日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
06.8「日々録」
06.9「日々録」
06.10「日々録」
06.11「日々録」
06.12「日々録」
【07年1月31日】
今日で、一月も終わる。3年生は、今日が学年末考査の最終日。明日からは、自由登校となる。3年生が登校しなくなると、一つの棟が空っぽになるので、学校もずいぶん静かになることだろう。
今日も、一日忙しかった。授業を除いては、ずっと座席で仕事。同じような姿勢でいるので、腰や背中が痛くなる。3年生のテスト採点と提出物の整理・評価付け、2年の進路学習の資料と作業用シート作りと、授業の少テストの採点と提出物の整理と評価付けと。そこまで終えて、疲れて退勤。体が強ばっているような状態なので、思い切って遠くの方の駅まで歩くことにする。寒いけれど、体を動かすと気持ちも含めてちょっと楽になる。端っこが少し欠けた月が、中天に煌々と輝いていて、随分綺麗である。気分が良い。
明日は、随分と寒くなるらしい。ここ数日、朝の冷え込みは厳しくて、通勤途上の干拓地などは、一面霜で真っ白な状態だったりするのだが、明日は一番の寒さになるのかもしれない、と思う。
今日は、もう寝よう。少しだけ本を読んで。今、気が付いたのだが、カウンターが直っている。プロバイダーの方に昨夜、メールを送ったのだが、とても迅速な応対でちょっとビックリした。
【07年1月30日】
なぜか、ホームページのカウンターが壊れていた。48000近くあったカウントが「00009」となっている。カウンターは、よく壊れるとか聞いてはいたのだが、随分長い間正常に動いていたので、全く気にしなかったのだが。とりあえず、前回確認した数字をカウンターの横に書き込んでおく。それだけの方が拙いホームページを見に来て下さった証しなので、なんとか復旧出来れば、と思う。
大阪の古書肆で買ってきた高浜虚子の随筆『小諸雑記』、そして小説『虹』を読む。『小諸雑記』で語られた内容を小説化したものが『虹』の諸作品だった。そこに描かれる愛子さんと柏翠氏の姿が哀切だった。作家としての虚子の力量は、さほど高いものとは思われないけれど、『虹』の諸作は、特に愛子さんとその周辺の人々を描くとき、ぐっと胸に迫る内容を持っていた。以前から、両作品を読んでみたいと思っていたのだが、今回二つの作品を、しかも『小諸雑記』『虹』の順番で読んだのは、本当に良かったと思った。補足的に言えば、『虹』に比べ、『小諸雑記』の方は、本当に日常の片々たる事実の紹介風な体裁となっていたのだが、読んでいくと何となく虚子の地のようなものがふっと感じられて、それはそれで面白かったものだ。中に書きとどめられた諸句会の作品記録も、それぞれの句会の参加者の有り様や句会の雰囲気まで伝えているようで、案外なほど面白かった。
今日は、ウインドウズ・ビスタの販売日。思わず買いに行こうかと思ったけれど、仕事が切迫していたため、やむなく中止。ともかく、仕事をこなす。疲れて、帰宅。風呂に入り、鰈の煮付け、いかなご、刺身の魚づくしの夕食をとる。一息ついて、とりあえず『日々録』を書こうとして、ホームページのカウンターが壊れているのに気が付いた次第である。あるいは、いたずらに遭ったのかとも思い、ホームページ内の別のページを確かめてみたが、特に異常はなかったので、その点は安心する。ともかく、ネット上には本当に悪趣味な人種が存在することは確かなので、気を付けるにこしたことはない。
高野素十『句集初鴉』を読み始める、有名な「甘草の芽のとびとびのひとならび」の句を収める句集。
【07年1月28日】
土曜日、午後。大阪へ。きっと、大阪市内あちらこちらに古書肆はあるのだろうが、地理不案内のため、行くのはいつも阪急三番街の中の「古本の町」。掘り出し物を見つける可能性はないだろうけれど、俳句関係の本もちゃんと取り扱っている店があり、定期的に入れ替え状態を確認に行くだけでも意味はあるかも、と思う。ネットで大阪の古書肆を検索すれば、随分情報は入手できるのだろうけれど。今回も、何冊も欲しい本があったけれど、さすがに高くて手が出なかったものが多かった。特に、著名俳人で作者の署名入り・初版本は、万から数万単位の価格で、無理。作品自体は、もう少し安価でまとめて読める全句集とかあったりするので、そちらで我慢しようと諦める。ただ、どんな署名なのか、との興味はあったので、一々手にとっては中を確かめて見る。こんな「手」なのかと、感心して見る。中には、著名俳人が阿波野青畝に献呈した本が、書棚に置かれてあるのを見つけたりもした。別の一軒では、俳句関係の本が、一つの本棚を埋めて置かれてあるのを見つけて、びっくりしたりもした。前に来たときはそれはなかったので、数冊購入した際、店の主人に尋ねると、最近俳句関係の人からまとめて購入したとのこと。その方に何かあったのか、などと想像する。蔵書から、あるいは元『天狼』関係の方で、俳人協会の会員の方か、などと勝手に考えたりもする。結局、ザック一杯分、本を購入して帰る。俳句関係は、田村木國『山行』、高濱虚子『小諸雑記』『虹』、高野素十『句集初鴉』、平畑静塔『天狼の古典』、俳人協会版『俳句を語る』、岸田稚魚『萩供養』などであった。
そのあと、重たいザックを担いで、大阪駅前の「ヨドバシカメラ」へ行く。念のために、パソコンの価格を確かめるため。広大な売り場をまわって、性能やら値段やらを確認するが、どうやらソフマップの方が条件・価格共に優っているので、当初の予定通りとする。念のため、予約をして置いた方が早く手に入るかもしれない、とも思う。
大阪への往復の車中では、島根県安来市の俳人、麦谷碧風氏の第一句集『行雲』を読む。仕事を定年後、俳句を始められて、その後20年ほどの句業を500句にまとめられたもの。ゆったりと穏やかな句柄が大人の風格を感じさせ、包まれるような豊かな俳句世界が詠い込まれてある。このようにして俳句と味わい深く関わっていくことも、人生の醍醐味のひとつなのだろう、と思われてくる句集である。集中、「大山」を詠った句から。「年迎ふ僧兵太鼓の火明りに(劈頭の一句)」「のぼり来て秀嶺指呼に遅桜」「芽吹きつつ山毛欅原林の翳深し」「山毛欅の谷細雨こもりてほととぎす」「闇を縫ふ炬火つらなりて山開」「山霧晴れ豁然とある青嶺かな」
夜、7、8年ぶりに近所へパチンコに行く。一時期、かなりパチンコに入れ込んだ時があって、それ以来たまに出かけていたのだが、ここ数年ぱたっと行かなくなっていたのだが、ふっと気まぐれで出かけてみたのだ。行かなくなった理由の一つは、店内に籠もった煙草の煙で気分が悪くなったことがあったのだが、空気の悪さは相変わらずだった。ちょっと遊んで帰るつもりだったのだが、何故かパチンコは初めて入ったり、久し振りに行くと「勝つ」という法則?があって、今回も随分勝ってしまった。これで「壺にはまって」入り浸り、痛い目に遭うと言う事もあるのだ、などと冷静に考えている自分がいた。これも、過去の苦い経験の賜物であろう、と思う。
BS11の映画『フーテンの寅』さんは、今夜が第48作。シリーズ最後の作品だった。映画の最後に「終」の大きな文字がでた時、本当にこれで終わりなのだと思ったときは、やはり哀しかった。映画の中でも、寅さんの衰えははっきりと見て取れて、笑いながらも痛ましかった。「フーテンの寅」さんは、私にとっては映画以上の映画だった、と思う。シリーズ最後に、寅さんの帰る場所が、葛飾柴又の団子屋「とら屋」だけでなく、歌手リリーさんの元という新たな場所をも得たことを幸いとしたいと思う。もっとも、またそこを出て、震災後の復興に向かう神戸の街に姿を見せるのだけれど。その終わり方も、とても良かったと思う。放映が終わり、ゲストに登場した山田洋次監督に元出演者の佐藤我次郎さんが、文芸作品だけじゃなく、あらたに喜劇を撮りましょうと呼びかけた時、とても複雑な表情をした監督の様子が印象に残った。こんなに貧しく荒んだ時代の中で、山田洋次監督の喜劇は是非見てみたい気もするけれど、しかしもう喜劇は封印されても良いかも(余計なお世話だけれども)、とも思った。山田監督には、「天才(これは、監督自身の言葉だったけれど)渥美清」氏との「フーテンの寅」48作という大切な宝があるのだから。それを越え、今の時代に響くような新たな喜劇を期待したいけれども、それを実現出来るような役者が果たしているのだろうかと思うと、望みはとても薄い。
【07年1月27日】
いつもの通り、夜中に目を覚まし、何気なくテレビをつけると、ちょうど何かの映画が始まったばかりのようで、眠くなるまでというつもりで見ていたら、面白くてとうとう最後まで見てしまった。気が付くと、5時過ぎだった。内容は、アイルランドの貧しい一家の物語で、その家の長男を主人公にしての、小説で言えばビルディングスロマン、少年の成長物語というもの。それだけで言えば、よくありがちな話のようだけれど、貧民層の人々の生活と、少年とその家族の姿が随分とリアルで、生々しいのにどこか詩情が保たれていて、随分長い映画だったのについつい最後まで見てしまうことになった。
その後、一眠りして、7時過ぎの目を覚まし、洗濯をしたり、朝食(昨夜のうちに作っておいたカレーライス)を摂ったりしながらも、昨夜(今朝・・・・・・?)の映画が気になって、昨日の新聞で調べてみたら、「アンジェラの灰」という作品であった。どこかで聞いた名前だと思いながら、ネットで検索してみたら、随分有名な小説の映画化であった。小説自治は二部構成で、映画はその前半を材としたものらしい。私の見た洋画ベスト10の中に入る1作であった。幸運な出会いであった。
土曜日、午前中。やはり、夜更かしのせいで、頭がぼんやりしていて、今ひとつ調子が出ない。仕方ないので、図書館から借りてきた『三国志』(ただし、マンガ版。「鉄人8号」で有名な横山光輝作画)を読む。これが、なかなか面白い。一度読み始めると止まらない、そんなシリーズの1作である。マンガ『三国志』は、結構分厚い本(2センチはあるか)で、それが全十数巻に渡っている。今読んでいるのは第3巻で、これもすぐに読み終えてしまいそうだ。
午後からは、大阪に。古本屋を何軒かまわってこようかと、思う。
【07年1月26日】
1年生は、校外体験学習。2年生は研修旅行。3年生は学年末考査。と言うことで、午後から学校は空っぽ状態となる。そこで、2時間ほど年休を取って、京都市内に用事を済ませに出る。京都駅前に用事があったのだが、少し時間に余裕があったので、一駅前で下車して、東寺の方をぐるりと廻って歩いて行くことにする。金堂や講堂、五重の塔は、800円ほど拝観料を払わなければ側に行けないので、それはやめにして、鉄柵の外をぐるりとまわりながら、見学をする。いつもは、近鉄車中から遠望する五重の塔なのだが、近くで見ると、すっきりとした姿に重厚さが加わってなかなか良い。ずっと昔、「油照東寺の塔の真黒に」という句を角川『俳句』の雑詠欄に投句したら、特選に取っていただいた事があった。東寺の塔の黒々とした姿は、本当に印象的だ。
1時間ほどで用事は終わり、市内まで出て来たついでに駅地下で珈琲豆を買って帰る。奮発して、50%ブルマンブレンドというのを買う。試飲させて貰えるので、小さな紙コップで飲ませてもらうが、ブラックでも美味しい。珈琲を買ったついでに、ちょっと足を延ばして、移転なった「ソフマップ」に様子を見に行く。駅裏のビル「アバンティ」の5階ワンフロア全部が「ソフマップ」の店舗となっていた。ざっと店内を歩いて、そのあと次に買うパソコンの候補機をいくつか物色して、良いのを一台見つけたので、それを購入する心づもりをする。その後、近鉄電車に乗って帰るが、駅構内を抜けた辺りで、今耐震偽装疑惑で問題になっているホテルが間近に眺められた。客室一室にだけ灯りがともっていた。誰か、泊まっていたのだろうか。もう一つのホテルの方では、客の求めに応じたのか、無料で泊まらせた様なことを夜のニュースで流していたけれども。
【07年1月25日】
『タイムマシンの作り方』という本を読む。マシンの実物を作り上げる事は、幾つもの「超」もの凄く高いハードルがあるので、今の技術では全く不可能と言って良いらしいが、理屈の上からは、いくつもの実現の方法があるという。光速に近い速度で走る乗り物を使うことから始まり、ブラックホール・ホワイトホール・ワームホール、さらには「宇宙ひも」なる宇宙空間に延々と伸びる「紐」の利用まで、色々とあるらしい。別に、時間旅行をして、過去や未来へ行きたいとの願望を抱いているわけではないが、SFの世界での出来事としか思われないことが、科学の世界において理論上可能であるという点が何とも面白い。「事実は小説より奇なり」というわけでもあるまいが、非科学的=科学的という構図が、楽しい。
昼、校門で立ち番をしながら、小グランドで野球のようなゲームに興じている何人かの生徒達の姿を眺める。毎週1回の昼の立ち番の時、同じメンバーがいつも同じゲームをやっている。皆、3年生で、中には授業で教えている子も混じっている。狭いグランドで3対3程の少人数での対戦。投げた球を打ち返し、柵越えは1点、フライを捕球すればアウト、ゴロの場合は球を拾い上げた地点からワンバウンド以内で本塁に投げ返し、それを捕球すればアウト。四球やスリーストライクもあるようで、3アウトで交代のようだ。塁は、本塁だけでバッターは走者にはならない。横の体育館の屋根に打ち上げたら、即攻守交代のようだ。この1年間、立ち番をしながら、眺めるともなく眺めているうちに、そんなルールも見えてきた。最初は何が面白いのかと思っていたのが、限られた条件の中でそれなりのルールを自分たちで作り出し、プレーしている姿を見ているうちに、次第に楽しそうに思えてきた。暢気と言えば暢気、長閑と言えば長閑な情景である。ただ、この1年間、毎日ここで疑似野球に興じたことは、彼らにとってはきっと高校時代の楽しい思い出の一つとして、彼らの中に残ることだろうと思う。索漠たる事の多い日常の中で、それはそれで、意外と幸せで良いことではあるまいかと思ったものだ。「たわいのないことは良いことだ」と詠った詩人のそんな一節を思い出したりもした。
昨夜は、久し振りに寝酒を飲む。普段は、平日の晩酌などまるでしなくなっていたのだが、たまに少しお酒を飲みたいと思う時がある。昨日は、そんな夜だったのだろう。ベットに腰掛けて、『寺山修司ワンダーランド』の読み残していた所を読みながら、オンザロックで焼酎をコップ半分ほど飲む。読み終えて、そのまま寝るつもりが、逆に何となく目が冴えてしまって、仕方なく『鼎座』第8号の書きあぐねている短編の続きを書く。あるカウンセラーの人から聞いた話を元にした作品。妙なお話になってしまい、どう話を切り上げるのか、まだ目処の付かないまま続きを書く。気が付くと、12時をまわっていたので、仕方なく中断する。お酒の軽い酔いが残っているので、このまま朝まで眠れるか、とも期待したのだが、やはり3時くらいに目を覚ます。
空き時間に、東洋大学が毎年発刊している『現代学生百人一首』を読む。東洋大学の募集に応じた中・高・大学生の短歌の小アンソロジーである。わずか百首なので、すぐに読み終えてしまったが、作品はなかなか良かった。素直で率直で、そしてちょっとぐさりときたり、ほのぼのさせられたり、しんみりしたり、かなり深く胸揺さぶられたりと、色々な反応を自分なりに経験させられた。なかなか良かった。京都からは、私学から一名一首が選ばれてあった。小さな心の疼きを繊細に詠った良い作であった。短歌も良いな、と思ったものだ。
【07年1月23日】
「日にち薬」とは、本当に適切な言葉だな、と思う。2週間近く痛みの続いた例の「ギックリ腰」も、時の治癒力には勝てず、どうやら先が見えてきたようだ。ほぼ回復。痛みもほとんどない。今日は、病院に薬を取りに行く日だったが、二駅分をわざわざ大回りして歩く。天気が良い分、寒い。1時間待ちで、問診3分どころか、1分で終わり。処方箋をありがたく頂いて帰る。
日曜日、午後。いずれパソコンを買い換えようと思って、その下見のつもりで京都駅前の「ソフマップギガショップ」へ出かける。ところが、店舗がない。老舗の百貨店の一角に店を構えていたはずなのに、影も形もない。百貨店が、2月末日をもって閉店するので、「ソフマップ」はどうするのか、と思ってはいたのだが、早々に撤退していたのだった。事前にネットで確認をしておけば良かった、と後悔する(帰宅後、確かめてみたら、駅裏のデパートに移転することになっているらしい)。仕方がないので、階上の催し物会場で、骨董の「売り尽くしセール」をぶらぶら見物したり、階下の大型書店(閉店に伴ってここもどうなるのだろうか)で宇多喜代子氏の近著を探したり、立ち読みしたりして過ごす。
月曜日。テレビの占いは「最悪」であったが、そのせいか、今ひとつ冴えない一日であった。夜、古本屋で見つけた『寺山修司ワンダーランド』を読む。岡井隆と阿部完市の対談を読む。論客タイプで論理的に話題を展開しようとする岡井氏と、寺山を借りつつ自分の事を語る詩人膚の阿部氏とのやりとりが面白かった。ベットに寝ころんで読んでいるうちに、寝込んでしまって、犬と猫が喋っている奇妙な夢を見て、目が覚めたりしたものだ。夜中に、また目を覚まし、仕方なくテレビをつけると、NHKで名曲紹介のような番組をやっていた。サティーのピアノ曲を、パリの街並みを画面に流しつつ紹介していたが、呟きのようなサティーの音楽が、真夜中という時間帯と相俟って、しんみりと寂しい情感をもたらした。ますます、眠れなくなってしまった。困った。
火曜日。2年生は、今日から研修旅行で沖縄へ。1年・3年がいるにもかかわらず、校内が随分ひっそりとしているような気がする。平穏な一日。夕方、病院へ行き、そのまま帰宅。帰りの車中で、『はじめての〈超ひも理論〉』読了。「超ひも」とは一体何なのか、最後まで分からなかったけれど、本文で語られる時間や宇宙の姿は面白い。特に、本書の最後で附録のようにして語られた宇宙が始まりと終わりを繰り返すという「サイクリック宇宙」の話が面白かった。まだ、仮説の段階だが、現在の宇宙は死と再生を繰り返した宇宙の50代目の姿だという。49代目の宇宙は30〜40億年の寿命で、その宇宙では「地球」は誕生しなかった。現世代になって、その寿命というのか時間的余裕が地球の誕生に繋がっているとか。さらに、第51代目の宇宙は誕生し得ないかもしれず、この宇宙はこのままゆっくり膨張しつつ徐々に冷えて、本当の意味での死滅を迎えるかもしれない、とか。あまりのスケールの大きさに呆然としつつも、ひどく好奇心をそそられる内容であった。面白かった。
【07年1月20日】
もういい加減、ぎっくり腰報告はやめよう・・・・・・。
土曜日。夜更かし癖がついたせいか、目を覚ますと7時過ぎだった。今日は、丹後の「すき句会」の日。8時過ぎには家を出なければならないので、急いで起床、朝食。NHK俳壇を少しだけ見て、駅へ。早めに着いて、いつもより1本早い電車に乗る。蟹シーズンなので、「はしだて1号」は込むかもしれないと思い、初めて指定席を買う。その分、時間に余裕が出来たので、お土産を買った後で、京都駅構内を句材を求めて少しぶらつく。有名な大階段を歩いてのぼり、屋上から京都の街並みを眺める。良い天気で、北山の向こうに雪を戴いた比良山系が眺められる。1句だけ、面白そうな句が出来る。
電車は、思ったほど込んではいなかった。車中では、いつも通り車窓から眺められる景を材料に句作。冬枯れの沿線風景は、寂しく侘びしく、しかししみじみと深い情感に溢れていた。でも、作ったのは、いわゆる「秘宝館」の句だったりしたのは、何たることか(この句は、後ほど岩城先生の選に入ったけれど)。20句ほど作り、少し疲れて、気分転換に駅で買ってきたパソコン関係の週刊誌を読む。福知山辺りまで来ると、遠くの山に雪が置かれてあるのが見える。丹後へ近づいた実感がある。遠くに覗く雪の三角錐は、舞鶴の向こうにある青葉山だろうか。宮福線に入り、周辺の枯はさらに深まる。遠くに、鉛色の由良川の眺めが時折望める。やがて、長いトンネルを越えると、丹後の宮津市に入る。行く手に、雪の丹後半島がゆったりと横たわっている。何度来ても、懐かしという思いがまず浮かぶ。宮津駅で一度進行方向を変えて、天橋立駅へ。乗客の多くはそこで降り、奥丹後方面へ向かう人は駅で待つ丹後ディスカバリに乗り換える。電車はすぐに出発し、間もなく車窓から間近に丹後半島と、その足下に鎮まる波静かな阿蘇の海が見える。宮津湾とは、冬でも緑濃い天橋立で区切られている。
20分足らずで、丹後大宮駅に着く。そこから句会場である岩城先生宅までは徒歩で30分足らず。昼食をとってもまだ少し時間に余裕があるので、付近をぶらぶらと歩く。1時から句会。席題は「山誉め」と「滑子」の二題であった。初句会ということもあり、話が盛り上がり、5時前まで。会員の方達が帰られた後、岩城先生、水野さん、私、そして、犬のビッキーでしばらく雑談。やがて、奥様が帰って来られ、それと入れ違いに水野さんの車で駅まで送っていただく。帰りの車中では、岩城先生からいただいたビールを飲み、『俳句研究』2月号の井上さんの『俳句月評』を読み、その後昨日買った『はじめての〈超ひも理論〉』を読んでいるうちに、ビールが効いたのか少しうとうとしてしまう。思いの外早く、京都に帰着という印象であった。
日曜日。今日は持ち帰り仕事を済まさねば、と思う。その前に、まずは洗濯から始まる。
【07年1月19日】
ここ数日、ぎっくり腰報告のようになっているけれど、まだ少し具合がよろしくない。坐っていると、腰から足辺りが強ばったようになって、立ち上がって動き出す時が少々辛い。かえって、歩き回っている方が楽である。ぎっくり腰は癖のようになっているのだが、今回はちょっと回復が遅い。
明日は、丹後の「すき句会」。今年の初句会である。岩城先生は、すでに丹後の方へ行っておられるようで、帰宅すると留守電が入っていた。今夕、進路部の有志が分掌主任のお宅へお邪魔する。鍋を囲みつつ、談笑。お酒も少し飲み、楽しい一刻を過ごす。私は、明日の事があるので早めに失礼する。帰り道、勤務校の前を通ると、まだ職員室に灯りがともっている。何となく申し訳ないな、と思いつつ、帰る。
時には、違った分野の本も読みたいと思って、川合光著『はじめての〈超ひも理論〉』を買って帰る。帰りの車中で少し読んでみるが、我々の宇宙がすでに50回も更新された後のものである、などと言う内容は仮説とは言えかなり驚きである。宇宙の起源とその終末を「超ひも」という「もの」によって考察していこうとするものらしい。ただ、その肝腎の「超ひも」というものが一体何なのか、それが理解出来ない・・・・・・。
眞鍋呉夫句集『定本雪女』読了。ある種の遊び心の感じられる作品。時事俳句風のものから、主情性の優ったものまで、随分守備範囲の広い作品群という印象がある。小説家であり、連句を嗜むという事が、同氏の俳句に自在で個性的な色合いをもたらしているように思われた。
【07年1月17日】
相変わらず、ぎっくり腰状態である。痛みは、昨日よりは薄れてきたけれど、立ち居の際、やっぱり痛い。かなわんなーと思う。風邪気もまだ抜けず、天気も午後から雨で、一日中仕事がたっぷり詰まっていて、もう開き直るしかないようだ。
開き直って、飴山實句集『辛酉小雪』読了。なんて、豊穣な世界なのか、と驚く。うっとおしい気分から解放されて、ちょっと幸福な気分になる。俳句を読んで、こんな良い気持ちになるのはあるいは初めてのことなのかもしれない。『醍醐会』の岩井英雅さんが心酔するのも、今は分かる気がする。孫引きになるけれど、この句集の解説を書かれた中田剛さんの文章中、飴山氏の定型観が端的に表明されたという「面と花」(『俳句研究』昭和五十年七月号所収)からの引用、「この定型という〈死んだ詩型〉に、『豊富きわまりない表情」を与える「驚くべき」作業が作者に残されているのが、定型詩である」という部分に深く共感する。その実践がここにある、という実感を句集を読み終えて感じる。まとまった形で飴山氏の作品を読んだのは、実は今回が初めてなのである。「うつくしきあぎととあへり能登時雨」とか、「小鳥死に枯野よく透く籠のこる」という飴山氏の有名な句は知っていたけれど、何故という理由が在るわけではなかったのだが、何となく今まで読むことを敬遠していたのである。これは、もう少し読んでみなければ、と思う。
全く話は変わるのだが、あの『のだめカンタービレ』のアニメ版が、関西では昨日(というより、今朝の2時15分)から始まった。ビデオは撮っておいたのだが、直接見るつもりはなかったけれど、偶然目が覚めて観ることとなる。実写版に比べ、より漫画に近い分(アニメだから当たり前だが)、面白いけれど「被り」が多くて、今ひとつという所であった。多くの場合、漫画の実写版はちゃちな出来で終わるのに、いかに実写版「のだめ」の出来が良かったか、という事を納得する。はまったテレビドラマなど、「チャングム」以来だったのだが。実写版のDVDが出たら、あるいは購入するかも、などと思ってしまう。ちょっと恐い。
「のだめ」をライブで見ることが出来たのも、最近眠りが浅いという事が理由としてあるのだが、下手をすると1時間毎に目が覚めるという有様なのだ。その間にちゃんと夢までみているので、あまり眠った気がしない。一時は9時を過ぎるともう眠くて、あっさり寝ていたものだが、少し夜更かしをするようになったら、今度はこの有様である。なんとも生活のバランスがとれていないような気がする。今日こそは、早く寝よう、ということなのである。その前に、『辛酉小雪』と一緒に邑書林から購入した眞鍋呉夫句集『定本雪女』をちょっとだけ読もうか、と思う。これが、良くないのかもしれないが・・・・・・。
【07年1月16日】
15日。大急ぎで仕事を終えて、月曜会の初句会並びに新年会に行く。昨年の、特に後半は全欠状態で、本当に意欲に欠けた会員であった。句会は、全没に近い有様で、これでは駄目だと、改めて反省する。新年会では、参加者が今年の抱負を一言ずつ発表する。私は、もちろん参加状況を改善することと、もう少し足下を見詰めた取り組みをしたい、と話す。
16日。どうにも軽い「ギックリ腰」状態が改善されない。立ったり、坐ったりする時が、なかなか辛い。仕事中も、結構立ったり座ったりが多いので、その都度、内心掛け声をかけて動いている。発熱で一日伏せっただけで、「ギックリ腰」というのは、どういうことか。運動不足なのだろうな、と思う。これも反省の一つ。
邑書林から、注文していた本が先日届いたので、読み始める。小川双々子句集『囁囁記』読了。難解、というわけではないのだが、何となくどこに読みの焦点を置いて良いかわからず、戸惑う。そして、「なぜ自転車がのこったか」と詞書風の短文の添えられた一連の作品中、「水かけても水かけても自転車は立てり」という一句の読みが、防空壕内での作者の父の死と壕の外に残された自転車という背景を解説で知った途端に氷解、さらにその前後の作品「火が飛来する一系の草ばかり」「平伏の火の父が見し蟻なるか」も得心、さらに「ありもせぬ稲田の夕日さがしをる」が痛切な鎮魂の句であることにも思い至る。それにしても、「だけどこの子は空襲で死んだ草」という一句が、一連の作の包括する世界を端的に詠っていることに気が付かなかった自分の読みの力の無さにうんざりする。
夜、母より電話あり。先日、受験を控えた姪っ子に送った北野天満宮のお守りが届いたことなど聞く。お年玉代わりに贈ったパソコンを使って、ワードパッドで日記を書き始めているとのこと。『一太郎』もインストールしてあるのだが、こっちの方が使い易いらしい。パソコンで日記をつけるのは、なかなか面白いとのこと。そのうちに、メールでのやりとりも出来るのではなかろうか、と思う。たまに、自分でネットを開いて、この「日々録」も読んでいるようだ。
【07年1月14日】
朝から曇天。それに呼応したのか、腰が痛い。一日伏せっていて、その余波かと思う。軽いぎっくり腰のような状態。少々、気が滅入る。
土曜午後、寺山修司の『寺山修司の俳句入門』読了。読み終えて、内容とは別にある懐かしい感情に包まれてしまった。ちょっときざったらしい言い方をすれば、「青春の気息」とでもいうものが、様々なエッセイ・評論・寸感等を隔てなく吹き通っているような感触を感じたのだ。それは、純情で傲慢で、ちょっと泥臭く、元気と衒気に満ち、深い知性と鋭い感性にあふれ、誇りと含羞とひたむきさの中で、しんと鎮もった世界の所在を感じさせるものだった。寺山修司に興味が無かったわけではないが(そう言えば高校時代に、『書を捨てよ、町へ出よう』他数冊の本を読んだ覚えはあるけれど)、今回本書を読んで、ちょっと寺山修司が好きになったようだ。
地元俳人というより、我が町の俳人ということで、一人紹介したい。『春郊』『白魚火』同人の内藤木綿子氏の句集『道連れ』。同氏の句作の特徴は、その題材である。『蟾』を重要な句材として、繰り返し繰り返し詠っておられることだ。元々は、実験用の『蟾』であったものが、氏の中で豊かな句材として生きてきたようである。同氏の言葉を引く。「私が蟇の句作に目標をたてたのは第一に、研究や、学生の実験実習に年間沢山の蟇が使用されている。その蟇への感謝と供養のためであること。第二には、歳時記にあつかわれている蟇は、冬眠でも、交尾でも、そのために鳴く恋もすべて夏季に入れられている矛盾を感じたからである。是正するのには俳句作家の目をさますより方法はないとひたすら句作に励み、句を発表することとした」とある。
「秋蚕食み蟇にも脂つきにけり」「凍てる手に蟇放尿の冷たさよ」「「年賀終へ蟇舎の地温計りけり」「実験の蟇を残して春休暇」「室暑し蟇はしばらく氷室へ」
昨日は、弟が指導する吹奏楽部の定期演奏会。年末年始もほとんど休みなし、土日も関係なしで練習を続けてきた成果の発表の場。電話で様子を聞くと、なかなか楽しい演奏会となったようだ。指導者にも生徒にも、本当に頭の下がる思いがする。寺山修司の中にも、そのようなひたむきさが生きていたように思う。
【07年1月12日】
体調が戻らず、授業等の指示をFAXで送って、昨日は一日休む。薬を飲んで、うつらうつらのうちに、一日が終わる。腰が痛くなる。薬の中に含まれる睡眠剤のせいか、断片的な夢を見続ける。旅中の夢が多い。
土曜日。まだ熱が引ききらず、体がだるい。外は良い天気である。体調が良ければ、どこかへ出かけたいような陽気だが、一日家に籠もることになるだろう。
「BS俳句王国」を見ている。ゲストの一人に対中いずみさんが出ておられる。月曜日の「空の会」の折、同席させていただいた。どんな句をつくられたのだろうか、と思う。本日の主宰は、坊城俊樹氏。飄々として、妙な味があって面白い人だな、と思う。「口吸ひの夢恐ろしや雪女」が主宰の句であった。いかにも、という感じである。「双眸の菫色なる雪女」が、対中氏の句であった。主宰含め3人選であった。
インターネットを光回線に変えようか、と思っている。ただ、そうすると、プロバイダーを変えなければならず、ホームページやメールアドレスの変更があり、ちょっと面倒だな、と思う。ただ、さすがにいつまでもISDNでもないな、とも思う。
【07年1月11日】
テレビの占いでは、今日は最高の一日になるはずなのに、授業の遅刻・欠席者がやたらと多いやら、席替えをしたばかりで、浮ついて騒がしい授業を押さえ込むのに普段の倍ものエネルギーを使ったりで、こんなはずでは無い、と思っていたら、どうも体調の方までも妙な具合になってきた。保健室に行って体温を測ると、思った通り熱がある。ともかく、放課後の掃除監督までは終えて、年休を取って帰宅する。振り返ってみると、昨夜の夢見から変であった。奇妙な夢をみて、なんともすっきりしない寝覚めであったのも、すでにその時から調子は良くなかったのかもしれない。
帰途、風邪薬を買い、帰宅後はすぐ横になる。2時間ほど横になっているとかなり楽になる。簡単な夕食をとり、薬を飲んで、今日は宅配の荷物が届く事になっているので、それが届くまでは起きていなくてはならないため、宅急便待ちで『日々録』を書いている。
地元俳人の句集、昨夜は臼田亜浪門で俳誌『地帯』の編集同人である森田廣氏の句集『朱穹』を読む。句集は「遠国」「淡虹」「幻炎」「碓声」「魚笛」「朱穹」の六部構成だが、たとえば「遠国」は父母を含む親族を、「淡虹」は少女を、「幻炎」は雪女を主題として詠う、という様な内容になっている。「春の海たまゆら母の腋にほふ」「雲かげの少女にやどり夏きたる」「雪女に踏まれ熱もつ足の甲」。不思議な味わいの世界を詠っている。先日読んだ、『夏爐』の俳人足立堂村氏の句集『潮騒』も、「花鳥諷詠一筋」と本人が言われるように、風土に根ざした生活と自然の諷詠が印象深く、何故か懐かしい句集であった。句集最初と最後の三句を引く。「大山を神と仰ぎて年迎ふ」「町の上にどかと大山年新た」「初日待つ浜の焚に加はりて」。「色替へて寒がる烏賊を糶落し」「寒雲や沖にかかりし避難船」「干鰈の影が障子に枯木宿」。
【07年1月10日】
月曜日、午後。大阪へ。「空の会」の小林千史句集『風招』を読む会への参加を許されて、出かける。参加者は11名。『風土』の南うみおさんをレポーターとして、『風招』と千史俳句について、集中的に話し合う。
散会後、一人別れて「俳人協会関西支部」の新年会に初めて参加する。天王寺の都ホテルを会場にして、開催。150名ほどの参加者であった。『参』の川勝さんや神原さんと久し振りに出会い、歓談。「月曜会」のメンバーや、『運河』の会員の方、『燕巣』の羽田主宰ともお会いする(考えてみれば、どの方にも不義理を繰り返してきたものだ、と思う)。
火曜日、三学期が始まる。とたんに忙しくなる。水曜日。さらに忙しくなる。
『無言館へいらっしゃい』読了。筆者は、水上勉を父に持つ窪島誠一郎氏。『無言館』とは、戦没画学生の作品を収蔵した小さな美術館のことだ。長野県上田市にある。本自体は、学生を対象とした読みやすいものだが、内容は重い。数名の戦没画学生の作品も紹介されてあったが、思わず見入ってしまう。機会があれば、一度行ってみたいものだ。
郷里の俳人の句集も少しずつ読んでいこうと思っている。昨夜、読み終えたのは、光木正之句集『露曼荼羅』。光木氏は『鶴』同人の方。「父三句」と詞書の付された「膝がしら凍てつく幾夜つづきけり」「なきがらの父を埋むる凍土かな」「合掌や十方かこむ夕吹雪」の句で始まる。しみじみした味わいの句が多いように思う。句集名となったのは「草の実の露曼荼羅の鼓笛隊」の一句である。
【07年1月8日】
京都は朝から曇天である。幸い、雨は降っていない。今日は、午後から大阪の方に出かける用事があるので、このまま天気が保ってくれればありがたい。
荒天の中、帰京。平野部では雪を見なかったが、山間部に入ると、すぐに雪景色となる。電車は寒々とした日野川に沿い上り、中国山地を縦断し、高梁川を左右に見ながら下る。車中では、車窓の雪景色を眺めたり、岩城先生の処女句集である『負債感』を読む。高校時代から大学、そして新任教師として丹後に赴任した時期の作をまとめられたもの。すでに学生時代からこのように完成された句作をものしておられたのかと、感心する。そして、この地点から3冊の句集を経て、『冬焉』の世界へと歩いてこられたその過程の事を改めて思う。最初の数句を順番に紹介しておきたい。「水巴忌の窓うつくしくくれにけり」「風そよぐ秋の田の穂の皆重く」「月明りカンナの巻葉とがりけり」「耕作機ひびく刈田に霧ゆるむ」「朝ごこち乱さずをれば冬の鵙」「草枯の地を響かせて貨車長し」
その後、駅で待つ時間に構内の書店で見つけた、寺山修司の『寺山修司の俳句入門』を少し読む。文庫本で、このように纏まった形で寺山修司の俳句関係の文章が読めるのはありがたい。ちょっと気取って才走った文章が、いかにも寺山修司らしい。俳句の定型詩としての機能と意味、詩性の追究、俳句における「写生」や「私」の問題、俳壇と俳人に対する批判・提言等、読んでいて刺激的で面白い。
帰宅後、年賀状などの郵便物の整理。担任をしていて、卒業後も連絡を取っていた子が結婚したとの賀状が、綺麗な花嫁姿の写真とともに届いていた。久し振りのクラス会を計画しているらしいとの内容の賀状もあった。宅急便も来ていた。遅刊とのことだったが、『里』2006年12月号も届く。谷口智行氏から同人誌『湖心』、対中いずみさんから第一句集『冬菫』を贈っていただく。『冬菫』は、4月の「醍醐会」で、旧「草苑」会員の吉田啓郷氏の『春蝉抄』とともに取り上げられるとのこと。楽しみである。月曜会の新年句会、大学時代の同好会のOB・OG会の案内状なども届いていた。さて、今年はどんな年になることだろうか。
夜は、小林千史さんの句集『風招』を読み直す。本日の午後の集まりで話題とされる。読み直してみて、これまでの成果と今後の方向性が混在した句集との印象を改めて持つ。鋭敏な感性と知性に裏付けられた手堅い写生句から、俳句様式に対する挑戦的な、それゆえにやや難解で主観性の強い作に至るまでの、小林氏の現在までの営為が鳥瞰的に眺め渡せる一冊である。そう言えば、昨日の郵便物の中にあった『俳句文学館』新聞の「俳人協会新人賞候補19編」の一冊に『風招』があったことを思い出す。