日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
6月分「日々録」
7月分「日々録」
8月分「日々録」
【9月28日】
昨日は体育祭。一日中、快晴。競技は、結構盛り上がったものとなった。すっかり日に焼ける。体育祭終了後、2年生の選択登録の準備をする。夕方になって、生徒から推薦入試の論文の添削を頼まれる。明日中に速達で送らねば、間に合わないとのこと。夜は、病院に行く予定だったので、FAXで原稿を送るよう言って退勤。8時過ぎに帰宅するが、FAXは届いていない。結局、原稿が届いたのは、もう寝ようと思ってベットに入った11時過ぎだった。12時前までかかって添削。FAXで送り返す。原稿はなかなかの出来だった。何度も書き直した、とのこと。
朝、頭が少々痛かった。夜中に集中してものを考えるのは、もうちょっと辛くなっている。今日は、4時間。2時間授業、その後、選択登録の登録票や資料関係の印刷と封筒入れを行う。別に担任会用の資料も作る。午後は2時間。『源氏物語』。なかなか先に進まない。面白いんだけれど・・・。放課後は、国語表現の採点。その後、1年生の単位登録の準備にかかる。2年生の担任会へも出席するつもりで、6時過ぎまで作業しつつ、待つ。
6時半に退勤。走るつもりだったのが、予定が狂ったので、2駅歩くことにする。30分ほど歩く。少し物足りないが、仕方ない。車中で『俳句現代』を読む。石田波郷の特集。波郷作品の100句が載っていたが、その作品にとても魅力を感じた。『いよよ華やぐ』は読了。瀬戸内氏の作品はもっともっと読んで見たいと思う。
【9月26日】
4時間授業。国Tは、漢文入門終了。古典Uは、物語で『源氏物語』へ。「藤壷入内」の話。余談の方が長くなって、本題の方になかなか入らなかった。少々不手際であった。
空き時間は、2年生の単位登録の登録票や配布資料の準備にあたる。印刷は、明日の体育祭終了後になりそうだ。
所用のため、年休を取って帰る。途中、書店に寄って俳句関係の月刊誌を3冊買って帰る。俳句については、ちょっと見通しができそうな気がしている。夕方、40分ほど歩く。夕日が美しい。以前10年近く住んでいた町を歩く。マンションがあちこちに建っていて、随分様変わりしていた。住んでいたアパートは以前のままだった。懐かしかった。夜、兄からメール。就職関係がなかなか上手くいかないようだ。
【9月25日】
昨日は「いさなご句会」で丹後へ。丹波の山並みを走る電車の中で、ほっとしている自分を感じる。車中の句作は15句ほど。たいした作は出来なかったが、何句かは句会に出すつもり。句を作り終わってから、瀬戸内寂潮の『いよよ華やぐ』の下巻を読む。俳人鈴木真砂女をモデルとした小説。読んでいるうちに「はまって」しまった小説。良くも悪くも文学の毒というものを感じながら読んでいる。読みながら、自分の中のエネルギーを作品に吸い取られていくような奇妙な感じを持つ。恐らく、僕だけの感じなのだろうが、体の芯にわだかまっている疲労感が、悪く刺激されるような感じなのだ。疲れながら、しかし、ひどく心惹かれて読み続けている。その揚げ句、1句出来てしまったりした。後ほどの句会で、岩城先生の選にも入った1句。
ここしばらく、あまり良くない状態だな、と思っている。疲労感の強さは、エネルギーが内向しているせいなのだろう。こんな時は、嵐が頭上を吹きすぎるのを待つように、じっと耐えている他はないのかもしれない。どうにも致し方ない。
今日は、3時間授業。国語Tは、漢文入門で、書き下し文がどうとか、返り点がこうとか、あまり面白いものではない。国語表現は、聞き取り書き、というものを行ってみる。永六輔の『商人(あきんど)』を教材とする。朗読を聞きながら、メモを取り、要点をまとめるというもの。ついでに、個性的な取り組みをする全国の個人商店の姿なども伺えて、面白いのでは・・・などと考えつつ、授業を進める。さて、結果はどうだっただろうか。放課後は、職員会議。その後、クラブに顔を出す。今日は、1面しか使えないので、交代で試合を行っていた。しばらく試合を見て、それから、走りに行く。夜が早くなっていて、もう外は薄暗い。涼しいのが、気持ち良くて、40分ほど走る。多少、気分転換にはなったようだ。7時過ぎに、学校を出る。ちょっといつもの店に立ち寄ってから帰宅する。
【9月23日】
友人と二人、丹後のどこかの野原を歩いている。すると、先行している友人の姿が突然見えなくなった。おやっと思って走っていくと、道が途切れ、大きな川が流れている。茶色の濁流が流れている。見ると、下流に向かって友人が流されている。急いで水に飛び込むと岸の茅を手がかりにして流されないようにしながら、同じく草に捕まって流されまいとしている友人の所へ近づいて行く。ようやく友人に手が届く程に近寄り、手を延ばす。一度は友人の手を掴むが、次の瞬間、流れのため手が離れ、友人は濁流に流され、やがて水没していった。僕は、流れに押されながら友人を追って流されていった。こんな風にして始まる長い夢をみた。
流された友人を探す夢。その間、舟を借りたり、家で休ませてもらったりと、何人もの人の親切に助けられながら、探し続ける。しかし、生死はわからぬままに目が覚めることとなった。長い夢だった。
昨日は、ミューズの練習へ行く。『第九』合唱。男性陣はなじみの顔や新しい顔など総勢40名ほど。2時間足らずの練習。結構、上手い。長年の蓄積が、合唱団の歌唱力アップに繋がっていると思う。会場は、京都駅前のアバンティ。帰りは階段通路を使うが、夏を挟んだこの2月ほどの間に酷く汚れている。床に煙草の焦げ跡があちこちに着き、壁に落書きが書かれてある。酷いな、と思う。アバンティが、若者向けの店に模様替えをして後の変化だ。身を飾りながら、身の回りを汚すことに平然としている感性には、やれやれという思いがする。最近、疲労感が強いせいか、書く内容が暗いな、などと思う。
【9月21日】
審査疲れで寝込んで居ると、突然の電話。寝ぼけ半分で電話を取ると、九州の兄から。最近、再就職先を決めたのだが、身元保証人になってほしい、という。了解するが、その後、何となく寝そびれてしまう。それが、昨夜のこと。ようやく寝入ったが、おかしな夢にうなされることになった。
今日は、文化祭三日目。しかし、明日の1年担任会の資料つくりに朝から追われて、3年生のパフォーマンスを見に行く余裕がない。10月にはいれば、1・2年の選択作業に追われることになる。
午後は、巡回や大掃除、そして、文化祭の審査発表となる。発表そのものは滞り無く終わるが、その結果に関して確認を求められる。予想されたことなので、担任団に審査資料を渡す。疲れる。早めに帰宅。洗濯をして、軽く走る。風呂に入り、ビールを飲み、食事は軽く済まし、後は少し本を読んで、寝るだけである。岩波『江戸の見せ物』を読み始める。
【9月20日】
文化祭、2日目。朝から、演劇の審査。今日は、後半5クラスの演劇を見る。クラブの子たちが、主役や重要な役を担っている劇もあり、審査しながら結構楽しめた。優勝本命のクラスの演劇もあり、なかなか立派な出来だった。今日は、本校の演劇部の公演もあり、こちらも面白かった。「二百十日」というちょっと古風なタイトルで、生徒の手になるオリジナル作品。府の大会では、劇と共にこの台本が脚本賞を受賞した。少し古風で明るくやさしく、そして繊細な舞台で、城南演劇の粋のようなものを感じた。
4時前に最後の劇の審査を終え、その後、集計作業をしてから、生徒と教師の審査会議に臨む。結果は、一部を除いて順当なものとなったと思う。やっと終わったとの思いあり。気疲れした。
6時過ぎに学校を出、真っ直ぐ帰宅する。目が少し変。早めに寝ようと思う。岩波『商人(あきんど)』永六助読了。三部作、いずれも面白かった。
【9月19日】
今日から、文化祭。演劇の審査員にあたったのだが、審査担当の生徒のことで混乱する。それが、昨日のこと。今日になって、同じ担当の人が急用で休まれた。足りなくなった審査員のことで、またひともめする。結局、同じ分掌の人が代理で2日間審査員を担当してくれることで納まった。すでに始まる前から、気疲れしてしまう。
演劇は、旧体育館を会場にして行う。例年、残暑の頃で体育館内は「蒸し風呂」状態となるのだが、今年は「風呂」状態くらいで助かる。1クラス50分以内の制限時間内で劇を演じる。今日は、5クラス分の審査を担当する。思わず感心する出来のものから、ちょっと準備不足かと思われるものまで内容は様々。
4時に最終の劇が終わり、今日の分の審査は終了。少々疲れた。審査委員席に座って、劇を見て、それを幾つかの観点から審査するわけだが、神経が疲れてしまった。瞼がピクピク痙攣状態となる。
いつもの店に立ち寄り、軽く飲む。なんとか回復する。明日も、5クラスの審査。前評判の高いクラスなども控えていて、楽しみではある。暑くない事だけを祈る。
【9月17日】
本箱が届く。大きな本箱。どうしてももう一つ必要だったのだが、先延ばしで、やっと購入。ダンボールに入ったままで3年目にはいっていた本を、早速納める。ついでに、他の本箱の配置の再整理を行う。一仕事であった。これで、書斎らしくなった。以上は、昨日の午後のこと。
眠りが浅く、寝たり、目を覚ましたりの繰り返しで、結局8時前に起きる。コーヒーだけ入れる。午前中は、本当にぼんやりと過ごす。色々なことがあって、精神的にもちょっと疲れてしまった。外は、快晴である。ベランダから眺めると、比叡山の向こうに比良山の稜線がくっきりと見える。また山に行こうと思う。
午後になって、気分転換を兼ねて外出する。外は、まだ暑いけれど、ひさしぶりに鴨川河畔を歩こうと思う。三条から歩き始めて、北山大橋まで。北山が次第に近くなってくることが嬉しい。いつか、北山の岩屋橋から京都市内まで歩いてみたい。北山大橋からの帰り、まえの学校の同僚の先生に出会う。彼も、ウオーキングをしているとの事。出町柳まで一緒に歩く。近況などについて話しながら、少し速歩で歩く。出町で別れ、柳月堂に音楽を聞きに行く。ピアノ伴奏による『第九』の4楽章の演奏。その後、マーラーの何とかという曲。1時間ほどいて、帰る。
帰宅後、汗をかいたので、まず風呂に入り、その後、軽くビール。今日は、甥・姪の運動会なので自宅に電話を入れるが、通じない。留守のようだ。仕方ないので、出来合いのもので夕食を取る。
【9月16日】
昨日は、米さんの出版をお祝いする会。大覚寺内の「菊水」にて。しっとり落ち着いた料理旅館。参加者は50名ほど。俳句関係では、遠来のお客さまとして「銀化」主宰の中原道夫氏や『俳句研究』の石井編集長などの出席もあった。料理も美味しく、皆お酒が進んで賑やかな会となった。3時には、宴は終了。その後、参加者は、二次会に。お年を召された方と若手?とに別れ、「米」さんとその近くのお好み焼き屋「文月」へと向かう。
2次会では、「銀化」の二人と「風土」の人、そこに「幡」の方(この人は宮津高校時代の生徒の一人だったことが判明)が混じったりして、もっぱら俳句の話をする。途中、その中の一人が、ある有名な俳句賞の第2席に入っていることを聞く。第1席の人も関西の女性俳人。2度ほど句会で顔を合わせ、名前も知っている人であった。正式には、10月に発表されるらしい。二人とも若い。有力な新人が、関西の俳壇から登場することになるのだ。
いつの間にか、外は酷い降りで、タクシーを呼んでもらって帰る。周りの人たちが、着々と地歩を築いている中で、何をやっているのだろうと、雨に打たれる窓外を眺めながら、ぼんやりと考えていた。かなり酔っぱらっているな、と思った。
土曜日。今日半日、腹痛に苦しんむ。
【9月14日】
故郷の母の体調が、少し良くないようだ。毎朝のように目眩に襲われるらしい。点滴を毎日うっているということだが、状態があまり改善されないらしい。夜も眠れないということで、別の薬を貰ってのんでいるらしい。そんなことを電話で言ったきた。声は、いつもと同じ調子なので、その点は安心しているのだが。今日は一日、腹痛に悩まされる。痛いような痛くないような、そんな中途半端な痛み。我慢しながら4時間授業を行う。残りの時間は、夏の読書感想文の府大会推薦用の作品の粗選りを行う。各クラス3編ほど選ぶ。後日、1編に絞る予定。2クラス分を集中して読んだので、さすがに疲れる。学校内は、来週からの文化祭の準備で喧噪状態となっている。1年生はクラス発表、2年生は演劇、3年生はパフォマンスという演目。今年は、演劇の審査員をすることになった。これが、なかなか大変なのだが・・・。良い演劇を見られることを期待している。
担任の先生方には悪いけれど、5時過ぎに帰る。腹痛が気持ち悪い。今日は、ゆっくり休むつもり。明日は、昼から「小米さん」の出版祝賀会。短冊は、明日の午前中に書き上げよう。ここ数日練習してきたのだが、付け焼き刃はやっぱり通用しないみたいだ。まあ、仕方がない。
永氏の『夫婦』読み続ける。面白い。特に、淡谷のり子さんの話は、とても良い。笑ったり、しんみりしたりしながら読んでいる。俳句研究の発売日。岩城先生の『冬焉』の句集評が載っている。歌人の藤井常世さんが書いている。釈超空折口信夫の身内の方とのこと。
【9月12日】
入部希望の男子生徒二人と、卓球部の顧問の先生と即席ダブルスを組んで対戦。3勝1敗という結果。素人?相手なので自慢にもなりはしないが。3時間、練習に参加。たっぷりと汗をかく。なにやら、うじうじした気持ちが払拭されたような気分になる。不思議なものだ。結構、バドミントンに支えられているところがあるのかもしれない、などと考えたりもする。肉体感覚というのは大事だという気持ちにもなる。
今日は、4時間。「I was born」は佳境に入った。あと、1時間で終了。父と子の関係が悲しく美しいと思う。授業では、そこまで出来ないかもしれないけれど。古典Uは「行行重行行」、こちらも佳境に入る。でも、生徒諸君はちょっと疲れ気味か・・・。
『髪』を読み続ける。面白い。源氏物語の現代語訳という大きな仕事の余波、か余禄というのか、そんな作品もあり、それがまた面白い。また、永六助の『親と子』『夫婦』なども読み始める。こちらも面白い。
【9月11日】
俳句について迷いがある。どのように作ってよいのか、という点だ。ちょっと困っている。但し、迷うならもっと迷っても良いかな、という気もしてはいるのだが。今日は、夕方から月曜会の句会いがあった。みごとに一度の名乗りも出来なかった。全没ということになる。
でもこれは、形の問題ではなく、心の在りようの問題という気がする。俳句は日常の詩という考えはある。もちろん、日常に依存するのではなく、日常の中に(ある意味では非日常的な)感動の実体を把握し、それを斬新に表現するというような思いも持っている。それが、本当に俳句なのかどうかは、わからないのだが。
ともかく、どうしたものか、困っている。自分を少々見失っているのかもしれない。仕方ないので、俳句関係以外の本を読んだりしている。『ある明治人の記録』会津藩出身の柴五郎という人物の回想録。歴史は、勝者によって作られるということを実感できる内容。明治維新の暗黒面を覗き見るような思いになる。岩波新書。『髪』瀬戸内寂聴。短編小説集。面白いけれど、重い。本当は、俳句をどんどん作った方が良いのかもしれないけれど。困った。
【9月9日】
6時前に目が覚める。朝から蒸し暑い。なんとなく足の裏が湿っているような感じだ。全天雲に覆われ、その下に切れ切れの雲が浮かび流れていく。第二土曜日ということで、今日はお休み。今週は、長かったなあ、という思いがひとしきり。
昨夜、『創生記』のテープを聞きながら、1時間程書の練習をする。半紙を買ってこなければ、と思いながらつい買い忘れ、仕方ないので古新聞に書く。短冊にする春の句「草青む魁夷の描きしやうな道」を繰り返し練習する。書き始めるといつのまにか夢中になって書いていた。文字を書くというのは、なんとも言えず面白いものだ、ということに気づく。もともと、金釘流でとても美しい字とは言えず、書道など中学時代と大学の教職関係で1単位ものとしてやったくらいで、ほとんど全く縁がなかったと言って良いものだったのだが。書くついでに『創生記』などとも書いてみる。歌詞も書いてみる。いびつで変にきどったような文字だが、仕方ない。
コーヒーを沸かし、朝食用のご飯を炊く。午前中に母からの梨が宅配便届くことになっているので外出できない。午後からは、雨が降らなければ、ひさしぶりに鴨川河畔を歩いてみようか。
【9月7日】
残暑が戻って来ているようだ。朝から、蒸し暑い。授業は4時間。国語Tが1・2限。5・6限が2時間連続の古典。1限の授業は、欠席が多くてびっくりする。漢字小テストを実施。20問20点、赤点ありというもの。2クラス分の採点を3時間目の空き時間に行う。出来は、夏ばて気味?。古典Uは、「桃夭」終了。その後、『文選』の「行行重行行」へと進む。この詩も結構好きな作品なのだ。暑さに慣れたのか、午後の授業の方が涼しく感じられた。時折、教室に吹き込む風は、確かに秋の風だ。
授業を終え、掃除。何故か、生徒が来ない。待ちながら、ぶらぶら床などを掃く。結局、来たのは男子が一人。いつもは出席率の良い班なのだが。どうしたのだろう。後ほど、担任に報告。教室の方の掃除にも来ていなかったとのこと。どうしたのだろうか・・・、夏ばてか?放課後は、新2年の選択講座の入力データーの確認作業を行う。今日は木曜日でクラブの練習はないので、早めに帰る。
途中下車して、短冊用紙や硯、筆などを買いに行く。練習用の短冊型の用紙も買う。しばらくは、短冊書きの練習をしなければ。ついでに、家具屋さんにも寄る。本箱をもう一つ買わなければ、本が納まりきれなくなっているので、大きめの本箱で、見た目より機能重視のものを見てこようと思ったのだ。よさそうなものがあったので、とりあえずチェックだけしておく。その後、2駅歩いて帰る。日が西に傾いてくると、涼しくて歩くのが気持ちがよい。
【9月6日】
本当に変な夢を見た。しかも、一度目が覚めて、さらにまた先の夢の続きを見る、という風な。知り合いの誰かが何かになる(どうなるのかは、具体的にはわからない)という事を知人から電話で告げられ、その事が新聞の記事として載っているということで、夢の中で新聞を手にいれようとするのだが、どうしても手に入らない。やがて、苦労の揚げ句手に入れたが、関係する記事は載っていない。どうやら、誰かの死亡記事らしいのだ。そして、僕自身、その誰かに心当たりがあるらしいのだ。こうやって書くと説明的であの夢の持つ不吉な雰囲気の何分の一も伝えきれないのがもどかしい。目を覚まして、つい朝刊をしっかり見てしまった自分が、愚かしくも思われるのだが。あの夢は一体何だったのだろうか。今でも、その夢が、断片的ではあるが、記憶に残っているのだ。恐らく、何かの意味がある夢なのだろうが。
今日は、午後2時間。午前中に、授業の準備と、選択登録の打ち込みをほぼ終了する。夢見のせいか、調子は良くない。午後は、国語T、2時間。残暑が戻り、暑い。放課後は、クラブへ。外部講師さんの広庭さんが来られる。6時過ぎまで、みっちりと基礎練習を行う。今日は、練習に参加する。たっぷりと汗をかく。気分が良い。練習を終え、着替えて、すみやかに帰宅。途中、いつもの店で水分を補給。ビールが美味しい。
南さんの句集『丹後』読了。面白かった。俳句らしいずらしとでもいう手法が生きているような気がする。対象を少し違った角度から眺め、描写するということが成功しているように思う。永六助さんの『芸人』(岩波文庫)も読了。これも面白かった。一部、国語表現の授業に使おうか、など考えている。
【9月5日】
夏ばてのせいか、胃腸の具合が良くなくて困る。今ひとつ、踏ん張りが効かないようで、頼りない感じなのだ。今日は、4時間授業。途中、お腹が痛くなったらどうしようか、などと考えている自分が情けない。国語Tが2クラス、午後は、2時間連続の古典。古典は「桃夭」。友人の結婚式の時、スピーチのネタにもした作品。補助教材として、インターネットで見つけた「長持唄」も紹介する。どちらも祝婚歌。
放課後は、新2年生のカリキュラムのデータ入力作業。芸術科目選択の1・2年の一致・不一致が一目でわかるよう、桐に堪能な人に教わりつつ式入力などもする。体調が今ひとつなので、クラブにはちょっと顔を出しただけで5時過ぎに帰宅する。少々疲れた。
帰ると、醍醐会のメンバーの南うみおさんから句集『丹後』が届いていた。南さんの第一句集。早速、読ませてもらう。丹後の風物が思い出されて懐かしかった。現代詩畑出身の南さんだけれど、随分本格的な俳句でちょっと意外な気もした。その後、母からTELあり。九州の兄の就職が決まったとのこと。今の仕事が、条件面でも体力面でも厳しいものだったので、良かったと思う。ただ、初めての営業関係の仕事ということなので、その点が心配ではある。しかし、もうそんな事は言っておれないだろう。兄からメールが届いていた。また、HPに就職のいきさつも触れてあった。頑張れ、と心から思う。醍醐会の中村堯子さんからTELあり。15日の祇園「米さん」の女将こよねさんの出版をお祝いする会の件。40名程の参加者となるらしい。その中で俳句関係の人は短冊に1句したためてよねさんに送ろうとの竹中宏さんの提案。僕の1句などなにほどのものではないけれど、準備を約束する。「春」の句をとのこと。早速、データベースを探してみよう。
【9月2日】
今日は土曜日。授業1時間。テスト監督1時間。それ以外は、とにかく月曜日からの授業の準備。国語Tは現代詩。吉野弘の「Iwas born」。結構好きな詩なのだ。初発感想も悪くない。古典は古体詩を数編やる予定。国語表現は、2学期に入って受検モード突入。とにかく小論文中心の授業になりそうだ。その間に、伊藤園の俳句投句の準備作業も進める予定。午後も引き続き授業準備と、短大の現代文補習の小論文の準備作業。3時前くらいになって、さすがに疲れて、気分転換を兼ねてクラブの方へ行く。今日は、参加者が少ない。どうしたのだろうか。3年生が二人手助けに来てくれた。進路のことが気にはなるが、時間を作って来てくれることが有り難い。5時前まで練習。試合3つ行う。勝てない。まあ、しかたがない、と自ら慰める。生徒は随分たくましくなって来ている。ようやく、バドミントンをする体が出来上がり始めたような気がする。
クラブを終えて帰宅。学校を出て程なく、一天にわかに掻き曇り、というわけではないが、先程からのイヤーな雰囲気の雲からぽつりと雨が降り出したと思ったとたん、とんでもない勢いで降り始める。文字通りの豪雨である。こんな激しい雨は、本当にひさしぶりだ。何年も前にゴルフ場で降り込められ、結局、途中でプレーを中止することになった豪雨にもまして、凄まじい勢いで降り続く。思いあまって、途中の家の軒下で雨宿りをする。雨宿り、なんて何年ぶりのことだろうか。他にも3人、雨宿りする人がいて、見かねたその家の人が中に入れてくれた。とんでもない雨だ。見る見る道路が川になっていく。あっけにとられた思いで、そんな眼前の情景を眺める他はない。30分ほどで、巨大な雨雲の塊も移動したらしく、雨は小降りとなる。お礼を言って外にでる。程なく、雨はやんだ。
昨日の岩城先生の言葉が、頭のどこかに残っていて少々つらい。そのせいか、奇妙な句が一気に10句くらい出来た。変な句であった。でも、僕の本来の世界はこのようなものなのかもしれない。
【9月1日】
新学期早々にもかかわらず、少々酩酊気味で乗り継ぎ駅のプラットホームに立っていると、向こうの階段の方から岩城先生が白扇を片手にすたすたと歩いて来られた。ほどなく先生もこちらに気がつかれる。1月ぶりなので近況について話をする中で、近作についての一言に、胸を衝かれた。「型に捕らわれすぎている。もっと自由に作られたらどうですか。」
どのような作を念頭に置かれての発言か、こちらにも十分に思い当たる点があり、その一言でそれまでのふやけた酔いが醒めるような気がした。
結局、様々な思惑の中で句作を行っているということなのだ。しかも、その思惑が目に見える形で句の中に現れるのだろう。物欲しそうな俳句、というもの。そんな句を作ってしまっているのだろう。そう言えば、ここしばらくその句作そのものをすら怠っているような有り様なのだ。