日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
11月分「日々録」
12月分「日々録」
1月分「日々録」
2月分「日々録」
3月分「日々録」
【4月27日】
土曜日。手紙を二本書く。近所のスーパーに緩衝材を買いに行き、荷造りして、兄に故障したノートパソコンを送る。復活すれば、兄の所で第二の人生を送ることになる。新しいノート用にテンキーを買いに行く。移動キーと数字キーが別々になっているものが欲しかったので、普通のテンキーではなく、電卓兼用の物を購入。結構高かった。ついでに、本屋と催し物会場でやっていたドールハウスの展示を見物に行く。なんとも精緻な店舗や家具調度や野菜・果物・ケーキなどに感心する。でも、ちょっとみみっちい感じがしたのは何故であろうか。超ミニチュアの目刺しとか、面白いけれどもね。
来たついでに、東本願寺に行ってみる。観光客、参拝者が多かった。境内の中央にキャンバスを据えて、正門を描いている人がいた。水彩画だったけれど、とても上手だった。あるいは、アマチュアではなかったかもしれない。大門の向こうに、新緑の東山の姿が見通せた。賑やかな京都駅前をぶらぶらし、その後、帰宅。一駅前で下車して、歩く。以前住んでいた所で、新しくマンションが建っていたりして、少し町並みが変わっていた。
夜、酷く眠い。早めに就寝する。
日曜日。天気が回復する。今日も外出の予定。それにしても、眠い。
【4月26日】
『子規句集』読了。勢いで、虚子の句集を読み直し始める。虚子の句の方が、やや「俗」に傾くところがあるか。別に非難する意味合いで「俗」という言葉を用いている訳ではないのだが。
角川『俳句』5月号を読む。南うみお氏の句を読む。「醍醐会」席上、句作について苦労を語っておられることがあったが、その苦労や工夫の一端が感じられる句があって、感心する。今月号の特集『名句の条件』に井上弘美さんが「星の名句」について句を挙げて鑑賞を書いておられた。しっかりした内容の文章で、良い作り手であるとともに、良い読み手、良い語り手であるな、と感心する。
先週は忘年会で欠席したので、2週間ぶりにミューズのレッスンに参加。若干疲れ気味だったのだが、チケット販売が先週から始まっていたので、ともかく申し込んでおかなければ、との思いで参加。来て良かった。チケットはC席完売、S席もA席も残り少ない状態となっていた。聞くところによると、発売初日で一気に千枚売れたとのこと。まとめ買いするので、飛び飛びにしか残っていないS席は買えず、仕方がないので、2階の後部座席のA席を横並びに12枚購入する。岩城先生からはチケットを送ってほしいとすでに予約済み。もちろんご招待である。当日の予定はすでに空けて頂いている。コンサートが終わった後の、「あじさい」での宴会が楽しみだったりもする。
土曜日。どうやら、雨は上がったらしい。洗濯物をベランダに干しておく。7時前にジョギング。雨上がりで、気温が低く、空気に湿度があるせいか、走り易い。走り終え、シャワーを浴び、コーヒーを一杯飲んで、朝食の準備にかかる。今日は、幾つかやるべき事を済まさなければならない。
【4月23日】
日曜日。「春の俳句大会」は、駄目であった。本当に俳句は難しい、と思う。
1週間が始まって、とにかく忙しい。こまごまとしたことがいくつも重なって来ているので、時間を細分化して、対応している状態。いつの間にか、水曜日も終わろうとしている。
夕方、走りたいな、と思いつつ、仕事を続ける。何となく欲求不満になりそうである。仕事を切り上げて、外に出ると、雨が降っていた。これでは、走れなかったな、と思いつつ駅へと向かう。
しばらく中断していた、虚子選の『子規句集』を車中で読んでいる。ああ、良いな、と思いながら読んでいる。坦々とした詠みぶりの奥に、作者の息づかいや体温が感じられる。作者と作品とが一つに解け合っているようだ。子規の一連の随筆を思い出しつつ、読んでいくと、自らの死に思いを及ばせる句が時にあるにしても、病気の翳が作品に差し込んでいないのが、不思議な気がする。
【4月20日】
昨日のこと。BS11で春の短歌大会をやっていたので、岩城先生も俳句以外に短歌や連句も楽しんでおられることを思いだし、試しに作ってみることにした。7首ほど出来たので、FAXで投歌し、VTRを回しておいて、出張へ。5時過ぎに会議は終了。6時過ぎに帰宅すると、留守電が入っていた。実家の方からで、BS短歌で、作品が一首選者10選に入っていたとの連絡。早速、VTRを見てみる。「待つという言葉に籠もる彳む字呪縛のごとき薄暮薄明」という歌が、春日井健氏に選ばれていた。分野違いとはいえ、選ばれるのはやはり嬉しいものだ。
番組中では、「指さして花の雲よと囁けば君は笑まひぬ死の翳の谷」という作品も紹介されていた。実は、両歌ともに俳句の方法を元にした短歌ではあるのだが。ついでに、投歌を書き付けておく。「待っている午前零時のコンビニに倒立したる身を反らしつつ」(これは井上弘美さんの『あをぞら』の句に触発されたもの)、「新宿を墓標と詠う詩人いて地上の灯り吸う夜の雲」(これは、俳人福永耕二氏の作品を念頭においたもの)、「春の雲どんどん空に溜まってく君よ息苦しくはないか」「全天の半分は雲半分は青空にして気安く生きむ」(両歌は、啄木の「時代閉塞の現状」を思い出しつつ作ったもの)、「地球儀を見つつ地上に影落とす雲を想ひぬ戦場よ此処」。
夜中に目を覚ましてテレビをつけると、NHKテレビで、ハッブル宇宙望遠鏡の番組をしていた。午前2時くらいだったのだろうか。その中で、宇宙のほんの一角の何も見えない真っ黒な部分を長時間撮影するなかで、千以上もの銀河がやがて映し出されたものを紹介していた。近い物は40億光年ほどの距離、遠いものは130億光年ものはるかかなたの銀河であった。ベッドに横になりながら、自分自身が巨大な摂理の末端に存在している、ということを思う。眠れなくなってしまった。
さて、今日は日曜日。朝から雨である。なぜか、朝から小さな鰻丼とブリのあら炊きの朝食。11時からBS11で今日は「春の俳句大会」が行われる。投句してみようと思うが、俳句は難しい。
【4月19日】
起床して、まず洗濯をする。空は、高曇り状態だが、天気は下り気味らしく、外に干しておくのが少々心配。午後、バドミントン部の顧問会議に参加するので、その間に雨でも降り出したら困るな、と思う。稲荷山は、新緑がちょっと「もこもこ」し始めた様子である。
本格的に授業が始まって一週間。さすがに、疲れる。この1週間、生徒達も多少は緊張していた(そうでない子もいるが)だろうが、教師も方も同じように若干は緊張しつつ授業を進めていたのだ。来週から、文字通り「本格始動」となるのではなかろうか。
昨夕は、歓送迎会。放課後、1年生対象のクラブ見学会があって、そのせいか、集まりがやや悪く、開始時間が遅れる。珍しく時間通りに会場に到着していたので、お預け状態でしばらく待つ。会は盛況。はるばる丹後の加悦谷から参加された、今年新採の先生が最遠隔地からの出席。思い起こせば、私の教師生活の出発も、丹後の宮津であったなあ、とやや感慨にふける。隣の席の先生は、丹後の水産高校(現海洋高校)が最初の赴任地だったとか。新採は、京都府北部か南部地域に配属される、とか昔々聞いたことがあったが。
お酒が入ったせいで、眠くて眠くてしかたがなくて、早々に宴を辞す。帰宅後、即就寝。
【4月17日】
自分でも不思議なほど、旅の夢ばかりを見ている。今朝も、昨日もおとといも。日がたつにつれ、断片的な記憶と化してしまうのだけれど、それでも、その夢の印象だけは、残っている。不思議なものだ。
昨日見た夢は、とても奇妙なものであった。粗暴な運転手の運転するタクシーに乗って、今いるところから、昔住んでいた家へ帰ろうとする。外は、酷い土砂降りで、ほとんど洪水のような水浸しの道を帰っていく。黒い森の中を通り抜け、見慣れた道路に出て、懐かしい家に向かって走って行く。やがて、気が付くと、いつのまにか自分は元の家に戻っている。いつ戻ったのか、全く記憶はない。それどころか、ここにいる自分自身がひどくおぼつかない存在に変わっていることに気が付く。それはまるで、幽霊かなにかのようだ。あるいは自分は、あのタクシー運転手に殺害されたのかもしれない、と思う。不思議な夢だ。
暑い一日であった。薄手の上着を着て職場へいくが、授業中は結局それを脱いで、ワイシャツ姿で講義をする。一年生たちは、緊張の連続で、少々疲れ気味のようだ。
夏の進学補習の打ち合わせで外出している間に、卒業生が二人会いに来た、という。しばらく待つが、どうやら帰ってしまったらしい。残念だ。夕方、走る。昼間の暑さも薄らいで、走りやすい。日の落ちた空が、紺を深めていく情景はとても美しい。少し、長めに走る。
【4月14日】
日曜日。朝食のおかずのピーマンの炒め物に、昨日の「いさなご句会」の時、水野美代子さんから頂いた、松露を少し入れてみる。しゃりっとした歯触りとともに、独特の香が広がる。美味しい。
谷本さんから送って頂いた評論2編を読む。個性的な視点設定とと緻密な論評は、とても読み応えがあった。両作品は現代俳句協会の評論賞を受賞されたものであるという。随分遅くなったけれど、お礼の手紙を書く。
昼前にジョギング。長袖で走ったけれど、暑い。疎水沿いに、桜や柳などを見ながら走るが、それにしても暑い。かなりバテバテ状態で帰宅。
夕方、平野神社へ。「月の出」の桟敷席で、花見の宴。岩城先生や足立さん、そして本日の俳人協会主催の「花と緑の吟行会」に参加された「参」の連衆の皆さんが参加された。桜はすでに散り始めていたが、お酒と料理とお喋りで、席は大いに盛り上がる。聞くところによると、今日の吟行で「参」の方が二人も選者特選に選ばれた、とのこと。参加された皆さんも、皆互選に入っておられたという。宴は8時過ぎにお開き。その後、三人で引き続き飲むが、少し寒くなってきたので、祇園の「米」さんへ席を移す。岩城先生は絶好調で、ビール片手に次々と句をものされる。明日の事を考えて、10時過ぎにはお開き。
【4月12日】
朝から小雨。9時過ぎの特急で丹後へ。「いさなご句会」の日。車中では、ずっと音楽を聴く。トスカニーニのCD。灰汁の強さが、かえって面白い。
橋立の駅で、丹後ディスカバリーに乗り換え。岩城先生と合流する。車中でメールを入れたが、届いたか、とのこと。届いていなかった。グリーン車で俳優の赤井秀和と席が隣だったとのこと。火曜サスペンスのロケで丹後に来たらしい。ケーシー高峰やスタッフも一緒だったとか。何時の放映なのだろうか。
句会は1時過ぎから。加悦谷方面の方が皆欠席で、少々寂しい句会となる。作品は面白い句が、いくつも投句されていて、選句のしがいがあった。特に3句、とても感銘深い作品があった。私も、岩城先生から褒められる1句があって、なかなか良い気分であった。いつもなら5時ぎりぎりまでの句会となるはずが、今日は1時間も早く終わってしまった。峰山駅前の喫茶店で、時間が来るまで話す。岩城先生は、生ビールの小、皆さんはケーキセット。先月なくなられた平井さんの事に話が及ぶ。本当に突然のことであった。
帰りの電車は、いつもの半分の2両連結であった。どうしたのだろうか。車中では、ビールとおみやげに頂いたお寿司を食べる。周りの景色を眺めながら、随分昼が長くなった事を感じる。
【4月10日】
新学期が始まり、慌ただしいままに、日が過ぎていく。
しばらくは、こんな調子で毎日を送ることになるのだろう。
今日は、初めての授業。さすがにちょっと緊張して、ついよけいな力みが加わったようだ。終わったら、喉が痛い。大声で喚いたわけでもないのだが。
【4月7日】
土曜日、午後。思い切ってノートパソコンを購入。デスクトップと同じ「VAIO」。とりあえず、XPとノートンAVをアップデートしておく方が良いと考え、自宅のデスクトップとLANを組もうとしたのが日曜日の午後遅くの事だ。どうも上手くいかない。九州の兄に電話をかけ、繋ぎっぱなしにしてそのアドバイスを受けながらあれこれやって、夜になってやっと繋がる。電話代の請求額がかなり怖い。XPのアップデートに数時間かかる。終わったのは夜中の1時過ぎだった。
日曜日、『運河』城陽句会の日。いつもの通り、城陽文化パルクへ行ってみると、どうも様子が変だ。『運河』の方達の姿が全く見あたらない。念のために事務所の方で尋ねてみると、どうやら句会場はここではないことが判明。別会場に心当たりがあったけれど、すでに句会開始時間間際だったので、参加をあきらめる。文化パルクを出て、田圃の中の道をぶらぶらあるく。野川を眺めると、濁った流水を40センチほどの鯉が群れを作って泳いでいる。水深も浅く、幅3メートルほどの川なのに、びっくりするほどたくさんの鯉が泳いでいる。春の日差しの下で枯れ切った蓮田を見たり、城陽名産の無花果の、枝を刈り払われて白骨のようになった木々を眺めたりもした。まだ葉ばかりの菖蒲畑を見物したり、穴を出たばかりの風情の全く非活動的な蛇の様子をびくびくしながらも、20分ほども観察したりもした。それにしても、気温が高くないせいか、『モウ、動クノモ嫌』という様子で畦に身をもたれかけている蛇に、ちょっと同情したりしたものだ。
月曜日。一日、仕事。夕方、「月曜句会」の予定だったが、行きそびれてしまう。その代わり?家庭訪問を1件。担任の残務整理を、現在遂行中、というところ。帰宅すると、「醍醐会」の会員の谷本さんから、評論のコピーの同封された手紙が届いていた。
【4月5日】
昨日は、クラブ引率でN高校へ。練習試合。総合力では、N校の方が上。個人戦では、男子は優勢、女子はやや劣勢か。練習試合とはいえ、生徒はかなり熱くなる。
予定時間を1時間半ほど超えて、終了。次のクラブが待っているので、片付けを手伝って、大急ぎで引き上げる。遅い昼食を取って、職場の方へ。「進路だより」と「小論文模試」の実施要項を作るが、印刷しようとしたら、プリンターが動かない。仕事にならないので、退勤。
夕方、ソフマップにノートパソコンを見に行く。仕事に使うだけなので、シンプルで低価格のものを探す。これは、というものがあったので値段だけを確認しておく。そのまま、ミューズの練習に行く。体調が今ひとつなので、早めに帰ろうと思いつつ、結局最後まで練習に参加してしまった。体調も、何となく回復気味。
朝、5時過ぎに目を覚ます。雨の音が聞こえる。マンション七階なのに、雨音が鮮明に聞こえるので、随分強い降りなのだろうと、起きてわざわざ見に行く。黎明の街が、雨で煙って見える。
【4月3日】
6年近く使ってきたノートパソコンが壊れてしまった。完全に駄目になってしまった訳ではないようだけれど(セーフモードでは立ち上がるので)、通常の起動では途中で止まってしまう。セーフモードで、必要なデータだけは取りだして、再インストールをしようとするが、CD−ROMが認識されない。起動ディスクを使ってもだめ。初めてバイオスに手を入れたけれど、それでも駄目、という状態であった。
仕事用に使ってきたパソコンなので、やむを得ず、新たに一台買おうかと思っている。仕事用なので、必要な物以外は全くインストールされていない、そんなものを探してみようか、と思う。困った。
暖かい日が続いている。桜の花もそろそろ満開状態のようだ。今週末あたり、どこかに夜桜見物にでも行きたいものだ。
吉屋信子の短編小説集『鬼火』と高橋康雄の『風雅のひとびと』を同時進行で読んでいる。『風雅ー』は、列伝と銘打っているが、小説として面白い。現在は、「硯友社」の人々が中心だが、やがて子規や漱石も登場する。
【4月1日】
日曜日、午後、『醍醐会』。レポートの発表を行う。句集の形式面を中心にしたものだったせいか、あまり有効な問題提起とはならなかったようだ。もう一人のレポーターは、作品中心の発表だったので、結果として表現と内容両面からのレポートとなったのだけれど。
その後、井上作品について、感想も含めて幾つかの点から議論がなされた。特に問題となったのは、切れの事と、「探梅のひたひとなってきたりけり」の1句。そのほぼぎりぎりの省略に対して、句意の伝達が可能か、否か、ということで話し合われる。これは、二次会、さらに祇園の「米」さんの店での三次会でも問題となった。
「醍醐会」に新たに二人の方が参加された。その一人が、小林千史さんだった。顔を見るのは、久しぶりのことで懐かしかった。昨年は、健康面でご心配をかけました。
今日は、1日。新年度の始まりである。職場の前庭の桜の木々が、花をつけ始めている。現在、三分咲きほどであろうか。この調子では、入学式までには皆散ってしまいそうである。午前、午後と会議の一日であった。