日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

9月分「日々録」 10月分「日々録」
11月分「日々録」 12月分「日々録」
1月分「日々録」 2月分「日々録」


【3月29日】
明日は職員会議。そこで新年度の校務分掌が知らされる。僕は、恐らく教務部のままであろうが、時間割組みのことを思うと、少々気が重い。
今日は、一日中、時間割組みのための「帯表」というものを作る(説明するとややこしいので略す)。明日の分掌発表を受け、教科会議で、各自の授業の持ちが決まり、そして、いよいよ時間割組みが始まるのだ。
正味5日間ほどで、作らねばならない。それが終わるまで、恐らく「日々録」も書けないのでは、と思っている。それが終わって、初めて教務部に春が来るのだ・・・。本当ですよ。
丹後から初めて甲子園へ出場した峰山高校が、破れたという。残念だ。

【3月26日】
忙しい。忙しくて、疲れることも忘れているような有様。今日も、昼食の30分以外、休む暇なく時間割作成のための予備作業を続ける。途中、心臓が変な具合になって、気味が悪かった。ただ、これもまだ序の口で、今月末から来月初め、具体的には実際に時間割を組む(今時、全くの手作業で、それをやるのだが)時期は、さらに厳しい状態になる。
今日も、ミューズのレッスンには行けなかった。残念だが、仕方がない。知り合いに自宅の近くまで車で送ってもらう。雨が降っている。琵琶湖疎水に水が帰ってきていて(冬の間、この疎水には水が流れていない)、街灯の灯が水面にゆらゆらと揺れている。風がなま暖かい。
自宅のポストに、本が一冊入っていた。遠藤周作の「彼の生き方」。先日、夕食をごちそうしてくれた知り合いが、わざわざ持ってきてくれたのだ。今晩、ゆっくり読ませてもらうつもり。「雪華」も来ていた。ここしばらく投句が滞っていて、それが心苦しい。
明日は、午前中、ゆっくりして、午後は仕事。ブラバンの定期演奏会の日なので、出来れば、夕方、演奏を聞きに行きたいのだが。さて、行けるかどうか・・・。

【3月23日】
いつもより少し遅めに出勤する。土曜日からの継続で、講座人数の調整を行う。一段落して、念のため全体の人数確認を行ってみると、全体数と調整人数の合計が、合わない事に気が付いた。再度、データを打ち出して、照らし合わせ作業を行う。データの一部、10人分が打ち出されていない。何故、そうなったのか、原因は分からない。
ともかく、一からやり直しとなる。
疲れた。(最近、こればっかり、という気もするが・・・)ともかく、やり直して、なんとか調整終了。十分とは言えないが、仕方ない。明日は、1年生のクラス編成作業か、授業のコマ作りをすることになるだろう。又、明日は異動(転勤)の内示日。転勤2年目の僕には関係ないが、誰が転勤するのか、気にはなる。
母は、買い物以外は今日は一日休んでいたとのこと。疲れが少しづつ出てきたようだ。夕方、東京へTEL。抜糸が終わったという。

【3月22日】
雨の中、11時前に京都を立ち、2時前に東京着。そのまま、山の手線に乗り換え、池袋から西武池袋線にさらに乗り換え、清瀬まで行く。そこから、タクシーに乗り、病院へ。病院は工事の為、全館停電状態であった。自家発電の音がうるさい。病室には、すでに母や姪が来ていて、叔母も点滴しながら、ベットに腰掛けて話をしている。思ったより元気そうで安心した。お見舞いに、小さな硝子瓶に入ったドライフラワーを買った。場所取りにならないように、と。
しばらく話をして、明日、もう一度来る事にして、帰る。親戚の家では、とりとめなく時間を過ごす。
翌日は、快晴。しかし、ひどい風が吹いている。4階の窓から北の方を眺めると、秩父山系は雪で白くなっていた。昼前に病院へ。今日から水を飲んでも良いということで、ベットの横には、缶入り緑茶が置いてあった。点滴は、昨日と同様。4時間程かけて1本目を入れるということ。面会時間が1時までなので、それまでの時間、叔母、母、甥、姪、僕の5人でたわいない話などする。昨日より、さらに顔色はよくなっていた。「1日ごとに良くなっていく」実感があるとのこと。
4時過ぎの新幹線に乗る。指定席は満席。3連休の3日目なので、当然か。母は少し疲れている風。しばらくして、うつらうつらし始める。僕は、富士山を見るために、起きていた。丁度、指定座席が山が見える位置と反対なので少々見辛かったけれど、身をかがめなどして、頂上辺りに雪煙を巻き上げている富士山のくっきりした姿を眺めることができた。新幹線から見る富士山の姿が好きなのである。その後は、京都に着くまで、本を読んだり、うとうとしたりという有様であった。
安心はしたものの、少々疲れた二日間であった。

【3月20日】
今日は、終業式の日。しかし、教務の仕事に手をとられていて、特に感慨もなし。いかんなあ、とも思うが、疲労感が強くて、一年が終わるという感銘もなかった。
昼食を終え、体調がいまひとつなので早く帰りたかったけれど、講座編成の調整に取りかかったら、終われなくなって、しんどいなー、と思いつつデータ入力をして、出てきた資料に基づいて、各講座の人数の確認と再調整を繰り返す。気が付いたら、6時過ぎになっていた。別の仕事で残っていた同じ教務部の同僚が「もう帰ろうか」というので、帰る事にする。教務主任の先生も、帰るとの事。主任は右目の調子がおかしいという。眼圧が上がって、片目だけ視野が白くかすんで見えないという。大丈夫だろうか。
土曜日という感じがしない。幸い、雨のやんだ通りを駅まで歩く。寒い。
帰宅して、風呂に入り、お酒を飲む。少し、ほっとする。今月の「いさなご句会」は参加できないので、世話役の山本康夫さんに電話を入れる。欠席投句も出来ない。今月は、ほとんど俳句を作っていない。ホームページの作品欄の更新もできない有様である。
その後、東京へTEL。明日の段取りを相談。その後、「醍醐会」の岩井さんからTELあり。送ってもらった原稿の一部に訂正があるとのことで、その連絡。併せて、レイアウトの相談。レイアウト見本を作って、FAXで送る。その後、電話があり、さらに話を詰める。

【3月19日】
今日は疲れた。9時半から始まった職員会議は、途中1時間の昼食休憩を挟んで5時過ぎまで。疲れた。その後、クラス編成の資料を作り直したりしていて、ミューズの練習に行く気力が無くなってしまった。時間も遅くなっていたし。
明日は終業式。平成10年度も終わる。そして、教務部はこれからが、大変な時期になる。考え始めると、それだけで疲れそうな気がするので、とりあえずは、考えない。
この間、「醍醐会」の原稿は完成した。「自己紹介」のページにあるので、興味があれば、是非ご覧下さい。
四字熟語俳句の例句、「俳壇年鑑」三冊に大急ぎで目を通して、15〜6句程見つける。役にたてばよいのだが。
「京都大骨董市」の案内葉書が来ていた。今日から三日間。パルスプラザにて。明日の午後、時間があれば是非見に行きたいものだ。

【3月16日】
知り合い二人からメールが届いていた。先日、夕食をごちそうになった人と、以前同じ学校の同僚だった人。この人とは、合唱の方でも繋がりがある。知り合いからメールがくるのは珍しいので、二人も、という偶然はうれしかった。
今日は合格発表の日(前の方の日記で、日にちを間違えていたのに気づいた)。発表は10時から。時間前に、すでにたくさんの中学生が合否を確かめに集まっていた。合格者一覧の貼られた吊り下げし式の掲示板が、壁に掛けられると、歓声が一斉に上がる。毎年の情景であるが、新鮮な一瞬である。それだけ見て、仕事に帰る。時間割作成の為の準備作業。講座の確定と講座名付け。結構細かい作業。その合間に、職員室に来合わせた教科主任と講座編成についての要望確認など行う。
阿部完市氏の句集『にもつは絵馬』読了。面白かった。個性的な言葉の世界に遊ばせて頂いた、という思い。後半には第二句集『絵本の空』の抄録もあり、それも面白かった。読み終わったので、続いて長谷川櫂句集『古志・天球』を読み始める。手応えのある句が多い。
今日は早めに帰ったので、料理を作る。肉じゃがとブリのあら煮。自分でいうのは何だけれど、今回の肉じゃがは、我ながら絶品であった。特に、ジャガイモが美味い。一口食べて、ほっくりとろりという食感に感動してしまった。夜、東京からTELあり。叔母の様子は、今日はベットに身を起こすことができるくらいであった、との事。母も昨日に比べて、声に元気が出ていた。ただ、やはり体調は今ひとつらしくて、見舞いに迎えを兼ねて、21・22日に東京へ行くことにした。
岩城先生からもTELあり。俳句で学ぶ「四字熟語」の例句を送るようにとのこと。しばらく作業を中断していたので、大急ぎで作業を再開しなければ・・・。今日、明日でなくて良い、という一言は岩城先生の心遣いと思った。

【3月15日】
午前中は成績処理、午後は、時間割作りの準備作業。今日は、二次卒業の日。時間を勘違いしていて、少し遅い食事をとって帰ってきたら、式は終わっていた。あーあ。午後は強い雨が降った。雷も鳴り出した。春雷、などという風情のあるものではなかった。夕方には、上がる。
通勤の行き帰りに、阿部完市氏の第三句集『にもつは絵馬』を読んでいる。なんとなく面白い。意味を読みとるのではなく、言葉そのものを味わっているような感触。実は案外「写実的」な作品なのかもしれないけれど。ともかく、変に面白い。
東京よりTELあり。今日は東京の叔母が入院、手術の日だった。鳥取から母が見舞いに行っており、連絡があった。手術は4時間程かかったという。成功して、現在、集中治療室にいるとのことだった。母の声が疲れていた。体調があまりよくないというので、そちらの方も心配である。20日過ぎには、僕も見舞いに行くつもりだ。
少しお酒を飲んだので、昨日の原稿の続きは書けそうにないので、もう寝る。

【3月14日】
淀川長治さんの伝記をテレビでやっていた。途中、笑ったりもしながら、最後にはしんみりしてしまった。母親との関係や、映画とともに生き、ひとりで死ぬ覚悟をすることなど、他人事ではないな、とも思ったりしたものだ。
昨夜は、友人宅へ。美味しい日本酒とタイ風焼きそばとスープをごちそうになった。美味しかった。贅沢な時間を過ごさせてもらった。感謝。
帰宅後、原稿の入力を行う。12時くらいまでかけて、完成。読み味わいながら打ち込んだので、ミスがありそうだが、それは後日まとめて見直すつもり。あとは、自分の分の原稿を書かなければと思う。
今日は、午後、ワシントン・ナショナル・ギャラリー展を見に行く。とんでもないほどの人出であった。人の肩越し、頭越しの鑑賞であった。ドガ・マネ・ピサロなどが面白かった。向かいの建物で、ムンクの版画展も開催していたのだが、それは次回廻しとする。夜は原稿書き。半分くらい書けた。残りは明日。

【3月13日】
学年末試験も終わり、答案返却期間に入った。国Uの試験は、採点が終了し、ロータスを使って、成績資料を作った。試験を返して、訂正部分を打ち込み直せば、成績が出せる状態になったので、その点は一安心。学校の方は、15日の合格発表、新入生説明会等の準備に動き出している。今年度も、まもなく終わる。
春先になると、決まって鼻・喉がおかしくなる。しばらく我慢していたのだが、病院へ行くことにする。行くことをためらっていたのは、病院が恐いからではなく、こんな時行く「行きつけ」の耳鼻科医院が、毎回、大変な数の患者で、待ち時間が長いのが鬱陶しいからなのだ。それじゃ、別の所に行けばよい、と言われるかもしれないけれど、他の病院には行く気がしない。なぜなら、その病院のお医者さんは「腕が良い」からである。鼻の治療の時など、前に通っていた医者は酷く痛くて、それで通う気をなくしてしまったりしていたのだ。それが、こちらのお医者さんでは、同じ治療をしていながら、「痛くない」のだ。これは、医者選びの時の大きな選択肢になるのではないか。それに、病院のスタッフが、皆、中年から初老の女性達で、その応接が落ち着いて丁寧で感じがとても良い。だから、多少、待ち時間が長くなろうとも、行くとしたらそこしかないのだ、と思ってしまう。おかげで、具合が良くなりました。
今日は、土曜日。外は良い天気である。夕方、知り合いの家に「お呼ばれ」に行くので、それが嬉しい。本場のタイ料理を食べさせてもらえるのだ。タイ料理は、美味しい。香辛料のおいしさというものを、つくづく感謝する。
とりあえず、今日は『醍醐会』の原稿打ち込みに専念しようかと思う。新たに追加原稿もやってきたし、それに自分自身の原稿をまだ書いていない。最後でいいかな、とたかをくくっていたのだが、そうもいかなくなってしまった。

【3月10日】
昨日は、夕方、映画を見に行ってきた。試験期間中は、比較的余裕があるのだ。見たのは、『ガメラ3』、怪獣映画である(「ウルトラQ」「ウルトラマン」で育った世代として、怪獣映画には一種の思い入れがあるのだ)。一連の『ガメラ』シリーズの評判はちらちら聞いていたので、一度、見てみたいと思っていたのだが、良い機会なので、見てきた。面白かった。ストーリーは、最後の方に、いかにも日本映画的な臭さがあって、それが不満であったが、全体としてはとても良かった。特に、破壊のシーンの迫力には、思わず身を乗り出して見てしまった。日本映画のレベルの高さを、改めて感じた。興奮しながら、雨の夜の河原町を帰って行った。
今日は、試験3日目。こちらの不手際もあったりして、バタバタと過ごす。午後は、講座編成の準備。夕方まで。その後、少し走る。近所の家の庭に、もう桜が咲いていた(早すぎるように思うけれど、どう見ても桜なのだ)。昨年も、随分早い時期に咲いていたので、目についたのだ。沈丁花もあちらこちらで咲いている。走りすぎる時、ふっと匂うのだ。気分が良い。明日、国Uのテスト。出来はどうであろうか。
『醍醐会』の記念冊子の仕事が入る。と言っても、手書き文章の入力作業なのだが。小冊子ではあるが、内容の濃いものになりそうな感触がある。僕の担当は、茨木和生・中田剛・関戸靖子・三嶋隆英・中村堯子各氏の文章。俳句関係の人以外にはピンとこないかもしれないけれど、いずれも関西俳壇の有力俳人達なのだ。各氏の文章を味わいながら、作業を進めて行こうと思う。楽しみである。
地域振興券のニュースをやっている。なんとも割り切れない気分になる。これは、一体何なのだろうか・・・と思う。景気浮揚の為に、税金を無理矢理使わせているような気がする。景気回復の呼び水?どうなのだろうか・・・(?_?)。

【3月8日】
昨日は『運河』句会。句会においては、何句選に入ったというような点に気を向けるのではなく、選を通じて俳句を学ぶようにということを、この句会に参加した最初の頃、主宰の茨木先生が話しておられたように思う。僕自身は、その考えに沿ったところで、この句会において俳句を勉強したいと考えていた。昨日の句会で、僕一人が選んだ作品が、茨木先生の選ばれた特選句一句に入っていた。その作品のどこが面白いのか、僕には具体的に指摘が出来ると思う。そう思って、内心の満足を感じた。こんな形で句会に参加するということもあるのだ、と思う。
今日から、学年末試験。国Uの試験は最終日なので、それまで採点はない。「待ち」の状態である。
午後、年休を取って近くの太陽ヶ丘の運動公園で職場の人達とテニスをする。皆、上手くはないので、結構楽しめた。3時間ほどダブルスでのゲームを楽しむ。天気も良くて、爽快な気分であった。テニスを終えて、そのまま学校までジョギングで帰る。30分足らずの時間。軽く、汗をかく。
帰宅前に、行きつけの飲み屋で軽く一杯飲む。太刀魚がなかなか美味であった。

【3月6日】
今日で授業は終了。来週から学年末試験が始まる。試験はすでに提出してあるし、答案返却の日程も掲示が終わったし、気は楽である。授業は4時間。国語U。最後は、U類理系のクラスで締めくくる。相変わらず元気。長いような短いような一年の授業だった。
午後、ひさしぶりに出張。桂高校まで。バドミントンの顧問会議だった。前の学校での知り合いの先生などに出会ったりもした。会議終了後、阪急で河原町まで行き、寺町をぶらぶらする。春仕様のデスクトップパソコンを見て回る。フロッピーとCD入れのケースを買って帰る。
昨夜のミューズのレッスン。団員募集が終了して、メンバーは260名程となる。ほぼ目標達成ということのようだ。ベルディの「れくいえむ」。彼の歌劇のように華やかで激しく美しい作品。昨日の練習では、「怒りの日(ディエス・イラ)」。文字通り、嵐のような激しい曲。
明日は、『運河』の3月句会。いつもの通り、作品はまだ出来ていない。明日の午前中が「勝負」か・・・などと思っている。一週間が終わって、とりあえず今晩は、ほっとしている。

【3月5日】
入学試験(ATと言っているのだが)の日。試験の再々検担当だったので、受検に来た中学生諸君の姿を遠くから眺めるだけだった。前庭にいる姿を職員室から眺めるとか、受験会場の教室に移動する様子とか、試験の合間の休み時間に廊下に出ている姿などを中庭越しに眺めるとか。緊張はしているのだろうけれど、さほどそのようにも見えないのが、現代っ子たるところなのだろうか。後は、一日中、会議室に籠もってテストの再々検を行う。
4時半頃、再々検終了。さすがに神経が疲れた。試験は、さらにもう一度検査される。AT委員の人達は、今日は何時に帰れるのだろうか・・・。
今日は、ミュウズのレッスンの日。先週は休んだので、今日で2回目。メンバー募集は終了したので、はたして何人くらいの人が集まったのだろうか、と思う。歌い終わるまで1時間半程かかる大曲なので、それだけのパワーが必要となるので、出来るだけ多くの人が集まった事を願う。
友岡子郷氏の句集『翌』を引き続き読む。阪神大震災の句には胸打たれる。

【3月4日】
明日は入学試験という事で授業は午前中。午後は、試験会場の準備。一階から三階までのトイレ掃除にあたる。結構、大変だった。その後、学年末考査のテスト返しの予定表を作る。原案は作ってあったのだが、実際に表として作ってみると、何カ所もミスを発見。手間取ってしまう。
夕方、走る。今日は、午前中に年休を3時間程取って、病院へ行ってきたのだ。いつもの薬と診察のため。ここしばらく、血圧が不安定だったので、心配だったのだが、(薬を変えようかという話があったので。薬を変えると、副作用の影響もあって、それに体の方が慣れるのに時間がかかるのだ)検査の結果が良かったので、ちょっと安心。気分良く走る。つい、長めに走ったつもりだったが、実際には40分程であった。アップ・ダウンのあるコースなので、汗をたっぷりかく。
帰宅後、自宅からTELあり。東京の叔母の入院の件。手術は15日なので、近い時期にお見舞いに行くつもり。
風呂に入り、ビール飲む。野菜炒めと奈良漬けがおつまみ。その後、ヨーグルトを食べる。栄養調整のつもり。友岡子郷氏の句集を読み始める。出来れば、これで、何か文章を書きたいと思っている。

【3月2日】
今日も胸と背中が痛い。どうやら、首のほうからきているようだ。無理してジョギングしたら、ますます痛くなった。(T_T)。「顔文字ソフト」を見つけたので、試しに使ってみました。それにしても、動かし方によっては、本当に痛い。以前、40肩になって、この時も痛かった。(痛みのあまり、寝ていて目を覚ましたことがありました)が、今回もかなり痛い。
とは言いながら、お酒飲みに行く。なんとなく、火曜日は行きつけの居酒屋にお酒を飲みに行く日みたいになってしまった。痛いなあ、と思いつつ、ビールと日本酒を飲む。おでん、うなきも、サラダ、ブリ焼きなど。美味。
その後、パチンコに行く。リーチが入ったところで、所持金がなくなる。隣の人に席を譲って帰る。こんなことが、ごくたまにあるのだ。「天の采配」とでも言うのだろうか・・・。すっかり、あほらしくなってしまう。
帰宅後、洗濯。一休みして、風呂に入り、もう寝ようかと思う。背中は、まだ痛い。血圧を測ったら、正常値。ただし、脈拍は100を越えていた。一体、何なのだ、と思う。

【3月1日】
卒業式。落ち着いた雰囲気の良い卒業式だった。式後の、生徒から父兄へのお礼の言葉は、なかなか良かった、と思う。広島で、学校長が日の丸・君が代の事で自殺された。不幸な時代だと思う。あるいは、このような事が、まだ起こるのかという驚きがある。ご冥福を祈りたい。
式場内は寒かったけれど、外に出ると日差しは明らかに春の日差しだった。生徒達や父兄の方々が三々五々という雰囲気で集まって話しなどしている様子は、のどかなものだった。お祝いの紅白饅頭を頂き、お昼前だったので、早速一つ食べた。甘くて美味しい饅頭だった。
午後は、年休を取って帰宅する。肋間神経痛か何かなのだろうか、胸と背中が痛い。先週の日曜日も、丹後に行くため電車に乗ろうした駅のプラットホームで急に痛みだして困った。その時は、電車の中で、シートを倒して休んでいたら1時間くらいで直ったのだが、今回は、結局夜まで痛んだ。夕方には、しばらく横になっていた。かなわんなあ・・・と思う。
夜になって起き出して、食事を作る。菜飯と煮魚、がんもどきの煮たもの、千切り大根、キムチという夕食。健康食だな、と思う。今日は、第一月曜日で月曜会の日だったが、結局、休んだ。