日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【06年8月30日】
日曜日。周山のバス停まで車で送ってもらう。沿道の稔り田に、動物除けの電線が張り巡らされてあるのが、目にとまる。猿や鹿、猪などが作物を荒らしに来るという。周山始発のバスで、市内に向かう。京都市内に入り、周山からずっと車中で大声を上げてはしゃいでいた学生風の二人が降りた後、空席になったはずの座席から携帯の着メロが大きな音で聞こえる。誰もいないのに、と思いながら座席を眺めやると、大きな人形が二つも付いた携帯が置き忘れられてある。前後の席にも乗客がいるので、そのまましばらく放っておいたが、一端切れてはまた繰り返し着メロが鳴り、そのヒステリックな状態に辟易して、バスが停車したときに、その席まで行って置き忘れ携帯をひっ掴んで、運転手の所へ持って行く。側にいる誰かに携帯に出て貰いたいと思って、繰り返し自分の携帯に電話をかけてきたのだろうと思うが、ちょっと嫌な感じであった。
一度、帰宅し、資料をザックに詰めて、「翔の会」の会場へ向かう。会の様子は、参加者の一人がHPで感想を公開しておられるので、今回はちょっとそれを引用させてもらう。「今日は翅の会で俳人、岩城久治さんについての考察を行う。青春のヒロイズムとか、滅びのヒロイズム、死の美学、みたいなものをストレートに表現されてしまうと、作品としてはチャーミングかもしれないけど、私はしらけてしまうことがある。それを作者は分かった上で、つまり二重に屈折したうえで、成し遂げているのかどうか、そんなことを考える。」(関心のある方は、次のホームページにアクセスして下さい。(こちら)。『醍醐会』のメンバーのNさんの、興味深いHPです。)。話題としては、句集という形ではなく「短冊」による俳句発表という形態を主張する作者の真意を問う、という問題提起にも興味を惹かれたが、さらに岩城久治氏における「生と死」の受容の問題も個人的に大変関心のあるところだった。岩城氏の句作品、さらに近年の散文作品を読むと、そこには確かにNさんの指摘のように自己劇化・神話化という点で「滅びのヒロイズム、死の美学」的様相も感じられなくはないけれど、その在りよう自体は作者にとって実はもう少し素朴で自然体のものという風にも思われる。その点は、今後こちらももう少し考えてみたいと思う。
そして、水曜日。すこぶる平穏な一日であった。昨日買って来た万歩計をバンドに付けて一日を過ごす。


【06年8月29日】
土曜日。車二台に分乗して、京北町へ。ここも近年、京都市へ合併した地域ではある。北山を分け入るように周山街道を北へ向かうと、やがて栗尾峠に至りつき、そこから眼下に緑豊かな山国京北町の風景が広がる。知人が、上桂川でこの日解禁された網による鮎捕りをしているとのことで、早速そちらに向かう。川の流れを見下ろせる橋に到着すると、それを待っていたかのように沛然と雨が降り出し、みるみる豪雨に変わっていく。外に出るわけにも行かず車の中でしばらく雨止みを待ち、降りが弱まったところで、車のまま河原まで降りていく。車内で雨宿りをしていた友人と合流し、小雨の残る川で、網による鮎捕りを経験する。さほど深くはない川の中に入り、川を横断するように張られた網に向かって鮎を追い込むように、水面を木で打ち付けたり、石を放り込んだりする。川水は、なま暖かい。底は小さな石が敷き詰められたようになっていて、藻のせいか滑りやすい。
やっと一匹だけ網にかかった鮎を捕ることが出来て、それでも久し振りの水遊びに満足して友人宅へと引き揚げる。夜は、庭でバーベキューを楽しむ。あらかじめ確保して準備しておいてくれた鮎を盛大に焼く。さらに、お隣さんから鮎の差し入れがあって、豪勢なことになる。お隣は、その日、二百匹も鮎を捕ったとのこと。引き揚げると、網に鮎が鈴なり状態だったそうだ。豪快な話である。ビールにお酒、ワインに焼酎と、大いに飲みかつ食べる。皆、かなり酩酊状態となる。就寝は1時過ぎであった。
朝、6時過ぎに目が覚める。私は、早めに京都に帰る必要があるので、ついでにバスの時間を確かめるつもりで、散歩に出る。霧が低く棚引いていて、その向こうに山並みが眺められる。霧は、少しずつ上がっていくように見える。稲田はすでに、刈り入れを待つ状態になっているようだ。デジカメを持ってきていたので、あちらこちらの風景をカメラに納める。橋のたもとには、昨日は気付かなかったけれど、合鴨農法に使われていた合鴨が一カ所に集められていた。昨夜のお隣さんの話によると、それらの鴨は食肉にされるとのことだ。があがあ鳴いて、しきりに餌を食べている。そんな姿もカメラに納めた。バス停まで行き、帰りは道を変えて途中の小学校に立ち寄り、校庭に入り込んで校舎に沿って並べられた一輪車や竹馬などを写す。ちょっと懐かしい情景である。早めに帰るのが、残念に思われてくる。


【06年8月26日】
携帯電話のバッテリーが駄目になってしまったので、買い換えることにする。携帯自体が随分古い型式で、バッテリーのみの交換が無理ということで買い換えることにした。携帯のアンテナショップで買い換えも出来るようなので出かけて行く。若い女の子が、てきぱきと応対してくれる。随分手慣れたものだな、と感心する。花型やハートマークのネイルアートの指先を、ちょっと観察したりもする。付け爪をしていながらも、随分器用に書類を書き、電話のボタンを押したりするものだ。我ながら「おっちゃん」であるな、と思う。
土曜日。午後から、京北町に知り合いの人たち数人と鮎を食べに行く。共通の友人の新居祝をかねての遠出である。鮎釣りのシーズンはすでに終了して、網を使っての鮎漁が行われているとのこと。すでに、人数分の鮎は確保した、とのメールもあり、楽しみである。
明日は、午後から「翔の会」があるので、早めに京都に帰って来なければならない。少々慌ただしい。
「翔の会」の準備で、資料を読み直している。読みながら、特に近年になって、なぜ俳句を素材にした小説を繰り返し書いておられるのだろうか、という点が気になる。型紙的な形式論・表現論的内容の文章はあるのだが、俳句についての包括的な論が岩城先生にはまだ無いように思う。その包括論に代わるものが、近年の数編の短編小説なのではないか、というのが竹中氏の「諸編は俳句論である」との意見に対するこちらの一方的な解釈なのだが。明日は、その辺りの事も話題となるようで、楽しみである。

【06年8月23日】
ミューズから、7月に歌った『創生記』の録音テープが届く。遅い夕食をとりながら、聴く。途中から、食事の手を止めて、聞き込んでしまう。こんな事を書けば、自画自賛めいてしまうけれど、自分たちが歌ったものでありながら、こんなに胸を打ち振るわせるような演奏は、今回が初めてだった。もちろん、色々な点で不十分な演奏であることは、意識の一方では割と冷静に聞き留めていながら、しかし全体として京響とソリストと合唱団がここまで三位一体になった演奏は、今回が初めてだったと思う。特に後半の盛り上がりから終曲の浄化された世界への移行は、とても良かった。聴きながら、自然と合唱に合わせて小さく歌っていたりしたものだ。『創生記』というオラトリオ自体が素晴らしい作である上に、今回はミューズが演奏者に微笑んでくれた、そんな感想を強く持った。今回、添付された聴衆の方達の感想文集も、いつもの倍くらいの分量であった。もちろん、厳しい意見もあったけれど、しかし多くの方達に感動していただけたようだ。そういえば、演奏終了時、京響のメンバーの方達が(文字通り)今までになく盛大な拍手を合唱団に送って下さったことも、強い印象として残っている。今回の演奏は、(ほとんど)初めて、京響から評価された、と実感できたものだ。ご飯を食べるのを中断して、とても幸福な気分に浸ることが出来た。・・・少々、興奮してしまったようだ。
残暑とは言え、連日京都は最高気温が34度に達している。暑い。ただ、日陰に入って、そこに風でも吹いてくると意外と涼しく感じられもする。今日は、大陸の乾燥した空気が入り込んできている、という事で、こんなちょっとちぐはぐな状態をもたらしたのだろうか。昨日は、午後猛烈な夕立が降ったりもしたのだが。
諏訪哲二著『オレ様化する子どもたち』を読了。『夜回り先生』として有名な水谷修氏を、「教師」ではなく「聖者」とする捉え方には驚くとともに、納得させられるものがあった。警察から「日本で最も死に近い教師」と水谷氏は呼ばれているらしい。文字通り自らの命をかけて、夜回りと子ども達の回復に自らのすべてを捧げている姿は、現代に生きる「聖者」の面影を彷彿とさせ、胸打たれるものがある。ただ、諏訪氏は、それは自己の死を担保とする水谷氏のみに許されたやり方とも規定するのだが。
茨木和生氏の句集『畳薦』を読了。作品の中には、現代の生活の中に息づいている、古くから続く生活や習慣、民俗的行事、習俗などが、大胆に細やかに、時にユーモラスに詠いとめられていて、読み終えて心豊かな思いになる。それは、懐古趣味的な感傷の気分の産物ではなくて、まさに今という時代を生きる一俳人が、自己の存在を現場に投じて現代人の感性で掬い上げ、今そこにある一つの風景を選りすぐられた言葉によって生き生きと一句に定着(それは流れゆく時の一切断面を瞬間として俳句という印画紙に焼き付け、ちょっと大袈裟に言えば永遠に転化させたもの。例えば、「流れゆく大根の葉の早さかな」の句において「流れゆく」ものは「早さ」という言葉によって、俳句内世界において「早さ」という状態に凝結され、一つの景として定着されてしまうように。もっともそれは、一度「早さ」に収束し、その事においてターニングポイントのようにその一点からさらなる読みの広がりをもたらしもするのだが。句集で言うと「剥がれたる鱗の浮ける蝮酒」の「鱗」とか「泡を吹く鍋野兎と知りおらず」の「泡」とか)させたものであり、その事が作品をよりリアルなものとし、陳腐さから遠く隔たったものになし得ているように思われる。

【06年8月20日】
昨日は、「帝国ホテル大阪」で「『運河』創刊五十周年記念祝賀会」が開かれ、出席した。総勢300名に近い参加者で、盛大な祝宴であった。主宰の茨木和生氏による開会の言葉並びに右城暮石氏への献杯で開宴となり、辻田克巳氏並びに宇多喜代子氏による来賓祝辞、さらに上原まりさんの「筑前琵琶」による『平家物語』の演奏と華やかに宴は進む。この機会に、久し振りに何人もの人達と再会し、大変楽しい時間を過ごした。常日頃、若干籠もり気味で非活動的な人間であってみれば、このような機会は大変ありがたい。予定を1時間近くも越えて終宴となり、バスで大阪駅へ向かわれる岩城先生一行と別れ、小雨の降る中を最寄りの駅へ。京都へ向かう電車の中で、祝賀会の記念に頂いた茨木氏の第八句集『畳薦』を読む。帯にある自選十句の中から、特に好きな句を引く。「巣立鳥巣を踏み抜いてゐたりけり」「力湧く土佐の元気な蛇見れば」「青空を飛び出して来て春の滝」「悪食の骨の強さよ岩魚酒」。生命に対する慈しみ、生命力に対する共感の深さも茨木俳句の魅力の一面かと思う。
さらに、一冊。邑書林の島田牙城氏がそのHPで、作業の進捗状況とその大変さを逐次書き込んでおられた『松瀬青々全句集』の下巻も併せて記念品としていただいた。これは、茨木氏が開会の言葉の中でも紹介されていたけれど、先師右城暮石氏から託された大きな仕事で、今回それが完成をみたのだった。これもゆっくり読んでいきたいと思う。
日曜日。模擬試験の監督で出勤。監督をしながら、教室の後ろで、諏訪哲二著『オレ様化する子どもたち』を読む。これは、一人の教師が今の子ども達をどのような存在としてとらえているのかが、かなり率直に書かれた本であると思う。異論・反論等多々生じそうだけれども。ただ、自分の実感としても、まわりの同僚たちの話を振り返ってみても、今の子ども達自身の置かれた状況を、教師の目で分析したものとしては注意しておいて良い一冊のように思われる。
2時過ぎ、退勤。ガス警報器の交換でガス会社の人が来ることになっているので、急いで帰る。残暑とは言え、本当に暑い。校舎の日陰に置かれた温度計が36度をさしている。この暑さは、本当にちょっとおかしいのではないか、とすら思う。帰宅後、甲子園の高校野球決勝戦を見ながら、作業員の来訪を待つ。延長15回。勝負がつかず、明日再試合となる。その体力・気力・精神力には、やはり胸打たれるものがある。

【06年8月3日】
日曜日の『醍醐会』は、大変面白かった。子規の「絶筆三句」に対する該博な知識を裏付けとした岩井さんの切り込みは、とてもユニークなものであった。参加者が皆、かなり自由に色々な角度から発言出来たのも、岩井仮説の懐の深さのせいかもしれない。司会役としても、議論を促す必要が全くなくて、大変有り難かった。時には、申し訳なかったけれどちょっと発言を遮って、別の方の発言を保証するというような事はあったけれども。
二次会の酒席では、『鼎座』の句について、辛口の意見をいただく。謹聴する。その後、清水さんと新幹線の時間まで、京都駅でちょっと飲む。さらに、その後、メールでお互い慰め?合う。確かに、問題点は多々あろうが、人間急には変われない、などと最後は開き直る。
京都駅で、軽くビールを飲みつつ、雑談をしている中で、今映画で話題になっている『日本沈没』の原作第2部が出ていることを清水さんから聞く。ビックリする。第1部が出てから、すでに30年以上が経過している。世界中に離散した日本人の運命を描く、との構想が喧伝されたものの、その後の長い空白期間の中で、もう第2部は書かれないものとすっかり諦めていたのだ。実は本文は、小松左京と谷甲州の共著となっていたので、純粋に第2部とは言い難い面があるかもしれないけれど、この壮大なシミュレーション小説においては、そんな事は小さな問題だ、などと思いつつ、帰りの書店でともかく購入。早速読み始める。上下二段組み、474頁。大変読みでがありそうだ。ともかく、読む。小松左京には、もう1冊壮大なSF小説が書き継がれないままに残っているはずだが、そちらの方はもう無理なのだろうか、とも思う。
夏期補習を終え、全総文の動員をこなし、2学期の授業の準備も一部出来、「桐」を使って進路資料を作る方法も大体身につけて、全体に仕事も一段落という状態となる。学校は、吹奏楽部の生徒が間近に迫ったコンクールの練習を繰り返している姿や、体育館で活動するクラブ員の姿を見かける位で、一般の生徒の姿はめっきり減った。校舎内は、ちょっと空虚な感じになっていて、いかにも「夏休み」という様子である。