日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

9月分「日々録」 10月分「日々録」 11月分「日々録」 12月分「日々録」


【1月31日】
1月も終わろうとする今日、身辺に大小取り混ぜて様々なことが起こった。いずれも、ここに書き記すことが出来ない性質のものなので、書かないが、一日でよくまあこんなに色々と起こったものだと、感心を通り越してあきれてしまう。いや、あきれるを通り越して感心してしまう、というべきなのだろうか。放課後になって、やっと落ち着いたような有り様だった。
クラブに顔を出す。毎週水曜日は、バドミントン協会の方に講師さんとしてクラブ指導に来て頂いている。生徒達は、2時間基礎練習を繰り返し、その横で一人で練習をしていたりする。6時前に練習が終わり、講師さんから、最初はどうなることかと思ったということも含めて、生徒達の技術の上達の事を聞く。実際、もう僕では勝てないだろうな、と思う。専門的な指導のできる教師がいない状態の中で、自分たちで考えて練習を重ねて、ここまでやってきたのだから、大した物だと改めて思う。
6時過ぎに退勤。いつもの店に顔を出す。ちょうど、客が途切れた時のようで、誰もいなかった。いつもの通り、熱燗とおでんを注文して一人で飲む。今日一日の事を思い出しながら飲む。ともかく慌ただしい一日だったな、と思う。筒井康隆の新作『恐怖』を、帰りの電車の中で読み始める。

【1月29日】
何とか、回復する。その代わり?後ろの席の数学の先生が、似たような症状で早退された。金曜日、早退したため、本日の教科会議のレジメが出来ておらず、1時間目が始まるまでにとにかく作る。2時間授業をした後、3限目が教科会議なのだ。慌ただしく1週間が始まることとなる。教科会議も終わり、4時間目はちょっと自分の仕事でも、と思っていると、病欠のため急遽3年生の試験の監督がまわってくる。さらに、気が付くとお昼の弁当を注文することをすっかり忘れていた。仕方がないので、学食でパンを買って来て昼食とする。
午後は、こまごまとした仕事をひたすら片づける。放課後も、同様に。4時過ぎからは、クラブの方でビデオを見るということで、その付き添い(生徒だけでは許可されないので)として一緒にバドミントンの試合のVTRを見る。社会人と大学生の女子ダブルスの決勝戦。寒い教室で見る。そのうち寒さを忘れる。取ったり取られたりというとても面白い試合。文字通り、息を詰めて試合展開を見守る。最後は、社会人ペアが、逆転勝利する。うーん、面白かった!
夕方、本日の仕事は終了。そのまま、2駅分歩いて、いつもの病院へ行く。前回の検査結果を聞くことと薬を貰うため。歩きながら、日の暮れるのが少しずつ遅くなって来ていることを感じる。あと数日もすれば、立春となるのだ、と改めて思う。

【1月27日】
また、体調を崩してしまった。金曜日、朝から腹が痛く、おかしいなと思っていたが、時間がたつにつれしんどくなってきた。5限目の授業の時は、ともかく耐え、6限の会議の時には、頭がぼんやり状態だった。放課後、年休を取って帰宅。薬を飲んで寝る。立っているのが辛い状態だったので、横になってほっとする。
夜に入って、熱が上がる。変に興奮状態になる。ちょうど、年末から年始にかけてかかった腸感冒の状態に良く似ているなと思ったら、まさにその状態となる。
一夜明けて、熱は大分下がったが、腹の状態は良くない。今日も一日寝込むことになるだろうと思う。今年に入って、寝込んだのは3度目。こんなことは今までになかったことだ。不摂生をしている訳ではないと思うが、自分の体のことが良くわからない。兄より、メールあり。

【1月25日】
数日かけていた仕事が、ほぼ全部パーになった。注意書きの見落としというこちらのミスもあるのだが、なんとも納得できない理由がからんでいたりして、疲れてしまう。仕切直しは明日から、ということにして、帰宅する。途中、郵便局本局に立ち寄って、郵便物を受け取って帰る。
夕食を食べながら、ビデオを見る。「ケイゾク・映画」という日本映画。ちょっと癖のある映像と、ギャグを絡めた変則的なストーリー展開が面白かったが、途中から何やら訳のわからないお話に変わって、一体どう結末を付けるつもりなのだろうか、と半ば呆れながら見ていた。最後は、火山の噴火で島が水没してしまうという、一時代前のパニック映画みたいになって、終わった。やれやれ、と思う。
なんとなく、ぼんやりしてしまう。そう言えば、朝、通勤の途次、読んだ本の内容が気になって下車駅で降りた際、傘を車内に忘れてきてしまった。これで、何本傘を忘れたことやら。本の内容は、宇宙に関わることで、宇宙が誕生して以来、120億年ほどたっている、という様な中身。120億年という膨大な時間の流れに気を取られて、目先の傘を忘れてしまっていた、というていたらく。

【1月23日】
また、眠れなかった。夜中に目を覚まし、枕元のスタンドの灯りをつけ、何となく無機的な夜の空気を感じながら、天井を眺めたりして、時を過ごすことになる。本を読む程には覚醒しているわけでもなく、再び眠り込むほどには、もう眠りの塊は自分の中に留まってはいない。あきらめの気持ちの中で時間が過ぎていくのを待つばかりだ。2時に目が覚め、ふたたびうつらうつらしたのは5時前。そんな状態で見た夢というのは、おおむね辛いようなものが多い。誰かを酷く罵倒している夢。そんな自分を悲しんでいる夢。疲れ切って目を覚ますことになる。
一日中、頭が重く、瞼が痙攣している。そんな中での4時間の授業は、正直言ってかなりつらかった。その間に3年生の学年末考査問題を一つ完成させ、立ち番をして、さらに放課後は、会議が一つ。こうなったら、と思って、ひさびさにクラブで練習に参加して一汗かく。
帰宅後は、ただもう眠いばかりだ。そのくせ、頭の芯は変にピンと張りつめているようなのだ。今夜は、無事に眠られるか、それともまた、夜の闇の中で目玉になったような気分で何時間かを過ごすことになるのか、どうなることやら。

【1月21日】
薬のせいか、1時間毎に目が覚める。そのたびに、5分くらいテレビを付けて見ては、また、眠る。色々な夢を矢継ぎ早に見た。でも、その個々はもう覚えていない。7時前には、起き出す。夜の間に、雪はほとんど降らなかったらしい。家々の屋根は、うっすらと雪を乗せ、近所の消防学校の広くもないグランドは、土の色をほとんど隠してはいたが。
朝食を作り、コーヒーを入れ、ゆっくり食べる。外は、良い天気だ。7時過ぎくらいに、ようやく朝日が昇って来る。午前中は、ぼんやり過ごす。あまりぼんやりしていてもいけない、と思い、明日返す予定の国語表現の小論文を読み、評価付けを行う。これで、今年度の国語表現もほぼ終了。あと1回は、来年度の受講生のために作文・小論文・創作の書き方を1年間受講してきた生徒諸君に伝授してもらう、というもの。次年度の国語表現の第1時間目に、小冊子としてまとめた形で、生徒諸君に配ることになる。来年度、国語表現が持てれば、の話しではあるが。
兄にメールを送り、さらに追伸の形でもう1本送る。重い内容のものとなる。でも、しかたが無い。午後、ジョギングをする。ゴミ袋に首と手を出せる穴を開け、それを下に着て走る。がさがさ音がするが、風を防ぎ、熱が内に籠もるので汗が出やすく、とても具合が良い。帰宅して、シャワーを浴び、一休みしてから、近所の大型スーパーに買い物に行く。食糧や雑貨を買い込んで、ついでに最近飲みだした「神河」という焼酎も買って帰る。友人も偶然同じ物を飲んでいる、という。大きな荷物になってしまった。夕方、PC関係の本を読みながら、うとうとする。眠い。半分起きていて、半分寝ているという微妙な中で、現実と夢とが交叉している状態というのは奇妙なものだ。起きながら夢を見ているという様な有り様だった。夜、ブリのあらを煮る。なかなか立派な「あら」だった。大根も入れようかと思ったが、面倒だったので「あら」単体。焼酎を飲みながらの夕食。美味。食べ終えて、もう眠くなっている。

【1月20日】
昼前に降り出した雪が、みるみる積もっていく。昼間に京都市内でこんなに雪が積もっていくのは、珍しいことなのではないか、と思う。今も雪は降り続いている。降雪のために、稲荷山の方は全く見えない。伏見城は灰色のシルエットとなって、かろうじて見える程度だ。このまま降り続ければ、結構積もるかもしれないな、と雪国生まれの身としては、密かに期待をしていたりする。ただ寒いばかりの京都は、何か物足りないのだ。
昨日は、放課後年休を取って早めに帰宅。何をしたというわけでもなかったのに、熱が出て気分がすぐれなかったので。以前に比べて、簡単に発熱したり体調不良で寝込むようになったな、と改めて思う。去年から今年への年越しを、生まれて初めて病気で寝込んだ状態で迎えたりもしたものだ。途中、薬局で薬を買い、2食分の食糧を買い込んで帰宅。すぐに寝る。薬が効いたせいか、うつらうつらしながら横になっている。いつの間にか、外は暗くなっていた。
一晩寝ると、幸い熱は下がっていたので、出勤する。授業は2時間。騒ぐ生徒がいるクラスで、一方で叱ったり褒めたりしてその舵取りをしながら、もう一方で授業を進めなければならないので、2倍エネルギーを使う。終わったら微熱が出てきた様子で、瞼が変に重くなってくる。月曜日の授業準備と教科会議の資料を作って、昼過ぎには帰宅する。寝込む程の状態ではないので、温かくして午後を過ごそうと思う。やむことなく、雪が降り続いている。

【1月18日】
丹後の峰山から電話あり。大雪のために今週予定されていた「いさなご句会」が中止になった、とのこと。岩城先生は、前日から峰山の方へいかれる予定だが、どうされるのだろうか。『燕巣』の羽田岳水先生からもTELあり。20日締切の句稿がまだ届いていない。早く出しなさい、という内容。今晩、考えねばならない。10句は、かなりきつい。
今日は、4時間授業。けっこう疲れる。その後、新3年生のクラス編成作業の準備で、選択者のカード作り。生徒の各クラスへの割り振りのために使う予定。初めてのやりかたなので、上手くいくか、少々心配である。結局、その準備だけで2時間くらいかかってしまう。実際の作業にはまとまった時間が必要なので、土曜日あたり、別室に籠もって作業をすることになりそうだ。
時折、雨がぱらつく中を小倉駅まで歩く。遠回りをして歩いて40分ほど。途中、「ブック・オフ」で古本3冊を買う。吉本ばななの本1冊と中上健次の本2冊。

【1月16日】
授業は4時間。国語Tは、太宰治の『津軽』に入る。インターネット検索で、太宰関係のHPを探し、『津軽』関係の写真を何枚かダウンロードし、そのまま印刷して、授業の補助資料として使用する。こんな時、ネットは本当に便利であると思う。しかし、印刷機が白黒印刷しか出来ないのが残念ではある。古典Uは、「源氏物語玉の小櫛」。本文の最後の方が教科書には掲載されている。大急ぎで進んでいるので、次回には終了。漢文へと入る予定。
昨日は、月曜会の新年会。四条南座近くのSという店。体調を整える意味で、京都駅から歩く。風邪が寒い。新年会の前に5時から句会が行われるので、それに遅れないように行く。5分前に到着。すでに数人の人が来ていて、短冊に句を書き付けていた。世話役の小松生長さんから、辻田先生が今日欠席されると聞く。やがてメンバーが集まり、6時をめどに句会が始まる。しかし、披講を終えたところで6時になったので、一時中断して宴会の方へ移る。京料理だが、結構美味しい。お酒がやや甘口なのが、残念。呑んで、食べて、お喋りをして一段落ついたところで、句会の続き。辻田先生がお休みなので、名乗りとともに、自由に批判しあうこととなる。皆、お酒が入っているので、口が良くまわる。時に、辛辣な評も交えて、いつもとは雰囲気の違う句会を楽しんだ。9時前には、宴は終了。明日があるので、どこにも寄らずに帰宅する。

【1月14日】
『燕巣』の羽田岳水先生から電話あり。2月号の作品が届いていない、とのこと。ページのその部分が空白になっていると、印刷所から連絡があったので、大至急送りなさい、とのこと。あらかじめスペースが設定されてあるのか、と初めて知った。いそいで10句をまとめ、FAXで送る。
昨日は、パルスプラザに骨董市を見にいく。催し物会場は、満員の人だかり状態であった。一通り、出店を見物(文字通り見物で終わったのだが)してまわる。骨董の世界は、なかなかいかがわしいなあ、などと思いながら、結構それが楽しかったりする。絵画関係は、ほぼ「全滅」状態ではないか、と思う。ルノワールまがい、ピカソまがい、岸田劉生まがい・・・と、素人目にもモロわかりであったが、それを眺めるのがまた何となく楽しかったりする。掛け軸関係は、非常に偽物が多いと聞いているけれども、これもかなり「全滅」状態なのでは、などと勝手に思ったりしている。でも、俳人の短冊か色紙があって、ほどほどの値段であれば、つい買ってしまうかも、などと考えたりもする。仏像関係もいかがわし度はかなり高い様に思う。特に、香木で彫られた小さな仏像というのは、どうかなーなどと思う。僕が、インドで200ルピーほどで(当時、1ルピーは4円だったが)お土産として買ってきたものと、良く似たものが8万5000円などと値段がついていたるするのだ。仏像は、かなりインド・アジア方面からのお土産品ではないかな、などと思ったりする。
そんな中で、ああ、ほしいなあと思った陶製の小さな牛と兎の置物があったのだけれど、一つ8000円とか、12000円もするので、手がでなかった。二つで10000円くらいだったら買ったかもしれないけれど。売り手がドイツ方面出身の夫婦もので、日本語がまるでしゃべれない(みたいなようすで)、片言英語で「ホシイケド、トテモタカイ」「ソンナコトナイ、イギリス製ノイイモノダ」ぐらいの会話しか交わせなくて、値切りを諦める。でも、なかなか素敵な置物ではあった。
今日は、酷い朝寝をする。9時前くらいまで寝た。今も、頭がぼーっとしている。午後は、友人のコンサートに行くことになっている。近鉄高の原までいかなければならない。外は天気は良いけれども、とても寒そうだ。

【1月13日】
所用のため、午後は年休を取って早めに帰るので、ひたすら仕事をこなす。授業は2時間。国語表現と国語T。残りの時間は、月曜日の教科会議のレジメ作り(これが毎回1〜1、5時間くらいかかってしまう)、その後、副教材の選定の為に教科の本棚の整理、その後、1年担任から依頼のあった来年度の選択のクラス別・類型別の一覧表を作成、コピー機の調子が今一で、余分を含めて12部ずつを何回にもわたって印刷したので、思った以上に時間がかかる。その後、綴じ込んで1年職員室へ持っていく。古典Uは、「無名草子」を終了したので、次の「源氏物語玉の小櫛」の準備に入る。「源氏物語」は、すでに授業で少しやったので、作品を少し角度を変えて眺めてみるつもり。ここで時間切れ。国語表現の「私の探求『我が輩は○○である』」の読み込みと評価と、漢字の小テストは持ち帰り仕事となる。
手続きがもたついたのか、思った以上に用事をこなすのに時間がかかる。ただ、対応してくれた人が感じのいい人で、待たされたことで不愉快になるということはなかった。そのまま帰宅する。車中では、中上健次の『熊野集』を読みつぐ。制作時期順に作品が掲載されているのかどうかわからないが、現代ものから一度『今昔物語』風の民話的世界へとシフトして、そこで掴んだものを改めて現代の神話とでもいう風に作品化している、そんな動きを感じながら読んでいる。時折、わかりにくい(というのか、舌足らずな印象を与える)表現に行き当たり、そんな部分に作者の内心のうねりめいたものを感じたりもしている。
夜は、京都コンサートホールへ。職場の隣の席の人から京フィルの「ニューイヤーコンサート」のチケットを譲ってもらったのだ。その人の弟さんが、テノールのソリストとして何曲か歌われるとのことで。毎年、2回はコンサートホールのステージに立っているが、客席に座って演奏を聞くのは久しぶりのことだ。コンサートは「新年」らしく盛り沢山で楽しく、演奏と歌とを十分堪能した。特に、三好芫山さんの尺八は素晴らしかった。「鶴の巣籠」という曲には、音で表現された哲学のようなものを感じて、身内が震えるような感覚を覚えた。500年前の曲だそうだ。ただ、京フィルとの競演は、ちょっと違和感があった。それは、洋楽と和楽の呼吸の基本的な違いのようなものに由来するように思う。どちらも微妙に無理をしてしまうのだ。歌は良かった。メゾ・ソプラノの西村薫さんも、テノールの松本晃さんも十分聞かせてくれた。とても満足した2時間だった。
外にでると、比叡山の右肩に満月をやや過ぎた月が昇っており、ふりかえるとコンサートホールの真上にオリオン座が輝いていた。コンサート後の華やぎというものを、自然の中にまで感じてしまった。ともかく、久しぶりに心豊かな思いを感じた。

【1月11日】
1・2時間目は、図書館で百人一首のカルタ取り大会をする。生徒は結構楽しんでいたようだ。最高は一人で68枚取った女生徒。たいしたものだと感心する。こちらは、2時間和歌を読み続けで、喉が痛くなってしまった。休みボケのせいで、まだまだ調子は戻っていないようだ。5・6時間目は、古典U。『無名草子』を読む。「文(手紙)」の素晴らしさということで書かれたもの。今時の生徒にとって、友人同士のお遊び的なものを除けば、手紙はあるいは縁遠いものかもしれないけれど、思いを伝え合う会うものという点で捉え直せば、メールや携帯電話との関連で考える材料を提供するのではないか、などと考えている。
空き時間には、明日の国語表現の準備をする。残り時間は4時間。最後の1時間は、国語表現を選択する後輩へのアドバイスを書くということで決まっているので、他の3時間については、「私の探求」というテーマでちょっと長い文章を書いてもらう予定。国語表現は、やっていて一番面白くてやりがいのある授業なので、残り時間の少ないのが残念だ。この1年間、いくつもの感動的だったり、感心したり、時には大笑いするような「取り立ての作品」に出会えたものだった。
夕方、早めに帰る。夕食におでんをつくるつもりだったので。作るといっても、材料を買い込んでゆっくり煮込めば美味しいおでんの出来上がり、ということで、煮込む為の時間の確保が最重要課題だったわけだ。土鍋に材料を放り込んで、1時間半ほどことこと煮込んで、すじ肉が柔らかくなったころに、食す。美味であった。昨夜、少々お酒が過ぎたので、今日は休肝日とする。


【1月9日】
ニュースで成人式の時の一部の若者の無軌道ぶりを報道していた。やっていることは、幼稚な自己顕示欲の発動という印象だったが、その若者達の姿をニュースがそのまま映しだしていることにちょっとびっくりした。中には、ご丁寧に2階席でふんぞり返る数名の若者たちの表情までをアップで撮り、モザイクなしで放映しているものさえあった。つまり、こんな形で彼らは大人としての責任を取らされた訳だな、と思った。自業自得ではあるけれど、文字通り一種のさらし者として扱われたのかもしれない、とも思ったのだ。それにしても、やっていることは顰蹙ものではあったけれど。
昨日は、午後から市内に出かける。府民ホール「ALTI」で行われる石動正和氏のピアノコンサートに行くためだ。石動さんは、俳句仲間の石動敬子さんの旦那さんで、ある民間企業に勤めながら地道にコンサート活動を行っている人だ。特に、ピアノの専門教育を受けた訳ではないという。ホロビッツに憧れ、中高生の時期を除き、ほぼ自力でピアノのレッスンを続け、やむにやまれぬ思いでコンサート活動に入られたらしい。曲目は、現代邦人作品3曲と、武満徹の曲6曲、そして、スクリャビンの曲数曲、アンコールはショパンを2曲というものだった。武満徹がとても良かった。巨大な無音空間の中にピーンと張りつめたピアノの音が緻密な結晶世界を作りあげていくような、そんな印象の中でひたすら耳をすましていた。逆に、アンコールのショパン2曲は、ちょっと甘ったるくて残念だった。
会場には、奥さんの関係でか、俳誌「幡」の会員の方達の姿が見受けられた。また、「銀化」の中村堯子さんや「翔臨」の竹中宏さんや、岩城先生とその連れの方なども来ておられた。コンサートが終わってから、近くのホテルのラウンジでお茶を飲みながら、1時間ほどお話をする。その後、皆さんと別れて、寺町まで小雨の中を歩き、2〜3軒電機店を見て歩く。デスクトップ型のPCが欲しいのだけれど、今一つ決心が着かず、購入は先延ばしとする。
3学期初日は、ばたばたしているうちに夕方となってしまった。

【1月8日】
昨日、帰宅。HPを開くと5996アクセスとなっていた。間もなく6000アクセスとなる。更新もままならない、拙いHPではありますが、今年もよろしくお願いします。
高速バスを使って帰る予定が、中国縦貫路が降雪のため通行不能とのことで、京都方面行きのバスも走らない状態であった。やむなくJR駅へ向かうと、岡山行きの特急電車がホームに入って来るのが見えたので、改札で乗車証明書を貰って電車に走り込む。乗車率は8割くらいで席に座れたが、喫煙席だったためにその後、煙草の煙に悩まされることとなった。特急が県境に向かうに従い、車窓は雪景色に変わっていった。道路にも雪が積もっているようだ。やがて、秋の鳥取西部地震の震源地の町を通過する。いまだに屋根にビニールシートを掛けた家なども見え、胸が痛む思いがする。余震は未だに続いていて、今朝も3時過ぎに揺れを感じるほどの地震がきて、目を覚ましたものだった。
途中で隣の席が空いたので、そちらへ移動する。窓の横の物置台にカンコーヒーが置いたままになっていたので、片づけようとしたら中にコーヒーが飲みさしたままで入っていたようでこぼしてしまった。車掌さんに訳を説明して始末をして貰ったが、揺れる車内に飲み残しの缶を置き捨てにする無神経さに腹が立つ。車内では、中上健次の短編小説集『熊野集』を読む。大江健三郎の小説世界との共通性を強く感じる。大江の「森」の世界が、中上の「路地」の世界にあたるのか。もちろん、知的な大江世界に対して、中上の「情念」の世界の違いはあるにしても。集中「桜川」という作品に茨木和生氏が登場していて、興味深かった。茨木氏と中上健次との交友は知っていたのだが、こんな形で小説の中に描かれてあるのかと思ったのだ。いつだったかの句会の茨木氏の出句作品の中に、亡くなった中上氏の事を詠った句があったように思う。
岡山で新幹線に乗り換え、バスで着くよりもかなり早く京都駅着。近鉄下の食堂で夕食を取り、そのまま帰宅する。賑やかな中で過ごしてきたので、自宅に帰り、一人でお酒など飲んでいると、さすがに何か物足りないような気持ちになってくる。少し本を読んで、早めに寝ることにする。