日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
6月分「日々録」
7月分「日々録」
8月分「日々録」
9月分「日々録」
【10月29日】
『現代短歌最前線』より辰巳泰子、前田康子、水原紫苑の自薦200首とエッセイ1編を読む。辰巳氏の早熟性には、文字通り目を見張った。ひりひりするような感覚が心地よいような不快なような、そんな印象を持つ。それに比べれば、前田氏の句は、日常性に立脚した手堅い句のように思えるけれど、あるいはとてもしたたかで扱いにてこずる作品なのかもしれない。それに比べれば、水原紫苑氏の才走ったとても贅沢な作品には圧倒される。万葉集と新古今集を止揚したような(変な譬えだが)作品世界は、想像力を深く刺激する。面白い。それに比べれば、辰巳氏の作は・・・、と循環していきそうだ。
『雪華』投稿用の原稿を昨日書き上げ、いざ印刷しようとしたらプリンターのインク切れ。仕方ないので、帰りに文房具店に行ったら、プリンターに合うインクがない。明日まで待つべきか、手書きに切り替えるべきか、迷っている。締め切りが今月中で、北海道まで送らなければならないのだが・・・。
1週間で一番しんどいのは、月曜日だ。少し早めに帰宅。後の月が、雲間に輝いているのが見える。明日は健康診断なので、10時以降は、飲食は厳禁。胃の検査ではバリウムを飲むので、授業中に腹痛に見舞われないか、というのが心配。かなわんよ、授業の多い日の健康診断は。バリウムについては、知人でとんでもない目に遭った人のことを知っているだけに、少々うっとおしい。
【10月28日】
今日は、半日バドミントンの引率でK高校へ練習試合に行く。ダブルスとシングルの試合。事前に組み合わせなども考えていたのだが、当日、両校ともに欠席者が出て、その場で組み直し。結局、試合を見るより、試合の進行に気を遣っているうちに練習試合が終わってしまった。残念。ただ、もしかすると、本校の方がちょっと優勢だったかも、などと感じたりもしている。2年生の女子二人は、相手校の男子を相手に(人数がアンバランスだったため、こんな組み合わせになってしまった)健闘、全勝したのではなかったか、と思う。
帰校後、思い立って走って帰宅することにする。天候が不安定で、あるいは途中から雨になるかもしれない、とも思ったのだが、まあともかく走ってみようということで荷物を学校に置いて、走り出す。だいたい1時間半くらいかかる目算でゆっくり走る。調子は悪くない。交通量の多い道路沿いに走るのが辛いが、気温がさほど高くないので走りやすい。案の定、途中から雨が降り出したが、なんとか濡れ鼠になることなく帰着する。気分良く一日を締めくくることが出来た。
帰宅後、自宅からと岩城先生からTELあり。岩城先生とは、ちょっと長い電話になる。後は、のんびり。焼酎のお湯割りが上手い。
【10月26日】
ある掲示板にちょっと出入りしていて(もっぱら見ることが中心)、歌人というものに興味を感じ、さっそく『現代短歌最前線』下巻を買ってくる。関係する歌人の句が掲載されていたのだ。ともかく、歌人は理屈っぽい。言葉に対するこだわりも強い。歌人はよく勉強していると聞いているが、確かにそうかもしれない、と思う。掲示板では、あつい議論が交わされ、迂闊にさわると思わぬ火傷をしてしまいそうだ。ちょっと火傷してしまったが。しかし、面白そうな人たちである、とも思った。しばらく掲示板を読ませてもらいながら、ちょっと短歌についても勉強してみようか、と思っている。
身辺では、色々なことが起こっている。兄のこと、母の体調、弟のこと。もちろん、自分自身の仕事や私生活のことなど。ともかく、耐える部分は耐え、切り込める部分は切り込んでいくしかない、と思う。
貴久彦さんの『病窓歳時記』読了。面白かった。清水さんらしい軽妙なエッセイと選ばれた句のとりあわせが上手いと思う。とともに、そこに牽かれた俳人の句をさらに読んでみたいな、という気になってくる。ちなみにご自身の句も取り上げられてある。1句紹介すると、「蟷螂や医師といふ名の免罪符」清水貴久彦。掲句の前の文章もついでに紹介すると「当たり前の話だが、医師は万能ではない。医学知識と技術でさえ、全科にわたって合格点に達している人がどれくらいいるか。まして、医師国家試験では医学知識以外の判定は行っていない。医師は患者が作ると言われるのももっともだと思う。」なるほど、と思う。
【10月23日】
「アンブレイカブル」というビデオを見た。筋はあえて紹介しないが、僕にはとても面白かった。もっとも最初は、一体どんな映画なのか、筋が掴めなかった。やがて、次第にお話が見えてくると、夢中になった。これは、あえてジャンル分けみたいなことをすれば、「映画好きのための映画」に分類されるものだと思う。最後の大逆転の部分を見終えて、全体を振り返って、何故か、せつないような気分になったのはなぜなのだろうか。そう言えば、映画「スーパーマン」の、アメリカ南部?の美しい田園地帯で成長する主人公の青年期の姿を描いたシーンなどを思い出したりもした。あのシーンにも叙情性と甘い切なさがあったような気がする。
昨夜、岩城先生からTELあり。11月3日の「深吉野賞」の参加の連絡を頂く。さらに、インターネットのどこかのHPで先生の句「教え子が花の夜伽をつとめをり」が紹介された折り、岩城先生が亡くなられたという内容の紹介があったらしい。『童子』会員のA嬢から、岩城先生の携帯に連絡が入ったとのこと。その話は、まわりにも広がっていたらしく、後日、大石悦子さんからも、「岩城さん、亡くなられたことになっているらしいね。」と声をかけられたとのこと。どのHPか、検索してみたが、結局わからず。なぜ、そんな物騒な話になったのだろうか。
帰宅すると、醍醐会の清水貴久彦さんから小包が届く。開くと1冊の本。タイトルは『病窓歳時記』。ああ、これは、と思った。以前岩城先生からお聞きしていた、医者である貴久彦さんの病気に関わる俳句集成の成果がこの1冊だ、と思ったのだ。早速、読ませて貰おう、と思う。楽しみである。
【10月20日】
『孤高の人』読了。これまで好き放題を書いてきたが、最後に筆者の次の一節を紹介したい。「自分の生涯の中で、湯浅さんほどユニークで、孤高を守ろうとし、何よりも超俗に憧れた魂の人にめぐりあい、けんかするほど親しくつきあったということは、何ものにも替え難い幸福な記憶だったと、私の感謝は尽きない。」いつか、湯浅氏の翻訳したチェーホフを読んでみたいと思う。
蝸牛社俊英コレクションの句集『蜜』・如月真菜著をネットで購入。早速、読む。如月氏は、「童子」主宰の辻桃子氏の愛娘。以前に一度、春先の「余呉湖・在原の里吟行会」でご一緒したことがある。率直な感想は、句の出来不出来がかなり激しいというもの。面白い句は、これはとても面白い。しかし、たわいない句、一人よがりの句、試み(例えば、今風なカタカナの多用など)が滑っている句などもかなり目に付く。ただ、全体としては、良かれ悪しかれ、いかにも若い人の句という自在さに溢れていると思う。1986年から1999年までの句が納められている。個人的には1996年以前の句の方が、それ以後の句よりも好きだ。如月氏の個性がより素直に発揮されているような気がする。1996〜1998年の「来た。」の章は、ほとんど取るべき句はないように思う。この時期が、何かターニングポイントになっているのだろうか・・・?
今日は、一通り仕事の段取りもついたので、早めに帰る。洗濯をしながら、TVを付けると、BS放送で、ウィーンフィルのコンサートの生中継をしていた。指揮者は、サイモン・ラトルという人。ウィーンフィルから招かれた指揮者だそうだ。曲目は、ベートーベンの交響曲2番と5番。2番の方は、何となく曖昧模糊とした印象で、はっきり言ってこれがベートーベンだろうか、という違和感めいたものを感じながら聞いていた。しかし、5番は、これはもう凄いとしか言いようのない演奏だった。どう表現してよいか、わからないけれど、全身を耳にして聞いていた。曲の細部、演奏の楽器の一つ一つが自己を表現しつつ、全体として壮大な音楽の流れが生み出されていた。平凡な物言いしかできないけれど、演奏を聴きながら鳥肌が立ったのは初めての経験だった。テレビではなく、サントリーホールで直に聞きたかった、と心底思った。演奏終了後、聴衆が帰ろうとせず、誰もいなくなった舞台にさらに2度までも、サイモン・ラトルを挨拶に立たせ、スタンディングオベイションで迎えるというところからも、いかにその日の演奏が印象深いものだったかがわかると思う。今でも、思い出すと背中に熱いものが走る。ほんとに聴けてよかった。
夕方、桃山御陵まで走る。夕闇が迫る御陵は森厳としていて、心地よかった。帰宅後、風呂。そして、軽く晩酌。
【10月19日】
『孤高の人』を読み続けている。湯浅氏の毒舌は、時に人の心をずたずたに引き裂くことが(しばしば?)あるらしい。筆者の瀬戸内氏との間にも、その理不尽とも思える舌鋒のために、数年間の絶交期間もあったらしい。にもかかわらず、やがて交友は復活し、終生の交流となったらしい。湯浅氏のイメージは、最近で言えば、NHKの朝のドラマ「ちゅらさん」で人気を得た童話作家の「まりあ」の性格を縦横うんと引き延ばしたようなものかもしれない。底意地の悪さと狷介さとそして底なしの純粋さと、非常識と高い理想が渾然一体となり、一つの人格を作り上げている、というのか。ともかく、端から見ているととても面白い人物なのかもしれない、と思う。
国語表現は、「ことば遊び」その2.谷川俊太郎の詩集「ことばあそび」をネタにした創作。前回に比べて、生徒は取っつきやすかったようだ。出来が楽しみである。
ハローワーク(昔の「職業安定所」)から「未充足企業一覧」が届いた。まだ、就職が決まっていない生徒達が、これを見て再度就職希望先を決めて、試験を受けることになる。夕方、すでに受験先が決まっている生徒の書類を2通企業の方へ送る。なんとしても、頑張ってほしい。
夜、ミューズのレッスンに行く。先週の土日と京北町で合宿が行われ、結構たくさんの人が参加したようだ。確かに皆上手くなっている。今日の練習は、気分良く歌えた。本番まであと2ヶ月足らず。一通りさらい終えて、音楽作りの段階に入ったようだ。
【10月16日】
現在の通勤時の読書は、瀬戸内寂聴『孤高の人』ロシア文学の翻訳家湯浅芳子との交友(師事といった方が良いのだろうか)を、エッセイ風に語ったもの。文字通りの「エゴイスト」湯浅氏と作者との交友は、読んでいるものがいらいらはらはらするほどに、あくまで湯浅氏のペースで展開する。身近にいたら確実に辟易するであろうに、なぜか目が離せない、そんな人物。寂聴氏は、時に嵐のただ中でのように、時にやや突き放したスタンスの語り口で、湯浅氏とその周りの人間模様を描きあげていく。面白い。
『孤高の人』と言えば、新田次郎の作品を思い出したりもする。単独行者として有名な登山家加藤文太郎をモデルとした小説。大学時代、山登りのサークルに入っていて、比良や北山、時に北アルプスなどに登っていたこともあって、夢中になって読んだ本の1冊だった。加藤文太郎自身の著書『単独行』を併せて読んだのも思い出した。あまり、関係ないけれども。
『燕巣』へ短い原稿を書く。「私の好きな1句」ということで、400字ほどの文章。醍醐会の仲間で、今年度の「俳句研究」賞の候補にもなった井上弘美さんの句を使わせてもらう。今年の春、丹後への超結社の吟行会の折り、作られた作品で、句会の時、大変印象に残った句。「水平線ごつごつとある椿かな」。所属している結社誌へすでに発表した、との確認を電話で取ってから書かせてもらった。荒天の日の水平線の把握がとても面白い句だと思う。
【10月13日】
先週は会場を勘違いして、結局欠席となってしまったので、、3週間ぶりにミューズの「第九」合唱練習に参加する。団員は200名を越えるほど集まったようだが、男声、時にテノールの人数が圧倒的に少ない。このままでは、前回の「レクイエム」同様、バランスの悪い合唱になるのではないか、と危惧する。久しぶりに歌うので、歌い方を忘れてしまったようだ。やたらに喉に力が入ってしまい、途中で苦しくなってしまう。今回は、高音部分はパスさせてもらう。それにしても合唱団員も中高年の人が多い。ミューズの場合は、大学との繋がりがあるようなので、若い人(ソプラノの女の子は恐らく高校生だろう)も混じっているのだが、それにしても3分の2は中高年に該当する人たちだろう(人のことは言えないけれど)。
練習を終え、京都駅の方へ向かう途中、あちらこちらにと、一人で、あるいは二人でギターを抱えて歌を歌う若者の姿を見る。周りに何人かの若者が地べたに腰を下ろして歌を聴いている。歌は、結構上手い。歌を歌う若者たちは、路上にいたのだ。何人か、ミューズに入ってくれるといいのに、などと思ってしまう。
帰宅後は、ぐったり。今週も疲れた、というのが実感。途中で買ってきたハムサンドを、焼酎のお湯割りで流し込んで、寝る。寝付きが悪く、夜中に何度も目が覚めてしまう。仕方がないので、テレビを付けると、いつか見たことのある映画をやっていた。記憶がはっきりしないので、そのままボヤーとみていると、やがて突然のスプラッタシーンが画面に展開する。そういえば、「チャイルドプレイ」とかいう、ホラー映画だったのだ。すみやかにスイッチを切る。夜中に半覚半睡状態で見るような映画ではないな。
5時過ぎには目を覚ます。もう眠れない。布団の中でごろごろしたあげく、7時前に早朝ジョギングに行こうと決める。洗濯機のスイッチを入れ、朝はしんどいので超スローペースでたらたらと走る。車通りが少なく、空気もひんやりしていて気持ちが良い。桃山御陵(明治天皇陵)の方まで、ゆっくりペースで走る。同じように早朝ジョギングをする人たちに何人も出会う。「秋高し天皇(すめらみこと)の陵明るし」(明治天皇陵にて)などと1句作ったりする。ちなみに「高し」「明るし」は、故意に表現を呼応させたもの。ちょっとうるさいか?
【10月11日】
「ダークエンジェル」というビデオが面白い。電脳世界が崩壊し、混乱と荒廃の中にあるアメリカのシアトルを舞台に、遺伝子操作によって生まれた逃亡兵士の女性が主人公のお話。荒唐無稽なSF仕立てのいかにもアメリカの「連続ドラマ」なのだが、その話の面白さと魅力的な登場人物たちの吸引力で、ついつい昨夜、今夜と連続して借りてきたビデオを見てしまった。
本日の国語表現。草野心平の蛙の詩をヒントにした「ことばあそび」。創作である。蛙語で書かれた詩(いわば、擬声語のみで書かれた詩とでも言おうか)とその日本語訳をもとに、生徒に「○○語」を作ってもらい、その日本語訳を併せて書いてもらう、というもの。ちなみに作られた言葉は、「空語」「地球語」「時計語」「数字語」「けんか語」などなど。最初は、当惑気味だった生徒たちも、やがて書き始めると案外すらすらと出来るようだ。やはり、頭の柔らかい高校生だけはある、と感心する。読んで見るとなかなか面白い。「○○語」の部分も、その日本語訳も面白い。架空の世界で遊ぶ中で、かえって自由に思いを詠えるような気がする。明日は、作品発表と人気投票を行う予定。
俳句のデータ化を進める。二重投句のようなミスを繰り返したりもしているので、本格的にデータベース作りに励んでいる。投句の管理もそれを中心にして行っている。現在作品は1500句くらいになっているが、まだまだかなりの句があちらこちらに埋まっているように思う。句集作りにも、いずれ活用する予定。それにしても、14日の「いさなご句会」が日時変更になった。ちょうどクラブの引率と重なるので、今月の句会は欠席ということになりそうだ。今月は、一度も句会に出ない、ということになりそうだ。こんな月も珍しい。
ベランダ側のガラス戸を開けているので、少し寒いくらいの夜気がゆっくりと部屋の中へ流れ込んで来る。それが気持ちいい。7階の部屋なのに、ここまで虫のすだく声が聞こえる。
【10月9日】
昨日は一日、クラブ引率でバドミントンの3校合同の練習試合に。文字通り、朝から晩まで試合を見続ける。途中30分、昼食。20分ほど休憩。さすがに見疲れた。ダブルスの試合は善戦。シングルはちょっと厳しいかな、という印象。帰りは、知人に自宅まで送ってもらい、ありがたかった。それにしても、見るより、やる方が断然楽しい。
夜、ひどく寝苦しく、うとうとするととんでもない夢をみたりした。恐らくアフガニスタン空爆の印象が意識のどこかに残っているせいだろう、恐らく覚えている限りでは初めて戦争の夢を見る。それも自分が兵士になって、あろうことか、眼前の敵の頭を銃で撃ち抜いて殺してしまう、というものなのだ。銃を撃った後、生々しくて、実にいやな感覚が手に残った。やがて自分も殺されるだろう、という諦念じみた思いを噛みしめながら、無蓋車に乗って、敵のただ中を移動したのも覚えている。酷い夢だった。
授業は3時間。教科会議1時間。そのあい間に、国表の小論文を読む。今回は、「ボランティア」について。結構、読み応えのある作が多い。しかし、1作について、数度読み返し、さらにかなり細かい添削と書き込みをするので、結構時間がかかる。木曜日の5時間目には返却をしなければならないので、ともかく頑張るしかない。昨晩5作読み、今日も数時間かけて8作読み、さらに夕方ジョギングを終えてから3作読み、どうにか明日中には読み終えられそうな目処が立ったので7時過ぎに退勤。もっと早くから読んでおけば良いのだが・・・。毎週、同じ反省をする。
その間に、企業への電話。今日は6社。うち2社から良い情報が得られる。いつもため息という訳でもないようだ。もっとも先のことはまるで見えないけれど。
【10月7日】
日野草城『旦暮』読了。他の句集も読んでみたくなる。有名な「都ホテル」連作とか、断片的には読んだことはあるのだが。水原秋桜子『葛飾』に入る。不思議なくらい読みやすい。平明な句が多い。その分、気分でさらさらっと読んでしまいそうだ。
金曜日、土曜日、仕事に励む。このパターンが固定化してしまったようだ。あいかわらず、ため息をつく日が多い。土曜日、午後は学校公開。クラブの方に顔を出す。見学者が8名。体験希望者が1名。昨年の半分くらいか。見学終了時、その中の一人が是非入学してバドミントン部に入りたい、と言ってくれた。感謝。
帰りがけ、いつもの店へ。今週は2度目。酒量が増えそうな気がする。お酒をやめて、焼酎にする。確かに、翌日が楽なのだ。久々にパチンコに行く。駅前の絶好の地にある店なのに、客の入りが良くないような気がする。不況なのだろう、と改めて思う。
そして、日曜日。運河句会の人たちは、本日は別会場での句会ということで、参加は遠慮する。会員でもないのに、参加だけさせて頂いている身なのだ。明日は体育の日だけれど、クラブ引率があるので、のんびり出来るのは今日だけ。芯が疲れているので、のんびり過ごしたと思う。それにしても、ヨーロッパに研修に行っている弟は、どんな毎日を送っていることだろうか。
【10月4日】
尾崎放哉『大空』はついに読了せず。読むことを途中で中断する。叙述の断片というあり方に、読み続ける興味を失ってしまった。個人的に好きだった有名な句、「入れものが無い両手で受ける」が「両手をいれものにして木の実をもらふ」の自己等類句であることを知っただけでも収穫であろうか。ただ、前の句の方が断然よい。あとの句はほぼ只事の句。詩の心もあまり感じられない句。そんな句が句集の中に圧倒的に多かったのが、途中で読む気を失った理由かもしれない。
日野草城の『旦暮』を読み始める。草城の第六句集だそうだ。病中吟が多く、しみじみとした味わいの句が多い。まだ途中までしか読んでいないが、ちょっと心惹かれる句集である。
水曜日、木曜日、仕事に励む。少々、疲れ気味。進路部長と二人、ため息をつくことの多いこの頃だ。
朝夕は、すっかり涼しくなっている。それが心地よい。更衣の時期は過ぎているけれど、いまだに上着は着ないで通勤している。この涼しさを堪能したい気持ちが強い。8時過ぎに帰宅。欠け始めた赤い月が醍醐山に昇っている。、
【10月2日】
日曜日、午後「醍醐会」へ。奈良大学教授の永井一彰氏の講演を聴く。芭蕉『奥の細道』の版木発見にまつわる話から、版木から見えてくる当時の出版事情の話まで。始めて聞く内容ばかりであり、とても面白かった。体調が今ひとつだったので、一次会で失礼しようか、と思っていたのだが、ついつい二次会の居酒屋「樽」にも顔を出す。一次会の続きの話から始まり、ついには句作の話に話題は移り、なんと永井氏も俳句を嗜んでおられたことがある事などまで披瀝されることとなった。
やがて、宴は三次会に突入し、祇園の「米」さんへ。そこで、N嬢が持参された一幅の掛け軸の真贋判定が行われることとなった。さて、その結果は・・・。なかなか良いもの、との判断が下された。少し早めに店を出て、そのまま帰宅する。帰りの電車の中では、充実した半日と、心地よい酔いで大変幸せな気分であった。
さて、月曜日。そして、火曜日。仕事に励む。
昨日は中秋の名月。朝はとんでもないざんざん降り(出勤と重なったため、ひどい目にあった)だったのに、夕方にはすっかり晴れて、やがて綺麗な真円の月が昇る。帰りのプラットホームで眺め、電車の中で眺め、駅をおりて帰る道で眺め、帰宅後は、ベランダから眺める。不思議な気分である。魂が体を離れて、浮遊しそうな気になってくる。高所恐怖症をつい忘れてしまいそうだ。