囀や血の気みごとに引きゐたる
『冬焉』という句集は、本当に一筋縄ではいかない句集である。様々な要素の複合体として1冊の句集がここにある。それは、まさに一人の人間がそこにいて、生きているかのように。そして、その要素の一つとして、『冬焉』には一俳人の「死」に対する姿勢と思いとが詠われてあると思う。それは、直接には奥様の死を詠うことによって、さらには何気ない句の中に感じられる対象との微妙な位置の取り方などにも。この句は、恐らく奥様の臨終の瞬間を詠われたものだ、と思う。囀という生の象徴的現象と血の気が引くという死の象徴的現象とが1句の中で痛烈に交叉する。しかし、この句の要諦は生と死の二物衝撃ではない。命が満ちあふれるこの世界の一角において、今命終を迎える妻の姿を「みごと」と捉える作者の姿にある。「薬害の妻の禿頭夏帽子」という句に対して、何もそこまで詠わなくても、との非難めいた声があるという事を聞いたことがある。この句の妻に対する受け止め方にも、その姿勢は共通するものだ。それは、冷酷とか、芸術至上的なものとはまるで違う世界である。もっと深く、もっと静かな世界だ。岩城久治という俳人の中には、深く死が生きていると思う。 |