日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

11月分「日々録」 12月分「日々録」 1月分「日々録」 2月分「日々録」


【3月30日】
金曜。校務分掌が変わる。進路部から3年担任となる。就職担当1年で急遽変更。次年度に向けて、就職指導を変えていこうと具体的にその準備を進めている矢先の分掌変更で、足下を掬われたような思いだ。強い憤りを感じている。残務処理を行い、夕方進路室の机の整理し、荷物を職員室へ移動する。予定では、月曜日に一斉に移動することになっているが、荷物は多くないのでさっさと済ます。周りで、次年度に向けての進路の仕事を進める同僚が居る中で、一人切り離されたような思いとなる。
土曜日。「参の会」出席の為に年休を取って休む。朝のうちに電話数本。井上弘美さんに、明日の『醍醐会』の司会変更の件。岩城先生と茨木先生の最新句集について話合う予定で、その司会者を井上さんがすることになっていたのだが、岩城先生の意向で自分の句集に対して井上さんが発言しやすいように、その時だけ司会を私と交代してはどうか、ということでその為の連絡。了解して頂ける。
実家の母からも電話。兄の就職が正式に決定したとのこと。正式な辞令を受けとったと連絡があったそうだ。リストラにあって4年目になるだろうか。その間、本当に色々な面で苦労してきた兄だったが、これで一つ前に進むことが出来るのではないか、と思う。短大卒業後、職の決まっていなかった姪も、本屋でのアルバイトを始めたという。
「参の会」の『X氏に聞く』。今回は、「醍醐会」のメンバーの一人の清水貴久彦さんの講演を聴く。岐阜大学医学部の教授として、「俳句と病気(癌を中心にして)」というテーマで話をして頂く。参加者は随分多くて、会場となった教文センター101号室は満員状態となる。(明日へ続く)

【3月23日】
昨日の京都は、黄砂が降ったらしい。今朝も外の景色は、遠景は薄く紗を掛けたように見える。昨日は、午後から雨もよいだったのだけれど、雨が黄砂を洗い流した、という訳でもないらしい。校舎内の桜は、一気に五分咲き状態となる。もっとも、昨日は肌寒い一日ではあったけれど。
昨日は、内示の日。正式には4月1日が転勤の辞令交付の日なのだが、転勤に伴う準備のために早めに本人に伝えるのであろう。何名かの先生が転勤される。新たに他校から転勤して来られる先生もある。年度末のこの時期、心慌ただしい日々が続く。夜、ミューズのレッスンに。前回は疲労のため欠席したので、1回間が空いての参加。練習は「サンクトス(聖なるかな、みたいな意味だったか?)」の新しい部分に入っていた。パート練習では、指導の先生が実に楽しそうにレッスンをされる。歌うことが楽しくて仕方がない、という事がずんずん伝わって来る練習。自ずと気合いも入ってくる。
『子規新古』読了。子規の中にある古い要素と新しい要素とを分析、紹介したものをエッセイ風に分かりやすく書かれたもの。旅行記などもこまめに引用しているので、それを読んだ気分にもなれる。子規と俳句との関わりは、文芸としての俳句に心惹かれたというよりは、素材としてまた分析の対象としての「知的興味」が出発点にあるのでは、という見解など面白いと思った。
現在、月末の「醍醐会」に向けて、岩城先生の句集『冬焉』のデータベス化をすすめている。一時中断していた作業を再開したのだ。「索引・句・上中下からの索引・季語と季節・句跨り・切れと切れ字・詞書き」等でまとめたもの。「切れ」の分析が難しい(こちらの判断基準がまだまだ曖昧、ということなのだろうが)。討論の補助資料となれば、と思う。まず、間に合わせなければならないけれども。

【3月21日】
春分の日。本当に暖かい。半日、バドミントン部の引率。試合会場が、バスの便が悪いため、駅からタクシーを使う。これで、本日の日当は、ほぼチャラとなる。今回は、バドミントン協会主催の試合で、参加者は高校生だけではなく、大学生、社会人までと幅広い。競技レベルはAからDまであるが、先週はA・Cレベルの試合があり、本日はB・Dレベルの試合が開催される。本校生は初心者級のDレベルで出場。生徒の試合の応援の合間に、他の試合を見るが、高校生対社会人とか、社会人対社会人の試合を見ることが出来て、楽しい。
社会人参加者は、恐らくBレベルでの参加が多いのだろうが、さすがに見応えのある試合が多い。素早い身ごなしでの応酬にびっくりしたり、スマッシュが早すぎてシャトルを目で追うことが出来ない、など大変面白かった。特に、高校生ペア対中年の「おじさん」ペアの試合は、面白かった。パワー対テクニックの対戦。1セットずつ取ったあとの、第3試合。接戦のすえ、最後は高校生ペアが勝利したけれど、『「おじさん」もやるではないか!!』、と内心エールを送る。
午後、後半担当の先生と引率を交代して、時間があるので小雨の降る中を駅まで歩くことにする。沿道の家の庭に様々な花が咲いていて、それを鑑賞しながらゆっくり歩く。途中から雨が上がり、上着を脱ぎたいな、と思いながら歩く。うっすらと汗をかいているのが分かる。春だな、と実感する。この辺りの桜は、現在二分咲き、という所であろうか。


【3月18日】
同僚の先生に自句を見て貰う機会があった。彼曰く、ちんまりまとまっていて、エネルギー不足。二物衝撃の持つ鋭さに欠ける。慎んで、意見を拝聴する。自分自身、その言葉に思い当たることがあるので。もう少しなんとかしたい、と思う。
日曜日は、「いさなご句会」。参加者の一人が、退院されたばかりで欠席、ということもあったりして、参加者が少ないのが少々寂しい。5人の句会となる。5句投句7句選。参加者と欠席投句が半々くらい。作品は、結構面白くて、選をするのに困ったほどだ。早めに句会終了。駅前の喫茶店に移動して、時間がくるまで雑談。昼間は暖かだったが、夕方になると肌寒くなる。岩城先生は、黒のタートルネックのセーター一枚で、駅のプラットホームでは少し寒そうだった。車中では、ビールを飲みながら『参』のことや、今月末の「醍醐会」の事などを話す。岩城先生は、今夜中に書かなければならない原稿があるということで、二条駅で下車される。
月曜の夜。実家の甥っ子から電話。開口一番。「今日、僕は、小学校を、卒業しました。」と高らかに宣言。聞いた僕もびっくり。そう言えば、そうだったのだ。もう、小学校を卒業するのか。本当に早いものだ、と一瞬感慨にふけって?しまう。お祝いを述べ、今度の休みの日のユースのコンサートは聴きに行くことを約束する。
火曜日。会議、会議で疲れる。気疲れのする内容の会議であったのだ。就職の内定が、昨日決まった生徒が来る。今後の手続きの事などを話す。粘り勝ちだ、と彼。そうだね、と相づちを打つ。夕方、走る。桜並木の下を走る。走りながら、桜が一輪咲いているのに気付く。今年初めての桜花であった。アップダウンのある道を、ゆっくりと少し長めに走る。一汗かいて、帰校。汗がひくまでと、一仕事して退勤。明日は、終業式だ。

【3月16日】
知り合いから、京都で活動しているある自由律俳句作家の作品を見せてもらうことがあった。実は、ちょっと期待していたのだが、読んでみて「あれ・・・?」という印象を受けた。作者は、自由律俳句関係の賞を貰ってもいる実力作家、ということであったのだが。期待、というのは、今から20年近く前、丹後の宮津にいた時、俳句に対してほとんど興味も持っていない時期に、同僚の先生で自由律俳句を作って居られる方がいて、その人の所属する結社の雑誌を見せて貰って、感銘を受けた覚えがあったからだ。
その時、パラパラと見せてもらった作品の中で、「枯れ木山が呼んでいる種火ならこっちだ」という作品は、いまでも覚えているくらいなのだ。物覚えの良くない自分にとって、ちらと見て記憶に刻まれる経験など、めったにないことなのだ。その後、尾崎放哉や山頭火の作品に触れて、自由律もなかなか面白い、と思ったりしていたのだ。今、その人の作品を読んで、これはちょっと違うのではないか、と思ったのは、作品に「詩」というものが全く感じられなかったことによるのだ。というのは、今回この作品を読んで、自由律俳句の勝負の地点は、「詩性」の有無ということなのだ、と思い至ったからだ。自由律俳句は、「形式の恩寵」も「季語の恩恵」もない。その作品それ自体が、どれほど「詩」として優れているか、ということがその作品の価値を決定するのだ。
そして、「詩」であるためには、自由律の作家は自己や作品それ自体に対し、ある意味では有季定型派の俳人達以上に厳しさが要求されるのではないか、と思うのだ。句に対する「緩い」姿勢は、自由律句を一気に崩壊させてしまう危険性を常に孕んでいるのではないか、などと思ったのだ。
今、テレビの旅行番組で熊野古道をやっている。3年前に行った「とがの茶屋」や、「山姥」として有名な茶屋のおかみさんの玉置こまえさんの艶やかな姿が映し出されている。とても懐かしい。

【3月14日】
ビデオでスピルバーグの『AI』という作品を見た。スタンリー=クーブリックが温めていた企画を、スピルバーグが映画化したものという。不思議な印象の映画だった。娯楽作品としての見せ場はふんだんにあって、結構楽しめたりもしたけれど、作品のテーマ自体は重い。重い、というよりはちょっと違和感がある。愛することをインプットされたロボットが、その愛を全うしうるか、というものか(「AI」はローマ字読みをすれば、「愛」となりますね、偶然でしょうが)。ひたむきで「純粋」な愛が、報われ得るのか、ということか。見終わってから思うせいかもしれないが、終わりの方の2000年後の物語はない方がよかったかもしれない。「ブレードランナー」のレプリカント達の悲しみ(人に似て人にあらざるものの悲しみ)は普遍性を持ちうるものかもしれないが、この少年ロボットの思いは、ピノキオの童話たりえない点で、酷く特殊なものに思えてきてしまう。最後は、ロボットも「電気羊の夢を見」得る、として終わるけれど、やはり違和感が残ってしまう。でも、面白かったけれどね。
面白いといえば、今日学校に送られてきた東舞鶴高校吹奏楽部の定期演奏会のチラシ。その洒落たセンスとユーモア感覚に同僚達と大笑いをしてしまった。同校の吹奏楽部は素敵なHPを持っておられるので、検索にかけて、是非一度見に行って欲しいと思います(でも、画面では細かい部分がちょっと見えにくいかもしれませんが)。



【3月11日】
日曜日。眼鏡を買いに行く。今使っているものは、もう何年使ってきたことだろう。7〜8年は使ったのではないだろうか。近くの商店街の中の眼鏡店で購入。結局、同じような型の眼鏡を買う。ついでに、というわけではないが、鞄も買う。サムソナイトの割りと大きな鞄。同じ物を使ってきて、これは二代目の鞄。ずいぶん長い間使った鞄だ。大きさも手頃で使い勝手が良く、結構荷物も入り、デザインもすっきりしているので、買い換えるなら同じ物をと思ったのだ。ところが、以前買った店に行くと、その鞄はもう作られていないという。鞄なども中国・韓国などで安く作られるようになった影響を受けて、メーカーが製造を中止したらしい。良い鞄だったのに残念なことだ、と店主の親父さん。すでにファスナーが甘くなっているので、このまま使う訳にもいかず、仕方なく別の鞄を買う。眼鏡とか鞄とか、長い間使ってきたものを変えるのも、偶然とはいえ、3月らしいことなのかもしれない。
妹尾健という人の評論集を午後一杯読む。竹中宏氏が解説を書いておられる。俳句とは何か、という点について真摯な思いを展開しておられる、と思う。俳句形式とは一体何なのか、という点に関わる論評では、「自己」と「俳句形式」が必然的に要求するであろうもの(有季定型とか五七五の音数・リズムというレベルの物ではなく、もっと深い部分での「俳句性」という事になるのかもしれないが)とがどう深く切り結んでいくのか、ということを繰り返し語っておられたように思う。随分違った地点から、俳句について考えておられる、という事を思う。「詩」としての俳句、「文学」としての俳句、とは何かいうことになるのだろうが。
妹尾氏については、「日々録8」で一度触れたことがあるようだ。妹尾氏について検索する中で、自分が書いた文章に突き当たった。「難解」「詩人肌」などと書いていた。その時と、今とほとんど読みが深まっていないようで、それが情けない。
月曜日、試験三日目。午後年休を取って所用をこなす。一人暮らしのため、時折、平日でなければ済まない用事をまとめてこなさなければならない。良い天気で、コートを着て移動していると、体が汗ばんでくる程だ。ちょっと疲れて帰宅する。そう言えば、昨日四国高松の知人の息子さんから面白いメールが届いた。 「[March 5] Condition is broken down and it goes home after school yesterday. It falls asleep overnight and recovers somehow. I think that there are many such states recently. Finally the lesson in the current fiscal year [ today ] is. It is an entrance examination tomorrow. A final examination begins from the day after tomorrow. [March 1] The school to which graduates returned becomes the atmosphere which slowed strangely. Such at the time, if it goes to a classroom, only people's sign still remains, and it becomes the feeling which entered strange space. A school is a wonderful place」 以上が、ほぼ全文だけれど、興味がある方は一度現代語訳してみて下さい。

【3月9日】
何の変哲もない一日。7時過ぎに起床。コーヒーを入れ、洗濯機を回す。朝食の準備をして8時過ぎに食事。午前中は、テレビを見ている。NHKの朝の連続ドラマ「ほんまもん」の1週間分をまとめてみる。お話は何となくパターン化されて陳腐なものになって来ているような気がする。主役の木の葉役の人の演技が嫌みがなくて良いな、と思う。11時からは、「俳句王国」を見る。毎週見たいのだけれど、それもならず、BS対応ではないのでビデオに録画することもできず、たまにしか見ることができないのが残念。今週は、塩田丸男氏がゲストとして出演。席題句は「啓蟄」。自由句も含めて、作品はちょっと今ひとつか、という印象。主宰の鍵和田釉子氏の作品は、手堅く渋い出来。大高翔氏は、若々しくて素敵な作品を作られると思う。面白いな、と思った一句。「啓蟄の壁の押しピン赤・白・黄」素材と取り合わせが面白い、と思う。今週の出場者の方の作品だった。
明るいうちにと思って、昼過ぎにジョギング。1時間足らず、ゆっくりと走る。帰宅後、風呂にお湯を入れ、昼風呂をつかう。昼食は、おにぎり2個。その後、テレビで「大連京劇団」の公演を見る。大変面白い。演目は「戦冀州」(『三国志』を題材としているとのこと)、「打焦賛」(小品という感じだったが、主役の女優がコケティシュでちょっと可憐でとても良かった)、「百花公主」(恋愛、陰謀、戦闘、復讐と悲劇的な最期ととてもドラマチックな大作)の三作品。きらびやかな衣装、目を瞠る演技、そして歌唱と音楽。歌舞伎とオペラとアクション映画をミックスしたような演劇。文句なしに面白い、「京劇」であった。
夕方まで読書。『子規の新古』を読む。子規の中にある古い要素と新しい要素を句作品や散文を通じて明らかにしていく、という趣旨のもの。蕪村の再発見以前に、芭蕉を丹念に読み、実作の中にも芭蕉の影響がうかがわれ、さらに芭蕉作品を直接取り込んだ作品を作っている、という指摘はなるほどと思われた。ただ、(印象批評みたいになるのだけれど)少々強引に結論付けていたりしないだろうか、とふと思われるところがあったりなどもして気になった。
夕飯は、鍋。時期的には、もう鍋の季節ではないだろうけれど、もう1回くらい食べておきたいな、と思ったので。鍋は、寄せ鍋。中身は、魚・貝・茸だけ。ともかく魚をうんと食べたい、と思ってそんな内容にする。魚は、たら、ぶり、鮭、さば、はも、鰯のつくねも入れる。魚を堪能する。

【3月7日】
『十七文字の禁じられた想い』を読む。「終戦日」とも「敗戦日」とも詠われている8月15日にまつわる様々な記憶と思いが、17文字に託して詠われる。悲しみや怒り、安堵や不安、希望や虚無的な思い、本当に様々な思いが痛切な体験や、さりげない日常の暮らしの中で描かれる。本当に1句1句が胸に響いてくる俳句アンソロジーだと思う。時折、現在主宰として活動している人の句があったりもする。
今日から学年末試験。国語Uのテストは今日行われる。午後一杯かかって2クラス分を採点をする。採点を終えて、ほっと一息、というところ。
帰宅すると、『燕巣』の3月号と、今月末の「醍醐会」の案内と、そして昨年末の湖北吟行の作品集が届いていた。作品集は、吟行参加者の自薦10句を井上弘美さんが冊子にまとめて下さったもの。参加者は、井上弘美、岩井英雅、小林千史、竹中宏、中田剛、南うみをの各氏(もちろん鈴木も)。作品を紹介できないのは残念だけれど、各作品ともに作者の個性が感じられて、読んでいて大変楽しい。


【3月5日】
『十七文字の禁じられた想い』という本を読んでいる。編者は、塩田丸男氏である。テレビのコメンテーターとして有名な人物であるが、自身俳句をものされるそうだ。ちなみに俳号は圓翁。終戦の日を詠った1000句を収載したもの。株式会社マルホ(どんな会社なのだろうか)が、「昭和二十年八月十五日を詠む」として呼びかけた企画に対して三万句もの句が集まり、その中で選ばれた『昭和万葉俳句集』一万余句から編者が選んだ1000句だという。どの句も胸を打つ良い作品だった。岩城先生の先生で『霜林』の主宰であった桂樟蹊子氏(投句名は、桂g一氏となっている)の句を紹介する。「汗べたべた千里を帰る何時如何に」。北京にて詠われた句だという。
『子規新古』という本も読んでいる。著者は、山下一海氏。鍵和田釉子主宰の俳誌『未来図』に百回に渡り連載されたものとのこと。まだ読み始めたばかりなので、内容はまだどうとも言えないが、子規という人物には大変興味があるので、楽しんで読んでみたいと思う。
日曜日は、「運河城陽句会」。その席で、茨木先生から、師系の松瀬青々氏が編集発行された俳誌『寶船』第一巻第一号の復刻版を頂いた。青々氏に関心を持つ俳人や研究者、関係諸機関に寄贈するため、邑書林の島田牙城氏に出版を依頼し、ようやくなった一書であるという。明治三十四年発行の本で、青々氏による「召波句集小解」や様々な読み物、そして今で言う雑詠欄などからなる五十頁ほどの冊子である。「雑吟」欄より青々氏の句二句。「氷るかと豆腐見に出る灯かな」「夜を昼に二度のともしや御祭」。
昨日は、体調を崩して、放課後帰宅。一晩寝込んで、なんとか回復。最近こんな状態が多いと思う。今日で今年度の授業は終わり。明日は、入学試験。明後日から、学年末試験が始まる。

【3月2日】
最後の土曜日の授業(土曜日最後のではない)が終わる。2時間連続の国語Uの授業。少々疲れる。来年度から、完全土日休業となるので、文字通り最後の土曜日の授業なのだ(何年か後に、土曜日が復活ということはあるかもしれないが)。
勤務時間終了。大急ぎで退勤する。今日は、京都の叔母が「京都ゴールドエイジ合唱の集い」で合唱に参加するのだ。京都コンサートホールで、1時半会場。叔母が所属する「山科老人福祉センターコーラス部『椿の会』」は、第二部の二番目の出演なので何とか間に合うと思うが、昨年はちょっと遅れて、コンサートホールに着いたのは将に出番その時で、ホール外のテレビ画像で歌を鑑賞する羽目になったので、大急ぎで行くことにしたのだ。第一部の半ばに到着。3階の席から合唱を聴く。『コーラスサークルフミ』。明治生まれの方を数名交えた120名の合唱団。なかなか上手い。次は、『ドリーム女声コーラス』60名。随分難しい歌を歌われる。ここで、一部終了。10分の休憩時間を挟んで、第二部。126名の女声コーラス『コール・ウイズユー』。「気球に乗ってどこまでも」を楽しそうに歌われる。
続いて叔母の所属する『椿の会』。曲目は「見上げてごらん夜の星を」「花のまわりで」「翼をください」の三曲。贔屓目でなく上手かった。男声、女声ともに澄んだ伸びやかな声で歌っておられた。なかなかやるものだな、と感心しながら聴く。その後、『四つ葉会合唱団』『桂若草合唱団』『ドリーム混声コーラス』が歌を披露され、最後は全員合唱「今日の日はさようなら」で終わる。なかなか楽しい2時間であった。合唱の楽しさを改めて感じた合唱祭であった。
コンサートホールを出て、歩く事にする。植物園が近くなので、そこを横切って鴨川河畔に出ることにする。時間は4時で、閉園時間までまだ1時間あるので、園内をぶらぶら歩く。梅が綺麗に花を付けていた。新聞にも出ていた節分草の前には、二重にロープが張ってあった。こっそり盗掘する不心得者がいるのだ。節分草は、素朴でちょっと可憐な草であった。鴨川に出、そのまま四条まで歩いてしまう。寺町の電機店街で、ちょっと買い物をして帰宅する。

【3月1日】
今日は、卒業式の日。天気は、回復する。日向では温かく、日影では少し寒い。久しぶりにスーツを着る(普段は、ブレザーにスラックスなので)。ちょっときつくなっている。式は10時から。受付は1時間前から、特設のテントでスタンバイする。すでに、卒業生達は、各教室に入っている。やがて、保護者の来校。クラブ関係の在校生や、昨年の卒業生達が花束など準備してやって来る。
「粛々」と、式は進行する。放送部の生徒二人の答辞には、つい聞き惚れてしまう。「ベストフレンド」を卒業歌として斉唱して、式は終わる。拍手に送られて卒業生は退場する。外では、ブラスバンドの演奏が行われ、クラブの後輩や、昨年の卒業生達が出迎える。体育館の前が賑やかな広場になる。あちらこちらに、記念撮影をする生徒達の姿がある。やがて、卒業生たちは教室に入り、保護者達も各教室へ移る。残った教員と、卒業式に参加した生徒達で、会場の後片づけが行われる。体育館の中は、先ほどまで数百人の人間が居た余韻か、ほんのりと暖かい。
卒業生達が帰った学校は、変に間延びしたような雰囲気になる。こんな時、教室に行くとまだ人の気配だけが残っていて、奇妙な空間に入り込んだような気持ちになる。学校とは、不思議な場所だ。
夜、ミューズのレッスンに行く。「レクイエム」「アニュスデイ」「サンクトウス」の3曲を練習する。まだまだ、というところだ。ちなみに、団員は予定の250人がほぼ集まったらしい。