日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【6月30日】
土曜日は、東京へ。何年ぶりの上京だろうか。従姉妹の結婚式に出席するため。久しぶりに親戚一同が出会う。良い結婚式だった。12時前まで飲む。
日曜日。帰京。午後からの『醍醐会』に参加するため。偶然、メンバーの一人清水さんと駅構内で出会う。同じ新幹線に乗っていたらしい。昼食後、会場へ移動。
1時半から開始。能村氏の『羽化』評から。弥榮氏の観点は、面白い。後半は、中田氏のレポート。飯島氏の作句法について、紹介。議論は多方面に渡る。
疲労のため、二次会は欠席。帰宅する。今日で、6月も終わりだ。

【6月27日】
今週は、このような梅雨寒の状態で終わるのだろうか。などと書き込んでいたら、京都は明日30度まで気温が上がるだろうとの天気予報。ああ、また炎暑の日々が始まるのか、と思う。
国語表現。今日のテーマは「添削と推敲」。前回生徒諸君の書いた作文を教材として使わせてもらう。作文は、「リンゴの実は赤くて丸い」「どんな時でも盗みは許されない」という二題について、各自の考えを書いて貰うというもの。元々は、「序論−本論−結論」の三段型の型と、構成としての「頭括法・尾括法・双括法」を理解して貰おうと思っての作業であったが、作業内容をさらに拡げることが出来た。
能村氏の『羽化』を読み進めている。恥ずかしい話だが、能村氏の作品をこんな風にまとまった形で読むのは初めてで、プリントアウトした作品を読んでいくうちに、ほわりとした豊饒な世界に心惹かれるものを感じた。全400あまりの句。あるいは落とした方が良いのでは、と思えるものもないわけではなかったが、そのことにもかえって作者に代わって選をした人の能村氏に対する愛惜の思いのような物を感じて、嫌ではなかった。


【6月24日】
梅雨寒の一日。半袖を着ていたのだが、肌寒いほどだった。昼前から雨が降り出し、夜に入っても降り止まない。夜は、句稿の整理をして、その後は今週の日曜日の『醍醐会』の準備で、飯島晴子氏の遺句集『平日』を読む予定。今回の『醍醐会』は、「二作家の遺句集を読む」と題して、飯島氏とそして能村登四郎氏の句集『羽化』を取り上げることになっているのだ。
飯島氏の『平日』は、『飯島晴子読本』から、そして能村氏の『羽化』はネット上からダウンロードしたものを読む。『羽化』は弥榮浩樹氏が、『平日』は中田剛氏がレポートを発表することになっている。今回から、新たなメンバーとして、『幡』の編集長の小松生長氏と、「俳句研究賞」受賞作家の山根真矢氏が参加される。楽しみである。
杉浦圭祐さんから『キャトル』NO15を送って頂く。今回のテーマは「太陽系」。各氏の句を1句ずつ引く。「象のいる星でありけり桜咲く」中田美子さん。「ビワマスの群るるは光の波のなか」金山桜子さん。「春茜奥より火星現れる」上森敦代さん。「水金地火木土天海冥しやぼん玉」杉浦圭祐さん。作品紹介のついで?に、15号の目次も紹介しておこうか。数字はページ。「俳句5句」1、エッセイ「星の軌道に想うこと」田中信克9、俳句20句「気」杉浦圭祐13・「花のあと」中田美子15・「野洲川平野」金山桜子17・「空席」上森敦代19、「ノンセンス!」中田美子21、「写真」(注、2葉掲載)野々下猛24、「俳句鑑賞、山口青邨の句(注、「尖塔やねぢれてつもる春の雪」について」)上森敦代25、「風の記」杉浦圭祐27、「KUATRE-SAISONS(注、あとがき)」30。今回の編集責任者は、金山桜子さん。


【6月21日】
体力と気力の勝負のような1週間が終わる。連日30度前後の気温と高い湿度の中で、6時間の授業を受けている生徒達が体調を崩さないのは、ひとえに若さの勝利と言えようか。しかし、さすがに今日の日誌には、「疲れた」との一言が書かれてあった。
教室の窓から見晴るかす向こうの丘に、9月開校予定の建設中の某私学の立派な校舎が見える。恐らくあの校舎は全館冷暖房完備なのであろうな、などとふと思う。思っても仕方ないことだけれど。
いつもより早目に退勤するが、結局ミューズのレッスンには遅刻。しかも、今日は本番指揮者の金氏のレッスンであったのだが。9時過ぎまでみっちりと練習。面白い。今までミューズでは、数度モーツアルトの「レクイエム」を歌ってきたが、今回は今までにない「モツレク」になりそうな気がする。但し、上手くいけばの話。スリル満点の本番になりそうな気がする。ともかく、かなりの部分で今までの練習の成果を捨てて、組み立て直さなければならないからだ。しかし、とても刺激的ではある。
今月の『俳句研究』を読んでいる。仁平勝氏の「俳句時評」が面白い。俳句は「一人称」の文学と言われる点について、基本的な疑義を語っている。この問題は一度考えてみたいな、と思う。

【6月17日】
土曜日、帰宅後、ビールを飲んであまりの眠気にそのまま寝る。7時過ぎである。10時前に目が覚め、テレビを付けると「アルマゲドン」をやっていた。つい最後まで見てしまう。その後はひたすら寝る。普段ならこんな時には、長い夢を見たりするのだが、犬の夢を見たのを覚えているくらいのものだった。
日曜日、5時過ぎに目を覚ます。あとはうつらうつらして、6時には起床。今日は、丹後の「いさなご句会」の日なので、8時過ぎには出かけなければならない。朝は涼しくて気持ちが良い。京都は、これからぐんぐん気温が上がることだろう。京都駅9時25分発の「はしだて1号」。先月は、不覚にも車中で寝込んでしまったけれど、今日はさすがに前夜7時就寝が効いたのか、眠くはない。窓外の景色を眺めながら句を考える。ちょっと不調。出句数の5句だけ作って、後の時間は景色を眺めながら音楽を聴く。モーツアルトのヴァイオリン協奏曲。丹後の山々は、緑に輝いている。
5時前まで句会。そのまま大急ぎで会場を後にして峰山駅へ。電車は25分発の「タンゴディスカバリー」だ。京都までの2時間半、ビールを飲みつつ岩城先生から『霜林』編集長の頃の話などを聞く。最近、繰り返し話題になっている「囲炉裏」のことなども。
帰宅後、『自注現代俳句シリーズ角光男集』を読み始める。岩城先生に紹介していただいたもの。『俳壇』に鑑賞文を書かれるとのこと。

【6月13日】
土曜日、一日バドミントンの引率で長岡京市の西山公園体育館へ。バドミントン学校対抗の府下大会。1回戦M高校との対戦は、3−1で辛勝。当初の目標は達成する。2回戦は強豪N高校。こちらは3−0で敗退。しかし、かなり内容の良い試合をしていたようには思う。3年生は今日が引退試合となった。良い引退試合となったのではないか、と思う。
それにしても暑かった。バドの試合は冷暖房は入れないので、体育館内は競技者と応援の熱気のせいもあり、酷く蒸し暑い。かえって外に出た方が楽である。背後に西山を控えているせいか、風が気持ち良い。
ここ数日、岩波新書の『エノケン・ロッパの時代』を読んでいる。「エノケン」の事は、わずかながら知っている。しかし、「ロッパ」という人はその名前以外はなにも知らないに等しかった。読み進める中で、「エノケン」に対する共感は深まったが、「ロッパ」に対しては少々かなわんな、という印象が強まった。「エノケン」は芸人に徹し、「ロッパ」は「芸人」であり、「芸人」としての名声を博しながらもそんな自分を斜に構えて眺めているようなところが嫌であった。人としての複雑さや屈折の度合いは「ロッパ」の方が大きく、そんな点に興味を感じる人もいるのかもしれないが、僕には「エノケン」の芸人に徹する姿の方が好感を持てた。
芸人、というものに興味を感じている。自分自身は、そのように生きることは出来ないだろうが、しかし一芸に命までかける芸人という生き様は、強い印象を与えるものだ。誰か、桂枝雀さんの事を書かないだろうか。

【6月11日】
朝7時半。出勤の途上で、部分日食を見る。薄雲の向こうに右下方を丸くえぐられた太陽の姿が眺められる。38万キロ向こうの天体の存在を強く感じる。胸がすく思いとなる。
今日の授業の枕は、3時間ともこの部分日食の話であった。生徒は、どうやら8割から9割が今朝の日食を見ていないようだ。ちょっと残念である。
蒸し暑い一日であった。ラブレーは人間のことを「糞袋」などと決めつけていたが、これは「汗袋」だな、などと思う。全身が薄く汗に包まれているような気分の一日であった。やがて雨が降り出す中を退勤。
帰り道、昨夜見た「ラジオの時間」というビデオの事を考えていた。脚本は三谷幸喜であった。とにかく上手いな、という事をまず思った。伏線の張り方や筋の展開の仕方など、巧みであるな、と思った。その上でちょっと上手すぎかな、とも。贅沢な物言いかもしれないが、その上手さがちょっと鼻につくかもしれない。だから、少々きつい言い方かもしれないが、十分楽しませてもらったけれど、もう一度見たいとは思わない、という感想になるのかもしれない。そう思いながら、「みんなの家」も一度見てみようかな、という気持ちになるのが不思議ではある。

【6月9日】
土曜日午後。『捜神記』読了。奇妙な話、不思議な話というのは、想像力を様々に刺激してくれて、なかなか楽しい。読み終えて満足しました。
日曜日、先週の『運河』城陽句会で手に入れた『筆墨俳句歳時記−夏−』二玄社刊を読み始める。歳時記なのだけれど、この本の面白い所は、『筆墨』とあるとおり例句の一部が「色紙」や「短冊」の形で紹介されてあることだ。句を楽しむとともに、その俳人の墨跡も味わうことが出来る、という贅沢な作りの一冊である。読み物としての歳時記、という性格を一歩押し進めたものと言えようか。面白い一冊だと思う。
午後、パルスプラザで行われている「大骨董市」へ出かけてみる。年々盛んな催しになってきているのだろうか、今回は1階会場だけではなく、2階にも出店が設けられてある。1階から2階へと、ぶらぶら見物して歩く。1個50円の埃だらけのガラスの小瓶から数百万円の書画、陶器の類まで整然と、また雑多に陳列されていて、その合間を見物人達がぞろぞろと歩いている、という有様である。ちょっといかがわしくて、熱っぽくて、雑然とした雰囲気が面白い。骨董とは言えないような、三匹の子猫の小さな陶器の置物がちょっと素敵で、一回りしてきてそれでも売れ残っていたら買おうと思ったのだが、一巡してからその店に来ると、その置物だけが売れていた。売り台の黒い布の、猫が置いてあったところだけがポカっと空いていて、あの時買えばよかったかな、と少々後悔する。
帰宅後、淡交社の『祇園』という本を読む。祇園の成り立ちの歴史や、「祇園」に関わる歴史上の著名人や作家・画家・文化人のエピソード、現在の町の姿や町並みの案内、舞妓・芸妓さんの生活の紹介など『祇園』を多面的に紹介している本。掲載されている写真や図版も綺麗で、楽しみながら一気に読み終える。本文中に「米」さんのお店のことが触れてあったりもした。

【6月8日】
イングランド対アルゼンチンの対戦、とても面白かった。特に、後半最後の20分の両国の攻防は、文字通り手に汗握るものであった。
金曜日、疲労甚だしくミューズの練習を休む。「目の下にくつきりと隈梅雨入り前」という有様であった。今日クラスで初めて大きな声を上げて注意したこともあって、その反動も大きい。「怒る」といことは、本当にエネルギーを消費するものだと思う。
そんな状態でのサッカー観戦。誰かが言っていた「魂と魂のぶつかり合い」という言葉は、まさに肯けるものだった。見終わって、一種の高揚感を身内に感じたりもしていたので、本当のファンで、会場で観戦して、まして自国のチームが勝利したとなると、その時の興奮状態はさぞかし凄いものだろうな、と思う。
そんな訳で、土曜日、気分良く目が覚める。朝から、随分と暑い。今日は一日自宅にいて『捜神記』を読み終わりたい、などと思う。『捜神記』は、とても面白い本である。このこと、あのことがここに書いてあるのか、という発見もあって面白い。

【6月6日】
元々サッカーには、全く興味も関心もなかったのだが、しかし、ワールドカップの試合を見るようになって、サッカーもなかなかエキサイティングでドラマチックで面白いのではなかろうか、と思い始めている。やはり、世界最高のレベルのプレイヤー達が、自らの名誉と国家の威信をかけて、本気で戦うのだから面白くないはずはないのかもしれない、とも思う。さて、フランス対ウルグアイの後半戦は一体どうなることであろうか。
連日30度を超すような日々が続いている。こうなると、毎日が体力と気力の勝負、という状態となる。昨夜は、宇治の奇祭として有名な「県祭」が行われた。多くの生徒達が祭見物に繰り出したことと思われる。そのせいか、今日の生徒諸君はちょっと疲れ気味という雰囲気であった。
フランス対ウルグアイの試合は、何か異常な状態に突き進みつつあるような雰囲気である。この先、どうなるのだろう。


【6月4日】
土曜日。クラブ担当で学校へ。明日は、学校対抗の団体戦なのだが、一緒に練習させて貰う。随分、練習の足引っ張りになったことだろうと思う。午後は、自宅で音楽を聴きながら読書。そのうちに音楽が邪魔になり、CDを切って本を読む。夕方、軽く走る。気分の良い一日であった。
日曜日。午後から『運河』城陽句会。全く句が無く、午前中にともかく9句作る。神島の事を思い出したり、昔行った京大演習林のことや屋久島のことなどを思い出しながら、句を作る。しんどいけれど、楽しい半日だった。午後、城陽の「文化パルク」へ。第一句会では、茨木主宰から数句選して頂く。第二句会は「なめし皮」の句以外はほぼ全没となる。その後、酒宴に参加させていただく。
日曜日の夜見た、テレビ番組がとても印象深かった。桂米朝氏に焦点を据えたルポルタージュ。胸に応える内容だった。芸道の厳しさをひしひしと感じた。その中で、初めての内弟子として米朝氏の身近で学び、師の信頼の厚かった桂枝雀氏のことに米朝氏が触れられた部分は、本当に胸が締め付けられるような思いがした。枝雀氏の捨て身の落語が、異様な面白さをもたらすと同時に氏自身の命をも刮ぎ落とすような質のものであったことを改めて思う。俳句の事を思う。
月曜日。辻田先生の「月曜会」。昨夜のテレビのことが、ずっと頭に残っていた。選句の後の辻田先生のお話の中にも、その事は出てきた。投句の中には「百年目」を素材とした句もあった。