目が覚めた。蛍光灯のスモールランプが、室内を水中のように薄明るく照らしだしている。目覚めた直後にしては、意識ははっきりとしている。枕に置いた頭をごろりと回して、枕元にあるデジタル時計の文字盤を見る。緑色の光で、時刻が表示されてある。「4・44」。また、この時間に目が覚めた。トイレを催して目が覚めたわけではない。なぜか、いつもこの時間に目が覚めてしまう。それが、すでにここ数年間も続いているのだ。偶然何度かこの時間に目を覚ましたことが、いつの間にか習慣化されたということなのかもしれない、とも思うのだけれど、ただ、いつも「4・44」、午前四時四十四分に目を覚ます、ということが、さすがに奇妙に思われてはいるのだった。もちろん、そのことで何か不都合が生じているわけではない。寝不足になって、昼間の生活に支障が生じているわけではないし、精神的に不調状態になるというわけでもない。慢性病をひとつ抱えて、毎日服薬しているということはあるにしても、それが取り立てて悪化したわけでもない。一病息災というやつだ。それに、このまま横になっていれば、やがてまた眠り込んでしまうので、睡眠の質自体も、さほど問題にはならないだろう。 再び寝入るまでのしばらくの間、ベッドに横になりながら、とりとめも無いことを考える。そういえば、と思う。子供の頃、寝入るときに不思議な経験を繰り返したことがある。今考えると、一種の入眠時幻覚のようなものだったのだろうが、それはこんな経験だった。寝床に入り、体をゆったりと伸ばして仰向けになり、目を閉じてしばらく周囲に対してじっと耳を澄ますようにする。すると、不意に体が軽くなり、ふわりと宙に浮く。そして、そのまま天井を突き抜けて、物凄い速さで、満天の星空の只中をどこかへ引っ張り上げられてゆくのだ。やがて、星は消え、漆黒の闇のなかに自分の体が浮かんでいるのに気が付く。そして、その硝子のような闇のどこからか綺麗な音楽が聞こえてくるのだ。その音楽に耳を傾けているうちに、いつのまにか寝入っているのだった。ずっと後になって、その経験をもとにして、七十枚ほどの散文詩のような小説を書いたものだ。「なつかしい人」という題名だった。それを小さな文芸誌に掲載して貰い、「武者小路の生命思想」という評をある詩人から受けたとも聞いた。 あるいは、こんな事を思い出したりもした。それは、ある時に見た夢で、不思議にいつまでも鮮明に記憶しているものだった。常に通勤に使っているある私鉄電車の車内でのことだった。車両は適度に乗客があって、座席はすべて埋まっており、私は仕方なくドアの横に立っていた。やがて、電車は走り出したが、気が付くとドアが開いたままで電車は走っているのだった。目の前を見慣れた沿線の景がかなりのスピードで後退していく。危ないな、と思いながら、私は何気なく足下の方を見た。あるいは、何か違和感を感じたのかもしれない。すると、ドアのすぐ外に一人の男が両膝を抱えるようにして踞っているのだ。そのうなだれた頭がちょうどドアの底辺に位置する辺りにその男はいて、しかもその姿勢のまま電車と同じ速度で前方に移動しているのだ。私は、あっと思ったまま、その男から目が離せなくなってしまった。痩せて、粗末な服装のその男は、全く身を動かすこともなく、電車の進行とともに滑るように動いていく。男の足のすぐ下を、隣の線路の枕木が次々に流れ去って行く。やがて、次の駅が近づき、電車はスビードを落としていく。すると、その男もまたスピードを緩め、そして電車の停車とともに、ドアの下にわずかに頭を見せる位置で、停まるのだった。白髪まじりのぼさぼさ頭を眺めながら、この男は生きてはいないのだな、と思いながら私はその男を見下ろしていた。恐怖はなかった。ただ、車内全体が微妙に歪んでいくような強い違和感を感じながら、もしこの男が次の瞬間、ゆっくりとそのうつむいている顔をあげたらどうだろうか、との思いに囚われていた。幾駅かの間を、そんな状態のまま過ごしたのだった。夢はそこで途切れている。 あのときの男が、今足下に踞っていたらどうだろうか、などと思いながらも、すでに睡魔がゆっくりと自分を眠りへと誘い込もうとしているのを感じる。「四時四十四分」。すでに夜でもなく、しかし、まだ朝とも言い難い時の落とし穴の中で、一時目覚め、また眠りについていく。子供の頃のように、天上の音楽を聴くことはもうないだろうけれども。「降る雪や生死をややに遠ざけて」そんな、誰の作とも思い出せない句を、ちらりと頭に浮かべ、そのまま川が流れるように、眠りの中へ流れ込んで行く。 |