)。この学校はまわりに気分の良いジョギング・ロードがあるのが有り難い。あたりが暗くなるのが、本当に早くなったと思う。大気がひんやりとしていて気持ち良い。
最近、眠りが浅くて(夜中に3・4回は目を覚ます、年のせいだろうか・・・)、そのせいで、疲労感が強いのだと思う。走って、汗をかいて、少しスッキリする。着替えて、もう一仕事。中間試験の教室割り当て表を作る。そろそろ中間試験の問題も作り始めねば、ならない。
今日も一日が終わる。この後は、僕の時間である。岩城先生からの仕事を少しやり、辻田先生の『昼寝』を読み返すつもり。(ホームページの更新はどうした!)。
【10月11日】
昨日は、午後骨董祭に行く。大変な数の入場者であった。色々なものがあって大変おもしろかた。ただ見るだけでも、楽しめた。圧巻は薩摩焼の大きな壷で、大変美しいものだったが、なんと8000万円であった。あんなの買う人いるのだろうか。
何点か、興味のわくものがあったけれども、万から数十万単位の金額なので、手が出ない。そんな中で面白い木彫りの蛙(3800円)を見つけたが、とりあえず一回りしてみてからと思って、後で行ってみたらもう無かった。少々、残念である。
眼福という言葉があるが、そんな数時間であった。次回が楽しみである。(それにしてもアメリカ海軍の潜水具・・・しかも、ポンプでエアーを送る巨大ヘルメットみたいなやつ、まで売っていたのは驚きだった)
今日は、絶好の秋晴れとは言え、仕事で朝から学校へ。あ〜あ。漢字検定の監督なのだが、ついでに差し迫った試験監督の割り振りの仕事もこなす。何人かすでに来ていて、クラブ指導などの仕事をしていた。。
TELあり。明日お休みの先生の代行でHRへ。分掌は教務であるが、副担は2年1組を担当しているのだ。
漢字検定は50名程受験。この日はちょうど、業者模試も重なっているのだ。試験監督をしていると、吹奏楽部が練習しているのが聞こえる。ユーフォニームの音でホルストの「惑星」なんかの演奏がのどかに聞こえる。あれは3月の定期演奏会用の曲である。
検定を終え、すぐに梱包して宅急便で検定協会に送る。これで一仕事終了。
『十四歳』を読んでいる。重い内容のルポルタージュである。
【10月10日】
その後の西宇治高校については、何の情報も入ってこない。自殺かもしれない、という新聞報道があったけれども、実際のところはわからない。ただ、学校内での飛び降り自殺だとすれば、その死の意味はさらに重いと思う。
何かの形で真相は伝えられるのだろうか。それともひっそりと関係者の間だけで「処理」されてしまうのだろうか。どうなるのだろう。
一週間が終わった。今週は何故か、本当に疲れていた。日記も昨日は書かず。土曜の朝に書いている。
疲れているといいつつ、昨夜は「命の第九」の指揮者レッスンに参加する。合同練習で、本番指揮者の本名さんが来られる。若い指揮者である。「命の第九」第一回目の時の指揮者でもあるという。
呉竹文化会館が会場。健常者と知的障害者の人、車椅子の人、目の不自由な人、皆が一緒に「第九」を歌う。歌っている間は、何故か元気である。
練習を終えて一駅分を歩いて帰る。清涼な夜で、「第九」を鼻歌代わりにして帰る。一週間の終わりはとても充実した気分だった。。
帰ると、大坂の叔父からTELあり。明日から、鳥取の方へ烏賊釣りに行くがどうか、とのこと。行きたいが、日曜は漢字検定の監督の仕事があるのでいけない。残念と伝える。叔父は大病の予後で、釣りも禁止になっていたのだが、躰の調子も戻ってきたようで、めでたいことだ。
今、「パルスプラザ」で恒例の骨董品祭を行っている。今回で第12回。広い展示場に恐らく百件以上の骨董屋さんが店を開いている。毎回出かけているが、大変面白い。気にいったもので値段が手頃であれば、買ってくる。TVの横の子犬の陶器や、ベットの脇の眠り猫なども買ってきたもの。行くのが楽しみである。
【10月8日】
西宇治高校で事件(と言えば良いのか)が起こったようだ。詳細は分からない。京都新聞夕刊に、簡単な記事が載っていたという。
「ジーザス・クライスト・スーパースター」をBS放送でやっている。それを見ている。なんか、訳のわからん映画である、と思いつつ見てしまう。そして、感動している。何なのだろう。一体。
何年に制作された映画か知らないけれど、映像も歌もさほど古びていない。最後のシーンでキリストに扮した役者だけが、ロケ地から帰るバスに何故か乗っていないとかいう寓話性も、あるいは現代に通じるものがあるのかもしれない、ような気もする。
所属している結社に、原稿を入れなければならない。辻田克巳先生の『昼寝』について、原稿用紙6枚。そろそろ準備にかからねば、と思うのだが、なかなか始動しない。
岩城先生の方からも、仕事を一つ依頼されていて、まもなく古い俳句年鑑が送られて来る予定。
今、KBS京都のニュースで西宇治高校の事を報道していた。校舎からの転落事故とのこと。生徒は死亡したらしい。何故、と思う。事故か、あるいは事件かは現時点では分からないようだ。
西宇治高校は府内の全日制府立高校の中で、単位制に移行した学校で、新機軸としてまわりから注目されていた学校である。騒然とした状態となるかもしれない。何人か、知っている人が教諭として在職しているのだが。
明日は、金曜日。今週は明日でお仕舞い。土・日は句会と仕事で予定は埋まっている。
【10月7日】
10月も7日になって、各ページの更新を行わなければいけないのだが、滞っている。反省する。すいません。
国表の課題を読む。一部、かなり苦しい作品もあったが、全体的には悪くなかった。たいしたものだ、とまたまた感心する。
明日は今回の作品を教材にして、次の作業を行う。作品を選ばせ、論評させるつもり。週2回各1時間の授業だが、生徒はかなり、書く事に対する抵抗感がなくなってきているのでは、と思う。
次の時間までには、前の作品を読み、評価して返す。この繰り返しではあるが、それが大切なように思う。
週半ばで少々息切れ気味。仕事も溜まっているので、今日の「第九」の練習はキャンセルする。若干、無責任かな、とも思うのだが。少々疲れた。
酷い雨の中を、同僚の車でマンション近くまで送ってもらう。大変有り難かった。その人は一日の半分は学校で過ごすとの事。確かに、僕が朝来たときにはすでに仕事をしているし、帰る時もまだ残って仕事をしている。
前の学校では、毎日14時間は学校で過ごしていたとのこと。それに比べると、今の学校は仕事がまだ少ないとのこと。
今日は明日の授業のプリント作りの仕事を持ち帰っているので、この後はそれをやる。現代詩関係の教材プリント。詩は、難しい・・・!
【10月6日】
国語表現の課題は思ったより難しかったようだ。生徒はずいぶん苦労していた。
僕自身も時間内に作ってみたが、出来は今一つであった。簡単そうで、実は随分困難な課題であったようだ。それでも41名中38名が時間内に作品を提出。
よく出来たものだ、と思わず感心してしまった。評価には、一部生徒の評価を加味して出すつもり。
放課後、久しぶりにクラブへ顔を出す。ここしばらく、放課後も仕事が詰まっていて、顔出しが出来なかった。
バドミントン部。中学時代の経験者と、高校に入学してから始めた者との混在状態。初心者の生徒も、今では随分上手くなっていて、今の僕ではもう太刀打ち出来ない。少々くやしい。
6時30分までクラブ。その後、帰宅。途中、大久保の行きつけの居酒屋に立ち寄る。手頃な値段、美味しい料理で、お気に入りの店。
汗を流した後なので、ビールが大変美味しい。そろそろ日本酒の季節ではあるが、こんな時はやはりビールだとつくづく思う。
帰宅後、シャワーを浴びる。今日はこの後、何もするつもりは無い。
【10月5日】
学校の前庭の桜の木々が薄く紅葉し始めている。今日も秋晴れの一日である。
長い2学期の半ば辺りで、生徒達は少々落ち着かない。素行に問題のある生徒も見受けられる。今日は1・2年生に対して臨時に学年集会が持たれた。
年々生徒たちの「幼児化」が進行しているようだ。特に、集団の中の自己という「社会的自我」の未熟さ希薄さが目立つ。
学校も一つの擬似的「社会」ではあるが、その機能を十分に果たし切れていない面があるのだろうか。外部に「社会」というものがなければ、当然のことに内部に「社会的自我」も生まれ得ないし、存在もしえないのだろう。
夕方、旧「天狼」のメンバーを核にした超結社句会の「月曜会」に参加する。「幡」の辻田克巳先生を指導者に得ての句会である。
自由闊達な雰囲気の中で句会が進行する。今日は中秋の名月で、席題として「月」そして「運動会」「茸」が出る。八句投句で七〜八句選である。。
辻田先生の評言を聞きながら、俳句とは何か、俳句表現とは何かと言うことを改めて考えさせられる。充実した3時間であった。
明日の国語表現では、表現の一環として、「俳句」的表現にチャレンジさせてみようと思っている。教材には坪内稔典氏の「甘納豆」連作を利用する。
【10月4日】
朝から良い天気だった。7階のベランダから、遠く比叡山やその向こうにのびやかな比良山の稜線が眺められる。
早速、洗濯をする。軽く部屋の掃除もする。涼しい風が吹き込んで来る。秋だなあ。
伏見稲荷大社のある稲荷山へ散歩がてら出かける。北山か比良へ登りに行こうかとも思ったが、でかけるには時間が少し遅くなったので、近場にする。
山頂に奥社があり、そこへ至る参道は赤い鳥居が延々続いている。途中に土産物店や古風な感じの食堂などもあったりする。。
一汗かいて奥社へ。奥社の周りには奉納された小さな鳥居が何百(何千?)と置かれ、少々異様な風景となっている。売店でローソク(和ローソクであった)を買って、供える。
帰りは京阪電車を使ったが、自宅から2時間半ほどの散歩となった。日頃、ジョギングはしているが、普段長い時間歩くことがないので、気持ちが良かった。
帰宅後、シャワーを浴びて汗を流し、その後、遅い昼食をとってから、昼寝をする。こんな時の昼寝は「値千金」である。贅沢を感じる。
夕方目を覚まし、ごろ寝のまま井田真木子『十四歳』を読み始める。「ストリート・サバイバー」という言葉を知る。
【10月2日】
一週間が長い。今日は金曜だが、今週の山場は明日かもしれない。
明日は4時間授業。午後からは学校公開で、近隣の中学生が500人程学校見学に来る。
カリキュラム登録の準備作業は一段落。2学期中間テストの案も出来、先生方に配布する。
乱雑になっていた机の上も整理する。机板が見える状態となる。
6時半過ぎ、学校を出る。大久保から京都駅まで行く。京都ミューズの「第九」合唱団の練習へ参加する。200名程の団員が集まっている。アバンティホールにて。
「カルミナ・ブラーナ」からのメンバーの姿も見える。
疲れていたので今日は見合わせようかと思っていたが、練習に参加して一緒に歌っているうちに、元気が回復してくる。合唱団と「第九」の力かと思う。
帰りは、京都駅構内のいつものパン屋でパンを買って帰る。ここのパンは結構美味しくて、練習の後はよく買って帰る。夕食とあしたの朝食用。
【10月1日】
午後から急速に天気は回復した。久しぶりに青空が広がった。少々蒸し暑いが、良い気分だった。
管理棟は一部木造部分が残っていて、階段の手すりの木は湿気のためにべっとり濡れているような有様だった。まるで梅雨の時のようだった。
今日の授業は4時間。2年生と3年生の授業が各2時間。放課後は、担任会に出席。カリキュラム選択の説明。その後、生徒への配布資料を印刷する。
一仕事終わって、帰る前にしばらく、生物の先生から茸の話など聞く。「月夜茸」とか、「唐傘茸」、「狐の茶袋?」など。
話を聴きながら、生物の教師も面白いだろうな、などと考える。この先生は。蝶々の研究をしているとか。実は今日も放課後、久々の晴れ間なので年休を取って片道40分程かけて山へ蝶の実態調査に行ってきたとのこと。夕方帰ってきて、また、仕事をしている。
大久保駅前の植え込みの芝生の所に大きな茸が生えていると言ったら、取ってきてほしいとのことなので、明日、「採集」してくるつもり。
夕方、帰宅。たまっていた洗濯物を洗う。もう、「夜濯ぎ」でもあるまい、と思いつつ、洗い物を干す。しばらく前にも、同じ事を書いていたような気がするが・・・。空には半月が浮かんでいた。
TVで「十戒」をやっている。5・6回見たことがあるが、また見ている。