日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし
た。 備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。 独り言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。 |
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午前中は、母の運転手として病院へ。検査は短時間で終了したが、検査結果を申し渡されるまでずいぶん待たされることとなる。満員の待合室で、順番の電光掲示板を半分あきらめの気分で眺めながら、待つ。それでも、昼前には終了。時間も時間なので、どこかで昼食をたべることになり、地元では有名な蕎麦屋に出雲蕎麦を食べに行くことになる。朝からの雨は、強まったり、弱まったりを繰り返していたけれど、病院を出て、蕎麦屋へ向かうまでは、車軸を流すような猛烈な降りであった。前を行く車が、歩道側に車高と同じくらいの跳ねを上げて進むのを目で追いながら、慎重に運転しようと改めて思う。
幸い、お店につく頃には猛烈な雨もおさまってきていて、普段なら満員の店内で、ゆったり余裕をもっておいしい「三色わりご」蕎麦をいただく。出雲蕎麦は皮なども混ざっていて、全体が黒っぽいけれど、香りが高く美味しい。ぜいたくな昼食であった。
午後からは、天気予報通り雨が止んで、曇り空。時折、青空がのぞいたりもする状態となる。昨日、今日と、所属結社に投句。昨日は七句、今日は午後から十句を作って、投函。月末締め切りなので、ぎりぎり間に合うというところ。
天気が落ち着いているので、車の初乗り。いろいろと安全装備満載の車らしいけれど、実感としては今一つよくわからない。特別な状況にならなければ、その本領は発揮されないということなのだろう。ただ、表示パネルに、速度表示が路上の速度表示板に対応する形で、その都度色鮮やかに表示されるのが、目新しかった。走りながら、車が交通標識を確認している、ということなのだろうか……。
マスコミは、一斉に韓国批判を繰り広げているようだ。まるで、誰かさんに対して、我勝ちに成果を競う合うように同じような論調を繰り返すマスコミ(主にテレビだけれど)に、いずれこの事態も収束を迎えることになるだろうに、その時どの面下げて、何事もなかったかのように冷静で客観的な「見識」を視聴者に対して提示するつもりなのだろうか、と思う。政府間の係争に、油を注ぐようなマスコミの現在のありようは、まさか視聴率稼ぎのためとまでは思わないけれど、どこかのネトウヨと同程度のレベルでの面白がりのようにも思えてしまう。少なくとも、マスコミはネット上に氾濫する意見をそのまま鵜呑みにするようなことは避けるべきだろう。ネット上の意見はおおむね偏った内容のものになりがちであろうに。マスコミ全体が、ある種「炎上」とか「祭り」的な状況の中にあるように思える。
日本の側にも多少の傷は生じるかもしれないけれど、今のうちに韓国を、言わば二度と立ち上がれないほどに徹底的に叩いておこうという政治の意志と、それに同調し快哉を叫ぶ一部の人々の姿ばかりが表立っていて、それが現在の日本という国家のあり様のように見えてくるのは、韓国が短慮で意固地な国家と見えてくるのと同じ程度に、国家の内実を貶め、国益を害するように個人的には思われる。泥仕合は、いい加減なところで切り上げるのが、賢い(喧嘩の)やり方のようにも思われる。少なくとも、今やっていることは、両国にとってまるで生産性に欠けることではないのか……。少なくとも、せめて日本の側には今一段の「叡慮」を期待したいけれど。無理かな……。
リアウインドウ粉砕というかなり派手な自損事故を起こして以来、運転に一層の注意を払う必要を感じて、とうとう手持ちの普通車を下取りにだして、安全装置満載の軽自動車に乗り換えることにした。その車の納車が、当初の予定から3週間余り遅れて、本日届いた。多機能の車ということで、本日は運転を先送りにして手引書と首っ引き状態で、あれこれボタンやスイッチやら、操作やらを確認することにする。至れり尽くせり的なところがあり、これは今の自分にはあまり必要でもないかなと思われる機能もあるけれど、共用する人の条件を考えると、これも安心につながることかと思う。
あとは、ドラレコを手に入れなければならない。360度記録するタイプであれば一入安心感もあるだろうが、その分値段もずいぶん高価である。わが県は、近々ドラレコに補助金3000円が付される(総予算が300万円とは……)らしいが、それを待っているわけにもいかないだろう。母の車の方には、私がドラレコを付けたけれど、さすがに後方カメラの設置は難しいので、前のみの記録となる。バックミラー一体型で、ミラーの一部に映像が映し出され(もちろん、前だけなので運転しつつ見ている情景と同じということになるのだが)見ていてそれなりに面白いような気がする。
図書館に本返却。しなければならないことがあるので、今回は新たに本は借りなかった。なかなか読む時間が取れないような気がするので(気がするだけで、実際には読もうと思えばそれなりに時間を取れるのだろうが、優先事項重視という心構えを自らに律する意味で……)。
5年ごとの年金検証の報告が本日出されたようだ。担当大臣は、意図的に遅らせたわけではないと弁解じみたことを語っていたが、やましいことがなければ、平然としていればよいのに、などと思う。いろいろと整合性をつけるためにも時間をかけたということはあるのかもしれないが。年金をめぐる社会環境やその条件をやや厳しくしたらしいが、それも整合性をつけるための一方便ということかもしれない。40年間勤務して、専業主婦との生活という前提での算出らしいけれど、それだとかろうじて政府の主張する条件はクリヤしているらしい(その数値や結論をどこまで信用して良いか、という点はさておいて)。しかし、実際のところはその平均的な条件をクリヤできない、平均値以下の状態に置かれた国民が膨大な数いるという点について、どんな具体的な対応策が出されてくるのだろうか。
日差しの下では、暑いなと思うけれども、日が差さないとなんとなく過ごしやすい感じになってきているようだ。今日、明日ともに大陸からの秋の空気がはりだしてきているそうで、その影響なのかと思う。昨日は終日雨(これは秋雨前線のせいらしい)だったけれど、今日は天気が良くなりそうなので、滞っていた洗濯を済ます。薄い夏掛けなども洗う。
とうとう、昨日、某機関の俳句コンクールの応募作品が届いた。年に1度の選者のお仕事で、ありがたいなりに責任を感じて気分的に重いものもあるのだけれど、ちゃんと選句と講評をまとめる仕事にとりかかろうと思う。とりあえず、昨日のうちに環境作りということで、仕事場に使う和室を掃除し、机の上を整理して仕事のためのスペースを確保しておく。今日は、郵便を開封して、作品を一通り読んでみよう。ただ、午前中は、実家の犬の出張トリミングの方のお手伝いをしなければならないので、午後からになるかもと心づもりをしておく(結局、お手伝いに立ちっぱなしで2時間ほどかかり、昼前には終わったものの、人間も犬もかなり疲労気味となる……)。とりあえず、心つもりだけで終わるかもしれないけれど……。それでも、八月中には、作業をすべてし終えて返送しなければと思う。
午後、一通り読み終え、さらに再読、三読。今年の投句作品は昨年以上に良いと思う。投句数も多く、かなり選に苦しむことになりそうだ。とはいえ、たくさんの印象的な作品に出合えて、うれしい。
日韓の問題について、以前「窮鼠猫を咬む」ということもあり得るかも、とつぶやいたおぼえがあるけれど、こんな形で「トムとジェリー」関係(古臭いけれど)が発現するのか、と思う。個人的にはどうでも良いけれど、これ以上国益を害し、国民に実害が生じる前に、日韓いずれも現政権は共倒れしてくれれば、少しはすっきりして、次の展望が見えてくるかも、などとは思う。まさかここまでするとは、という日本政府の狼狽と、静観の姿勢は、いまのところなすすべがない「窮鼠」の反乱ということであろうか。この事態を好ましいとする一部の方々のお気楽ぶりには少々疑問符も付するけれど……。
8月に入っていろいろ行事が立て込んだりしたけれど、昨日で一応一区切り、という状態。通常の日課へと生活を戻す。
『源氏』相変わらず面白い。「近江」という癖のある女性が登場して、周りをちょっと引っ掻き回しそうであるのが、興味深い。とはいえ、主役は玉鬘なので、このままチョイ役で終わるとしたらもったいないキャラクターではある。漢文は、二度目の『唐詩選』を読了し、『文章規範』の方へ移る。韻文から散文へ。韓愈の文章を読み進めている。
昨夜、二度にわたっての突然の停電。停電につながりそうな雷雨等の気象状態は全くなかったので、最初は自宅のブレイカーが、何かの理由で落ちたのかと思う。非常用のランタンを点けて外に出てみると、近所一帯も同様の状態なので、これは本当に停電なのだと了解する。前回、停電になったのはいつだったかと、すぐには思い出せないくらい、停電には縁のない状態だった。それぞれ短時間で回復したので、全く支障はなかった。のちほど、ネットで確認すると、調度広島と鳥取とで数百件規模の停電が発生したらしい。本日になっても、その原因は調査中のままになっているけれど……。昨日の中電管轄内の他地域での停電理由は、落雷と樹木等が電線に触れたためということ各々1件ずつ広報されてあった。けっこう丁寧な対応だなと思う。
台風通過後、天気は不安定になって、本日も曇り、ときどき小雨という状態であるが、そのぶん蒸し暑いなりに気温は30度前後で、一時の快晴・高温状態からは一歩気候が前進したのかも、などと思われる状況となった。今週一杯は曇りか雨の天気予報。その後、残暑が復活するかどうか、気になるところだ。
四国高松での「俳句甲子園」は、弘前高校が名古屋高校Bを破って優勝。ネット配信で決勝戦の様子を途中から視聴していたのだけれど、見始めた時にはすでに弘前高校が先に3勝を取って優勝が決まったあたりからだったので、その点ハラハラドキドキ感はなかったものの、3回戦の講評以降、出句の優先順位のことが繰り返し触れられていたようで、何があったのだろうかとちょっと思う。おそらくこれぞと思う句を最初に持ってきて勢いをつけるか、それを最後の方に残しておいて、最終的に勝利を確定させるという戦術にでるのか、という勝負における勘とか判断力の部分に関するものなのだろうけれど、最初に3連勝した弘前に対し、戦術の基本設定の部分での不都合な偶然(といっても、どんな作が出てくるのか、どんな評価を審査員が下すのかわからないままに、句の順番はそれぞれのチームで判断されるので、今回については思わぬ不幸な結果となってしまったのかもしれない……)的なものが名古屋Bチームを見舞ったのであろうか。それにしても、最後の大将戦での名古屋チームの句は、とても見事な作品だと感服したものだった。
一部の日本人の中にたいした理由もなく(当人にはそれなりに何かあるのかもしれないが)韓国や中国を見下し、差別する意識が根強く存在するらしい。個々人のそんな歪んだ意識についてどうこう言うつもりはないが(鬱陶しいので……)、それが政治の世界を越えて、日常生活の中に薄暗い影をおとしつつあることは、鬱陶しい。日韓がそれぞれに自己の正当性を主張しあい、そのことを通じてそれぞれが自らの権力基盤の強化を図ろうとするのは、きっと政治の世界においてはごく普通にあることなのだろうから。しかし、政治の世界では、一方が絶対に正しくて、一方が絶対に間違っているという単純な事態はあまりないことではないか。例のナチズムにしても、それが圧倒的に支持された地域と時期があり、さらにそれが絶対悪とみなされた長い歴史的事実もある一方で、ナチズムに共感を示し、今更にナチのやり方を参考にせよ、的な主旨の発言をする日本国の政治家が現職として辣腕?をふるっている事実などもあったりするくらいだから。ナチズムですら、政治情勢や特殊な社会状況の中では、絶対善とも絶対悪ともいいきれない、いいかえると相対的な価値尺度の世界に置かれるらしいことは、いまだに原爆投下ですら賛否の対象となっていることからも明らかなことだろう(個人的には、ナチズムはお断りだし、原爆投下は間違っていると思っているが……)。
ちなみに、私は例の「令和」の名付け親とうわさされる方の書物を通じ、韓国の伝統的な定型詩の存在とその魅力を知らされたり、さらにその延長として韓国の近現代詩のアンソロジーを通じて、その詩もなかなか素敵だということをごく最近になって認識させられたりしたものだ。韓国の文物も魅力的だと再評価させられたのは韓流ドラマの面白さを知って以来、久しぶりのことだった。だから、政治の世界で、やたら尖がって日韓が対立し、日本の側からいえば韓国を評価すること自体があたかも日本の国益を侵害する、反日・非国民である的な非難の風潮が生じるようなことがもし万が一あるとすれば、そのことをとても鬱陶しく思う。基本的に相対的な価値が意味を持つ政治の世界において、その価値と価値の対立をいかに調整し、いかに巧みにバランスを取っていくのかが、その国の政治や外交の本来の力量というものであり、そこに奇妙に絶対的な価値めいたものを押し込めてくることが、きな臭い状況をその社会にもたらすことにつながるような気がしてならない、と素人目にも思われてくるということだ。
たかだか政治的な課題の対立を、国家対国家、あるいは民族対民族、その生活や文化などの対立にまで押し広げるようなことは(特に、最初から差別的な意識に凝り固まった一部の方々に、自らの差別意識の正当化の奇妙な論理を与えるような契機にもなりそうだし)、くれぐれも慎重に善処していただきたいものだ、とつくづく思う。
この時間、台風10号は中国地方を縦断して、日本海の方へ抜けているのだろうか。のろのろと移動する台風の様子を終日テレビで確認し、西日本全域に様々な影響や被害をもたらしつつ、次第に接近してくる様子に内心ちょっと緊張感のようなものも感じながら、その時が来るのを待機していたのだが。この時間帯になっても、風も吹かず、ほとんど雨も降らないままであるということに、一方では安心感を覚えつつも、数時間にもわたる暴風圏の中にいて、さらに近接と言ってよいほどのところを台風の中心が通過しながらも、これほど平穏な状態のままであることに、逆に違和感のようなものを感じた。大型台風であればあるほど、地域的な差異や違いが生じるらしいことを、天気予報の解説で語ってはいたけれど。そうは言ってもここ数十年間何十回にもわたって台風の通過や影響を経験してきて、こんな変な台風は初めてのことだった。
とはいえ、さらに時間が経過する中で、この後の風の吹き返しや雨雲の移動が、暴風や豪雨をもたらすのかもしれないから、こんな一見呑気ふうなことも言ってはおれないのかもしれないけれど。ただ、最近しばしば思う天候の奇妙さというものが、改めて今回の台風についても思われた。たまたまのこと、なのであろうけれど。全国的には、1人が亡くなり、数十人の怪我人が出るという傷ましい被害がありながらのことで、不謹慎な感想かと思いつつも……。
それにしても、妙に一日体調が悪かった。脱水かなにかのせいかとも思ったけれど、原因はわからない。頭が重く、体がだるくで、一日の大半を寝床に横になってテレビを見たり、時折うとうとしながら過ごすこととなってしまった。一切本も読む気にならず、かろうじて昼食前にネット上で万尾直前の連句の捌きをし終えたことだけが、本日の活動と言えば唯一に近い活動ではあった。これもまた、奇妙な台風の影響であろうか……。
台風10号は、完全に直撃コースにあるようだ。まだ強風圏にも入っていないのに、外は時折強い風が吹いている。快晴の空が、かえって不気味なほどの印象を与える。庭の山法師の木は、幹が細くて、強風に煽られるとおおきく損傷するおそれがあるので、昨日のうちに長く伸びた枝のかなりを伐っておく。前回の台風の時は、強風の中で枝切りをした経験があるので、今回は前回を教訓とした対応策。本当なら一本の幹に切り詰めておいていただいた方が山法師自身にとって樹体も含めてよかったのだろうが、今更もうどうしようもないことだ。
墓参りも昨夕行ったなりに今日、明日はもう難しいだろうと思われる。こんなお盆もほとんど経験したことがないことだ。迎え火は昨夜遅く焚く。ちょうどペルセウス座流星群の極大の日で、母たちは迎え火がてら、スマホの星座アプリを空に向けては、ほぼ満月のため、明るい星以外は見えないながらも、しばらく談笑していた。
8月の6日から10日までの京都龍谷大学を会場とする「現代俳句講座」は、7日の猛暑の宇治吟行を含めて、楽しいものだった。学生の参加者は160人ほどで、講義や句会なども結構楽しんでいたようだった。最後のアンケートにも、多くの受講生が「機会があればまた俳句を作りたい」とのアンケート項目に丸印をつけていた。そんな受講生諸君の思いも含め、9月10月には各1回ずつ、京都駅前のコンソーシアム京都を会場に90分の句会・交流会が実現することにもなった(受講生の参加者があれば本当によいのだが……)。
外交は喧嘩ではないだろうし、ましてメンツや意地を守るためのものでもないだろう。強硬策を取るにしても、どこかに交渉の余地を残しておくということが、外交の基本的な手法の一つなのだろうとは、素人目にも明らかなこと。その余地を潰すことは、もう「外交」ではなく、ある種の「戦争」なのだろうと思われる。その「戦争」を厭わない好戦的な人たちが、世の中にはずいぶん多いことだ。この先、どうなっていくのか、なりゆきを静観(傍観?)するほかに一般人にはなすすべもないことなのだろう。世の中には、「窮鼠猫を噛む」などということわざもあるけれど。
それにしても、これで「拉致問題」はほぼ当面の解決の見通しを失った、ということにならなければ良いが……。
暑い暑い夏が始まった、ということなのだろう。