日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
12月分「日々録」
1月分「日々録」
2月分「日々録」
3月分「日々録」
4月分「日々録」
【5月31日】
『捜神記』を読み続ける。面白い。今日は、あやうく電車を乗り過ごすところだった。そういえば、以前に一度だけ本を読むのに夢中になっていて、次の駅まで乗り越してしまったことがあったのを思い出す。
一度読み始めると、他の本が読めなくなるのがちょっと困る。買ったままにしてある『李賀』の詩編も、怪奇趣味的な部分があるようなことを聞いているので、是非読んでみたいなとは思っているのだが、とりあえずは『捜神記』を読み終えるしかないかな、とも思う。
今日で中間試験は終わり。ホームルームが終わると、生徒達は速やかに帰宅。クラブ関係の子達は、午後から活動だから食事をとりに帰宅したりしているようだ。明日は、半日クラブ活動の担当にあたっているので、早めに退勤する。まだ日のあるうちに帰宅。とりあえず洗濯などする。
洗濯が終わるまでごろりと横になって本を読んでいるうちに、不覚にも眠り込んでいた。今日は、ミューズの練習があるので、ごろごろしているわけにはゆかない。
【5月29日】
「日々録」の書き込みが滞り気味になっている。ここ数日、句稿の整理で帰宅後の時間の殆どを使っていたせいである。今日、一通りの整理が終わったので、やっとこちらの方に手をまわすことができるようになった。
今日は、中間考査二日目。国語Uの試験が行われる。昨日は、現代文のテストがあった。採点はその日のうちに済ませてしまうことにしているので、試験明け後の授業の準備を進めながら、採点に励む。という訳で、二日間で4クラス分の採点を終了。今日は、その後バドミントンの練習をする余裕まであった。
『高浜虚子』読了。虚子の句は面白い、と改めて思う。以前、ある人から過去の俳人で誰か好きな人はいないのか、と聞かれた時、特に思い浮かぶ人もなく、そのままに答えていたのを思い出したが、虚子は面白いかもしれない、と思う。「ホトトギス」とか、「花鳥諷詠」とかいうことをちょっと横に置いておいて、句そのものを鑑賞すると、その発想の面白さや表現の自在さに惹かれるものがある。
『捜神記』を読み始める。神仙譚なのかな、とも思うが、読み進めてみないと分からない。奇妙な話が紹介されている。こういう話は、とても好き、なのである。
【5月24日】
本井英氏の『高浜虚子』を読んでいる。先日は、内容はどうかな、などと書いていたが、読み進めてみるとなかなか面白い。1ページに1句と短い評言。選ばれた虚子の句と簡潔なコメントが良い。
金曜日。6時間目のホームルームを終え、掃除を済ませてほっと一息。一週間が終わった実感。来週は、中間試験週間。ともかく試験問題を仕上げねば、と思う。夕刻、試験問題完成。印刷をして、教務部に保管。日のあるうちに退勤。
近所に新しいコンビニが出来たので、帰りに寄ってみる。今日が開店日なので、随分たくさんのお客さんが店に入っている。カウンターにも手伝いの人が数名入っているようだ。それにしても、歩いて5分程度の範囲に、大型スーパー1件、個人の小売り2件、コンビニ3件があって、各店が商売としてやってゆけるのだろうか、などと思う。
帰宅後、ぐったりする。今日はミューズの練習があるのだけれど、行くか休むかで迷う。しばらくぼけーっとしてソファにもたれていて、小腹が空いていたのでさっき買ってきた蓬大福を一つ食べる。お腹にものが入ると、何となく元気が回復したみたいで、練習に出かけることにする。
【5月22日】
朝、通勤の途中に、『燕巣』投句を投函。今月も遅れる。俳句関係の本や資料は継続して読むけれど、句作自体は、へたすると1月間全くしないということまであり、うっかりすると(毎回うっかりしすぎているか)投句締め切りを過ぎてしまう。困ったものだと我ながら思う。
日曜日は『いさなご句会』しばらく休んでおられた方の参加もあり、賑やかな句会となる。岩城先生の選句数が29句にもなったのは、初めてのことではないか、とも思う。今回は神島吟行の時の句を投句する。普段は、丹後行きの車中で集中して作るのだが、今回は疲れていて、不覚にも眠り込んでしまう。結局1句も作れず、旧作をということになってしまった。5句投句中4句をとって頂く。
京都に帰ってから、そのまま待ち合わせて4人で食事に行く。京阪七条の近くの店。隣の席が若者の集団で、うるさいこと、うるさいこと。
月曜日。さあ、一週間の始まりだ、と思ったら、今日はもう水曜日だ。時間のたつのが早い。少々疲れ気味で、晩酌が習慣化してしまった。困ったことだ。本井英氏の『高浜虚子』を読む。虚子の句評だけれど、内容はどうかな、と思う。昭和22年刊行の「現代俳句全集第2巻」(富岳本社版)を読む。酷い紙質の本だ。水原秋桜子、富安風生、渡辺水巴三氏の作品を掲載。面白い。
【5月18日】
午前中、HPの更新。岩城先生の句集『冬焉』も「その十五」となった。掲載の形式が、更新する都度違うので、見に来ていただいている方には不便をかけているのではないか、と危惧している。試し試し更新している、という状態です。
昼前に、クラブ引率の交代で市内へ。今日は女子シングルの試合。最高はこの会場でのベスト8であった。見応えのある試合が多かった。バドミントンは、見ているだけでも面白い。試合終了後、現地解散。夕方、久しぶりに「あじさい」に行くつもりで、少し時間があるので近所の古本屋を2軒回って、5冊ほど本を買う。『捜神記』『高浜虚子』『現代俳句全集第二巻(これは昭和22年刊行のもの)』『李賀』『祇園』の五冊。現在の興味・関心が反映しているな、と思う。
夕方、「あじさい」へ。客は僕一人。しばらく飲んでいると、常連さんが二人来店。マスターも交え、雑談。暗くなる前に店を出る。明日は、「いさなご句会」で丹後へ行く。
【5月17日】
『俳句研究』を自宅に忘れたので、もう一冊持っていた吉本ばなな氏の最新小説『虹』を車中で読む。ばなな氏の小説は、胸に沁みるような自然描写や、さりげない心情を語る部分にとても心惹かれるものがある。
授業でもちょうどばなな氏の「幸福の瞬間」という作品を現代文で扱っているのだが、そちらも筆者の体験を語るなにげないエッセーだけれども面白い。
長い一週間が終わった。何故だろう、今週は本当に長かった。6時間目のLHRを終え、掃除を済ませて、明日のクラブ引率の資料を作っているうちに、進路ガイダンスの方に顔出しすることをすっかり忘れたりもしていた。夕方、軽くジョギングをして、その後一仕事こなしてから、7時過ぎ退勤。そのまま京都市内へ。ミューズのレッスン。8時前に到着。練習もすでに3分の2を終え、終盤の段階に入っている。指揮者レッスンが6月21日に決まった、との連絡もあった。今日で、全体を一通り終える。明日から京北町で1泊2日の合宿が行われるが、クラブ引率の為行けない。それが、ちょっと残念である。
【5月16日】
仕事を終え、病院に行き、前回の検査結果を聞き、薬を4週間分貰って帰宅。9時過ぎになっていた。帰りに、いつものラーメン屋さんで、美味しい味噌ラーメンを食べ、ちょっと幸せな気分であった。
昨日から今日にかけての通勤中の読書は、『俳句研究』で、この雑誌は数日かけてほぼ隅から隅まで読み尽くす。今月号には、竹中さんと弥榮さんの新作が載っていた。弥榮さんの作品は、恐らく勉強の成果を色々試しておられるのではないか、と思わせられる多彩な作品群であった。様々な素材を使いながら、全体としてあるトーンで統一されている点がたいしたものだと感じた。坪内稔典氏の連載の中で、『キャトル』の中田美子さんの作品が、紹介されてあった。「台風」の句は、なるほどと思える面白い句であった。
帰宅すると、『雪華』から事務連絡の手紙。随分長い間欠詠状態が続いているので、申し訳ないような気になる。
【5月15日】
茨木さんの祝賀会は大盛況で、およそ230名ほどの参加者があったらしい。来賓として祝賀の言葉を述べられた大島民郎氏の懇切丁寧なお話も、桂信子氏のピンと背筋の張った挨拶も、鈴木六林男氏の心の籠もった祝辞も、いずれも大変印象深いものであった。ゲストとして招かれた古箏の演奏家伍芳(ウーファン)さんの演奏も華麗で素晴らしいものだった(思わず、会場外で販売していたCDを一枚買ってしまった)。会場で初めて、茨木さんの教え子であった邑書林の島田牙城氏とお会いして、少しお話をすることが出来た。『キャトル』の杉浦さんとも久しぶりお会いすることが出来た。大変楽しい祝賀会であった。
帝国ホテル大阪の23階の展望ラウンジでの二次会の後、さらに祇園の「米」さんのところで飲もうという話になって、岩城先生や清水貴久彦さんより一足早く『杉』の岩井さんや『銀化』の中村堯子さんと阪急で京都へ向かう。車中で、中村さんと俳句の事で真剣な話し合いとなった。電車を降り、タクシーで「米」さんへ向かう。すると、どこで追いつかれたのか、後から会場を出られたはずの岩城先生と清水さんがすでに到着しておられて、かえって迎えられるということになってしまった。やがて『幡』の会員の与謝男さんが合流され、話が弾む。11時まで「米」さんで飲んで、帰宅する。
月・火・水と遠足に振り回される。結局、雨のために中止となる。その事後処理で、今日は8時前まで居残り仕事。少々疲れる。
【5月10日】
竹中さんにお礼のFAXを送る。ついでに、神島吟行の折りの句を10句ほど添える。自分で拙さを感じつつも、一連の句作にある満足感を感じている。
『俳句文芸』読了。やはり「若布刈神事」の記事が面白かったな、という印象が強い。今、俳句総合誌に何をもとめるのか、と考えた時、一つはもっと面白い作品を掲載して欲しいということと、俳論をもっと取り上げて欲しいということだろうか。それと、拙くてもよいから、若手の作品をもっと掲載してほしい、ということか。場合によっては、若い人に名前・出自などを匿名状態にして、雑誌の一部分を開放して好きな事をさせるぐらいの心持ちが欲しいようにも思う。
2週間ぶりにミューズのレッスンに行く。北文化会館。地下鉄北大路駅の上にある文化施設。練習場がゆったりしていたせいだろうか、全体的にかなりいい感じでの練習ができたように思う。帰宅後、ちょっとお酒を飲んで、リラックスしている。今夜は、夜更かしをするつもり。明日は、午後から茨木和生さんの「俳人協会賞」の受賞記念祝賀会に出かける予定。
【5月8日】
昨日、早速『俳句文芸』の見本誌として4月号を送って頂く。昨夜から読み始める。「若布刈神事」の特集記事が面白い。「全国縦断俳誌雑詠句評」は、この雑誌の目玉記事の一つであろうと思う。匿名氏による「現代俳句覆面時評XYZ」は、かなり辛辣で面白い。特に某俳句雑誌の名を冠した賞の入賞作品鑑賞は、手厳しくも痛快なものであった。
今日、勢力氏より「神島」吟行の作品集が送られてきた。丁寧にワープロ打ちされた作品集であった。読み直して、改めて二泊三日の吟行会が懐かしく思い出された。昨日、今日と仕事が立て込んで、大変忙しい状態であったので、帰宅してこの作品集を読んだ時は、心が和んだ。と同時に、自分の句の拙さにちょっと歯がゆい思いも感じた。良い句を作りたいものだ、と思う。
竹中氏から、「京都新聞」4月29日に掲載された、4月末日の「醍醐会」の記事をFAXで送っていただいた。簡潔丁寧に「醍醐会」の在りようと現在をまとめられた記事内容に感心した。
【5月6日】
二泊三日の神島吟行。作品的には、今ひとつであった。どちらかというと机上派で、吟行というのは、どうも苦手である。俳句表現とは一体何なのか、自分が作りたい「俳句」というものは、どのようなものなのか、大きな課題をあたえられたように思う。
神島は、魅力的な島であった。ありきたりな言い方だけれど、人擦れしていない素朴な人柄や、土地に根付いた生活や、ほとんど手つかずの自然の豊かさを、島の中をぶらつくただの旅人に過ぎないのに、じわっと感じてしまう。子供から老人まで色々な世代が島の中にいて、ごく普通の生活をごく普通に送っている。そんな様子を薄い膜を隔てて眺めている、そんな心地よさを感じたものだ。
自然は本当に豊かだ。初日と最終日と二度島を一周した。海を見て、山を歩いて(島内に一等三角点を持つ山があるのだ)、老鶯の声を聞き、虫たちの営みを間近に眺め、心豊かな三日間を過ごす事が出来た。
勢力氏が編集発行している『俳句文芸』を購読してみようかな、などと帰りの近鉄特急の中で思ったりもしたものだ。ちなみに吟行の参加者は、今回の旅のコーディネーター役の勢力氏、岩井さん、井上さん、小林さんの顔馴染みの方、初対面の夏秋さん、中谷さん、浜崎さんの8名であった。
【5月1日】
五月に入った。朝から雨である。生徒の今日のクラス日記にも、雨なので自転車をやめて歩いてきたら、鞄がびしょびしょになってしまった、などと書いてあったりする。風薫る五月の筈が、やや膚寒い一日となってしまった。
新潮文庫の『大阪学』大谷晃一著を読んでいる。文字通り「大阪」を多面的に考察している一冊であるが、これがとても面白い。ちなみに各章のタイトルを紹介すると、「不法駐車」「お笑い」「きつねうどん」「スーパー」「好っきゃねん」等々。たとえば、なぜ「好きやねん」ではなく「好っきゃねん」なのか、読んでみるとなかなか面白い背景があるのだ。もし機会があれば、是非、一読下さい。
岩城先生の句集『冬焉』の全句掲載を開始する。横書きではなく、縦書きにしたいと思ったのだが、どうして良いか分からず、結局、一太郎の文書の画像保存機能を使って作ることにした。ボタンも付いているので、一部ソースを書き換えて使うことにした。
『冬焉』は、1ページ1句形式の句集であるが、それはHP上では無理なので、5句を1ページとして掲載することにした。やや不鮮明な画像といい、掲載形式の違いといい、本来の句集の持つ味わいからは随分離れたものとなってしまったけれど、ご覧いただければ、と思う。