日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
6月分「日々録」
7月分「日々録」
8月分「日々録」
9月分「日々録」
【10月31日】
「ハリーポッタ秘密の部屋」を読む。面白い。ついつい夜中の1時前までかかって読み切ってしまう。この物語は、特に「話好き」の人には、堪らなく面白いと感じられるのでは無いかと思う。お話の壷を良く心得た作品だ。第3作目が楽しみである。これが、日曜日のこと。
吉本ばななの小説を読み始める。もっぱら電車の往復時の読書。基本的に癒し系の小説群という点は、いつものばななワールドだと思う。同じ様な傾向の作品でありながら、ついつい読み進んでしまうのは、ばなな氏の才能と資質ではないかと改めて思う。
夜中、ふっと目が覚めた。あれ、と思った次の瞬間、部屋全体がゆっくりと横揺れを始めた。かなり大きな振幅の揺れ具合だった。しばらく揺れ、そしておさまった。テレビを付ける。深夜番組が映し出される。しばらくぼんやり画面を眺めていると、やがて地震情報のテロップが流れた。東海地方を中心とする地震だった。山陰地方でなくて良かった、と正直思った。それから、眠れなくなった。頭が変に冴え、ここ数日気になっていることをあれこれ考えた。4時過ぎになって、やっとうつらうつらし、夢から夢へと追い立てられるようにして、浅い眠りを眠った。異様な夢を見たりした。それが、今朝のこと。
芯が疲れている、と思いながら一日を送った。授業とその準備、選択登録と生徒の小論文指導とに追われるようにして、仕事をこなした。6時過ぎに退勤。目と頭が疲れている。ぼちぼちやっていくしかない、かなと思う。
【10月28日】
昨日、ミューズのレッスンに行く前に、アバンティー6階の書店で何冊か、本を買う。吉本ばななの最新作、評判のハリー・ポッター物の第2作目、藤田真一氏の『蕪村』。それだけで5000円超。買いたい句集もあったけれど、一冊が3000円近くするので、購入をためらってしまう。諸般の事情はあろうけれども、ちょっと高すぎるような気がする。
夜、京都駅の周辺に若者達が集まっている。弾き語りをするもの、ダンスに興じるもの、スケートボードを乗り回すもの、そのまわりに所在なさそうに集まる者。サラリーマン達の帰宅する姿とのあいだに不思議な対照を生んでいる。ちょっと埃っぽい情景と皮膜一枚向こうに、非日常的な小さなお祭り騒ぎが行われているような気がする。駅頭なんて、こんな俗っぽい場所に何故こんなに集まってくるのだろうか。それは、多くの人の離合する場所のため、自分達への注目の度合いが高まるということだけで無いような気がする。
土曜日。何度も目を覚まして、とうとう6時前に起き出す。今日は、クラブ当番にあたっているので、午前中は出勤ということになるのだが。中途半端な眠りというものは、奇妙な消耗感を体に残すものだ。
クラブは、中間考査明けということで、3年生が数名、後輩の練習を助けるために参加してくれた。こちらは、生徒達の動きを眺めたり、合間を縫って職員室に帰り、授業の準備をしたりする。練習は、午前中で終了。明日も9時から練習するという。1時前に退勤。往復の車中で、「とわずがたり」読了。面白かった。
【10月27日】
「とわずがたり」第4巻に入る。主人公も彼女の夫だった「御所様」も出家した身となっている。長い別離の後に再会した二人がどうなるのか、そんな思いで読んでいる。
今日で試験は終わり。クラブ活動をしているかと思い、旧体育館に行くと、練習は休みであった。明日、明後日と休みを返上して練習をするらしい。明日は、午前中、練習につき合うことになっている。
採点はすでに終わっている。結果は、ほぼ予想どおりのものとなった。すでに、2学期後半の授業準備に入っている。とりあえず、月曜日には、国語表現があるので、その準備をする。「伊藤園」の俳句大賞に応募する予定なので、その為の準備作業を始める。とりあえず、昨年度の受賞作の紹介とその鑑賞から始める。
ガス料金の引き落としが残金不足のために出来なかった旨の手紙が来ていた。年休を取り、早めに退勤してともかくお金を入れに行く。夕方、軽く走ってから、ミューズ第九のレッスンに行く。ここ数日、風気味なので、声を出すのは抑える。合宿後、初めての練習ということで、出来は今一つ。合宿参加者と不参加者との間にレベルの差が生じているせいらしい。
【10月25日】
「とわずがたり」多情多恨の女性なのだろう。女の身のはかなさを言いつつも、次々と男性遍歴を重ねる。そんな所に一種のリアリティを感じたりもしている。
中間考査2日目。古典Uの試験が返ってくる。午後一杯かかって採点を行う。クラスの状態を考え、問題数は多いけれども、きちんと準備していればそこそこ取れる、というレベルの問題を準備したつもりだったが、初期の目標は達成したかな、という感触であった。
帰宅の途中、いつもの本屋により、『俳句』の今月号を買ったつもりが、先月号であった。今日が販売日なので、特に注意もしないで購入したのだが、いざ近鉄車内で読もうとしてその事に気づく。半分はこちたのミス、しかし、半分は書店の在庫管理のいい加減さと腹を立てる。やむなく、別の書店でさらに一冊、今月号を購入する。ついでに銘酒店で、日本酒を買って帰る。「古都千年」というお酒、飲み口はなかなか宜しい。
【10月24日】
中間テスト第一日目。しかし、1年生は午前中授業あり。なんとか試験範囲まで達し、残りの時間は、試験に向けての質問を受ける。
午後は、有志によるテニス大会。年休を取って会場へと出かける。2時開会なので、30分ほどで行けると踏んで、歩いて行く。昨日一日降り続いた雨は、今日はすっかり上がり、少し蒸し暑いくらいの天気となった。住宅街の坂道をゆるゆる登りながら、ひさしぶりにほっとした気分となる。
夕方までテニスを楽しむ。ちなみにダブルスのトーナメント形式で試合をして、結果はブービーメーカーとなってしまった。行きは歩き、帰りはジョギングで学校まで帰る。汗がかわくまで少し仕事をする。6時前に退勤。今、通勤の電車の中で、瀬戸内晴美訳の「とわずがたり」を読んでいる。鎌倉時代の宮廷の生活とそこに生きる女房の姿が印象深く描かれている。面白い。もちろん、瀬戸内氏の翻訳能力の高さにもよるのだろう。国語教師が、原文ではなく現代語訳を読んで感動するというのも、ちょっと問題かもしれないけれど・・・。
【10月23日】
昨日は、生まれて初めて時代祭をきちんと見た。数年前に、御所の前で路上に出ていく行列をしばらく見送っていたことはあったのだが。今回は、御池通りから烏丸通りに移動しながら、騎馬警官の先導から最後のパトカーに至るまでしっかり見ることができた。
俳句を作るつもりで行ったわけではなかったが、十数句をものすることもできた。今後、さらに句ができそうな気もする。見終わったのは2時半過ぎ、その後遅い昼食を食べる。同志社の近くのいかにも学生行きつけの一膳飯屋さん。たっぷりのご飯とボリュームのあるおかず、そして悲しいくらい薄い味噌汁など、懐かしかった。
以上が昨日のこと。今日は、特にこれと言って出来事はなし。中間テストが完成してほっとしたこととか、数週間ぶりにバドミントンをしてすっかりよい気分になったことなど。比較的平穏な一日であった。
【10月22日】
授業を終え、病院へ行くと、待合室が閑散としている。どうしたのかと思いながら受付まで行くと、張り紙があり、本日は研修旅行の為休診、と書いてある。どうしようかと、受付の人に尋ねると、薬は受け取れるとのこと。しばらく待って、処方箋を貰い、隣の処方箋薬局で薬を貰う。いつの間にか、システムが変わったらしい。薬局は廃止されたのだろうか。薬局で処方箋代金を払う分だけ割高になると思うのだが。それにしても、検査は次回廻しとなったものの、短時間で終わったのは有り難かった。
通院の後は、いつものラーメン屋で味噌ラーメンを食べるのことにしているので、時間が少々早かったけれど、立ち寄る。豚骨味ベースの店。チャーシューもたっぷり入っていて、美味しい。ちょっと体に悪いかな、と思いつつも、病院に行ったあとだからということで許す。帰宅後は、ともかく試験作りに集中。夕方までに、古典の試験が出来上がり。数日前から、少しずつ問題を考えたりしておいたので、思ったより早く出来る。ついでに、解答用紙も一太郎で作る。前のデーターが利用できるので、手書きと同じくらいの時間で、手書きよりきれいに出来るのが有り難い。
黄昏時の街中を走る。40分ほど。軽く汗をかく。その後は、風呂に入り、ビールを飲み、少しご飯を食べる。缶ビール2本でヘロヘロに酔ってしまう。こうなるともう寝るしかない。以上が昨日のこと。今日は、時代祭。
【10月20日】
気が付いたら、いつの間にか京都駅に着いていた。途中で眠り込んでしまったらしい。仕事を終え、3週間ぶりにミューズの練習に参加するために京都まで近鉄に乗ったのだった。授業とテストと選択登録の仕事との三つ巴状態で、正直バテバテである。
今日は、選択変更の事でHR時に関係する生徒達に集まってもらって、登録変更について話をする。若干、希望人数が多い。変更に関しては、気を使うことが多いのだ。
練習を終えて、帰宅すると十時。歌っている間は、気分が昂揚するのか、疲労を忘れるけれど、自宅に着くとぐったりしてしまう。明日は2時間授業の後、年休を取って病院へ。薬を貰うのと、検査が一つ。
【10月18日】
あまりのうるささに、授業中、大声を出す。怒鳴ることは、1年に1度くらいのことなのだが、さすがに堪忍袋の緒が切れた、ということだ。女子に締まりがなくなると、クラスはみるみる乱れてくる。男子の影がクラスに薄いのは、これも又、世紀末現象の一つかとも思う。
午前中は、教職員対象の健康診断のため、1時間ほど時間を取られてしまう。その後は、選択登録の調整作業の準備や、国語表現の採点、生徒から頼まれた推薦入試問題の採点などに追われる。B大学の問題は、昔は「なにこれ」、と思わず溜息が出るほどの悪問ぞろいだったが、数年ぶりに見ると随分改善されていた。採点するまでは、半分うんざりしていたのだが、まあ、良かった。午後は、2時間授業。うち、1時間が大声を上げて、消耗してしまった(怒るという事は、本当にエネルギーがいるものだ)授業だった。放課後は、職員会議。夕方から、来週からの中間試験にむけての問題作り。選択登録の為の作業で、全く手つかず状態だったのだ。7時前まで問題作りを行って、退勤。この頃、目が酷く疲れる。目薬を付けたりもしているのだが、あまり効かない。ビタミンEでも飲もうか、と思う。
昨夜、自宅に電話する。かなり大きな余震が来た、という臨時ニュースがTVに出たので。随分揺れたらしいが、大丈夫とのこと。ただ、台所のドアに隙間が開き始めているらしい。土台については、知り合いの工務店の人に潜って見てもらったらしい。土台の一部が湾曲しているらしく、応急措置が必要になるかもしれないとのことだった。気がかりである。
【10月16日】
金曜日の夕方の高速バスで、郷里まで。10時過ぎに米子駅着。地震後、1週間たっているが、駅頭は特に変化なし。ただ、タクシー乗り場へ向かう途中、路面の一部が30メートルほどに渡り、わずかに陥没していることに気が付いた。タクシーで自宅まで。車中は、地震とその後の様子についての話。話に夢中になっていて、随分行きすぎてしまったことに気が付き、引き返して貰うはめになる。
翌日、早朝。近所を歩く。自宅からほんの30メートル程向こうの道路が40センチほど盛り上がっている。さらに、その向こうにも隆起が見られる。液状化現象のため、吹き出した水と砂が道路を持ち上げてしまったのだ。それは、道路だけではなく、その両側の家屋にまで及び、塀やガレージの床などに大きな亀裂が入っている。あるいは、庭の一部が1メートルほどの深さに渡って抉られている所もある。道路沿いの家のドアには青や黄色の紙が張り付けられてある。それは、青は大きな被害の無い家を、黄色は立ち入りに注意が必要な家を意味している。自宅の向い側の家は、軒並み黄色の紙が張られてある。見た目は、おおきな損傷は伺えないが、土台等に問題があるらしい。この一角を囲む様に付けられた道路の歩道が、これも液状化現象のせいで、大きく盛り上がり、アスファルトがまるで蓋が外れたように道路にはみ出している。
自宅は、壁紙の一部が剥がれたり、襖やドアがきちんと開かない部屋があり、また、ダイニングの床がわずかに傾斜しているのが感じられる。外回りは壁や犬走りにひびが入り、土台に小さな亀裂が入ったりもしている。又、地震の際の液状化現象のため、一瞬にして家まわりは川のようになり、その流れが残した粒の小さい砂が白く残っていた。当初は、20センチほどの深さで家まわりに溜まっていたらしいが、近所の人たちの手助けもあったりして、数日の間にほとんど取り除かれた。こんな状態だったが、被害の判断は「青」であった。
この日は、午前中に近所の集会所前の庭に積まれた土を猫車で運び、家の周りに撒いた。吹き出した砂が雨が降るとどろどろになってしまうからだ。午後は休憩。夕方、弟一家と車で皆生温泉の公共温泉に入りに行く。母は疲れていて自宅で留守番をする。翌日も、土運びをし、さらに土台や犬走りのひび割れにセメントを詰めて補修する。素人の作業だったが、小さな亀裂などは結構上手く埋めることができた。聞く所によると、この住宅地でも地震の被害が出たのは、300メートル四方くらいの限られた地域だけで、それは地盤の整備に問題があったようだ。砂を採取したあとでがれきなどを埋め、宅地となる際に表面だけが綺麗に整地されて売りにだされたらしい。市の職員の話では、きちんと整地した状態にして売り出したら、とても普通の人には手の出せない程の金額になったらしい。安い分だけ、被害に遭うのも仕方がないようなその言い分には、いかにも「役人」的な姿勢を感じるばかりだ。夕方のバスで帰宅。少々疲れた。
【10月12日】
夕方、岩城先生に電話する。14日の句会の欠席を伝える。11月3日、深吉野賞の日、水原秋桜子の句碑開も行われ、それへの参加の確認を受ける。行くつもりだが、母が来るようだったら、欠席するかもしれない。自宅より電話あり。兄の就職の件で、随分疲れているらしい。地震の後で、十分に休養がとれない状態での電話だったので、心労を感じて倒れそうになったという。しばらく休息して、それから電話をしたとのこと。
しばらく話を聞く。口が少しもつれるというのが気になった。余震のため、夜ちゃんと眠れていないという。話をしているうちに、少し元気が回復したようだ。今夜は薬を飲んで寝るという。電話を切り、兄の方に電話を入れる。疲れたような兄の声が聞こえる。一応就職先は決まったというが、先行きの見通しは立たないという。地震で大変な時に負担をかけるような電話を母にしたことで、兄もすまないという思いを感じているようだ。話を聞きながら、こちらも辛くなってくる。なんとかしなければ、という兄に対して、無理しないで頑張れという間の抜けたことしか言えない。
明日は、夕方の高速バスで実家へ帰る。家の壊れた部分に応急処置をしたり、吹き出た水とともに溢れ出した砂の後始末などをしなければならないようだ。
【10月11日】
岩城先生から今週末の「いさなご句会」の連絡の留守電が入っていた。岩城先生には連絡せねば、と思いつつ電話をせずじまいにしていたのだ。早速電話するが、あいにく留守であった。また、時間を変えて連絡しようと思う。欠席投句は昨日のうちに手紙で出す。
今日は、午後2時間の授業。午前中は、漢字小テストの採点と国表の評価付け、古典Uの授業準備と選択登録のデーター入力に使う。午後の授業は、『ゾウの時間ネズミの時間』という生物学の評論の中から一部を抜粋したもの。なかなか面白い(と思うのだが・・・)。今一つ、なのだろうか。生徒の反応は、少々鈍い。
放課後は、同和の研修会。講演会のビデオを見るが、内容がなかなか面白い。従来の運動に対する総括の部分に共感を憶える。夕方、走る。40分ほど。いつになく調子が良い。その後、退勤。行きつけの店で軽く一杯。おでんが出ていた。これが美味しい。
【10月9日】
午前中、一時雨がやんでいた時を除いて、午後遅くなる今も雨が降り続いている。時折、雷鳴が聞こえ、稲光がひらめいたりしている。折角の休日を、一日家に降り込められてしまったような有り様だ。
午前中から今まで、瀬戸内寂聴の『ここ過ぎて』を読んでいる。詩人北原白秋と三人の妻の話。ルポルタージュであるが、小説家らしい想像部分を交えての人間模様が描かれる。読み始めると、やめられなくなる。寂聴氏の作家としての手腕というものを改めて感じる。今日は、このまま終わりそうだ。
今週末、一度帰省しようと思う。行ってどうなるというものではないのだが、一度様子をみて置きたいという思いで。その為、金曜日のミューズの練習と土曜日の「いさなご句会」は休むことになる。その旨、連絡を入れておく。
【10月8日】
鳥取西部地震の報を聞いたのは、移動のバスの中だった。1時過ぎに鳥取県「東部」を震源とする大きな地震があったと、知らされる。被害が出ているとのことで、実家は鳥取西部米子市と境港市の市境にあるので気がかりで、休憩の時、たちよったところで公衆電話をかける。幸い電話は通じ、母が出る。大変だったという。今まで経験したことの無いほどの揺れに襲われて、室内で歩けないほどだったという。揺れと同時に、周りの土地から水が吹き出し、外がみるみる川のようになったという。土地が砂州の上にあるせいだろうか、液状化現象が起こったらしい。揺れが納まって後、家と家周りを確かめると、外壁にひびが入り、室内は壁紙が裂けるという状態だった。また一方の土地が盛り上がったためか、家全体がわずかであるが傾き、そのせいでリビングの床がわずかに傾斜しているようだ。ドアも開きにくくなっているようだ。電気は大丈夫だが、ガス・水道は止まっている。まもなく、震源地に近い日野郡に勤務している弟から電話が入り、無事が確認されたという。
小学校に通う甥・姪を迎えに車で行くと、道路は歪み、墓石がばたばた倒れていたという。矢継ぎ早にそうような様子を聞き、けが人がなかったことを確認して、また連絡すると伝えて電話を切った。その後、夕方宿舎に入り、改めて詳しい状況を確かめようとすると、電話は繋がらない状態となっていた。NTTの方で、電話を災害モードに切り替えたのだろう。伝言を受け付けると言うことを繰り返すばかりで、時間を変えて電話をしても全く通じなかった。その後、何かあったのかと苛立ちがつのるばかりだった。電話が通じたのは、翌朝になってからだった。電話によると、余震が繰り返し、夜はほとんど眠れない状態だったという。小さな揺れの間に間歇的に大きな揺れが来たという。
昨夜、帰宅すると親戚から繰り返し留守電が入っていた。状況報告とお礼の電話を入れる。夜に入ると、大学時代の友人からも電話が入る。4〜5年ぶりの電話だろうか。実家が米子市という事を知っていての電話だった。地震の様子を伝え、さらにしばらく近況を話しあう。
【10月5日】
閉店したと思われるコンビニ。シャッターを降ろしているのかと思っていたら、窓一面、中が覗けないように大きめの紙が隙間を空けないようにして張り付けてあった。なんだか、侘びしい。外には、業者のパンケースが放置してある。カウンターの方は、メールを送ったせいかどうか分からないが、復帰していた。カウントも5310となっていたので、どこかで一応正常に稼働はしていたらしい。
今日は、4時間。最近、1年生がちょっとうるさくなりかかっていたのだが、今日は静かだった。その代わり、1時間目が始まったばかりなのに、何人かが机にうつ伏せになって寝ている。机間巡視しながら起こす。本当に眠そうにしている。夜、寝ていないのだろうなあ、と思う。「遊び」に追い立てられているようで、ちょっと哀れを感じる。
ここしばらく気持ちの面でしんどく、どうしたのだろうと思っていたのだが、今日は久しぶりに淡々とした思いで一日を過ごせた。放課後、1年の担任会に顔を出し、選択登録の資料一式を渡し、明日の登録作業をお願いする。まだ日のあるうちに、退勤。近鉄電車に乗って、さて、本を読み始めたが、いつの間にか、うつらうつらしていた。眠い。帰宅すると、『燕巣』10月号が来ていた。以前書いたエッセーが掲載されてあった。一読後、なんとなく物足りなさを感じる。
【10月4日】
カウンターが5299人で壊れてしまった。こんなことは初めてで、どうしたものかと考え、とりあえず、プロバイダーへメールを送る。かなわんなあ。そう言えば、関係ないけれど、駅前の行きつけのコンビニが昨日からシャッターを下ろしたままであった。コンビニでも休業日があるのかと、思っていたが、ふと気が付いた。どうやら閉店してしまったようだ。結構、客は入っていたのだけれど。どうしたのだろうか。
同じく駅前に、時折開く「タコヤキ屋」がある。開いている時は、買って帰る。8個で350円。おおきな蛸が入っていて、これがなかなか美味しい。30台のちょっと渋い感じの男性が一人で店を切り盛りしている。
電話2本。1本は、母から。12月の『第九』の日程と京都に遊びに来るとの留守電。もう1本は、前の学校の担任をしていた生徒から。明日の飲み会中止の連絡。これは直接出る。明後日から留守にする用事があるので、都合は良かったのだが。
【10月2日】
『俳句現代』の「石田波郷」読本を読んでいる。多く俳人達による評論や鑑賞が書かれているが、一番面白いのは、やはり波郷自身の作品や言葉であった。来年33回忌を迎えるとのこと。奇しくも波郷主宰誌『鶴』の山根真夜さんが、今年度の『俳句研究賞』を受賞された。波郷の作品は、もっと読んでみる必要を感じている。
午前中、2時間授業の後、単位登録の準備作業を続ける。午後は、6時間目が国語表現の授業。昨年度の小論文問題を利用しての作業。今回は、T大学の問題を使う。3つの評論を読み、それらを元にして「人間の残忍性」について意見を述べよ、というもの。実際、受験生達によってどんな小論文が書かれたのか、興味津々ではある。評論は、事前に渡して読むように指示しておいたが、この時間内では書き終えないので、明日まで提出を延ばす。放課後は、単位登録資料の印刷。その後、クラブに顔を出す。
午後になって降り始めた雨が、夕方の薄明の中で細い絹糸のように見える。少々、ぼんやりした気分で駅への道を帰る。一日を終えた実感がある。
【10月1日】
兄のHPが、9月をもって終了する、との事。電話やメールよりも気楽に覗けるので楽しみのしていたのだが。諸般の事情のせいなので、仕方ないとあきらめる他はない。
朝方には、よく奇妙な夢を見る。今朝は、自分がどこかの俳句結社の世話役を務めている夢だった。しかも、その結社の主宰の老女が、なにもかも放棄して、結社をやめると言い出す。そして、資料などを外に持ち出して燃やし始めるのだ。慌てて、主宰にかけより縋るようにして、ともかく思い留まって欲しい、と懇願するのだ。内心、なんでこんなことしなければならないのだ、と変に冷ややかな思いを感じながら。しかし、その女性は、一切の懇願も誓願も聞かない、という意志を張り付けた強ばった表情のまま、さらに炎の中に様々なものを投げ込む。先生、やめて下さい、とついには泣き声すら上げているのだ。目が覚めて、なんとも白けてしまった。
今日は、ひさしぶりのゴルフ。日清都にて。昨日までの雨天が嘘みたいに(本当に嘘みたいに)快晴となる。残暑の候でもないのに、汗だらけでプレイを楽しむ。スコアは散々だったけれど、すっきりした気分で終わる。