早すぎる死といはれたし竹の花
最近、岩城先生は小説の方にも手を染められている。すでに、短編小説を4編、俳句関係の雑誌に発表もしておられる。そのうち、3編を読ませていただいた。虚実とりまぜた構成が面白い作品だった。その中で、共通しているのは、「死」という出来事だった。それは身内の死であったり、主人公自身のそれであったりしたが、3作とも死の影が付き添う、そんな作品だった。この句も早逝願望を歌った作品だが、そこには不思議な明るさのようなものがある。岩城先生は、独特の生死観を持っておられる、ということは、それまでの雑談の中などで感じていたのだが、それが作品の中で触れられている1作といってよいかもしれない。ちなみに季語は「竹の花」。竹は何年かに一度花を咲かせて、一斉に枯れてしまうということがあるらしい。そこには、確かに死の影が感じられるが、しかし、その折付けられた竹の実は救荒食糧として生かされたということもあるらしく、そこにはおよそ死とは対照的な「生」の側面も伺われるのだ。生と死の微妙な交叉の中に、微光を放つ1句という思いがする。 |