日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

5月分「日々録」 6月分「日々録」 7月分「日々録」 8月分「日々録」


【9月29日】
ちょっと、運気回復気味であろうか。「どつぼ」を踏み越えてしまったのかも・・・。
角川『俳句』の今月号を読んでいる。「40代俳人」の特集が組まれている。なかなか面白い。詠いぶりや使われる言葉など、「若さ」が感じられる。出来上がりきっていないところとか、過剰過敏な部分とか、拘りの強さだとか、一種の臭みとか、ともかく面白い。
醍醐会の会員でもある井上弘美さんや中田剛さんの作品も掲載されていた。剛さんのコメントがそっけないようでいて、思わず納得してしまうものだったのも面白い。そういえば、明日はひさしぶりの「醍醐会」。芭蕉の真筆『奥の細道』発見の経緯などについて、その版木発見者の永井一彰氏のお話を聞けることになっている。大変楽しみである。
甥っ子からTELあり。1ヶ月の海外研修に出た弟から現地に着いたとの連絡があったという。しばらく話をする。プールで新しい級に合格したとか、とりとめない話。やっぱり寂しいのだろうな、と思う。

【9月28日】
見事なほど、何も良いことがない。まるで、何かの歌謡曲の一節みたいなものだ。
ほとんど、淡々という有様で時をやり過ごす。
どつぼ、などという言葉を一体誰が思いついたのだろうか。
どつぼを踏む、などという言葉にたいしては、ほとんど賛嘆の思いを感じてしまう。まあ、仕方ないのだろう。「仰山に斑を浮かせたる鰯雲」MINORU。

【9月26日】
少々落ち込み気味である。就職が、おもわしくない。投句に関して、不手際を繰り返している。一体何をやっているのか、と思う。
今日は、体育祭。一日、屋外で動いていて、すっかり日焼けしてしまう。体育祭終了後、夕方まで仕事。その後、気分転換に走る。走りながら、気持ちがくじけそうになるのがわかる。とにかく、走りきろうと思う。
いつもの飲み屋に行く。
ちょっと疲れている。さっさと寝ちまおう、と思う。

【9月23日】
昨日は「いさなご句会」。いつもの特急は、いつもに比べて乗客が多かった。三連休の初日のせいだろう。家族連れの姿も多かった。なんとか、席を確保できる。その後は、用意していたコーヒをちびちび飲みつつ、投句作品を考える。いぜんとして、「俳句頭」になりにくい状態。近代の句集を読み続けている影響だろうな、とは思っている。ちなみに『霊芝』読了。原石鼎の『花影』を読み始めている状態。亀岡盆地に入り、窓外に田園風景と、その中で畦を彩る曼珠沙華に心惹かれる。集中して曼珠沙華の句を作ろうと思う。思いついては、俳句手帳にぽつぽつ書き付けていく。その合間に、別の句が思い浮かんではそれも書き留める。綾部辺りで、句作を止めて、持参していた本を読む。山本健吉の『俳句とは何か』。実は今まで読んだことがなかったのだ。ゆっくりと読んでいこうと思う。橋立で電車を乗り継ぎ、岩城先生と合流して峰山へ。いつもの通り句会が始まる。2句は以前作っておいたもの、3句は今日作ったものを出す。岩城先生の選は3句、そのうち2句は今日作ったもの。「菊の酒」と「子規忌」、そして「月の寺」。「菊の酒」と「子規忌」の句は、今までの自分の句とは微妙に違うものがある、と感じていた句だった。ここしばらくの勉強の成果の一つ、と自分でも思っている。
帰りの電車では、ビールを飲みながら話す。島田牙城氏が、『運河』城陽句会に同人参加しておられる島田民子さんの息子さんだったとは、始めて知った。9月上旬にあったJRと周辺自治体の協賛企画の「たんたん(実はどう書くのか、わからない)列車」の話なども聞く。「参」の会員さんたちも、投句においておおいに活躍されたと聞く。お米10キロを「獲得」された方もおられた、とのこと。帰京後、Aさんと待ち合わせて、3人で「あじさい」へ。岩城先生は、たまに来ておられるらしいが、3人で来るのは2、3ヶ月ぶりのことになるのではないか。美味しいお酒と料理をごちそうになる。店の若いマスターの話にちょっと胸打たれたり、ということもあったりした。話がたまたま合唱の話になり、お店のアルバイトの子が一度「第九」を生で聞いてみたいとのことで、それなら岩城先生たちと一緒に招待します、ということになったりもした。楽しい時間を過ごす。その後、祇園の「米」さんへ、場所を移動して、さらに四方山話。年末の出来事や、最近黛まどかさんがお仲間と一緒に来店されたこととか、祇園の若い舞子さんのはなしとか、「散財」のことなど、色々な話を聞く。今日一日、本当に贅沢な時間を過ごせたと満足して帰宅。
本日は、昨日の余波で、少々体がだるい。十分朝寝を決め込むこととする。遅い朝食を食べ、ビデオを1本見て(「プルーフ・オブ・ライフ」という作品、なかなか面白かった)、昼食前に1時間ほど桃山御陵周辺を走り、昼食後は、昼寝を挟んで原石鼎の『花影』を読み進める。吉野で作った句、出雲や米子で作った作など興味深かった。夕方まで、読み続ける。客観写生の句と心情表白の句がとりどり現れて、面白い。


【9月19日】
毎日のように、入社試験が予定されている。何人かの生徒が、試験を受けに出かけていく。すでに合否の連絡が入り始めてもいる。一喜一憂というところであろうか。電話がくると、何か受験の際に問題でもあったのか、と「びく」ついたりもする。試験を終えた生徒が、試験の報告に来る。面接の様子を聞いたり、試験の内容を確かめたり、何人くらい受験者がいたのか、尋ねたりする。何とも落ち着かない毎日である。
渡辺水巴の句集『白日』を読了。飯田蛇笏の『霊芝』を読み始める。唸る。立ち姿の凛然として格調の高い句柄に感心する。ふと、芭蕉の句姿を連想したりもする。明治39年以前の句から昭和11年までの句が納められた句集。長期間にわたる作が収載されているため、句の世界は自ずと広がり変化してはいるが、背骨は変わらないという印象が強い。面白い。
お化けの夢を見る。これは、たまに見る夢の一つだ。大学生時代の下宿を舞台にして、お化けに悩まされるというもの。いつもは、その姿は見えないのに、今回は美しい女の幽霊だったりした。何故か、弟が特別出演していたりもした。全体が、文字通りセピア色の雰囲気の中でのお化け騒動。不思議に懐かしかった。目を覚まして、「いつかは死ぬのだ」という思いを改めて噛みしめたりした。そんな風にして、今日一日は始まったのだった。あまりさわやかな始まりとはいえないけれど・・・。


【9月16日】
昨日、岩城先生よりTELあり。22日の「いさなご句会」参加確認の電話。3連休になるので、別のこともちょっと考えていて、返事は保留する。今日の、午前中は、その「いさなご句会」の10周年記念の合同句集の句稿をまとめる。60句ほど選び、50句に絞っていくことになると思う。句会記録のノートを読み直してみるが、これはどうかな、と思える句は数えるほどしかない。少々気落ちしつつ、まとめていく。
午後、昼食を取りにいくついでに、散歩。山手の方を散策する。桓武天皇陵、明治天皇陵などを見に行く。町並みの裏手なのに、参道の両側は、木々が茂り、空気がひんやりとしていて深山の気のようなものを感じる。「すがすがし」とは、このような感じを言うのだろうか。桓武陵は常緑樹に隠れ、その様子を伺うことはできないが、明治天皇陵は、木々の向こうに墓陵が露わに見える。その厳かな姿にちょっと感銘を受ける。やがて、小雨が降り出した。雲の動きが早く、雲の切れ目に青空が見えるので、ひどい降りにはなるまいと判断して、墓陵正面の急な石段を下りていく。
桃山の町に入り、書店で本を2冊ほど買って、歩いて帰宅。帰ると同時に雨は本降りになる。
まだ、早いけれども、風呂に湯を入れ、入る。買ってきた本を読む。『近江植物歳時記』という本。年中行事と植物とを結びつけて紹介するもの。面白そうである。風呂を出ると、天気は回復していた。稲荷山に夕日が射しているのが見える。

【9月15日】
朝食の前に走る。7時過ぎの街は、休日ということもあるのかまだ車通りも少なく、風も涼しくて、気持ちがよい。周辺をぐるりと回って、さらに近くの大学の方まで走る。ゆっくりと50分ほど走る。一汗かき、シャワーを浴びて、朝食。水分をたくさん取る。蜂蜜入りの酢を薄めて飲む。飲みやすくて美味しい。紅茶をいれて飲む。美味。
昨日届いた、ミューズ夏のコンサートのフォーレ「レクイエム」のテープを聴く。思っていたより悪くはなかったけれど、やはり男声が弱い。人数的な面もあるけれど、声の質がバスあるいは、テノールらしくない。声の質が接近しているので、メリハリがつかなくなっているようだ。難しいものだ。
通勤の時の読書。瀬戸内晴美の『有縁の人』を読む。夏の帰省の折、行きつけの古本屋で見つけたもの。すでに物故した作家たちの思い出を綴ったもの。川端康成、谷崎潤一郎、高見順、佐藤春夫、三島由紀夫氏などとの思い出。死の翳が作品の背後に揺曳していて、それが作の味わいを深めていることに気づく。
あまり関係がないが、台風15号が本土に接近しているとき、その余波で天気がめまぐるしく変化した一日があった。その夕方、雲の行き来が激しい中で、沈もうとする夕日を受けて、街の背後に大きな二重虹が架かっているのを見たことがあった。台風の賜、という事を思った。淡くて美しい虹だった。その台風で、10人近い人が亡くなった。

【9月14日】
朝から、慌ただしい。文化祭が終わり、大掃除。その後、授業を3時間。昼の立ち番は、うっかり忘れそうになる。午後、休んだ人の課題を持って行き、その後、企業へ4件電話。入社試験の確認。6限目は、分掌会議。終わると同時に、就職激励会。16日より始まる、今年度の就職試験について、生徒を集めて激励会。今年の就職戦線は、大変厳しい。
会終了後、追加模擬面接。希望者と2回の模擬面接で問題のあった生徒への追加指導。夕方まで。さすがに、少々疲れる。気分転換に、クラブへ。生徒と1試合。9対15で負けるが、9点取ったのは、僥倖か・・・。クラブを終え、退勤。京都市内へ。ミューズの第九への参加申し込みへ行く。出来れば、別の合唱団へ参加したかったが、10年以上もお世話になっていることもあり、今回も参加することにする。
メンバーは、まだ少ない。アルトは、十分かもしれないが、他の3パートは人数が足りない。特に、テノールは、少なすぎる。今月末が、申し込み締め切りだが、どうなるのだろうか。早めに帰宅。夕食は、サンドイッチをビールで流し込むという乱暴なもの。
戦争が、起きるのかもしれない。

【9月12日】
中塚一碧樓の句集『はかぐら』を読む。700句ほどの句から、「本当の私」の句と思われるもの84句を集めたとする句集。内圧の高い、凝縮されたエネルギーを感じる句集。面白い。
村上鬼城の『鬼城句集』を読み始める。高浜虚子・大須賀乙字の長い「序」文は後回しとする。有名な句なども散見する句集。その句材の特異さや、俗臭をふと感じさせる詠みっぷりなどが面白い。が、少々退屈な句も混じる。それは、鬼城だけにかぎらないけれど。
明日から文化祭。
この日々録は3日間に渡って書きついでいるのだが、昨夜、衝撃的な出来事が起きた。航空機テロ事件だ。あまりにも異常な出来事で、悲惨な状景を写し出すTV画面を見ながら、恐怖とも怒りとも絶望とも何とも言えない思いで、体が震えた。こんな経験は、阪神大震災で、まるで空襲にでもあったかのように燃え上がる神戸の街を写し出した画面を見たとき以来のことだ。

【9月9日】
今日は、一日読書。『碧梧桐句集』を読了。読み終えて、「序」を見る。大須賀乙字選のこの句集は、明治43年以降のいわゆる新傾向の俳句は「殆ど拾ふべき句がない」として3句を除き選していないという。徹底したものだ。また、編纂に際して、原石鼎が協力している点も面白い。読み終えて、面白い句集という印象は変わらないが、中に蕪村的な句が幾つもあることが興味深かった。
勢いを得て、『井泉句集一』を読み始める。新傾向俳句の俳人荻原井泉水の句集である。有季定型に拘らないという句風に最初は違和感を感じたが、やがて井泉水なりの美意識に裏付けられた句に対してちょっと面白みを感じた。ただ、全体に「甘い」という印象がある。句としての緊密性という点でも、内容面での説明的な部分や一種のロマンチシズム的な色合いやらに、面白いような物足りないような奇妙な感想を持ったものだ。
読書の途中、1時間ほど昼寝をする。ベッドに横になって、軽くエアコンをかけて、夢うつつの状態で寝ころんでいるのは、なんとも気持ち良い。夢をみながら、ああこれは夢だなと意識しているような、半浮遊状態がなんとも心地よい。目を覚まして、コーヒーを1杯飲んで、読みさしていた本を読むのは、本当に贅沢な時間の使い方だと思う。
夕方、雨がぱらつく中をジョギング。より意識的に体調を管理しなければならないと思う。40分ほど近所を走り、帰宅後は温めの湯に浸かりながら本を読む。ビールを飲み、夕食を食べ、一休み。

【9月8日】
検査のために、朝から絶飲食。水も飲めないので、仕方なく8時すぎまでごろごろ寝ていた。10時過ぎに予約が取ってあるので、それに間に合うように家をでる。少し蒸し暑い。残暑が復活したのだろうか。予約の10分ほど前に病院着。検査の進行が遅れているのか、しばらく待たされる。超音波による腹部検査。10分ほどで終了。その場で、検査結果を伝えられる。特に問題なし、とのこと。ほっと一安心。その後、尿検査も行われ、これも大丈夫とのこと。
昼過ぎに病院を出る。とてもお腹が減っていることに気がつく。ぐうぐう鳴りそうなほどの空腹状態。昔行き着けていた洋食屋さんがあるので、おいしいランチを食べようと思って行ってみると、「臨時休業」の札がかかっていた。残念。仕方ないので、駅まで引き返して、居酒屋のような雰囲気の店で和定食を食べる。菜っぱの煮たのが美味しかった。
帰りの車中で、読み進めていた三島氏の句集を読み終わる。写実を生かした落ち着きと味わいのある句集。特に、医療に関わる句は、胸を打つ句が多い。時に、主観性の強い句、見立ての句が混じるのも、面白い。ちなみに三島氏は現役のお医者さまで、結社「風雪」の主宰でもある。
今年初の二十世紀梨を食べる。少し小振りの梨。しかし、甘みも十分、酸味もありで、とても美味しかった。

【9月6日】
少々、疲れ気味。9時過ぎには、もう寝てしまう。まるで小学生のような生活。寝る前の時間を、明治以降の代表的な俳人の句集を読んでみよう、などと思いながら、『子規句集』を読み終え、『碧梧桐句集』へ移ったあたりから、読むペースがぐっと下がってしまって、ちょっと辛いものがある。『子規句集』は面白かった。その自由な句作りの姿勢に心惹かれた。『碧梧桐』の初期の句は、とても端正な、いかにも俳句らしい俳句であった。上手さという点では、あるいは子規よりも碧梧桐の方が、一枚も二枚も上ではなかろうか、などと思ってしまった。睡魔と戦いつつ、読み進めて行こう。
体調は、今ひとつ。毎日のように走るか、クラブに顔を出すかして体を動かすようにしているのだが、時に心臓の辺りがちくちくと痛む。少々、気味が悪い。今日は、3時間年休を取って病院へ。薬を取りに行き、前回の検査の結果を聞く。結果は、あまり良くなかった。薬を一つ変えることになる。また、超音波での検査をすることになった。注意をしているつもりでも、やはりどこかで不摂生な生活を送っている、ということになるのだろう。反省しきり、という気分になる。時間短縮のため、往復タクシーを使うが、帰りのタクシーが何故か行き先を間違え、前任校の方へ行くはめとなる。行きの倍の料金がかかったけれど、車窓から懐かしい沿線風景を眺めたりしたものだ。
学校に帰って、引き続き仕事。新たに一人就職希望者が出たので、そのための準備。ともかく必要な書類をそろえ、企業に電話を入れ、生徒にはっぱをかけ、という状態。放課後になると、第2回目の模擬面接を受けている生徒たちが、その面接結果を持ってやってくる。思ったよりうまくいかなくて、落ち込み気味でやってくる生徒もいる。自分をなかなか思うように表現しきれないもどかしさを感じているようだ。頑張ってほしい、と思う。
7時前に退勤。帰りの電車の中で岩波新書の石井淳蔵氏の『ブランド−価値の創造』読了。「ブランド」とは、一体何か、を追究した読み応えのある論評。芭蕉(だったか・・・?)の文章の中に「虚実皮膜の間」という言葉があったように思うが(その言葉も別に典拠となる本があるのだろうが)、「ブランド」の価値もまたそのような地点にうち立てられたものなのかもしれない、などと思う。

【9月4日】
月初めは、第一日曜日の茨木和生主宰の『運河』城陽句会と、第一月曜日の辻田克巳主宰の『月曜句会』が続く。昨日は、『月曜会』。すばらしい句に出会う。1句は、辻田先生の口から、「このような句が作りたいと思っているのだ。」という発言が出た作であった。私もその句を見た瞬間に、これはすごい句だとはっきりわかった。と同時に、自分の句のどういう点がだめなのか、はっきり思い知らされたような句であった。おそらく、俳句の究極的な句姿の一つは、このような句なのであろうと、作品そのものを通じて思い知らされたような気がした。その句をこの場で紹介することは出来ないけれど、いずれ『幡』誌に発表されるのではないか、と思う。
もう1句は、辻田先生を除き、皆見落としていた句。辻田先生の評言を聞きながら、自分の鑑賞力の無さを恥じた1句であった。具象の向こうに、深い心情の世界が感じられる句。虚子風に言えば、主観と客観が合一したような句。昨日の『月曜句会』は本当に良かった。帰りがけ、一人で近所の中華料理屋で、遅い夕食を一人食べながら、先ほどの体験と思いを大袈裟でなく何度も噛みしめた。



【9月2日】
9月に入った。今日は、『運河城陽句会』で、二月ぶりに城陽文化パルクへ行く。俳句自体、ほとんど1ヶ月半ほどの期間作っておらず、第1句会の投句10句を準備するのが大変だった。パルク内の喫茶店で昼食を取り、会議室の一つで句会開始。出句数は欠席投句を含めて250句ほど。5句選ということだから、かなり厳選といって良いのではないか。結果は、厳しいものであった。第二句会は、30分ほどで10句以内の投句。頑張ったつもりだったが、8句までしか出来ず、それを投句する。「早稲、八つ頭、昼の月」などで作る。かなり疲れたけれど、楽しい句会だった。天気が崩れそうなので、早めに失礼する。宇治を過ぎたあたりから雨が降り出し、下車する頃には本格的な降りとなっていた。仕方がないので、走って帰る。
かなり濡れてしまった。着ていたものを脱ぎ、着替えようとしていると、呼び出し電話が鳴り、受話器を取ると隣に引っ越して来た人が挨拶にきたとのこと。慌てて服を着て応対。30代くらいの夫婦であった。丁寧な人だと思う。
『運河』の同人で、醍醐会でもご一緒している上島清子さんから俳句エッセイ集『こゑとこゑ』を頂く。『運河』に掲載された文章を一冊にまとめられたもの、ということ。理系の先生でもあり、随所に理科の先生らしい視点があっておもしろそうな内容である。ゆっくり読ませてもらおうと思う。
ここしばらく角川『俳句』9月号で島田牙城氏が触れておられた盗作問題関連のHPを見ていたのだが、その中である歌人の発言がどうにも気になって、掲示板に何度か書き込むはめになった。「作品」というものに対する姿勢の違いが感じられて、考えさせられた。というのか、「言葉」に対する受け止め方が違うのかもしれない、と思ったものだ。