日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
06.10「日々録」
06.11「日々録」
06.12「日々録」
07.1「日々録」
07.2「日々録」
【07年3月31日】
朝から高曇りの日。午後から、天気はくずれてくるらしい。体調は、どうやら回復。朝ご飯をおいしく食べる。三日間寝込んでいたため、いつもより洗濯物の量が少ない。洗い終えて、とりあえずベランダに干しておく。時折、薄い日射しがさしてくる。
寝込んだ三日間は、薬のせいもあり、ぼやぼやと眠ったり、目を覚ましているときは、寝たままの不自然な格好でちょっと本を読んだりもしていた。ただごとに近い自然体が魅力的な『句集 山の影』飯田龍太著、京都を拠点にする結社「氷室」主宰の金久美智子氏の『句集 朱鷺色』、結社「春野」副主宰のながさく清江氏の『蒲公英』を読む。金久氏の作は、情感豊かで素直な句作りに共感を覚えたけれど、表現・内容ともに私にはちょっと物足りなく思われた。ながさく氏の諸作は、季語の斡旋の巧さに感心した。慶大俳句からスタートされた方のせいか、句姿にちょっと知的な色合いが感じられて、それが嫌みではなくシャープな味わいをもたらしている点も面白かった。句集なら、伏せった状態でも、すこしずつ読めるので良い。
「西川徹郎文学館」というところから、句集を送っていただいた。北海道旭川に「西川徹郎文学館」を開館され、その記念事業として第一句集『無灯艦隊』を復刻され、その一冊を送っていただいたようだ。旭川といえば、俳句を始めた頃所属していた結社の主催者の方が拠点としておられた町であり、北海道旅行をした折、通過した町でもあった。ただ、西川氏とは全く面識がないので、こんな私にまで句集を送ってくださった事は大変ありがたかった。句集『無灯艦隊』は、これはちょっと衝撃的な一冊であった。作者を紹介した文章によると、西川氏は北海道に生まれ、高校生で俳壇に登場、「氷原帯」新人賞を受賞(「氷原帯」は新興俳句の細谷源二が創刊した「北方俳句人」を受け継ぐものだそうだ)、細谷源二に「天才詩人」と高く称揚された人物とのこと。実際にその作品を読んでみると、その紡ぎ出す世界は若々しい言葉のきらめきに満ちているように思われる。鋭い感性と豊かな情感がない交ぜになった、混沌を内に孕んだ難解だけれど刺激的な作品であった。たまたま、小川双々子の『囁囁記』も少し読んでいたのだが、そちらが老練さのもたらす難解性であるとするなら、西川氏は生命の持つ原初的なエネルギーが弾けだした結果としての難解さという風な印象を持った。面白い句集だけれど、読み通すにはこちらにもずいぶんエネルギーを必要とする句集であるとも思う。
久しぶりに、『参』のページを更新する。「X氏に聞く会」の第6回「清水貴久彦さんに聞く会」の投句作品と第7回「片山由美子さんに聞く会」の投句作品。indexのページにリンクが張ってありますので、よろしければご覧下さい。また、岩城先生の師である桂樟蹊子先生の「七回忌追善句会」の投句作品も現在準備中です。
【07年3月30日】
結局、三日間寝込む。春の風邪という事だろうか。今日は、辞令交付の日であり、また赴任先に荷物を運び込んでおかなくてはならないので、ともかく出勤する。すでに荷造りは終わっているので、タクシーを呼んで、荷物を積み込んで、と考えていると、同僚の人が、午後なら荷を運んでくれるというので、親切に甘えることにする。寝込む前に作ってあった資料に、その後のデータを加える必要が生じて、その結果ほとんど資料全体の見直しと一部データの再計算と書き直し作業をすることになる。それが、午前中の仕事となる。昼食は、美味しいことで有名なうどん屋に連れて行ってもらう。近鉄城陽駅から徒歩で15分くらいのところにある小さな店で、少し細めの手打ちうどんが大変おいしい店である。ちょうど時分時で、店舗の方は満席なので、それに隣る居間を解放して、そこに炬燵を三つほど置いてテーブル代わりとして、客を入れている。
昼食を終え、職場に帰る。転勤をする人たちと辞令を受け取ってから、荷物の運び出しを行う。玄関まで荷物を下ろし、靴を履き替えて、脱いだばかりの校内履きを荷物に加える。同僚の車に荷物を積んでもらい、車内に乗り込んで、これで一区切りだな、と思う。前庭の桜がちらちらと咲き始めている夕景を見納めとして出発する。10年という時間は、やはり長かったなと思う。
赴任先に荷物を置き、そのまま帰宅する。まだ微熱が残っているせいか、体がだるい。今日は、ミューズのレッスンの日だけれど、夜はちょっと無理かなと思う。
小林信彦の短編集『侵入者』を読了。「悲しい色やねん」「みずすましの街」の二つが大変面白かった。前者は映画の原作、後者はその作で直木賞の候補になったというもの。特に、「みずすましの街」は、小林版「男はつらいよ」的な内容の作品。『和菓子屋の息子』で描かれた下町の世界が直接生かされた作品でもあった。
【07年3月28日】
春風邪をひいたのだろうか、昨日から発熱で寝込む。離任式も欠席し、離任の挨拶は、短い挨拶文をFAXで送る。
『鼎座』の発送作業も一時中断。環境が変わる中で、やはりどこかでちょっと無理をしていたのだろうか、と思う。
朝食をとって、このまま休む。欠勤の届けもFAXで送る。一日寝ていれば、何とかなるだろうと思う。
【07年3月24日】
午前中は、現任校で仕事。午後は、赴任先で会議に二つ参加。その後、現任校に戻って仕事を続ける。ほぼ、仕事は終了。明日、念のためもう一度内容をチェックして、そして仕事納めとなる。
赴任先に送れない荷物について、自宅に持って帰ることにする。中には、まだまだ使えるワードプロセッサーも含まれる。ずいぶん重宝したのだが、途中からパソコンを使うようになって、机の下の方に置きっぱなし状態だったのだ。試しに起動してみると、最後に作っていた掃除の当番表が画面にきれいに映し出された。こんなものを作っていたのだ、とちょっと感慨にひたる。手荷物で持ち帰るには少し量があるので、タクシーを使うことにする。話し好きの運転手さんらしくて、走行の間中、観光タクシーの話を聞く。結構話題が豊富で面白くて、こちらからもいろいろ質問をしたりする。
『鼎座』第八号が刷り上がる。やっと出来た、との思い。早速、発送作業にかからなければ、と思う。今号は、特別作品の分だけ、ボリュームがアップしているのだ(と言っても4ページではあるが)。
小林信彦著『和菓子屋の息子』読了。「ある自伝的試み」とサブタイトルがある。祖父の残した詳細な日記や、自らの体験を振り返りつつ、マスメディア等によって作り上げられた下町像を否定しつつ、主に商家という視点から下町の実像を描くとともに、その下町を死滅に導いたものを語る好著。帰省の往復の車中で一気に読んでしまった。面白い。その勢いを借りて、同じく小林氏の短編集『侵入者』を読み始める。が、こちらは読み物としての面白さはあるものの、作者の意匠がちょっと気になる。
【07年3月24日】
所用のため、短期間帰省する。用事自体は、日曜日なのだが、余裕をもって一日年休を取って金曜日から帰る。車中から、春霞の上に浮かぶ残雪の山を眺めると、帰郷したという実感が湧く。啄木ではないけれど、古里の山というのは、意外と胸深くに根付いているものなのだと思う。ただそこに存在し続けている、というだけで、十分意味をもつのであろうと思う。
ここ二、三日で急に暖かくなってきたけれど、電車を降りて、思った以上に暖かいのに驚く。上着が邪魔になるくらいだ。母と姪が迎えに来てくれていた。このあと、姪の大学入学準備の買い物に行くということで、市内の家電店に向かう。一通り買い物を済ませて、遅い昼食を取る。帰り道にある回転寿司へ入る。帰省すると、必ず一度はどこかの回転寿司に行くけれど、いつも思うのは、値段の割に美味しいということだ。京都でも、たまに回転寿司に入ることはあるけれど、お腹を満たすというだけで、美味しいと思ったことはほとんどない(それなりの値段の店に入れば違うのだろうが、そんな機会はないのでよく分からない)。安くて美味しい、というのは、なかなか嬉しい。 一度自宅に帰り、一休みしてから、買い物に出かける。買い物といっても、帰省するたびに覗く古本屋を何軒か回って来るということなのだが。最近は、地元の俳人の句集を探す事が一番の目的なので、今回も新たに句集が見つかれば、と思う。1軒目では、2冊の句集を購入。1冊は、竹田美智代『句集 万葉の谷間』。竹田氏は、東伯郡大栄町(市町村合併後は北栄町と変わったそうだ)出身の俳人。特に結社には属しておられなかったようだ。もう1冊は、古津隆次郎『句集 草市』。古津氏は、松江市出身で、『鶴』の同人であったようだ。鳥取・島根には『鶴』に繋がる俳人が多いように思われる。2軒目では、収穫はなし。店の主人と少し話をすると、確定申告で大忙しで、買い付けた書籍の整理がまだ全く出来ていない状態とのこと。やってきた時期が悪かったようだ。次の帰省の時を楽しみにしたいと思う。
買い物を終え、帰宅。夜は、皆でテレビのフィギア女子を見る。マスコミが、やたら騒いで、選手にプレッシャーをかけて、選手の足ひっぱりをしているのではないか、と今回もまた思う。純粋に試合に集中させるために、一時期マスコミの規制をしてもよいかも、などと過激なことをふと思う。早稲田のハンカチ王子に対する大学側の配慮は、マスコミにとっては煩わしいことだろうが、やむを得ないことかもしれないと思う。「騒ぎすぎ」なのだ。もっとも、騒がれて嬉しい選手とかもいるのだろうけれど。 土曜日。雨となる。
【07年3月22日】
午前中は、残務整理的な仕事。とは言え、新年度早々に配布予定の進路向け冊子の資料作りなので、なんとも煩雑なことこの上ない。午後からは、新たな赴任先の説明会に出かけなければならないので、とにかく一応の目処だけはつけておこうと思う。しかし、時間超過。近所の喫茶店で大急ぎで昼食を取り、赴任先へ。説明を聞き、二、三の手続きを終えて、この日は終了。何人かの知り合いに簡単に挨拶だけはしておいて、職場へ引き返す。午前中の続きの仕事。すでに1週間以上、この仕事にかかっている。しかし、夕方までかけて、どうにか終わりが見えてきた。これを終えると、この資料を基にしてもう一つ別の資料を作って残しておくことになるのだが、そちらも準備は同時進行的にやって来ていたので、赴任までには十分余裕を持って終えることが出来るだろうと思う。それで、この職場での仕事をすべて終わる事になる。ちょっと感慨らしきものを感じる。今風に5年を一昔とすれば、二昔というのは、やはり長いと思う。
夕方、かなり強い雨が降る。実は、夜濯ぎ(と言えば、夏の風情になってしまうけれど。風情も興趣もなしで、必要に迫られて)をした洗濯物を、ベランダに干したままにしておいたので、きっと濡れていることだろうと、少々ガッカリする。雨の幕の向こうに、夕日が赤く透けて見えるという奇妙な空模様であった。真っ直ぐ帰宅出来ればよかったのだが、夕方からもう一つ用事が控えているので、洗濯物のことは諦める。2時間ほどで用を済ませ、帰宅する。幸い、風がなかったせいか、雨がベランダの下まで吹き込まず、竿に干したズボンがわずかに湿っている程度で、洗濯物はおおむね事なきを得たという状態であった。
黛執『句集野面積』読了。感触の面白さと表現の巧みさを楽しむ事が出来た。「野面積」とは石垣の石の積み方の一つで、自然石を積み上げるやり方の石組みのことらしい。近隣で言えば、滋賀県の穴太積みが有名だ。句集名となった「野面積」の句がいくつかあったので、紹介させてもらうと、「石一つ脱けて遅日の野面積」「啓蟄の土をほろほろ野面積」「竹馬の凭れてをりし野面積」。いずれも写生句ではあるけれど、「石一つ脱けて」と言い、「土をほろほろ」零す様と言い、そこに置き忘れられた「竹馬」と言い、野面積の有りようを踏まえた目の付け所の良さが面白い。
春分の日。京都の社寺巡りの一つで、泉湧寺に出かけてみる。東山月輪山を間近に、いくつもの伽藍が歴史の跡をとどめている。天皇陵がその麓に鎮まっているせいか、月輪山は常緑広葉樹が目立ち、春寒の気候の中で、その緑の色がとても鮮やかに目に映った。紅葉の季節の緑と錦秋のコントラストは見事だろうな、と思う。伽藍で一番印象的だったのは、仏殿であった。弥陀の胎内をふと想像させる高い天井と広い堂内、そこに鎮座する釈迦・弥勒・弥陀の三尊仏がとても良かった。3月14日から16日にかけて、巨大な「涅槃図」が堂内に掛け渡され、一般公開されるようだが、その時にくれば良かったと思う。三尊の背後に回ると、その「涅槃図」を収めた巨大な櫃が置かれてあった。幅が10メートルはあるのではないか、と思う。御座所は、天皇家との繋がりの深さをやたら強調しているようで、何となく物珍しさばかりを感じてしまったが、月輪山を借景とした庭園は、とても良かった。庭を眺めながら、つい20分ばかり広縁に腰を下ろしてボケーと過ごす。
【07年3月21日】
ホームページ不調の原因が判明。なんとも単純なトラブルで、それに気が付いて、なんとか復旧が出来る。ほぼ従前通りのものとなる。ただ、コンテンツの更新が『日々録』以外はほとんど出来ていないのが、一番の問題だ。ちょうど良い機会だったので、アクセスカウンターを交換し、プロバイダのホームページ容量も2倍に増やした。あとは、地道に更新に勤めるだけ。
水曜日。今日は、朝から良い天気だ。水蒸気の多い、春らしい空模様だ。昨日は、夕方、転勤先の学校まで歩いてみる。下車駅はかわらないので、そこから今までは徒歩だったけれど、今度はバスか自転車か、時には徒歩で通うということになるだろう。約25分かかる。歩くにはちょうど良いくらいの距離だけれど、朝一の歩きはちょっと辛いかもしれないので、朝はバス、帰りは歩きになりそうだ。
切通理作著『山田洋次の世界』を読み始める。面白そうな内容かな、という感触がある。黛執『野面積』を読み始める。巧さと軽みのある句柄かと思う。
先日、人形の寺として有名な「宝鏡寺」に行ってくる。雛人形の特別展示を行っているので見に行ったのだが、なかなか良かった。古雛の展示もよかったが、庭のたたずまいもなかなか味わいがあり、なにより杉戸に描かれた円山応挙の「雉図」「子犬図」をまさに文字通り目の前に見ることができて大変良かった。剥き出し状態(というか、室内にそのまま扉としてたてつけてある)なので、絵が痛むのではないかとこちらが心配になるほどである。帰り道、以前行った事のある「ブックオフ」立ち寄って黛執『句集野面積』、ながさく清江『蒲公英』金久美智子『朱鷺色』、飯田龍太『山の影』を購入。『山の影』は105円で本棚に置かれてあった。複雑な気持ちになる。
【07年3月20日】
ホームページの引っ越しをしたのだけれど、どうにも具合が悪い、かなりの部分のページが表示不能になっている。ネットスケープコンポーザーを使って「Index」ページを作ったのが、まず間違いで、html文章ががたがたになっていて、それをまず直す事から始めて、その後、一応表示された最初のページから他のページへのアクセスがきちんとは出来ない。幸い、「日々録」のページは表示されるようなので、とこかくここだけでも活動しようと思っている。全く、困ったものだ。FTPが悪いのか、プロバイダのHPスペースに問題があるのか、今のところ全くわからない。時間をかけて、修復していかなければ、と思う。
しかし、他のパソコンでは、ちゃんとホームページが表示されているのだろうか、心配である。
【07年3月18日】
土曜日、午後。東福寺に出かける。「京の冬の旅」の特別公開を行っているのだ。公開されたのは、重要文化財の「浴室」と「東司」(「東司」とはトイレのことだそうだ)の二棟。さらに国宝の龍吟庵の方丈も見学してくる。わざわざ風呂場とトイレを見学に行くのか、ということなのだけれど、いずれも生活に密着したものであり、それゆえに興味津々、面白い。「浴室」は蒸し風呂で、4・9の日に入浴したそうだ。多いときは、400人余りの修行僧が入浴したということだが、さほど大きくもない建物のなかに設置された、二つの四畳ほどの部屋(というより小屋の風情)にそんな大人数がどうやってもれなく入浴したのか、いろいろ想像力を刺激される。建物の裏に回ると焚き口の方を見学できるけれど、そこがちょっと雰囲気があって面白い。「東司」の方は、「浴室」に比べるとかなり大きな建物で、内部ががらんどう状態で、むき出しの地面に横並びに小便用・大便用の壺が並んでいるだけだ。あふれ出した汚物が流れでないように手前に小さな土盛りが作ってあったり、仕切り板の柱跡かと思われる小さな窪みが転々と残っていたりする。時折、風が吹き込んできて、小さな土埃が立ったりする。なんと言うこともない施設だけれど、やっぱり面白い。30分くらい「東司」の中で過ごす。
龍吟庵は、もっと人が少ない時に行ければ、印象が違うのかもしれないけれど、とにかくガイドが入れ替わり立ち替わりやって来ては、大きな声で庵内の説明を繰り返すのでうるさくて仕方なかった。さほど大きくもない建物に、バスでやって来た団体客がどどっとやって来ては、どどっと去るのも煩わしかった(単身とはいえ、私も見学者の一人ではあるが)。三面ある枯山水も、庭を造った人物の意匠が表立っていて、それが庭を味わう妨げになっているように思われる。何もない庭、白砂に岩一つで十分ではないか、と思う。夕方になって、冷たい風が吹き募ってきて、ちょっと寒々とした思いで、東福寺をあとにする。4時になると寺内の公衆トイレが鎖されてしまうのも、ちょっと困った。
夜、浅酌の後、久しぶりに近所のパチンコ屋へ行く。寒い。低い雲が、地上の明かりを映してほの明るい。雲の切れ間に、真冬並に星がぎらりと輝いていたりする。パチンコは、前半負け、後半挽回。それにしても、ずいぶんいろいろな機種があるものだと思う。寒い中を帰宅。サーバー関係の本をちょっと読んで、就寝。
日曜日。天気があまり良くない。曇り時々雨という一日か。知り合いから、転勤がらみのメールが来る。転勤先の情報なども少し入ってくる。……雨かとおもいきや、雪が降り始めた。春の雪、である。
【07年3月17日】
やっぱりそうだったか、と今日の新聞を読んで確かめることが出来た。「幻日」である。太陽の横に、幻の太陽が浮かび上がるのである。虹の一種なのだろうと思うけれど。昨夕、帰宅の電車を待ちながら、プラットホームから夕焼けの眺望を眺めていると、六甲方面に沈もうとする夕日から右手の方向、京都西山上空辺りに、もう一つ光り輝くものが浮かんでいた。本体の何分の一かの大きさ、明るさだけれど、確かに立派に輝いて見える。とにかく記録しておこうと思い、携帯のカメラに一枚目を収めたところで、あいにく乗る予定の電車が入ってきて、視界の邪魔になり、それ以上撮す事が出来なかった。それでも、しばらくは車中からその「幻日」を反対の窓に眺める事が出来た。
昨日の小山徳夫氏の句を紹介しようと思っていて、つい忘れていた(「寅さん」を見るのに夢中になっていた……)。ちょっと変わった句を紹介してみようか、と思う。「未確認物体飛来春一番」「異星人模したる土偶いなつるび」「夕焼けて異星船めく展望台」「UFOの落としてゆきし木の実独楽」。「未確認飛行物体」のことを略して「UFO」と言う。宇宙に関わる句もいくつかあり、SFがお好きなのかと思う(実は、私もSFが結構好きなのである)。面白いものを素材に取り込んで、句作りをしておられると思う。「連山に星消え残る霜野かな」「満員の東京ドーム獺祭忌」「障子貼り終へ風音に敏くゐる」、写生、諧謔、感覚等多彩な句作りをされる方だと思う。
やっとプロバイダの方の準備が終わり、ホムページ登録の手続きが出来るようになった。早速申し込みをする。実際にホームページスペースを使えるようになるのは、3月19日の20時以降ということなので、それ以後「参」のホームページの引っ越し作業をする予定。ちなみに新しいホームページのアドレスは「http://www1.ocn.ne.jp/~sanhaiku/index.html」になると思う。アドレス部分だけをコピーして貼り付けていただくと、新しい方のホームページが表示されると思います(現在は、まだ行けません)。現在のプロバイダは3月いっぱい使えるので、そちらの方からも移動できるようにしておきたいと思います。
【07年3月16日】
午前中に転勤の内示を受ける。転勤が決まったということだ。長いようで、短い10年間であった。午後は、少しずつ荷物の整理を始める。といっても、たいしたものがあるわけではないので、夕方までには、大半の片づけが終わる。「木の芽風転勤の荷は少なくて」というところだ。まだ、学年末の仕事は終わっていないので、週明けからはそちらの方に取りかかることになる。第一、まだ終業式すら終わっていないのだ。従前は、24日が転勤の内示日だったので、今年から早くなった事が何となく違和感をもたらしているのだ。
夜、ミューズのレッスンへ行く。30分ほど遅刻。参加者は、少々少ないようだ。ちゃんと練習に参加するようになって3週間。まだ、のどの調子が良くない。痩せたということもあってか、体力的にも少しきつい。だんだん慣れてくるだろうと思うのだが、時間がかかりそうな気がする。練習を終えて、京都駅構内をぐるりと巡るようにして、近鉄へ向かう。9時を過ぎているのに、人通りは多い。
帰宅すると、すでに『男はつらいよ』が始まっていた。今日は、シリーズ最高傑作の誉れも高い「寅次郎ハイビスカスの花」であった。これもロードショウで見て、『男はつらいよ』が本当に好きになったのは、この映画のお陰かもしれないと思う良い映画である。
小山徳夫という人の句集『小春の山河』を読む。小山氏は小澤克己主宰の俳誌「遠嶺」の同人の方。偶然古書肆で見つけて、そもそもは小澤氏の対する関心を発端として、会員さんの作を読んでみようという気になったものだ。第二句集という事だが、最初はやや素直すぎる作が多く、物足りなさを感じたのだが、平成12から3年くらいの作から、急に面白くなってくる。まるで、一皮むけたような作品の変貌が面白い。宇宙の句や、ちょっとミステリアスな句なども興味深いものがある。ずいぶん自由に作っておられるのだろうと思う。
【07年3月15日】
なぜ、こんなに寒いのだろうか、と思う。足先や指先が冷たくて、難儀である。所用で、郵便局へ行き、窓口を勤める卒業生と「寒いね。」と話をしたら、「これを。」と言ってサービス用のポケットカイロをくれた。お陰で、帰り道は指先の冷たさを免れることができた。
今日は、次年度の授業用に、小テストを集中して作る。文法問題を中心にした10分程度で出来る問題。数を準備しておこうとおもい、午前中いっぱいを使い、8回分ほど作る。午後は、二次卒業式。そのあと、教科会議がもたれる。年度末に向けて、予定がどんどんこなされていく。
夕方、駅で卒業生2人に出会う。一人は、クラブの部員でもあった男子。知り合いの近況などを聞く。皆、元気でやっているようだけれど、中で一人、これもクラブ員だった男子がもう父親になっていると聞いて、ちょっとビックリする。考えてみると、卒業してまもなく結婚したことになる。少子化と言いながら、一方でずいぶん若くて父や母になる人たちもいるものだ、と思う。途中まで一緒の電車で行き、卒業生たちは下車していった。一人になって、昨日買った『俳句研究』を読む。「新刊句集渉猟」の中で小林千史さんの『風招』が取り上げられてあった。きちんと評価されてあるな、と思う。掲載作品も少し読む。高橋睦郎「ひふみよや」52句。なんとなく私の肌には合わない、と思う。評論は面白いのに、俳句は今風文人俳句といった感触。辻田先生の作品は、その視点や発想、詠みっぷりが良いな、と思う。そういえば、『幡』誌は16年200号を迎えられたという。
『鼎座』第8号。二校を終え、印刷の方に入る。かなりな遅刊となってしまったけれど、まもなく発行である。
【07年3月14日】
火曜日。いけない、と思いつつ、ちょっとだけ見ようと思って「男はつらいよ」を見始めて、つい最後まで見てしまう。第48作。シリーズ最後の作である。映画後半になると、寅さんの声が掠れていて、その衰えに胸の痛みを感じつつ、見る。リリーさんは、本当に良かった。女っぷりの良さ、というものをつくづくと感じる。泉ちゃんも、1作毎に大人へと成長していく姿が、可憐である。妹のさくらといい、おばちゃんといい、「男はつらいよ」の女性たちは、皆とても魅力に溢れていると思う。
関戸靖子さんの第4句集『紺』を読む。句集名は、石田波郷の「朝顔の紺の彼方の月日かな」からいただいたもの、とのこと。平成元年から14年までの作を収められたもの。身ほとりの歌、京都や近江の自然を素材とした歌を四季別に配列されてある。各季の作を読みながら、全体として、その季節季節の感触がふわりと伝わってくるのが快い。「これしきのことを一生鱧の皮」の一句の重み、「松茸を食べてけむりのごとく座す」の比喩の巧みさ・豊かさ、「二三日置きて通草のそよりとす」の繊細で幽玄な味わい、「たましひの浮寝の鴨に並びけり」の自然との静かな合一感、「雪見酒をとこ狩りなどして見むか」「乳房ある者ら熊鍋囲みけり」の諧謔。読み終えて、とても満足度の高い句集でした。
今日で、すべての授業は終了。まだ、本年度の仕事はいくつか残っているけれど、気持ちの中では『終わった』という感慨が強い。現在勤務しているところも10年目が終わる。そろそろ一区切りの時期かな、とも思う。学校自体は、あと2年で他校と統合、事実上廃校となる運命である。授業を終え、進路室に帰りながら、ぎしぎし鳴る廊下や、立て付けの悪くなった各教室の戸口などが、変に気持ちに触れてくる。
夕方。いつもの書店で『俳句研究』4月号を買う。ついでに、高架下のスーパーで食材購入。野菜と果物と魚を買う。車中で、『俳句研究』を少し読む。友岡子郷氏が「三ヶ月競詠」で作を発表しておられた。小林恭二氏のインタビュー記事も面白かった。
【07年3月13日】
平畑静塔の『天狼の古典』読了。読み応えのある一冊であった。『天狼』に連載された文章で、もともと『天狼』会員への啓蒙的意味合いを持つものであったとのこと。『天狼』会員以外の人が読んでも、『天狼』俳句の理解の一助となるであろうか、とは執筆者の弁。『天狼』の根源俳句についての、参考文献の一冊としても意味を持つ著作であった。
ここ数日、本当に寒い。今朝は、マンションの通路から眺めやられる北山連山から愛宕山までの稜線が、積雪で真っ白となっていた。3月半ばにして、また冬に逆戻りのような状態である。ネットのライブカメラで故郷の山のスキー場を見ると、一度完全に雪がとけたゲレンデが、全面真っ白で2,30センチの積雪があるように見える。背後の北壁は、厳冬の姿を見せている。本当に、おかしな天気であると思う。
昨日から、『男はつらいよ』のアンコール放映がBSで始まった。昨日は、第25作「寅次郎かもめ歌」。キャンディーズの伊藤蘭が、マドンナとして出演。ビデオに撮っておいて後日みるつもりであったが、見始めるとついつい見続けてしまう。「寅さん」が若い。元気一杯で、粋を気取る寅さんの姿が、ちょっと滑稽で、楽しい。終盤くらいまで見てから、もう一度ビデオで最初から見るつもりで、スイッチを切る。川名大著『モダン都市と現代俳句』を読み続ける。ずいぶん整理された記述内容で、分かり易いという印象を与える。川名大(「かわなはじめ」と読むそうだ)氏は、近・現代俳句の研究者で、三好行雄や高柳重信に学び、高校の教師をしておられた方だそうだ。この人の著作も、継続して読んでみたいと思う。
今日も、『男はつらいよ』をやっている。「寅次郎紅の花」である。私の大好きなリリーさんが登場する作品である。ロードショウでも見たし、その後3、4回は見ている作品である。ただ、今日は我慢して、本日買ってきた本を読もうと思う。
【07年3月11日】
日曜日。午後、久し振りにジョギングをする。近所を軽く一周。40分程走る。走っている途中、怪しげな雲が上空にやって来て、やがてぱらぱらと雪が降り始める。3月の雪。午前中、ネットのライブカメラで丹後方面を眺めていると、平地でも雪が降っていたので、あるいは京都でもと思ってはいたのだが、本当に降ってきてちょっと驚く。ただ、ほんの5分足らずで降り止んでしまう。あとは、寒い中を淡々と走る。
帰宅後、まだ日は高いけれど、汗をかいたので風呂に入ることにする。入浴しながら、『寺山修司詩集』を読む。詩集とあるが、内容は寺山氏の詩・短歌・俳句を抄出したもの。彼の詩歌を概観するのには打って付けの一冊である。発行所が角川春樹事務所の「ハルキ文庫」である点が、ちょっと「引く」けれども。短歌が一番良いかな、と思う。詩は、少し甘く、俳句は若書き風(そこが良いのだけれど)。長風呂となってしまう。
借りてきたDVDを見る。『パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンチェスト』。娯楽に徹した内容で、面白い。CGなのだろうけれど、映像のすごさに目を見張る。本当に、技術ってのは長足の進歩を遂げているのだと思う。さすが、ディズニー映画。潤沢な資金を費やした豪勢な映画だと思う。それにしても、ディズニー映画にしては、かなりショッキングな映像などもあったけれど、それも時流のなせるわざということなのだろうか。
ホームページの引っ越しが出来るようになったら、少しだけ『参』のホームページに手を加えてみようか、と思う。ブログなども試してみたいような気がする。『日々録』をブログ化したらどうか、などとも思う。自宅サーバーなんかは、これは無理だろうな、とも思う。興味は、あるけれども。
【07年3月10日】
光への移行は終了し、ネット環境は見違えるほど良くなりました(ダウンロードが目に見えて早くなりました)が、新プロバイダーの方の作業が滞っているようで、ホームページの引っ越しが出来ない状態です。旧のプロバイダーとの契約期間はまだ終了していないので、もうしばらくはこのまま活動出来そうなので、当面旧プロバイダーでこのHPを維持していこうと思います。
金曜日。甥が午後来京。指導教官のコンサートを聴きに来て、翌日はレッスンを受けるというなかなかハードなスケジュールである。こちらは、ミューズのレッスンに参加。団員は220名で出発することとなった。
土曜日。「すき句会」の日で丹後行き。甥がまだ眠っている間に出発。「はしだて1号」はほぼ満員状態。一席残っていた指定席が取れる。少し時間の余裕が出来たので、駅ビル屋上まで上がって、しばらく周囲の風景を眺める。気持ちが良い。丹後半島は、雪が残っている。天気は良くて、寒くはない。川沿いの道を行くと、土手に5センチほどの丈で土筆が頭を出している。今日の席題は、「末黒の薄」と「莫告藻(なのりそ)」。参加者は、13名であった。
帰京の車中では、平畑静塔の『天狼の古典』を読む。「天狼・この句」「天狼・この人々」「天狼の古典」の三部構成。主に『天狼』の代表的俳人の紹介記事をまとめたもの。平畑氏のサービス精神?のようなものを感じつつ、読む。京都は、小雨。天気は下り気味のようだ。
【07年3月4日】
土曜日、午後。雛祭りの事とて、下京区の市比賣神社へ出かけてみる。河原町通りから西にちょっと入ったところにある小さな神社。女性の厄よけで有名な神社らしい。女性との繋がりの深さという事もあり、「桃の節句」には生身の人間が雛に扮する「人びな」などの諸行事も執り行うのであろう。神社は、沢山の参拝者が来ており、小さな境内は身動きが取りにくいような状態であった。「天児(あまがつ)の祓」に用いる「天児」を写真に収めたり、ちょっと参拝したりする。ここで「人びな」を見られるのかと楽しみにしていたのだが、どうもそうではなくて、翌日の新聞によると近所の「ひと・まち交流館京都」で行われていたらしい。
そのまま、下鴨神社まで足をのばして「雛流し」を見学するのも良いなとも考えたが、きっと人が多いだろうなと思うと、ちょっと億劫な気持ちになって、とりあえず鴨川伝いに三条まで行って、その間に決めることにする。小雨交じりの鴨川河畔をてくてく歩きながら、川沿いの料亭をずっと眺めていくのは、なかなか面白い。古くて立派な建物を二軒写真におさめる。鴨川は、琵琶湖疎水の水をそのままこちちらに流し込んでいるせいか、水量が多くて、街中を流れる川としてはなかなか立派に見える。岸近くの淀んだあたりには、ゆったりと鰭を動かして水中に佇んだ風情の30センチほどの鯉の姿や、草むら近くの水面にはおいかわ(?)の稚魚の群れが、きらきらと輝いていたりする。そのうち、水面に雨の水輪がはっきり見えるほどの降りになってきたので、三条で切り上げて帰宅することにする。
夜、知り合いに尋ねたいことがあって電話をかけ、そのままつい1時間半近く話し込んでしまう。古くからの知り知り合いということもあって、話し始めると種は尽きないものだ。床に入って、岩波新書『格差社会』橘木俊詔著を読む。
日曜日。『格差社会』続きを読み、読了する。政治と社会的な諸策の貧困さということを、改めて考えさせられる。今とそれに続く未来に対して、妙な誤魔化しや場当たり的な対応はやめにして、打つべき手をきちんと打ってほしいと切に思う。未来に対する信頼と安心のない国ってのは、ますます荒廃と内部解体を進行させてゆくだけではないか。
川名大著『モダン都市と現代俳句』を読み始める。
【07年3月3日】
雛祭りの日。京都は、高曇りの天気である。暖かい。
金曜日。夕方から、ミューズのレッスンに参加。しばらく歌から離れていたせいか、歌の体力がビックリするほど落ちていて、自分でも危機感を感じる。息が続かない。声が出ない。無理矢理歌おうとすると、窒息しそうになる。これではいかん、と気を引き締めることにする。9時前まで、練習参加。その後、駅構内のパン屋で、美味しいパンを買い込んで帰宅。遅い夕食をとり、岩城先生から届いた『鼎座』第八号の原稿を入力して、「後記」を書く。ずいぶん夜更かしをしてしまう。
自宅から電話あり。犬のジェニビが、出窓から誤って転落し、頭を強打したという。月曜まで安静状態をと医者から言われて、大人しくしているという。昨日は、一日寝たまま状態、今日もまだ元気は無いという。水を飲まず、うんちも出ないという事で、ちょっと心配である。何とか早く回復してほしい、と思う。
小澤克己句集『庵と銀河』読了。西行・芭蕉・蕪村の道を求めて行く、と作者。五句集の抜粋も、その方向で再構成された作品群であるとのこと。読み進むにつれ、求道射的な風貌を強めていく作者と作品世界に対して、ちょっと違和感を感じる。作品は、初期の自在さを離れ、ずいぶんと古風なものに変貌して行く。道を求める思いの強さの余り、逆に作品世界が痩せるという皮肉な状態がもたらされねば良いが、と思う。余計なお世話、なのかもしれないけれど。
【07年3月1日】
卒業式の日。今日、260名余りの生徒が巣立って行った。式後、3年生達の坐っていた座席が、ぽっかりと空いているのを見て、その空間の広さに、改めて卒業を実感する。
午後になると、卒業生達で賑やかだった校舎も静まってくる。仕事が空いたので、年休を取って退勤する。ここから数駅向こうにある有名な梅林に久し振りに行く事にする。以前、一度『運河』城陽句会の方達と行ったことがある懐かしい場所である。
梅は七分咲きくらいで、ほとんどの木が白梅であった。平日にもかかわらず、デイケアのご老人達が沢山観梅に訪れていた。文字通り雲一つ無い最上の天気で、日差しが暖かく、思わず防寒着を脱いで手に持つこととなる。梅林の中に点々と置かれたベンチの一つに腰掛けて、しばらくぼっとして時間を過ごす。
松田うた句集『しらべ緒』読了。句集半ば以降の旅吟の多さが少し気になったけれど、京の鉾町に暮らす人の生活の一端がほのかな情感とともに詠われる。端正・端麗な作品世界に心惹かれた。「しらべ緒のむらさき匂ふ初鼓」「しぐれ傘豆腐一丁も錦まで」「しみじみと京の地唄や冬座敷」「雨となる花街抜けて宵えびす」「福笹を蛇の目にかばひ祇園路地」初期の作品より、数句紹介。小澤克己句集『庵と銀河』を読み始める。5句集の中からの選りすぐりという点もあるのだろうが、それにしても面白い。上手い。見事。そんな感想を繰り返しつつ、読み進めている。この人の内的世界の広さ、表現の巧みさ、詩人としての直感力の鋭さなどを思う。松田さんの句集は読んで気持ちがよかったけれど、小澤氏の句集は読み進むのが楽しい句集である。