日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
06.2「日々録」
06.3「日々録」
06.4「日々録」
06.5「日々録」
06.6「日々録」
【06年7月30日】
土曜日。早起きには慣れているとは言え、微妙に睡眠不足的なところがあるらしい。夕方、ベットに腹這いになって、子規の晩年の句を読んでいるうちに、寝込んでしまっていた。気が付くと、7時前。頭がすっきりして、気分が良い。この勢いを借りて、走ることにする。7時過ぎから、1時間ほどジョギング。日が落ちて、涼しくなっている。夜、子規の続きを読む。『醍醐会』の話題に使えそうな「糸瓜の花」と「仏」の句を一つ見つける。
日曜日。朝、6時過ぎから歩く。すでに日はかなり高い。近所に出来たマンションに入居が始まっているらしい。まだ6時過ぎなのに、大型トラックが引っ越しの荷物を積んで、やって来ている。蝉があちらこちらで鳴いている。犬を連れて散歩をしている人達とすれ違う。軽く汗ばむくらいで帰宅。1時間ほどの時間差で、明らかに日差しの強さが違ってくるのを感じる。今日も暑くなりそうだ。
【06年7月29日】
昼過ぎまで、クラブ当番で出勤。「短詩型文学の会」は欠席。昨日、事務局にメールでお詫びを入れる。普段より、30分くらい遅く出ても大丈夫なので、洗濯をしてベランダに干しておく。ちょっと不吉な感じはあったのだけれど、2時か3時には帰って来られるので、そのままにして出勤。
そのまま出勤したのが、やはり間違いで、天気は少しずつ嫌な方向に移り変わってゆき、指導を終えて帰る頃には、ぽつりぽつりと粒の太い雨が降り出していた。京都市内方面を眺めやると、明らかに積乱雲の雲がとぐろを巻いているような有様であった。置き傘をさして駅へ向かう頃には、土砂降りとなる。歩道が瞬時に川のようになる。こうなるともう、濡れようが何しようがどうでもよいと開き直った気持ちになって、水の中をばしゃばしゃ歩く。機銃掃射にでも遭っているように、流水に覆われた歩道に降雨の小さな水柱が立つ。太股より下、ほぼ左半身、ぐっしょり濡れて駅に着く。冷房の効いた車内では、思わず震えがくる。
「天は我を見放した」とは、映画『八甲田山』の有名なセリフだが、今回「天は我を見放さなかった」ようだ。通路の方は、吹き込んだ雨でほぼ全面濡れていたのに、母屋部分を挟んだベランダは、建物自体が壁になって全く濡れていない。洗濯物はほぼ生乾き状態のままで雨の被害は受けていなかった。とりあえず、室内に取り込んでおく。
遅いお昼は、蕎麦を食べる。ちゃんと「蕎麦湯」のとれる信州蕎麦である。ザルで食べるととても美味しい。さらに、蕎麦湯が甘く濃厚な味わいで、蕎麦以上に味わっていただく。明日は、『醍醐会』。今日はこのあと、正岡子規の晩年の時期の句と文章を読んでおこうと思う。
【06年7月23日】
土曜日。毎月、大阪に楽器のレッスンを受けに来ている郷里の甥が、たまたま土曜日が練習日になった関係で、そのまま泊まりに来る。ちゃんと到着するか、ちょっと心配であったが、思ったより早くマンション着。こんな風にして、自分の行動範囲を広げるのか、と感慨しきり。
翌日、昼過ぎまで甥につきあう。某ソフマップ、某大型書店、場所を四条に移動して、某音楽店をまわり、昼食は土用の丑の日ということで、某鰻屋さんで鰻丼を食べる。昼過ぎの新幹線で、甥は帰る。こちらも、見送ったなりに帰宅。甥の買い物につきあいながら、ちょっと面白いDVDを買っておいたのを見る。団塊の世代のおじさん達の懐旧の情をターゲットにしたDVDであるな、と思う。
夕方、明日からの夏期講習の下調べ作業。2時過ぎから1コマ90分の講義なので、本格的準備は当日でも間に合うのが有り難い。その後、『ハリーポッター』第6巻をようやく、読了する。重く、暗い終わり方であった。作者は、すでに書き上げられ金庫に保管された最終章に向かって、現在執筆作業を行っているとのこと。どんな内容に仕上がっていくことであろうか。
夕食は、お稲荷さん三つ。夜は、天童荒太の『包帯クラブ』を読み終えよう。
【06年7月21日】
金曜日。終業式。1学期終了。体調不良のため、午後年休早退。帰宅後、解熱剤を飲み、寝る。最低限の責めは果たした思い。結構気疲れの多い1学期であった。
岩井さんより、『醍醐会』関係の手紙。当日司会を担当するので、事前にレジュメを送っていただく。岩井さんのレポートで、子規の絶筆3句について。写真をコピーしたものがあり、確かに「糸瓜咲いて」の句が正面に大きく書かれ、他の2句は左右に添えられた様な印象を受ける。絶筆3句の意味について、どんな所論が展開されるのか、楽しみである。
歌舞伎見物。「坂田藤十郎襲名披露七月大歌舞伎」。演目は『信州川中島』『連獅子』、そして『襲名披露口上』をはさんで『夏祭浪速鑑』というもの。知人に招いてもらい、1等席で鑑賞することが出来た。生の歌舞伎を見るのは今回が初めてで、ちょっと退屈したりするのではないか、などと思ったりもしていたのだが、強烈に面白い体験となった。夢の世界を目の当たりにしているような体験と言おうか、白塗りの扮装の意味を得心したようなそんな気持ちであった。これは、是非また見にいかなければ、と思う。
29日の『短詩形文学の会』へ参加の葉書を出したその日に、勤務が入って行けなくなってしまった。今回は、短歌の回で、斎藤史の歌集『ひたくれなゐ』の鑑賞であったが。毎年のように参加していたのだが、残念である。
【06年7月16日】
背中がむず痒いので、おかしいなと思っていたのだが、鏡に映して確認すると、どうやら昨日一日で背中に汗疹が出来たようだ。毎年の事なので(というより、部屋でエアコンを使うようになって以来のことなので)、ちゃんとベビーパウダーは準備してあり、早速使う。ちょっと具合良くなったかな、と思う。外は、雨は降っていないけれど、厚ぼったい雲が全天を覆っている。いかにも高温多湿という様子である。昨日、丹後に着ていったものは、上から下まですべて洗濯機に放り込み、夜濯ぎをするつもりが、つい寝てしまった。今朝は、洗濯から始まる。
それにしても、人の体は面白い。遠藤秀紀著『人体 失敗の進化史』という本を読んでいるのだが、どのような経過で人は現在のような姿を手に入れたのか、それを「設計図」という発想から説明するという内容で、文章に少々癖があるけれど、中身はとても面白い。なるほど、そんな風になっているのか、とつい感心してしまう。梅田望夫『ウェブ進化論』とともに、現在の通勤読書の2冊である。
今日は一日、自宅での持ち帰り仕事。今日中にやり終えないと、明日の歌舞伎見物が心おきなく楽しめなくなるな、と思う。
【06年7月15日】
土曜日。丹後「すき句会」の日。とりあえず、6時前から、1時間足らず「歩く」。すでに日は昇っているけれど、さほど暑くはなく、軽く汗をかく程度で歩き終わる。いつもの「橋立1号」は、3連休初日のせいか、ほぼ満員状態。偶然、前の席も、横の席も外人さんが座る。横の男性は、通路を隔てて座る日本人との夫婦。連れている赤ちゃんが、なかなか可愛い。丹後までは、車中や車外の景色を眺めながら、あらかじめ準備していた句以外に、句会用の作品を作る。窓外の緑が、本当に眩しい。
橋立駅で岩城先生と合流し、電車を乗り換えて丹後大宮に向かう。車中で、犬のビッキーの様子について聞く。フィラリアを患っていて、あるいはと危惧していたのだが、昨日病院へ行き、これ以上悪くならないように薬を飲んだ、とのこと。飲ませた薬のせいで、急死する犬もいると言うことで、服薬させるまでに暫く日数が必要だったとのこと。ともかく、一安心する。
丹後も、暑い。ただ、京都のように暑さに湿度が加わっていないだけまだマシではある。いつもの喫茶店がお休みだったので、本通り沿いのイタリア料理店に行く。古民家を改装した洒落た店で、冷製海鮮パスタが美味しかった。岩城先生は、初めて冷製パスタを食べた、との事だ。食前酒代わりに、二人で350ミリリットルのビールを内緒で飲む。よく冷えていて美味。
岩城先生宅での句会。屋内はほぼ半月閉めきったままだったので、最初は猛烈に暑かったが、やがて落ち着く。今回は、席題が三つ。「犬・梅雨茸(蛇もどき茸と玉子茸)・鉾粽」。いつもより30分近く予定時間を超えた句会となる。終了後、駅まで送っていただき、駅前のスーパーで飲み物を補給して、定時よりやや遅れた丹後ディスカバリー号に乗車。買ったビール(というか、いわゆる第三のビールといわれるもの)が、ちょっと「コカコーラ」テイストのもので、二人とも試しに買ってみたことを後悔しつつ、飲む羽目になる。雷雨のせいで、京都帰着が30分近く遅れる。今日は、祇園祭宵宵山であった。
【06年7月10日】
月曜日。とても蒸し暑い一日だった。さすがに、朝から教室にエアコンが入る。今日が、1学期の最後の授業の日。早いものだ。明日から期末考査。その後、テスト返却があって、夏休みに入る(もちろん、生徒達はということだが)。こちらは、テストの採点と成績付けを行いながら、休みまでにガイダンスを二つこなして、その後、夏期講習に突入ということになる。
今日は、そのガイダンスの一つの補助資料作りに一日を使う。夕方、30分ほど走る事が出来た上に、思ったより早く8時過ぎには資料が出来上がったので、1週間のスタートとしては、なかなか快調な出だしと言って良い。駅に向かう夜道では、つい『創生記』の一節を口ずさんでいたり(というより、夜道で人通りが少ないということもあって、かなり本気で歌ったりしていたのだが)した。終わったのだな、という実感が少しずつ湧いてきているという感じだ。
日曜日、午後。実は、母と東京の叔母がわざわざ『創生記』を聞きに来てくれていたのだが、二人が京都の叔母に会いに行って留守の間、こちらはベットに腹這いになって、『ハリーポッター』読んでいた。ちょっと気だるい状態で、リラックスして本を読むというのは、なんとも気分の良いものだ。夕方までに、上巻を読み終え、下巻に入る。最終巻では、主要な登場人物のうち、二人が亡くなるという情報が流れているらしいが、お話自体もそんな重さを帯びてきているように思う。
【06年7月9日】
1時半、コンサートホール小ホールの集合。2時から、発声練習。その後、ゲネ前の調整練習。全体を軽くさらう。リズムと子音の発音、表情について注意を受ける。休憩を取って後、本番通りに整列、ゲネプロのため、大ホールへ移動する。観客のいない大ホールは、本当に巨大な洞穴のような雰囲気である。
全体を通して演奏する。テンポが合わなくて、かなりガタガタの演奏となる。緊張のせいか、皆の声の出もよくない。舞台上での10分間の休憩の後、数カ所調整をしてゲネを終わる。変な緊張感を残したゲネプロであった。一度小ホールへ引き揚げ、その後男性は別の楽屋へ移動。軽い食事をとり、着替えを行う。冷房が入っているとはいえ、礼服は暑いので、間際まで着ないでおく。6時15分に小ホールへ再集合するので、それまでのわずかの時間、夕暮れていく外の景色を眺めながら、横にいる人としばらく話す。
小ホールに集まる。白と黒のステージ衣装の集団である。詩人の小川英晴氏も練習会場まで挨拶に来られる。7時過ぎまで、本番前の調整を行い、「信じてますよー」という指導の先生の「絶叫」ですべての練習は終わる。出を待つ20分の休憩が何やら長い。ホールから廊下に出て、暮れ残る街並みや北山方面の景色を眺める。やがて、時間となり、整列をして、そのまま満席の大ホールへと移動。本番開始。
小雨の中を、二次会の会場の「あじさい」へ移動。あらかじめ席予約をしておいたので、ゆっくり出来る。11時過ぎまで、歓談。タクシーで帰宅。すぐ、就寝。
日曜日。少々疲れ気味。休息日とする。
【06年7月8日】
本日、『創生記』本番。1時半、京都コンサートホール集合。仕上げの練習、ゲネプロを経て、本番舞台となる。ベートーベンの「田園」の後、休憩を挟んでの演奏となる。
暑い一日になりそうだ。天気は半日はもちそうな気がする。夕方からはどうであろうか。雨にならないことを祈る。
【06年7月2日】
日曜日。『創生記』最後の練習。京都会館会議室を借りての練習。近年、最後のレッスンはこの会場が定番のようになっている。窓の外に、新緑の街路樹を眺めながらの練習。午後一杯をかけての練習で、十分に時間を使ってのレッスンとなる。あとは、今週木曜日、京響の練習場にて、最初で最後のオケ合わせ。土曜日には本番、という事になる。早いものだと思う。
木曜日に、久し振りに退勤前に起伏のあるコースをジョギングしたら、少々腰を痛めたようだ。にもかかわらず、土曜日の早朝、近所を軽く走り、さらに夕方、1時間ほどの「歩き」で知り合いの家へ『創生記』のチケットを届けに行って、そこが山の手のお屋敷みたいなところで、坂の上り下りに一層の負担を腰にかけてしまったらしい。たまにあることとは言え、立ち詰めの合唱練習は少々辛かった。指導者の先生に言わせるとまだまだなのだが、こちらの耳にはかなり良くなって来ているようには思われる。練習終了時に、「よろしくお願いします」と深く一礼されて、団員一同恐縮したりしたものだ。
練習の帰りに、行き付けの古書肆に立ち寄り、飯田龍太『秀句の風姿』と国崎望久太郎氏の『自然と韻律』を購入。後者は、大学時代の専門科目の恩師の一人。温厚な人柄が印象的な啄木の研究者の先生だ。前者の著作は、あるいは近時刊行された全集の方に収載されてあるかも、と思う。この古書肆では、以前偽物と思いつつも、ムンクのリソグラフという物を結構な金額で購入した事がある。現在、かなり大判のリソグラフは、わざわざそれ用に購入した額縁に入れて、書斎の壁に飾ってあるが、積み上げられていく本の背後に徐々に隠れつつあるのが気にはなる。
ここ数日、たまに出入りしている老舗と言っていいネット上の某俳句ホームページの投句欄が「荒らし」の攻撃に曝されている。ちゃちなイタズラといえばイタズラなのだが、しつこく投句者の邪魔をしている姿を見ると、つくづく品性下劣だなと思ってしまう。ネットはまだまだ開発途上だと思う。