日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

         
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【18年12月29日】

大みそか。夕方の水鳥公園で、岸から遠ざかっていく一羽の鴨(種類は何だろうか……)の後姿を見つつ、その姿にふと行く年を感じて、写真にアップ。
快晴の寒い夕暮れだったけれど、ほとんど波も立たない穏やかな水面だった。
静かな夕景の中を去っていく水鳥の姿が、その水脈も含めて印象に残った。

皆さま、良いお歳を!



【18年12月29日】

年末寒波ということなのだろう。今日も、ずいぶんと寒い。天気は曇り時々雪。道路の雪は少しずつ解けて、路面はぐちょぐちょ状態。屋根や耕作地の雪はそのまま残っている。時折、激しい降雪、あるいは霰が降ることもある。風は電線が揺れるほどの強さで、時々風音が耳に入る。
甥が今朝、東京から帰省。高速バスを使ったらしいけれど、40分ほどの延着ですんだとのことで、雪はさほど影響はなかったようだ。
今日は29日。今年も今日を含めて3日となった。途中から働きに出るようになって、例年とは今年はちょっと生活のペースが異なったということが一番大きな私的ニュースなのかもしれない。本を読みながら、それなりに社会とのつながりも保って生活するという基本的な部分は、特に変化はなかったように思うけれど。
今年中にしておくべきことは、あとは掃除くらいなのだが、荒天なので、窓ふきはもう省略しようかと思う。雑巾がけも必要最小限ということで……。あとは、すこしづつ部屋の整理と掃除機かけは現在進行中。例年は、性分からいっても大掃除は磨きたてるようにして結構徹底して行うのだが、今年はこじんまりと終了して、ひっそりと大みそかをむかえることにしようか。



【18年12月27日】

やはり、年末。あれこれ、こまごまと色々やっているうちに、もう夕方になっている。
午前中のうちに、俳句講座の添削指導をまとめあげて、投函。明日には届くだろうか、と思う。俳句は初めてという方が大半らしいけれど、短歌・川柳の心得は持っておられるようで、面白い作品が多い。ともかく、これで本当に、今年の「仕事納め」ということになりそうだ。
母の年賀状作りも、なんとか仕上げる。今年も、大山の雪景色の写真がメインとなる。大山は、いつどのような状況で写してもきっちりと絵になるので、被写体としてたいへんありがたい。たとえ、雲の中にかくれていても、その雲自体が被写体となりうるということがすごいと思う。本当に美しいものは、どのような状況であれ、常に美の片鱗を見せてくれる、みたいなところがあるのかもしれない。
天候は、予断を許さないような状況らしい。大雪が降らないことを願うが、念のためスノータイヤに交換する。年明け以降でいいかも、あるいは今年はタイヤ交換しなくてもよければいいのに、などと思っていたけれど、そうもいかないようだ。厄介である。路面が濡れた状態でタイヤ交換をすると、交換したタイヤを乾かすのに手間がかかるので、まだ晴れている今日の午後辺りが最後のチャンスと判断して、近所のガソリンスタンドにタイヤ交換に出かける。付け終わった車は、なんとなく走行感触がごろごろしているような微妙な感じ。
図書館でまとめて借りてきた本10冊。なかなか読めないので、時間をみてちょこちょここなす。田丸雅智の『おとぎカンパニー』、結構面白い。ショートショットで売り出した人らしいけれど、おとぎ話のあれこれを素材にして、いろいろ料理してみせてくれているのがたいへん楽しい。
稲畑汀子編『ホトトギスの俳人101』。いつか一度読もうとは思っていたのだが、いい機会なので、借りて読み始める。意図的に後ろから読み始めたけれど、読んでいくうちにいわゆる「花鳥諷詠」って一体何だったかな、と色々混乱した思いになってくる。とはいえ、これは逆に言えばいろいろな人材が枠を踏み越えて『ホトトギス』にいる、ということであろうか、などとも思う。
それにしても、借りた本をどこまで読み切れるだろうか、と思う……。




【18年12月26日】

別に終活というわけではないけれど、今年は年賀状を大幅に減らした。現役の頃の3分の1、退職後から比べてもその半分くらいまでに差出枚数を減らすことにした。
メールやLINEの活用ということもあるし、それに年末のこの時期の年賀状作りが少々負担に感じるようになってきたということもある。儀礼的な部分を減らすということもある。
事情により欠礼のはがきも、年々増えてきてもいる。
ここ数年は、年始の挨拶以外に、小さな写真と、さらに「歳旦三つもの」という連句の最初の三句を詠いこんだ年賀状になっているので、送られた方はかなり困惑しておられる方もあるだろう、などと思っている。
年賀状、半分は自分自身のためにということで、そんなたわいない遊びもさせていただいているということではある。
準備から印刷までに四日ほどかけ、本日めでたくポストに投函してきた。一仕事終わった心境である。



【18年12月22日】

地元のFMラジオ局で、2時間にわたり、過日「県民参加による第九」として公演されたコンサートが、番組として放送された。曲目は、ベルディ「ナブッコ」序曲ならびに、合唱「行け、黄金の翼に乗って」、そしてメインのベートーヴェン「第九」全曲。4人のソリストと指揮者以外は、オケも合唱もみなアマチュアという編成でのコンサート。
2時間にわたり、ラジオで演奏を聴いたけれど、いろいろ弱点はありつつも、よく演奏しきったという思いが強かった。
次回は、「ハレルヤ」全曲ということなのだが、人数的にある程度揃わなければ、なかなか厳しいものになりそうな気がする。京都時代のミューズ合唱団のように、だいたい250人前後の合唱団員が集まれば、大変心強いのだけれど、今回同様120人前後での「ハレルヤ」は、ずいぶん冒険であるのかもしれない。
今日は、地元の句会が午後から。30人余りの参加。今年最後の句会ということで、参加者がいつもより多かったように思う。しばらく前から披講を担当することになっていて、投句の披講を行っているのだけれど、なかなか気を使って、少々疲れる。
句会終了後、近所の百貨店で開催されている「大山開山1300年祭」協賛の写俳展(いわば、俳句と写真のコラボ)を見に行く。写真の方は、地元で写真家として活動している小中時代の同級生の作品が使われてある。フィルターを活用しているのか、独特の色目が面白い写真が展示され、その写真に重ねるように、有季定型や無季自由律の句が墨書という体裁でプリントされてある。面白い試みであると思う。
今日も、終日寒くなかった。句会が始まる前に、ちょっと話に行った地元の写真館の主人の同窓生と、妙な天気だなと話す。



【18年12月20日】

本年度のお仕事的なものは、本日で終了。最後が俳句関係で、きりが良かったように思う。講座は30名くらいが参加、講義と実作指導の二本立てだったけれど、俳句初心とはいえ、なかなか上手な方が多くて、実技指導はお話をしていても楽しかった。時間超過となったため、助言できなかった作品については、今日中にまとめて郵送してもらうこととなる(仕事が完全に終わったわけでもないか)。この調子でいければ、年度末のまとめ冊子に、短歌・川柳欄と並んで、今年は俳句の欄も設置できそうな気がする。
雨天と思いのほか道路状況が悪くて、会場到着時間が若干遅くなってしまったことが、心残りではあった。
ネット請願ページの「WEthePEOPLE」は10日ほどで条件の10万筆署名を達成して、現在13万ほど集まっているらしい。タレントのローラさんとか、沖縄出身のれいちぇる(だったろうか)さんなども、署名に参加しているらしい。さらに、ローラさんに対しては、例のごとくネトウヨによる攻撃が加えられているらしいけれど、そんなことしかできない連中にはつくづくあきれるばかりだ。
今日は、寒くない。雨のせいもあるのだろうけれど、今週中はこんな状態のようだ。来週はクリスマス。クリスマス寒波襲来の恐れはあるらしいけれど、あまり荒れないままに年末、そして新年を迎えてほしいものだと思う。念のために、雪掻き用のスコップを買っておく。昨冬末、とうとう雪を掬う部分が壊れてしまい、その部分だけ別売りしていないかと販売店で確認したけれど、ないということなのでやむなく購入。柄の部分はまだしっかりしているので、ねじ二つで止めることのできるスコップ面だけ別売りしてくれればよいのに、と思う。規格外の少し柄の長いスコップが欲しいので、2本の柄の部分がビニル管かなにかで繋げられないものか、などとも思う。 今年もあと10日あまり。穏やかに終わればよいのだが……。



【18年12月19日】

こちらの不注意もあるのだけれど、プリンターの互換性インク(純正品はずいぶん高いので)を買ってきたら、どうやら型番の思い違いで、プリンターが拒絶反応を起こしてしまったようだ。適正外のインクと表示が出て、そのまま使うのが気遣われたので外したところ、インク漏れを起こして指先に黒いシミができたようになってしまった。プリンターは、インクで儲けるというようなことは以前から聞いていたけれど、もうちょっとざっくりと印刷インクは使えないものか。共通規格のようなものが、各社通して策定できないものかとつくづく思う。利益よりも利便性を! 年末にかけ、プリンターを頻繁に使うことになるので、やむなく別の互換インクを買ってくることとした。本日買ったインクは、この先の使いようが見えなくて、まったくもったいないなと思う。
明日は、俳句講座。1時間半の講座だけれど、実作指導ということで、どんな作品に出会えるのか、不安なようなちょっと楽しみなような。とはいえ、大半の人が、俳句経験は初めてみたいなので、どうかなとは思う。短歌と川柳の経験は持っておられるらしいので、その点がどう俳句に現れてくるか、とも思う。
それにしても、スマホでパワーポイントが使えるとは、まったく思いもよらなかった。資料をパワーポイントで作り直して下さったのだけれど、こちらのメインパソコンにはパワーポイントは入っておらず、姪から譲り受けたノートパソコンには入っているけれど、パソコン自体の動きがかなり不安定で、しばしばフリーズ状態となり、ちょっと確認したいときに使えないということがある。
それが、スマホの画面で少々文字は小さいけれど、普通に利用できるとは。つくづく感心してしまった。
ずっと今のガラ携ですまそうと思いつつ、バッテリーパックがすでにとっくの昔に生産中止で、ネットで似たようなものを注文して使ってみたけれど、ろくなものではなかったこともあり、涙をこらえてスマホに替えた。通信料金は一気に跳ね上がったけれど、使ってみると意外と便利で使い勝手も良くて、おやおやと思っていたけれど、今回のパワーポイントで、スマホの評価が自分の中でまたちょっと上がったりもしたものだ。
便利さに溺れてはイケナイ! などとも思ってはみるけれど、確かに便利だなと思う。
さて、明日のために、今日は早めに休もう!。



【18年12月17日】

分身ロボットの開発が進んでいるという。名前は「OriHime」。体の不自由な人が、パソコンを使い、画面を見ながら自己の分身であるロボットを操作(操縦者の状態によっては視線や呼吸などがロボットの操作方法になるらしい)して、接客業にあたるというものらしい。テレビでその報道を見て、近年まれな「快哉」の思いを感じた。パソコンとネット、ロボット操作、そんな技術が一体となって、体の自由の利かない人が働くという形で社会へ参加する大きな援助になるという、その発想とそれを技術的に実現可能のレベルに近づけつつある一民間企業の取り組みに心の底から称賛の思いを表現したいと思う。ただ、まだ実験段階を抜けたという状態のようで、これからどのような形で実際に社会の中に位置づけられ、生かされていくのか、期待をしたい。
その分身ロボットを発想し、開発した人自身が3年間引きこもりの生活を経験し、その中から自らの社会復帰と重ねるようにして、この分身ロボットの開発に取り組んでこられたらしい。自らのつらい経験が、このような形で社会と障害を持つ人との間の懸け橋となり、そのあり様に大きな変化を生み出す可能性をもたらしたということは、本当にすごいことだと思う。
今まで、そのような試みが行われているということをまるで知らなかったので、今回テレビの報道を見て、とても驚いたことだ。
そういえば、米国のホワイトハウス内には「WEthePEOPLE」という請願窓口があり、ネットを通じて請願に対して10万人以上の賛同者を一定期間内に集めると、その請願に対するホワイトハウスからの見解が出されるらしい。例の沖縄辺野古埋め立てについて、一定の猶予期間を希望する請願が提出され、その賛同者数が二、三日前は30000人くらいだったのが、先ほど関係のホームページを見にいったら、すでに(これを書いている間に75000人から)77000人を超える数になっているようだ。募集の最終期日は来年の1月7日くらいだったと思うけれど、この調子なら100000人の賛同者を集めることも可能かもしれないと思う。目標を達成して、ホワイトハウスから何らかの見解が出るとしたら、組織票によるものだ、などという批判もきっと日本では出ることだろうけれど、それはそれとして米国の見識を見てみたいものだとは思う。米国では、こんなことも行っているということも、今回初めて知ったことだった。
政治評論家の田崎史郎氏の、安倍長期政権に対する見解が本日の某新聞に掲載されてあった。田崎氏によると長期政権を可能にした大きな要因は、安倍総理が「理想を掲げつつ現実的」に対応する姿勢を持っているからだとする。民主党政権が最終的に瓦解したのも、現在の野党が十分力を持ち得ていないのも、実は理想を見つつ、現実的に対応するというバランス感覚に乏しいから、ということであるらしい。実は、私自身もその見解には賛同する。
確かに野党は、政権を取った時期も、そして現在においても、あるべき姿を前面に押し立てて、ことを進めようとする。野党とはそのようなものであり、政治家である以上、理想は必要ではあろうけれど、メンドクサイ理想などは二の次という国民性にとっては、野党の問題とする理想など、ほとんど響かない、ということにもなるのだろう。
とはいえ、民主党が今ひとつ成果をあげきらないままに終局し、アベノミクスにおいて一定の成果を上げた経済政策についても、つまるところ民主党は「国民全体」を念頭においての経済政策を打ち立てようとしたのに対して、アベノミクスは「大企業と富裕層」を対象において、経済政策を組み立てたというところにその大きな違いがあるように思う。広く「国民全体(少なくともより多くの国民をということかもしれないが)」をカバーするような経済政策は一つの理想ではあろうけれど、その実現は大変困難であろうが、焦点を「大企業と富裕層」というそもそも社会的に大きな影響力を持つ対象や層に絞れば、ある種の経済政策(トリクルダウンとかいう分配機構は不全状態のまま消滅しつつあるようだけれど……)は実現可能なのだろう。田崎氏が称賛する安倍総理の「理想を掲げつつ現実的」に応対するその「理想」と「現実」とは、その程度の性格のものなのだろうと思う。
「北方領土問題」についても、「四島返還」から、「平和条約後、2島返還、その後は継続審議」的な感じで決着がつきそうだし、世論調査もとりあえず「2島」返してもらって、その後は継続といいつつも、実のところは「あとは野となれ山となれ」(実際、ほぼそうなってしまうことだろうけれど)的なところで、了としているようだし。「理想」は「4島」、でも「現実」は「2島」で手を打つというあたりが、世論の動向を見定めつつの、総理の「現実的」判断にも基づく目算なのだろうと思われる。実際のところ、返還について、再度任期が延長でもされない限り、安倍政権が担当できるのは、そのあたりまでだろうし……。安倍後の総理総裁は、本当にいろいろやっつけ仕事の後始末が大変なことだろうと、気の毒になってくる。いっそ政権をいったん野党に渡して、にっちもさっちもいかない状態で政権を再度取り戻したら、多くの不手際は少なくとも野党の責任ということで、筋を通せるかもしれない。



【18年12月16日】

土曜日、午後。庭掃除。降り溜まった落ち葉を掃除する。乾いた葉は袋詰め、湿った落ち葉はそのまま腐葉土作り用のポッドに納める。しゃがんだままの作業で、結構体にこたえる。ざっくりとではあるけれど、庭が片付いたのは、良い気分であった。
久しぶりの晴天だったので、夕方遅く、水鳥公園に白鳥の帰水の様子を見に出かけた。時間的には5時から6時くらいが、餌場から白鳥が戻ってくる時間帯らしいけれど、公園に着いた時はまだ白鳥の姿は確認できなかったので、いまだ餌場の安来平野の方にいるらしいと思った。やがて日が落ちて、辺りは次第に暗くなり、中天にかかる半月の光がどんどん増してくるにも関わらず、一向にハクチョウの帰ってくる気配がない。湖水に浮かぶ鴨の群れのすがたも黒いシルエットになり、上空を見渡しても、鳥の姿が目視しずらいくらいの暗さになってきたので、今日は白鳥は安来泊かとあきらめて、湖岸道路を駐車場の方へかえっていくと、不意に上空遠くから白鳥の「かうかう」という鳴き声が聞こえてきた。
帰って来たと思い、急いで100メートルほど走って、観察場所へもどると、5,60羽の群れがちょうど湖水にかかるあたりを飛来してくるのが見えた。西の山並みにわずかに茜を残すだけで、上空は濃い藍色の天幕のようになり、その下を影となったハクチョウたちが、声をあげながら大きな群れとなって帰ってくるのが見えた。群れは一旦湖水の奥の方へ飛び去るようにして、やがてこちらの方に引き返し、さらに着水地を確かめるように再び奥まった方へ飛び去り、やがてそのまま着水したようだった。その姿は暗闇のため目視することはできなかったが、一斉に鳴きたてる声で、湖水に降りたことが了解できた。
ここしばらく、大きな群れの帰水をみたことがなかったので、久しぶりの景観に、粘った挙句の偶然に感謝したい思いとなった。
その夜、午前2時近くからふたご座流星群を見に、自宅を出て、街灯のまぶしい住宅街を抜けて、ニンジン畑の方まで歩いていった。幸い中天あたりは雲がきれており、オリオン座とその周辺だけは星を眺めるこができた。時折吹き寄せる風のために、次第に顔がこわがってくるのを感じながら、星空を眺めた。かろうじて流星を三つ確認できたが、ひどく寒くてそこまでとして、引き返す。真夜中にただ一人、ニンジン畑の脇に佇立する人影、というのは、ほとんど不審者のようではあったろうけれど、幸い職質にひっかかることはなかった。
日曜日、高曇りの空。これから天気は下り坂ということらしい。


【18年12月15日】

「朝三暮四」という結構有名な故事成語をふと思う。サル使いがサルに餌をやるとき(餌代が思った以上にかかるようになったので、エサの量を変更しようとしたのだろうか)、朝は餌を三、夜は餌を四(芋かなにかだったんだろうか)やると提案すると、サルたちは歯をむき出して怒り猛ったけれど、やれやれ仕方ない、それなら朝は四、夜は三だったらどうだ、と再提案したら、サルたちは大喜びした、というような内容の言葉。
目先の利益にまどわされて、事の本質(朝三夜四だろうと、朝四夜三だろうと、結局餌の量は同じ七。もっとも、朝はしっかり食べて、夜は少なめというのは健康上は好ましいらしいけれど……)を見過ごしてしまうという、政策の世界を筆頭にして、世の中によくある出来事に対する教訓話なのだろう。消費税に対するほとんどバラマキに近い種々の経済対策も、似たようなものかも。いずれ目先の経済対策は終了し、しっかり10パーセントの消費税は徴収され続ける(いずれ15パーセントとか、20パーセントまでは的な含みもあるみたいだけれど)ことになるのだろう。
ただ、消費税アップもやむを得ない事情はあるのだろう。とはいえ、やむを得ないと思いつつも、その使い道に関しては、どうにも信用できないという部分が常につきまとうのが不愉快。
庭の山茶花が今を盛りと咲いている。時期的に早いのか、遅いのか、ちょっと分からないけれど、多くの蕾を残しつつも、咲いては落ち、咲いては落ちを繰り返している。裏庭の紅葉の木は、ようやく今頃になって紅葉を進めている。これは、例年になかったこと。日当たりのせいなのだろうか。陽光のあたったところにある紅葉の木は、とっくに落葉して、丸裸状態になっているのに。
さて、これから庭に降り積もった落ち葉の後始末をしなければならない。一部はポッドにいれて腐葉土化しているけれど、その量はたかがしれている。それ以外は袋に詰めて、市のごみ焼却場に持っていかなければならない。天気なのは今日一日くらいなのだが、前日までの雨で濡れ落ち葉状態になっているので、このままかき集めて袋詰めにするわけにもいかない。どうしたものか。花や緑をこの一年楽しませてもらったお礼の庭整備ということなのだろうが、なかなかシンドイ! いずれ、屋内の方の大掃除もしなければならないし……。


【18年12月14日】

辺野古への土砂投入開始。沖縄の心に寄り添うなどと、神妙なことを宣いつつ、既定路線として日本政府は埋め立てを始めた。沖縄は、国家の暴力と米軍基地の暴力と、一部国民の心ない言葉の暴力と、その三重の暴力に晒されている、と思う。
最近、テレビのニュースで、ネットから材を取ったらしい中国や韓国の一部国民のマナー度外視の振る舞いを放送しつつ、それに対してコメンテーターが、馬鹿にしたような言辞や非難めいた言葉や教訓めいた発言を行うという、そんな報道を見ることが増えた。わざわざそんなものを日本のテレビが堂々と流す、その神経がよくわからない。そんな内容にどれほどのニュースとしての価値があるのか、と思う。よそ様のトイレは臭いと、近所中に大声で吹聴して歩く、そんなくだらないレベルにまで、日本のテレビは落っこちたのか、とつくづく感心する。それとも、嫌中、嫌韓の感情を、テレビという媒体によって煽っているということなのだろうか……。よく、わからない。
地元の俳人光木正之句集『九十一歳』を借りて読む。表現するものと表現されるもの、そして表現それ自体の三者が何の衒いもなく豊かに調和している、と読みながらつくづく感心した。こんな句世界もあるのか、としみじみ思いもした。と同時に、私はこのような作品は決して作るまい(実際のところ到底出来もしないだろうけれど……)、とも強く思った。自分自身が求めるものと異質な世界、その豊かさに魅力を感じつつも、ある部分でそれらの世界の侵入を峻拒する思いもある、ということなのだろうか。引き続き、光木氏のエッセイを読了し、さらに偶然購入してあった句集『露曼荼羅』を読み始める。『露曼荼羅』の世界も、より生々しい作者の息吹のようなものが感じられて、良い。
地元に、こんな俳句作家がいたのか、と改めて思う。美柑みつはる氏とは、また別の意味で、刺激を感じた作家であった。面白い。
今夜で、湯たんぽ生活も四日目。一刻も早く布団にもぐりこむことが、日々の楽しみになりつつあるようだ。


【18年12月12日】

昨夜は、今年度の湯たんぽ使い始めの日。早めに布団の中に入れておくと、就寝のころほっかりと温まって、ぬくぬくと眠ることができて、大変具合が良い。さほど熱くもないので、低温やけどになる心配もなく、ほぼ一晩中温みが残るので、朝までたいへん具合が良い。まだ温かさの残るお湯は、朝の洗面等にも使うことができて、一石二鳥ということでもある。湯たんぽは、なかなか素敵な発明品だと改めて思う。
昨夜は、ついテレビドラマの『砂の器』を最後までみてしまう。原作を読んだことはないのできちんと判断できないけれど、昔映画で見た『砂の器』とは、あちこち異なっているところがあったけれど、たっぷりと時間の使ってお話を語れる分だけ、おそらくテレビ版の方が原作に忠実のような気がする。映画の方は、何度か見て、その都度感動することがあったけれど、今回のテレビ版もそれなりに見ごたえがあって面白かった。ただ、(視聴者への配慮だったのだろうか)ハンセン病のことと、り患した父親の姿が、まるで別の設定になっていた点はずいぶん違和感があったけれど。映画をみて強烈な印象を受けた父親の姿が、今回どう描かれてあるのか、期待していたのだけれど、なんとなく大きな芯をひとつぬかれたような思いにはなった。それにしても、こんな人が、こんな役をというサービス精神満載の配役陣も見どころのひとつだったことだろう。
水曜日。朝から冷たい雨が降り続いている。とはいえ、気温は昨日に比べると低くはない。雨がふると、逆に、少し気温は上がるのだろうか。昨日は午前中良い天気で、寒かったけれど、大山がくっきり見えてよかった。久しぶりに大山の全貌を眺めたように思う。初霜の写真を撮ったのも昨日の早朝のことだった。しかし、晴れると、本当に寒い。
20日の俳句実作講座の準備について、担当の方と相談。こちらが送った資料を上手にパワーポイントにまとめなおしていただけたりして、ずいぶんやりやすくなった。あとは、実地の添削指導がどの程度できるかということなのだろうけれど、参加者が40人近くあるらしいことを思うと、そちらの方は少々おぼつかないところがある。しかし、まあ、やるしかないということだ。
今日明日は、常勤の仕事の中日に当たるので、いつも通り本を読んだりして過ごしているけれど、同時にちょこちょこと仕事関係の資料も作っている。こういう資料を作るのは結構楽しくて、あれこれ考えながら準備を進めている。俳句講座も、いろいろ資料を作るのは楽しいんだけれど……。

【18年12月9日】

土曜日、午後。初雪のちらつく中を、年末ジャンボ宝くじを買いに出かける。自分用というわけではないけれど、宝くじを買いに行くのは、なんとなく私の役目みたいなところがあるようだ。ジャンボとジャンボミニを購入。ついでに、売り場に隣接する大型ショッピングセンターで買い物を済ませる。店の入り口に正月用のものがいろいろ積み上げられてある。少し奥に入ると、クリスマス用のきれいなあれこれが、これも山積状態で置かれてある。歳末の雰囲気満々の中で、食材などをちょこちょこ買って帰る。10品用のレジというのが数台準備されてあって、買い物数の少ない場合はそこを利用できる。ほとんど並ばなくて済むので、都合がよい。
日曜日。朝から曇。気温は昼前で5度ほど。寒い。雨が降らないという点は、ありがたいけれど、山陰はこんな天気が年末まで続くのかもしれない。すでに母の車はスノータイヤに履き替えた。自分の分は、様子を見ながらタイヤ交換をしようかと思う。スノータイヤのごろごろ感は、あまり好きではない。とはいえ、仕事の関係で雪道を出かける必要がこの冬はありそうなので、早めに交換しておいた方が良いのかもしれない。
実家の方では、タイヤ交換に行き、タイヤ自体が古くなっているので、新しいタイヤに交換したらどうか、ついてはこの車用のタイヤは「特別」なので、10万円かかると言われて驚いて交換せずに帰ってきたという。なんともいかがわしく、世知辛い話で、これもまた年末の一場面かと思う。

【18年12月8日】

本当に寒くなってしまった。現在、外は気温が6度くらいで、これが本日の最高気温になりそうだ。雨の止み間に実家の犬を散歩につれて出たけれど、風の冷たさに震え上がって早々に帰ってきた。白いものが時折混じっているような気がする、そんな天気になっている。風の音も間断をつけて聞こえる。
午前中、今月の20日に予定している俳句講座のレジュメを作る。今回は、実作指導が中心になるので、それに向けての内容となる。ただ、時間的に限られているので、とりあえず補助資料的なものを作って、現地の委員会の方へFAX送信しておくつもりで、2種類のレジュメを作る。ただ、文章による説明では少々おぼつかないような思いはある。あとは、当日どんな作品ができて、それをどんな風にその場で添削指導できるかが、講座の成否につながっていくのだろう。とはいえ、夏井いつき氏のように皆が納得するようなみごとな添削指導は、難しいなと思う。プレバト以降、俳句指導の一つの型を彼女が一般に印象付けてしまったように思う。「毒舌」を含めて、なんとなく「いつき風添削」を期待されているようで、かなり鬱陶しくはある。考えすぎ、なのだろうか……。
明日は、地元の別句会。先日、飲み会があったので、その後雰囲気が変わるのだろうか、などと思ったりもしている。飲み会参加のメンバーは、皆なかなか弁の立つ「?兵衛」で、飲み会中のそのパワフルさに感心もし、少々圧倒されもしたのだけれど、とはいえ楽しい集まりであった。ぜひ口語俳句をと要望を出しておいたNさんは、はたして明日どんな作品を持参されることだろうか、楽しみである。
水道法にしろ改正難民法にしろ、ばたばたと決まってゆく。細部は全く検討されることもなく(というより、細部の検討に入れば、数の多数という以外に到底成立もおぼつかない笊法案なのだろう。熟議に耐えない法律案とはいったい何なのだろうか、と思わず感心する)、ともかく会期中の成立を前提として、自公ならびに訳の分からんコウモリ政党の「維新」によってことは、進められたようだ。参議院による最終の意見表明の際、法案の持つ様々な問題点をあげつらいつつ、それでも賛成の立場を貫くという維新の「吉本ギャグ」的「みなずっこけ」風なてんまつに、思わず笑ってしまった。野党のふりをしつつ、常に与党にすりよる姿は、第二の公明党という以上に、まさに「コウモリ」的政党だなと感心する。童話の中では、「コウモリ」は最後に鳥でも獣でもない、どっちつかずの存在として、自らの立場を失うことになったはずだけれども。現実のコウモリ政党は、来る万博を旗印の一つに、大いに邁進するつもりなのであろうか。

【18年12月5日】

午前中、人間ドック。予想に反して、状態が改善されていて、こんなことは滅多にないことだが、などと担当の先生からお褒めと称賛の言葉をいただいたりした。もっとも当人には何ら思い当たることも自覚もなかったりするのだけれど。それにしても、胃の内視鏡が鼻から通す方式になって3年目、本当にありがたいことだと思う。しかも、昨年からは最新機種が導入された。最近、地元の医大が口から通す用のマウスピースを開発して、検査にともなう不快感や苦痛が大分改善されたというニュースを読んだりもしたけれど、しかしながら、そうであったとしても口から通す方式は心底お断りしたいと思う。口から通すくらいならいっそバリウムを飲んだ方がまし、とも思ったこともあったけれど、諸般の事情でそれもならず、我慢を重ねて口から方式に耐えていたのが、それは本当に悪夢のような日々であった。
そういえば、いつだったか別の病院で、鼻から通す方式だったのだろうか、管の細い内視鏡を使って、それを口から通すというやり方で検査を受けたことがあった。鼻から様式の出始めの頃であったのだろうか。それをやっていただいて、まるで不快感も苦痛も無く胃の内視鏡検査を受けることができた。これはすばらしい、と思っていたら、次の年からそのやり方は禁止になったらしい。口から通す器具と、鼻から通す器具とは基本的にその規格が異なり、その流用は禁止されたとか……。口から方式に戻ったときは、かなりうんざりしたものだ。
いずれにしても、不快感や苦痛の少ない検査方式が開発されて快哉、というところではある。
昨日までの暖かさが、少し様相をかえてきた。朝から冷たい雨がふっているけれど、昨日みたいにゲリラ豪雨級のとんでもないドシャ降りというのでは今日はなかった。明日は、もっと寒くなるらしい。そろそろ車のタイヤを冬用に履きなおしておく必要があるのかもしれない。
最近の法案審議は、その提出や採決に至る過程まで含めて、完全に迷走状態のように、素人目にも思われる。それでも成立してしまうことが、さらに恐ろしい。
辺野古の埋め立て予定地の一部が、軟弱地盤で相当な土壌改良工事をしなければ、完成しても基地としての機能を十全には果たし得ない、政府はそれを知りつつ、埋め立て工事を強行に着手しようとしている、などという情報があるようだが、真偽や如何?

【18年12月4日】

「あたたかき十一月」などと書き込んでいたら、十二月になっても、なお暖かい日が続いてる。寒くないという点ではありがたいのだけれど、なんとなく宙ぶらりんな状態で日々過ごしているようで、少々落ち着かないような気分ではある。とはいえ、明日くらいから、そろそろ本来の極月、十二月の気候になるらしい。覚悟して、寒さに対処しなければ、などと思う。
明日は、「人間ドック」。毎年十二月の年中行事のひとつのようなものではある。とはいえ、心穏やかな結果であることを期待したい。夕方からは、地元の別句会の飲み会が控えていることではあるし……。
先日、大学時代のサークルの同窓会に参加し、その折に誘われて「Line」に参加することとなった。仲間内で気楽に交信できるみたいで、面白そうではあるけれど、勝手にお勧めみたいな割り込み紹介があったりして、その点は鬱陶しいところもあるようだ。同窓会の折の写真などがたくさん掲載されてあって、便利なものだなとも思う。見るばかりで、書き込みはしないけれども。
非常勤とはいえ、やっぱりサービス残業は伴う。今日は、結局3時間くらい居残り仕事をして、昼食を食べ損ねる結果となってしまった。帰宅しても、眠くて仕方がない。