日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【18年2月5日】



今朝のカーポートの屋根の様子。試しに写真を貼り付けてみたが、うまく貼り付けられればと思う。
夜の間に降った雪が、30センチくらい積もっている。湿雪なので、結構重い雪になっている。カーポートの屋根から少し雪を取り除いた方が良いかもしれない。
本日の吟行会はこの雪のため欠席とする。吟行地が出雲の方だったので、こちらよりも雪は多いだろうと思う。

昨日のコンクール、大健闘という結果に終わった。会場で、苦労様と声をかける。
松江からの帰りは、猛吹雪に襲われる。車を運転していても、ほとんど10メートル先が見えないような状態となる。信号機を見上げても、雪にかすれて色の判断がしづらいような有様であった。スピードをうんと落として、慎重の上にも慎重に運転して帰る。ホワイトアウトというのは、あんなことをいうのかと思う。

沖縄の市長選は自・公・維新推薦の候補が当選。基地建設は一気に進むことになるだろう。沖縄も、いっそのこと(もう遅いかもしれないけれど)、基地建設反対ではなく、基地の本土移設を前面に押し出して、それを日本政府に要求してもいいように思う。かつて基地を引き受けても良いという地方自治体もあったのではないか。そもそも基地反対闘争は、沖縄への米軍基地一極集中の改善としての反対運動であったはずだ。反米的な運動がそれに乗っかっている部分はあるにしても、基地反対闘争は反安保とはそもそも性格の異なるもののように思われる。基地負担と基地があることによって被る危険性をこそ本土に大きく割譲すべきだろうと思われる。
もっともそうなると、核燃料処理場設置問題と同様の事態がきっと生じるだろうとは思うけれど。そんな事態を避ける意味でも、沖縄は二重にも三重にも負担を強いられているということなのだろう。

午前中は、快晴。午後になって、また雪がちらつき始めた。
昨日は立春。大友家持の歌ではないが、立春の雪はめでたいものということがあるようだ。豊富な水が、秋の実りの予祝的な意味合いをもつのだろうかと思う。お正月の雨と同様の意味合いで。
何か良いことがあればと、心から思う。

【18年2月3日】

引き続き、ノートパッドでの書き込み。こんな有様で、2月が始まった。本日は、節分。恵方巻は夕食代わりになるので買ってきたけれど、肝心の福豆を買い忘れていた。うっかりであるが、ちょっと買いに出る気力に欠けるところがある。ピーナッツで代用とするわけにはいかないだろうけれど……。
チェーホフの代表的な戯曲14編を読むことができた。最後は、「桜の園」だったけれど、様々な思いが交錯するような内容で、単純に「喜劇」などと銘打たれたものとはずいぶんとそぐわない作品だった。しかし、面白かった。
天気は午後に入って急激に悪化してきた。明日は雪ということらしいが、積雪は勘弁願いたいと思う。明日は、松江までコンクールを聴きに行く事になっているので、ぜひ降雪程度でおさまってほしいと思う。明後日は、吟行句会が予定されてあるけれど、天候の具合から参加は難しいような気がする。
沖縄の市長選は、与党の推薦する人物が選出されれば、交付金を出すというようなことになっているらしい。それって、あらかじめ票を金で買うということに等しいことではないかと思ってしまう。交付金がほしければ、与党候補に投票しろ、ということではないか。それは、買収行為とどれほど違いのあることなのだろうか、と正直呆れる。選挙に勝つためなら、なんでもするということなのか。
なんとも奇妙な気がする。。
米国では、小型核兵器の開発が本気で行われるらしい。核兵器を削減、あるいは廃絶の方向に向けるのではなく、核兵器をより簡便に使いやすくする為の研究・開発らしい。いずれ、小型核がどこかの戦場で、あるいは紛争地区で使われることがあるとしたら、それはいいようもなくおぞましいことのように思われる。
どこかで、何かが狂っているのではないか。

【18年1月31日】

とりあえず、ノートパッドでの書き込み。こんな有様で、1月も終わろうとしている。
波郷を読んだり、チェーホフを読んだりの一日。「ワーニャ叔父さん」は、最後の部分でかなり胸打たれた。暗い救いの乏しい話の中で、ただヒロインソーニャの言葉にほんの少し切ないような励ましを感じたりもしたものだ。
ときおり小雪がちらつくものの概ね良い天気だった。夕方には、雪の残る畑地を横目に、40分ほど「歩き」もできた。
皆既月食の今夜は、全天に雲がかかって、残念ながら月食を見ることができない。明日は、曇り、遅くには雪も降り出しそうな天気らしい。
日本海側の冬と言えばこんなもの、ということはあるけれど、ただ、ここ数年の中で一番寒いのは確かだ。夏が暑いと冬は寒いというのは本当らしい。
背景色を少しかえてみようと思うが、はたして上手くいくことやら……。
全く、面倒くさい。

【18年1月30日】

ホームページ作成ソフトが壊れてしまった。
乏しい知識をもとに、ノートパッドに直接書き入れているけれど不便この上ない。
なんとかしなければと思うのだけれど、いまのところ致し方ない。
新しくソフトを買うにも、結構な値段であるし。
無料のHTMLエディターは、なんとも使い勝手が悪そうだ。
困ってしまう。

【18年1月26日】

相変わらず、晴れたかと思うと、突然の吹雪状態で、「歩き」に出ても、慌てて自宅へ引き返すようなそんな有様である。
気温は、さすがに1.5度くらいはあるらしい。
明日くらいまでは、こんな天気が続くようで、じっと耐えるしかないという思いになる。

チェーホフの戯曲選集を読む。
文庫本で戯曲数編を読んだことはあるけれど、今回改めて短い笑劇も含めて読み直してみて、実は少々気分が重くなっている。
喜劇の方は、それなりに中産(あるいは有産とか没落有産とかいうのだろうか)階級の人間の滑稽な生態を暴き出すみたいな内容で、単純に笑えるものが多いけれど、本格的な数幕ものの劇になると、全体に退廃と虚無とニヒリズムという色合いが濃く感じられて、チェーホフってこんな重く暗く鬱陶しい内容だっただろうかと、昔の読書の記憶を思い起こしてみたくなるほどだった。
結局、かってチェーホフを読んでいたのは10代から20代始めの時期だったので、実は彼が描こうとしていた中産階級の生の倦怠劇みたいなものがまるで理解出来ていなかったのだろう、ということだと思われた。
もう少し、というか、かなりセンチメンタルな心情を反映させて、当時読んでいたのかもしれない。

太宰治についても、若い時期に読んだときと、年を経て読み直してみたときには、その印象がずいぶん違うという話を聞いたことはあるのだが、高校時代太宰の作品を次々に読んでいた時期があるわが身としては、改めて太宰治を読み直したときどのような感想を持つだろうか、ということがちょっと興味がないわけではない。
ただ、読書の時間を太宰に割り当てる余裕がいまのところないのが実情ではあるが……。

本白根山の噴火のさい、自衛官が民間人を身を挺して庇ったという話題が、フェイスブックを通じて拡散し、某国会議員を含めて多くの人の賞賛を得たということがあった。
ところが、本日になって読売新聞がその真相を明らかにしたことにより、先の美談が実は事実と異なった部分があることが明らかになった。
実際には、自衛官で一人死亡された方は、部下の自衛官を庇って噴石を身体に受け、その後亡くなられたということだ。
部下のために身を挺して亡くなられたその自衛官のかたに哀悼の意を捧げたい。

と同時に、最初に広まった民間人云々のニュースが、拡散された時期にすでに指摘されてもいた某大型掲示板に掲載された匿名の書き込みによる「うわさ話」程度の内容が元で、事実とは異なっていたいうことが明らかにもなったわけだ。
これをしもフェイクニュースとまでは言い切れないが、民間人を守った自衛官ということで、賞賛の声をあげた人々のその多くの賞賛自体が、実は間違った事実に対してのものであったということで、宙に浮くような始末となってしまった。
災害派遣で活躍する自衛官の姿を親しくマスコミを通じて見聞し、今回も又と思っていたその思いが、少々肩すかしをくらったような気がしたものだ。

事実は時に、そうあってほしい、あるいはそうであるべきだという思いによって曲げられることがあるように思う。
自然な人情としてそうである時もあれば、その人情を逆に利用して意図的にことを曲げようとするそれこそ悪質なフェイクニュースまで、様々なレベルでの誤報というものがあるようだ。
ネット上においては、そのことがごく簡便になされ、ごく簡単に拡散されていく。
ネット上の情報が、必ずしも事実を反映し、真実を伝えているわけではない、ということを改めて反省的に思う。


【18年1月25日】

木曜日7時からの「プレバト」は面白いので見ている。
俳句査定は言うまでもないが、消しゴム判子も面白い。
担任していた子に、消しゴム判子で仏像を精密に彫り上げる人がいて、その作品の見事さに感動した覚えがある。
記念に、似顔絵を消しゴム判子で彫ってもらったけれど、今でも大切に持っている。
紹介したい気もないではないが、それはやめておこうかとも思う。
顔の横に「見はべりぬ」とセリフが彫ってある。
よほど印象に残った言葉なのかと思う。
同窓会には参加してくれることと思う。
再会が楽しみである。
なつかしくも個性的な人物のひとりではあった。

結社の投句を七句。
今月作ったのは、この句を含めて10句くらいだった。
なんとも、停滞しているな、と我ながら思う。

波郷研究の方は、ほぼ毎日全集を少しずつ読んではノートにまとめている。
波郷の考え方や、俳句に対する思いなどが、時代との関わりの中で少しずつ浮かび上がってくるような感触が楽しい。
3月くらいから、実際に原稿を書き始めようかと思う。いまは、そのための材料を少しずつ集めている段階。

気温は低いけれど、思ったほどには雪が降らなくてありがたい。
今日は、なんとか最高気温が1度を超えたようだ。
雪が猛烈に降る瞬間もあるけれど、日が差すと結構暖かい。
北向きの窓のわずかな隙間から、雪が強風のせいで吹き込んでくるので、目張りのつもりで、マスキングテープを活用している。
貼りやすく、剥がしやすいということで、しかもそれなりに粘着性もあるので、隙間風と雪の侵入に効果がありそうだ。
今後、冬の必須アイテムの一つになりそうな気がする。

夜になって気温がぐっと下がると、道路が凍みて恐ろしい。
昨日も、夕方車で迎えに出て、信号機の手前の道路で、信号が黄色に変わるので踏んだブレーキが全く利かなくて、そのままずるずると赤信号の交差点に入り込み、抜け出た辺りでようやく停まった。
地吹雪のような状態の中を走っていたので、もちろんスピードはうんと抑えて走っていたつもりだったが、こんなことになろうとは。
道路上を、スケートでもするように滑らかに車が滑って行く。
初めての経験である。
クロスする道路に車が一台もなかったことが幸いして、追突事故は免れた。
ブレーキを強く踏むとスピンすることは明らかだったので、やんわり踏み込みながら交差点を通過した。
不思議に慌てることもなく、左右の状況も奇妙なぐらい冷静に確認している自分に驚いた。
よっぽどせっぱ詰まった挙げ句のことなのだろうと、今にして思う。
凍み道は本当に本当に恐ろしいと思う。


【18年1月23日】

朝から強い風が吹いている。
ときおり青空がのぞく状態なので、雨雪ともにまだ降り出してはいないけれど、北西方向から雪雲らしき雲の塊が徐々に移動してきているようで、いずれ雪が降り始めることだろうと思う。

とりあえず、歩けるうちにと「歩き」に出たが、風の強さを実感する。
特に帰りは風に真向かう形になるので、歩くのに本当に力が必要になる。
じわっと汗ばむような状態で帰宅することになる。
相当疲れた。

テレビを点けると、草津白根山が噴火したという。
スキーシーズン真っ最中の火山噴火ということで、スキー客にも被害が出ているらしい。
天変地異というのは、ほんとうにいつどこに発生するか分からない、ということを改めて思う。

西部邁氏のことを思いながら、ある俳人のことを思いだしてもいた。
その方は、関西俳壇の中でも独自の地位を占める有力俳人であったけれど、冬の琵琶湖で入水自殺をされた。
その前に、奥様を亡くされ、一人で暮らされるという時期があったらしいことも含めて、西部氏との共通点をふと思ったのだった。

西部氏は、あきらかに自らの生死を自らの意志のもとに決定するための覚悟の自殺ということであるようで、その点某氏の自死の理由まではわからないけれど、自らの生き死にの問題というものをどう考えていくのか、ということを自分自身思わざるを得ないような心境にもなったことだ。

どう生きるのか、ということから、どのようにして死を迎えるのか、というある種の発想の転換を求められる時期にいずれ達するのではないか、と思う。

などと思っていたら、同窓会開催の葉書が到来した。
27年前に担任した生徒達からの同窓会の案内状だった。
10年以上前に、大病からの回復期に一度同窓会に参加したきりだったので、その後の姿をさらすべく、出席することにした。
「発想の転換」は、もう少し後回しとすることにしよう……。


【18年1月21日】

西部邁氏が亡くなった。
自殺ということだった。
考え方に受け入れがたい処はあったけれど、現在のようにネットゴロ的ウヨクが大きな顔をしている中で、きちんと芯のある筋を通した姿があって、大変興味深い人物であった。
自死を選ばれたということが、大変残念であった。




秋のさかり、たわわに実っていた柿は、その後収穫されることも、野鳥の餌になることもなく、地に落ちちらばっていた。
渋柿ではあったようだが、もったいないような思いであった。
これもまた腐っていずれ肥料として循環することにはなるのだろうけれども。


【18年1月20日】

好天の一日。
夕方、水鳥公園へ出かける。


    

日没の情景。
汀のベンチに腰掛けて、30分くらい、ぼんやりと眼前の情景を眺めていた。
水辺に棲みついているヌートリアが、岸沿いに泳いでゆく姿をしばらく目で追ったりもする。
平和で穏やかな情景である。





河野太郎の発言について、なんとなくもやもやとしたものがあったけれど、今朝そのもやもやの正体に気付いた。
政策の実効性を人の死の量によって計るということの、おぞましい側面に対する嫌悪感だった。


【18年1月19日】

暖かい一日。
午前中は、歯医者。午後は、実家に顔出しをしたり、歩いたり、少し本を読んだりして過ごす。
大相撲は、とうとう横綱が一人になってしまったし。
地元関係の力士達(モンゴル人力士が多いのだけれど)の活躍もいまひとつだし……。
少々、気持ちに張りを失っているのかもしれない、とふと思う。
「老人性鬱」?? などと。

河野太郎外相の、「漂着船も経済制裁の成果」という趣旨の発言には、正直どきりとするものがあった。
そこまで言っていいのか、と思う。
冬の日本海に粗末な装備で出漁し、遭難し、死亡し、その亡骸を載せた船が日本海沿岸に流れ着く。
漁師が民間人なのか、軍人なのかは知らないけれど、いずれにしても、経済制裁によって困窮した国家の犠牲になって、現実にその国の人間が死亡しているのに、それを一つの政策の成功として世界に誇らかに発信する人間の神経が、わからない。


【18年1月17日】

「ムーミン谷」はどこにるのか、ということが話題になっているらしいけれど、そもそも現実には存在しない世界を話題にしているので、その舞台を特定すること自体は実は妙な話のような気が個人的にする。さらに「ニルス」にしろ「バイキング」にしろ、いずれも「ムーミン」同様、現実には存在しない虚構の世界での話なのだから、その舞台を現実のどこと置定することは、妙な話のような気がする。
とすれば、そもそもそのような問題を設問として出題した入試センターに問題があるのかと言えば、別にそのようにも思われない。
別に入試センターの肩を持つ気は毛頭無いけれど、ただ、問題を問題の枠内で考えた場合に、指示された物語と関係が深い国はどこか、という程度の関連性を問われているということなのだろうと思われる。(もともと現実には存在しない「ムーミン谷」とか「鳥に乗って旅を続ける世界」などあり得ない設定の現実性を求めることが、少々ピントはずれのような気がしないでもない。ただ、今回「ムーミン」ばかりが問題とされ、それと同程度に荒唐無稽な「ニルス」が問題として上がっていないのは、おそらく単に認知度の違い程度なのだろう)。
その上で、その国の言語の特徴から消去法的に答えを導き出すという、どこかの予備校の講師の方がやってみせた解答法で、問題はごく普通に正答へと導き出せるということも、十分了解できた。
たしかに、地理分野の問題としては、記憶力以上に論理的整合性を求めたり、そもそも解答の糸口を記憶力ではなく、各自の知識と論理力に求めている点が、次期の新入試問題に対応した特徴をはっきりと打ち出している点で、受験生には多少の困惑をもたらしたのかもしれないけれど。
ただ、「地理」というものを地政学的な広い見地から捉え直そうとする意識の反映のように思われて、ちょっと興味深い出題だと思われた。

それにしても、こんなことが結構大々的に取り上げられるとは、「阪大」の問題の後とはいえ、太平楽な世の中だとつくづく思う。
ネットが情報の質を確実に低下させてきていることの、一面かなとも思われる。
トランプ大統領ではないけれど、超下品な言い方をすれば、「味噌も糞も」同一レベルのものとして、取り上げられる奇妙な情報化社会の公平と平等の様相を、つくづく感じるということなのかもしれない。


【18年1月16日】

室内にいるより、外にいる方がなんとなく暖かいような気がする。
終日曇りだったとはいえ、道路上の雪はほとんど融けてしまった。
畑の雪は、なかなか消えないから、厳冬の雰囲気は残っているけれど、これで一段落ということになるのだろうと思う。
しばらくは、降雪の気懸かりはなさそうである。
次に寒気が来るのは、1月下旬くらいになるのだろうか。
今日は、大山の気温も氷点下ではなかったらしい。
せっかく積もったスキー場の雪が、少しずつ融けているようだ。
そちらの方は、雪が融けてもらっては困るということだ。

男二人の付添で、母の通院。
予想以上に早く診察が終了したので、いつも通り院内のパン屋でパンを買って帰る。
男が二人だと、ひとりが付き添い、その間に一人が車を取りに行く等、いろいろ分担が出来て、なかなか便利である。

早い昼食をとろうと、店を検索して出かけるが、どの店もどの店もお休みだったり、臨時休業だったりして、結局食事をとることが出来ず、帰宅することになる。
偶然なのだろうが、行く店行く店閉まっているというのは、なんとも不運な火曜日ということだったのだろうか。
全国的に月曜日が理髪店の休業日ということは知っているが、地元の飲食店が火曜日休業が多いということは、今回初めて知ったことだった。
出かけていった先の境港の町の特例だったのだろうか……。
時期が時期だけに、観光客の来店も見込まれず、お休みにしたという店もあったのだろうか。
わからない。

実家と自宅を往復しつつ、なにをするでもなく過ごしているうちに、もう夕方になってしまう。
いつもの生活のペースが違うので、なんとなく調子が狂ってしまう。

実家から、三色スミレの苗をもらう。裏庭の方に植え付けておく。
この時期に外に直植えして大丈夫だろうかと思ったので、簡単な防寒屋根風な、ちょっと温室風なものを作って、植えた苗の周辺を包み囲むようにする。
そもそも三色スミレは強いとのことなので、そんなことをする必要はないのかもしれないけれど、念のためという気分でやってみることにする。
かえって、枯らしてしまったりしたらほとんど喜劇に近い悲劇ではあるのだけれど。
日差しのことも少々気懸かりではある。
 


【18年1月15日】

九州から兄が来ている。
郷里に引っ越す際、わざわざ手伝いに来てもらって以来のことなので、4年ぶりということになる。
九州は雪が降りはしたけれど、積もってはいなかったので、こちらに来て驚いたようだった。

初日には、ネットとスマホ関係のことで、大変お世話になって、終日そのことに当たってもらったりもした。
昨日は、雪の残る中墓参り、その後遅い昼食は地元の美味しい蕎麦屋さんでわりご蕎麦をごちそうする。
こちらもお相伴に預かったけれど、いつもの事ながら、大変美味しい。
本日は、買い物がてら、地元の有名な回転寿司屋で昼食。
あれこれ取り混ぜて、ずいぶん沢山食べた。
いずれも美味。
魚が新鮮でうまいとは、兄の感想。

あと二日、こちらで過ごす。
明日は母の通院に兄と二人で付き添うこととする。

今日は、暖かくて過ごしやすい一日だった。
少し食べ過ぎなので、朝夕二回「歩き」に出かけたりもしたが、大変快適であった。
明日も寒くはないようだが、天気は下り坂ということだった。

この間、ほとんど読書はなし。
歌仙の捌きを少しする。
モニターのバイトは1件のみ。
残り3ヶ月のモニターのバイトなのだが、依頼の分量が少なくなってきているような気がする。
4年間続けてきたこれも、3月で完全にうち切る事にする。
 


【18年1月11日】

本日、真冬日。
終日、氷点下を上回ることがなかった。
現在は、氷点下2度。
明日朝は、氷点下3度まで下がると予想している。
昨年、市内の水道管があちこちで破裂という惨状の二の舞を踏まないことを願う。

夕方、甥を迎えに車で出かけたが、日没後のせいもあってか、路面はすでに凍結。
ときおり、ハンドルをとられる状態で、2車線の道路ものろのろ走行状態となる。
明日の朝は、通勤もそうとう厳しい状況になるだろうか、と思う。

生活自体は相変わらずで、一日読書。
ただ、さすがにコタツに入ってという状態となる。
ともかく、寒い。
以前のように、指が霜焼けにならないように注意はしているのだが、指先がきーんと冷たいのは、なかなか厳しい。

夜に入って、エアコンを使用。
今季の冬は、寒さがきつい。
夏暑く、冬寒いというのも、温暖化現象の特徴の一つらしいけれど、大変困る。

コタツに入りながら、『夜の寝覚』を読み始める。
文章が整っていて、読みやすい。
文意がとれないという『濱松中納言』のような状態は、今のところはない。
『濱松』においては、注釈者の困惑が、解説の文に露骨に表れていて、頼むよと思いつつも、そうとう気の毒な思いも感じていたのだが……。
さて、この恋物語はどうなっていくのだろうか、と思う。

波郷、チェーホフ、論語などを本日は読む。

昨夜、『君の名は』を見る。
大ヒットをしたアニメ映画だったけれど、なるほど面白かった。
というのか、なるほどこういう映画だったのか、とちょっと感心したりもした。
時間のパラドックスというか、ジャンル的には多次元宇宙物ということになるのだろうが、あちらこちらに日本の古典文学の味わいを取り込んでいたり、画像がやたらにきれいだったりもして、そういう準備立てを大変楽しむことが出来た。
でも、時間パラドックス物語としては、標準作というレベルではあろうと思われたけれど。
主人公達が、もろ泪を流す場面をみて、日本人って手放しで泣きたいと思っているのではないのか、などとちょっと思う。

 


【18年1月10日】

午前中は、ぱらつく程度の雪が、昼前からかなり強く降り出し始めた。
屋根も道路もみるみる白くなっていく。
午後からは、夜にかけてずっと雪という予報なので、このままの状態で降り続いたら、今季初の本格的な積雪ということになるかもしれない。
気温も、朝方より下がって、現在1度ほどのようだ。
明日以降、3日間は最低気温は氷点下になるらしいし、最高気温も2〜3度という、なんとも寒々とした状態になってしまう。
夕方になっても、雪はやまない。
気温は0度ということなので、夜の間に氷点下に下がることだろう。
明日の朝は、道路は凍みた雪でがりがりという状態になりそうだ。
一気に真冬、という状態である。

昨年は、寒さのあまり市内の水道管が数カ所にわたり破裂してしまって、水圧が足らず、半日水の出が悪くなったことがあったけれど、あの状態はできれば避けたい。
水道管自体がずいぶん老朽化しているので、水道管破裂の事故は、今年もおこりそうな気はするのだが……。

『濱松中納言』本日読了する。
なんとなく、中途半端な終わり方のような気がして、少々気持ちが良くないけれど、あれで終わりらしい。
読了後、解説文を読んでいると、なかなかユニークな作品らしいということが紹介してあった。
夢占い、あるいは夢自体の重視ということが繰り返し語られてあった。
夢の解釈、あるいは主人公の見た夢自体が、物語を先に進めるポイントになっていて、それがこの物語の特徴らしい。
とはいえ、いわゆる「夢落ち」というのとは、様相が違っているらしいので、その点はちょっと興味を引かれたことだ。

読み終えて、さて次は何にチャレンジ?しようかと考え、当時『源氏物語』についで評価の高かった物語『夜の寝覚』を読むことにする。
『論語』はなかなか読み進めず。
図書館で借りてきた『ホトトギス雑詠選集』春の部は読了。
岸本尚毅が解説を担当していたけれど、今一つ。
大岡信詩集『丘のうなじ』も読み始めるが、果たして読み終えることができるか、かなりおぼつかない。
言葉の感触が、砂糖のたっぷりはいっているケーキのようで、その甘さ(悪い意味での「甘さ」、いわゆる「甘っちょろい」というのとはまるで違うのだが)に果たして耐えうるか、という感覚。
石田波郷は、句集『春嵐』読了。作品については、波郷自身が、解説を簡潔に尽くしているという印象。
でも、わりと面白かった。
『胸形変』に対する批評について、作品で感想を詠っているけれど、どんな批評だったのか、知りたいと思う。
「ホトトギス」系統だったら、相当な物言いになったのではないか、などと憶測を深くする。

南北朝鮮の会談が終了したらしい。
北朝鮮の外交手腕が、十全に発揮された会議だったようで、核を含む武力を誇示しつつも、現実的には外交による交渉でしか事態を切り開く力をもたない弱小国の、生き残り戦略の図太さのようなものを見せつけられたような思いになる。
日本の政府もマスコミも、北朝鮮はオリンピックを政治利用したとか、話半分とかいろいろ非難しているけれど、そんなことは「はなから」分かっていることで、それを改めて時間とエネルギーを使ってやいのやいのと口をそろえて糾合している姿は、おそらく滑稽以外のなにものでもないのだろう、と情報素人ですら思う。
 


【18年1月8日】

終日、雨。
寒い。
午前中の頭の状態の良い時間帯に、波郷の句集『雨覆』を読了。
気になる点などを、ノートに書き留めておく。
パソコンに入力しようかとも思ったのだけれど、とりあえず手書きのメモとしてまとめておくことにする。
手書きという作業が明らかに激減しているので、それに対する危惧の思いもある。
漢字なども、書かなければどんどん忘れていってしまいそうだ。

午前中は、あとは『濱松中納言物語』を読む。
普段は7ページくらい読めるのが、今日は調子がいまひとつで4ページくらいで読みさす。
春宮の女性に対する執着心と廉恥心の欠如(これは現代人の感覚からなのだろうが)に少々呆れるところがある。
しかし、おそらく将来の天皇として、女性に対するそれほどの強い思いというものも、王者としての資質のひとつ的な好意的な感情が背景にあるのかもしれない……。

午後は、『論語』。ただ、読み始めてから30分ぐらいして、ひどく眠くなってきたので40分ほど昼寝。
最初は床が冷たくて、震えるような状態で横になっていたが、やがて体温で暖まるとともに、いつの間にか眠り込んでいた。
起床後は、『論語』の続きを読む。

書斎がひどく寒いので、実家から譲ってもらったホットカーペットというのを使ってみる。
床に敷いて、半分だけ電源をいれてあぐらをかくようにして坐り、そこで読書。
一番弱い状態にして使ってみたけれど、なんとなくお尻の下がほわっとした暖かさで、悪くない。
そのままの姿勢で、図書館から借りてきた『チェーホフ選集』を読む。
夕方まで読んで、本日は終了。

買い物に出かける。
昨日は、財布を忘れて買い物をしていて、ウエストポーチに念のためにいれてあったお札でなんとかレジで支払いが出来て助かった。
今日は、ちゃんと財布が入っていることを確かめて、買い物をする。
前で支払いをしているおじさんが、小銭をいちまいづつ丁寧に財布から取りだしては小銭受けに並べ、いったん支払いを済ます気配になって、さらに思い出したように追加の小銭を取り出すという挙動にでて、かなりいらつく。
並んでいる人間がいるのだから、自分のペースだけでことを運ぶなよ!と内心思う。

夜、昼間ほど寒く感じないのはなぜだろうか。
 


【18年1月6日】

土曜日、特に予定を設けないで過ごす一日。

新年になって再開した連句の捌きに時間を取って後、借りていた本を返却しに市内の図書館へ。
三連休初日の土曜日ということもあったのか、図書館は大盛況の状態で、あんなに沢山の人が図書館に来ているのを初めて見た。
こんなに読書に興味を持つ人がいたのか、と改めて感心する。
7冊ほど本を借りて図書館を出、本だけを車に残して、ときおり小雨のぱらつく市内をしばらく歩くことにする。

駅前の繁華な町並みから、1本通りを中にはいると、古い商都の町並みの雰囲気がわずかに残っていたりして、そんな細い路地をぶらぶら歩く。
町並みの中には、無人の家やほぼ廃屋状態の家屋などもあって、町の衰亡ということをちょっと実感したりもする。
路地奥で、ほとんど倒壊状態の住宅に行き会って、しばらくその屋の前を動けなかった。
市の中心地にも、こんな状況が生まれているのだと思う。

商店街の一角に小さな古本屋があるので、そこに向かう。
ふと思い立って立ち寄っても、閉店状態であることがほとんどなので、今回も無理かなと思ったのだけれど、さいわい開いていた。
本の品揃えはほとんど変わっていないように見えたけれど、それでも数冊興味を引かれるものがあった。
ただ、全体に高価だったので、芭蕉関係の本を1冊だけ購入して、あとは本棚にならぶ本の背表紙を見て楽しむことにした。

帰宅後、昼食を済ませて、テレビを少し見る。
ウイーンフィルのニューイヤーコンサート関連の特別番組をやっていたのでしばらく見る。
お正月の恒例行事の一つとして毎年楽しんで視聴している、ウイーンフィルのニューイヤーコンサートが、元々はナチスドイツと深い関係があったと知って、大変驚いた。
そもそも、そのコンサートはナチス支配下のスイスにおいて、市民懐柔策の一環として、企画されたものらしい。
音楽による人心操作という側面があった。
やむなくとはいえ、ウイーンフィルはそのナチスの占領政策に協力をすることとなったらしい。
しかも、現在のウイーンフィルはその事実を隠すことなく、学友会館内の一画に展示スペースを設けて、過去の歴史を市民に公開している。
当時のウイーンフィルにおいて、11人のユダヤ人演奏者が追放され、うち7人が収容所等において死亡したという。
そんな自らのオケの暗黒の歴史を、正面から受け止め、公に公示する姿勢は、十分立派な態度といってよいのだろう。
コンサートを指揮するバーンスタインの姿も映し出されたけれど、そういえば彼も又、ユダヤ人の一人だったということを思い出した。
団員の一人の語る、事実は事実として受け止め、さらに歴史として学ぶ、という言葉は、とても重いものを持っていると思う。
それにしても、自らにとって不愉快な歴史は知ろうともせず、あるいは隠そうとし、さらにはねつ造として「ないもの」とするような、そんな姿勢の対極にある姿だと思う。

 


【18年1月5日】

午前中、歯医者。
被せた部分の歯が一部欠けたということで、あらたに被せを作ることになる。
治療や型どりのために、1時間くらい横になったり、起きたりを繰り返す。
こまめにうがいをするのはいいのだが、少々腰が痛くなってくる。

午後、予報に反して快晴。
日差しが暖かい。
思わず、「歩き」に出かけ、1時間半くらい歩いて来る。
速歩していると、少々汗ばむくらいの陽気だった。

帰宅後、読書。
明日返却する本があるので、それを読んでしまう。
夕方までかかって読了。
明日は、図書館に出かけ、ついでに天気が悪くなければ、市内を少し歩いてこようと思う。

ネットを利用して、「確定申告書」を作る。
さすがに5年目になると、だいたい要領も分かる。
必要な書類等も事前に準備しておいて、1時間くらいで作成。
医療費なども、細かく記入しておく。
「確定申告」は必ずすべきであるということは退職時に聴いていたけれど、確かに様々な便宜からもその通りだと納得する。
申告は、2月からだけれど、準備はこれで終了。

正月中に増えた体重を、1キロ回復する。
この調子で、もう1キロとりあえず落とさねば、と思う。
できれば、さらにもう1キロ、今月中に落とせればラッキーなのだが、それはなかなか難しそうだ……。

株価がこの2日で1000円近く上昇している。
マネーゲームとはいえ、少々異常な感じがする。
外国人ディーラーの草刈り場になっているらしいけれど。

 


【18年1月3日】

新年三日目。
朝、霰がふるが、その後は天気は回復する。
寒い。

特に何もせず、過ごす。
『猿蓑』は読了する。
夕方、水鳥公園へ。1時間くらい、汀から湖面と空とを眺めていた。
その時の写真4枚。

      
 
4枚目の灯りの灯る横長の建物は、野鳥の観察施設。
3枚目にも小さく写っているが、その時はまだ室内の灯りは落とされていたようだ。
なお、1枚目の写真は、初詣に行った粟島神社の山頂部。公園からの遠望。
携帯のカメラなので、どうしても画質に限界あり。
残念……。

 


【18年1月2日】

新年二日目。
時折キツネ雨が降る程度で、青空が広がり、気温は低いけれど、雲の間から射す日差しは暖かくて、窓のカーテンは開けた状態にしておく。

波郷の文章を書く都合で、芭蕉の『猿蓑』をネットから拾い、紙データーにして、読む。
春夏秋冬四季別の発句集的な部分と、歌仙、そして文章という3部構成的になっている。
なかなか面白い。
いわゆる貞門・談林俳諧が、庶民生活を機知・諧謔の衣装をまとわせて詠い上げたのに対し、芭蕉一派は庶民生活を広くその実態に即して正面から詠い上げたとして、その典型例を『猿蓑』としたという内容の文章を読んだことがあるけれど、その認識が妥当であったとして、その線で考えた場合、波郷の目指した俳句と直線的に繋がる部分があって、その確認として『猿蓑』は読んでおく必要があった。
読み進めてみると、なるほどと思われる部分が多かったので、これは文章をまとめる場合の材料の一つになりそうだと思われた。

私小説作家の葛西善蔵の作品に関しても、材料の一つになりそうな点があり、これもいずれ葛西の作品を読んでみなければと思う。
今年は、色々と文章を読むことが必要になりそうだ。

ちなみに、1日には初詣に近所の結構有名な神社に出かけ、お神籤の結果は「大吉」ということで、心強い思いになった。

年末の紅白の視聴率の結果が出たようだ。40パーセントを切れていて、過去3番目の低視聴率だったらしい。
司会者の評判も良かったみたいだし、話題の人達が出演したりとかで、視聴率が50パーセントを超えるのではないか、という下馬評もあったようだけれど、結果は真逆なものとなってしまった。
色々工夫もしたりして、頑張っているような姿も感じられたので、その結果は少々気の毒なような気もしないではなかった。
スタッフの人たちも、相当気落ちしているのではないか、などと勝手に想像する。

 


【18年1月1日】

2018年が始まった。
朝方は、小雨。
新年の雨は、その年の豊作を予祝する縁起の良いものだという。
その後は、曇り時々晴。
寒さはさほどではない。
山陰地方としては、「中くらいなり」のお正月。
と思っていたら、また雨が降り始めたようだけれど。

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

☆歳旦三つ物(さいたんみつもの)☆

 寶船とは響きよき言葉かな  (たからぶねとはひびきよきことばかな)
   目にも彩なる数の子の金  (めにもあやなるかずのこのきん)
  遠鳴きの狗百犬を導きて   (とおなきのいぬひゃっけんをみちびきて)
 
年賀状にも使った「歳旦三つ物」を載せさせてもらいました。
連句の発句・脇句・第三の三つの句で構成され、新年を言祝ぐものです。