岩城久治 新句集『冬焉』より (9)

はじめなかをはり一切大文字


はたして、いままでにこのように大文字の送り火を詠った句があっただろうか。人によっては、この句は何者も詠っていない、とするかもしれない。たしかに具象的な描写はほぼ全くといっていいほどなされていない。詠われているのは、「はじめなかをはり」という時間の経過である。俳句「もの」説では時間の経過は、「こと」の描写であり、俳句を弱める要素として否定的に考えられているようだが、その立場に立てば、この1句も句としては未熟なもの、ということになるのかもしれない。しかし、この句の眼目は、それらの時間の流れを一挙にある一点に凝縮する言葉「一切」であろう。そして、その一点とは、まさに「大文字」である。俳句は行きて帰る心というが、この1句も、読み終わった瞬間に、思いは初五に戻り、そして時間が再びゆっくりと流れ出すのである。それも、大文字の炎の灯り初めの揺らめきや激しく燃え上がる炎の舌ややがて静かに消えてゆく明滅とともに。「こと」を「もの」に変換する絶妙の機構が、この句には仕込まれているようである。