日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
10月分「日々録」
11月分「日々録」
12月分「日々録」
1月分「日々録」
2月分「日々録」
【3月30日】
今日は、「醍醐会」の日。井上さんの句集『あをぞら』のレポートを発表する。準備開始から勘定すると、2ヶ月くらいかかったことになる。先月の「いさなご句会」の帰りの車中であったか、岩城先生が結論自体は簡潔なものになるのでは、と言っておられたけれど、まさにその通りとなった。そして、その結論については、『俳句研究』2月号で、橋本榮治氏がこれ以上はないくらい簡潔・的確に『あをぞら』の特質について書いておられ、レポートもその線で内容が重なってしまうので、それがちょっと困る(別に、困ることはないのかもしれないが)。
28日、来年度の分掌が決まる。進路指導部となる。古巣へ戻った、というところか。授業は、1年と3年を担当する。これで、新年度の自分の足場が確定したこととなる。夕方、ミューズの練習へ。7時前に練習会場へ着くと、すでに全体練習が始まっていた。発声の時間のはずなのに、時間帯が変更になったのかと思う。休憩を挟んで2時間半、みっちり練習する。難しい。10時過ぎ、帰宅。軽く夕食を食べ、一休みしてからレポート作り。
29日。午前中は、レポートのまとめ。項目を一つ追加して、一応の完成。やや長いのだが、内容の削除と書式の整理は今夜にまわすことにする。午後は、鴨川に散歩。三条京阪を降りると、鴨川河畔が四条に向けて随分賑わっている。何か、と思って見物に行くと、「鴨川さくらまつり」であった。フリーマーケットや特設ステージ、さらに京都の名店の出店などが河川敷に仮設店舗を並べていた。ステージでは、若い歌手が文字通り熱唱していた。CDも出しているプロ歌手らしく、上手い。つい2曲ほど聴いてしまう。四条まで行き、対岸へ渡ってそのまま出町柳まで歩く。天気は良いが、風が冷たい。正面に見える北山には、すでに雪があるようには見えない。出町で久しぶりに柳月堂に入る。ぼやーと音楽を聴く。先ほどまで歩いていた鴨川河畔の、芽吹いた柳の姿が思われる。夜、レポートの続き。作品小論を1編追加し、全体の分量を圧縮して出来上がりとする。
【3月26日】
23日。近江今津の「丁字屋」さんへ。鴨を食べに行く。岩城先生、祇園の米さん。足立さん。飯泉さん。私、の5人。丁字屋さんは、一階も二階も満員状態だった。琵琶湖が目の前に見える二階の部屋で、鴨鍋を楽しむ。大変美味しかった。昼酒に気持ちよく酔って、開け放たれた窓から琵琶湖やその向こうの春霞に浮く伊吹山や奥美濃の山々を眺める。
24日。午前中、仕事。午後年休を取って、1年半ぶりくらいに「参」の句会に参加。3句プラス本日の課題「うぐひすの・・初音かな」の中七部分を読み込んだ1句の計4句投句。岩城先生に、1句取って頂く。和気藹々とした句会で、皆さん良く笑われた。句会を終え、錦市場をぶらぶら歩いて、京阪四条まで。
25日。午前中、クラブ引率。西宇治高校まで。合同練習会。S中学の諸君は、なかなか上手かった。午後、学校へ。2時間ほど、バドミントンをする。午前中、教わったことを試してみるが、確かにポジションをわずかに変えただけで、随分シャトルが取りやすくなる。その途中、雷鳴とともに雹が降る。その後、豪雨。夕方まで、雨が降り続く。夜、「醍醐会」のレポート作り。せっかく岩城先生と飯泉さんから「米」さんまで出てこないか、との誘いの電話があったのも断って、レジュメを纏める。遅々として進まず。1時まで作業を進めて、明日のことを考えて寝る。疲れる。
26日。出勤。夕方まで仕事。
【3月22日】
(21日午後)近所の洋食屋さんで昼食をたべ、そのまま3駅ほど歩いてから電車に乗り、三条へ。寺町通りの「鳩居堂」でお香を買う。そのまま通りを北へ進む。市役所前の広場で市民参加の青空市(古臭い言い方だけれど)が開かれていた。古着類を売る店が多かったのだが、その中に信楽焼の梟(狸も置いてあったけれど)を売っている店があったので、ちょっと値切って小さな物を一つ買う。一渡り見物を終えて、広場を抜け、三月書房へ。大きな本箱三つ分ほどの棚を丹念に眺め、面白そうな本を文庫本、単行本など6冊ほど購入。俳句関係では、『風雅の人々−明治大正文人俳句列伝』『平畑静塔対談俳句史』を買う。
書店を出ると、前回と同じ道筋で京都御所へ。梅林を見に行く。この前は文字通り「雪中梅」状態であったが、今日は暖かな日差しの中での梅林散策であった。たくさんの人たちが梅の花見に訪れていた。なんとものどかな情景ではあったが、そんな中で御所内の警護は厳しいものであった。
同志社前に抜け(偶然卒業式の日であった)、鴨川まで歩き、そこから河畔を丸太町まで歩き、電車に乗る。
本日、昼過ぎまでクラブ引率。女子ダブルスがブロック内で準優勝する。その後、最寄りの駅まで1時間ほど歩き、帰宅。録画していた『俳句王国』を見ている途中、丹後『いさなご句会』の世話役の山本さんから電話が入る。句会のメンバーの方の一人が亡くなられたという連絡であった。大変驚く。
【3月21日】
昨日は終業式。これで、平成14年度の行事等すべて終了。浪人が決まった子が来る。進路室で、学校探しの資料集めを手伝う。クラブにちょっと顔を出す。前から一度勝負をしよう、と言っていた男子生徒と2試合。1勝1敗という結果だった。夕方、ジョギングから帰ると、受験の結果報告に来ていたクラスの子と、玄関で偶然出会う。僕がいなかったので、帰ろうとしていたとのこと。結果は、希望していた学校に合格した、と嬉しそうに報告。3月まで粘って頑張った結果だと思う。おめでとうを言い、別れて職員室に帰ると、その子の手紙と手作りのお菓子が机の上に置いてあった。手紙を読み、お菓子を美味しく頂く。
今日から3連休。本日は、完全フリー状態。朝から素晴らしく天気が良いので、午後から鴨川へ散歩に行こう、と思う。明日は、午前中、クラブの引率。明後日は、岩城先生や米さん達と、近江今津の「丁字屋」さんに、鴨鍋を食べに行く予定。楽しみである。
そろそろ『醍醐会』のレポートのまとめにかからなければならない。表現形式の部分については、データベースから各項目ごとに集計していけばなんとかなりそうなので良いのだが、内容面の方はまだ分析作業がほとんど手つかず状態なのがつらい。この3連休が勝負になるか、とも思う。
戦争が始まった。すでに死傷者も出ているようである。
【3月19日】
『お騒がせ贋作事件簿』大宮知信著読了。続いて、『現代韓国短編集上』読了。頭の状態が、今ひとつ良くないのだが、本は読める。前者は、日本の骨董世界は贋作だらけということを、いくつもの著名な事件を紹介しつつ語っている。テレビ東京の人気番組『開運お宝鑑定団』に言及した部分も。後者は、題名通り現代韓国の短編小説のアンソロジー。七編の作品を掲載している。韓国の小説を読むのは、初めてではなかろうか。どの作品も結構面白かった。韓国の小説世界の多様さの一端に触れたような思いになる。ただ、何編かの作品の翻訳文体がなんとなく村上春樹の小説めいていて、ちょっと気になった。
今日は、ミューズのレッスン。本来は金曜日にあるのだが、今週は祭日と重なるので変更となったのだ。週の半ば、というのは何となく落ち着かないが、参加者は思ったよりも多かった。曲は、大変難しい。
『醍醐会』のレポートは、一休み。日曜日に根を詰めて書いたのが祟って、疲れ気味。
昨日は、吹奏楽部の定期演奏会。副顧問の一人として受付の手伝いに行く。6時開場、6時半開演。昨年に比べて来場者が多い。400部準備していたプログラムが皆捌けてしまう。さらに来客はとどまらず、入場者は500名を越えたのではないだろうか、と思う。大いに盛り上がった演奏会となった。ちなみに卒業した3年生16名のうちの7名が、担任をしていた生徒達だった。10時前に一応の片づけが終わり、その後家庭訪問1件。帰宅は11時過ぎ。疲れるはずだ、と思う。
【3月16日】
急な事情で、クラブ担当が交代となり、出勤。バドミントン部の卒業生が数人顔出ししてくれる。吹奏楽部の方は、18日が定期演奏会。正・副顧問の先生が二人出勤(私も副顧問の一人ではあるのだが)。卒業したクラスの子達も練習に参加している。
『バルチェスとの対話』読了。バルチェスの記憶力と多彩な人物関係に驚く。当時の文化的状況の中で、中心人物の一人として活動をしてきたことが伺える。とともに、インタビュアーの該博な知識と、応対の巧みさにも驚く。以前、NHKの番組でバルチェスのドキュメンタリーをやっていたのを思い出す。採光の良いアトリエや物静かな画家の姿なども思い出した。
『醍醐会』用のレポートを作る。短い作品論を幾つか書き、それをまとめの部分とすることにした。『風の事典』と『あをぞら』の2句集をかなり根を詰めて読んだり、書いたりしているので、ここしばらく寝付きが悪かったり、頭が重かったり、という状態となっている。「スタミナ」がないのだな、と思う。
【3月14日】
西東三鬼の『神戸、続神戸、俳愚伝』を読む。実体験を元にして描いているのだろうが、短編小説を読むような面白さであった。映画やTVドラマ化(民放でははなから無理だろうし、NHKでも三鬼を取り巻く登場人物やその社会的立場から、そのままドラマ化するのは不可能だろうし・・・)するのは難しいだろうけれど、弘兼憲史氏などによって劇画化されたら面白そうだな、などと考える(弘兼氏の絵柄が三鬼のこの物語にはぴったり合っているように思うので)。そういえば、『ビッグコミクスピリッツ』では、正岡子規を主人公にした漫画が連載されていたと思う。
『齋藤愼爾句集』を読む。とても清冽な印象を与える句集である。青春句集の一冊といって良いかもしれない。この人の作品をもう少し読んでみたい気がする。全句集も出ていることだし。
今月の『俳句研究』を読んでいると、今頃になって櫂未知子氏と奥坂まや氏の「いきいきと」の句が取り上げられてあった。一つは、仁平勝氏の「俳句に関する十二章」において。本歌取りと俳句における言葉の共有性という観点からの主張。もうひとつは、小川軽舟氏の「俳句時評」において、近代文学としての俳句という観点からの主張。結果として、小川氏の主張は、仁平氏に対する反論という内容となっている。この問題が、このままで終わるのか、もう少し深められるのか、とても興味深い。
僕個人の思いとしては、仁平氏の「もし俳句の言葉に所有権を主張するなら、俳句の表現はどこかで破綻するに決まっている(これは、櫂氏の自己の表現のオリジナリティを主張する立場に対する批判となっているが)。」を全面的に否定する訳ではないが、俳句表現に用いられる言葉(というか、その言葉と言葉の組み合わせによってもたらされた修辞)の共有性を強調することは、逆に文学としての俳句の荒廃を招くことにもなりかねないのでは、と思ったりしたものだ。
【3月11日】
携帯を新しくされるとともに、岩城先生はメールの練習をしておられるとのこと。メールアドレスを聞いているので、早速送る。昨夜の電話についての返事。こちらも、携帯を使ってのメール送信は慣れていないので、きちんと届くのだろうかと若干不安ではある。
日曜日、午後雪がちらつく中を、昨日(土曜日)車中で教えて頂いた古本屋へ行ってみよう、と出かける。場所は京阪三条駅下車、東に向かい、古川商店街の中の一角とのこと。向かいに有名なお蕎麦屋さんがあるとのことで、それを目当てとし、行けば分かるだろうと気楽に考えて出かける。ところが、なんとその日は、商店街のほとんどの店がお休みであった。看板を頼りにお蕎麦やさんと、その向かいの店(でも、これ古本屋さんなのだろうか・・・?)を確認して帰る。
このまま帰るのも残念なので、三条寺町の方に行ってみる。たくさん並んでいるギャラリーを外から眺めたり、本能寺に(トイレを借りに)行ったり、そのまま北に上がって、梶井基次郎の『檸檬』で有名な果物屋さんを見物したりしながら行くと、通りの向かいに「三月書房」という看板の出ている小さな本やさんが目に入る。どこかで聞いた名前(実は随分有名な書店であるとの事だが)だな、と思い返してみると、今週の金曜日の新聞で読んだ弥栄さんのエッセイの中に出てきた本屋さんであった。
棚に並べられた本は興味を引かれるものがあちらにもこちらにもある、という状態で、40分ほど店内をうろうろして、改めてまた来ることにして、とりあえず5冊ほど買う。俳句関係2冊、骨董関係1冊、美術関係1冊、韓国の現代短編小説集も1冊。杉浦さん達の出している同人誌『quatre』が数冊置いてあった。その目配りの広さに驚く。
外に出て、天気が回復しそうなので、ついでに御所まで梅を見に行く。結局、雪が降りしきる中での梅見となってしまったが。
【3月9日】
日曜日。朝から雪が降っている。稲荷山がうっすらと雪景色となっている。今年に入って何度も雪が降ることはあったが、薄いベールを被せたようなこの情景は、今年初めてのことのように思う。
昨日は、丹後「いさなご句会」。会場の峰山文化会館に着くと、ちょうど「丹後大震災」70周年の展示会が行われていた。当時の写真、新聞記事、絵画、さらに震災犠牲者の名簿なども公開されてあった。丹後でも昔大きな地震があった、という事は話には聞いていたが、その被害の凄まじさにとても驚いた。会場に、『震災を詠む』という俳句の小冊子が、配布用に置いてあった。
その中より数句。「雪の田に畳を敷きて地震に耐ゆ」吉見おさむ、「火の海となりし吾が町雪に座し」高田貴久枝、「母の忌は弥生七日の震災忌」谷川睦子、「姑の名犠牲者名簿に震災忌」長谷川まさ子、「小さき手に慰問袋や春近し」田中二三子、「この崖は地震の爪跡霜柱」嶋津行夫
句会は、一人だけお休みで、ほぼフルメンバーの参加。震災展を見に行かれた方がいたりして、開始時間がいつもより遅れる。その分、雑談を楽しむ。メンバーの一人が、三椏の花を持って来られる。また、古布で作られた可愛い梟の人形を持って来られる。一つ頂く。岩城先生は、新しい携帯のストラップとして、付けられる。
五時ぎりぎりまでの句会。帰京の電車は、人身事故のため、舞鶴以降遅れる。車中では、俳句の話。「切れ」のこと。「醍醐会」と井上さんの『あをぞら』のこと。結社のことなど。
【3月5日】
国語表現で取り組んだ「はがき歌」を、松山市主催の「全国はがき歌コンクール」に受講者全員で応募したら、一名が「佳作」に入賞。表彰式には参加できないけれども、卒業式の後で、紹介をしていただく。本人もとても嬉しそうだった。「おーいお茶俳句大賞」にも皆で応募しているので、そちらの方も楽しみである。
今日から学年末考査。早速、国語Uの試験。夕方までかかって採点をする。その後、軽く走る。昨日は、一日晴れたり雪が降ったり、という空模様だったが、今日も一日寒かった。寒の戻り、を実感する。走りだそうとすると、ちらりと小雪が降る。
坪内氏編の『漱石俳句集』を読了。修善寺の大患前後の句が、特に良かった。漱石の句は、全部で2600ほどあるらしいが、一度全部を読んでみたいと思う。俳句らしくない自在さが面白かった。
土日の慰安旅行の折りを思い出しての句が数句出来る。印象がまだ鮮明に残っているうちに、もう少し作ろうと思う。8日は、丹後行。「いさなご句会」の3月句会が予定されてある。
【3月3日】
ちょっとした気遣いや注意によって、結果が天と地ほどに分かれる、ということは、今までに何度も経験済みであろうに、またまた同じような事をしでかしてしまう、とはどういう事か。半日、そのことでエネルギーを使い、疲れて帰宅する。いかんなあ、と思う。「月曜会」も、やむなく欠席ということになる。きっと、席題で「雛祭り」が出たことであろう、と思う。
土曜、日曜と3年担任団の打ち上げ旅行。車二台に分乗して、加賀の山中温泉まで。宴会が終わり、カラオケラウンジへと移り、その後部屋に帰って、二時前までお酒飲みつつ、思い出話。朝食は9時なので、皆たっぷりと朝寝する。
翌日は、11時出発。背後にまだ冬の装いの白山を遠望しつつ、東尋坊に向かい、さらに越前海岸を廻る。久しぶりに日本海の荒波を見る。越前岬の水仙は、まだ花を残している。
京都へ着いたのは7時前。名神を京都へ向かう途次、岩城先生から、清水さんが京都へ来ていると、携帯で連絡を頂く。さすがに、少々疲れ気味なので、今回は誘いをお断りする。清水さん、すいません。
帰宅後は、早めに休む。やたらと、色々な夢を見る。様々な刺激を受けたせいであろう。