日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

2月分「日々録」 3月分「日々録」 4月分「日々録」 5月分「日々録」


【6月30日】
持ち帰り仕事をフロッピーに入れて帰宅して、いざ仕事を始めようとしたら、PCがフロッピーを読みとってくれない。果ては、フリーズ状態になること3度。あきらめる。しかし、なぜこのような事になるのか、原因はあるのだろうが、こちらにはまるで分からない。こんなときは、歯がゆい思いだ。
瓦斯警報機の交換の作業が今日で、そのために早めに帰宅。作業員の人がやってくるまでの出来事だ。仕方がないので、所在ない思いで待つ。茨木先生の句集、読了。面白かった。1句ずつが、しっかりとした己の世界を主張しているようで、読んでいて面白かったのだ。第七句集になるのか。『紀の川』『倭』そして、『西の季語物語』、句とエッセイの『のめ』くらいしか読んだことがないので、偉そうなことは言えないけれど、でも、今回の句集は面白かった。
夕方、今年退職された先生の慰労会、というのか、お祝いの宴会へ参加するために、宇治へ。夕闇の迫る宇治川や宇治の町並みは、しっとりとした風情があって気持ち良かった。来客があったこともあり、少々遅れて到着。宇治川沿いの料亭。季節には、鵜飼い船も出すという店。良い集まりとなる。気持ちよく酔う。

【6月29日】
茨木和生氏から句集を送って頂いた。『往馬』と書いて「いこま」と読むそうだ。京都での暮らしを切り上げられて、故郷の奈良県に帰られて初めての句集。早速読ませていただく。茨木氏らしい手堅い写生句の中に、独特の感性や切り口の句があって、それが面白い。前作の『倭(やまと)』とは、あきらかに違った世界が展開しつつあるような気がして、その点も面白かった。明後日が、『運河城陽句会』なので、そのときにお会いできると思う。お礼を言わねば。
梅雨とは言いながら、雨が降らない。今日も、一日蒸し暑いながらも、雨は来なかった。夕方から、ミューズのレッスンへ。京都駅南のアバンティ9階のホールへ。仕事を済ませてのことで、またまた40分ほど遅刻する。会場に入って、しばらく座席で合唱を聴く。綺麗なんだけれど、まだ、今ひとつ胸に響く歌になっていないような気がする。男性陣が少ないせいで、バランス面でも少々おぼつかないところがある。特に、今回はテノールの男声の数が圧倒的に少ない。その点が、心配である。今日は、練習の休憩時間に、テノール男性が集まって、自主練習をしようという話にもなったようだ。「祈り」の思いに欠けると言われる。「祈り」とは、何なのだろうか、と思う。
9時過ぎに練習を終え、京都駅へ。あちらこちらで、若い子たちが、ギターを抱えてライブ演奏を行っている。その周りに数人の同じく若い男女が集まって、地べたに腰を下ろしてその歌を聴いている。30年ほど前にも似たような情景が、駅前広場などで展開されたことがあったのではないか、などと感慨?にふける。街が遊び場に、なんてコピーが昔あったような気がするが、まさにそんな状況が目の前に展開しているのだ。

【6月28日】
今月号の角川『俳句』金子氏を座長としての夏石番也氏と長谷川櫂氏の鼎談が面白かった。俳句の「切れ」と「季語」の問題。特に、俳句の「切れ」が文化的な共有関係の中で生かされてきた、という長谷川氏の見方は、そんな風に考えたことがなかった、ということもあるのでとても新鮮な印象を受けた。その正当性を判断するほどの力が無い点が残念。
1学期末が近づいて来ている。忙しい。目先のやらなければならないこと、先を見通して準備を進めていかなければならないこと、いろんなことがどっとやって来ている。学期末だなあ、と思う。進路部の就職担当でもあるので、夏に向けて準備すべき事も山積している。考えると、茫洋たる気分に陥りそうなので、ともかく一つ一つこなしてゆく他はない、と思う。
現代文は、試験前にもう一つ。五木寛之氏の「私が『哀号』とつぶやくとき」をする予定。小品だけれど、考えさせる内容の作品。面白いと思う。さて、授業ではどうなることか・・・。国Uは、陶淵明の「子を責む」という作品。やさしさを内に潜めた詩。これも面白い、と思う。さて、生徒にはどのようなものとして映るのだろうか。

【6月26日】
甥っ子の句。鈴木秀和作「お花見し花よりだんごそう思う」「あじさいがわらって咲いてかえる鳴く」「ふるさとをおもいださせる秋の風」「月がでて狸をまねする子供かな」「晴れた空三日月見てる夏の風」電話で出来たよ、と知らせてくれる。電話が楽しみである。
昨日から職員室と準備室にクーラーが入る。昨日は異常に暑かった。タオルを持って授業へ。1時間でタオルがぐっしょり濡れる。汗っかきということもあるのだけれど。今日は、昨日よりは、まし。でも蒸し暑いことに変わりはない。外を見ると、積乱雲めいた雲が空に立ち上がっているのが見える。期末試験まで、後2週間ほど。授業も佳境に入りつつある。しかし、なかなか進まないのがつらい。国語Uは『方丈記』、現代文は池沢夏樹の『倉庫のコンサート』。やっていくうちに段々好きになっていった作品。「癒し系」の作品、という点では、吉本ばななの作品と同系列の作品。ただし、ばななの小説は、人間関係の中で、癒しが行われるのに対して、『倉庫〜』の方は、音楽によって自己を回復し、新たな人間関係の契機がもたらされるという点に違いがあったりする。
放課後、就職関係の2者面談。その後、クラブへ顔を出し、国表の作業を採点する。夕方、気分転換に走る。30分ほど。蒸し暑い。大汗をかいて帰校し、40分ほどさらに作業文章を読み、退勤。帰りの近鉄の車内から、大津方面に立ち上がる積乱雲が、夕日に赤く燃えてとても綺麗だった。

【6月25日】
昨日。半日かかって、『燕巣』投句10句を考える。なんとか、出来上がる。日曜日だけれど、速達で馬酔木燕巣会へ送る。言い訳めいたことを書こうとしたが、書いてもしょうがないと思い、一言だけお詫びの言葉を添える。出来は、5割というところか。案外気に入った句も数句できた。それにしても、疲れた。体調が思わしくなく、熱でもあるのかと思って体温を測ったら、いつも以上に体温が低かった。35度8分というのは、低すぎるのではないだろうか。
午後は、ぼんやりと過ごす。投句を終えて、気が抜けてしまったのだろうか。ごろんと横になってテレビを見る。少しだけ持ち帰り仕事をする。あとは、ぼーと過ごす。そのうち、こんな怠惰な状態がなんとなく嫌になり、ともかく軽く走ることにする。5時まえとは言え、外は随分と蒸し暑い。1時間足らず走る。暑さのせいもあり、しんどかった。かろうじて走りきったという有様。帰宅後、風呂に入り、その後、買い物。夕食とビールを買って来る。クーブリック監督の最後の作品『アイズ・ワイド・シャット』を見ながらビールを飲む。作品は、まるで面白くない。どうしたんだ、クーブリックと叫び?ながら見る。まるで、30年前の映画をみているような有様ではないか。何となく、先が見えたような気がして見るに耐えず、ビデオを中断する。傲慢だろうか・・・。

【6月24日】
5時半には目が覚めてしまう。あとは、テレビを付けてぼんやり見たり、消してうつらうつらしたりする。7時過ぎ、窓外の大きな音に気づく。居間の方に移り、カーテンを開けると、雨が厚い垂れ幕のように降っている。凄いほどの豪雨だ。20分ほど、その状態。ベランダに出ると、太い雨粒からちぎられた細かい雨滴に身体が包まれたような状態になる。数十メートル先が、雨のために霞んでいる。見下ろせる消防学校のグランドは全面水浸し状態となっている。すっかり目が覚めてしまった。
昨夜、『燕巣』句を考えるが、1句ほどしか出来ない。集中力にかけるのだろうか、全く駄目。仕方がないので、妹尾健という人の俳句関係の評論集を読む。竹中宏さんが、紹介文を書いておられる。内容は、難解だ。書かれた中身をきちんと読みとれるほどの知識がこちらに無い、ということもあるのだが。俳句とは何か、という点についての強い拘りの中で書かれた文章。40年代の社会状況の中で語られたものなども見受けられる。坪内稔典氏の名前なども散見される。「俳人的」というよりは、「詩人的」な体質の人かな、などと思いつつ読む。少々読み疲れる。
すでに雨は上がっている。稲荷山の方は、雲が尾をひくようにして少しずつ山肌を登って行きつつある。昨日、引率で行った八木町の新緑の山々や青田や保津川の流れなどが印象に残っている。
半日かかって、『燕巣』投句10句を考える。なんとか、出来上がる。日曜日だけれど、


【6月23日】
バドミントンの引率から帰って来た。現在、2時過ぎ。学校対抗の府下大会。予選会を通過しての参加。八木町の体育施設を借りての大会。男子3年生は一足早くクラブを引退したのだが、今回の大会が3年生女子の引退試合となる。対戦相手はN高校。奮闘はしたのだが、残念ながら3−0で敗退という結果となる。京都駅で「ご苦労様」と簡単に挨拶をして解散。朝は降っていた雨が、今は小康状態となっている。
昨日は、ミューズの本番指揮者レッスン。放課後、模擬試験の監督をしていたので、退勤する時間が遅くなり、結局、遅刻してしまう。舞台に乗っての練習。裏手からこそっと回ってステージに立つ。本番指揮者は十束氏。ミューズの合唱の指揮をしていただくのは、今回で3回目となるか。発音から始まり、音程、音質、テンポ、表情の付け方と様々な点に渡り、細かい指示を受ける。練習の時と曲想が随分違っている部分もあったりして、改めてインプットしなおす。一カ所、歌詞の変更もあり。フォーレの「レクイエム」は今回で4回目だが、これは本当に初めてのこと。
『燕巣』の投句が未だに出来ない。締め切りは20日であったのだが。困ってしまう。忙しいということもあり、帰宅しても頭が「俳句あたま」にならないのが、大きな原因。今日、明日が勝負の日となるだろうと思う。10句。今の僕には、厳しい。

【6月19日】
坪内氏『俳句のユーモア』読了。俳句のユーモアはこわばりを緩めるもの、というまとめは「笑い」の効用ということで何かで読んだ事がある気がしたが(誰が書いた物だっただろうか)、しかし、確かに素敵な俳句は認識や感性のこわばりをしたたかに、時にはやんわりと撃つという点で共感を感じた。
日曜日は「いさなご句会」。句会を終え、帰京後、Iさんと合流して、京都駅地階のポルタで軽く夕食後、祇園に移動し、「米」さんで竹中宏さんと合流する。岩城先生の演出で、「あなごまぶし」というものをいただく。淡泊な味わいで美味。11時前まで歓談、京阪で帰宅する。楽しくも長い一日だった。
月曜日、仕事に励む。火曜日、同じく。放課後、就職二者面談。その後、国表の小論文を10冊読み、クラブへ。卒業生と引退を控えた3年生が指導に来ていた。6時過ぎまで練習。ちょっと参加する。7時前に退勤。真っ直ぐ帰る。蒸し暑い一日だった。帰宅後、着ている物をすべて洗濯機に放り込む。入浴後は、ビール。夕食は、ビールとつまみで終わりそうだ。

【6月16日】
中原中也「頑是ない歌」。数年前に流行った「アダルトチルドレン」という言葉をキーワードにして授業展開。でも、少々難しかったかもしれない。うーん・・・。2時間連続授業なので、後半の1時間は、古典で「方丈記」を行うこととする。今回は、本文書写という作業のみ。普段落ち着きのないクラスだけれど、作業中は集中して行う。
午後は、クラブへ。2・3年生は個人戦の方へ参加しているので、今日は1年生のみの練習となる。久しぶりに練習に参加。まともにシャトルがあたらないという体たらくであった。5時前に終了。大汗をかく。着替えて、そのまま帰宅する。帰宅後は、洗濯と入浴とビールという豪華メニューとなる。
明日は「いさなご句会」で丹後へ。相変わらず句はない。明日の京都駅と丹後へ向かう車中が頼みということになる。ちょっとボルテージが下がっているような気がするので、その点が心配ではある。坪内氏の評論集と「俳句研究」を同時進行で読む。丹後の水野さんの句が掲載されていた。相変わらず上手いな、と感心する。独特のものの見方をされる人だな、と思う。

【6月15日】
なんとも芯の疲れるような夢を見て目が覚める。亡くなった父が出てくるゆめが、そんな重さを持った夢であることが多い。なにがしかのこだわりめいたものが、どこかにあるのだろうか。
本日は、午前中3時間授業。午後は、テストの採点と、その後、就職関係の二者面談。同時進行で、ケーキ職人希望の生徒の指導を行う。夕方、早めに退勤するつもりでいて、ついつい「ケーキ職人になるにはBOOKS」とか読んでいて、遅くなる。本日も、ミューズの練習は北大路にて。1時間ほど時間がかかり、会場に到着したのは、先週同様8時前となる。フォーレの「レクイエム」の練習は、佳境に入っていて、来週金曜日の十束氏の指揮者レッスンに向けての細部の練習に入っている。途中に、本番当日の服装のファッションショーに知り合いの高校生の男の子が出ていたりして、結構楽しいものとなった。9時過ぎに練習は終了。
せっかく北大路まで来ているからと、20分ほど歩いて「あじさい」へ。先週は、超満員だったのに、今週は誰もおらずという状態だった。カウンターに腰を下ろし、焼酎の「大石」を注文する。昨日、岩城先生が、二人で来ていましたよ、とマスターから聞く。一日ずれたようだ。1時間ほど、飲んで、そのままタクシーで帰宅。若干酩酊状態で「日々録」を書いている有様である。

【6月12日】
坪内稔典の『俳句のユーモア』を読んでいる。同氏の文章は結構読んできているので、目新しい内容はないけれど、俳句というものに対する坪内氏の見識には、頷かされるところがあるので、つい読んでしまう。
朝夕が涼しく、昼間はぐっと気温が上がるので、体力的に少々厳しい。規則正しい運動をと思って、2日に1度走ったり、そうでないときには歩いたりと、身体を動かす事を意識して行っているのだが、気温の変動というのはやはりこたえる。年かな、などと思ってしまう。困ったことだ。最近、酷く眠いのも困ってしまう。そう言えば、朝方に見た夢。以前住んでいた海沿いの町の家の六畳間の和室の畳を退かすと、そこに立派なお風呂が沸いているというものだ。部屋の中は随分乱雑になっていて、それらの家具や荷物を押しのけて、畳をはぎ取るとお湯を満々とたたえたお風呂がゆっくりと湯気を上げているというもの。裸になり、お湯に浸かりながら、部屋の中がずぶぬれになってしまうな、などと心配している夢。その情景を結構鮮明に覚えていたりもする。いかにも夢らしい突飛なものだが、それがなんとなく懐かしかったりもする。
その夢は、実は結構長い夢の終わりの方の部分で、それ以前の夢の内容もかなりはっきり覚えているのも面白いと思う。
故郷の甥っ子から新作が届く。鈴木秀和・作「十五夜の月見ダンゴがおいしいよ」「あじさいが笑って咲いてカエル鳴く」素直に詠えていて、良いなと思う。言葉の組み立てもしっかりしているように思う。身贔屓だろうか・・・。

【6月11日】
8人の子供達のことを書こうとして、結局、何も書けないという思いに至った。
書きたいことが無いわけではない。しかし、書いてどうなるのか、という気がする。
事実の悲惨さと重さを感じるばかりだ。そして、やりきれないような怒りの思いと。
逝ってしまった子供達の魂がせめてやすらかであることと、後に残された人達の心が少しでも癒される事を願う。

【6月9日】
8人もの子供達が、酷く殺されてしまった。なぜこんなことが、という問いかけも、起こった事実のむごたらしさの前ではひどく虚しいものに思えてしまう。今頃、狂った心を抱え込んだあの男は、どんな思いでいるのか、あるいは、何も思わないで自分の妄想の中に退行しているのか、分かりようもないが。
昨夜、ミューズのレッスンからの帰り、夜の北大路駅の駅頭で、たむろする若者の一人が、仲間に大声で、自分の自転車の乗り方について注意した大人に対して「本気で殺してやろうかと思った」と、うそぶいている所に行き会った。ひょろりと背の高い痩せた色白の若者だった。
平然と「死」が口にされ、平然と8人もの子供達が殺されていく。その事実をどう考え、どう受け止めていけば良いのか。
それに刺激され、それを模倣する者がさらに出ないことを、祈るばかりだ。

【6月7日】
夕方から病院へ。いつもの通院。待合い室の椅子に座って順番を待っていると、向こうから知った顔の人がやって来た。前の学校の同僚の先生。一緒に進路部で就職担当などをやっていた人。4年ぶりという事になろうか。こちらは座って、向こうは立ってという状態でしばらく話しをする。元気そうなので、どうされたのか、と尋ねると、椎間板ヘルニアだという。びっくりして、立ったままだとつらいでしょうと言うと、大丈夫だとの事。僕も以前一度椎間板ヘルニアになって、それこそ歩けない状態になったことがあったのだが、聞いてみると、腰のヘルニアではなく頸のヘルニアだと言う。軟骨が3枚通常の位置からはみ出しているとのこと。大変でしょう、と言うと頸の痛みがつらいという。すでに半年近く、頸を伸ばして貰いに通院しているとのこと。やがて呼び出されて診察室へ。頸の椎間板ヘルニアとは、初めて聞いた。
今日は、3時間。国語Uは、宮沢賢治の「永訣の朝」。クラスによって微妙に反応が違うのが面白い。午後は、国語表現。やっと読み終わった小論文を返し、昨年の受講生達が書き置いてくれていた今年度の受講生に向けての「小論文・作文・創作」のアドバイスの製本(といっても、印刷した物を揃えて綴じるだけだが)作業、さらに明日のインターネット利用の授業の下準備という豪華?3本立ての授業となる。6時間目は、授業代行で、教育実習生の授業を補佐(といってもとりあえず後ろで見ているだけだが)する。今日で4日目となる訳だが、少々落ち着きのないクラスでの授業だったけれども、なかなか堂に入った態度で授業を進めていて、感心する。放課後は、就職希望者ガイダンス補習。前回欠席した生徒対象のガイダンス。話の前ふりに少々厳しい話をする。40分ほど企業訪問での様子や基本的な心構え、準備すべきことなど話をする。その後、質疑応答があって終了。進路室へ返ると、実習生が来ていて、今日の授業で気が付いたことなど伝える。今日の仕事は以上で終わり。病院へ。
夜、実家からTELあり。近況報告。甥が俳句を作ったというので聞く。以下に紹介する。
鈴木秀和・作「桜咲き入学をする子供かな(そう言えば、姪が今年から中学生になったのだった)」「清盛が聞いた鶯僕も聞く(修学旅行にて作ったとのこと)」「十五夜の本のしるしの団子かな(1582年、本能寺の変からヒントを得たそうだ)」なんとなく嬉しくなってくる。

【6月4日】
昨日は『運河城陽句会』。午前中は、句会出句の10句を作る。難渋する。シャワーを浴びて、気分を新たにして、城陽へ。昼飯は、文化パルク内のいつもの喫茶店で、いつものミックスサンドとコーヒー。吹き抜けの地階部分で、サツキ展を行っていた。大変美しい。1時から句会。第一句会は10句出句5句選。全部で500句近い句数の中での5句なので、厳選といって良いのだろうか。第2句会は、40分ほどで7句作り、出句。7句選。人によっては、10句作って出す方もいる。5時に句会は終了。その後、駅近くの居酒屋で懇親会。久しぶりに参加する。ざっくばらんな談笑が行われて、聞いていても楽しい。『運河』の人達は、本当にパワフルである。
月曜日。5時に目が覚めてしまう。朝が早くなっているせいなのだろうが、その後が眠くてちょっとしんどい。朝食の前にシャワーを浴びるが、しかし、眠い。授業は、3時間。国語Uは、現代詩。現代文は、小説を行う。午後は、漢字小テストの採点と、授業の準備と放課後の就職補講の準備に当てる。就職補講は4時半まで。その後、さらに教材研究をして、5時半過ぎに退勤。今日は、月に1度の辻田先生の『月曜句会』。伏見桃山まで。6時前に着。すでに数人の人が来ていて、兼題句を作っている。やがて、辻田先生も来られ、7時前から句会開始。8句投句、7〜8句選。久しぶりに石動さんが来ていて、少し話をする。句会途中の辻田先生のお話は、既存の枠から半歩でも外に出る気概を持つことと、近現代の5人の女流俳人のことであった。話を聞きながら、鼓舞されるような気持ちになる。出句した内の1句を褒めて頂く。感謝。1句、自分でも好きな句が作れたこともうれしかった。9時過ぎに終了。近所の中華料理店で夕食を食べ、帰宅。
「日々録」を書き終わったら、気になっている国語表現の小論文をせめて10編は読んでおかなくてはならない。楽あれば句ありじゃない、苦ありという心境。


【6月2日】
未だ、「水無月」を買っていない。明日、近所の店で買おう、と思う。大粒の小豆が美味しい。
明日は、「運河城陽句会」未だ、1句も出来ていないというていたらく。もっとも今週は、俳句を作るという状態ではとてもなかったので、明日の半日に集中するほかないか、と思う。今のところ、深みも堅実な写実もいらない、などと思っている。それより、「面白い句」を作りたい、と思う。いかに世界を切り取るか、いかにそれを表現するのか、という点に興味を集中したい、と思う。しかし、そんな句が「運河」に通用するか、というと別問題ではあるが。
昨日は、散々打たれて繊維が綻びそうになったサンドバックみたいな有様であった。バイオリズムというのは、確かにあるらしい。バイオリズム最低状態で、7時前に仕事を終え、ミューズの練習のために京都市内へ。8時前に会場着。今日は、パート練習はなくて、全員がステージに上がっての練習のようだった。曲の合間を見計らって上に登り、合唱に加わる。先週に比べて、結構良いのではないか・・・。そんな印象を持つ。指導の先生の様子も先週に比べると生き生きとしている。何となく、気分良く歌える。他のパートの声が良く聞こえる。ソプラノの高音の伸びが良い。うーん、なかなかよいのではあるまいか。休憩を挟んで、1時間半ほどの練習。いつのまにか、身体の中から疲労感が一掃されていた。それは、不思議なほどの変化だった。まるで、スイッチが切り替わったような気分。「死者のための鎮魂歌」を歌いつつも、こんなに元気になってよいものだろうか、と思わず考えてしまう。歌うことは、一種の浄化作用を持つらしい。指導の先生が、歌う中からエネルギーを貰う、という事をしばしば言われるが、このことか、と思う。
土曜日。結構、元気。7時前まで仕事をして、いつもの店に寄って帰る。TVでは、日本がカメルーンから1点を先取していた。夕方、40分ほど走ったので、生ビールが美味。