日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
06.5「日々録」
06.6「日々録」
06.7「日々録」
06.8「日々録」
06.9「日々録」
【06年10月28日】
試験期間に入る。テストが前半に集中しているので、ここ三日間は、採点に集中する。延べ240名分の採点。ふと思いついて、何回くらい○×を付けるためにテスト用紙をめくるかを概算していみたら、三日間で一万回くらいになった。腕は疲れるし、背中の筋が張って、時折採点を中断して柔軟体操をしないと痛くて続けられない。疲れる。
金曜日、夕方採点終了。年のせいか、体力・気力ともにガタガタ状態(朝4時に起きて、ちょっと思いついたことを整理していたせいもあるか・・・・・・)。一度帰宅して、さて『第九』練習が控えているのだが、気持ちが変に萎えてしまって、行こうか休もうか、迷う。ともかく出かけてみようと思って、市内まで。練習後半になんとか間に合う。先週の土日が、京北町での合宿で、私は参加しなかったのだが、男性陣も結構参加したのではないか。先週に比べて、ハーモニーが綺麗になっているのに気付く。10時間くらい練習したらしいが、その成果がちゃんと出ている。その後、全体練習に移ったけれど、なかなか良い雰囲気になっているのに気付く。そのムードに巻き込まれるみたいにして、出かける前のちょっと鬱な気分が解消されたようだ。
練習後、京都駅まで歩く。夜空に京都タワーが綺麗だ。この景を見るために四条から歩いているようなものだ、と思う。烏丸塩小路の交差点北西角に、夜通るといつも一人のかなり高齢と思われるホームレスの人が、路上に直接蒲団をひいて毛布を被って横になっているのに出会う。今日は、通行人に背を向けるようにして、蒲団の上にぺたんと坐っている。なぜこんな処に、これから寒さに向かうのにと思いながら、私も信号が変わるのを機に、道路を横断していくばかりだ。
数ヶ月の遅刊の後、『鼎座』第7号が刷り上がった。本来、春号であるが、この時期にまでずれ込んでしまった。20冊くらいずつまとめて、近所のコンビニからメール便で発送する。ちょっと扱いが変わったらしく、少し厚めのものでも値段は同じ80円であった。
名村早智子さんから『玉梓』11・12号を送っていただく。主宰句を紹介します。「帰省子のはづす大きな腕時計」「燃ゆる火と思へず遠き大文字」、「父九十歳にて永眠」と詞書がある句より、「山の火蛾川の火蛾来る通夜の灯に」「冷やし瓜誰からとなく父のこと」「葛の花母がひとりで帰る道」
【06年10月22日】
土曜日、午後。『仰臥漫録』読了。『−漫録二』後半の方は、文章より作品中心。全体的に穏当で若干月並み風な句が多い。『曼珠沙華』という小説も読んでみる。ちょっと泉鏡花風の作品。構成とか展開とか、少し甘いかなと思う。『車上所見』というエッセイは面白かった。まだ病気がそんなに進んでいない時期、半日車を雇って近隣を逍遙する内容。周囲に対する子規の目が生き生きとしていて、読んでいてこちらも胸が弾むような思いになる。こんな時期もあったのだな、と『仰臥漫録』を読んだ後だけに、しみじみとした気持ちになる。
夕方、散歩を兼ねて買い物に行く。『鼎座』発送用の封筒とラベルの用紙。封筒は、A5版サイズで、近所の何店かで捜してみたのだが見つからず、やむなく以前行って大変不愉快な思いをした文具店に買いに行く。やっぱり感じが悪い。日の暮れた道をぶらぶら引き返す。涼しい。夜、BSで『フーテンの寅』さんを見る。『恋愛塾』、面白かったけれど、シリーズ中では並みの作かも。
11時過ぎ、就寝。8時前に起床。今日は、時代祭の日。夜は鞍馬の火祭である。大きな祭が二つ重なる日である。
【06年10月21日】
金曜日。急いで仕事を片づけて、ミューズのレッスンに行く。いつもの会場と違い、四条まで出なければならないのが、ちょっと面倒だ。大分遅れて、会場到着。男女別のパートレッスンにどうにか間に合う。練習室は満員状態で、暑い。ザックから扇子を取り出し、こっそり扇ぎながら練習に参加する。
歌は良い。唱っている間は、他の一切の事を忘れて集中出来るので、とても有り難い。何となく、元気が出ても来る。練習を終えて、京都駅まで歩くことにする。最近、京都タワーの姿が気に入っている。夜空にすっと立つ、ライトアップされた乳白色の塔は、なかなか綺麗だ。それを見上げながら、それに近づいていく過程を楽しんでいる気分になる。
土曜日。朝寝を楽しむ。7時前に起床し、洗濯をし、朝食を作る。良い天気である。洗濯物をベランダに干し終えて、一服を兼ねて珈琲を飲みつつ、『俳句研究』を少し読む。友岡子郷氏の文章を読む。頷く事の多い内容である。友岡氏の句作・文章はしっかり読もうと思う。高橋ムツオ氏の作と文章も面白かった。
11時からBS短歌会があるので、それまでの時間にちょっと走ってこようと思って、ジョギングに出る。最近は、両腕にウエイトを付けて歩いたり、走ったりしている。軽く汗をかくていどの走りかたで走る。同じように走っている中年の男女に何人かすれ違う。
(追加)つい先ほど、当マンション1階で出火。やたらに消防車のサイレンの音がするので、読書を中断してベランダへ出てみると、辺りが妙に焦げ臭い。やがて、消防車がやって来てマンションの前に停まるので、急いで1階まで降りる。火事は、近くで遊んでいた子ども達が発見したようで、小火程度で済んだようだ。それにしても、10年暮らしてきて初めての事。
【06年10月19日】
水曜日、夜。京都コンサートホールにダン・タイ・ソンのピアノを聴きに行く。先週の「第九」のレッスンの際、購入したもの。大ホールでのコンサートだったけれど、入りは6割くらいで、ちょっと意外な感じがした。ダン・タイ・ソンのピアノは素晴らしかった。音の粒がくっきりしていて、ショパンの難曲を実に叙情的に弾きこなしていた。世界レベルのプロの力量というものをつくづく感じた。機会があれば、是非また聴きに行きたいものだ。
今月末の醍醐会の準備として、正岡子規の『仰臥漫録』を読み直している。『漫録一』の最後、病状の悪化の中で、錯乱的状態に陥り、錐で胸を刺して自死を考える所は、あまりにも痛ましくて、読むのが辛かった。あの強靱な子規にして、このような惑乱状態に陥る程に追いつめられた、その肉体状況の凄まじさを思った。
『俳句研究』11月号は、「俳句研究賞」の発表号。受賞した作も、その他の候補作も面白かった。25日の角川『俳句』は、「角川俳句賞」の発表号。すでに受賞者は決定しているけれど、選考過程などが興味深い。
22日は、鞍馬の火祭。今、京都新聞夕刊で5回連続の「火祭」特集を掲載している。地元の人たちの火祭に対する強い思いや、観光化の波に晒される祭に対する率直な感想や危惧の念などが紹介されている。
【06年10月15日】
金曜日。第九のチケット販売の日。5時から集まって、クジ引きでチケット購入の順番を決める。百名超の人たちが集合し、エレベーター前の空間は人で一杯になる。会員全員にチケットが最低数枚は行き渡るように、一定枚数を超えた販売数になると、チケットの販売制限がかかり、一人4枚しか購入出来なくなる。酷なやり方だとは思うが、前回のチケット騒動の反省にたってのやり方なので、従うほかないと思う。ホール入り口の前に並んで、一人ずつくじを引く。集団がざわつき、係の人が「静かにして下さい。」とたしなめる。私のくじの番号は「41」。販売数によっては、微妙な位置という事になりそうだ。やがて、ホールが解放され、中でチケット申し込みの順番を待つ。40分ほど待って、やっと順番が来る。幸い、希望枚数購入がかなったので、一安心する。販売制限は、65番目の人から適応されたようだ。40人以上の人がそれに引っ掛かってしまったようだ。
早くやって来た関係で、声だしから参加する。ずっとのどの調子が良くないのだが、さすがに声が出やすくなる。レッスンは、8時過ぎに切り上げて帰る。帰り際、来週の水曜日にあるダン・タイ・ソンのピアノコンサートのチケットを購入する。入りがちょっと悪いらしい。
土曜日。「すき句会」の日。作品は、作りためておいたものがあったので、それを準備する。車中では、発売間もない『のだめカンタービレ』(漫画である。テレビドラマにもなるらしい。竹中直人はちょっとやめて欲しいと思うのだが・・・・・・。)を読む。昨日の帰り、行き付けの本屋の主人から、「入ってますよ。」と声を掛けられ、購入したもの。面白い。
今日も、丹後の方に犬のビッキーが連れて来られていた。夏の時に比べると、ずいぶん落ち着いて、その分元気になっているように思った。句会のメンバーの中に犬が苦手な人がおられるので、今日は六畳の間に入れられてあった。中に入って、しばらく遊ぶ。ちょっと甘えんぼなところがあるように思う。この日の席題は、「萱刈り」。岩城先生の丹後のお宅の敷地内に萱が見事に茂っていたのが、今日行ってみると綺麗に刈られていた。その事に引っかけての出題。ビッキーのおかげもあって、席題は岩城先生の選に入る。「犬」の句を作ったのである。
句会を終えて、いつものように水野さんご夫妻を交え、しばらく雑談。奥さんが今月号の『俳句研究』を持って来られて、「俳句研究賞」について話す。醍醐会の弥榮さんや、『Quatre』の杉浦圭祐さんが予選を通過しておられた。頑張っておられるな、と思う。水野さんに駅まで送っていただいて、電車に乗る。車中では、岩城先生からいただいた三省堂『現代俳句大事典』をあちらこちら拾い読みする。作家紹介が充実しているようだ。
【06年10月9日】
日曜日。昼過ぎまでクラブ当番。1・2年10名足らずの少人数クラブになったけれど、こじんまりとなった分、逆にクラブらしいまとまりが生まれたようだ。午後、帰宅。『鼎座』用の作品を書く。第7号用に書いていた作と入れ替える。これで、一応ページ数を変えないで発行出来るようになったので、この形で今号は出すことにする。『後記』を書く。何か、訳の分からない内容になってしまい困惑。とりあえず、清水さんに点検・確認のメールを送ったら、『後記』を添付し忘れていた。全く迂闊である。夜になって、甥が到着。二人でだらだらと夜を過ごす。こういうのは、結構楽しい。カナダにオーロラを見に行きたいと話すと、一緒に連れていってくれ、という。もちろん旅費はこちら持ちで、という事で。ネットで検索すると、幾つか情報が手に入る。行けたらいいな、などと話す。
月曜日。甥は10時前に大阪へ。こちらは、演劇コンクールに本校演劇部が出場するので、それを見に行く。観客は思った以上に少なくて、ちょっとがっかりする。本校からも、関係者と出演する生徒の担任の先生が見に来ている程度だった。以前は、もっと沢山の観客がいたように思うのだが。劇そのものは、本校伝統の高校生等身大オリジナル演劇。ただ、今回は病気と死が絡んでいる分、重い。私は知らなかったのだが、文化祭で上演したものを手直しした作品のようだ。部員数5人(内、4人が出演)で、よく50分の演劇を仕上げたもの、と感心する。
終演時間が、ちょうど昼前だったので、少し歩いてサラダの美味しい店に食べに行く。昼食後、あまりに良い天気なので、そのまま一人吟行。芭蕉句碑のある西岸寺、寺田屋、伏見港など2時間ばかり歩く。意外と日差しがきついのだけれど、涼しくて気持ち良い。3連休の最終日で、沢山の観光客がやって来ていた。
3時前に帰宅。今日は、この後中間テストの問題作り。楽あれば苦あり、というところか。
【06年10月7日】
金曜日。ミューズの「第九」レッスンに四条烏丸まで行く。今回の参加者は、とうとう300人を越えたらしい。西村効果は絶大だった、ということだろうか。練習はかなり進んでいて、全体のほぼ8割方を通しで練習している。男性合唱の部分も、すでにかなり様になっているようだ。9時前に練習は終了。そのまま、京都駅まで歩く。今日は、中秋の名月ということだが、生憎雲に隠れてその姿は見えない。駅に近づくにつれて、京都タワーが大きく聳えたって見える。もともと灯台をイメージした塔ということで、開けた場所ならどこからでも見える。ライトアップされた姿が、結構綺麗だと思う。
土曜日。最近、眠くて仕方なかったので、ゆっくり朝寝する。朝食後、隣の部屋へ回覧板を持って行くついでに、西の方を眺めると、虹が架かっていた。頂上部分が切れていて、やや扁平な姿だったけれど、結構鮮明で綺麗で、しばらく眺める。
自宅から電話あり。大阪でのレッスンの日程変更の関係で、甥が明日来ることになった。こちらは、クラブ当番で昼過ぎまで留守になるので、適当に来るように伝えておく。
富山太佳夫著『笑う大英帝国』読了。イギリス風の毒舌とユーモアの紹介。読んでいて、引用例に思わず笑ってしまう。本文で紹介されていた『ドン・カミッロの小さな世界』という小説は、是非一度読んでみたいと思った。引き続き、岩瀬彰著『「月給百円」サラリーマン』を読み始める。第二次大戦以前の日本の状況を、サラリーマンに焦点を絞って説明。ちょっと懐古的で回顧的な最近の流行の中で執筆された一冊か。でも、読んでみるとなかなか面白い。
岩城先生のところの愛犬ビッキーが、少し体調を崩しているらしい。先生も奥様も実家?の方に泊まり込んで、ビッキーの世話をしておられるらしい。犬好きの私としても、心配である。
【06年10月1日】
京都は、終日雨であった。清水寺へ行く予定だった甥の計画もお流れとなり、午前中は自宅でゆっくりして、昼食を三人で京都駅の伊勢丹で食べ、その後二人は新幹線で帰って行った。
駅ビル内の書店で、本を数冊買い込んで帰宅する。自分以外の人の気配の残る部屋というのは、少々物寂しいものだ。疲労を感じていたので、ベットにごろんと横になって買ってきた本を読んでいるうちに、眠り込んでしまった。目を覚ますと、5時過ぎになっていて、すっかり眠り込んで月曜日になってしまったのかと、一瞬内心混乱する。時間感覚の狂ったような感じは、嫌なものだ。
テレビをつけて、やっているのが朝の番組では無いことに気付いて、まだ日曜日の夕方であると思い至った。眠気の残る頭で夕食を作り、そのうちにだんだん目が覚めてきて、元気を回復する。
今ひとつ、冴えない十月の始まりの日の終わり方だった。