日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

         
18.1「日々録」 18.2「日々録」 18.3「日々録」 18.4「日々録」

【18年5月30日】

8月の龍大俳句講座関係のために、今年も京都市内のウイークリーマンションを借りる。仮の手続きを終え、必要書類を準備することになる。地元に帰った1年目は、複数の宿泊場所を確保して4日間の俳句講座に備えたけれど、2年目以降はここのウイークリーマンションを借りることにした。6泊7日で部屋を借りることになるのだが、ほぼ着替えの準備のみで1週間の宿泊と生活の場所が確保出来るのは大変簡便である。費用は大半こちらの持ち出しということにはなるのだけれど、1週間の京都暮らしを含めて、大学生諸君との俳句講座の体験は、毎年の得難い経験となっている。京都の知人達に再会する良い機会でもあるし……。

月曜日は、日帰りで京都へ。参の句会に参加する。丹後からも以前の「すき句会」の会員さんがお二方参加される。久しぶりの再会となる。超結社的な色合いの濃い句会で、本当にいろいろな方の様々な句に触れることが出来て、とても刺激的な句会である。地元の句会とは、また一色も二色も異なる句会を堪能することができた。大変面白くて大満足だった。来月もまた、予定が被らなければ、是非参加したいと思う。片道高速バス4時間弱という時間は、適当な長さであると思う。とはいえ、出来たら車で自分で運転して通えたらとちょっと思ったりもする。高速道の運転は、なかなか気持ちが良いものだと、過日の京都行きでつくづく実感したところだ。もしかすると、車の運転が好きなのかもしれない、と思う。

本日は午後から荒天気味。雷も鳴り、かなり強い雨が断続的に降ったりもした。涼しくなるかと思いきや、夜に入っても蒸し暑い状態が続いている。今夜は、寝苦しそうである。

党首討論。相変わらず同じ事をぐだぐだと繰り返し、論点をすり替え、誤魔化し、全く膿を出すつもりもない総理の答弁に呆れる。聞いている者を辟易させ、興味や関心を逸らそうとする、戦略的な答弁ということになるのかもしれないが、自民党内でも従来通りの答弁を繰り返し、まかり間違っても言質をとられないように、という発言が出るくらいの情けない討論(あれは、どう見ても討論などという代物ではないが……)だった。野党の力不足、追求不足とこの低調さをあたかも野党側の責任であるかのように批判する一部マスコミもあるけれど、総理当人がはなからまともに答える積もりもない状態の中で、そのことも含めてすべての責任を野党に求めるのは、ひいきの引き倒しでなければ、全くのお門違いの見解ということになるのだろう。
安倍晋三によって、国会から議論というものが解消されてずいぶん久しくなる。マスコミがマスゴミに変貌した時間軸との一致がそこにはあるようだ。

総理と理事長が会ったことがないという発言を裏付けるために、利害の当事者の加計学園側から、愛媛県に対してウソをついたというファックスが流された。ウソの上にウソを重ねるというのは、まさにこんな事をいうのだろうな、と思う。加計学園の発表の裏側を知るひとたちと、それが「事実であると信じたい」人以外に、その発表をまともに受け止める人なんかほとんどいないだろうな、と思う。加計は明日愛媛県に弁明に行くらしいけれど、おりしも愛媛県知事が海外出頭の折りをねらい澄ましたような訪問だ。そこでまた茶番劇が、さらにひとつ重ねられることになるのだろう。それが、愚かで無意味なことだ、とは、きっと考えないのだろう、なあ……。




【18年5月27日】

明日は、京都で句会。前回、勘違いでスルーしてしまったので、2ヶ月ぶりの参加ということになる。天気は、なんとか保ってほしいと思う。暑いのは勘弁して欲しいので、曇りぐらいがちょうど良いと思う。宿題が、「暑」の字を含む一句なので、句作りの環境としては暑い方がよいのかもしれないけれど……。

昨日、歩いていると立派な黒犬を連れた人と行き会った。少し話をしていると、その犬が実は熊本地震で保護された犬の一頭で、ひきとって飼っているいるということを話された。精悍な顔つきの犬だったけれど、一切人には吠えつかないよくしつけされた犬だと新しい飼い主は、ちょっと自慢そうな口振りでそう話した。犬の前にしゃがみ込んで、頭や身体をなでさすってやると、変に甘えかかってくるわけでもなく、落ち着いた表情でこちらの方を見ている。ちょっとごわつく黒毛が良かった。なかなか味のある犬だな、とこちらも一度に気に入ってしまった。熊本の震災を経験した犬が、ごく身近に飼われて暮らしていることを初めて知ったことだ。

本日は昨日に続き、午前中は地元の俳誌に投句する作品10句を作る。中村草田男の句に「わが詩多産(もちろん俳句作品)の夏来る」という句があったのを思い出したけれど、なんとなくこちらもそんな気配を感じるものがある。一体どうしたことだろうか、とも思うのだけれど、夏という季節の影響(暑さを気にしなければ、夏という季節自体は結構好きなのだが)というだけでなく、いろいろ生活に変化があったことが前向きな影響をもたらしているのかもしれない、とも思う。
俳句を作る際には、日常とは違う「俳句脳(こちらは「俳人格」の持ち主ではないので、句作りに際してはそのような心機の状態が必要になるのだ。この「俳句脳」は妙な言い方のようだけれど、実際に句作りの経験がある人は、なんとなく実感できる精神状態であろうと思われるのだが)」状態になる必要があるのだけれど、微妙に「日常脳」から「俳句脳」への転移がさほど無理することもなく、ごく自然な感じで可能になっているような感触があるのだ。こんな状態になることは、本当にごくごく稀なことであるが、ちょっとそんな幸運な状態になっているのかもしれない。
だから、俳句を作るのが楽しい。その作の出来不出来は今は措くとして、作ること自体が楽しいという思いになれる。これはちょっと奇跡的なことなのかも、などとも思う。ありがたいことである。

京都の知人から「らっきょう」作りについて、メールが入った。今年もらっきょうを自家で漬けられるようだ。たまたま、実家でも今夕、今年のらっきょう漬けの話をしていたのだが、根つきらっきょうが手に入ったらしい。もちろん、鳥取名産の砂丘らっきょうは、とてもとても高くて自家用で漬けるには贅沢品なので、地元産のらっきょうを買ってきたらしい。巨大な瓶二つにたっぷりらっきょうを漬けるらしいけれど、皆がそんなに食べるというわけではないので、二瓶で一年分がまかなえるようである。こちらにも、すこしおすそ分けしてもらえるのがありがたい。
Tさん、メールで返事してもよかったのだけれど、「らっきょう」のこと、本日分のネタに使わせてもらいました。よろしく。



【18年5月26日】

総理と加計学園理事長の面談は、実は加計学園関係者のウソであった、という文章が、当の加計学園からマスコミ宛に公表された。会談はウソで、実際には二人は会っていません、ごめんなさい、という趣旨らしい。こんなこと、その発表を真実と「信じたい」利害関係者とネトウヨとバイト代を貰っている自民党のネット工作員ぐらいしか信じないだろうな、と思われるのだけれど、まあこんな風に「ウソにウソを重ね」「デタラメにデタラメ」を積み上げ、後は権力のパワープレイによって強引に「真実」として確定しようとするということなのだろう。
誰かさんが言っていたように、将棋に喩えればこの勝負は「すでに詰んでいる」にもかかわらず、まだ無理に無理を重ねようとする。実は、この状況を打破する手が、一つあるのだけれど。それは、テレビドラマなどで定番風によくやっているように、すでに勝負の決まった将棋盤を、両手でごちゃごちゃにして盤面を修復不可能状態にまで崩してしまうことだ。積み上げられた真実もうそもひっくるめてめちゃくちゃにしてしまうというやり方だ。これは、かなり強烈なやり方だろうと思う。
加計の「怪文書」も、そんな盤面崩しの、真実うやむや計画の方策の一つに過ぎない。
力業で、将棋盤の盤面をめちゃくちゃにするなんてことは、普通はやらないことだけれど、力を持つ人間は平然とそんなことをやれてしまうということなのだろう。
なぜ、加計関係者はそんなウソを付く必要があったのか、きちんとした説明をする責任があるのだろうけれど、おそらくその担当者はすでに部署を代わったとか、学園を去っていて事実確認は困難などという決着になるのだろう。いつもの通りである。ここでは文書廃棄のみではなく、人間廃棄までがおそらく進行していることだろうと思われる。
そして、多くのごく普通の国民は、それらのすべてが茶番劇だということを、知っているということが肝心なことなのだろう。そして、茶番劇を傍観するほか術を持たないので、うんざりした徒労の思いだけが後に残るのだろう。政権も、やがて国民がうんざりし、飽き飽きし、この問題について関心を失う事だけを、最後のよりどころ、逆転の一手として粘り強くこの茶番劇を続けているわけだ。つくづく酷いものだ、と思う。

所属結社の投句7句、本日の地元句会の投稿句7句を午前中のうちに作る。
感触は、悪くないような気がする。午後からの句会では、毎回全没に近い結果が、今回は出句したほぼすべての句に選が入ったりしていた。単純に、句会の作柄に迎合した結果、などというわけではもちろんない。そんな小器用なことが出来る能力も技術もこちらは持ち合わせてはいないし……。句会高点句のほとんどを、私は選んでしていないし(もちろんそれは、上手い句を判断する能力が私に欠けているということとは少し実情は違うのだけれど)、私が選をした句はごく少数の人の賛同をえただけであった、ということも句会の高得点可能なプロトタイプ的な作柄と、私自身の評価や句のありようとの距離の例証の一つのように、個人的には思われたりした。今回の結果は、割と満足であった。単なる自己満足に過ぎないかもしれないけれど。



【18年5月25日】

スマホに持ち替えてから、なんとなく常に注意がスマホの方に向いているような感覚。物珍しいということもあるのだろうけれど、ネットも含めてこの一台でまかなわれるという簡便さが原因のひとつにはなりそうだ。高速充電器とか、スマホケースなども購入して、なんとなく常に身近に置く体制が早くもできてしまったような気がする。いろいろ面白そうな機能もありそうで、そういうものを色々いじくってみたいような思いにもなる。新しいおもちゃを手に入れた、という感覚なのだろう。

延々読んできた石田波郷の書簡集も、まもなく読了を迎えようとしている。俳人としては著名な人物の一人ではあるが、その日常身辺の生活は病弱と言うこともあり、かなり制限を受けるものであったようだと思われる。そんな中で、俳壇史的に興味深い出来事に対する書簡による言及がほとんど無い、あるいは関係者がその書簡を提供ないしは公開していないということもあるのか、こちらが知りたいという点がほとんど書簡中からは情報として汲み上げられないのが、かなり期待はずれというのか、物足りない部分が多い。たとえば、俳人協会結成に関して、その背景あるいは内幕的な情報など。そういうことは、ほとんど関係者との間で書簡によるやりとりを行っていなかったのかもしれないけれど。
波郷関係については、あと3回分原稿をまとめなければならないのだけれど、書簡を通じての材料検索はちょっと難しいかもしれない。さて、どうしようか。

京都行きの前後は、思いの外寒い日々が続いていたのだが、こちらに帰ってきてからは、蒸し暑いような日がぶり返してきたようだ。
朝の到来はずいぶん早くなっているので、日によっては5時過ぎくらいに「歩き」に出かけたりして、さすがにその時間帯はひんやりとしてはいるのだけれど、日中はさすがに歩くのはかなりしんどい。夕方か、日没後に歩く時間を設ける他ないような状態だ。毎日8000歩のノルマは、時間的には1時間半弱ほどかかるものだけれど、暑さが増してくるとなかなか厳しいものになる。

米朝会談は、トランプの側から中止の宣告。「ノーベル平和賞」などと盛り上がっていたのは、昔日の感ということになるのだろうか。ともかく、軍事的衝突ではなく、平和裡の話し合いによる問題解消を期待はしたいと思う。拉致問題解決も、これでまたさらに二歩も三歩も遠ざかってしまったということになるのだろうか。日本政府独自による拉致問題解消の見通しが全くないような状況の下で、頼みの綱の米国の会談中止宣告は、同時に拉致問題も再びうやむや状態に戻ってしまうのだろうか。本来ならば、この時こそ外交の安倍がその本領を(あればの話ではあるが)発揮すべき一つの大きな絶好の機会であるとは思うのだけれど……。わざわざロシアに出かけ、ザギトワの秋田犬贈呈式に参加なんて暇があれば、もっとまともなことに精力を傾注せよ、と思う。




【18年5月23日】

ガラ携をスマホに替える。ガラ携もまだ使えることは使えるのだけれど、電池の保ちが絶望的に悪く、頻繁に充電しなければならないことがかなり煩わしくなっていた。携帯の型が古いので、対応する正規の電池がすでにショップになくて(ショップの弁によると、ということではあるが)、ネットで対応可能の電池を購入してみたけれど、さらに電池の保ちが悪くて、結局そろそろどうしようかと考えていたところだった。また、スケジュール管理が煩雑で、現職時代はこまめにメモ帳を利用していたのだが、その習慣も薄れ気味で、いろいろ日程の調整が必要になりそうな今年について、ちゃんと予定を管理しなければまずいことになりそうだという予感もあったりということが、交換に繋がる主な理由だった。さらに、すでに90歳にもなろうとする実家の母を含めて、みなスマホ利用者である中で、ただ一人ガラ携ということで、便利だから替えたらよいのにという圧力も結構あったりしたものだ。
その挙げ句、九州から兄が休暇でやってきた折りを利用して、とうとうスマホに替えることにした。兄は、その方面にかなり詳しいので、操作や設定を含めて、ほぼすべてお世話になることになったりもしたのだった。大変助かった。ガラ携からスマホへの機種変更に関しては、本体の費用の大半が補助されることになり、びっくりするほど安くスマホ本体を手に入れることもできた。
そして、スケジュール管理。手元に置いたスマホのソフトを利用して、大変簡便に予定の把握と調整が可能になった。本当に上手く作られたソフトであると感心もした。確かに、楽である。
人間、楽を覚えると堕落するとも言われるけれど、今はその件はそっとしておこうと思う。

兄がこちらに来たと言うこともあり、1泊2日で京都の叔母に会いに行こうということになった。兄と叔母とは数十年ぶりの再会ということになる。東京からも京都の叔母の妹が来て、次女であるうちの母と三姉妹の数年ぶりの再会ということにもなった。京都まで、車で移動。新緑の米子道、中国道と目を楽しませつつ、車を運転。長距離はひさしぶりだったけれど、結構車の運転を堪能する。京都の叔母の自宅での歓談とか、堀川通り沿いの穴場的なホテルでの宿泊とか、楽しい京都探訪の2日であった。
ただ、一点残念だったのは、京都に向かう途中の某サービスエリアの食堂の食事のあまりの不味さということだ。母の注文したおろし蕎麦も、兄の注文した豚カツ定食も、私の注文したアジフライ定食も、いずれ劣らぬ不味さで、京都から帰ってからも、その不味さが今回の旅の話題の一つになってしまった。今でも、なかみぐちょぐちょのアジフライの不気味な感触は口中に残っていたりするのだ。
ほとんど好き嫌いなどなかったわたしが、昔々学生として京都で暮らし始めた最初の頃、たまたま入った蕎麦屋で食べた天ぷら蕎麦のその無機質的な味(本当に京都風の薄味だったのだろうけれど)に、ほとんど喫驚したというあの経験に匹敵する程の味の衝撃だった。ちなみに帰路、昼食に寄った加西サービスエリア(こちらは実名を出しても良いだろう)の食事は、行きとは真反対で大変美味しかった。そのこともまた、今回の旅の話題のひとつになったけれど……。

それにしても、今回の日大の件は、一連の政府対応と全く同じであることに、かえって驚いてしまったことだ。



【18年5月18日】

国家の「治安」と国民の「安全」とは全くの別物、という趣旨の論調。『国家とはなにか』の一部。国民の安全と安心を守るのは国家の役目、「治安」とはそのような意味合いで用いられていると我々はごく普通に考えているように思うのだけれど、国家の「治安」とは国家自体の存留のための国家による暴力の発動形態であって、国家存立の為には国民の安心・安全が国家の暴力の発揮により毀損されることはごく当然のようにあり得るという事であるらしい。国家が、国民の権利や自由を束縛し制限するのは、国民の公共の利益に資するためではなく、あくまで国家の存続のためということらしい。国家と国民とは全くの別物という考え方が基本として厳然とあるようだ。通常の我々の発想(国民国家主義というのか、国家=国民という考え方)と真逆な主張のように思えるけれど、しかし現在の日本をふり返って見たとき、なんとなく気懸かりな思いを感じるのも、また事実であるように思われる。総理がよく口にする「国民の安心と安全のため」というフレーズが、はたして本当はどのような意味合いを含んだものか、別の角度からの検証も必要なような気がしてくる。平然と隠蔽や虚偽が横行するご時世ということもあるし、言葉通りに信じて良いものか、どうか……。それにしても、なんとも刺激的な1冊である。やっと半ばまでというところ。

これで本日を含め3日間最高気温は30度を超えた。本日は曇りのち雨という天気ではあったが、それでも30度という状態。大変蒸し暑かった。暑さにまだまだ慣れていない状態での、この連日のこの気温というのは、かなりしんどい。寒いのはまだなんとかなるけれど、暑いのはなかなか厳しい。扇風機を出し、エアコンもちょっと使ったりしたけれど、5月半ばでこの状態とはこの先が思いやられることだ。引き続き、天気はあまり思わしくはない。いっそさっさと梅雨に入って、梅雨寒などというものを期待したいような気分にもなることだ。

公文書偽造問題。佐川氏は不起訴になるらしい。甚だしい書き換えでなければ、罪には問われないらしい。これで、公文書の一部文言削除などは甚だしい変造にはあたらないので、罪ではないと検察からお墨付きが与えられたということだ。こんな形で、憲政史上稀に見る恥ずべき問題である組織的な公文書書き換え問題が、個人の責任ですらないものとして矮小化され、うやむやのうちに幕引きという形になるのだろう。大もとの責任者でもある麻生大臣の引責などということも、これでおしまい。政府と検察のみごとな連携プレイである。

狂句一句。「梅雨近くしてもの腐る臭ひかな」。



【18年5月17日】

西条秀樹氏が亡くなっていたという。ファンであったというわけではないが、野口五郎、郷ひろみと新御三家として、時代の輝きをになっていた同時代のスターの一人だったと思う。
二度の脳梗塞を患いつつも、ステージに立ち続け、やや不自由な言葉を隠すことなくファンの前に見せた、その姿勢も一つの生きざまの表し方だったと思う。
こんな形で、この先どう生き、どう死を迎えるのかという問いかけを、同氏から投げかけられたような思いになる。



【18年5月16日】

朝、6時から8時までは、ずっとBSを見ている。6時から7時までは、「日本二百名山ひと筆書き」という番組。プロアドベンチャーレーサー田中陽希の完全人力で二百名山を踏破するという番組。「百名山」踏査に続く番組の再放送。現在は「三百名山」をやっているらしいけれど、それは見ていない。「二百名山」になってから、田中氏に対するファンが山頂で彼の到着を待つというかなりショウ的な要素を含む内容に変わってきていて、その変化に戸惑い、困惑する田中氏の姿がちょっと気の毒に思えてくる。有名になるということの重さや弊害というものを身にしみて感じておられるのだろう。お仕事と割り切ってしまえたら、もっと気楽にそれこそショウの演者として振る舞えるのかも知れないけれど、その中途半端な素人くささが心に響いてくる。15分で1本という長さ(短さか)が、ついつい次を見るという毎日の視聴に繋がっていくようだ。
7時15分からは、朝の連続ドラマ。再放送が1本と新作1本。新作の「半分、青い」は漫画家志望の子を主人公としているという点で、大いに共感する部分があり、楽しく見ている。再放送の「マッサン」の方は、現在マッサンのあまりの駄目男ぶりに少々うんざりしつつ、それでも見ている。トンデモ駄目男が、しかし一点ウイスキー作りには常人を越えた能力を発揮するという、古典的なヒーロー物語でありながら、その1点のカタルシスがないままにいつまで経っても、駄目男の愚かさばかりを強調するようにこれでもかと描かれてあって、つい「アホか!」などと思ってしまう。ヒロインエリーとの対比という演出もあるのかもしれないが、もさもさしたストーリー展開を含め、もうそろそろウイスキー作りに本格的にかかれよと思ってしまう。この先、お話はどのように展開していくのだろうか。新作の時に見ていなかったので、よくわからない。

引き続き『国家とはなにか』を読みすすむ。従来自分が考えてきたところと、逆の地点から国家というものが考察されているようで、いろいろ考えさせられ、少々混乱もさせられている。気分転換というわけではないが、同じく図書館から借りてきた万城目学の長編小説『バベル九朔』を読み始める。万城目氏の作品は今までも結構読んできたのだが、今回はその出だしがとても普通のお話で、この調子で平々凡々の市井小説みたいな感じで進むのかと思っていたら、そうは問屋が降ろさない的展開になり始めている。さすが、万城目小説、と思う。



【18年5月15日】

引き続き、菅野稔人の評論集『国家とはなにか』を読みすすむ。「暴力」と「権力」の複合体として、国家はその姿を現すという認識については、なるほどと思う。
そして、国家の行使する「暴力」を無効化するものは、「非暴力」ではないという認識には、ちょっとぎょっとするところがあった。マハトマ・ガンジーのイギリス支配に対する無抵抗主義のことなどが念頭に浮かんだからだ。あれは、大英帝国という強大な帝国支配に対して、強力な抵抗力になったのではないか、と思ったりしたからだ。
しかし、国家論の観点からは、「非暴力」は「暴力」の中に内包される状態であるらしい。つまり、認識の次元においては、「暴力」「非暴力」は相対的な有り様の関係であって、国家の「暴力」を完全に否定する絶対的な概念ではないようだ。では、その概念とはなにか。筆者は慎重な物言いの中で、「ホロコースト」がその対立概念となりうるかもしれないというような点について触れている。「ファシズム」が、国家の「暴力」の究極の姿で有るとした上で、その「ファシズム」の最終形態が「ユダヤ人虐殺」という、いわゆる「ホロコースト」であるように考えていたこちらとしては、多いに混乱状態を惹起されそうな思いになった。しかし、この「ホロコースト」がナチスによるユダヤ人完全大虐殺に象徴されるような究極の「暴力」の姿であるとして、たとえばこれを「全面的な核戦争」に置き直してみれば、了解しやすいことに気が付いた。「全面的な核戦争」は、勝者の存在しない究極の戦争(「戦争」=国家が行使する「暴力」の典型的な姿であろうが)と言われる。戦争の当事者も対者もすべて滅亡する、そのような性格の戦争という意味であろう。つまりそれは、戦争という国家が行使しうる最大の「暴力」それ自体を完全に「無化」しうる対極の存在ということになるのだろう、ということだ。「暴力」の対義語は「非暴力」という相対的な関係などではなく、「暴力」それ自体を完全に絶対的に無化しうる「ホロコースート(=人類の完全死滅)」ということになるようだ。本文の内容を、そんな風に勝手に解釈しつつ、核の本質というものが、すでに十分了解されているようで、改めて認識され直したような思いになった。

今日も一日、暑い日だった。日差しが痛いくらいに感じられて、まだ五月半ばであるということが、なんとなく「ヤバイ」のではないか、と思われてきた。
寒さは、それなりに我慢したり、対応したりできるだろうけれど、暑さに関しては、そうもいかない点がなかなかつらい。エアコンの冷気は気持ち悪いし、かといって終日裸で過ごすわけにもいかないだろうし……。



【18年5月13日】

図書館で借りてきた菅野稔人の評論集『国家とはなにか』を読み始めた。個人的にはかなり衝撃的な内容であった。国家を「暴力」という視点から説明してある。もちろん、菅野氏の個人的な見解というわけでなく、国家論にかかわる多くの先人達の論点を踏まえた上での評論であり、読んでいて眼から鱗的な部分が確かにあると思われた。
極端なものいいをすれば、「暴力の正当な行使者は国家のみ」ということであり、その正当性は「強大な暴力を背景として国家のみが主張しえる」ということになるようだ。一見無茶苦茶な論理のように思われるけれど、従来の国家論は、そのような論理の上に国家というものの存在を認識しているらしい。そして、本文を読んでいくと、それなりに納得できる点があることもまた事実のように思われる。もちろん、まだ導入の部分を読み終えただけで、国家論の基本的認識に関わるところの説明のみなので、具体的な内容はこれから、ということになり、この先の展開が大変興味深い。

本日は、朝から雨。このまま一日降り続くらしい。昨日のように蒸し暑くはないのはありがたいけれど、少々鬱陶しくはある。
数日前に注文しておいた「母の日」のフラワーギフトを花屋に取りにいく。以前は、花キューピットを利用していて、その簡便さはありがたかったけれど、ここ2、3年は町の花屋さんに注文して花の選択などもこちらでしてプレゼントを作ってもらうようにしている。さらに今回は、宅配をやめてお店まで受け取りに行くことにした。思った以上に豪華な花ボックスを作ってもらって、そのまま実家まで持参して、母にプレゼントする。弟の奥さんにも、普段食事などでお世話になるときがあるので、カーネーションを1輪贈る。

昨夜は、久しぶりの合唱練習で、夜市内へと出かける。あたらしく男声担当の指導者が来られて、その熱血指導を受ける。なかなか楽しいレッスンであった。バスパートは全部で10人ということらしい。テノールは人員が思った以上に集まったらしく、今回は男声のみの行進曲風3部合唱部分のパート分けが、テノール1・2とバスとにきちんと分担できたらしい。めでたいことである。今月から、定期的に練習が日程に組み込まれてゆくことになる。



【18年5月11日】

波郷、あなたもか! とついつい嘆息のひとつも吐きそうになる。
波郷の書簡集には大変丁寧に、書簡が出された時期や相手、差出人と受取人の住所などが細かく掲載されてある。そして、そんな書簡集には地元出身の『鶴』俳人末次雨城についても、昭和二十九年に一通、そして翌三十年にも一通、波郷からの短信が雨城宛に送られてある。その内容は、句碑に関わることのようで、それ自体も個人的には大変興味深い事柄ではあるけれど、今回ふと眼に留めて、おもわず「波郷、お前もか!」とローマ皇帝シーザーの有名な言葉「ブルータス、お前もか!」になぞらえた一言が思わず口を出そうになった、そんな一事実に気付いてしまった。
その事実とは、波郷の手紙に書かれた雨城の住所に関することである。その住所は、「島根県東伯郡N町」と記されてある。この住所が一体どうしたのか、細かい事情を了解されない人には、なんら問題とすべき部分は見受けられないことだろう。しかし、ここには波郷の重大な間違いが一カ所あるのだ。その間違いとは、「東伯郡N町」の所在地は「島根県」ではなく「鳥取県」だということだ。「鳥取県東伯郡N町」が正しい住所なのだ。
と、書いたところで、さらにそのちょっとした間違いがいったいどうしたのだ、と大方の方は考えることだろう。実は、この「鳥取県」と「島根県」の取り違えは、けっこうしばしば「鳥取県人」が経験することなのだ。もうひとこと言葉を追加すれば、「島根県」を「鳥取県」と取り違えるということは、おそらくほぼないだろうと思われる(私の長い人生の中で、そのような形での取り違えに出くわした経験は、実は一度もない)。それに対して、「鳥取県」を「島根県」と取り違えるパターンというのは、かなりしばしばわれわれ「鳥取県人」が経験するところのことなのだ。
「鳥取県」と「島根県」、どちらも山陰地方の隣り合った小さな県であり、さほどメジャーな県というわけでもないけれど、出雲大社やら国宝松江城やら世界遺産の石見銀山とか、全国区の名所旧跡がある「島根県」に比べると、今一つも二つも地味な県「鳥取県」の印象は薄く、その結果、「鳥取県」と「島根県」の取り違え現象が生じるということになるのかもしれない……。
なんとなく、いまひとつぱっとしない「鳥取県」のもたらす悲哀感のようなものを、波郷書簡集のなにげない間違い箇所にふと感じてしまった、ということになろうか(などと言いつつ、個人的にはこの鳥取県に結構満足を感じてはいるのだけれど)。

もと総理補佐官の醜態ぶりが明らかになりつつあるようだ。そうまでして、親分を庇い尽くし、国民に対してウソの上にウソを積み上げるような行き方が、日本の官僚の取るべき在り方であると、身を以て示す姿に、日本の未来がどす黒く塗りつぶされつつあるような危惧の思いをつい感じてしまう。
人としての信義にもとるような人たちが国勢を動かし、流動化しつつある世界の情勢に対応していこうとする。「大丈夫か?日本!」などと思わざるを得ない。

『韓非子』の中に、こんな国は滅びるという事例が延々と列挙された一節がある。「こんな国、アルアル。亡国編」とでもいう内容なのだけれど、それをずっと読みすすんでいくと、そういえば、こんな国がごく身近にある、という感触に捕らわれる瞬間が、実にしばしばあるのだ が……。


【18年5月8日】

石田波郷の書簡を継続して読んでいる。その中のひとつ、昭和29年のものの中に、大正元年生まれ、地元N町の町長を勤め、波郷の俳句結社『鶴』に所属していた末次雨城という俳人に送られた一書簡があった。秋という季節柄、波郷へ梨を送ったそのお礼という内容ではあったけれど、地元の俳人の名前がこんなところに出てくるとはということで、興味深かった。と同時に、雨城という俳号をどこかで見た覚えがあったので、念のため本棚を調べてみると、末次雨城句集『農我武者羅(のうがむしゃら)』を見つけた。「鶴叢書第二十六編」で昭和三十九年十二月発行の句集だった。箱入りで、題字と装画は白樺派の作家武者小路実篤の手になるもので、「序」は石田波郷が、「跋」は石塚友二が執筆するという、なかなか豪華な装丁、内容の句集だった。
郷里に帰って間もない頃、市内の古書肆で手に入れた地元俳人の句集の中に含まれていたようだ。
そう言えば、現在も鳥取県には『鶴』所属の俳人が数人おられ、『ほととぎす』系統が有力な中で、『鶴』の直系の系譜は今も続いているということになるようだ。

長谷川櫂の『俳句の誕生』を読了する。ところどころ首を傾げる点がないわけではないけれど、全体としては大変面白い内容だった。長谷川氏の独創的な見解、という部分も含まれつつ、俳句についての通時的見解が整合性を保ちつつ語られてあるようで、内容の後半を一気に読み通してしまったという印象だった。執筆の大きな動機が盟友大岡信の死というところにあり、大岡氏の死亡による俳句についての批評の喪失並びに不在という状況に対する筆者自身の強い危機意識が、それまで書きあぐねていた内容を集中的にまとめ上げる起因になったという背景がこの著作にはあったらしい。長谷川櫂渾身の一冊ということになるのかもしれない、と思う。



【18年5月6日】

連休最終日は、午後から本格的な雨となる。庭のツツジも、雨にうたれて萎れた状態に変わりつつある。明日も終日雨のようなので、明日以降、ツツジの手入れに入らなければならないかもしれない。手入れと言っても、すこぶる乱暴なやりかたで、枯れ残った花を竹の熊手でかきとるというやりかたになる。枯れたままの花を放置していると、そのまま枝にはりついた状態になって、花が蜜を含んだままのせいか、とても取れにくくなってしまうのだ。以前は、いちまいずつ手で枝だから皺んだ花びらをはがしていたのだが、熊手を使うやり方を教わってずいぶん楽になった。葉をあまり傷めないように注意しながら表面を掻き取るような塩梅で行う。
キリシマツツジの方は、雪でかなりダメージを受けたせいか、ほとんど蕾の姿も見ないような状態だ。葉が少々焼けたような状態になっているので、気にはなることだ。

昨夜は、たまたま夜中に目を覚まして、再放送だったと思うけれど、映画監督の大林宣彦氏の「最後の授業」というNHKの番組を見る。 12時に始まり、3時に終わるという長いトーク番組だったけれど、大林監督の映画に対する深い思いと強い願いとが感じられて、ついつい最後まで見てしまった。尾道三部作を通じて、娯楽映画中心の監督という印象を持っていたのだが、観客を楽しませる作品作りということをも含めた映画監督としての本来の姿というものを示されたようで考えさせられることが多かった。特に、北朝鮮の問題を引き合いに出しながらの戦争に対する強い拒否の姿勢には胸を打たれるものがあった。最新作の「花筐」と言う作品は、40年以上温め続けてきた作品の実現ということを知って、その執念とでもいう強い思いを感じさせられた。技術先行の映画は、いずれ映画本来の姿を歪めることになりかねないということや、映画作りにまず必要なのは監督自身の持つ「哲理(あえて、思想という言い方はされなかったように思う)」とでも表現されるものであるとか、映画は現実からの反作用として生み出されるものであるとか、先行する多くの監督たちの思いを受け継ぎ、さらにそれを次世代の人たちに繋げていくことの大切さも語られたように思う。聴衆である映画作りに興味を持つ若い人たちの真摯な姿もまた印象的だった。。

5時過ぎには目を覚ましたので、睡眠時間は2時間ほどで、そのせいか今日は一日体感的に「しんどい」という状態だった。若干鬱がかった状態で、辺見庸という詩人尾『眼の海』という詩集を集中して読んだ。3.11を背景とした、未曾有の大災害で奪われた生命に対して、詩人としての文学的な受け止めがずいぶん暗く重く陰惨で鋭いイメージの積み重ねの中で表現されてあった。



【18年5月3日】

憲法記念の日。
憲法学者の多くが違憲と判断しているので、憲法9条に「自衛隊」を明記すべき、と言いつつ、一方では憲法学者の多くが憲法違反と考える安保法制については、その変更・改定については全く口を閉ざす。この「ダブルスタンダード」というよりは、単なる「ご都合主義」という点で、安倍政権の下での憲法改正論議については、反対以外のなにものでもない。。
安倍政権がやりたいことは「第9条」の改定であって、それ以外の3項目は単なる付け足しのようなものに過ぎない。そんなことは、すでに国民の多くが気付いていることなのだ。
それにしても、「9条」改定については、安倍晋三の加憲的誤魔化しではなく、石波議員語る「2項削除・改定」の方が、賛否は措くとして憲法論議としてはよほど筋が通っていることだ。
すでに国民の大半が、自衛隊を合憲の対象として認識している現状があり、憲法条文に明記されようとされまいと、実質的にはなんの問題もないことだろう。名よりも実を取ると言うことの方が、よっぽど現実的(政治的)対応のように思われる。かえって、加憲的改定によって、憲法の制限する「武力」の定義が、一層先鋭化される形で問題化することは、きっと明らかなのだろう。後に火種を残すような愚かなマネは、しないに越したことはないように思う。

午前中は、強風も吹いて不穏な状態であったが、午後に入って快晴状態となる。午前中は、寒気の流入のせいか、少々肌寒かったけれど、午後になって暖まってきたようだ。とはいえ、今夜遅くには再び雨が降り出すようで、久方ぶりに大山に登ってみたい(せめて、6合目の避難小屋辺りまでは行ってみたかったのだが)と思っていた思いを消沈させるような状態となってしまったようだ。雨後の登山道は、かなり歩きづらいだろうなと思う。そういえば、先日の同期生会で再会した人の一人に、写真家としてすでに2冊の写真集を出版している男がいて、彼が今度「大山1300年祭」記念も含めて、第3写真集を出すという計画らしい。その意匠として、大山の写真と「俳句」とのコラボ写真を考えているという。写真と俳句のコラボ自体は、『青玄』の伊丹三樹彦氏の取り組みなどがあると紹介したのだけれど、また別の意匠で計画を進めているらしい。なかなか楽しみではある。

長谷川櫂氏の評論集『俳句の誕生』を読み始める。創造的知見が随所にある評論のように感じられて、実は面白く読んでいるのだが、ただ一番中心の部分である、俳句創造の起点が「主体の変容」と言う部分がなんとも理解できないというところがかなり辛い。何重構造かでこの俳句創造における「主体」ということを考えておられるようだけれど、その「主体」の実質がよく掴めないということなのかもしれない。そもそも創作の主体なのか、俳句素材の本体ということなのか、創作主体が変容した結果としての「主体」に把握された「素材の本体」なのか、「素材の本体」の結果としての変容したそのもののありようなのか、いろいろごちゃごちゃしていて、了解し辛いところが多々あるのだ。面白いなりに混乱してしまう……。
ただ、このような発想で俳句を捉え直そうとする姿勢については、たいへん共感をおぼえるのもまた確かなことではあるのだ。


【18年5月2日】


「松の芯」と松にからむ「山藤」の写真。「歩き」の途中で見かけた一コマ。真っ盛りの「ツツジ」の花。丸く刈り込んでおいた形そのままに、花が満開状態に。アメリカハナミズキの方は、最盛期が終わって、花顎がちらほら散り始めている。
今年は、いつになくツツジの花が密生状態で咲いているような気がする。例年以上の暖かさが関係したのだろうか、と思う。

天候は、荒れ気味状態になりつつある。夜の便で甥が東京から帰って来るのだが、欠航などということにならなければ良いのだが。
雨以上に、風が強まりつつあるようだ。

湊かなえの短編小説集『絶唱』というのを読む。集中、「楽園」は少々作りすぎの印象はあったけれど、「約束」はなかなかよかった。4編納められてあるようだけれど、各作品がそれぞれ独立しているようで関連がある、というような構成になっている。図書館で借りる本の中に、「最近の小説」というレパートリーも設定して借りているのだが、この人の作品はしばらく連続して読んでみたいと思う。

しばらく中断していた「連句」をそろそろ始めようと思う。波郷関係の文章4ヶ月分がそのまま掲載されそうなので、しばらく間を置くつもりでもある。あと2ヶ月分のネタを探しつつ、ということになりそうだ。



【18年5月1日】
風薫る5月、とは言いながら、ずいぶんと暑い。しかも、少々蒸し暑い。地元は、正午の時点ですでに「夏日」の陽気となっている。
東京から帰って以降も、結構予定が詰まっていて、ばたばたする毎日を送っていた。そのせいか、この暑さのせいか、若干ばて気味の状態ではある。年とともに、気候の変改に対応する速度が劣ってきているように思う。思うだけではなく、実際に劣ってきているのだろう。なんとも、鬱陶しいことだ。
この間、色々の行事等あったけれど、その白眉はやはり四年ぶりの中学同期生会なのだろう。
4年前の集まり以来、久しぶりの再会で、大半の人とは顔と名前とが一致しないという情けない状態ではあった。
面影、というものも、年齢とともに大きく変化、変貌するということなのだろう。「お前が一番変わった」と、何人かの同期生から言われたのだが、本人にはその自覚は全くなかったけれども。宴会は、お酒が入るため車は使えなかったので、数十年ぶりに列車(電車ではない)を使って、中学所在の町の駅との往復となる。
二次会に宴は移り、こちらは列車の時間があったので、途中で退席ということになった。灯りの乏しい夜の町を駅までの30分ばかりを歩く。時間に余裕がありそうなので、少々回り道をしながら、それこそ数十年ぶりの路地を歩いてみたりもしたものだ。
家々はずいぶん代わっているようだったけれど、道そのものは昔とほとんど変わってはいなかった。路地路地を巡る夜の「歩き」も、色々と感慨深いものがあった。不審者に間違われなかったことは、幸いではあったが……。

5月も、結構予定が詰まっているようだ。とはいえ、外出については、毎日の「歩き」を除けば、合唱と俳句と病院関係というのがほぼすべて、というのが何とも言い難い。

今日は、早速午前中に病院関係の外出。とはいえ、人間ではなく、動物病院へ。しばらく前に手術を受けていた実家の犬の抜糸ででかける。ホチキスの針みたいなもので傷口を留めるのは人間と同じで、小さな鋏で、針をプチプチ切るのが「抜糸」なのだと初めて知る。キャンとも鳴かなかったので、犬にとってもそんなに痛いものではないようだ。5カ所ほど施術して終了。10分とかからなかった。