日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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【18年6月30日】
高校野球で超高校級の強打者に4回連続敬遠策を取って、その結果策を用いたチームが勝利したとしたら、そのチームは結構非難の対象になったりするだろう。もっと正々堂々と勝負しろ、高校生らしくない、と。とはいえ、それもまたチームが勝利するために監督が差配した戦略のひとつなので、そもそも非難されるいわれはない、たとえそれがアマチュアの試合であったとしても、とやかく言われるのは余計なお世話だ。……とはいえ、チームのために敬遠をし続けたピッチャーは、そうとうきつい思いを将来に渡って抱え込んだりしないのだろうか。今どきの若者だから、クールに割り切った大人の考えで、そんなことはなから問題にもしないのかもしれないが……。
以前、柔道のY選手が故障を抱えながらオリンピック決勝戦に臨んだ時、相手選手はYの故障したところを避けて勝負をし、その結果負けてしまった。もちろんY選手の強さが呼び込んだ勝利であり、Y選手の金メダルはおおいに称賛されたけれど、同時に相手選手のふるまいについても、同じほどの賛辞が世界中から与えられた。ところで、全くの仮定の話としてもしその状況が逆となり、さらにY選手が相手選手の故障したところを執拗に攻め、その結果相手を倒してめでたく金メダルを獲得したとして、果たしてY選手は(日本を含む)世界から金メダリストとして、大いなる称賛を得たことだろうか。相手の弱みに付け込んで勝ちを奪う、それもまた勝負における立派な戦術のひとつであり、特に非難されるべきことでもないのだろうけれど。
「あんな予選ラウンドの通過のしかたは、ダメだよ。日本らしくない。」などと、硬派の声をあげるマスコミはおそらくどこもないだろう。言えば、非難轟々、吊し上げ、炎上状態となり、売り上げや視聴率におおいに影響を受けるはめになるだろうから。だから、どのマスコミも予選通過を称賛しつつも、どこかすっきりしない影のようなものが称賛のコメントの背後に漂っているような気がする。大手新聞のYはそのネット版の中で、「勝てば官軍」という言葉を引き合いに出していた。別の新聞の中では、「すべては結果の中にある」的な趣旨のコメントが載せられていたりもしたものだ。
もっともどんな話題であれ、はっきりと物を言わない、何かに対する配慮と忖度を常にどこかに安全装置として装備して発言するのが、最近の成熟したマスコミの(自己防衛を含めた)やりかたのようだけれど。
「他人の酒で酔う人」。別にサッカーに限らないけれど、熱狂的なファンとかサポーターといわれる人たちの姿を見ていると、なぜかそんなことをふと思ってしまう。心酔したチームや選手と自己同一化して、勝利や敗北を我がことのようにして喜び、悲しみ、怒る。純粋な姿と一方では思いつつも、根がひねくれた人間であるせいか、どこかに違和感のようなものをついつい感じてしまう。それはあなた自身ではないよね、という冷たい感覚なのか。今回のサッカーの予選リーグ突破のことについても、決勝リーグに向けて、アルコール度数の高い酒に酔うように、サポータの人たちの心酔と熱狂は引き続いて大波のようにうねりつつさらに高まることだろうけれど、いずれその高揚状態も鎮まる時がくるだろう。それが、ベルギー戦が終わったときか、さらにその先にまで延長されるのかはわからないけれど、試合の興奮が治まり、熱狂が静まったときに、今回の一連の出来事がどんな後味を残すのだろうか、本当に余計なお世話なのだろうけれど、そんなことをふと思う。純粋にサッカーを愛する人たちにとって、今回何度目かの予選リーグ突破、決勝リーグ進出の喜びの中に、予選リーグ最後の10分間が、一点の翳として残らないことを、余計なことだろうけれど思ったりもする。
【18年6月29日】
昨夜、10時過ぎ。蒸し暑さに耐えかねて、エアコンのスイッチを入れた瞬間に、パチンとどこかで音がして、書斎の電気が消えた。起動中のパソコンの電源も消えて、室内は一瞬にして暗闇となった。停電にしては違和感があり、エアコンの電源を入れたことが引き金になったように思われて、とりあえず寝室に常備してある懐中電灯を持って、1階奥にある配電盤のところへ行ってみる。椅子に乗って配電盤をあけてみるが、中のスイッチは全部オンになっているので、過電流で電源が切られたわけではないようだ。どうにもおかしいと思って、居間に戻り明かりをつけてみると、こちらは普通に灯る。念のため家中を回って、あちこち明かりのスイッチを入れてみると、灯るところと灯らないところがある。今までに経験したことがない奇妙な部分停電のせいで、動揺する気持ちを抑えつつ、ともかく中国電力に電話を入れる。
11時過ぎに電力会社の方がやってきて、配電盤を点検し、さらに外にでて、自宅へと電気を引き入れる電柱の方をしきりに眺め上げる。やがて、どうやら電柱からの引き込み線の部分に問題があるようだ、と判断されて、街路灯が灯る電柱へと慎重に登り始める。
懐中電灯を手にしたまま、所在なく作業を見上げること、20分ぐらいして、作業は終了。電柱を降りてこられた作業員は、そのまま家の方に移動されて、配電盤のOFFにしてあったスイッチをONに戻し、室内の電灯類がつつがなく灯るかどうか、確かめてほしいといわれ、こちらはその指示のままに家中の伝統や家電類を点検する。見事に修復している。
電柱の引き込みの部分が2ルートのうち一方が経年劣化のためにほとんど断線状態であったらしい。それが、家の電灯が点くところと点かないところをわけたらしい。書斎は、断線寸前のところから電気を引いていたようで、たまたまエアコンのスイッチをいれた瞬間に、ほぼ断線という状況に立ち至ったらしい。
そんなことがあるのか、と初めての経験で、感心しながら説明を聞く。と同時に、ただ一人夜の電柱に登って作業され、みごと復旧された作業員さんに対して、つくづく(大げさでなく)驚嘆の思いを感じてしまう。時刻は、すでに12時前で、帰っていかれる作業員さんに頭を下げる。
早朝、風の音で目を覚ます。ごうごうとうなり声をあげているようで、どうしたのだろうと寝室のカーテンを引くと、すでに明るくなっている空を、どす黒い雲が渦巻くような勢いで流れすぎていく。テレビをつけて、NHKのデータ放送の「天気」を開いてみると、巨大な雨雲の帯が西日本上空を広くを覆いこんでいるらしい。ところどころ紫や赤みがかった部分を交えた巨大な雨雲の帯が、この強風の原因らしい。竜巻警報を確認するが、幸いそれは出ていなかったので、しばらく台風並みの強風が吹き荒れる戸外を眺める。1時間ほどで風は収まったけれど、今度は土砂降りの雨が降り始める。車軸を流すとかいうような表現があって、それがどんな状況を具体的に表すのか、よくわからないけれど、ともかく大粒の雨が打ち付けるように降ってくる。天の底が抜けるというのは、こんな状況をいうのだろうか、と思う。
昼前になって、暴風と豪雨は峠を越したらしく、ようやく落ち着く。普通に雨がしとしと降る状態となる。いずれ、この雨もやみそうだ。ネットで、気象状況を確認すると、関東方面は梅雨が明けたようだ。6月中に梅雨が明けるのは、初めてらしい。人間世界のみではなく、天空世界もまたいかれているらしい。
天界の乱れは、人界の乱れの反映であり、また天界からの警告というような考え方も古代中国にはあったらしい。とはいえ、乱れを引き起こしている現世の張本人たちは、いずれの時代であれ、天に対して一点の恥じらいも持ったりはしないことだろうが……。
【18年6月26日】
プリンターは返品する。次をどうするかは、現在検討中。パソコンの方は、有名メーカー品のように余計なソフトが全くはいっていないせいか、立ち上がりから大変軽快に動いている。今までこんなに速やかに立ち上がるパソコンに出会ったことがなくて、大変感動する。
月曜日は、京都へ。句会に参加。なかなか重たい課題をいただいて帰ってくることとなる。とはいえ、要するにお前はどうするのか、どうしたいのか、ということについてはっきり態度を表明せよということなのかもしれない。そのことによって、自分の作りたい俳句作品の姿がはっきりと見えてくるのかもしれない、ということだ。逆に言えば、現在参加している句会と自身との間の一層の軋轢を覚悟せよ、と言われていることになるのだろうけれど。それが当然と思いつつも、なかなか厳しい部分はあるとも思う。独りよがりの自画自賛俳句で終わる可能性も、それだけ高まるということなのであろう。
一日蒸し暑い。途中、エアコンを持ち出す。気温は30度超、湿度はずいぶんと高い。午後からは雨も降り、一層湿度も上がり、夜に入って不快指数が高まっているような気がする。
その上に、地震である。朝と夕方と2回。夕方の方は、地元は震度3であった。震源は広島県北部三次あたりらしい。鳥取西部地震のことなどが、ふと思い出されたりもする。日本列島全体が、地震が活性化しているということをつくづく感じる。いずれ確実に巨大な地震がやってくるらしい。ワールドカップ真っ盛りの今、日本民族こぞってお祭り騒ぎを楽しんでおきなさい、ということなのかもしれない。皮肉な見方をすれば、ということではあるが……。
【18年6月23日】
金曜日。注文していたパソコンとプリンターが届いた。パソコンは、スペックと価格の折り合ったものが注文できたと思うけれど、プリンターのほうはあまり気にしていなかったので、安物買いの銭失いそのままの結果となり、少々後悔している。まあ、印刷できればよいとする。
半日かけて、かなり旧に復することはできたけれど、一部ソフトについてはどうしたもんか、と考えている。前のパソコンで使っていた『桐』というデータソフトは(大変高額なので)もう使えなくなってしまった。とりあえず別形式のデータに変換して残しておいた。俳句関係の整理を『桐』でやっていたので、早期になんとかしなければ、と思う。
朝の連続ドラマ「半分、青い」を毎日楽しみに見ている。実家の方でも見ているようで、面白いと評判は高い。それにしても、主題歌の「アイデア」という星野源の曲を聴いていると、なぜかいつも祭り囃子を連想してしまう。軽快で、おそらく今風の曲調の楽曲なのだろうけれど、なぜなのだろうか、と思ってしまう。こちら側の連想のストックがその程度しかないということなのかもしれないけれど……。
【18年6月20日】
破壊神降臨というわけでもあるまいが、一気にパソコンとプリンターが壊れて動かなくなってしまった。
とりあえず、パソコンの方はずっと昔、姪に譲ってもらったままにしまい込んだ状態になっていたノートパソコンを使って、なんとかしのいではいる。
プリンターの方は、もしや修理が利くかと思って、店に持ち込んだら、修理には一律1万円以上がかかるということで(修理は、何であれ定額になっているらしい……よくわからんが)。修理代より新しくプリンターを購入する方がよさそうなので、パソコンと併せて、ネットで注文するはめとなった。思いがけない出費となって、ずいぶんと痛い。
いろいろばたばたとして、午前中でもう疲れてしまった。
【18年6月16日】
新聞を読んでいたら、『頭がいい人、悪い人の〈言い訳〉術』(樋口裕一・著)という本からの引用として、「愚かな言い訳」のパターンが紹介されてあった。孫引きさせていただく。
@「その場しのぎのうそをつく」→ばれる→うそを重ねる→あちこちに矛盾→証拠や証言も→信用がた落ち。
A「絶対に非を認めない」→内心では「まずい」→実は小心者→批判に過剰に反応→非難やまず→周囲もうんざり。
B「自分は被害者だと叫ぶ」→知能犯のつもり→だまし通せると過信→誰も信じてくれない→気が付けば四面楚歌
C「他人になすりつける」→記憶を改竄→罪の意識を消去→手頃な弱者をスケープゴート(犠牲)に→付ける薬なし。
敢えて言えば、以上の内容は特定の出来事を念頭においての所論というわけではなく、様々なケースを検討・分析した結果としての一般的集約ということになるのだろう。ただ、そこでまとめられた内容が、最近起こっているいくつかの出来事にもみごとに対応するものなので、新聞ではこれを取り上げたということがあるのだろう。
ただ、わたしならば、特にAに関しては、結果として「周囲もうんざり」という状況がもたらされるというケースだけでなく、あえていわば「傲岸無恥」な姿勢をとりつづけることで、意図的にその話題の終焉を計ろうとする、知能犯的な画策もありうるだろう、ということを思う。しかも、あえてそのうんざり感を助長するようなことを、たとえば大手新聞社が「その話題は、うんざりだ。もういい加減にやめにしよう」という論調を誌面に掲載して、意図的な画策に対し自ら進んで忖度・補強する雰囲気をもたらそうと動いたりする、ということもあるだろう、ということだ。
すると、そもそもそれはかならずしも「愚かな言い訳」のパターンというよりは、どちらかといえば「知能犯」的で意図的で悪質な「頭のいいひとの言い訳」、そのことによってすべてを曖昧模糊とし、出来事自体を無化するやり口ということになるのだろう。
すごいな、と思う。
【18年6月13日】
名刺を作る。現職時代には、外回りの仕事などもあったので、立派な名刺を支給していただいたりしたものだけれど、今回は自作の名刺。実家に名刺作成ソフトがあったので、それを使わせてもらって、作る。第九講演実行委員会関係の役目で、外部の方と面会をしたりもしなければならないようなので、ともかく作ることにした。仕事とは質が違うので、型どおりのものはやめにして、郷里の山大山の雪景色を大きく生かして作ることにした。写真ももちろん、昨冬自宅近くから撮った写真を活用する。夏の俳句講座にも、これを利用させてもらおうかとも思う。いつも名刺をいただくのに、こちらはお返ししないままというのもちょっと気になってはいたことだった。8月末の講演会にも使えるかもしれない、などとも思う。もうひとつ、遊びの要素を盛り込んだけれど、実家では結構受けた。会話の糸口になるかも……、などとも思う。
8月の講演会に向けて、少しずつレジュメを作り始める。7月中には一応内容をきちんと相手に知らせておきたいと思うので、そのため少し早いけれど準備を開始することにした。岩城先生関係で2時間ほどの講演会を持った事はあったけれど、今回は全く初対面の方達を聴衆とする講演会なので、出来る限りきちんと準備はしておきたいと思う。難しくなく、しかし内容的にはちゃんとしたものをということで、いろいろネタなども考える。なかなか楽しい。波郷関係の文章は、しばらく中断ということになりそうだ。
最近、BSの放送大学関係の番組を見ることが多くなった。読書の合間の息抜きに短時間テレビを見るということが多かったのだけれど、最近は息抜きにもならないような内容が多くて、そんなものとはおおむね無関係な放送大学関係の番組をちょっと見るようになったら、ついはまってしまった。多方面の分野の内容が、わかりやすく講義されていて、一服のつもりがつい番組一つを見てしまうということがあったりして、少々困ってもいる。
【18年6月9日】
湊かなえ『花の鎖』読了。土曜日、ということもあり、後半を一気に読み切る。面白い。ネタバレ風になるけれど、作者に気持ちよく騙されたという印象が強い。さすが、ストーリーテラーとして評価の高い作家の作品と、つくづく感心する。謎解きの要素を交えつつ、お話が展開するのだけれど、こんな手があったのか、と改めて思う。以前、筒井康隆のある推理小説風作品を読んだときに、これに近い感想を持ったのだけれど、筒井の時は途中から妙な違和感を感じつつ読みすすんで行き、その違和感が実は筒井の仕掛けに繋がっているものということが最後に至るまでに薄々感得できたのだけれど、こちらの方は、本当に最後の最後まで、このお話に仕込まれた作者の巧妙な仕掛けに気付かなかった。それほど、自然に話が展開し、そして注意深く構成されたお話だったということかもしれない。伏線の張り方もすごいなと、つくづく感心する。
『リベラルアーツ』も読了する。特に最後の教育に関する二つの提案は、納得できるものだった。と同時に、日本の教育の質的な問題点について、考えさせられることがあった。安直な効率一点主義的な側面(それは時間と金をかけない、しかも机上の空論的性格の強い教育施策ということにもつながるのかもしれないけれど)を思う。
以前、円周率を「3.14」から「3」へと変更した、その背景なども知ることができて、ますます教育行政の理念的部分の軽薄さというものを教えられたようにも思う。その変更の根拠がいかにも官僚的な整合性の付け方だと思ったりもした。
【18年6月8日】
終日、しとしとたまに豪雨という一日だった。明日は晴れるらしいけれど、一時雨などという予報もあり、よく分からない天気だ。まさに梅雨、ということなのであろうか。
コミック「青のシンフォニー」2巻まで読了。実家から借りてきた物。面白いけれど、『のだめ』と比較すると、音楽に対する思い入れの強さが全然違う。ほぼ、学園ドラマのテンションで、その点がかなり物足りない。このまま第3巻はどのように展開していくのだろうか。幕張総合高校を舞台に借りてきてのお話らしくて、ユーチューブで総合高校の演奏を聞いてみたけれど、たしかにオケの演奏は上手いなと思う。ブラバン関係では、京都の西宇治高校を舞台に借りてきたお話もあったように思うけれど、あれはアニメ化されて絵も含めて結構レベルが高い作品だったように思う。音楽関係で、いろいろ面白そうなお話が現在あるようだ。実家には、すでに2冊、その方面の小説があるらしく、いずれ借りてきて読もうと思う。
社会学関係の本を読んでいて、たまたまBSの放送大学関係の番組で、社会学に関わる内容をやっていたので、読書を中断して見る。なかなか面白い。漠然と印象で感じている社会現象が、きちんとしたデーターを背景として説明されているのをみると、ずいぶんと感心してしまう。直感の裏付けが学問的に証明されたようで、つい嬉しくなってしまうということなのだろうか……。
岩波ジュニア新書で、『リベラルアーツの学び』という本を読む。芳沢光雄著の一冊、実は、本文を読んでも『リベラルアーツ』というものが、今一つよく分からない部分があるのだが、大学の授業に置ける「一般教養」的なもののようであって、「専門教養」的内容を「一般教養」的発想で統合しようとしたものなのだろうか、などとよく分からない状態のままである。とはいえ、本文は大変面白くて、一気に半分ほど読んで、残りは明日の楽しみにのこすことにした。大学教育の中で、しきりに「専門教養」ばかりが強調され、その中でも特に企業即戦力型の「理系的な分野」が重要視されるなかで、「人文科学的分野」がどんどん軽視されつつあるらしい現状の中で、本当に「リベラルアーツ」的領域が重さをましつつあるのか、よくわからないままではある。とはいえ、物事を他分野横断型で多面的に総合的な視野から検証し、考察するという姿勢の大切さというものは、大いに共感するところではある。
それにしても、「リベラルアーツ」担当教員って、本当に力量のある人でなければ、中途半端とかお為ごかしで講義が終わってしまいそうで、なかなか厳しいものだろうな、と思う。
【18年6月6日】
図書館で、横書き、漢字カタカナ表記の句集を借りてきて読む。作品自体は残念な内容だったけれど、横書き状態での漢字と片仮名の組み合わせは、かなり印象的だった。これが、漢字・平仮名表記だったらかなり間延びして、しかも読み辛いという印象を与えただろうな、と思われた。漢字とカタカナの組み合わせは、かなりいい感じだった。文字の構成が基本直線構成なのが、全体に鋭角的で鋭く緊密な印象をもたらすのかもしれない。この表示法を生かすにたるほどの内容があれば、これはこれで結構いけそうな印象を持った。
とうとう、梅雨に入った。本日、終日ぐずぐずと雨が降り続く。暑くもなく、寒くもなく、本日のところは湿気に悩むという状態でもなかったので、過ごしやすいというような感覚ではあったけれど、こんな陽気がこの先一ヶ月以上続くと思うと、やはり少々鬱陶しくもあることだ。夜、寝室に蚊が出没するので、昨夏買いおいていた香取線香を使う。電気式ではなく、除虫菊性の渦巻き型香取線香を使う。効果は覿面のような気がするが、匂いがきつくて、家中が香取線香臭くなって少々閉口気味ではある。とはいえ、匂いが残ると言うことは、薬効がそのまま残っているということであろうか、とも思う。蚊が寄ってこなければ、それに越したことはない。それに、香取線香の匂い、ちょっと懐かしい匂いではある。子供の頃は。蚊帳に香取線香は、夏の定番中の定番だった。
社会学関係の本を読み始める。湊かなえの小説を読み始める。どちらも文字が小さくて、少々よみずらい。芸人矢部太郎の手塚治虫文化賞短編賞受賞作品「大家さんと僕」読み始める。コマ漫画である。実家にあった1冊。とても面白い。芸人さんには、様々な才能異能を持っているひとがいるものだ、と感心する。
麻生太郎、議員もやめてくれれば、大臣報酬170万円(九州の石炭王麻生一族の一員であってみれば、170万円など一晩の飲み代にも足りない金額だろうけれど……)だけではなく、無駄な議員歳費数千万円も税金から支払う必要はないのに、と思う。その件、前向きに検討してほしいと思う。1年間の報酬停止ということは、逆に言えば、少なくともこの1年間引き続き大臣としてやる気まんまんというアピールなのか、と思う。
【18年6月1日】
湊かなえ『告白』読了。作為的な部分を感じつつも、ストーリー展開の巧みさに、ついつい一気に読み終えてしまう。大変、面白い。
数ヶ月かけて読み継いできた石田波郷の書簡集、本日読了。昭和44年、11月14日、松山の今川病院院長今川七郎氏あての書簡が、所載された手紙の一番最後となっている。この日付の後、11月21日午前8時過ぎに波郷は亡くなっている。晩年の時期の奥様に送られた書簡の内容がずっと印象に残っている。波郷の人柄の一端がしみじみと窺える内容であった。地元の俳人末次雨城の書簡にたいする返事が、晩年の時期まで続いていることを知った。最後は、雨城の町長退職の挨拶状に対する波郷の返事の葉書であったようだ。
BSの再放送『グレートトラバース2』、本日は氷ノ山と蒜線三山が放映されてあった。氷ノ山は丹後在任中に、一度登りに出かけた山だった。丹後から日帰りだったように思う。蒜線の方は、京都へ向かう高速上から眺める山ではあったけれど、未だに登ったことはない。いずれ登ってみたい、という思いが本日の放映を通じて、また強まった。地元大山は、明日が夏山開山の日で、様々な催しが予定されてあるらしい。こちらも、ここ数年登った事がなかったので、是非今シーズンは頂上まで(とは言わないけれど、6合目先の避難小屋までで十分かもしれないが……)登ってみたいものだと思う。今年は、大山開山1300年記念の年でもあり、きっと登山者が増えることだろうと期待する。
夕方、1時間ほど歩く。思いの外涼しくて、歩きやすかった。今年初めての「立葵」の花に出会う。文字通り立ちっぱなしの姿で開花する花に、今年もまた奇妙な感慨を持つ。咲き様が、何となく変な様な気のする面白い花である。美しくないわけではない。