日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
06.4「日々録」
06.5「日々録」
06.6「日々録」
06.7「日々録」
06.8「日々録」
【06年9月30日】
母と甥が来ている。甥は、受験の下見を兼ねて、大学のオープンキャンパスへ参加するため。母は、大阪の叔父の法事のため。私も法事に出席するつもり。甥は、すでに8時前に出かけた。一人でちゃんと行き着けるであろか、と少々心配。法事は、昼なので、午前中はのんびりと過ごす。母は今、ソファーに座って『新京都吟行案内』を読みながら、ここにも行ったことがある、などと楽しんでいる。
阿波野青畝『甲子園』を往復の車中で読んでいる。大変面白い。手練れの句とは、このような作を言うのだろうなどと思いつつ、一句一句楽しんでいる。
【06年9月24日】
土曜日、午後。京都市美術館へ「プライスコレクション 若冲と江戸絵画」を見に行く。全体に面白い展示だったが、とりわけ若冲の絵は面白かった。面白い、というよりは凄いというレベルの作品群であった。手堅い技量の持ち主であるとともに、恐らく時代を超越した自由な発想力の持ち主ではなかろうか、とつくづく感心した。特に、「鳥獣花木図屏風」は、圧倒的であった。この時代に、なぜこのような絵が描けたのか、驚嘆の一語であった。ほとんどポップアートの世界であった。たまたま日曜の新聞の「読書」の欄に、『もっと知りたい伊藤若冲』という本の書評が掲載されていたので、それを読んで、早速「アマゾン」に注文を入れる。
日曜日もすでに夕暮れになっている。稲荷山が薄く茜色に染まって見える。今日は、一日よしもとばななの『イルカ』を読んでいた。作者自身の出産体験が色濃く反映された作品であった。孤独者としての主人公の生き方が、子どもの誕生を通じてどのように展開していくのか、その発端までを描いた作品であった。ばなな氏の作品世界の今後の展望を伺わせる一作であった。
【06年9月23日】
雲ひとつない秋晴れの空だ。ベランダから北方を望むと、比叡山の向こうに比良の稜線がくっきりと見える。日差しはまだ暑いけれど、いかにも秋らしい朝の情景だ。
飯田龍太著『秀句の風姿』を読む。対象句の懐深く入り込み、鋭く柔軟に句を読み解いていく様は、やはり大したものだとつくづく思う。時に、なぜこんな句をと思われる選も、その説明を読む中で、一句の微妙な味わいに気付かされ、こちらがなんと雑駁な読み方をしているものか、と考えさせられてしまう。よしもとばばなの小説『イルカ』を読み始める。ばなな氏の自然描写は、初期の作品の頃からすっと胸に沁みてきて好きだったのだが、最近は何気ない日常描写や登場人物の感懐の部分によほど波長が合うのか、ある部分ではごくごく言葉を呑み込むようにして読んでいたりする。不思議なことである。
俳人協会関西支部から『新京都吟行案内』が二部送られてきた。俳人協会員になって、初めての仕事らしい仕事として、書中の何カ所かの吟行地紹介を執筆させていただいた。それは、「清滝」「水尾」「笠置」の三カ所だった。読み返してみて、吟行ポイントは一通り網羅しているけれど、その地の背景部分にまで十分筆が至っていたか、少々気になるところである。それにしても、自分が書いたものがこうやって活字になることは、やはり嬉しい。
DVDで映画『ALWAYS三丁目の夕日』を見る。ずいぶん評判になって、日本の映画賞を総なめにした映画だったのではないか。ネットの映画サイトでも好評で、一度見てみたいと思いつつ、結局映画館には行けずじまいで終わった作品だった。映画は、30年代初頭の東京の情景と風俗の再現のすばらしさ、ちょっと感傷的でちょっと類型的だけれど、恐らく邦画の持つ良い部分がエッセンスとして凝縮された内容、演者たちの少しコミカルでしかし壺を押さえた演技と、とても素晴らしいものだった。そして、映画を見終わって後に残ったものは、ちょっと胸が痛くなるほどの「郷愁」であった。それは現実的なものというよりは、映画がもたらしたとても純化された感情のようだった。だから、それに浸りきる事にはある痛みをともなう、そんな種類の感情でもあるような気がした。それにしても、本当に良い映画だった。
【06年9月17日】
京都市内は、今薄雲が広がっているものの、晴れている状態だ。天気は崩れるとの予報は出ているが、もうしばらくは持ちそうな気がする。台風の行方はとても気になる。最悪の場合、故郷方面を直撃しそうな成り行きだ。
友岡氏の句集を読む。句集名の『雲の賦』の通り、雲を詠った句が多い事に気付く。人事と自然の移りゆきを雲が深く結びつけている、という印象を受ける。今という時に対する愛情と哀惜の思いが、雲の姿に投影されているような気もする。中田氏の言う「内向の世代」の特徴という点が気になっているのだが、今のところ明確にはその内実を掴めない状態でいる。
『松瀬青々全句集』を読み進む。全句集という性格上、内容的には玉石混交という面があるのは否めないけれど、句世界の絞り込みの仕方とか、俳句語法の多様性とか、現在の俳句にはちょっと不足している技法上の厚みというものを感じる。古語や古文、古典的世界に対する距離のちがいなのだろうか、などと勝手に想像する。
朝、走り(体育祭でリレーに参加することになっているので、その準備を兼ねて)、昼、散髪に行って髪を刈り込み(散髪屋を出て、短い髪を風に嬲られるのが変に気持ち良い)、夜、1時間ばかり歩く(変な人に間違えられないよう、明るい道を選んで歩く。同じようにウオーキングをしている人たちに何人もすれ違う)。帰宅後、ついBSで『フーテンの寅』さんを見てしまう。マドンナが都はるみなので、どうかなと思っていたのだが、なかなか良かった。映画を見終わった後はいつもそうなのだが、大笑いした後で、そう言えば自分もまた「フーテンの寅」さん的存在なのだなと、少々しんみりとする。
【06年9月16日】
台風に掻き回される三日間になりそうだ。
金曜日。久し振りに、ミューズの練習に行く。年末の「第九」に向けてのレッスン。入団手続きを取り、会場に入ると、ちょっとビックリするくらい団員数が多い。ステージ上が、人で一杯になっている。本番間近の練習風景のようである。今回は、入団希望の時期延長を実施する必要もなさそうだ。人気のある指揮者西本智実氏の影響は、さすがに大きいと思う。ただ、これでまた、チケット入手ではごたごたするのだろうな、と思うと少々げんなりとはする。
レッスンを終え、遅めの夕食を取る。久し振りにファミリーレストランに入る。早い時間帯ではないのに、店内は満席に近い。喫煙席に案内される。周りに煙草を吸っている人がいなくて幸いだった。五穀米健康御前と言うのを注文する。赤身とイカのさしみ、野菜の煮物、海藻、野菜の天ぷら、油揚げの味噌汁、という内容。近くで大騒ぎをしている一団がいて、嫌だなと思う。食後の運動を兼ねて、自宅まで歩く。夜気が心地良い。
先日、「囲む会」のあった友岡子郷氏から句集『雲の賦』を贈っていただいた。もう、手に入らないと思っていたので、大変嬉しい。今日の読書は、この句集から始めようと思う。クラブ当番も模試監督もないこの三日、天気も崩れるだろうし、読書三昧といこうか、と思う。
【06年9月10日】
音羽山の稜線と低く垂れ込めた雲の間から、一時朝日が顔を見せていたが、すぐに雲に隠れてしまう。6時半から、「歩き」に出かける。両手首に350グラムのウエイトを巻いて歩く。
琵琶湖疎水沿いに1時間半ほど歩く。犬を連れた散歩の人たちとすれ違う。皆、結構犬のトイレの始末をきちんとしているのに感心する。ある橋の下でホームレスの人たちが、4人くらいで共同生活をしている。通りかかった時は、ちょうど発電機を動かしかかっているところで、立ち止まってしばらく眺める。その横では、エアコンの修理をしている。そのエアコンはどうするのだろう、と思う。行きは気が付かなかったけれど、疎水が藻畳み状態になっている辺りに真鴨の群れがたむろしている。どうやら親子ではないかな、と思う。別の場所では、堰堤の石畳の上で休んでいる鴨もいる。見晴るかすと、京都タワーや比叡山、さらにその向こうに薄墨色の比良山系が望める。
帰宅後、昨日の「ばらすし」の残り半分を朝食に食べる。やっぱり美味しい。ちょっと気になるメールをもらったので、その返事を書く。
【06年9月9日】
土曜日。「すき句会」の日。丹後へ向かう。少々疲れ気味。保津峡の緑の渓谷を車中に見て、ちょっと心が和む。
丹後に来て、つくづく空の広さを感じる。上空の動かないの雲の下を、低層の雲がここからは見えない日本海の方に向かって、どんどん流れて行く。
8月は休みだったので、2ヶ月ぶりの句会。いつもより投句数、選句数を増やす。席題は、「稲筵」。席題句に面白いものが揃う。今日は、犬のビッキーがこちらに来ていて、句会の間中、席のあちらこちらに移動しては、床にごろりと横になっている。ついには、岩城先生の足下にやって来て、身をすり寄せたりもしている。5時前に句会は終了。皆さんが帰られた後で、電車の時間までビールと水野さんが持ってきて下さったお刺身をごちそうになる。美味。奥様がわざわざ買ってきて下さった「とり松」の「ばらずし」をお土産に頂く。このばら寿司が、実はものすごく美味しいのだ。感謝、感謝である。
1本だけのビールだったのに、結構良く廻って、車中ではうつらうつらして過ごす。京都に帰る。夜であるにもかかわらず、蒸し暑い。
【06年9月7日】
日曜日。若者の姿が目立つところだな、と思いつつ、神戸の街を歩く。午後予定されている、「友岡子郷氏を囲む会」に参加するため、JR元町駅で下車して、会場の県民会館に向かう途中での印象。道路は、行く手に見えるの六甲山系に向かってゆっくりと上り坂になっている。暑い。
参加者は40名近くの多人数となる。竹中宏氏の司会進行で会は始まる。「少年時代」「俳句との出会い」「前衛俳句隆盛の中で」「飯田龍太『雲母』」へ、というような観点での、竹中氏による総括的な質問とそれに対する友岡氏の丁寧な応答があり、その後、川崎雅子氏による「子郷俳句の歩みについて」という話題でのお話。さらに、今回の集まりの為、句集『雲の賦』『葉風夕風』の資料を作って下さった原田氏、松岡氏、中田氏から発言があって、その後、自由討論となる。今回、友岡氏を「内向の世代」に位置づけての中田氏の周到な所論が大変面白かった。
5時に「囲む会」は終了し、参加者は二次会で駅前の居酒屋へと移動。私は、そちらは遠慮をして別行動を取る。駅へと向かう並木道を歩きながら、途中で見つけた小さな古書肆で、『飯島晴子全句集』を購入する。時間があれば、瀬戸内海が見たかったのだが、それは諦める。そう言えば、友岡氏の句にしばしば登場する海は、日本海でも太平洋でもない、大きな潮の流れを持つ瀬戸内海だな、と帰りの電車の中でふと思う。
木曜日。今日、明日と文化祭。こちらは、進路の仕事が詰まっていて、十分見物にも行けない。辛うじて、2年生のあるクラスの演劇「海猿」を観る。思っていた以上の出来で、感心する。夕方、豪雨。夜、40分ほど走る。
【06年9月2日】
土曜日。朝焼けが大変美しい。思わず、デジカメに収める。5時半から、歩く。久し振りの早朝ウオーキングである。丘陵地コースを歩く。城のある廃園が、新たに広大な運動公園に整地し直されてあった。最近買った万歩計を腰に付けて歩く。1時間強の「歩き」。ほぼ1万歩歩く。涼しい。
洗濯をしつつ、コーヒーを涌かし飲む。7時を過ぎると、急に暑くなってくる。部屋のカーテンを半分閉めて、日差しを遮る。
ここ数日。ある山の名前がどうしても思い出せなくて、ちょっと落ち着かない思いをしていたのだが、朝刊のコラム欄を読んでいて、「雨」という文字から一気に思い出す。「雨飾山」であった。かつて自分が登った山の名前が思い出せないという事が、悔しいような不安なような苛立たしいような気持ちで、さらに登山の思い出を探っている中で、幾つか記憶からその「名前」だけ抜け落ちている山が在ることに気付き、実はかなりショックだった。周辺のコース図や出来事や風景は憶えているのに、その名前だけぽっかり抜けているのは、少々薄気味悪くもあった。そこで、数日、山名を思い出すことに努め、空欄を一つずつ埋めてきたのだが、どうしても思い出せずにいたのが、「雨飾山」であったのだ。恐らく「飾」という言葉が、山名として珍しいということもあったのか、とも思う(だったら、憶えておけよ!という事にもなるのだが)。残りは、あと一つ。北アルプスで、上高地から登り、鏡平を越えて到着する、鷲羽岳に続く山で、その麓のテント場の様子まで憶えているのに、ちょっと餃子みたいな山容の山の名前が出て来ない。脳のDSトレーニングみたいなことをしなければいけないかも、とかなり真剣に思う。
明日、友岡子郷氏の最新句集『風の賦』を元にして、子郷氏本人をお招きしての「語る会」が神戸で開かれる。以前、三井寺で開かれた柿本多映氏を「語る会」に続く集まりである。午前中、勉強のつもりで送っていただいた資料の抜粋句をノートに書き写してみる。整った気持ちの良い句が多いな、と思う。時に、型を伺わせる句、反復・対句などを活用した句、直叙的な句、箴言風な句も交じったりしていて、変化もあって面白いと思う。