日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。
独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

         
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【19年7月29日】
捨てる神あれば、拾う神のことわざ通り、例の国民的ヒンシュクの対象となったM議員が、N党に入党することが決まったらしい。N党を追い出されて、N党へ。これで議員としての格好が少々はつくのかもしれない。今のままでは、全くの議員歳費の無駄飯喰らいで終わることになっただろうから。M氏の発言と行動が影響したのか(ほとんど関係ないだろうけれど……)、北方領土の返還交渉は、経済分野のみ切り離されたような状況の中で、ほぼ停滞状態となっているようだけれど。戦争によって北方領土の奪還を主張したM議員、今度はNKHを相手に「戦争」を始めるつもりのようだ。
30年以内にはほぼ確実に発生する大地震。その被害予想が、CGなども駆使しつつテレビを通じて視聴者に生々しく紹介されたりすることがあるのだけれど、その番組を見るにつけ、今の日本はお祭り騒ぎに浮かれる状況じゃないだろうという思いばかりが強まる。東京オリンピックに3兆円もの莫大な資金を費やすくらいなら、たとえ施策的にはずいぶん地味かもしれないけれど、本気で地震と津波対策にその費用をまわすことができたら、その結果、数十万人規模の死傷者予想の何割かが命を救われるというようなことが実現するのではないか、などとつい思ってしまう。30万人死亡します、などという被害予想の精度を高めたとしても、被害地域はこの辺りでこの程度の家屋の被害が出そうです、などと数値的な精細さを広報したとしても、それ自体は恐怖と諦観を煽る程度のほとんど無意味なことのように思われる。地震や津波が発生して以後、被害が確定した段階で、その予想精度の高さを再確認するのか、あるいはそこまではいかなかった、あるいはそれ以上の事態であったと色々反省してみるつもりなのか、よくわからない。それならば、このような施設をこの地域にこの程度の予算をかけて作れば、どれだけの人間が津波の被害をまぬかれる可能性が生じるとか、それぞれの町ぐるみの防火体制を確立すれば、この町ではこの程度の人命が死傷から免れるかも、という予想などをこそ詳細に検討、提示し、さらに予算をつぎ込んで実現してもらう方が、一時の快楽的なお祭り騒ぎよりも、よっぽど意味のある「レガシー」になりそうな気がする。楽しい楽しいお祭り騒ぎでたくさんの人たちの笑顔を生み出すことも大切かもしれないけれど、たくさんの人の悲嘆の叫びや表情を生まないようにできるだけ事前に手を打つ方が、個人的には意義深いことのように思える。1年でも早く手をうつことが、被災の後にその時間の重さを実感することにもつながることだろうと思われるので。
あるいは、オリンピック以後に予想される不況に対して、公共的投資の対象として災害の事前防止事業を考えているのかもしれないけれど……。
あるいは、為すすべなく手をこまねくばかりというのが、現実なのかもしれないけれど。


【19年7月28日】
本日は、朝の8時から1時間ほど、自治会の共同清掃。そのためにわざわざ小型の草刈り鎌を前日購入して、準備する。朝から曇りという、暑くなるパターン(俳句では、「朝曇り」という季語でこの状態を表すけれど)の天気で、たっぷり汗をかきながら、公園の草取りを行う。都市部では、自治会の崩壊が一部始まっているようだけれど、こちらのほうはまだそのような状況には立ち至っていないようだ。とはいえ、犬・猫の扱いや、ごみ出しの件ではいろいろ問題やそれに伴う苦情などが出てきているようで、こんな細々としたことから自治会の基盤が崩れることもあるのかもしれない、とは思う。今のところ、自治会はそれなりにまともに動いているようだけれど、これが昔々の「隣組」的な義務強制と相互監視的な組織に変わるようなことがあれば、鬱陶しいこと千万ということになるだろうと思う。
今日は一日、チェコの作家ビアンカ・ベロヴァーの小説『湖』を読む。図書返却の日が迫っているので、大急ぎでの読書。ずいぶん変わった内容の小説であったけれど、作者が影響を受けた作家の一人がスティーブン・キングとのことで、それでなんとなく了解ができた。その世界になじむまではずいぶん読みずらいところのあるお話だったけれど、半ばくらいから次第に面白くなってきて、最後は小さなどんでん返し的なところもあったりして、キング風に楽しむことができた。もう1冊、読み残しがあるけれど、こちらのほうはちょっと読み切れないような気がする(実際、無理そうである……)。
当世、ゴシップとお祭り騒ぎで持ち切りのようである。こんな時ほど、一般国民の眼の届かないところで、着々と何かが進行している、というのは歴史が常に実証してきたことなのだろうな、などとふと思う。


【19年7月25日】
なんとなく、梅雨が明けたのじゃないかな、という雰囲気。正式な発表はまだないようだが。空の様子はもうそんな感じ。おかげで、暑い。室温が30度超になれば、さすがにエアコンを使わないと身が持たないような気分(気分では済まない)になる。意識して、水もどんどん飲んでいる。時間帯を選ばないと、「歩き」ができないのが、少々鬱陶しい。とはいえ、登山靴の慣らしのつもりで、近所をどたどた歩いたりもする。ちょっと足がいたいかもしれない……。
句会の方から貸していただいた句集や本を読み進める。ずいぶん面白い。『唐詩選』はあと1日半ほどで2度目の読了が迫る。『源氏物語』は「玉鬘」まで読み終わる。『源氏』は日によって(というより読む場所によってということなのだろうが)、原文がすらすらと現代語訳に頭の中で置き換えれる時と、難渋して難渋して、ノルマの5ページに達せずあきらめるときとが、かなりはっきり分かれてきた。「玉鬘」はその両方の状態が、日替わりで出てきて、ちょっと難渋した。源氏の正妻紫の上がことあるごとに明石の君を意識している点が、理想的な妻というイメージのある紫の上にして人間的で面白い。もともとの罪作りは、源氏本人ではあるけれど、当人はやたらそんな人間模様を遠めに見つつ「微笑んで」いるばかりで、その点悪趣味というのか、少々薄気味悪い。
液晶モニターの調子が悪い。こうしているうちにも、いつ勝手に電源がきれるのか、気がかりである。スイッチ部分が、かなり駄目になってしまっているようだ。新品を買うか、市内の電気店で中古を買うか(今使っているのも、甥から譲られた中古ではあるのだが……)、考えている。


【19年7月23日】
重度の障害を持つ方が参議院議員として当選されました。個人的にはすばらしいことだと思っています。一方では、様々な理由を付けて(個人的には、難癖以上のレベルではないと思いますが)危惧めいたことや、露骨な非難を語るネット民がいるようですが、それは一部の突出した層の、予断や偏見、差別を含んだ発言が大半のように思われます。新たに参議院議員となられ、まさに我々国民の代表になられた方が、円滑に国会審議に参加できる環境整備を早急に進めていただきたいと思います。おそらく、世界が日本の国会の対応のあり様に注視していることと思われます。


【19年7月21日】
ひどく蒸し暑いので、明け方からずっと除湿をかけて過ごす。湿度が落ちると、少し過ごしやすくなる。6時前に起きて、歩く。しかし、すぐに雨が降り出したので、やむなく帰宅。朝風呂に入り、食事をとって、読書ガイド用の本を数ページ読む。
昨夜は、カンヌ映画祭でパルムドールを取ったとかいう(この程度の知識しかなかったけれど)「万引き家族」をテレビで見る。すっかり年を取ってしまった樹木希林の存在感がすごかった。おそらく、もうそこにいるだけですべてを語ってしまう、みたいなそんな地点にまで行きついているような印象。映画受賞時に、日本の現実を反映していない(やたら負の部分ばかりを強調して描き出している、というニュアンスのようだったが)、確かそんな評語があって、そうなのかと思ったりもしたけれど、今回現物を見て、家族関係や、その置かれた社会条件や環境について、世界レベルでの認識やそんな状況に対する受け止めが、具体的にこの映画の評価として反映していることを知った。少なくとも負の部分を強調しているという批判の中で、何かを糊塗したり言いつくろったりするそんな惰弱な評語が、狭隘な身内褒め的レベル以上のものではなく、世界にはほとんど通用しないものなのだろうなというそんな印象を持ったりもしたものだ。
映画の中には、それでも救いの要素があったけれど、現実世界はそんなわずかばかりの余裕もない(たとえば、幼児虐待を受けていた女の子は、一旦虐待行為を行っていた両親の元に返されるけれど、彼女のその後の運命は、ベランダの隙間やベランダ越しに外を見るというごく曖昧な暗示的な形でしか映画の最後には描かれなかった。彼女はかろうじてこの瞬間には生きているけれど、未来に渡るという保障はなく、それどころか現実世界では虐待の結果殺されてしまう子供たちの姿が、繰り返し報道されてもいる)、そんな状況が日本を含めこの世界には確かにあるということなのだろう。


【19年7月20日】
NHKの朝の連続ドラマ、いつのころからか、朝食をとりながら見る習慣ができていた。もちろん、現役引退以後の新習慣のひとつなのだろう。出来、不出来の差はあるものの、見ていると結構面白い作品が多くて、つい見続けるということになったのだろう。2万数千円というバカ高い受信料もちゃんとまじめに払ったうえでのことである。今は、「なつぞら」という女性アニメーターを目指す主人公を中心として、アニメ業界の人物群像的な内容で話が進んでいる。ある意味いかにもNHKらしい小さな波乱とその解消という流れで話が進む。だいたい1〜2週間単位くらいで問題発生とその解決という、視聴者にとっても受け入れやすいペースでの物語進行。今日は土曜日で、めでたく問題解決、さらに次の展開への伏線というような内容となっていた。
昨夜は、細田守監督の長編アニメ『サマーウォーズ』ノーカット版をやっていた。ついつい最後まで見る。映画館には全くいかないので、テレビのみの視聴で3回目くらいになるだろうか。CG等のデジタル技術の活用により、ある意味実写映画とアニメとの描き出す世界の距離が接近している部分がある中で、この人の作品はちょっと誤解を招く言い方かもしれないけれど、実写的な要素とアニメ固有の要素とを巧みに入れ込んで、そのうえでいかにもアニメらしい現実を越えたレベルの世界を描きあげていて、視聴していても本当に楽しかった。
京都アニメーションの悲惨な現実と、アニメーターの成長ドラマとすぐれたアニメ作品の上映とが同時進行している、そんな昨日今日であった。


【19年7月18日】
質の高いアニメを提供してきた京都アニメーションの第一スタジオが40代の男に放火され、死傷者が多数出ているとのこと。放火犯は、室内でガソリンらしきものを撒いて、そのうえで火をつけたらしい。職員のコメントによると、その男は面識のない人物ということらしく、詳しいことはまるでまだわからないけれど、愉快犯か異常者の犯行なのかもしれないと思う。突然のことで、驚きとともに強い憤りを感じる。
今、実家からも電話が入って、テレビをみているか、という。京都アニメ放火のことを流しているらしい。京都時代、伏見区の一角に暮らし、京都アニメは創設当時から知っていて、上質なストーリーや本当にきれいでうまい「絵」に感心もしてきたのだが。そういえば、地元の知り合いの親戚か身内の方が、京都アニメに勤めておられたと思うけれど、確か作画関係の仕事であったと思うけれど、大丈夫だったのだろうか。心配である。


【19年7月15日】
しばしば言われることだけれど、人は自分の見たいものしか見ない。見たくないものについては、真実を明らかにされるよりも、心地よい嘘の方を求めたがる、というそんな心性を見せられているような気がする。体調がいまひとつすぐれないというわずかな自覚はあるけれど、日常生活に目立って不都合は感じられない、感じても我慢の範囲だと自分を納得させて、病院へ行くことを先延ばししているうちに、取り返しのつかない状態に陥る、そんな感じ。
生活が楽という実感はないのに、経済政策はうまく行っていると評価したい、などという矛盾を孕んだ状態も似たようなものなのかも……。
今日は、短歌・俳句・川柳の三者合同講座へと参加する。県西部地区の歌人・俳人・柳人の人たちが参集して、思ったよりも大きな集まりとなった。各分野の簡単な講義やミニ歌会・句会のようなものもあり、途中クラリネットアンサンブルの演奏会なども間に挟まれて、結構楽しい集まりとなる。ただ、参加者の5分の4くらいは私より年齢が高そうで、かなりの高齢者率と改めて思われた。歌人、柳人がずいぶん元気そうだった。俳人は総じておとなしめ。
県下の文化関係団体の登録者は3万人くらいいるそうで、人口最小(に近い)県にしては、意外と多いかも、などとも思う。そのうちの歌人・俳人・柳人の割合ははたしてどの程度なのだろうか。


【19年7月13日】
土曜が休みであれば、3連休の初日ということになる。朝から蒸し暑く、すでに小雨勝ち。3日間とも天気は良くないらしい。「歩き」を含めて外出は難しいので、食後家中の掃除機かけ。やはり、寝室が一番埃っぽいようだ。この夏、エアコンを使う機会が増えるだろうから、この埃は少々厄介ではある。
一渡り掃除機を終えて、引き続き投句10句の準備。気のせいか、和室の畳が湿っぽいような。素足でいるせいなのだろうか。1時間ほどかけて、10句。小雨の中近所のポストに投函しに行く。ついでに、実家に立ち寄る。シーズー犬のJは、散歩もならず、廊下でごろごろしている。エアコンのかかった室内より、廊下の方がごろごろするには良いらしい。やがて、大の字になって、眠り始めるのだろうか。
読書という気分にならないのも、暑くて体がだるいせいなのだろうか。やむなく、気分転換(実際には、読書の方が効果的らしいけれど)のつもりで、ネット検索。晩秋から初冬ごろに沖縄に行くとしたら、最安費用でどのくらいかかるか、調べてみる。往復でも、東京行きかえりよりは安いみたいだ。宿泊は、ゲストハウスを除いて、それなりの価格がしそうだ。交通の便も今一つらしいと聞くので、沖縄に何度が出かけている知人に現地の状況など聞いてみたくなる。8月上旬には直接出会う機会もありそうだ。
それにしても、野党とはいえ、それを愚弄嘲笑の対象とすることは、その背後にいる国民自身を愚弄嘲笑することだ、という自民党石破氏の発言の趣旨には、賛同したい。勝てば官軍(維新の時期の長州などはその典型で、後世に恨みを残すほどに会津などを徹底的に弾圧したらしいけれど)というほとんど数の暴力という政治姿勢に対し、多数者であるがゆえに少数者とその背景に対する配慮を示すべきとする石破氏の姿勢は、与党政治家としてごく真っ当なものなのだろう。その同氏もまた、同じ党内で弾圧に近い扱いを受けているところに、政治的劣化の根の深さを思う。


【19年7月12日】
依頼されていた文章を何とか書き上げ、メール添付で送信。母の送迎を間に挟んで、『源氏』『唐詩選』、さらに平畑静塔の文章と、中西進の万葉集に関する評論の四つを久しぶりにちゃんと読む。平畑の文章からは、ちょっと面白い内容に遭遇。そばにあった紙片にざっくりとメモを取っておく。
今日は、終日ほとんど雨。そのうえ、少々蒸し暑い。最近は、短パンで室内を過ごす。エアコンは、冷気が少々苦手だ。のどに良くない、と思う。突然の空咳に襲われる。
所属結社から、読書ガイド用の本を紹介される。わざわざ書籍代金まで送っていただいたので、早速アマゾンで注文する。かろうじて1冊残っていた本だった。近日中に送られてくるだろう。それを読んで、読書ガイドを書かねばならない。
8月にはいるとすぐに、京都での恒例の行事が控えている。そのうえ、8月後半には年1回の俳句選者としての選句と評釈の仕事もある。もしかすると、昨年同様、地元の俳句講座の講師の声もかかるかもしれない(あればうれしいけれど、本日の時点でなしのつぶて状態なので、無いかも)。
そんな風にして、少しずつ時間が埋まってはくるけれど、8月も大半はフリーな時間という、なんとも時間長者の日々、である。梅雨が明けたら、とにかく一度大山に登らなければ……!


【19年7月11日】
国民健康保険の保険料徴収の連絡が届く。高いな、と思う。しかし、基本的には持ちつ持たれつの関係性は、まだ成り立っていると思われるので、その高さについても、ぼそっと愚痴をこぼす程度の不満の表明で終わる。職に就いて以降、数十年間にわたり、保険料を払いつつも、自分自身が医療等にかかることがほとんどない状態でやってきたわけで、その間、自分の納めたものは誰かのために使われてきたということであろうし、その関係は基本的には現在も変わらないということだ。ただ、今までは支えることが中心であったけれど、今は支えつつ、同時にちょっと支えられてもいるという状態であり、今後は支える以上に支えられる割合が増える、という関係に移行する可能性も結構ある、ということだ。
とはいえ、年金生活者もまた、健康保険料は年金の中から源泉徴収的にかなりの金額を徴収されているので、いわゆる医療や福祉関係について、現役世代とかに丸抱えされているわけではもちろんない。繰り返しみたいになるけれど……。
それにしても、持ちつ持たれつの関係の崩壊は、すでにその道を滑り出し始めているのかもしれない。個人の尊厳という観点抜きの、経費縮減という点からの「尊厳死」や「安楽死」のことが、語られそうな雰囲気がすでに過激なネット上にはあるみたいだし。慢性的な病気などを持つ者については、治る可能性が薄い、あるいは無いので、無駄に医療的措置を施すことをやめよう、というような冷徹な論調もないわけではないようだし。
「人の命は地球より重い」という箴言と、「人の命は塵よりも軽い」という実態とが交叉し共存するようなこの世界において、何がどのようにバランスをとられるのか、よくわからなくなってきているようだ。
……それにしても、やはり保険料、高いなとは思う。


【19年7月10日】
昨日は、久しぶりにバイト。終日、というのか、ほぼ12時間拘束のバイト。ただ、体を動かしたりする内容ではなかったので、時間の長さという点を除いて、比較的らくなアルバイトだった。バイト代は、後日振り込まれるということ。地方の今、を眼前にしたような気分ではあった。
連載させていただいている文章と、臨時に1本入った文章を同時進行的にこなしているので、今日もほとんど本を読む時間がなかった。買い物や振り込みなどの用事も入って、2時間くらい市内を車移動していたりもして、その分時間的に窮屈になってしまった。
とはいえ、書くことは楽しい。短いエッセイと、作品鑑賞。エッセイの方は、編集担当がなかなか厳しい人で、これで3回目の部分的修正のメールが来る。おとなしく、書き直している。鑑賞文の方は、それなりの枚数になりそうで、かなり時間がかかる予定。締め切り1週間前にはあげないと、次の作業にうつることができない。土日は、京都にいた。土曜日は、Tさんの句集の受賞記念祝賀会。珍しく三次会までつきあうけれど、実際のところは二次会で力尽きていたのが現実。四条界隈のカプセルホテル泊。気楽でよろしい。翌日曜は、句会。バスのタイムリミット近くまで残り、急いで退出。夕方の高速バスで帰宅。米子着は10時半だった。途中、なんどか記憶が途切れている。4時間の行程が、長く感じられなかったのはありがたい。
先ほどから、外は本格的に雨が降り出した。夕方、庭の植木に水をやった甲斐がないような気分となる。


【19年7月5日】
出かける機会が少し増えた。基本的には、自宅籠りなのだけれど、時に近場、遠場に出かける用事が増えたということだ。明日もちょっと出かける。今月は2回くらい出かけることになるだろうか。懐かしい人たちに出会う機会でもあるので、出かけることにはためらいはない。とはいえ、諸般の事情で、昔のように動こうと思ったら、即日行動ということがむずかしくなったのは、少々残念ではある。
今日は、読書やら、犬の病院やら、依頼のあった文章の下書きやらで一日を過ごす。うっとしいので、ほとんどテレビはみない。ネットもさっと目を通すだけ。参議院議員選挙が始まるけれど、少しなりとも野党の議席が増加して(維新だけはお断りしたいけれど)、与野党の間に緊張感が生まれることを望む程度のことだ。与野党含めて、政治と政治家の劣化ということは、本当に深刻な問題なのだろうとは思う。安倍内閣はその劣化を利用しているのだろうけれど。
梅雨さ中とはいえ、今日は一日好天。ただ、気温は思ったほどあがっていないので、環境条件の良くないこんな時期とはいえ、終日過ごしやすかった。梅雨前線は、南に大きく下がっているようなので、異常な降雨の心配はしばらくないのだろうと思う。梅雨明けは20日くらいらしい。暑熱の夏は、できるだけ勘弁してほしいと思う。日々の天候が、生活にとってずいぶん切実な問題と化しているようだ。
最近は『源氏物語』を読むことが、心身含めて、安寧を維持する方策のようになってきている。『源氏』の世界に浸っている時が、もっとも心の平静を保っていられる時のような気がしている。さて、はたしてこんな生活でよいものなのだろうか、と思わなくもないけれど。それくらいに、『源氏』の世界が面白いということでもあるのだろう。一日の生活は、『源氏』を読むところから始まる、と言っても本当に大げさではないような気分である。それにしても、こんなに夢中になるとは、われながら思ってもいなかったことだ……。


【19年7月4日】
図書館で借りてきた川添愛著『コンピュータ、どうやってつくったんですか?』を読む。「ぼく」と「妖精」のやり取りの中で、コンピュータがどのようにして作られたかを、わかりやすく(もないか……、ずいぶん難しくて理解不能の部分もあったりしたのだが)、紹介している、一見絵本ふうな本。「つくったんですか?」という「妖精」の問いかけに対して、「ぼく」が説明をしていくわけだけれど、機械工学的なところからではなく、もっと根本的な部分からの成立事情を解き明かしてくれる。そもそも「数」とは何か、という哲学的な命題から始まり、論理学を経て、初めてコンピュータが理論的なところから、実際に機械として誕生し、機能していくところまでを語る。おかげで、わたしなども2進数の「数」表示と10進数の表示との関係(10進数で「1」と表記するのを、2進数では「0」と書くのはなぜか、などということはこれまでこちらの頭を混乱させるばかりだったけれど)を納得する形で知ることができたりもして、結構うれしかった。体裁は子供向きの本を装っているけれど、子供にも大人にも通用する1冊であった。面白い。
梅雨前線が南下している影響で、九州や四国の南部地域や太平洋岸が、異常な降雨に見舞われているようだ。近年の奇妙な気象の変動が、とうとう異常気象として牙をむき始めているという思いを強く持つ。国土強靭化とかいうことをのたまっている以上、防災対策にまず多くの税金を投入すべきなのだろうと改めて思う。そのことが、ここ数十年の間にほぼ確実に発生するだろう南海トラフを起因とする大地震と津波に対する直接的な防壁にもなることだろう。のんきにオリンピックだ、万博だと、高度経済成長下の夢をもう一度的な方策を推し進めるより、もっと日々の生活と安全とに直結する事業に意を用いてくれたらな、と思う。そんなことはありえないと思いたいけれど、オリンピック開催中にもし大地震が発生したとしたら、どれほどの混乱や被害が発生することだろうか、などと不吉なことをふと思ってみたりもする。私たちは、少々能天気すぎるのではないか、と正直思う。


【19年7月2日】
6月下旬の二日間を使い、大山で1泊。吟行句会。さらに翌日は、市内に移動して県の俳人協会支部の句会に、要員として参加。夏霧の大山は、不安定な天候ではあったけれど、新緑の山の魅力を十分感じさせてくれるものだった。ちょっと面白い句もものすることができて、ありがたかった。月一の句会に参加させていただいている方たちとこの宿泊で親しくなれて、その点でも収穫大の行事となったことだ。
突然の腰痛で、大山登山が延び延びになってはいたけれど、今回の山行、山泊りの経験で、大山が一歩も二歩も近づいて感じられた。梅雨明けを待って、是非登山に挑戦したいものだ。若い時に打ち込んでいたことを、再開するということも、この先の進め方の一つの指針になることだろうと思う。ただ、少々体力の問題で気がかりな部分がないわけではないけれど……。LINEを見ると、大学時代の先輩方の何人かががそれぞれ海外への長期の旅行を実現されていたりして、私自身は諸般の事情から海外は無理としても、まだちゃんと足を踏み入れたことのない東北や沖縄などに興味を感じたりはしている。特に、沖縄は是非一度行ってみたいところではある。
世相に対しては、少々うんざりげんなりというところではあるけれど、それはそれとして、私自身の生活については、少しづつではあっても前向きに進んで行きたいものだと、今年後半を視野に入れつつ、自戒を含めて思いを強めている。
図書返却の期限が迫っていたので、フランス詩のアンソロジーと、坪内稔典氏の「柿」を話題にしたエッセイ集を読む。「柿」に関するエッセイ集は大変面白かった。ただ、地の文にあたる文章の卓抜さに比べて、会話を記した部分の、率直に言って凡庸な点が、その落差の大きさとして、印象に残った。とはいえ、坪内氏は、研究者としての生真面目さが、一本筋として文章全体を支えているようで、ちょっと風変わりな俳句作品との質的な乖離のようなものも感じてはいた。一見意表うをつくような同氏の俳句作品が、実際にはずいぶん生真面目な動機を背景として作られてあることを思ったりもした。フランス詩は、難解。解説文がそれぞれ見開き2ページでまとめてあったけれど、理解するにはなかなか困難なところがあった。フランス詩の翻訳自体も、解説者の新訳なのだろうかと思われた。CDが添付されてあったので、数編朗読を聞く。思いのほか、淡々とした朗読であった。