日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
10月分「日々録」
11月分「日々録」
12月分「日々録」
1月分「日々録」
【2月28日】
二月は「逃げる」月というけれど、本当にもう2月も終わりである。校地の北側すみっこで、梅の一樹が白い花を咲かせていたりする。明日は、卒業式。受付係をやる事になっている。3年生が、式予行のため、午後から登校。進路の方で、就職内定者を集めて「就職直前ガイダンス」を実施する。
授業も追い込みの時期。そろそろ学年末考査も考えなければ、とも思う。
夕方、ジョギングをしながら「尖山」(普段「とんがりやま」と呼んでいるけれど、本当は「とがりやま」、地名です)で鶯の初鳴きを聞く。きちんと「ほーほけきょ」と鳴いていた。日が落ちたばかりで、心地よい寒さだった。
茨木和生氏の俳人協会賞受賞祝賀会の案内状が届いていた。5月に行われるとのこと。是非、参加したい。そう言えば、3月末の「醍醐会」の今回のテーマは、茨木氏の『往馬』と岩城先生の『冬焉』の句集評である。はたして、どのような意見が交わされることだろうか、と思う。
【2月26日】
矢野景一氏の句集『紅白』読了。前に「巧みで自在」、と書いたけれど、読み終えて改めてその印象を強める。上手いな、と思う。妻恋の句は、ちょっと森澄雄氏風なのかもしれないけれど、ともかく切り口の面白さと、卓抜な表現、そして作品の背後にほわっと広がっている作者の気配がとても面白かった。こんなに楽しんで読んだ句集は、初めてかもしれない。
図書館で面白い本を見つける。『平然と車内で化粧する脳』という澤口俊之氏と南伸坊氏の共著。まずタイトルに注意を牽かれ、読んでみてその内容に感心した。澤口氏は北大の医学研究科脳科学専攻機能分子学分野の教授とのこと。人前でも平気で化粧をする人、携帯電話で大声で自分のプライベートな事柄を話しまくって意に介さない人、簡単に言えば「恥を知らない」人たちの心性について、成長の先延ばしという「ネオテニー」という考え方や、モンゴロイドとしての日本人の特性や脳の前頭連合野という部分の働き、さらには「ドーパミン」とか「セロトニン」とかいうどこかで聞いたことのある脳内物質の影響などから、科学的に分析したものを、南氏を聞き手としてわかりやすく紹介したもの。恥を知らない心性の形成された原因は、家族や地域社会等の集団内での適切なしつけが欠如した結果ということに求めつつも、その結論に至る過程が「適切なしつけ」という有効な刺激の欠如による大脳の前頭連合野の発達障害によるものとする見解は、ちょっと衝撃的でもあり、また納得させられるものでもあった。
実家の甥っ子が、久しぶりに作った句1句「寒いけどだんだん聞こえる春の足音」。
【2月23日】
土曜午前中、矢野景一氏から送って頂いた句集『真土』読了。HPの「句集紹介light」にこの句集を加えることにして、作業。午後は、ビデオを見る。『猿の惑星』リメーク版である。無茶苦茶お金をかけた映画だろうな、と感心しながら見る。面白かった。夕方まで、ここ数日読み次いできた『ホーキング未来を語る』読了。正直言って、何が書いてあるのか8割から9割方(全部と言う方が正確であろう)分からなかったけれど、部分的にああ面白いな、と思う内容が出てきてついつい読み切ってしまった。夕方、演劇を見に行く。本校の演劇部が招待という形で参加しているのだ。7時開演だったのだが、電車の乗り継ぎが悪くて遅れてしまう。2階席から見ることになる。題名は「ラン」。子猫と魚との友情物語、というもの。本校の演劇部の出し物としては、ちょっと異色の作かもしれない。随所に見所があり、また、最後は悲劇ではあるけれどもある爽やかさがあって、上質の「青春性」が感じられて良かった。これは、やっぱり若い子でなければ書けない脚本であり、若い子でなけれで演じきれない劇だな、と思う。
8時過ぎに終演。そのまま15分ほど歩いて、「あじさい」へ。軽くお酒を飲もうか、と思って。何となく予感のようなものがあったのだけれど、店に入ると岩城先生と連れの人とがカウンターに居られた。岩城先生達は、「あじさい」は一月ぶり、とのこと。僕も今年に入ってからは2回目であった。客は、3人だけで、マスターやアルバイトの女子大生の子と、わいわい騒ぎながら飲む。軽く一杯どころではなくなってしまった。
「あじさい」を出て、岩城先生の知り合いの店へ。5番町の方とか。女将さんは、岩城先生のカラオケのお師匠さん。必然的に、カラオケ歌いっぱなし状態となる。12時前には、お開き。タクシーにて帰宅。
日曜日。午前中は、二日酔い状態。午後は、ミューズの日曜レッスンで外出。往復の車中では、矢野氏の第二句集『紅白』を読む。巧みで自在、という印象。俳句の作り方の型もちょっと見えたりして、大変面白い句集である。
【2月21日】
暖かい一日だった。校門の立ち番も、上着が必要無いくらいであった。
上島さんから預かった本を、英語科の主任の先生に託す。何かの形で活用してもらえたら、と思う。
夕方、走る。先日のロードレースのコースの一部。生徒は女子12キロ、男子17キロ(だったか?)のコースだったけれど、その一部。50分程走る。結構しんどかった。アップダウンの多いコース。
久しぶりにミューズのレッスンに行く。夏のモーツアルト「レクイエム」に向けての練習。すでに団員は200名ほど集まっているらしい。男子陣の数は、相変わらず少な目であるが、今回、ソプラノが強力であった。バランスの点で少々心配ではあるが・・・。
【2月20日】
二日前に火事で全焼した学校正門前の喫茶店が、焼け落ちた時のままの状態で置かれてある。警察の張った黄色のテープが、道路に面した処に張り渡してあり、その内側に焼けた焦げた椅子やぼろぼろになった布類などが積まれてある。夕方の薄い光の中でその情景を見ると、胸の奥を締め付けられるような思いになる。美味しい食事を出す店で、土曜日や学校の休業期間中に良く食べに行った店だ。寡黙な感じの親父さんとちょっと癖のある奥さんとの二人でやっていた店だ。幸い二人とも怪我はなかったらしい。
昨日から今日一杯、就職関係で大わらわ状態であった。ややこしい問題が生じたため。進路部長と二人、あちこち電話したり、相談し合ったりで、なんとか一応の方向性が見えてきた。体に悪いな、とつくづく思う。夕方走るつもりが、結局その時間がなかったので、二駅歩く。ちょっと物足りない。ブックオフに立ち寄り、遠藤周作氏の本を二冊買う。遠藤氏の本を買うのは久しぶり。亡くなってから、もう何年たつのだろうか。高校三年生の時、受験準備でやっていた国語の問題集に載っていた、遠藤氏の小説『沈黙』の一節に非常に感動して、大学に入って間もない頃、学校のそばの書店で単行本の『沈黙』を見つけて読んだのがそもそもの始まりだった。遠藤氏の本は、ほとんど読んだと思う。関係する作家論や評論なども読んだものだ。一人の作家との長いおつきあいだったな、と思う。
『運河』の上島清子さんから本を送っていただく。上島さんのお父さんの高松富男氏の歌集『咳の声』の英語版『WHISPERS FROM THE PAST』である。英語教育に活用してもらえたら、ということで数冊送って頂いた。明日早速学校へ持っていくことにしようと思う。日本語版は、以前送って頂いて読んだことがあり、作者の戦争体験が淡々と詠われ、そこに深い鎮魂の思いを感じて、感動した思いがある。英語版がどこまでその思いを映し得ているのか、僕には判断出来ないが、英語に翻訳されることでより幅広く読まれることになるであろうことを思う。
【2月17日】
高野山吟行会で大変お世話になった矢野景一さんから、句集を二冊送っていただいた。処女句集『真土』と第二句集『紅白』だった。矢野さんは、森澄雄氏の結社「杉」の同人の方だ。早速『真土』から読ませて頂く。杉浦圭祐さんから『キャトル』14号を送っていただく。今回の特集は「逆転」。さまざまな「逆転」の景(形)が詠われる。「湯の柚子の競いて胸に集まれり」杉浦圭祐さん。「トランポリン高きところに狐火も」中田美子さん。「湖の水位が低し返り花」金山桜子さん。「葬列の少女白息もてあます」上森敦代さん。「北近江吟行」も興味深かった。
昨日は、丹後「いさなご句会」。福知山を過ぎた辺りから、雪が現れる。宮津へ抜ける長いトンネルを出ると、一面雪の世界となる。宮津駅で進行方向を変え、橋立で丹後ディスカバリーに乗り換え、車中で岩城先生と合流して峰山へ。今日は、加悦谷の方達は欠席ということで、参加者は7名。いつもは5句投句なのだが、少し多めに投句する。句会は5時前に終わり、皆で駅前の喫茶店に移動してお茶にする。
京都駅には8時過ぎに着。足立さんとそのお友達の方と4人で、駅前の「酔心」で歓談。この4人で飲んだのは今日が2回目。最初は昨年の11月3日、深吉野賞の帰りでのこと。大いに盛り上がって、最後はカラオケ三昧、翌日は二日酔い、という有様であった。懐かしい。今回は、比較的静かに絵の話や、焼き物の話から始まって、四方山話、最後は蟹、九絵鍋で締めくくる。楽しい夜となる。
【2月15日】
高野山は標高1000メートルに位置する。朝晩の寒さに、その事を実感する。部屋の中は、ストーブで十分暖まっているけれど、襖一枚隔てた廊下やトイレは氷点下の世界となる。その寒さはいっそ爽快ですらある寒さだ。二日目の午後、雪は一時小康状態となり、雲が切れ、明るい日差しが戻って来る。奥の院とは反対方向にある根本大塔を見に行く。学僧達が三々五々集団を組んで帰ってくるのに出会う。金剛峰寺の前を通り過ぎ、先へ進む。道路沿いに歩いて、バス停の脇の石段を登ると、木々の向こうに朱の柱、白壁に緑の扉の巨大な塔が、文字通りそびえ立っている。
唖然とするほどの巨大な塔だ。その大きさと、色彩の鮮やかさに目が釘付け状態となる。確かに高野山の中心は、この大塔なのだろうと思ってしまう。石段を登り、無人の拝観受付に拝観料を置いて、内陣を見る。巨大な柱の間に、厳かな表情の大日如来が鎮座している。柱には、菩薩立像が描かれ、婉然たる微笑を口元に浮かべている。空気がピンと張りつめている。室内に置かれたちいさなベンチに腰を下ろし、大日如来を見上げながらぼんやりとする。熱心に祈る父親と、その両脇で幼い姉妹が所在なさそうにしている姿が1メートルほど向こうにある。その父子が立ち去ってのち、ローソクに一本火を灯して、外に出る。
通勤の途中、いつもの駅で下車して職場の方へ向かおうとすると、明るい日差しのなかで、白いものがひらひらと舞っているのに気が付く。春の雪だ。空を見上げても、雪を降らせるような雲は見あたらない。風に吹かれて、飛んできたものだろうか、と思う。ふわりと軽い雪だ。地に落ちた瞬間には消えてしまう雪だ。雪の高野山を思い出しながら、歩いて行く。
【2月13日】
二泊三日の高野山吟行。吟行句の難しさ、というものを感じた三日間であった。句に関しては、これだ、というものをものする事が出来なかった、と思う。ただ、三日間の高野での体験は、印象深いものであった。新聞も読まず、テレビも見ず、文字通り俳句浸りの三日間であった。
昨日、高野山吟行の事を書こうとして、力尽きてしまった。楽しかったけれども、結構、精神力も消費していたようだ。9時過ぎには寝てしまった。高野山では、奥の院近くの光明院に宿泊した。小さいけれど落ち着いた宿坊であった。一日目は、4時出句締め切りなので、宿に荷物を置くと、奥の院へ出かける。様々な時代の墓石の並ぶ石畳の道をゆっくりと歩く。途中、竹中宏さんに出会う。路を逸れて、墓山の裏手にまわる。小さなスキー場があるのだ。ちょうど地元の子供会の人たちが遊びに来ておられて、斜面に残った雪を、子供達が歓声を上げながら橇で滑り降りていた。明るい風景だった。元の路に帰り、奥の院まで句を考えながら歩き、同じほどの時間をかけて引き返す。出句時間ぎりぎりに宿に帰り、句会場の部屋へ行く。すでに、何人かの人たちが到着していて、作品の整理をしている。3年前、一緒に熊野吟行に行った懐かしい人たちの顔があった。やがて、次々に参加者が到着して会場は賑やかさを増す。
第一日目の句会を終え、夕食は美味しい精進料理。お酒も出て、座は一気に盛り上がる。部屋に引き上げて後も、さらに酒宴は続き、最後に就寝した人は、2時過ぎであったらしい。談論風発状態は、翌日の第二句会の席で、多彩な句として結実することになる。
二日目、数人で真別所へ行こう、と相談がまとまる。宿坊を出てすぐの熊谷寺の横の道を登っていけば良い、とのことで皆で登り始める。やがて、小さな祠のある峠に出るが、どうやら道が違ったようだ、との判断で少し引き返して、女人道の方へと入る。尾根通しの道を歩いて、自生している高野槇を見たりや霜柱を踏んづけたりなどしながら、やがて奥の院への入り口の道へと下る。大きな土産物店の中の喫茶で一休みしてから、再度真別所へ向かうことにする。その頃には、かなり激しく雪が降り出していた。熊谷寺に戻り、地元に人に道を確かめてから最初と同じ道を登り始める。峠を越え、さらに下って行く。やがてすっかり雪に埋もれた林道に出る。しばらくその道を進むが、一向にそれらしい寺院も見えないので、仕方なく引き返すことにする。峠に登り返し、祠の横の急な尾根道をしばらくたどってみるが、目的の寺はない。偶然、別行動をしていた人たちと合流して、宿へと引き返すことにする。結局、翌日を含めて真別所にたどり着いた人は、一人もいなかった。
【2月8日】
明日から、高野山。まだ、全く準備は出来ていない。午後4時が、第一回目の投句締め切りなので、それまでには高野山に到着していて、最低10句は作っておかなければならない。
変に暖かい一日だった。そのせいか、調子が悪い。明日からは、寒くなるという。高野山は雪かもしれない、と思う。
『愛のひだりがわ』は読了。『時を駆ける少女』、七瀬シリーズ、『私のグランパ』など一連の作品を思い出す。邑書林の『100人20句』を再び読み始める。今日読んだ作家の中では、西村和子さんの句が断然良い。『愛痛きまで』も読了。その作家のこの世界における在りよう、というものを思う。時におどけ、時に自虐的ですらあるこの作家の姿に、太宰治の姿が重ねられるような気がする。その人恋しさとはにかみの姿も含めて。
【2月5日】
日曜日、「米」さんにて、初めて黛まどかさんにお目にかかる。その日節分のお化けで舞子になられたとのこと。残念ながら、出かけて行った時間が遅かったので、舞子姿のまどかさんを見ることは出来なかったけれども、扮装を解いて、髪をひっつめ風にして、ほとんど化粧気もないまどかさんの(同行の倉橋みどりさんに言わせると「アニー・サリバン」風の)姿に接する事が出来て、大感激であった。この席に呼んで下さった岩城先生、茨木和生先生に大感謝である。
日曜日は、「運河城陽句会」。月曜日は夕方から、辻田先生の「月曜句会」。二日連続の句会である。さらに今週末は、高野山にて泊を伴う吟行句会。その次の週は、丹後の「いさなご句会」と、今月は俳句関係の予定が続く。嬉しいようなしんどいような、しんどいような嬉しいような、そんな気分である。
他の本は、一時お休みして、筒井康隆の新作『愛のひだりがわ』を読んでいる。ジュニア小説だと思うけれど、大人が読んでも結構面白いのではないか、と思う。筒井作品としては、随分おとなしい作品であるかもしれないけれど。
ネットで『SAKURA』というMIDIファイルを簡単に作る事が出来るソフトを手に入れて、試しに曲を作ってみる。と言っても、オリジナルではなく、以前ミューズで歌った『創生記』を元にしている。楽譜があるので、それに基づいて作る。あの曲を歌った時から、とても好きになっていて、是非一度この美しい曲をネット上で紹介出来たら、などと思っていたのだ。複雑なものは出来ないが、思った以上に上手く出来る。すっかり気に入ってしまった。もし作曲の葛西先生の了解が得られたら、ネット上に公開したい、などと大胆な事を考えたりもしている。今は一人で自己満足的に楽しんでいるだけ。
【2月3日】
今日は節分。午後から「運河城陽句会」に出かけるので、帰りに福豆と太巻きを買ってこなければ。今年の恵方は北北西、とのこと。マンションからいえば、愛宕山方向ということになるだろうか。
昨夜は、研修旅行の打ち上げ。京都駅前の店と店名という記憶だけで出かけて行って、結局寒い中で30分近く彷徨くこととなる。酒宴は結構盛り上がる。添乗員の人(本校添乗の翌日には、同じく府立某高校の添乗に向かい、今朝帰ってきたとのこと)から、色々面白い話を聞く。9時前にお開き。真っ直ぐ帰宅する。すると、岩城先生から留守電あり。「黛まどかさんが来ているよ、来ませんか」との内容。携帯を入れる。先生達は「米」さんにおられるようだ。行きたい気持ちはあったのだが、かなり酔っぱらっていたことと、心の準備?が出来ていないこともあって、今日は見合わせます、と伝える。もったいなかったかな、と思いながらぼやっと時間を過ごしていると、再び岩城先生から電話。ちょっと話しませんか、ということで黛まどかさんに代わって頂く。そもそもの動機が一度本物を見てみたいという、極めてミーハー気分のものだったので、いざ話すとなるとしどろもどろ状態となる。すずやかで可愛い声であった。まどか氏の著作は、結構買って読んでいるのである。
邑書林にメールで注文しておいた佐藤鬼房氏の最後の句集『愛痛きまで』が届いていた。注文してから2日後であった。早いものである。鬼房氏の作品をきちんと読むのは、今回が初めてのことである。ゆっくり読み味わいたいと思う。
正岡子規の『松蘿玉液』。かなりのスペースを割いて類句類想(子規は「暗合」と書いているが)に触れている。「俳句分類」をなした子規らしい仕事の一つだと思う。
【2月1日】
2月になった。3年生は今日から自由登校となる。3年生の教室棟が管理棟の向かい側だったせいか、学校の中がしんとしているような気がする。休み時間、渡り廊下に屯しているいつもの生徒達の姿が見えないことも、そんな印象を与える原因かもしれない。職員室に行くと、3年担任の先生方がいつもに比べてリラックスしておられるな、などと感じたりもする。3年生の授業がなくなったせいで、今日の授業は1時間だけ。研修旅行に行っていた間、滞っていた仕事をひたすらこなす。
通勤の行き帰りには、正岡子規の『松蘿玉液』を読んでいる。子規晩年の随筆の一冊とのこと。大変面白い。子規の言葉の一つ「俳句の趣味はその簡単なる処にあり。簡単を捨てて複雑に就けよといふ者は終にその簡単の趣味を解せざるの言のみ」の出典はこれか、と知った。内容は多岐に渡り、俳句を含む現古の文芸の話、時事的な話題、交友関係、さらには「野球」の話。子規の青春性(これを書いた時期、子規は30歳に満たない年齢だったそうだ)というものを随所に感じさせる良い随筆集だった。
水曜日の新聞で茨木和生氏の俳人協会賞受賞を正式に知り、数十年ぶりにお祝いの電報を打った。手紙では大袈裟、電話では負担が大きく、電報というのはこんな時うってつけの媒体だと知った。しかも、電報は電話で申し込めるという事を実はこの時まで知らなかった。昔々、郵便局に行き、専用の用紙に電文を書いたような記憶があったもので。翌日、茨木氏から葉書を頂く。電報のお礼と句が書かれた葉書であった。こちらの方がすっかり恐縮してしまった。ちなみに頂いた句は「青空の流れてゐたる氷柱哉」であった。玲瓏たる氷柱の様が目に浮かんだ。