日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【17年10月31日】

台風一過後の、文字通り快晴の一日。
終日、紅葉の盛りであろう大山の姿が遠望された、そんな一日だった。
その分、朝はやや肌寒くもあったけれど。
やっと秋らしい天候に恵まれたのが、10月も終わろうとする時期であったというのは、今年の奇妙な天気を象徴することのように思われる。




午前中の読書を終えて、昼前の時間帯に「歩き」に出る。
日差しは強いけれど、暑くはないので、思ったよりも歩が進み、結局10000歩ほど歩く。
その途中、出会った景。
小学校の金網のフェンスにずらりと干された稲。
道路を隔てて校舎と反対側に、学校用の広い田圃があって、そこで栽培された稲が刈り取られて、校地の仕切のフェンスに干し並べられてあるのだろう。
写真はその一部で、左手延長先には学校の正門を挟んで、さらに塀が続き、そこにも稲が干されてある。
右手手前も同様で、さらに掛け稲が並べてあるのだが、それはフレームに納めきれなかった。
一体何俵分のお米が収穫されることになるのだろうか、とつくづく感心する。
いずれ学校給食に供されることになるのだろうが、さぞかし美味しいご飯になることだろうと思う。

この近くには、1カ所古代米である黒米を栽培していた田圃があったはずだが、今年はその実りの様子を確かめることはできなかった。
今年もきっと植え付けられていたことだろうと思う。

明日からは11月。
ここしばらくは好天が続きそうだ。
ありがたい。


【17年10月30日】

諸般の事情により、丹後での句会が土曜日をもって終了となった。
私個人は、「いさなご句会」そして「すき句会」と、丹後の地での句会に20数年間にわたり参加させていただいた。
もともと、仕事で丹後に赴任して、7年間をそこで過ごし、京都に転任して以降、それにつながるように、句会を通じて丹後の地と関係を持ち続けることができた。
個人的には、残念な思いもないわけではないが、このまま丹後との繋がりが切れるということもないだろう、との思いで今回の句会解散を受け止めている。
とはいえ、丹後もこれでまた遠い地のひとつになってしまったということなのかもしれない。
1年に1度でも、吟行会などが開催されれば、などと期待する。

日曜日。
京都市内での俳句の勉強会。
とはいえ、本日のテーマは、『ベビー・メタルと俳句』というずいぶん「ぶっ飛んだ」内容であった。
「ベビー・メタル」は日本人の女の子3人のヘビーメタルバンドの名称で、日本よりも外国の方で高い評価を受けて、逆輸入的に名前を知られていったバンドらしい。
とはいえ、なぜか私も以前からうっすらとその名と活動を知っていたのはどういうことなのだろうか、と我ながら訝しむところはある。
東京から講師を招き、会の会員さんの一人が熱烈な「ベビー・メタル」のファンであるということで、ずいぶん濃密濃厚な映像とお話の会となった。
何曲かまとめて「ベビー・メタル」の曲を聴き、その来歴やエピソードを聞いて、日本文化との親縁性やその上での俳句文芸との関わり合いなどについて、話し合いをもった。

とはいえ、俳句との連関性については、ちょっと難しい部分もあったりした。

今までの勉強会では取り上げられてこなかった異色の分野での話であり、その点大変刺激的なものではあった。
「ベビー・メタル」も、割と面白いグループだなという感想も同時に持ったものだった。
二次会の酒席も、ずいぶん盛り上がったものとなった。

先週、今週と台風の影響を気にしながらの京都行きではあったが、幸い今週は台風の影響はほとんど被らなかった。
ありがたいことだった。
来週も土日と京都行きという、3週連続のスケジュールとなり、いろいろ大変な部分もあるのだが、それはそれとしてなかなか楽しくもある。
来週は、京都在住時に行くことが出来なかった浄瑠璃寺への吟行会なども含まれていて、大変楽しみである。

月曜日は、晴天のもと高速バスで帰郷。
普段は4時間ほどかかるはずが、休憩時間の短縮や交通量の少なさ、落ち着いた天候と好条件が重なって、3時間半あまりで帰ってくることができた。
これは在来線・新幹線乗り継ぎで京都まででかける際にかかる時間とほとんど変わらない。
そのうえ料金は半分、乗り換えの必要もなし、ということでますます高速バスのありがたさを感じる。
とはいえ、一度事故や渋滞にひっかかったりすると最悪1時間以上時間が余計にかかってしまう、ということはあるのだが……。

選挙が終わったと思ったらもう、自民党から野党の質問時間を削減しようとの声があがっているらしい。
そもそも、現在の与党2野党8の時間配分は、当の自民党が野党であった時代、政権を取っていた民主党に要求し、実現したもの。
大勝して状況が変化したとたん、言い出しっぺ本人が前言の変更を言い出すとは。
「謙虚」な政治運営とは、少数者の意見を封じることを意味するものらしい。
質問時間が余って、挙げ句に「般若心経」を唱えだして顰蹙を買ったのは、当の自民党の議員であったことは過去の話ではない。
とはいえ、時間配分が大幅に自民党に与えられた時、自民党の(特に、今回質問時間の不足を主張したという若手の、おそらく以前「魔の2回生議員」と呼ばれた)議員が、どれほど実質のあるみっともなくない質問をしうるのか、という点を聞いてみたいような気もする。
そもそも本来の自民党は、党内での意見対立を隠さない、その対立をもまたパワーにする寛容と力量をもった政党であったはずなのだから……。


【17年10月26日】

小林一茶関係の本を読んでいる。
もともとは、結社誌にのせるはずの大谷弘至著『小林一茶』が面白くて、それが刺激になったということがある。
図書館から直接・間接に関係のありそうな数冊を借りてきて、同時進行的に読み進める。
岩波書店『蕪村集 一茶集』から。一茶の「父の終焉日記」(一茶の実父の看取りの日記)を読み終わり、句文集である「おらが春」へと読みすすむ。
一茶の文章は面白いと改めて思う。
併せて、金子兜太『荒凡夫 一茶』、高橋敏著『一茶の相続争い』(これは岩波新書)、さらに直接関係はないけれど八鍬友広著『闘いを記憶する百姓たち』(これは、一茶の相続問題に関わって、江戸時代の民間人における裁判関係の文書にまつわる内容)など。
時間を分けて読み進めているけれど、いずれもなかなか面白い。

漢文は『論語』、これも興味深い。
『濱松中納言物語』の方は、なかなか難渋する。
本文が、ちょこちょこ不正確あるいは誤写によって意味不明の部分があって、注釈の方も、その分ずいぶん本文解釈に難渋している様子がありありと反映した内容になっている。
意味が読みとれなくて、注釈のほうを見ると、本文の直接の訳の部分よりその補足的内容の部分の方が、数倍の長さだったりして、なんとか意味を繋ごうとする注釈者の苦労がひしひしと感じられる。
そうでなくても、現代人から見ると飛躍というのか、ニュアンスの省略というのか、それが多い文章のように思われる。
そんなことまで皆書かなくても読者はあたりまえのこととして了解する、という前提(当時の人たちにしてみれば当然のことなのかもしれないけれど)で書かれているようだ。
その省略された部分を、補って読む能力がこちらに乏しいということは、読みすすむにしてもなかなか辛いものがある。

そのうえ主人公の中納言の性格がよく分からない。
光源氏をモデルとしつつ、その表面的な性格をざっとなぞっているような、変な印象がある。
パターン化された、ちょっと厭世的な心情を抱えた色好みという感じである。
複雑な性格ということなのかもしれないけれど。
ともかく、このまま読みすすむしかない、と思う。


【17年10月24日】

22日。
京都の教育文化センターの1室をお借りしての講演会。
「岩城久治論ー「俳句型紙論」を中心に」。
台風が太平洋岸を通過中で、京都も暴風雨の中、40名あまりの方が参加してくださった。

会場に到着するまでに、名神が交通事故のため不通となり、神戸迂回で京都まで到着というハプニングがあったけれど、以後は順調に進んでいった。
岩城先生の講座の方達数人がボランティアとして会場の準備から受付、書籍販売まで担当してくださった。
講演は、当初投句された句稿評も含めて1時間半程度の予定であったが、こちらの方の不手際もあり、休憩無しの2時間通しの「型紙論」の話となってしまった。

沢山の人を前にしての話は、4年ぶりのことではあったけれど、思いの外気楽に自由に話せて、ありがたかった。
こちらの質問に答えていただくというような事も交えて話を進めたけれど、上手に応対していただき、それもありがたかった。
準備期間を2ヶ月として、用意をすすめてきたけれど、2時間の講演が終わってみると、とても良い刺激を受けたように思い、いつかまた機会があれば、このような時間を持てたらという気持ちにもなった。

翌日、帰宅。
台風の余波ということで、名神が一部不通になったままで、果たして高速バスが運行するだろうかという懸念はあったけれど、幸いバスは動き、迂回路を予定していた不通区間もバスが移動している間に復旧したようで、時間通り、快適に帰還することができた。
地元は晴時々曇りという天気で、思いの外寒かった。

この間に、私も年金の一部を受け取れる年齢となった。
今日は、早速市役所に必要書類をいただきにいき、事前に郵送されていた申請書類を完成して、投函する。
実際に支給されるのは、申請後数ヶ月ということらしいけれど、たいへんありがたいことだ。

これで従前からの生活が変わるということはないだろうけれど、少しだけ活動の幅を広げる助力を得たという気持ちになる。
関西との行き来ももう少し増えることになるかもしれない。

市役所に行ったあと、隣接する図書館で2ヶ月ぶりに本を借り、さらに真向かいの美術館で地元の方達の写真展と陶器展、ガラス細工展、さらに美術系短大の作品展をぐるりと見てまわった。
それぞれに楽しませていただいた。
ガラス細工展では、目をひいた作品の作者がたまたま来ておられて、しばらくお話をする機会を得た。
まさに美術の秋たけなわということなのだろうと、実感するひとときだった。

それにしても、少々眠い。
やはり疲れているのだろうか、とも思う。


【17年10月21日】

朝、雨。
現在は、曇り。風が出始めていて、時折小雨が混じる。
量が多くなかったので、洗濯物はそのまま部屋干しに。
エアコンの除湿をかけておく。
午前中で、バスタオルまで含めて、意外と乾きつつあるようだ。

明日の京都行き。
一度はいろいろと資料などを鞄に詰めたが、重いし、おそらく見ることはないだろうと判断して、ほとんどを置いておくことにする。
ともかく、会場に到着次第話を始めるということになるだろうから、着いた勢いで一気に話を進めることになるだろうし。
現物資料とする本と、カンパ用に会場で販売する本を詰める。これが、すごく重たくなってしまったので、3分の1くらい減らすことにする。
1冊ワンコイン500円くらいで買っていただけたら、次回のX氏の講演会のちょっとした足しにはなるのではないか、と思う。

『小林一茶』読了。
最後まで大変面白かった。
社会学の新知見なども上手に折り込まれた一茶像は、なかなか説得力をもつものであった。
大衆文化の反映を背景に、時代の先端を走った俳人のひとりとして、新しい一茶像が描き出されてあったように思う。
ただ、近代人の先駆的な印象を強調するためか、一茶の「自我」ということを持ち出していたけれど、その点は今一つ理解しずらい部分はあったように思う。
「自我」を引き合いに出すことは、少々後付的な印象を持つ。
そもそも「近代的自我」というものが、どのような実質をもつものなのか、よくわからないこともあるけれど。


【17年10月20日】

最近疲れ気味なのか、起床時間が7時を過ぎることが多くなっている。
日曜日は、7時50分の高速バスに乗車する予定なのだが、うっかり寝坊したりしないか、心配である。
というのか、超大型台風の影響で、京都に行き着くことができるのだろうか、などとも考える。
ましてや、翌日の23日に、果たして帰宅することができるのか、こちらの方はかなり危ないかもしれないと思う。
場合によっては、京都にもう1泊泊まることになるのかもしれない。
宿はどうしようか……。
とても困る。

それにしても、こんな時期に超大型の台風がやって来るとは、日本人の普段の行いになにか問題でもあるのだろうか。
あるいは、古代中国風の考え方で言えば、時の帝の悪政に対する天の警告、戒めが異常な気象となって現れるということだけれど、そちらの方かもしれない。
もっともその中国では、着々と権力の集中が行われ、集団指導体制とかいうものが、完全に形骸化してしまうであろうということらしいが。
どうやら、東アジア地域というのは、独裁的政治形態が好まれる風土的背景を持っているようだ。

朝遅かったせいで、一番に予約を取っていた歯医者に遅れそうになった。
定期検診ということであったが、レントゲンを撮られ、写真を写され、口腔内の細菌の顕微鏡写真をみせられたり、いろいろやられて疲れてしまった。
1時間強の検診時間。
保険適用外の検査なども含まれていて、かなりの出費となってしまった。
レントゲン写真、撮す必要があるのだろうか、などとちょっと思ったりもしたものだ。
それにしても、唾液の中に黴が生息しているとは(誰でもいるそうだけれど)、その生命力にあきれる。

天気予報によると明日は日中は良い天気になるらしい。
どこまで確定的な予報なのかわからないけれど、雨でないことは望む。
とはいえ、台風が急に足を速める可能性もあるらしいので、実際の所は明日になってみなければわからない。
洗濯をしなければならないのだが……。
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【17年10月18日】

今日はほぼ終日、講演会レジュメ準備。
ともかく、語りだしというか、つかみの部分が上手くいかなければ、その先の進行がスムースにいかないということは、経験上了解はしている。
とはいえ、それも数年前までの経験であり、そのブランクの大きさは、かなり不安感を醸成する。
なんども、レジュメの作り直しをするのも、シナリオ的なものを作ってみたりするのも、その不安感の現れなのだろう。
今回は、まずその最初の部分を組み立て直す。
講演会自体は楽しみな部分がありながらも、気持ちの面でかなりプレッシャーを感じているらしい。

結局、レジュメの一部を大幅に削除する。
こちらにあいまいな点が残る部分をばっさり切り捨てることにした。
その方が、結局しどろもどろになるリスクを回避するのに良いだろうと思う。
削った分、ダベリの余地が生まれ、その余地がリラックス効果をもたらすだろうとも思う。
どちらかといえば、雑談の方が得意だったし、マシでもあったしなあ、……。

などと、考えつつ、再度訂正したものをプリントアウト。明日、コンビニでコピーをとることにする。
かなり、疲れる。

結社誌に掲載するための紹介本を送っていただく。
「小林一茶」関係の新刊。
午前中、レジュメ改定に取りかかる前に、3分の1ほど読みすすむ。
なかなか面白い。
というか、ずいぶんと面白い。
刺激を受けて、一茶の作品や日記類、文章関係を読んでみたいという思いになった。
今は無理だけれど、時間を見て、是非読んでみたいものだ。
それくらい、面白い本だった。
一茶の句は一通り読んだことがあるけれど、その時の印象とはずいぶん違った一茶像が示されてあるようで、大変興味深くもあった。

とはいえ、まもなく岩城先生から送っていただいた石田波郷全集が到着するだろうし、それを来年2月くらいまでには読まなければならないので、一茶の方にまで手がまわるかどうかは、わからない。
目の調子が、ちょっと小康状態じみたことになっていて、老眼鏡をあらたに買って本を読むという状態でもないようなので、ありがたい。
眼精疲労が原因だったのだろうか。
普段は使ったこともない市販の安い目薬が、意外と効果を発揮しているみたいだ。
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【17年10月17日】

『十八史略』読了する。
上下2巻。
中国の神話時代から、元の興隆と南宋の滅亡までの歴史を骨太に語る内容。
骨太の分、こまかなエピソードは省略ないしは概説で済まされてしまったけれど……。
今年の1月4日に読み始めてから、10ヶ月かけて読み終わることができた。
歴史は繰り返すと言う言葉があるけれど、たしかに様々な振幅はあるにしても、歴史は繰り返しつつ、しかし少しずつ先へ先へとゆっくり進んでいるという感触のようなものを感じることができたような気分になる。
中国のその歴史の様々な断面の中に、今現在の日本の状況を彷彿とさせるような部分もあり、その点からも、まさに歴史は国境を越えて繰り返されるという気持ちにもなった。
ともかくも、読み終えて大変満足を感じた。
大学生の時、一夏をつかって、ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』を読み終えた時のことをふと思い出したりもした。
次は、『論語』を、断片的な読みではなく、全体を通して読み直すことにする。
楽しみである。

午前中は、犬の薬を貰いに市外の犬猫病院へでかけ、その足で母が入院している病院の方へまわる。
昨日の眼帯もとれて、今日は元気を取り戻しているようだった。
朝、ベットから眺めた雲の姿が面白かったと、手帳に書き付けた俳句を2句みせてくれた。
なかなか面白い句だった。
添削を頼まれたので、すこしだけ助言をした。
明日にはもう退院なので、その段取りを少し相談してから長居はせずということで帰る。

帰宅後は、講演会のレジュメの見直し作業と、プリントアウト。
A4版の用紙なので、2枚を併せてA3版の大きさの資料にするつもり。
プリントアウトの後、車で近所のコンビニに。
そこのコピー機を使って、A3版資料あわせて8枚を複写する。
出来上がったものは、もう一度点検の上、各80枚ずつコンビニのコピー機でさらに複写しなければならない。
640枚ものコピーを1軒のコンビニで許可してくれるものだろうか、と少々気懸かりではある。

コンビニから帰ると、郵便物。
「芭蕉顕彰俳句大会」の入選句の賞状が届いていた。
どこかに飾っておくことにする。
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【17年10月16日】

今日は母の二度目の入院の日。
朝から病院へと車で送る。
1度目と同じ手術なので、その要領も分かっている分だけ、こちらも気懸かりなく付き添える。

病室も同じ、ただベットの配置が前回とは異なり、奥まった場所になる。
その分、窓から外の景色が広く眺められる。
手術は午後遅くからなので、一たん帰宅することにする。
ついでに、帰りに市役所に立ち寄って、期日前投票を済ませる。
自分が立会人を務めた数日前に比べて、投票に来ている人の数は倍、ないしは3倍くらい増えている印象を持つ。
廊下に並ぶ列の後尾について、ゆるゆる投票所へと進み、忙しくしている投票事務の人たちの姿を見つつ、投票を済ませる。

帰宅して、昼食。
病院内のパン屋さんで買ってきたサンドイッチを食べる。
院内で調製しているせいか、なかなか美味しい。
午後、改めて付き添いに行くのだが、その際明日の朝の分のパンを買ってこようかと思う。
買い物半分の付き添いとは、なんとも呑気なものだとも思う。

昼食後、講演会のレジメの点検作業。誤字・脱字などを含めて、全体を読み直す。
関係資料についても、一通り見直す。
参加者は、地元新聞の紹介欄を見てということで、さらに10人くらい増えたらしい。

当日、私の句集や合同句集を販売する、というような話にもなってきた。
その売り上げは、次回の講演会の足しにしていただくということで話が決まったりもした。
京都では昼間は「時代祭」、夜には「鞍馬の火祭」、そして衆議院議員選挙の投票日。
そんな日が、講演会本番の日でもある。
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【17年10月14日】

庭での出来事。
そもそも、蜘蛛はにがてな昆虫なのだが、その蜘蛛が獲物を捕獲する様には、つい見入ってしまった。
身体の大きな雌蜘蛛が、もっぱら狩りにあたり、その近くに雌の何分の一も身体の小さな雄蜘蛛が、なにをするでもなくうろついている。
しかも、一つの巣にそんな雄蜘蛛が二匹いついているらしく、その姿は偉丈夫な雌と対照的だった。



ほとんど身体の大きさも変わらないくらいの黒い羽虫を、長い脚を上手に動かして、糸を巻き付けていき、しかも時折、獲物の身体をくるりと回転させて、虫の身体が糸を巻き取っていくように操作する様は、なかなか見事なものだった。
最後には、1本の糸の先にぐるぐる巻きにされた虫を垂らして、それを巣の真ん中の方へと、そろりそろりと移動させていく。
吊された虫の身体が、時折ふらりと揺れるのは、風のせいではなさそうだった。

土曜日。
フリーの一日ということで、「歩き」のあとは、子規選集11『子規の俳句分類』を読みすすむ。
近世の俳諧12万句を分類したという正岡子規の業績の一部を紹介した本ではあるが、読んでみるとずいぶんと面白い。
どうしようかと考えたけれど、これを使わない手はないと思って、講演のレジュメに「子規の俳句分類」1項目を追加することにした。
とはいえ、ごくごく概略を紹介する程度の内容ではあるのだけれど、岩城先生の『俳句型紙論』という、岩城先生流の俳句分類との方法的な対比が少しできるのではないかと思われた。
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【17年10月13日】

昨日の強い雨のせいで、庭の金木犀がほとんど散ってしまい、それが地面にうっすらと黄色い雪のように積もっている。
すでに匂いはまるでないけれど、光景としてはなかなか素敵なものだ。




金木犀の木の根方のほうに降り積もった状態の小花。
金木犀自体は、樹齢30年くらいになるのだろうか。
今年は、本当に沢山の花を付けて、香りも数日間、室内にいても楽しめるほどで、大変うれしかった。



横の紫陽花の葉の上にも、花びらが残っている。
背景のピンク色は、散った金木犀の花びらだ。
庭の相当奥まで、広がっている。

昨日は、終日選挙の期日前投票の立ち会い人を務める。
ほぼ12時間のお勤めで、途中昼食と、短い休憩があるだけで、あとは投票箱の置かれた部屋に詰めっぱなし状態となる。

とはいえ、普段自宅に籠もり気味の私にとっては、このように多くの人たちの出入りを見る機会はほとんどないので、目先の変化もあって時間の長さは全く気にならなかった。
これで、立会人は3度目になるけれど、毎回良い経験をしたと思えている。

選挙は序盤戦。
突然の解散劇で、ばたばたした点はあるのだろうけれど、これからが本番ということになるのだろう。

『十八史略』、宋王朝を私利私欲によって支配し、王朝衰亡の張本人の一人である宰相賈似道。
『十八史略』に登場する権力者の中でも卑劣で悪辣な筆頭格の人物と言ってよいかもしれないけれど、その最後はずいぶんとあっけないものだった。
そもそも、出陣を自らは忌避しつつ、そのためにいろいろと手をうった挙げ句、やむなく総帥として出陣となったものの、のろのろと出発を延ばし、さらにわざわざ遠回りして戦場に赴き、見方の兵士達の人心を把握することに失敗して、十三万人の自軍を総崩れさせた挙げ句に、国に逃げ帰るという醜態をさらす。
さすがに、その罪を問われ、位を下げ、地方官としての追放の途次、父の仇を報ずるべく機会をうかがっていた武将の手によって、厠において胸を叩きつぶされて死亡するという末路であった。
南宋の滅亡もすでに間近に迫っているようである。
あと二日くらいで、南宋は滅亡を迎え、ずいぶん長くかかった『十八史略』も読了となりそうだ。
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【17年10月9日】



土曜日。
日本海まで歩く。
砂浜から突き出る小さな突堤から、大山方面を遠望する。
弓なりの砂浜の果てに、雲に頂上部を隠された大山方面が望まれる。
緩やかに傾斜しながら日本海に沈んでいくのが、大山から延々延びる裾野である。

日本海は、好天のせいか、水が透き通って見える。
実際、水深2〜3メートルくらいまでは、海底が見通せる程の透明度だ。
波も穏やかで、風も弱くて、なかなか気持ちが良い。

ただ、画面に入っていない右手前方の砂浜で、地元の少年サッカーチームのメンバーらしい子供達70人ばかりが、砂浜を利用して、トレーニングをしていて、その声が少々やかましい。

日曜日は、地元の俳句大会。
100名くらいの方が参加される。
私は準備役員のはじっこあたりで、朝から夕方にかけて、当日の準備作業を担当する。
小中学生の投稿句の表彰式などもあって、保護者の見学や、当日欠席の息子・娘の代わりに表彰を受け取られる保護者の姿が、ほほえましい。

月曜日。
今日は、体育の日であったか。
晴の特異日ということで、日本中良い天気のようだ。
朝から洗濯をすませ、「歩き」で軽く汗をかいてから、午前中は読書。
岸上大作の『意思表示』を読了。
日記と、自死の直前にかいた絶筆にあたる「ぼくのためのノート」、そして吉本隆明の「岸上大作論」を読む。
岸上大作の死の真相は、わからない。
本人は自らの「恋と革命」の挫折をその理由として語っているような印象は持ったけれど。
吉本隆明もまた、ある意味、自らの必然的帰結として、その死を語っていたようには思う。

講演会の参加者は40名くらいになったらしい。
ちょうど、一クラス分くらいの人数だけれど、本当はその半分くらいでもちょっとしんどいかな、という気分ではあった。
投句作品も送られてくるようだ。
1人3句投句だから120句くらいにはなるのだろう、その入力と、選句作業をしなければならない。


【17年10月7日】



金木犀。黄色っぽくみえるのが、花芽。
終日の雨にも散ることなく、まもなく開花しそうな様子。
茂りの真ん中辺りがぽっかりと空いているようになっているのは、台風で太い枝だが1本、ぽきりと折れたあとだ。
折れた当初は、大穴が空いたようになっていたが、ここまで回復したようだ。

『意思表示』。俳句作品は読み終わり、評論の方に移った。
句は、個人的には大学生の時期の作品より、高校時代の作品の方が好みに合う。
なんとなく、自分自身の高校時代をふと思い出したりするような所もあり、共感を感じたりもした。
作品自体は、やはり大学時代の「恋と革命」の時期の作の方が、岸上大作らしく、また評価も高いようだが。
そういえば、「恋と革命」とくれば、太宰治の『斜陽』なども、ちょっと思い出したりもする。
ひとつの時代状況の中で、自らの生き方を真剣に問いただす姿が、感銘をもたらすようだ。

そう言えば、70年安保を背景とした『二十歳の原点』という、女子大生の日記が高校生である私たちの間に、流行のように読まれたことがあった。
学生運動を背景に、岸上大作同様に最後を自らの死でとじた女性の日記だった。
今にして思えば、生真面目で誠実な性格の持ち主が、時代の熱気に翻弄されたというような印象が残ってはいる。
ただ、なぜ彼女は自死を選んだのだろうという高校生の私たちの疑問に、「失恋したから」と(実際はもう少し生々しい発言ではあったけれど)さりげなく口にした同級生の女の子の言葉が、変に印象に残っている。
そういえば、その女の子の愛読書の中には太宰治が含まれていたことも思い出した。

それにしても、今日もまた雨降りである。
天気の回復は、明日に持ち越されたようだ。
こんな生活を送っていると、不思議にその日の天気というものが気になる。
同じような日々を繰り返している中で、天気はその日その日によって、様々な様相を見せてくれるということはどうやらあるらしい。
日の照り翳り、雲の動き、風の流れ。
読書の合間に、窓外に眼をやったりするとき、その細やかな変化が、感覚や思いに刺激を与えてくれる。
それは、おおむね心地よい。


【17年10月6日】

昨日は良い天気だったけれど、今日はうって変わって朝から雨。
終日、降り続きそうだ。
最高気温も、20度を割って19度どまりらしい。朝から、ひんやりとした湿った空気が室内でも感じられる。

金木犀が徐々に匂いはじめた。
昨日は、風向きも良いので、金木犀が咲く側の窓を開け、そこから風が二階全体に廻るように、奥まった部屋の窓を開けて、1本の風の道ができるようにした。
風の道は、また金木犀の匂いを各部屋に運ぶ匂いの道でもある、と一人悦に入ったりもする。
たしかに、夕方になるまで、2階にあがると、ほのかに金木犀の香りが漂っていた。

今日の雨が、花を落とさなければよいがと思う。
まだ完全には開花していないようなので、雨に打ち落とされる気遣いはないと思うけれども。

岸上大作の句集『意思表示』が届く。
アマゾンを書籍検索していて見つけたもの。
今回の資料用に早速購入したら、昨日意外と早く届いたので、早速読み始める。
60年安保を背景とした作品が有名だけれど、岩城先生との接点は作品的にはちょっと違う部分があるのかもしれないと思う。

1冊の中に、短歌作品以外の文章も収められていて、その中には自死の直前まで書き継がれた「ぼくのためのノート」なども含まれている。

昨夜は、合唱練習。ひさしぶりに『第九』を歌う。
これもコンサートの1曲。ありがたいことにこれは唯一知っている曲だったので、譜面をみるストレス(ともかく、老眼が進行し始めているようで細かい音符や歌詞がみずらくて、歌っているどころではないのだ)が全くなくてうれしい。

老眼とはいえ、練習会場の施設の方から、備え付けの各種度合いの老眼鏡をかけさせてもらったけれど、一番度の弱いものでも逆に文字が読めないので、果たしてこの状態で老眼鏡を使って良いものか、どうか考える。
老眼のことを「花眼」などと美しく呼んだりもするようだけれど、その響きに似ず、少々やっかいだなと思う。

選挙の立会人の連絡がくる。
終日のお仕事だけれど、ありがたい。
小池氏の「策士」ぶりが、マスコミの過剰報道を含めてウザイけれど、選挙自体は近年になくいかにも「選挙」という方向に動いているような気がする。

村上春樹氏は、今年もだめだった。
このまま、毎年候補に上げられつつも、結局ノーベル文学賞受賞はなかった、という顛末を迎えそうな予感すらする。
話題作りには一役も二役もかってくれてはいるけれど。
個人的には、私も若干「ハルキスト」的なところはあるので、もういい加減に受賞させて、すっきりさせろよ、という思いがないわけでもないが……。


【17年10月4日】

京都から越して来た年、金木犀の剪定に失敗して、その年ほとんど花が咲かないで、金木犀の良い香りを楽しむことができなかったということがあった。
さすがに4年目にもなると、今までの失敗の積み重ねを生かして、ことしは剪定も注意をはらっていた。
その成果が出たのか、ずいぶん沢山の花芽ができている。
まだ、香りを放つほどの状態にはなっていないけれど、今年は期待できそうに思われる。
昨年の台風で、ぽっきり折れた木の中心部の枝も、切り落とした後に新しい枝だが伸び始め、さらに周囲が葉を茂らせて、木の真ん中がすっぽりと空いていたその空間もかなり綺麗にふさがれたようになった。
花芽が開花するまで、あとしばらくだと思う。
楽しみである。
開花後、数日を待たないで香りは消えてしまうので、その点でも一層楽しみになってくる。

今日は、快晴。
風が少しあり、空気は肌寒さを感じさせるほどだ。
とうとう短パンをやめ、上着も長袖を着る。
朝早いうちに洗濯も終えて、午前中にはそうとう乾いてきている。
湿度の低い、秋らしい一日である。
とはいえ、すでに明日からは天気も下り坂、数日曇りや雨の日になりそうではある。
今夜は、中秋の名月であったか。
夜は、きれいに月が見えるだろうと思う。

そういえば、昨日は資料読みの関係で、正岡子規の小説『月の都』を読み直した。
子規が、小説家になるべく、自信満々に書き下ろした小説ではあった。
しかし、当時売れっ子だった幸田露伴(だったろうか)のもとへ持ち込んだところ、子規にとってさんざんな評価で、その結果小説家をあきらめたというようなエピソードがあったように思う。
以前に一度読んだ時は、当時の小説としては、そんなに悪くないのではないかと思っていたのだが、今回改めて読み直してみると、文体・内容ともに確かに今ひとつかなと思われた。
戯作調の文体はやむを得ない面があるとしても、失恋の末の出家というのは、さすがにどうかな、と思われた。
最後の惑乱、物狂い状態も、実はずいぶん古風なはからいのように、今回は感じられたものだった。
なぜだろう……。


【17年10月3日】

銃社会の恐ろしさを思う。
たった一人の人間が、数分間で50人もの人を殺し、500人もの人を傷つける。
米国史上最大の銃による犯罪、とかまびすしく報道はされても、おそらく銃社会自体は業界団体と政治家との利権関係により解消されることはない、らしい。

利権によって繋がる商人と政治家の醜聞は、別に米国に限らないことではあるけれど……。

ようやく、午後になって雨が上がる気配である。
明日晴れたら、早速洗濯をしなければ、と思う。


【17年10月2日】

昨夜からの雨は、今日になって本格的な降りになってきた。
よりによってこんな日に吟行会もないだろうけれど、松江市まで出かけてきた。
宍道湖畔を宍道湖大橋を起点にして、2時間弱歩く。
幸い、雨は降ってはいたけれど、その時はさほどひどい降りではなくてありがたかった。
宍道湖の名産である宍道湖蜆の漁を岸から遠望したり、湖岸の小公園を逍遙したりする。
こんなところに、という感じで、山口誓子の「鴨の陣」の句碑があったりもする。
さらには、小泉八雲の『怪談』のお話の主人公である耳なし芳一の銅像なども据えられていたりする。
雨と霧にけぶる島根半島の姿とか、雨の湖上と嫁ヶ島の情景とか、雨の日らしい風情のある風景に接することができて、思った以上に面白い吟行になった。
句作の方は、ほぼ相変わらずという状態ではあったけれど。

町の真ん中に川が流れているとか、湖に面しているとか、海沿いの町とか、水に関する自然物がある町というのは、不思議にこころを落ち着かせてくれる。
京都も、盆地で三方を山に囲まれていたけれど、北山から市内を貫いて流れる鴨川の存在がずいぶん大きかったと今にして思う。
もっとも、住居はずっと伏見区だったので、時折「歩き」のコースに鴨川を選ぶか、市内に鴨川河畔歩きに出かけるという形で接する程度のことではあったけれども。

松江の町も、宍道湖があって、本当に情感のある地方の城下町として完成形に達したという気がする。
部外者の余計な感想ではあるけれど。
もし次に住む町があるとしたら、松江は良いな、とは思う。

松江からの帰り道、本格的な降りになってきた。
みるみる道路の端に水たまりが出来て、走る車が片輪に盛大な水しぶきを立てながら走るという有様となる。
ベタ踏み坂で有名になった橋梁の上から、境水道を見おろすと、下の方は雨のためにくすんで見えないという状態であった。
夜遅くまで、この状態が続きそうだけれど、思わぬ降水量になりそうな気もする。

波瀾含みの10月のスタートという印象。
講演会の講演練習に取りかかる。
聴く人にとって、面白い話になれば良いのだけれど。
さて……。