日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【17年11月30日】

11月も終わる。
メールが入って、所属結社の連載ものの原稿提出の催促だった。
気にしながらも、いつの間にか、すっかり失念していた。
ともかく書かねばと思い、大谷弘至編の『小林一茶』について、書くことにする。
その心積もりだけは、ずいぶん前からあったので、2時間ほどかけて、1600字弱の文章を書き上げ、メール添付で担当者に送る。

一応の責任は果たしたということになるのだろうが、果たして内容的にどうであろうか、という点が少々気懸かりではある。
『小林一茶』は、大変面白い読みものなので、その魅力の一端でも紹介できたらうれしい。

夜、合唱練習。12月の本番まで残り半月、練習回数にして、数回というところにまで来ている。
全体をざっとさらえたけれど、細部に不安がかなり残る。
数ヶ月歌っていなかった曲もあったりして、それはなかなか厳しい部分がある。

同人誌で長い間休刊していた『鼎座』を出そうと思う。
昨日のことで、若干気分が落ち込み気味になりそうなので、逆に発憤する材料として、この機会を活かすことにした。
年内発行は難しいので、来年早い時期にということになりそうだ。

20年以上続いた句会が終了して、関係の薄くなりそうな丹後との繋がりを、この機会に再度結びなおせないか、などとも考えたりする。

 


【17年11月29日】

定期検診の日。
ちょっと気懸かりなことがあったけれど、予想通りあまり良くない結果がでた。
なんとなく、どこかで油断をしていたのだろうな、と思う。
ふたたび、調整生活に入らなければならない。
そうでなくても、加齢というマイナス条件がくっついているので、一層気を付けなければ、と思う。
少々、気落ちしてしまったことだ。

明日で11月も終わる。
 


【17年11月26日】

昨日は、快晴。
本日は、朝から冷たい雨。
明日は、天気予報では天気は回復するらしい。
日替わり天気である。

朝が寒いので、目は覚めているのだが、布団から出るのはずいぶん遅い。
最近は、7時台はBS3チャンネルの番組を見るというふうに、習慣づけられてしまったので、適当に布団の中で番組を見て、適当に起き出す。
起き出して、天気が悪くなければ、朝食後は「歩き」、悪天の場合はそのまま読書の方に移る。

昨日は好天だったので、食事の後、「歩き」に出かける。
大山の雪は、少し麓の方に下ってきているようだ。
中腹斜面にある3つのスキー場は、いずれも樹林帯から雪で白く抜けて見える。
スキー場開きは12月に入ってからだろうけれど、このままでいけば、雪が積もった状態で今年のスキー場は開業できることになるだろう。

土曜日午後は地元の句会があり、市内へと出かける。
ここ2回ほど、京都行きと重なったため欠席が続いているので、「お久しぶり」などと声をかけられると、はあ……と返事を返してほかはない。
句会が始まるまでにはずいぶん時間があるので、会場を抜けて、近所の知り合いのところへ出かけ、そこでしばらく話をしたりする。
地元の寂れた状態について、なんとかならないものだろうか、などと話し合う。
相手は、地元の商工会のメンバーのひとりでもある。
自営業ということもあって、話しぶりの中に、地元企業の置かれた状況の厳しさや先行きに対する危機感と諦観が相半ばするような印象を持つ。
実際、店内から眺める表通りを歩く人影の少なさに、地方都市の置かれた状態をつくづく思ったりもする。

定刻に句会開始。
結果は相変わらずだけれど、数句面白い句に出会う。
ホトトギス調ではあるが、表現や切り口などが面白いと感じる。

夕方帰宅。
昼の短さを感じる。

夜、浅酌。
胃が少々痛む。

横になって、一方の側に身を傾けると痛みが強まる。
かなり胃が荒れているのかもしれない、と思う。

岩城先生に電話する。
丹後の俳句大会に選者として出かけておられるらしい。
23日の鴨川吟行のことなど、少しお話する。
投句一覧を後日送っていただくこととなった。

 


【17年11月24日】

終日、雨が降ったり、日が差したりの日和。
丹後にいた頃は、このような天気の変化を「うらにし」とよんでいた。
地元では、特別の呼び名はない。
ただ、本格的な冬の到来の予感をひしひし感じるということだ。

勤労感謝の日は、恒例の鴨川吟行句会。
諸般の都合で参加できなかったけれど、夕方参加された方にメールを送り、様子を教えていただく。
10名ほどの参加ということだったけれど、参加メンバーはなかなか面白そうな方達であった。
作品も併せて数句紹介していただいたけれど、これもなかなか個性溢れるものばかりであった。
地元で主流の「ホトトギス」風の日常詠とは違う流れの作品群で、面白かった。
果たして、来年こそは参加出来るだろうか、と思う。

吟行不参加の予定の空白を埋める形で、合唱団のクリスマスコンサートに急遽参加することになった。
百貨店の5階吹き抜けのホールに、特設ステージを構えてのコンサート。
市内の音楽団体数グループが参加する。
30分ほどのステージを2回行う。
買い物がてらの方達を中心に、80名あまりの方達が視聴してくださる。
クリスマスソングに、「メサイア」「第九」などを交えて歌う。
これはこれで、結構楽しかった。
手作りの赤い蝶ネクタイというのを初めて着ける。
女性の花のコサージュを含め、団員50人分くらいを若い方がたった一人で用意されたという。
感心する。

夜に入って、気温が下がったようだ。
指先が冷たいので、室内で手袋、という状態である。
指先だけではなく、体感がずいぶん違ってくるように感じられる。

 


【17年11月22日】
 
寒い一日。
1時間ほど歩き、その後、参加出来ない京都での吟行会に欠席投句という形で参加するため、5句考える。

昼は実家で昼食をいただく。
東京の叔母が明日帰る。のんびり過ごせたとのこと。

金子兜太の評論集を少し読んだ程度で、午後寒いのと眠いのとで、長い昼寝。
夕方になって目が覚める。

夜、明日の本番の直前レッスンが市内で持たれる。
ほぼフルメンバーの参加となり、わりといい感じで練習を進める事ができたように思われる。
明日のイベント参加が、ちょっと楽しみになる。

森友に関する会計検査院の結果出る。
所詮、その程度の結果という印象しか持てない。
行政機構の不備・不正をただす機関は今の日本には存在しないということなのだろう。
その程度の「美しい国」ということ。

北朝鮮のミサイルが誤って墜落した場合を想定しての訓練が、雲仙で行われたらしい。
いずれ日本中で、同様の訓練が行われることになるのだろうか。
単なる政治的アピールではなく、やるなら本気でやってみたらよい。
日本中のあちらこちらで、落っこちてきたはずの見えないミサイルを想定しての大がかりな訓練をすべきであろう。
まず、四大都市こそがそれをおこなうべき、という気がするけれど。
きっと、しないだろうな……。
事前・事後の準備・処理が大変だから……。
その程度の「美しい国」。

レッスンから帰って、遅い時間だったけれど、浅酌。
地元の米焼酎を少し飲む。
なかなか味わい深い。
焼酎の名前が「ぬりかべ」。
「千代むすび酒造」の酒である。
「げげげの鬼太郎」に登場する妖怪のひとつに由来するする名前。
四角い瓶に入った焼酎である。
瓶の形も「ぬりかべ」風ということなのだろう。
美味しい上に、面白い。
「美しい国」もこのようであるのならば、と思う。


【17年11月19日】
 
終日、晴と雨とが入れ替わる不安定な天気。
山陰の冬らしい一日だった。
とうとう大山の五合目、標高800メートル辺りまで雪がやって来ている。
里の方まで、雪が降りてくるのもさほど遠い時期でもないような気がする。
今日の最高気温は9度、最低気温は8度だったので、ほとんど気温の変化はなかった。
室内にいても、かなり寒さを感じる。
部屋の温度はそれでも12度くらいだったので、暖房は使わなかったけれど、部屋の中の家具に指が触れたりするとひやりと冷たい。

番組のモニターを1本書き、『太陽』の与謝蕪村特集をちらちら見るくらいで、あとはテレビを見たり、実家の方に顔出ししたり、買い物を引き受けて出かけたりと、そんな風で一日が終わる。

連句をまた始めたので、その捌きなどもちょっとこなす。
質問が入ったので、結構丁寧に解答して掲示板に記入する。
結社の投句7句を書いて、投函する。

ぼっと過ごしていたようで、意外とこまごまと何かやっていたことが、こうやって書き出してみると実感出来る。

夕食は、実家でごちそうになる予定。
昨夜は合唱の練習。
明日も、練習が入っているはず。
京都行きが無理と言うことになってしまったので、参加する予定に無かった合唱の公演に加わることとなる。
23日、本番。2回公演らしい。
そのための詰めた練習。
なかなか難しい曲があって、23日の演奏会は少々不安ではある。


【17年11月18日】
 
警察に捕まる。
速度違反ということだった。
制限時速40キロの農道を56キロ出して走っていて、ねずみ取りに引っかかってしまった。
16キロオーバーで減点1点、罰則金12000円。
即座に、国庫に納める。

30年近くゴールドだった免許証も、次回の更新でブルーに変わる。

自業自得とはいえ、どこか釈然としないものが残る。
気分的に言えば、「チョー、ムカツク!」という感じ。

23日の京都行きは、諸般の都合で行けなくなってしまった。
鴨川吟行会の日で、ここ数年参加していなかったので、今年はと思っていたのだが、ちょっと無理になってしまった。
3週連続で京都に出かけていたのだが、今月はもうどこにも出かける用はない。

金子兜太の評論集『定住漂泊』を読み始める。
その考え方に共感する部分が多い。
我ながら意外な思いである。
その生命思想とか、無の感覚など、分かるような気がする。
しかし、ずいぶん難解な文章ではある。
俳論というより、哲学書のような感触が強い。

昨日までの快晴が、今日は一転して朝から雨。
冷たい雨である。
明日は、平野部でも初雪になるかもしれない、とのこと。
今年は、冬の到来が早いような気がする。
夏が暑いと、冬は厳しいというようなことがあったのではないか、とも思う。


【17年11月16日】
 
 

柿の木には、その木ごとに実り年のようなものがあるのだろうけれど、写真の木も、そんな実り年に当たったものなのかもしれない。
たわわというにはそのたっぷりとしたボリュームは、枝をしならせてほとんど地面に届くぐらいの状態になっている。
「歩き」の途中でみかけた情景。
おそらく渋柿かと思うけれど、このまま収穫されることもなく、放置されることになるだろうなと想像される。
甘柿でもあれば、野鳥の餌にもなるだろうけれど、渋柿の場合は、干し柿にでもしなければ、なかなか食用として活かされることはないように思う。
かつて、収穫もされ、皮を剥いて、吊し並べるという手間はかかったとしても、干し柿として重宝されたときもあったのではないか、と思われる。
それほど、みごとな実りの様だった。

放置されるのはもったいないな、と思いつつも、さすがに他人様の畑の脇に植えられた柿の木であるだけに、横目にみて通過するほかはない。
せめて、その豊穣のさまを写真に撮らせていただいた。
ちなみに、地面は土ではなく砂。
この土地が砂嘴の上にあるので、細かい砂が土壌の基となっている。

夜のうちにぱらりと小雨が降ったようだけれど、日中は良い天気。
日差しもある。
しかし、寒い。
今日の最高気温は11度ほどまでしか上がらないらしい。
実際、室内にいてもどこかひんやりした中に身を置いている感触。

金子兜太のエッセイ(というのか、俳人黒田杏子氏のインタビューを書き起こしたものであった)読了。
金子氏の人間力とでもいうものに、大変興味をひかれた。
さらに、巻末の自選99句を読んで、その中のずいぶん多くの句を聞き知っていた(とはいえ、それが金子氏の作という意識はほとんどなかった)ことが、少々驚きではあった。
もうしばらく、金子氏の文章を探しては読んでみようと言う思いになっている。

東京の叔母。
今日は、実家の方で一休み。
昨日の大山の紅葉ツアーも、やや時期遅しという点はあったけれど、雨の予報のあったにもかかわらず快晴で、気持ちよく楽しむことができたらしい。
天気には恵まれるタイプ、なのかもしれない。

テレビは、相撲報道が不愉快で、昼間はほとんど見ない。
夜も、お気楽な番組を見る程度。


【17年11月14日】

M氏が亡くなられたとの葉書をいただいた。
賀状欠礼の連絡の葉書だった。
同じ分掌の上司として一年、その後そのまま管理職へと昇進されて同じ職場で合計3年間を過ごす。
上司として、本当に信頼できる方であった。
まだまだ亡くなられるような年齢ではないと思う。
こちらが退職して以後も、年賀状による応答だけは続いていた。
毎春、年賀状をいただくごとに、在職時のことを貴重なこととして思い出していた。
大変残念である。

東京から叔母が高校時代の同窓会で来鳥。
地元の高校を卒業して、一度は地元に就職したけれど、数ヶ月後東京に職を移したということだった。
卒業してすでに60年余りの時が過ぎて、今回地元での同窓会が計画されたそうだ。
何人参加するのかは、会場に行ってみなければわからないらしい。
同じく東京在住の方と3人連れだって、飛行機でやって来る。
飛行機は苦手だということだが、今回は連れがあったので、思い切って飛行機を使ったそうだ。
幸い天気も良くて、快適なフライトだったらしい。

空港まで車で迎えに出かけ、3人を乗せて市内のホテルまで。
車中での話の中で、3人のうち2人が、私の同級生が主人を務める創業120余年を迎える写真館に勤めた経験があることを知り、急遽写真館に立ち寄ることにする。
実は、主人とはこれで3日連続会うことになるのだが、今回は案内役という立場で。

主人のおじいさんの代の時、一人は高校の夏休みのアルバイトで、もうひとり(叔母なのだが)は卒業後住み込みの社員としてこの写真館にお世話になったという。
せっかくということで、3人で記念写真を写してもらうことになって、立派な撮影スタジオで3人並んで写真を写してもらう。
楽しそうである。
久しぶりの同窓会での帰省の思いで作りに一役かうことができたかな、などと思う。

同窓会メンバーは、明日は大山に紅葉見物に向かうらしい。
すでに冠雪をみた山なので、紅葉も盛りをすぎているかもしれない。
まず、天気が保つことを願う。

夕方、1時間ほど歩く。
その後、帰宅、浅酌。
少々疲れ気味である。


【17年11月13日】

日曜日。
本を送ってくださった茨木さんにお礼状を出す。
夕方、知人達と飲み会。
車が使えないので、自宅から25分ほど歩いて、畑地のただ中のJR駅まで行き、市内に出る。
駅前の居酒屋で歓談。
愉快に過ごす。

帰りも、JRを使う。
列車を降りて、ずいぶん冷え込んだ野道を歩いて帰る。
市内に出かける際、夕景の大山の稜線辺りが白くなっているのに気がついていた。
恐らく、今季の初冠雪と言うことになるのではないかと思っていた。
駅舎を出て、ほとんど街灯のない道を帰る。
星空が頭上に広がっていて、ときどき見上げながら帰る。

月曜日。
午後から市内へ。
昨日一緒に飲んだ人と、別の知人の書道作品を見に美術館まで。
会場で、思いもしなかった共通の知人の作品が出展されてあるのに気付いて、驚きもし感心したりもする。
昨日、飲み会を誘ったのだけれど、ちょうど別の町での歌会に参加していて、来られなかった人。
書もやっているらしいことは、以前に聞いたことはあった。
同行の人が携帯で電話を入れる。
久しぶりのやりとりらしく、会場の外で電話しているのを、しばらく待つ。
同じ所で複数の絵画展もやっていたので、それも見てまわった。
結構面白い。

同行の人は、今夜の高速バスで東京へ帰るので、まだ時間的に余裕があり、車と言うこともあって、少し遠出をして、日本海を見がてら、昔住んでいた家を案内することにする。
30年近くたっているけれど、自宅そのものはまだ残っているので、外からその様子を見たりする。
近所の人に買い取られたまま、人が住まない状態でおかれてあるので、中の方のずいぶん荒れていることだろうと思う。
かつて自分の部屋であった二階の窓を見上げたりもする。

市内に引き返し、いつもの喫茶店に入ってしばらく話をする。
猫好きの人なので、死んでしまった飼い猫のことや、近所で世話をしている三毛猫の話などを聞く。
三毛に雄がほとんどいないという事なども、改めて聞く。
三毛猫が、猫の種類を表している訳でもないということも知る。
ほとんど雄猫がいないのに、何故三毛猫が滅びないのか、了解することができた。
三毛猫は「三毛猫」という一種族のように思いこんでいたので……。

車で自宅まで送り、そのまま帰宅する。
しばらくしてメールが入る。
今日のお礼。
返信する。


【17年11月11日】

送っていただいた本を読む。
茨木和生著『右城暮石の百句』、読了。
茨木氏は関西の俳句結社『運河』の主宰。その方の師である右城暮石氏の百句選とその鑑賞文章。
師弟の交わりというものを深く感じる一冊だった。

中村興二氏『絵解きの楽しみ』。
図像学とは違う、文字通り絵巻の絵画部分の詳細な分析とその解釈。
こういう内容の本は、初めて読んだので興味津々である。
ただ、ちょっと気になったのは、絵巻の作者より以上に絵巻の作成を依頼した発注者の意識がどのようなものだったのかという点。
パトロンということになるのだろうから、絵画の持つこまやかな意味性も、パトロンの意識に対する文字通り「忖度」的部分が、絵画の質や内容に影響を及ぼしているような気がするので……。
中村氏は、直接の面識はないのだけれど、関西の俳句の勉強会の会員さんの関係者の方ということ。

今日は終日寒かった。
実家の方では、そろそろ灯油を買っておこうかとの話。
うちは、灯油関係は一切使わないので、とりあえず着ているものを1枚増やそうか、などと思う。

庭のアメリカハナミズキは完全に落葉。ヤマボウシは紅葉真っ最中。まもなく落葉を始めそうだ。
モミジも紅葉が始まる。
ちょっと遅いのではないか、という気もするが。
薔薇は、花は終わったけれど、山茶花の垣の上に茎だけはぐんと伸ばしている。
金木犀は青葉を茂らせている。花期終了後も、ずいぶん元気なままである。
とはいえ、少しずつ冬に近づいている実感がある。


【17年11月9日】



「歩き」の途中で見かけた情景。
以前も紹介したことがあったけれど、個人の菜園の周囲の囲い。
ずらりとデコレーションされてあるのだけれど、今回はハロウィンバージョンということで、さらにパワーアップされた状態のようだ。
夕方に撮したのだけれど、夜になると昼間の太陽光蓄電の発光で、あちらこちらが輝いて、そちらもなかなか綺麗だ。

ネットで小物類を一山幾らという事で購入して飾っているということだったけれど、多彩な上にレイアウトにも凝っていて、見ていて楽しい。

一時曇天にもなったけれど、午後はおおむね快晴。
気温が低い。
今日は、室内でもフリースの上着をきて過ごした。
山陰地方はこの先気温が低いらしい。
来週は、降雪の可能性もありそう、ということだ。
すでに立冬を過ぎているとはいえ、今年の本格的な冬も到来は早いのだろうか。
また、いろいろ寒さに対処しなければならない季節が近づいている。

金子兜太のエッセイを読み続ける。
なかなか豪快で繊細で面白い人物であると思う。もう百歳近い年齢になっているのではないだろうか。
そのパワフルな生きざまは、すごいなと思う。


【17年11月8日】

土曜日。高速バスで京都へ。
駐車場は結局満員で入れず、駅前の地下駐車場に停めおくことにする。
駐車料金が上限ありということで、事前に調べておいたもの。
とはいえ、2日駐車で3000円は痛い(高速バス用の駐車場は2日で1000円)。
昼過ぎに京都着。そのまま、二条城近くの会場へ。
大学時代のサークルのOB会。
去年は、会場の関係で欠席したけれど、今年は京都市内で参加できた。
京割烹の店。
味はそこそこ。
12人ほど集まり、。楽しく歓談。
久しぶりに同期3人が出会えた(そもそも、3人しかいなかったのだが)。
宴終了後、メンバーは南禅寺の方に行くことになったけれど、私は荷物もあるので別行動、今夜泊めてもらうことになっている知人の家へ向かう。
予定よりかなり早い時間にお邪魔することになる。
とりあえず荷物を置かせていただいて、以前住んでいたマンション周辺(18年間そこで暮らしていたのだが)をぶらぶら歩いてみる。
大きなマンションが2棟建設中ということで、大変驚く。
また、周囲の住宅の玄関に「民泊反対」のビラがたくさん貼ってあることにも驚く。
京都市内からは外れた地域であるのに、どうやら不法民泊(不法ばかりではないようだが)があちこちで行われているらしい。
外国からのお客を呼び込むことも大切なことなのかも知れないけれど、その陰で町の平安が損なわれつつあるようで、何となく落ち着かない。
お金もうけはそれなりに大切だろうけれど、そればかりに走ることが、果たして「美しい日本」のあるべき姿なのか、少々疑問ではある。
兵器を外国に売りつけるとか、カジノの胴元として稼ぐとか、なんとなく品位に欠ける卑しさのようなものが、そこに感じられてしまう。
夜は、知人宅で、美味しい夕食をいただく。
ちょうど、室内のリフォームが終わったばかりということで、部屋の中はとても素敵な具合に仕上がっていた。
新しい家というのは、やはり気分がよいものだ。
マンション内のゲスト・ルームに宿泊。
日曜日。
所属結社の吟行句会参加のために京都駅へ。
バスをチャーターして、岩舟寺・浄瑠璃寺へ向かう。
お寺も周辺の石仏も見所が多い地域だった。
ただ、予定のコースが台風21号の影響で未だ閉鎖状態で、コース変更による時間ロスのため、一番の目的地だった浄瑠璃寺は正味20分ほど。
九体仏を見学する時間がなかった。
さらに、もう少し素朴なお寺かと思っていたので、ちょっとイメージが違っていたのがかなり残念ではあった。
有名な馬酔木も紅葉にもまだ早い状態だった。
加茂町まで移動し、句会。
50人弱の参加者で、ずいぶん活発な句会となった。
JRの電車の時間の関係で、早めに退席。
加茂駅から木津乗り換えで京都まで。
沿線の風景は、懐かしいものばかりだった。
京都駅着。
3連休最終日ということもあるのだろうけれど、京都駅の混雑状態は田舎暮らしの人間にはちょっと異常な感じを抱いてしまう程のありさまだ。
その群衆の中のひとりは自分自身であるにしても、あまりの人の多さに息苦しさをすらおぼえる。
夕方の高速バス乗車。
ところが、事故車輌のため名神が渋滞。
大阪に入るのにずいぶん時間のロスがあってかなりいらつく。
車を停めている駅前駐車場が0時から5時まで閉鎖になるので、それまでに駐車場に行かなければ、車を取り出せなくて、悲惨なことになってしまう。
宝塚以降は、ずいぶん流れが良くなったけれど、それまでに相当時間を食ってしまっている。
単純に計算すると、ぎりぎり0時前に着くか、着かないかという時間になりそうだった。
幸い、運転手さんの頑張り(相当頑張ったという印象があるのだが)もあって、少し余裕を持って米子着。
無事、車を取り出して帰宅する。
日付が変わっていた。
月曜日。
地元の句会。
かなり疲れていたので、行こうか、休もうか、しばらく考えたけれど、吟行場所が「鳥取花回廊」だったので、大山と紅葉を期待して出かけることにする。
10時過ぎに会場着。園内を2時間くらい自由に吟行して、その後句会。
結果は相変わらずだったけれど、「花回廊」内の紅葉と、深紅のサルビアのお花畑の美しさは圧巻だった。
間近に聳える伯耆富士、大山の深秋色の山体もまた見事なものだった。
風景を十分堪能する。
夜、合唱練習。
さすがにこれは中止しようかと思ったけれど、行けば楽しくなることはわかっていたので、出かける。
東京から指導者を迎え、12月のコンサートの追い込み練習。
気分良く歌う。
なんとなく元気をもらった気分で帰宅する。就寝。
夜中に目が覚める。
少々心臓に違和感を感じる。
なんとなく気味が悪くて、階下に降り、血圧計で血圧を測ってみる。
下の方の血圧が高い。
脈などは正常のようなので、寝室に戻り、静かに横になる。
やはり、少々無理があったようだ。
じっと横になっている。心臓に違和感は残っているけれど、いつのまにか就寝。
火曜日。
特に問題なく起床。
いつも通りの生活に戻る。
昼は、読書と「歩き」。
夕方、しばらくお休みしておられる合唱団のメンバーの所を訪問。
少しお話をしてくる。
体調が今一つと言うことで、12月の本番に向けて調整中とのこと。
貴重なバスのメンバーのひとりなので、回復を祈る。
夜は、今夜も合唱練習。
練習会場が、昔暮らしていた町の会館を利用。
昨夜と違い、細かい歌詞を追って歌わなくてはならなくて、目が非常に疲れる。
水曜日。
本日も昨日同様。
金子兜太のエッセイ、詩集1冊、『論語』、『濱松中納言物語』。
『風の谷のナウシカ 6』と、女流漫画化のエッセイ漫画もちょっと読む。こういうのも、市立図書館には所蔵されてあるので、ありがたい。
午後の「歩き」の途中で、雷雨に襲われる。
慌ててジョギング状態で帰宅。
夕方、モニターレポート1本。今月は、全部で6本の割り当てしかなくて、少々残念。
お礼状を1本書く。


【17年11月4日】
京都行き。
地元は、朝から雨模様である。
土曜日ということで、駐車場が空いているかどうか、気になる。
高速バス発着場の駐車場なら、割安で止めることが出来るけれど、それ以外の場所は2日止めると、4倍くらいの駐車料金がかかってしまう。

以前一度満車状態で慌てたことがあったけれど、その時はしばらく待っていたら1台出てきて、駐車することができた。
今回も空き待ちになるかもしれない。
早めにでることにしようと思う。

京都の紅葉は、これから本番。
週後半にも、もう一度京都に行かなければならないけれど、すでにいつもの宿は宿泊が難しい状態だった。
早朝出発の日帰りになりそうである。


【17年11月3日】



「歩き」の途中の景。
ニンジン畑。
すでにかなり大きく育っているようだ。
葱や煙草を終えて、人参の作付けを行う農家が、結構おられる。
サツマイモも、現在収穫の真っ最中というところ。
冬に向かう畑の一点景。

「にんじんの畑もじやもじやもじやもじやと」
という句を作ったことがあったのを思い出した。

某巨大政党は、莫大な資金力を背景に、ネット上での書き込みに対し、常時監視活動をおこなっているらしい。
問題のあるツイートやブログを発見すると、同じくアルバイトたちを動員して、誹謗中傷やら反論やらで埋め尽くすということを実行するようだ。
数ならびに言葉による暴力の典型なのかもしれないけれど。
書き込み1行8円という話もあるらしい。安いのか、高いのか……。
すでに、ネット監視社会のひな形が出来上がり、実働しているということなのだろう。
「美しい国」のお寒い現実……。

金子兜太の『荒凡夫一茶』読了。
一茶像以上に、筆者金子兜太像の方が、鮮明に、強烈に伝わってくるという印象。
とはいえ、大変面白いし、共感する部分も多かった。
本文中の「生きもの感覚」という表現は、「生命力感受」などと言い換えてみたいような思いになった。
「生きもの感覚」が志向する「原郷」という言葉に刺激されて、ふと宮崎アニメ『もののけ姫』の「もののけの森」の情景などが浮かんできたりもしたものだ。

改めて本棚を点検してみたら、同じく金子兜太の『定住漂泊』という評論集を見つけた。
『荒凡夫』の中にも紹介されたする本ではあるが、いつか読みたいと思って買っておいてそのままになっていたものらしい。
以前から、金子氏にはちょっと興味を持っていたようだ。

正岡子規が本当に影響を受けたのは、蕪村ではなく一茶であったという金子氏の主張が『荒凡夫』の中でなされていたけれど、大変興味ある指摘ではあるが、そのことについても詳しく触れてあるのだろうかと思う。

明日から京都行き。3週連続である。


【17年11月1日】

「鳥渡る流砂の研げるガラス片」
これは、所属している結社の会員さんの光部美千代さんが、創刊号に投稿されたという作品。
最近、結社の掲示板で見つけたもの。
「秋うらら海の磨けるガラス片」。
これは結社誌に最近投稿した私の句。
製作時期から言っても、光部さんの句の方が先行作品ということになる。
最近話題になっているシーグラスを素材とした作品ではあるが、ここまで典型的な類想・類句になってしまっているとは、我ながら驚きの思いが強い。

先行句があきらかな場合は、当然後続句は身を引くべきであり、今回の場合、私の方が作品を抹消すべきことになる。
投稿後とはいえ、選者がおそらく最初から選から弾かれることだろうから、結社誌の雑詠に載ることはないだろうと思う。
それにしても、結果としてこのような類想句を作ってしまったことは、やはりショックではある。

11月が始まった。
今日も終日快晴の一日であった。
夕方、上ってきた月が、青空を背景に、しらじらと輝いている情景は、なかなか素敵なものであった。

小林一茶「おらが春」読了。
文章も掲載されてあるのだが、それはしばらくおいておくことにして、句作品のほうを読み始める。
併せて、金子兜太の『荒凡夫一茶』も読み始める。
『荒凡夫一茶』とは、金子流に訳せば『自由人一茶』ということになるらしい。
一茶に対する金子氏の独自な解釈が、この先展開されていきそうで、楽しみである。