日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
10月分「日々録」
11月分「日々録」
12月分「日々録」
1月分「日々録」
2月分「日々録」
【3月31日】
校務分掌が、教務部から進路部へと変わる。4年間、教務部に属して後の進路部だ。前任者と仕事並びにクラブ(吹奏楽部の方)の引き継ぎを行う。熱心に指導していた人が転勤することになり、今後のクラブ運営は大変厳しいことになるだろう。教務部は、今日から本格的に時間割作りの作業に入ることになる。非常に神経を使う作業で、ここ数日間は、時間割組み担当の先生方は大変なエネルギーを費やされることだろう。陣中見舞いのつもりで、お菓子を差し入れる。
ちょくちょくアクセスする「インターネット句会」で、不正得点騒ぎがあって、あまり愉快ではない思いを味わった。不正が発覚した時点で、HP運営者が、その句を削除して一応騒ぎが収まったかとおもったら、今度は不正得点の対象になった句の作者から、抗議の書き込みがあった。もうしばらく尾を引きそうな出来事だ。インターネットの世界でも、句とその評価に対して、こんな風な不正行為が行われるのかと少々うんざりする。
明日は、大阪行き。今晩、もう一度松岡さんの句集を読み直しておかなければ、と思う。併せて、2月末の舞鶴吟行会の作品15句を、明日竹中さんに渡さなければならないので、その準備もしなければならない。当日句の中から選ぶのと、それ以降の日々に作った句を取り混ぜて15句としてまとめようと思う。
そういえば、「いさなご句会」の合同句集のために、句会で発表した句の中から50句を選んでまとめなければならなかった。まだ、全く手付かず状態であった。
【3月29日】
昨日のこと。竹中宏さんから電話があり、「句集紹介LIGHT」でも紹介したMAさんの句集『光』の合評会を開くので参加しないか、とのお誘いだった。超結社的な集まり「空の会」で予定されているとのこと。今週の日曜日のことなので、句会の予定があったのだが、今回は「空の会」に参加させて頂くことにする。句会の方は、お世話役の方に連絡をして、欠席投句という形を取らせて頂く。郵便で投句10句を送る。
これも昨日。岩城先生の出版記念の小宴の案内状の文案を作り、FAXで先生の方へお送りする。文面がちょっと畏まり過ぎているかも、などと気にかかる。往復葉書に印刷をするつもりなので、一太郎の用紙サイズの設定をあらたに行って「往復葉書」サイズを登録する。便利なものだ、と感心する。
アーサー・C・クラークのSF小説『3001年終局への旅』を読む。これは、『2001年宇宙の旅』の続続続編ということになるのか。内容は紹介できないが、大変面白い。様々な謎の解決編という性格を持つ1編(でも、まだ続くかもしれないが)。面白い本が1冊あると、一日の豊かさがうんと違う、という事をつくづく感じる。
本といえば、インターネットで申し込んだふらんす堂の『夜想曲』高柳重信句集がもう届いた。掌サイズのコンパクトな一冊。インターネットでの初めての買い物である。郵便振り込みという形なのも僕にはありがたい(カードは持たない主義なので)。
【3月27日】
昨日、本当なら帰省中であったのだが、地震の影響で帰ることもならず、1日年休を取っていたので、「参の会」の本句会へ参加することにした。偶然、昨日がその日に当たっていたのだ。京都アスキーを会場として、40名ほどの参加で句会が行われる。3句投句5句選。数ヶ月ぶりにお会いする人達との句会となる。選と披講、そして高点句から順番に意見交流、その後、岩城先生がまとめの話をされて、次の句へ移るという順番で句会が行われる。1時から始まり4時過ぎまで。岩城先生も選句の数は、5句という厳選。1句が岩城先生選に入る。とても面白い1句があったのだが、紹介できないのが残念だ。
句会を終えてから、出版記念の小宴の打ち合わせのために、会場として考えている「あじさい」という店で落ち合う約束をして、一旦、岩城先生とは別行動をとる。先生は京都新聞へ原稿を届けに行かれるとのことだった。店が開くのが5時なのでまだ時間があり、歩いていくことにする。風が少し冷たい。途中、御所を横切っていく。立派な枝垂れ桜がすでに8分咲きほどの状態で綺麗に咲いていたりした。白梅・紅梅の梅林もずいぶん花を散らしながらもまだ美しく咲いており、その先には見事な1本の白木蓮が重そうな花を開き、さらに数本の桃の木が白にほんのりと紅のかかった花を、空に向かってぴんと伸ばした枝に咲かせていた。
「あじさい」は、今日は若いマスター一人だった。先に着いて程なく岩城先生が来られた。マスターと日程や料理などについて打ち合わせを済ませて、それからゆっくりと飲む。料理が本当に美味しい。最後に特製ラーメンを食べたけれど、これも美味しかった。今後、最後はラーメンで決める、という風になりそうな気がする。
今日は、普通に出勤。中断していた授業の「帯表」を作る。これが出来ないと、時間割が組めないのだ。ともかく集中して作業をする他ない。昼食をはさんで作業を続ける。先日の作業中断前に、すでに1年生の部分は組み終えていたので、2年・3年の部分を組み立てる。選択科目、実習科目、実験を伴う授業などについて、担当者を念頭において、授業や教室が重ならないように注意しながら授業を時間割の中に嵌め込んで行く。一応、組み終わった時には、しばらく呆然状態となる。チェックは、他の人にお願いすることになる。それは、明日の作業となる。特に問題がなければ、時間割組みの準備作業は、ほぼ終了ということになる。
【3月24日】
昨日は、神経を使う仕事をして、すっかり疲れてしまった。夕方遅く、頭の芯の痛みが取れないので、仕事を中断して退勤する。ミューズのレッスンの日だったが、京都市内まで行く気力が湧かず、休む。神経がピンピンした状態が解消されず、気分を変えるつもりで行きつけの飲み屋さんに立ち寄る。アルコールの力でリラックスしようと思ったのだが駄目で、それならばと駅前のパチンコ屋に入る。きつい仕事の後で入ったパチンコ屋では、なぜか玉が良く出ることがあり、今日もその例に漏れなかった。ちょっと気分転換になり、そのまま帰宅する。
帰宅すると、岩城先生から書籍小包が届いていた。先週出版された『さまざまな紙片』と題する随筆集を送って下さったのだ。早速読む。岩城先生自身の事や、岩城先生が関わられた人たちのこと、そして様々な出来事が、書名通り書簡やメモ書き、原稿などをきっかけとして語られてある。初めて知ることや、折々に話して頂いた事を思い出したりしながら読んでいった。
今日は、吹奏楽部の定期演奏会。宇治文化ホールで6時半開演。午後から、手伝いに行き、その後、7時過ぎの新幹線を使って帰省する予定。
5時過ぎまで、定期演奏会の準備を行い、その後、タクシーを呼び、近鉄大久保駅へ。そのまま、近鉄で京都駅まで出る。時間的に余裕があるので、少し早めの夕食をとり、自宅への土産を買い、車中で読む本を1冊買い込んで、乗車券を買うために緑の窓口に向かう。そこで、初めて3時過ぎに起きた地震の事と、その影響で下りの新幹線が新大阪止まりとなっていることを知る。とりあえず、急いで自宅に電話をかけ、大きな地震だったが大丈夫だったとの母の言葉に一安心する。ただ、新幹線が止まっているため、帰省することは出来ないと知らせる。今年は、地震に祟られているような気分になる。乗車券をキャンセルし、土産を片手に帰宅する他はなかった。
【3月22日】
春休み、といっても、休みは生徒諸君だけなので、いつもの通り出勤。1年生のクラス編成作業や、新年度に向けての準備などを行う。教務部も4年目になると、ちょっと余裕が出来るのか、年度末の作業が例年ほどきつい、という感じがしない。淡々と準備と作業を進めるという状態だ。実際には、4月に入ってから、作業は、シビアなものになる。今は、その文字通り準備作業を進めている、ということになる。
勤務はいつも通りとはいえ、授業はなく、クラブは午前中に終わっているので、気持ちの面ではこれもちょっと余裕がある。仕事が一段落したので、年休を1時間とって、京都駅まで。土日を使って帰省するので、そのための旅券と座席指定券を購入に行く。今回、初めて「のぞみ」に乗る。岡山までだが、楽しみである。帰りに百貨店内の大型書店に立ち寄って本を2冊買う。そのまま、西山に沈む夕日を眺めながら1時間ほど歩いて帰宅する。これも余裕の現れであろうか。
長谷川櫂氏の本を読み続けている。登場する俳人達は、生年順に掲載されているのだが、読む方は、あちらこちら拾い読むようにして、楽しんでいる。今日読んだ中では、大木あまり氏の作品に感銘を受けた。純粋な俳句(そんなものがあるかどうか、わからないけれど)というよりは、現代詩風な感触を感じさせる句が多かったが、それがかえって面白かった。
帰宅後、自宅に電話を入れる。帰省の件の連絡。すでに兄は帰ってきていて、右手の治療を受けているという。今月一杯治療を受けて、帰る予定ということだ。
【3月20日】
数日前、変な夢を見た。夢の内容自体は、フルマラソンに参加するという、取り立てて奇妙なものではないが(数年前までは、実際にマラソンに参加していたりしたこともあったので)、ただその夢を続き物のドラマみたいに見たというのは、ほとんど初めての経験だった。夜中に何度も目を覚ますのは、いつものことなのだが、再び寝入るたびに、先ほどまで見ていたマラソンの夢の続きを見るのだ。そして、本格的に目が覚めるまで、一晩中夢の中で走り続けることになってしまった。それもスタートの時点でミスをして、ずっと遅れて先を行く集団を追いかけるという形で走ることになってしまった。コースは、夢の中で見慣れた場所だったり、初めて来るような場所だったり、中にはいかにも(まるで筒井康隆のある小説世界みたいな)夢らしく、複雑に入り組んだ大きな建物の中を走り抜ける、などという場所まであったりしたものだ。
薬を常服するようになって、長い距離はもう走れなくなっているので、夢の中でも体が持つだろうか、などと変に現実的な心配をしながらも走りつづけ、やがて先行している集団と途中で行き違ったり、さらには後尾の集団に追いついたり、途中でコースがわからなくなり、危うく海へとコースアウトしそうになったりしながら、それでもひたすら走り続ける。この間、2度ほど目を覚ましながら、寝入るとまた走っているのだ。往復コースらしく巨大な岬の先端辺りが中継地点となっていて、復路を走っている途中、このマラソンの最中に断崖から海へ転落するという事故があったらしく、その事故処理の現場に行き会ったりもした。何台もの工事車両(それは犠牲者を海から引き上げるための車らしい)やパトカー、救急車などが海沿いの道に駐車しており、現場に近づくとちょうど海から引き上げられた犠牲者が担架に乗せられて運ばれるところで、白い毛布からはみだした大きな片足と足の裏が見えた。大変なことになったなあ、と思いながらその場を走りぬけ、広い国道めいた道路に出て、まもなくゴールだと思えるころ、沿道の人が今更走っていてももう間に合わないよ、と話しているのが耳に入った。制限時間まで、あと1分しかない、などと話している。その声を耳にしながら、しかし、最後まで走り続けようと思い、スタート地点として見慣れた町並みへと走り込んでいった。どこからか、制限時間までは、まだ5分あるぞ、という声が聞こえ、それならば何とか間にあいそうだ。完走できそうだ、とうれしくなってラストスパートをかけようとすると、不意にコースを見失っていることに気がついた。ゴール地点はスタート地点と同じ場所と、と思っていたのだが、前方に見下ろすようにして眺め渡せるスタート地点のグランドには、人の姿が全く見えず、ゴールという雰囲気ではまるでないのだ。ゴールを間違えたようだ。そう言えば、さっきの国道の途中から左へ向かう分岐点があった。ゴールはあっちだったのかもしれない。時間は刻々と過ぎていき、引き返してゴール地点を探すのはもう無理か、と思ったところで目が覚めた。冗談ではなく、長い長い夢だった。しかも、数日たっているのに、全体の流れや色々な場面が今でもかなり鮮明に記憶の中に残っているのが、不思議だ。
今日は、春分の日。洗濯を済ませて、朝からビデオを見てしまう。「ライフ・イズ・ビュティフル」という作品。とても良い作品だった。そういえば、この作品は昨年秋の文化祭の時、あるクラスが演劇として演じていたものだった。その時も、お父さん役の生徒の演技が評判になったのを思い出したりもした。それにしてもきよみさんの掲示板(http://www2.starcat.ne.jp/~yoshiyas/haiku/haiku.cgi)には、この映画のタイトルを最初は、「ビュティフル・ライフ」と書き込み、さらに訂正では「ライフ・イズ・ビュティ」と改め、さすがに3度目の訂正は書き込めなかった。それにしても、良い映画でした。
【3月18日】
長谷川櫂編著の『現代俳句の鑑賞101』という本を読んでいる。現代俳句を代表する101名の俳人の句25句をその句集から選出し、さらに2句を選んで鑑賞を行う。1句はある程度まとまった内容で、もう1句は寸評という形で。面白い構成である。選された句は、いずれも面白い句が多い。アンソロジーにありがちな、総花的な退屈さがないのがすごい、と思う。その作家の良い部分を的確に掴んだところでの選が行われているのだろう、と思う。鑑賞文も面白い。長谷川氏が、この句をどう読んだかが、鮮明に伝わってくる鑑賞文である。本の後ろの方の若手俳人の載せられた部分から読み始めたのだが、その中では特に、藺草慶子氏の句に対する鑑賞文に強い感銘を受けた。面白い。どこを読んでも面白い、というのは、すごい事だと思う。
久々に、『句集紹介Light』を更新する。送って頂いた句集2冊を簡単に紹介する。まだ、他にも頂いた句集があるので、それも早々に紹介したいと思っている。その中には、今年度の俳人協会新人賞を受賞された南うみお氏の『丹後』も含まれている。
午後、散歩に出かける。まだ水のない琵琶湖疎水の端を歩き、やがて伏見稲荷神社本社から奥の院へと赤い鳥居が連綿と連なる参道を登っていく。『燕巣』投句のための句作をしながら。コートを着ていたのだが、さすがに暑くなって、途中から脱いで手に持ちながら、緩やかな登り参道を歩いて行く。尾根道を奥の院まで登り、下りは谷筋の道を東福寺の方に向かって下って行く。ちょっといい感じの山道が続く。軽く山歩きをするのに良い道だと思う。山の手の住宅街に出て、九条家、東福寺の脇を通って京阪の東福寺駅に出る。ほぼ3時間ほどの散歩となった。京阪で帰る。帰宅後、まだ明るいうちに風呂に入り(こんな時は、いつも岩城先生の「竹酔日陽のあるうちに湯をつかふ」という句を思い出すが)、その後、焼酎のオン・ザ・ロックで乾いた喉をたっぷりと潤す。
夜は、とりあえず『燕巣』10句をまとめあげて、その後は本を読むつもり。しかし、最近インターネットゲームのリバーシ(オセロゲームだと思うが)に嵌っていて、すこしそれもしたりするかもしれない。
【3月16日】
今日は、公立高校の合格発表の日だった。10時から合格者を掲示する。時間までには、100名以上の受験生たちが集まっていて、発表を待つ。時間になって入試担当の先生方がボードに貼り付けた入試結果を掲示する。爆発するように、歓声と笑い声が発表会場にわき起こる。抱き合ったり、握手をしたり、中には喜びのあまり友人のお尻を蹴りつける乱暴な受験生まで出る始末だ。そんな中学生(といっても、中学は昨日、卒業したのだが)達の渦の中に混じって掲示板を眺める。
掲示板のごくそばまで近づいて、結果を確かめていた男子生徒が、受験票をこちらに見せながら、「この番号、確かにありますよね。」と尋ねてくる。受験番号を確認し、掲示板の数字と見比べて、「確かにありますよ。おめでとう。」と答えると、お礼を言って引き返していった。赤いジャケットを着た長身の男子が、掲示板をしばらく眺めていて、やがて誰にいうともなく「おれの番号がない。落ちている。」そう言って、合格を喜びあっている集団から、一人離れていった。しばらく後、その子が体育館の外柱にもたれかかるようにしてしゃがみ込み、その周りに数人の友人らしい男女がいて、何か話し合っている姿を見かけた。
当面の仕事が一段落着いたので、午後、年休を取って帰宅する。車中で、たまたま先月号の『俳句』を読んでいると、その号掲載の島田牙城氏の評論の内容から、先月舞鶴に吟行に行った帰りに、席を隣り合った「ほととぎす」に所属している人達が話題にしていた内容がこのことなのか、と納得がいった。牙城氏は、『俳句』においてかなり痛烈に花鳥諷詠派の句について批判をしていたのだが、そのことに対して、その人達がいろいろな思いを持っておられることを思い出した。
兄が手の手術を受けるために、3月下旬に帰省する。リストラ後、派遣社員として働いてきたのだが、3月中にその契約が切れるらしい。仕事は、きつい肉体労働で、無理を重ねる中で、右手がちゃんと動かない状態になってしまったのだ。薬を塗ったり、痛み止めの注射をうったりしていたらしいが、思わしくなく、次の仕事を探す前に、手術をすることになったのだ。心配である。
【3月14日】
ビデオで「パーフェクト・ストーム」という作品を見た。海上での大嵐のシーンは、とても迫力があって、特に、巨大な波のうねりは(あるいはそれらしく誇張されているのかもしれないけれど)ちょっと気持ちが悪くなるほど、真に迫ったものだった。海といえば、海のごく近くで育ってきたせいで、相反するような感情を持っている。海の広さや美しさ、その豊かさに対する愛着や共感と同時に、その荒々しさや巨大な破壊力に対する恐怖に近い畏怖心と。
特に、後者については、年に数度は見る夢の中での生々しい感覚とともに、自分の心の中に深く根付いているものだ。その夢とは、自分が住んでいた家が、大荒れの海にやがて呑み込まれていくというものだ。その場に立ち会っていたり、あるいは知らせを受けて帰ってみると、家のあった場所は、土台すら根こそぎ海に浚われて空虚な空間が広がっているとか、様々なバリエーションはあるけれど、いづれにしても海の持つ凶暴な力に打ちのめされるという内容の夢なのだ。
それは、幼少期の体験が拡大され、誇張され、変形されたものだとはわかっているのだが、それでも毎年数回は同じ趣の夢を見るほどに、自分の中に深く刻まれた印象だ、と改めて思ったりする。「パーフェクト・ストーム」の巨大波のシーンは、その恐怖心をかなり刺激するものだった。でも、お話自体は、人間ドラマの部分が結構しっかり描かれていて、なかなか面白いものだったけれど。
朝を除いて、一日中暖かだったので、それにつられて夕方散髪に行く。坊主頭にしてもらう。帰宅して、天気予報を見ると、明日の夕方くらいから、また北風が強くなって寒くなりそうなので、風邪を引かないかと少々心配ではある。「俳句研究」の3月号を読んでいる。坪内稔典氏の文章が面白い。俳句における方法意識の問題について扱っているもので、好戦的に論を展開しているのが面白い。引き合いに出された人は気の毒かもしれないけれど、こんな形で通念とか俳壇的「常識」に挑戦しようとする姿は、やはり気にかかる。今後、どう展開していくのか、俳壇に波風を立たせ得るのか、楽しみでもある。辻田先生の「俳句原論」の時も、多くは黙殺されたという経過を聞いたことがあるが・・・。
【3月12日】
昨日は、「いさなご句会」の日。9時過ぎの「橋立1号」で丹後へ。乗車率は100パーセントという状態で、めでたいことだ。車中では、まず、今日の句会に出す作品を考える。目に付いたものを素材にして、ぼんやりしながら言葉が浮かんでくるのを待つ。家で入れてきたコーヒーを飲んだり、窓外の風景を眺めたりしながら、思いついた7、8句を手帳に書き付ける。5句投句なので、以前に作っておいた句を取り混ぜて何とか出句できそうなので、句作は終了。持ってきた本を読む。「c++」関係の本。自分でプログラムが組めるとは思わないけれど、何となく頭の体操めいていて、面白い。
丹波高原は一面の雪景色で、時折、雲の塊から雪がばらばらっと降ってくる。窓に顔を寄せていると、外気の冷たさが車窓を通じて伝わって来る。福知山で一度雪は消えたが、宮津との境の山稜をトンネルで抜けると、冬の世界へと季節は逆戻りしていた。雪も思っていたよりも深い。橋立で乗り換え、岩城先生と合流してさらに峰山へと向かう。車窓に天橋立、そして、まだ帰らない鴨の群れを浮かべた深緑色の阿蘇の海が横たわり、対岸には丹後半島の山々がゆったりと白い稜線をのばしている。峰山着が12時前で、「いさなご句会」の世話役の山本さんと一緒に雪の除けられた道を丹後文化会館へと向かう。
5時前まで句会をして、その後、5時24分発の特急で帰京。乗車率は100超という状態。峰山へ通い始めて以来、こんなに乗客の乗っているのを見たことがなかったので、なにはともあれ丹後にとっては目出度いことではないか、と岩城先生と話す。車中では、通路を隔てた席で、京都に着くまで喋りっぱなしであった。俳句の話や、出版の話、編集者の話、私もちょっとお手伝いをした(残念ながら出版にまではいたらなかった)本の話とか、舞鶴吟行会の報告とか、とにかく良く喋った。
8時前に京都着。一人の方と待ち合わせをしていて、3人で京都駅裏の小さな居酒屋へ夕食を兼ねて行く。岩城先生がふらっと入って気に入ったという店。店のおばちゃんたちが、結構面白い人達だった。9時半にそこをでて、さらに近くのホテルの地下の店に移動して、カクテルを楽しむ。明日出版予定の岩城先生の本の出版記念の小宴を持とうという話になる。宴会の場所や、お招きする人たちについて、打ち合わせをする。11時前にそこを出て、帰宅する。
【3月10日】
夕方、思い切って、送って頂いた句集や雑誌のお礼を3通書く。筆無精なのでついついお礼状が遅くなってしまって、失礼を詫びる内容の手紙になってしまう。すぐに投函して、そのままミューズの練習に行く。北大路の方まで、地下鉄で出かける。先週、体調不良のため欠席しているあいだに、新しい所に入っていた。テノールが綺麗なところ。フォーレの「レクイエム」はテノールの聴かせ所の多い曲なのだ。綺麗に歌うと、本当に綺麗なのだが、今回はまだまだかな、という印象だった。ベースの方は、ひたすら裏方役として頑張るばかりだ。
練習を終えて、ちょっと寄り道したいな、と思ったので、先月岩城先生に連れていって頂いた居酒屋へ行く。「あじさい」というちょっと古風な名前の店。北大路から地下鉄一駅ほどのところにある店。若い板前さんとアルバイトの女の子との二人で店を切り盛りしている。料理は美味しい。気楽に入れる店で、行った時も先客がいたけれど、すぐにうち解けてしばらく競馬の話などをする(というより聞く、か)。1時間ほどいて、店を出る。一駅分歩いて、地下鉄で帰宅する。
土曜日。ゆっくり朝寝をする。8時前に起き出し、朝食を作る。ついでにコーヒーも入れて、ゆっくり食事と熱いコーヒーを味わう。昼前まで、自作の俳句のデータベースを作る。昨年の秋くらいからの作品をまだ打ち込んでなかったので、索引・句・季語・季節・投句先などの項目で入力する。昼前に軽く走る。体調を崩していらいほぼ2週間走っていなかった。こんなことも近年ないことなので、ちゃんと走れるかどうか、ちょっと心配だったけれど、ゆっくりペースで40分ほど走る。最後はばてたけれど、気分は良かった。午後からは、データベース作りの続きを行なう。たいした作がないので、少々がっかりであった。
夕方から夜にかけて、ビデオを2本連続して見る。2本ともに邦画だったけれど、なかなか面白かった。明日は、「いさなご句会」。作品は1句も出来ていないけれど、いつものように京都駅と車中で考えようと思う。
【3月8日】
北の方から、分厚い雲の固まりがゆっくり近づいて来るのを眺めながら、駅へと向かう。時間は5時過ぎで、西の方には薄雲の向こうに夕日が白く輝いていた。高架下のビデオ店で借りていたビデオを返して外に出ると、すでに雪が降り出していた。改札を抜け、プラットホームへ上るエスカレータから見上げると、横殴りの雪がホームから階段の方まで吹き込んできていた。ホームに上がると、春の雪などとはとても言えないほどの猛吹雪状態となっていた。電車が来るまで、ダウンジャケットのフードをスッポリ被って、風と雪とに耐えていた。その雪も2駅ほど過ぎるときれいに上がり、まぶしいほどの夕日が西山の稜線に輝いていたりした。
今日は、試験3日目。試験監督が1時間。その後、採点と成績付けの準備。さらに、新3年生のクラス編成に関わるかなりややこしい作業に時間を使う。昼食を挟んで作業を続け、一応の結果が出たので主任の先生と打ち合わせをして、明日にでも3年主任と話合いをすることにした。
杉浦さんから送って頂いた「QUATRE」8号を読む。ちなみに「QUATRE」はフランス語で「4」という意味。4人の同人誌なのでそのような誌名にされたのであろうか。内容は、4人の俳句作品とエッセイなどの文章、さらに作品鑑賞などもあり、薄手の冊子ながら内容は盛りだくさんであった。俳句と文章の両方を掲載しているところが良い。俳句作品も4人4様に自分なりの世界が追求されていて、面白かった。
帰宅すると留守電が2本。岩城先生からは、「いさなご句会」の件。『燕巣』編集部から、3月号の作品が到着していない、という連絡。2月18日頃に送ったはずなのに、一体どうなっているのだろうか、と思う。とりあえず、10句作って送らねばならない。
【3月7日】
山口昭男さんから句集『書信』を送って頂く。松岡ひでたかさんからは、句集『光』を。お二人とは、先々週の土・日と舞鶴吟行会をご一緒させていただいた縁で、句集を送っていただいたのだ。早速両句集を読ませて頂く。『書信』は、季語との付け合いが独特の世界を生み出しており、また、『光』は松岡さんらしい情感にあふれた作品集で心惹かれるものだった。また、杉浦圭祐さんから、同人誌『QUATRE』の8・9・10号を送って頂く。『QUATRE』は、若手俳人4人の同人雑誌。これからゆっくり読ませてもらおうと思う。それにしても、送ってもらうばかりで、こちらからは、何もお返しするものがないのを申し訳なく感じたりもする。
昨日が入学試験で、今日が学年末考査2日目となる。1時間目は国語Tの試験で、2時間目は試験監督。採点を途中まで済ませて、午後はクラブ関係の出張で京都市内の学校へ。夕方、会議を終えて帰宅する。寒さがぶり返したみたいで、震えながら帰宅をするという有様だった。
夜、借りてきたビデオを見る。「エンド・オブ・ワールド」とタイトルが付いていたが、原題は「オン・ザ・ビーチ」でネビル・シュートの原作の「渚にて」という作品だということがわかった。すでにずいぶん昔に一度映画化されたことのある作品で、リメーク版ということになるのだろうが、映画自体はとても良かった。最終核戦争後の世界を描いた作品で、内容的に胸に迫るものがあって、見るのがつらくなる場面もあった。第1作は白黒映画で、その作品も良かったけれど、今回のリメイク版も今風の味付けが施されてはいたけれども、基調となる「放射能による静かな死」を描いていて、それが胸を打つものとなっていた。
丹後の山本さんから、TELあり。今月の「いさなご句会」は、予定通り11日、とのこと。丹後に行くのは、いつでも楽しみである。
【3月5日】
先ほど、大きな流星を見た。街の灯で白く輝く雲の固まりの背後を、翡翠色の光を放って、おおきな流れ星が流れ落ちていった。1秒の半分ほどの時間の出来事だった。初めて見る大きさの流星だった。夕方から、月曜句会だった。その帰り道での出来事だった。
今日は、学年末考査第一日目。1時間目の試験の準備を終えてから、3時間年休を取って病院へ行く。先週末で薬が切れていたので、とにかく薬をもらいにいく。飲み続けていないと、確かに体の状態に影響が出ることが、先週飲まないでいた時期に確かめられたので(発熱による影響もあったのだろうが)、ともかく行く。2時間ほどで帰って来る。午後は、明日の入学試験の準備作業の後、ひさしぶりにバドミントンを同僚の先生方とする。ここしばらく、ラケットを握ることがなかったのだ。1時間ほど汗をかいて、その後、退勤する。
明日は、本当に久しぶりに弁当を作って持って行こうと考え、帰りにおかずの材料を買って一旦自宅へ帰る。その後、とって返すようにして、「月曜会」句会へ参加するために、いつもの会場のカトリック教会へと向かう。
辻田先生はお元気そうだった。投句し、選と各自の披講の後、辻田先生の選と講評があった。辻田選には2句とられる。辻田先生の俳句の推敲の話と、吟行に対する基本的な考え方がとても参考になった。句会を終え、その帰り道で、おおきな流星を目撃することになったのだ。
【3月3日】
回復する。ある時期から(一晩眠ったらというべきか)、急にトントン拍子みたいに回復するものだ、と我ながら感心する。
本日、もう一つのクラスが最後の授業。2時間連続で、予定のところまで余裕で行き着く。一年間を振り返ると、色々あったクラスだったけれど、打てば反応のある結構面白いクラスだったな、と思う。いわゆる「マジ切れ」が少なくとも2回はあったな、などと思い出したりもする。これで、今年度の授業はすべて終わる(テスト返却授業はあるけれど)。
京都の叔母が、合唱のサークル(「椿の会」という)に入っていて、京都コンサートホールでの「京都ゴールデンエイジ 合唱の集い」に参加するという。勤務を終えて、大急ぎでコンサートホールへ。かろうじて間に合い、合唱を聴く。「風になりたい」「春風」「昴」の三曲。混成合唱だったけれども、なかなか上手かった。特に女声のソプラノの声がとても綺麗でびっくりした。男声も3人ながらよく頑張っておられた。その他に、「京都シニア大学コーラス部」の混声合唱や、「ドリーム混声コーラス」などの演奏も聴いたけれど、とても感動した。合唱の世界がこんな風に世代を越えて広がっていることを知ったのも、とても良かった。
気分が良かったので、コンサートホールから出町柳まで歩き、柳月堂で久しぶりにクラシックを聴く。
【3月2日】
いつまでも休むわけにもいかず、出勤。滞っていた仕事の幾つかを片づける。授業は1時間だけ。このクラスの最後の授業だったが、あわただしく終わる。
熱が引いておらず、結局、放課になってすぐ年休を取って帰宅する。一日中、頭の芯がボーとした状態で、時間の感覚が何となく変であった。
今週は、病気のままで終わってしまいそうだ。こんなことも、初めてのこと。
【3月1日】
夜に入り、少し熱が下がってきた。
本日、教師になって初めて卒業式を欠席する。
今年は、おかしな年になりそうな気がする。
操作ミスで、「日々録」2月分を丸ごと消してしまった。