日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
06.7「日々録」
06.8「日々録」
06.9「日々録」
06.10「日々録」
06.11「日々録」
【06年12月25日】
『日々録』は、一時『参掲示板』の方へ移動します。そちらのほうをご覧下さい。
【06年12月24日】
土曜日。午前中、年賀状作り。デザインは、パターンが決まっているので、挿入写真を何にするかで悩む。ここ2年ほど、手持ちの人形シリーズ風に作ってきたので、今回も面白そうな人形を選んで、デジカメに撮り、画像変換ソフトでちょっと細工をして、一太郎に貼り付ける。宛名も、年賀状作製ソフトの中に入っているので、後は両面を印刷するだけ。ただ、ここからが大問題で、使っているプリンターが、B4版印刷まで可能なものなのだが、その分随分古い型なので、葉書印刷があまり上手くいかない。そこで、印刷の間付きっきりで、送り出し部分の葉書を手で微妙に調整しながら印刷しなければならない。近所のコンビニで余分を含め、200枚くらい年賀状を買ってきて、1割は印刷ミスになることを覚悟して、印刷開始。なんやかやで、2時間弱かかって印刷を終了する。去年は、手書きの句を添えたりしたけれど、今年はその気力もなく、そのまま速やかに投函する。
午後、ひたすら大掃除。ベランダに面したサッシの窓ガラスを拭き、台所とリビング・客間の整理・整頓と雑巾がけをし、掃除機をかけ、半裸状態で風呂場を磨き上げ、玄関と外回りを綺麗にして、疲れ切って残りは翌日にまわす。夕方、気分転換に「歩き」に出かける。天皇誕生日だからという事ではないけれど、丘陵地帯の陵を幾つか巡る。広い参道と玉砂利、両側の常緑樹の木立、木立の間から望める夕方近い空の色と浮き雲と。歩きながら、ちょっと良い気分になる。別に神道に理解があるわけでもないけれど、「清々し」という感覚はこのようなものであろうか、と思う。帰りに書店に立ち寄り、「熊野」本を買って帰る。夜、『フーテンの寅』さんを見る。第44作「寅次郎の告白」。後藤久美子、吉田日出子、二人とも良い味を出していた。
日曜日。午前中は、昨日の大掃除の続き。書斎、トイレ、寝室の掃除。昼前までかかるが、これで一応掃除は終了。引き続き、手紙1本とメール1通を出す。午後、第38回日展を京都市美術館まで見に行く。彫刻・書・日本画・洋画・工芸各部門を一渡り見る。各分野ともに幾つか面白い作品に出会う。若い人の作ではないかな、と思われる作品の中に、斬新で意欲的な作品が目立ったように思う。逆に、随分創作力の落ちたと思われる作品が展示してあったり、見慣れ手慣れた、その分ちょっとマンネリ風な作品が混じっていたりもした。全体としては、満足を感じた展覧会で、珍しく『日展作品集』を3000円出して購入する。
夜。今日は、クリスマス・イブとのこと。しかし、常に変わらぬ夜であるのが、ちょっと寂しい。手塚治虫の漫画『ブッダ』の10〜12巻を読む。感動的だけれど、生と死の問題が重い。手塚氏のライフワークだった『火の鳥』と同じく、宇宙的な生命観が根底にある。相馬遷子の「冬麗の微塵となりて去らんとす」という句を思い出したりもしたものだ。
【06年12月22日】
午前中一杯かかって、3学期の3年生古典の教材を3時間分作る。3年生は1月で授業が終了するので、授業時間数が5時間しかない。ある程度内容がまとまったもので、分量があるものをと思って、なんとなく値が張らなくて美味しくてそこそこお腹に溜まる料理を作るみたいな感じで、教材を選び、プリントを作る。2学期にやった『源氏』繋がりで『無名草子』、和歌関係で『古今和歌集仮名序』、俳諧関係で『去来抄』から。あと2時間分は、明日以降考える予定。
午後、1時間ほどかけて、机上並びに、ロッカー、抽出などの大掃除。ダンボール一箱分のなんやかやをを廃棄処分とする。机とその周辺が、随分スリムになる。息抜きに図書館にちょっと行き、本を3冊ほど借りて帰る途中、事務部の人たちが、屋上に掲揚された旗類の取り替えに行かれるのについて行って、この学校に赴任以来初めて、校舎の屋上に出る。風が思ったより強かったけれど、さほど寒くはない。1年間ほとんど野ざらし状態の旗を交換し、ついでに屋上からの景観を楽しむ。夕方まで、今度は2年生の教材作り。芥川の『鼻』をやる予定。自学自習用の漢字の読み・書き・意味用の作業プリントと内容予習プリントを作る。
ともかく、自宅の大掃除と年賀状がまだなので、土日の間に済ませてしまわなければならない。年賀葉書は買ってあるので、デザインを考えなければ。
【06年12月20日】
2学期が終わった。色々な意味で本当に長い学期となった。正直、今、ほっとしている。随分長い間ジョギングも止めていたので、仕事を終えて、久し振りにジョギングコースを「歩く」。この時期は、クリスマスを控えて、自宅をとても綺麗に電飾している家が何件もあって、以前はそんな家を何軒も巡りながら走ることが楽しみだった。今年は。その中の一軒の家は、電飾を止めていた。何か、あったのだろうか、と思う。他の数軒の家は、いつものように綺麗に飾られていて、しばらく佇んで眺めていた。高台の方に登る風にして歩いて来たので、帰りの道はだらだら坂を下る事になる。行く手の夜闇に街の灯りが広がっている。それを眺めると、これも大きな電飾のように思われてくる。
久し振りに、自宅でお酒を飲む。少し酔う程度に呑む。本当に、ほっとしているな、と思う。マンションの共有廊下から、京都でも有名な企業の巨大なビルが望める。それが、クリスマスを前に、巨大なビル側面に室内灯を使って大きなクリスマスツリーを描き出している。街の灯りを周りに散りばめて、その巨大なクリスマスツリーが綺麗に輝いている遠景をみると、ちょっと幸せな気分になってくる。電飾といい、ビルの飾り立てといい、そんな街中のちょっとした美しさが変に身に沁みる時がある。何となく、梶井基次郎の『檸檬』などを思い出したりもする。たわいない硝子玉に心慰める主人公の姿は、まさに二十代の青年の姿なのだろうが、いい年をしたおっちゃんには、なんとも似つかわしくない感傷なのであろう。
八百長試合という事で評判になった亀田何とかの防衛戦がテレビ画面に映し出されている。アナウンサーやゲストコメンテーターが色々と亀田擁護の弁をのたまっているが、そんなテレビの音声を完全に落として画面を眺めると、いかにも緊張感のない、盛り上がりのない怠い試合が為されているのが分かる。挑戦者というか再戦者の何とかいう選手が、碌にまともなパンチを打ち出していない事が画面から見えてしまうように思う。こんな試合をゴールデンタイムに流して、一体どうしようというんだろうか・・・・・・? ボクシングってのは、もっと生々しい殴り合いの部分があったはずなのに。プロレス同様、「興業」にまで貶めてしまった元凶がここにあるように思う。
青島幸男が亡くなり、岸田今日子が亡くなった。二人の死に対するこちらの受け止め方は随分違うけれど、しかし確実に時が移り過ぎている、という事を感じさせられるものだ。
【06年12月18日】
京都北山に雪が来た朝だった。本格的な冬の到来を実感させる雪景色の山並みを一渡り眺めて後、出勤する。本当に、寒い。
14日。「第九」本番。指揮者と息が合わなくて、冷や冷やものだったゲネプロを経て、満席の客席を前に一気に唱いきったという感触の本番であった。ちなみに、第二楽章の後にステージに立ったのだが、今回ほど身にしみて聴いた第三楽章はなかった。なぜなのだろうか、と思う。指揮者西村氏の力量ということなのだろう、とは思うのだが。
一日置いて、土曜日。初めて、南座の「顔見世」に行く。「第九」を聞きに来ていた母と、京都の叔母(母の姉)の三人で、昼の部の舞台に。夜の部であれば、十八代目中村勘三郎襲名の口上があったのだが、2時間電話をかけっぱなしでチケットの予約を得たのだが、さすがに夜の部のチケットは残り1枚とのことで取れなかった。当日の演目は、「猿若江戸の初櫓」「寿曽我対面」「義経千本桜道行初音旅」「同川連法眼館」「お染久松浮塒鴎」であった。歌舞伎初心者の私にとって、一番面白かったのは、三番目「川連法眼館」の狐忠信の話だった。様々に趣向を凝らした舞台も、そのお話の展開も、そしてなにより勘三郎の熱演も、本当に楽しめた。それに、衣装は言うまでもなく、歌舞伎の背景や大道具類の上方風のはんなりした色彩の美しさには、本当に魅了されてしまったものだ。実に面白い、と思う。
月曜日。学期末の大忙しの一日を終え、帰宅。母は、午前中に帰郷。なんとなく、ぽつねんとした感じで、一人夕食を取る。「のだめカンタービレ」を見て、「とびとびのひとならび」風な『日々録』を書き終えたら、今日はもう休む。寝る前に少しだけ、竹中さんから頂いた『豈』を読むつもり。摂津幸彦特集号である。
【06年12月11日】
風邪をひいてしまったようだ。まだ、鼻風邪段階だけれど、ちょっと熱っぽいかもしれない。3クラス分の採点を終え、帰宅。途中で、風邪薬を買う。早めに夕食を済ませ、薬を飲んで、ともかく寝ることにする。「日々録」を書き終えたら、ベットへ直行である。
日曜日、午後。文字通り、最後の「第九」レッスン。ちょっと狭い会場に、満員の団員が声を張り上げるので、酸欠状態になったのか、発声練習の際、一人の方が気分を悪くして倒れられるという出来事も。御本人は意識もしっかりしていたけれど、念の為に救急車が呼ばれる。「第九」始まって以来の出来事か。その後、練習は休憩を挟みつつ4時間行われる。さすがに疲れる。
5時前に練習は終わり、後は四日後の本番を待つだけとなる。そのまま、河原町のBAL上の「ジュンク堂書店」へ。『俳句年鑑』と『俳句研究年鑑』を購入するため。しかし、そこになかったので、仕方なく四条通の『ジュンク堂』へ。二冊で5000円弱の高い買い物だったけれど、資料的な価値という点も含め手元に残す必要があると思う。、ゆっくり読んでいきたい。クリスマス近い雑踏は、ちょっと華やいだ雰囲気で、悪くないなと思う。
そう言えば、昨日のレッスンの中で、合唱指導の先生が「のだめカンタービレ」というテレビ番組の事を話題にしておられた。ご自身も結構ファンらしくて、良く見ておられるらしい。ギャグ仕立てのドラマだけれど、音楽に関してはかなり深い部分まで触れていて面白い、とのこと。実は、私も大フアンで、毎週欠かさず見ている。あと数回で終了ということで、残念ではあるけれど、漫画(原作は漫画である)はもうしばらく続くらしいし、1月からは深夜枠でアニメ版「のだめ」も始まるそうなので、それはそれで楽しみではある。番組は、本日九時からなので、風邪薬が効いてうっかり寝込んでしまわないようにしなければならない。
【06年12月10日】
先週の日曜日。連句の会。正村さんをゲストに、歌仙一巻を巻く。清水さんからの初稿が届き、歌仙の名前は「師走の戸口巻」となる。それは、正村さんの準備して下さった発句「酒二本提げて師走の戸口かな」による。発句は岐阜駅頭から、岩城先生の携帯にメールで送られ、清水さんと正村さんが京都駅に着く頃には、すでに岩城先生によって脇句が付けられている、という早業が展開した。料亭『花軍』(岩城先生の奥さんの手料理が絶品で、私たちは冗談半分に岩城邸をそう呼んだりしている)の美味しい昼食を挟んで、夕方6時過ぎまかかって巻き終える。四方山話を挟んでの歌仙は、苦しくも楽しい。正村さんは、所用の為早めに帰られ、残りの者達は夕食までごちそうになって、9時前に失礼する。
仕事に明け暮れる1週間。来週から期末テストが始まるので(もう、そんな時期になっていたのだ。感慨しきり、である)、その準備も加わって、慌ただしく毎日が過ぎる。
川柳誌『MANO』の掲示板で、柳人小池正博氏と五七五作家の野口裕氏が二人誌『五七五定型』を出されたと仄聞していたのだが、「創刊号」を送っていただいた。内容は、野口氏作品100句「恋なき酒池肉林」、小池氏100句「人形亭」、小池氏「現代川柳における『私』というキャラクター」、野口氏「二物衝撃はものたりない」の評論各1編、さらに「対談・五七五定型の可能性」という充実した内容の雑誌であった。俳句、川柳という垣根を越えて「五七五定型」誌の可能性を探るという、志の高い一誌である。作品から、野口氏「冷凍の肉塊水漬き寒の星」「廃校のプール引鴨立ち寄りぬ」「森閑と星を晒す日蟻地獄」「空蝉に蝉の入ってゆくところ」「少年と蛭を句にして笑われぬ」「構造は喜劇なんだが冷や素麺」「狐火の黒くなりたる夜明けかな」、小池氏「提案は人形亭で語られる」「就活は首都対応の花ことば」「貌鳥がくわえていった線の幅」「貝殻に干渉をする夢遊び」「見るための目は樫の木に吊るされる」「罫線の五番目からはうめき声」「伴大納言絵巻という霧の海」「揺れながら萩は定型思い出す」、いずれも抜き出せばきりがなくなるので止めておく。野口氏の評論は、私にはちょっと難解、小池氏の評論「私」の問題は、例句も含め興味深く読ませていただいた。
金曜日。「第九」最後の定例レッスン。何度も「第九」を唱ってきたが、今年はどこか微妙に違うものが含まれているような気がする。いつも以上に深みのある歌声が響く瞬間があるのだ。1回きりの本番の演奏の中で、その瞬間が表現出来たら、と思う。練習を終え、帰宅すると明日大阪でトロンボーンのレッスンを受ける甥が、泊まりに来ていた。11時過ぎまで、ふたりでだらだらと過ごす
土曜日。丹後の「すき句会」。甥より早く家を出る。丹後は「蟹」のシーズンということもあり、「橋立1号」の指定は満席であった。いつものように、車中で課題「蕎麦刈り」の句と出句5句を考える。25句ほど作り、絞り込む。隣の席に坐ってきた若い娘さんを素材にこっそり2句ほど作らせてもらう(その句が、岩城先生の選に入る。自分でも結構面白い句になったと思っていたので、満足である)。今年最後の句会ということで、参加者は多かった。特に、家庭の事情で数回お休みだったYさんが、しみじみと深い素晴らしい句を持って来られて、とても感動した。今年の「すき句会」の作品ベスト1かもしれないと思う。一年を締めくくる句会で、こんな句に出会えてありがたいと思った。
犬のビッキーにも出会えるかと思ったが、前回夕方の庭先に「放置」されたのが懲りたのか、車から降りてこず、奥さんと一所にお出かけ中という事で、ちょっと残念であった。今年は、ビッキーにも何度か句材を提供してもらい、感謝、である。それにしても、マンションでも自由に犬が飼えればよいのに、とつくづく思う。帰りの車中では、ちょっと疲れて半分はうたた寝、半分はPCの雑誌を読んで過ごす。帰宅後、フリーソフトをダウンロードして、『日々録』も含め、データの自動バックアップの設定をする。これでバックアップがずいぶん楽になる。
【06年12月2日】
とうとう、今年も最後の月12月に入った。寒い一日で、天気の面からも年末を実感し始めている。
竹中宏氏が主宰する『翔臨』に、会員の小林千史さんの句集『風招』の句集評(そう言えば、『俳句朝日』12月号の「この一年心に残った句集」茨木和生選の中に、その一冊として『風招』が選ばれてあったのを思い出す)が掲載された。山西雅子氏・加田由美氏・中田剛氏の三名が評論を寄せられた。いずれも面白い評論だったが、特に加田由美氏の評論について、少し感想を書いた。加田氏への私信という内容でもないので、ここで紹介させてもらおうと思う。「加田由美さんの評論、面白く読みました。評論らしい評論の山西さんの作、何となく私小説でも読んでいる風の中田さんの評論。そんな中で、加田さんの作は、知性と感性の閃きを感じさせるものでした。三人三様でありながら、一人一人が三角形の各頂点を形成しているようで、その人選も含め、今回の企画は大ヒットだったように思います。加田さんの評論は、自己と作品との緊張関係の中で展開されます。しかも、作品とその鑑賞者である自己に対して等分の強い拘りの中で、論評が展開されていく点でとても個性的であります。論者の内面での両者の拮抗状態が、ボルテージの高い論評を実現させます。論者が読み取った作者の「透徹した意志」は、同時に論者のそれであるようにも思われ、「ゆるぎない確信となって実現する」のは、作句者自身の作家性であるとともに、論者自身の詩的直感に裏付けられた作品感受の実体のように思われます。読者は、そんな両者の作り出す磁場の中で、「自然界から」の「啓示」を待つ作者像という豊かなイメージへと導かれます。この展開が、とても良かった。評論らしい知的探求の面白さと、私小説的な詩的感性の感触が、加田さんの評論には感じられてとても良かったです。一匹の蛇のうねりに百の揺らぎをと感受する感性のユニークさ、「失う」中で「満たされる」という生のダイナミズムを一句の中に読み取る鋭い知性など、とても感心しました。」ともかく、いずれも上質の面白い評論でした。
土曜日。午前中、岩城先生から依頼のあった「岩城久治年譜(暫定版)」の改訂作業を行う。先週の『翔の会』の清水さんのお話の補助資料として配付していただいた「年表」と「エピソード」を参考にして、補筆・訂正を行ったのだ。まだまだ極大雑把な『年譜』だけれど、岩城先生の60年にわたる歩みの一端を辿り直すようで、随分面白い作業だった。面白いといえば、『翔の会』での清水さんの話は、とても感銘深いものだった。元教え子と先生とのその後の40年にわたる交流が、その当時の時代の雰囲気の中で訥々と語られるのは、とても印象深いものであった。一番大切なものは、人と人との繋がりだと言うことを、この歳になってやっと実感し始めているとは何たることか、と思いつつも、確かにその通りだとつくづく思う。
明日は、『鼎座』の連句の会。ゲストは、岐阜大学医学部教授の正村静子さん。連句の経験も豊かな方と聞く。解剖学の教授ということで、歌仙を巻く合間に、いろいろお話を聞けるかもしれない。明日は、冬型の気候がぐっと強まるとのことだ。京都北山の初冠雪の日も近づいている。