日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【12月30日】
昨日は、近江吟行会。今年最後の句会になりそうだ。京都を8時過ぎの長浜行き新快速に乗車。1時間ほどの電車の旅。琵琶湖を眺め、対岸の比叡や雪の比良を眺め、鈴鹿山脈、やがて白雪の伊吹山やそれに続く奥美濃の山並を見る。宮津にいた頃、敦賀経由でやって来て麓の旅館に1泊して登った金糞岳も、今は雪に覆われている。終点の長浜で下車。岩井さん、中田さんと合流して、タクシーで「紅鮎」へ。典型的な「冬麗」の日で、湖岸道路からの景色は、春先のような輝きに満ちていた。
「紅鮎」は琵琶湖岸に建つ3階建ての立派な旅館であった。俳人のM氏がよく利用された旅館で、それが縁になって多くの俳人が使うようになった旅館とのこと。ここで、昨日から泊まっていた竹中・南・井上・小林さん達と合流し、12時出句予定で早速付近に吟行開始。竹生島が指呼の間に見える。湖はべた凪状態で、鴨やオオハクチョウ、かいつぶりなどが岸近くに群れを作ってのんびりと浮かんでいる。湖岸を枯れ葭が縁取り、その葭の間から砂州やその向こうに浮かぶ水鳥の姿を眺めることが出来る。あまりに良い天気で、あまりにのどかな情景が広がっているので、かえって句が作りにくような気がする。聞くところによると、前夜泊の人達は、昨日酷い風雨の中を余呉湖に吟行に行ったとのこと。
2時間の吟行を終え、昼食を挟んで1時から句会。7〜10句出句で10句選とする。選を終え、各自披講の上で高点句から合評。選が割れて最高得点は4点で竹中さんの句であった。かなり突っ込んだ相互批判が行われる。3時半には句会終了。私は2点句2句、1点句1句という結果であった。大急ぎで帰り支度をして、旅館の車で「渡岸寺」へ移動。有名な国宝十一面観音を拝観に行く。ここは以前に一度来たことがあり、その時の印象が残っている。門前の巨木「野神」さんを句材にしたことなども思い出す。受付締切の4時近くに到着。お願いして見せて頂けることになった。綺麗で優しい観音様であった。
寺を出て、高月駅へと向かう。満月が白々と上っていることに気付く。寒茜が美しい。良い一日であった。

【12月28日】
夜8時過ぎに帰宅。新聞受けに数日分の新聞が溢れていた。事前に新聞を止めてくれるように連絡しておいたのだが、無視されたようだ。これで3度目。さすがに頭にきて、配達所へ電話を入れるが、誰も出ない。仕方がないのでFAXを入れる。
明日は、近江吟行。すでに今日から、何人かの人は一泊で尾上温泉の「紅鮎」へ行っている。私は明日参加組の方で、醍醐会の岩井さん、中田さんと現地合流後、句会場の「紅鮎」へ直行の予定。今年最後の吟行句会。良い句が出来ればと思う。
邑書林の『現代俳句100人20句』を読んでいる。75年生まれの如月真菜氏から35年生まれの矢島渚男氏までの100人の俳人の作句信条・略歴・自薦20句を掲載したもの。現代俳句の見取り図の一つになる著作ではないか、と思う。邑書林は、島田牙城氏の出版社。

【12月22日】
3連休、初日。とは言っても、今日はとにかく大掃除の予定。すでに数日前から少しずつ片付けなどはしていたのだが、とりあえず今日で一気に目処を付けるつもり。明日から数日留守にするので、やってしまおうということにする。
年賀状はすでに2日前に完成、投函済み。デジカメで撮った写真にちょっと手を加えた地味な年賀状。ここ数年、山をモチーフにしているのだが、「燕岳」「塩見岳」ときて、さて今年は・・・。ごく身近な山とした。
今朝、初雪が降っていた。粉雪がぱらぱらという程ではあったが。改めて冬を実感する。入れ立てのコーヒーを飲んでいる。美味しい。

【12月18日】
『全国アホ・バカ分布考』松本修著を読んでいる。金曜深夜の人気番組「探偵!ナイトスクープ」の企画として取り組まれた「アホ・バカ」語の全国分布調査と、「アホ・バカ」の語源探求をまとめた一冊。以前にずいぶん評判になった本という印象はあったのだが、当時は読んでみようという気にはならなかった。テレビの企画だからな、というちょっと軽く見るような思いがあったのだろう、きっと。しかし、読んでみるととても面白い。著者の柔軟な発想と、言葉に対する愛着と探究心がとても心地よかった。それに読みながら、そう言えば子供の頃、「ダラ」とか「ダラズ」という言葉を使っていたな、ということまで思い出して懐かしかった。もうしばらくは、通勤の行き帰りはこの本を読むことになるだろう。
長い2学期もまもなく終わろうとしている。明後日は終業式だ。時間のたつのが、本当に速い。忙しくて結構「シンドイ」一年だったな、とちょっと感慨にふけったりもするものだ。
『燕巣』への投句の締め切りが迫っているのに、まだ1句も出来ていない。最近は、いつもこんな調子だ。本当に常日頃は、俳句関係の本は読むけれども、句は1句も作らない。だから、息をするように句が出来てしまうなどというのは、驚異としか言いようがない。今夜は、お酒も飲まないで10句絞り出すしかないな、と思う。句を案じる事自体は、しんどいけれどなかなか面白い事であるのだが。句が出来たら、「MINORU・句」の更新もしよう。

【12月13日】
火曜日は、「第九」の本番。喉は7割程度の回復という状態だった。午後、年休を取って、会場の京都コンサートホールへ。すでに発声練習は終わり、ゲネプロ前の練習に入っていた。軽く声を出してみるが、掠れて上手く出せない。しばらく歌うと、喉に痛みを感じる。これは、駄目かな、と思ったけれど、喉を庇うような歌い方がかえって負担となっているのかもと考え、思い切って声を出してみる。この方が具合が良かった。本番を控えての直前のステージ練習をゲネプロという。会場に入場し、まだ誰もいない客席に向かい、最初で最後のオケ合わせを行う。皆興奮しているのか、早い。指揮やオーケストラを置いてきぼりにして合唱が独走してしまう。一通り練習が終わってのち、合奏団だけを残してさらに練習。指揮者の藤岡氏の一言、「情熱を保ちつつ、冷静に」。それが結局今回のキーワードとなった。
コンサートは7時から。「コリオラン」序曲の後、「第九」。そのころ、合唱団は、別会場の小ホールで最後の練習。テンポに注意して自分をコントロールしながら、同時に思いを込めて歌いぬくこと。それを確認し合って、本番会場へ移動する。第二楽章が終わるのを待って、ステージへ。やや抑え気味に演奏された第三楽章を立ったままで聞き、それまでの主題が複合的に変奏され、やがて歓喜の主題へと向かう第四楽章を緊張しながら聞く。歌い始めると、あっという間に時間は過ぎていく。
「フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン」の繰り返しの後、合唱は終わり、オーケストラがその後を引き継いで、曲は大きく膨らみながら「ダダダダ」というベートーベンらしい高まりの中で「第九」は終わる。やや荒削り、しかし、エネルギーのこもった合唱になったと思う。数年前から、ミューズの演奏会では、団員が退場するとき、そのまま会場に残っておられるたくさんの聴衆の方から改めて拍手を送られる。それは本当にありがたい拍手だ。

【12月9日】
丹後へ。今年最後の「いさなご句会」。体調が今ひとつなので、車中での句作は早々に終えて、あとは座席を倒して寝る。薬を飲んでいるせいで、うつらうつらする。時折目を覚ましては、外の景色を眺める。山の紅葉はすでに終盤に入り、どこか冬枯れの様相を見せている。あるいは、雪が降るか、とも思っていたのだが、それはなかった。
金曜日、市内に「第九」の練習に行くが、声が全くでないために、チケットの代金支払いと出席数の確認(11回の練習中、7回以上の参加がなければステージに乗れない、という条件があるので)だけをして帰る。途中、夕食をとりに久しぶりに「東錦」へ寄る。相変わらず店のおばちゃんは元気だ。美味しい夕食と、おばちゃんのお喋りを堪能して帰宅する。土曜日は、一日自宅に籠もる。『燕巣』1月号に3〜6枚で随筆か紀行文を書くことになっているので、その為の原稿を書く。ネタはすでに決まっていたので、とにかくワープロに文字を打ち込む。午前中には書き上げる。エネルギーが不足しているので、原稿用紙3枚に納める。尻切れトンボ的な終わり方になるが、しかたないか、と思う。題名は「ベナレスへ」。以前、インドに行った時の体験の一部を「とりとめない風」にまとめたもの。書きながら当時が思い出されて、結構楽しかった。書き終わったものはすぐに封筒に入れ、速達で出すために郵便局へ。帰宅後は、富士見書房の『飯島晴子読本』を読む。午後一杯読み続け、作品にチェックや書き込みを入れる。
そして、日曜日。丹後は思ったより寒くはなかった。いつもの会場での句会は、参加者が少なかったせいか、いつもより早めに終わる。そう言えば、来年にはこの句会の10周年記念としての合同句集が出来上がるだろう。車中では、「俳句研究年鑑」を見せて頂く。岩城先生は、その中で60代俳人の項について執筆しておられる。帰京後は、すみやかに帰宅する。

【12月6日】
また「BAD.TRANSB」添付のメールが来た。「AYA・OGATA,RE」と書いてあったが、OGATAさんという人にメールを送った覚えはなかったので、速やかに削除する。かなわんなあ、と思う。かなわんと言えば、冗談ではなく声が出なくなってしまった。風邪のせいだと思う。熱は下がったのだが、のどの方が酷い状態となってしまった。しゃがれ声というよりかすれ声でしか喋れないのだ。
昨日来、授業中も、声を出そうとするけれど「出ない」という有様で本当に困ってしまう。こんなことでは、「第九」も覚束ない。泣きっ面に蜂というけれど、その上に夕食の時「大学イモ」を食べていたら奥歯の一部が欠けてしまった。仕方ないので今日の夕方歯医者に行って治療してもらったが、今度は歯の詰め物がぽろりと取れてしまった。1時間は物を食べないようにと言われていたので、1時間待って夕食を食べようとしたら、とれてしまった。ちゃんと固まっていないような気がする。歯医者さんには良くお世話になったけれど、こんなことは初めてだった。また、明日時間を作って詰めてもらいに行かなければならない。鬱陶しい。
竹中宏さんから電話あり。2月に高野山に吟行に行かないか、との事。昨冬の熊野、今春の舞鶴に続いての吟行計画だ。日程的に可能であれば、是非参加したいものだ。杉浦圭祐さんから「キャトル」13号を送って頂く。さらに、今年度現代俳句協会新人賞を取られた作品30句も送って頂く。早速読む。作品全体を通じて「少年の心」というものを感じる。著作権とかの関係があるだろうから、作品を紹介出来ないのが残念である。

【12月4日】
やっと「BAD.TRANSB」添付のメールが来なくなった。日曜日を中心に、思い出したようにやって来て、その都度、メールを削除したり、ネットから駆除ツールをダウンロードしたり、レジストリを確認したり、よく分かりもしないのに何やかやすることになってしまった。鬱陶しかった。アドレス帳にある人たちに警告の電話を入れたりとか、全く鬱陶しかった。その為という訳ではないが、体調を崩してしまった。
日曜日午後、『運河城陽句会』に行く。『運河』の人たちは本当に元気であると、この句会に参加するたびに思っていたのだが、今回もこの感は強い。なんとなく圧倒されて隅の方で小さくなっていたりする。茨木先生は、第一句会のみ出席で所用の為帰宅され、第二句会は会員のみの句会となる。今回は、30分強で7句出句となる。出来ない。苦し紛れの句を出してお茶を濁す。どうにも調子が良くない。句会を終え、帰宅後、体の節々が痛く、食欲も全く湧かないという状態となる。仕方がないので早めに寝る。
翌朝、しんどい。体温を測ると熱がある。さらに上がりそうな予感があったので、やむなく休むことにする。授業の課題の指示をFAXで学校へ送り、電話で休む事を伝える。一日寝る。結局、夜まで熱は下がらず。寝苦しい夜となる。試験が近づいているので、そうそう休むわけにもいかず、出勤する。完全には熱が下がっていないな、と思いつつ仕事。急に明日決まった就職試験の生徒の面倒を見て、勤務時間終了とともに退勤。帰宅後は、早めに寝るだけである。

【12月2日】
12月になった。昨日は、小さな工事の関係で人が来るので、学校が終わり次第、大急ぎで帰宅する。工事関係の人がいつ来るかわからないので、外出も出来ず、洗濯をしたり期末考査の原案作りをしたりして過ごす。夕方、工事の人が来る。短時間で終了。まだ日が残っているので、軽く走ろうかと思ったが、どうも疲労感があるのでやめる。ちょっときついクラスの2時間連続授業が影響しているのか、と思う。ソファーにごろ寝して、ビデオを見る。「ハンキング」という山岳映画だったが、典型的なB級映画であった。昔、ほんのちょっと岩登りをした(というより、連れていって貰った)ことがあったが、どう見てもそんな登り方ではロッククライミングは無理だよなー、と思いつつ見る。
疲れのせいか、と思っていたのだが、どうにも調子がおかしい。なんとなく体の節々が痛く、頭が重い。これは、と思って体温を測ると熱がある。本物の体調不良であった。せっかくの週末の夜なのにと思いつつ、仕方がないので薬を飲んで寝る。寝苦しくて、何度も目を覚ます。
あー、疲れた、と思いながら起床。今日は『運河城陽句会』の日。午前中は休んで、出かけることにしよう。