日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
06.11「日々録」
06.12「日々録」
07.1「日々録」
07.2「日々録」
07.3「日々録」
【07年4月30日】
月曜日。久しぶりに、朝のウオーキング。桃山御陵周辺を歩く。旧伏見桃山キャッスルランドが、天守閣はそのままに市営の運動公園に変わっていた。軟式野球の試合をしていたので、しばらく見物する。昔、高校野球をやっていた人たちだろうな、と思わせるほどの巧さであった。つい、20分ほど立ち見してしまう。1時間半ほどの歩きとなる。
「醍醐会」は盛況。面白い話し合いとなる。特に、写生について(「ノイズ論」とでもいうもの。写生には否応なく現実生活の夾雑物=ノイズが紛れ込んでしまう。それが、ある意味で作の雑味風な味わいともなる。だから、それが感じられないある意味純度の高い作というのは、その雑味を意図的あるいは意図するでなく濾過したものであり、その点で写生句とは別種の句として位置づけられるという風な。写生句であるか、ないかによってあながちその句の価値が決定されるわけでもないと思うが。ちなみに吉田氏も対中氏も「いわゆる写生句」とは質を異にする作をものされる方達と思われるが)、ならびに気になっていた対中氏の作における取り合わせの問題について、「和歌」の「俳句」への導入というN氏の示唆に富んだ発言が印象的だった。
新会員2名を含めた総勢20名の二次会は、近年にない参加者数で、追加されたテーブルや、林立するビール瓶など、なかなか壮観であった。2時間ほどの二次会、昼間の会の続きであちらこちらで議論の声が上がる。三次会は祇園の「米」さんで持たれるのであろう。私は、二次会までで岐阜に帰る清水さんと一緒に辞去する。タクシーで京都駅に向かいながら、『鼎座』第9号について少し話をする。
帰宅後、昼間谷本さんからいただいた『面』106を少し読む。『面』は、西東三鬼没後、氏の門人の方達が作られた俳句研究会だそうだ。今日は欠席された『醍醐会』会員のN氏も所属しておられるらしい。谷本氏の句を数句紹介します。「看取り疲れ冬ざれの日は赤を着て」「囲み帰る敏雄のマフラー赤かりし」「白障子母百歳のため息す」「おなじひとおもいおりしが母衰え」。
【07年4月29日】
土曜日。吉田啓郷氏『春蝉抄』、対中いずみ氏『冬菫』をゆっくりと読み直す。吉田氏とは、現在丹後の「すき句会」で同席させていただいているので、近作、あるいは句集には収載されないかもしれない作まで目にする機会があり、その振幅の中でその分読みやすかったかもしれない。対中氏の方は、なかなか難しい。自然と人事の微妙なニュアンスをふっと掬い上げて、それを繊細な言葉に乗せる、その味わいの中に、対中氏の詩心が生きているのだろうけれど、こちらの感性と知性がその世界に共振できないと、さりげない世界の描写として読み過ごしてしまいそうなそんな側面がある。否応なくこちらの読み手としての力量が試されているような、そんな厳しさがその作品世界の中にぴんと一本のピアノ線のように張り渡されてあるような気になる。そんな、漠たる思いを感じてしまう。難しい。念のため、夜になって、対中氏の師である田中裕明氏の作品を邑書林『セレクション俳人 田中裕明集』で読んでみる。その帯文には、「裕明俳句の時間と空間、それはそのまま現代俳句の風景である」との言上げが書き付けてある。そうなのか、と思う。実は、田中裕明氏も、私には苦手な作家である。そのとりとめのなさ(と私には思われる部分)が、どうにも読んでいて困ってしまう。イメージで言えば、(高踏的という意味ではなく)地面から少し浮いた部分で中間色に輝いているような。生活的でありながら、いわゆる日常生活とは違う光源でその世界を軽く照らし出しているような、そんな淡々とした世界を思う。その光源の本体が問題なのだろうと思うのだが。田中氏の作品は、人事句が随分多く、対中氏の作は人事句よりも自然詠の方が多いという素材的な面での違いはあるにしても、その作品世界が志向するあの淡々とした世界というものが、ともにとても「くせ者」のように思われて、そこでこちらは立ち止まってしまう部分があるのだ。さて、これは一体なんであろうか、と。そんな点について、本日の「醍醐会」で話が出ればおもしろいな、と思う。ちなみに、対中氏の作の中で俳句について直言に近い一句があったので紹介しておきたい。「重くれの句に十薬のひらきけり」。
土曜、午後。歩きに出る。久しぶりに鴨川の方に行ってみようかとも思ったのだが、今まで歩いたことのない場所をということで、旧小栗栖街道辺りを中心に2時間半ほど休憩なしで歩く。良い天気だけれど、汗をかくほどではない陽気である。家並みの向こうに遠く近く現れる山科の低山が、新緑に装われつつある風景が美しい。少し長い時間歩くと、左足の付け根が痛んでくるのだが、ちょうど痛み始める頃に帰宅する。シャワーを浴び、まだ日は残っているのだが、ちょっとビールを飲む。思いついて、夕日の中をパチンコを打ちにいく。2時間ほどやって、ビックリするほど勝つ。おかげで、「海物語」のマリンちゃんの声をやっている役者の名前が「大久保麻梨子」、趣味はマリンスポーツ、腕相撲が強く、お風呂でマッサージ用具を使ってリラックスするのが好き、などということまでついでに知ってしまう。帰りに、近所の大型スーパーで、野菜と果物をたっぷり買って帰る。
夜、読書。その後、BSで角川映画『犬神家の人々』を少しだけ見る。封切り当時、映画館で見たことがある一本だ。何となく『八墓村』と最初混同していた部分があって、あれっ?と思ったりもする。石坂浩二が大変若い。角川春樹の絶頂の時期のヒット作であったか(最近の「魂の一行詩」とは、一体何? とも思うのだけれど)。ソファーに横になって見ていたのだが、そのうちうとうとしてしまい、本格的に寝るつもりで、寝室に帰り、就寝。
深夜、妙な夢を見て目を覚ます。後口の悪さが、そのまま残っているようなそんな夢であった。
日曜日、快晴。本日、1時半から「醍醐会」。京大会館にて。
【07年4月28日】
金曜日。一日、校外学習。京都北山山中のキャンプ場で過ごす。山々は、新緑の候へと様子を変えつつあり、気持ちが良い。天気も、前日が午後雷雨という厳しい状態だったにもかかわらず、高曇りの落ち着いた天気で、絶好の校外学習日和であった。2時間ほどかけての自炊のあと、リクレーション。ミニサッカー、バドミントン、バレーボール、川遊びなどめいめいが楽しんでいたようだ。往復はバス利用であったが、復路で渋滞に巻き込まれ、そこでちょっと疲れる。
夜、ミューズのレッスン。少々疲れていたのだが、前回所用のため休んでいたので、出かけることにする。京都駅近くのビルの最上階のホールが練習会場。駅から近いということがありがたい。受付を終えると、前々回申し込んでおいたチケットを受け取る。十数枚。半分は、招待ということでお送りすることになる。パート練習は、今回で終了。GW後は、全体練習が中心になるとのことだ。前半はパート毎に、一通りさらえる。後半は、ステージ上で全体練習。テノールパートの「乗り」が凄かった。今回の曲、フォーレの「レクイエム」は、テノールとソプラノに聴かせどころの多い曲なので、いやが上にも盛り上がることになる。9時過ぎに練習は終了。途中で、いつものパン屋で朝食用のパンを買い込み、電車で帰宅。母は、本日昼のうちに帰郷。新井一二三著『中国語はおもしろい』を少しだけ読んで、そのまま就寝。夜中に数度目を覚ます。
土曜日。高曇り。疲れが残っているのか、目の端がぴくつく。鬱陶しい。明日は、『醍醐会』。吉田啓郷氏『春蝉抄』、対中いずみ氏『冬菫』の2句集の読後感を話し合う。作者を前に置いての、率直なやりとりは毎回とても刺激的だ(論じられている方は、まさに「まないたのうえの鯉」状態ではあるが……)。レポーターは、前者はN・T両氏、後者はM・F両氏。今日は、両句集の読み直しをするつもり。
【07年4月26日】
母が来ていて、夕食を作ってくれるので、帰宅後が随分楽である(朝食は、私が作っているのだが)。ただ、食事を終えると、まだ8時過ぎだというのに、もう眠くなってきて、困ってしまう。明日は野外学習で、1年生の引率補助をすることになっている。
遠藤順子著『夫・遠藤周作を語る』読了。正直言って、読みながら、かなり辛い思いを感じていた。自分が好きで、ずっと読んできた作家の、その死や死を背景とした話を読むのは、胸に応える。まして、遠藤周作の最晩年は、病気との本当に過酷な戦いの連続であったようだ。淡々と、時に明るく夫の闘病とその晩年の姿を語る遠藤順子氏の語り口は、一種の救いを読む者にもたらしてくれるようだ。
『聖書』の「ヨブ記」を一つの物語のようにして、読む。神の黙認のもと、悪魔の試みが、ヨブを追いつめていく。財産が奪われ、身内が亡くなり、さらに自身は陶片で掻きむしらなければほどの酷い皮膚病に罹り、心身ともに苦痛の極みを味わう。次々と襲い来る不幸に対して、じっと耐えていたヨブもついに神に対して、自分は神に対しても人に対しても何一つ罪を犯していないにもかかわらず、何故自分はこのような不幸を味あわねばならないかを繰り返し訴える。それに対して、三人の友人がそんなヨブを、神を冒涜するものとしてたしなめる。ヨブと友人との間に、三度の問答が交わされ、しかし友人たちはヨブの憤懣を癒すことはできなかった。そんな彼らのやりとりをそばで見ていた一人の若者が、ヨブと三人の友人に対し、ついに節度を保ちつつも論難の口を開く……。そんな内容の話であった。神が悪魔のユブに対する試みを黙認しつつも、ヨブの命を奪うことだけは悪魔に禁じたり、若者の非難を受け継ぐように、直接ヨブに対してたしなめる言葉を口にしたり、神の行いの意味を自己の尺度で裁断しようとした自己の無知と傲慢さに対して、心を改めたヨブに対して、すべてがリセットされる最後など、劇的と言えば劇的なのだけれど、強い違和感も残ったものだ。遠藤周作が、どのようなヨブ記を書こうとされたのか、今となっては分からないけれども、ヨブの訴えの中にある人としての苦痛の叫びが、どのように描かれていったことか、知りたいという思いだけがあとに残った。
角川『俳句』5月号を読んでいる。飯田龍太追悼号。その特集記事を読んでいく。いずれも読み応えのある内容であった。龍太俳句200句も、50人の俳人による弔句も良かった。思い出してみると、私が飯田龍太俳句に心引かれたきっかけになったのは、小林恭二氏の『俳句という遊び−句会の空間−』(岩波新書)の中に出てくる一句「百千鳥雌蕊雄蕊を囃すなり」だった。読んだ瞬間に、その祝祭的空間に一気に囚われてしまった。心底凄いと思った一句だった。改めて、岩波新書を読み直してみると、句会参加者の評釈の中に伊藤若沖の名前も出ていて、なるほどと思わせられもしたものだ。今でも、飯田龍太俳句の中で一番好きな句をと言われれば、この一句を挙げることだろうと思う。
【07年4月22日】
土曜日、午後。講演のチケットを購入するつもりで京都駅へ。駅の緑の窓口で買うことが出来ると聞いていたのだが、行ってみると予約期間を過ぎていたので駄目とのこと。そのまま、同じく駅構内のチケットピアにまわるが、扱っていないとのことで、やむなく(というのか)直接電話を入れてチケットの予約を済ませる。これなら、最初から電話をすれば良かった。
暑いくらいの陽気で、羽織っていたものを脱いで、シャツを腕まくりして歩く。せっかく市内に出てきたので、このまま三十三間堂まで行ってみようと思う。以前に、久しぶりに出かけてみて大変良かったので、もう一度行ってみることにしたのだ。今回は、堂内にずらりと安置された千一体の仏像よりも、その前に置かれた国宝の諸仏を中心に見ようと思う。それにしても、観光シーズンということで、修学旅行の中学生や外人さんの団体が、次々とやって来ていて、堂内は大変な混雑状態であった。あまり落ち着いて鑑賞することは出来なかったけれど、風神・雷神像をはじめとして、阿修羅像・迦楼羅像・孔雀明王像などを見る。いずれの像も、内に向かって凝縮する力の強さに圧倒される思いがあった。10句ほど作る。その後、東大路通りを南行し、今熊野神社の大楠を歩道から見上げたりしながら、結局京阪伏見稲荷駅までとことこ歩く。夕方になって、所用で東京にいた母が来京。しばらく滞在の予定。
夜、二人とも早めに就寝。
日曜日。早く寝たせいか、4時過ぎに目が覚め、その後眠れず。仕方ないので、図書館で借りてきいた『三国志』58・59・60巻(横山光輝の漫画である)を一気に読む。完全に目が覚めるほどに面白い。読み始めると癖になると聞いていたが、まさにその通りで、全60巻を読み終えてしまった。たいしたものである。外は雨模様で、外出はままならない。今日は一日部屋暮らしということになりそうだ。
【07年4月21日】
金曜日、午後出張。同志社女子高校に、クラブ顧問総会に参加するため。立派な建物の四階の大ホールを借りての総会。パワーポイントなどを使って、議事がこなされていく。体育系クラブの総会も、ITが普通に導入されるようになったものだと思う。5時半に総会終了。7時から、京都駅内のホテルグランビアで赴任先の歓送迎会が予定されているので、その間をどう埋めようかと思う。一度帰宅するには、中途半端な時間なので、ちょうど向かいが京都御所にあたるので、夕方の御所をぶらぶら歩くことにする。すでに花期はは終わりに近かったが、園内のしだれ桜はまだ花を留めていた。児童公園の丸太のベンチに腰掛けて、夕景の御所風景を眺める。若葉をつけた木々が、まだ肌寒さを残した風に静かに吹かれている様をぼんやり見渡してみる。慌ただしい一週間の終わりに、ほっと息をつく。犬の散歩やジョギングする人、ベンチに腰掛けて、八重桜を眺める人の姿に目をとめながら、地下鉄丸太町駅まで歩く。京都駅のいつもの店で、朝食用のパンを買い、構内の書店で少し時間をつぶして、時間に間に合うようにグランビアに向かう。歓送迎会は、和気藹々とした雰囲気で、なかなか楽しいものだった。最後には、出席者が全員でアーチを作って、退職・転勤者を送り出すという盛り上がり方になった。料理は、魚・肉・野菜ともにボリューム控えめ、お酒は焼酎がちょっと薄かったけれど、ワインは赤・白ともに美味しかった。ビールは、乾杯のみ。一次会終了後、そのまま帰宅する。
藤木倶子『句集 堅香子』を読む。作者の美意識にさりげなく裏打ちされた作品群が心地よい。ただ、「草氷柱」と題された時期の作品がその前後の作と少し違うようにに思われたのは、何故なのだろうか。作者の中で、何かの影響や迷いがあったのだろうか、などとと勝手に思ったりもしたものだ。個人的に好きな句を少しだけ。「曇り日の畦に置かれし田植笠」「秋まつり面賣りの人面の陰」「鶏頭の見えて俄に夜明けくる」「えんぶりや雪止んでなほ雪催」「磯菜摘薹台白く抽んでて」「髪洗ふなすべきことを捨ておきて」「漁り火の並び終へたるおぼろかな」「鉈鞘に鉈の音秘め夏木立」「炎天のひとりに立ちし埃かな」「山國や三和土の隅に狩りの犬」「夏痩せていたこ涙をほしいまま」。割と初期の句が好きなのかもしれない、と思う。
「ヨブ記」を読むために、たまたま飛び込んだ同志社の近くの古本屋で『聖書』を買う。遠藤周作を読んでいた関係で、本棚のどこかを探せば一冊あると思うのだけれど、探すのがちょっと面倒だったので、目に入ったものを購入。思ったより高かった。時間を見て、一読してみようと思う。
土曜日。天気は曇り。雨が降るかと思っていたので、ありがたい。ガラス戸を開け放しにして、部屋の掃除。わずかに風があるけれど、もう寒くはない。
【07年4月19日】
新しい職場に移って3週間足らずとは言え、さすがにちょっと疲れ気味状態となる。仕事そのものは、順調に進んでいると思うのだが、やはりそんな中で、普通以上に気持ちを張りつめたりしているせいなのだろう。仕事を終え、帰宅して、夕食を済ませると、もう眠くなってくる。今週は、もう無理はしないで、眠くなったら9時だろうと10時だろうと、寝ることにした。その結果、「日々録」の更新も滞り気味となってしまったという、何となく言い訳めいた内容となってしまう。5時起床は変わらないのだけれど、就寝時間が随分前倒しになったので、一日7〜8時間くらい寝ている(夜中に1、2度目をさますけれども)。その分、色々面白い夢をみるので、目が覚めて、その夢の意味するところをあれこれ考えたりもする。
平野神社での半歌仙の捌きの結果を送っていただいた。なかなか面白い内容となった、と改めて思う。『鼎座』の連句とは、また違った面が自分の付け句にもあるように思われた。場の力、座の力というものなのであろう。面白いことだと思う。「なおすところがあれば」とのことだけれど、特にその必要を感じないので、そのままで良いと思いますとメールを出すことにする。
寺山修司の『誰か故郷を思はざる』を読んでいる。厚くもない文庫本なのだが、意外なほど読むのに時間がかかっている。虚実錯綜する自伝的エッセイなのだろうけれど、自己の幼少年期、あるいは青年期自体を一種の伝説化しようとする作者の強い思いが、とても面白い。以前ならば、そういう部分に対して拒絶的な思いが強かっただろうが、今はそういう部分こそが面白い、寺山修司の詩人としての魅力の中心だと思えるようになってきたようだ。
明日は、夕方から新しい職場の歓送迎会。金曜日なので、ミューズのレッスンを休むことになるのがちょっとまずいのだけれど、やむを得ないとしよう。
【07年4月15日】
たまたま川柳のページ「川柳MANO」の掲示板を見ていたら、川柳作家小池正博氏が、亡くなった時実新子氏に触れておられる中に、次の一句があった。「なわとびに入っておいで出てお行き」。そこで、ふと思い出したのは、俳人西野文代氏の『句集 おはいりやして』中の句、「なはとびにおはいりやしてお出やして」であった。どちらも、「なわとび」(ちなみに、「なわとび」は俳句では冬の季語になる)を詠い、話し言葉を活用し、形式上の相似ということもあって、一読ごく似たものという印象を持つが、時実氏の場合は、縄跳びという行為への参加と退出を促す作者のかなり強い意志の介入が全面に立っているのに対し、西野氏の場合は、縄跳びという行為をあくまで外から見て、縄跳びそのものを描写することに主眼があるように思われる(それが、「写生」という方法によるもので)。いわゆる標準語と京言葉が、作品世界に稟たるものと、雅たるものとを截然と分け与えているようにも思われる。さらに言えば、西野氏の世界は、基本的に「縄跳び」の世界にとどまるのに対して(それが、季語の制約ということによるのか)、時実氏の世界は「縄跳び」の世界にとどまらず、この世界の諸般の現象にも当て嵌められてゆくような広がりを持っているように思われる。時実氏の作は、現象の前に作者の姿が立ちあがって居るのに対し、西野氏の場合は、現象の背後に作者はそっと身を隠しているような印象の違いももたらしている。一見よく似た作のようでありながら、俳句と川柳の違いの一端を見せてもらったような気がしたものだ(そんな風に、一般化してよいのか、との危惧もちょっと持つのだけれど)。
『静かな場所』同人作品欄より、続き。森賀まり氏「暗き雨蚊帳吊草に広がりぬ」「紅芙蓉険しき顔になつてゐる」「ひとところ弱き黄色や秋灯」「日の影の消えては生れ破蓮」。何気ない世界でありながら、作者の繊細な感性が生きている諸作との印象。中村夕衣氏「けふ眠るところ氷柱のあるところ」「新しき薪の匂ひや春の星」「籾山をはなるる靴にぬくみあり」「狐火や写真のなかの知らぬ人」。森賀氏に対してもそんな印象をもったのだけれど、中村氏の作にも自己の生を丹念に生きておられる方、という感じを持った。まなざしの静かさと深さというものが、諸作の背後にひっそりと広がっているような印象。句の中に静かな時間がながれているようだ。ただ、時に句が予定調和的世界に流れることがあるようにも思われるが……(よけいなお世話ですね)。和田悠氏「春霖に三つの眼開きけり」「一本の木を見上げゐる朧かな」「歌いつつゆく拍子木の夏野かな」「星とんでこころはもつと北を向く」「金木犀末の子のふと帰りけり」「ゆつくりと仕事始めぬ秋の蝶」「水鳥のわれより先に来てゐたり」。何か分からないけれど、ともかく面白い、そんな印象。賢者の第三の目というのも面白いし、朧の中の一本の木の持つ異様な力をふと感じるし、歌いつつゆく集団(と思ってしまった)も奇妙だし、北を向くこころは「稲光」に触発されたまなざしより、一層壮凄かもしれないし、水鳥にある儚さを勝手に感じてしまったりと、色々刺激的な諸作という印象が強かった。『静かな場所』NO3の発行を心待ちにしたい。
土曜、午後。宇治に出かけてみる。近鉄大久保駅からバスに乗り、少し歩くつもりで終点の京阪宇治駅のいくつか手前のバス停で下車する。ずいぶん温かくて、上着の脱いで歩く。最初は、平等院へ行くつもりであったが、駐車場の観光バスの連なりをみて、やめておくことにする。宇治川沿いに天瀬ダムまで歩く。道路沿いに、山吹の黄色い花がきれいに咲いている。対岸の山の緑が鮮やかだ。白虹橋の上から、谷の奥にアーチ型の天瀬ダムを眺め、そのまま対岸に渡って、川沿いに宇治の町まで引き返す。木漏れ日の中の気持ちの良い道である。帰りは、京阪宇治駅から電車に乗る。天瀬ダムに向かう途中から右手に山に入る道がある。もみじ谷という標識が出ているので、ちょっと注意していれば入り口は分かると思う。以前、『運河』城陽句会に参加させていただいていたとき、秋の吟行でこの谷を歩いた事があるが、歩きやすい道で、文字通り紅葉のきれいな谷であった。紅葉がきれいと言うことは、新緑が美しいということでもあり、五月に入ったらこちらの方も歩いてみようと思う。
【07年4月14日】
木割大雄氏の『カバトまんだら通信』中「寒緋桜」より。「花野にて激しく斃る紙の船」「新米の匂いにあの日この日かな」「蒟蒻の味に耳籍すお講膳」「水仙と聴けば旅情と言い放つ」「旧正の賀状一葉彼の地より」「雨に遭う寒緋桜の首里城下」「旦柑の皮をいとしく剥きにけり」「冴えわたる宵の明星鬱王忌」。「鬱王忌」は赤尾兜子氏の忌日。なぜか、木割氏に対しては、旅の人という印象を持っている。「彼の地」「首里城」「旦柑」は沖縄を詠われたものか。
『静かな場所』同人作品欄より。対中いずみ氏「猫の恋夜空漲るもののあり」「額縁のかたすみ光る時雨かな」「水底の蘆の冬芽の硬からむ」。清冽な感覚、それが世界の奥や片隅や底に潜む詩的世界をいかにつかみ取っているか、を改めて感じます。偶然か、今回「白」の句が数句あったので。「みづうみの沖より白き旱かな」「まつしろな雨の中なる茸かな」「靄あげてみづうみ白き小晦日」。思いの籠もる「白」なのでしょうか。満田春日氏「そのへんの墓に当たりてくわりんの実」「石叩氷の上を走りけり」「川に捨てし雪のしばらく流れけり」「十字架に足置のあり水温む」「紫陽花に電車の風の当たりけり」「新涼や紙の音して鳩立ちぬ」。さりげないのに、味わい深い。素っ気ないのに面白い。不思議な句を作られる方だと思う。山口明男氏「一茶忌の少しこげたる玉子焼」「忘年や並びて動く鶏の顔」「土嚢より土現るる恵方かな」「白魚のすみずみまでも灯りけり」「温む水大きな影を動かしぬ」「ゆつくりと山濡れてゆく挿木かな」「ぼんやりと道のつづきし松の花」。大人の風格を感じる諸作だと、つくづく思いました。ゆったりどっしりした味わいの句群の中に、俳諧味のある句を交えられるところも、配列の妙と感心しました。日を改めて、さらに同人の方たちの句を紹介させていただきます。それにしても、文字通り「一騎当千」の方たちの集まりと感じられる同人誌『静かな場所』ですね。
金曜日。ミューズのレッスン。先週は、参加したもののしんどくて早めに切り上げてしまったが、今回は一度帰宅して軽く食事を取って出かける。それが良かったのか、まったくしんどさを感じなかった。前回は、単に空腹だったからなのだろうか……? 今日から、チケットの販売が始まる。とりあえず十数枚を申し込んでおく。150人ほどの会員がチケットを申し込んだそうだが、販売数は600枚ほどで、いつもに比べたら売れ行きはよくないらしい。初日、ほぼ完売という事もあったので、ちょっと心配ではある。練習は、全曲のうち8割程度が終了。今日は、終曲の練習が中心となった。ソプラノが大変美しい曲である。9時半前まで練習。その後、わざわざ京都駅構内を大回りして帰る。京都駅は、いつ来てもなかなか面白い場所である。
土曜日。朝から、借りてきたDVDを見る。月曜日返却なので、今日明日中に2本見なければならない。ハリウッドの大作映画。いろいろ批判もあるけれど、やっぱりちゃんとツボを押さえた映画作りは、ついつい最後まで見せる力をちゃんと持っているな、と感心する。ここまでやるか、というCGの利用も、開き直った面白さがある。古臭い言い回しだけれど、「センスオブワンダー」の世界が、脈々と息づいているのを感じる。
【07年4月12日】
「醍醐会」の案内状が届く。今月末の第五日曜日。今回は、句集の読後感。吉田啓郷氏の『春蝉抄』と対中いずみ氏の『冬菫』の二句集の読後感を話し合うことになる。ちょうど、同人誌『静かな場所』(田中裕明研究と作品)のNO2を送っていただき、その中に『冬菫』について、大石悦子さんの句集鑑賞を始め、『静かな場所』の同人の方たちの句集評が掲載されていて、随分参考になる。ちなみに、対中さん自身も、同人のひとりである。
木割大雄氏から『カバトまんだら通信』第二期七号を送っていただく。大雄氏の師である赤尾兜子の二十七回忌を迎えての感懐が語られてある。「今年、平成十九年三月十七日は、赤尾兜子の二十七回忌に当たる。不肖の弟子は、今だにその全作品を読みきれていない。『ちるさくら水の流れに離れつつ』『天地の耐えしさびしさ田螺鳴く』全句集の中からこんな句を発見して、どきりとするありさまだ。」『静かな場所』もそうだが、俳句における師と弟子との絆の深さと、それを可能にしている俳句という文学形式の持つ力というものを、つくづくと感じている。
新しい職場というのは、いずれにしてもストレスの多いものだと感じる。年度初めの諸行事が一段落し、今日から本格的に授業が始まる。久しぶりに教壇に立ち、やはりずいぶんと緊張を感じている。これから、長い一年間が始まる。それにしても、帰宅すると、もう眠くて仕方がない。ここ数日は、9時過ぎには、もう寝床に入っているという有様ではある。
そういえば、職場の周りは麦畑になっている。最近緑の穂がついているのに気づいたが、これが熟してきたら、ずいぶんきれいな景色になるだろうと思うと、とても楽しみである。麦の秋を心待ちしている。
【07年4月10日】
日曜、午後。連句の会は、4時半に平野神社「月の出」で待ち合わせということで、それに間に合うように出かける。岩城先生と「東海木語の会」の3名の方たちは、「花と緑の吟行会」を終えて、こちらに来られる予定になっている。JRの円町から歩くが、思ったより早く着きそうなので、方向をずらして北野天満宮に行ってみることにする。神社本殿の姿の美しさを改めて感じる。梅の名所であり、さすがにこの時期とはいえ、境内に桜の木は1本しか見あたらない。満開のその木の下で、まさに雲のごとき花を見上げていると、酔っぱらったおじさんなのか、周りの人たちに、こんなところで桜を見るんなら、北門を出て平野神社に行け、としきりに話しかけている。
平野神社は、まさに桜満開そのものの状態であった。ちょっと凄いくらいの状態であった。時間になって、「月の出」の桟敷に行ってみるが、まだ岩城先生たちは到着しおられないようなので、そのまま境内を鳥居の方までぶらぶら歩いて行く。参道の両側の桟敷席では、あちらでもこちらでも宴会が繰り広げられている。小さな屋台なども出ていて、トウモロコシやイカ焼き、玩具類などを売っている。スマートボールや射的場などもあって、子供たちが遊んでいたりもする。賑やかで、楽しい。そして、上を見ると桜のピンクの天蓋が広がっている。不思議な世界である。
「月の出」に引き返し、店の人に断って桟敷席で待たせてもらう。一行が到着したのは、5時過ぎ。タクシーでこちらに向かったのだが、渋滞で思った以上に時間がかかったとのこと。時間がないので、半歌仙を巻くことにして、まずは軽くビールで喉を湿らせ、泉仙のお弁当を食べながら、岩城先生の発句で始める。「洛外の齋きさきがけ桜かな」が、先生の句。その後、順番を決めずに皆で作りつつ、句を選んでいくやりかたで巻いていく。途中雑談を交わしながらも、9時前には巻き終える。連歌はメンバーによってその世界が様々に変化していく面白さがあるが、今回もなかなか面白い半歌仙になったと思う。了解をえられれば、次回の『鼎座』で掲載ができることと思う。座の途中で、中座して夜桜の下をぐるりと一回りしてくる。裸電球に照らされた桜は、異様なくらいの美しさであった。もし、たったひとりでこんな情景に対面することになったら、こちらの魂を吸い取られてしまいそうな、恐れに近いような感情を感じる。数日後には、すっかり散ってしまうであろう桜の花の異様な吸引力をつくづく感じる。
火曜日。ビデオに取っておいた「BS俳句王国」を何気なく見ていて、驚く。主宰の金子兜太氏の顔つきが変わっていたのだ。ご本人も、「顔が曲がってしまって」と発言しておられたが、顔面神経麻痺なのだろうか。闊達な語り口は相変わらずでありながらも、初めて金子氏に老いの姿を見いだしたようで、ちょっとショックを感じてしまった。
【07年4月8日】
金曜日。京都ミューズのレッスン。職場から、京都市内へ移動。2週連続で欠席している間に、新しいところへ練習は進んでいた。もっとも、これで3度目なので、即、歌い出すことは出来た。ただ、痩せたせいなのか、体力が随分落ちていて、途中で歌うのがしんどくなり、早めにレッスンを切り上げる。少し体力作りをしなければならないかも。そのまま、真っ直ぐ帰宅する。
土曜日。丹後の「すき句会」。いつもの通りの列車で行こうとしたら、3月18日のダイヤ改正で、列車が一部変更になっていて、少々戸惑う。句会への差し入れを名店街で買っておいて、大階段を使って駅ビル屋上へ出る。最近は、数句ここで作って句会へ出すことにしている。屋上からは、南は春霞でもやい、北側は北山連山がぐるりと一望出来た。さすがにその向こうに、比良山は霞んで影絵のようであったが。「橋立1号」の車中では、ずっと廣津和郎の「あの時代」を読み続ける。これは、朝日新聞で文芸を担当していた森田正治氏の著書『ふだん着の作家たち』の中の、筆者と廣津氏の交友を読んでいて、興味を惹かれたからだ。『ふだん着〜』の方も、朝日に新聞小説を連載した作家たちと担当者としての筆者との関わり合いの記録として大変興味深く、しかも面白い内容のものであった。「あの時代」は、芥川龍之介や宇野浩二との交友を描いたものであるが、間もなくカルチモンで自殺する芥川の姿や、極度の神経衰弱で精神病院へ入院することになる宇野浩二の振る舞いなどが、作者の心情も含めてとても繊細に詳細に描かれていて、胸迫る内容で、読み始めたらとまらなくなってしまったものだ。丹後に到着するころには読了。少し疲れて車外に目をやると、沿線の桜がほわりと優しい色で咲いているのが眺められた。以前は、橋立駅で特急に乗り換えていたのが、特急が廃止され、普通列車に変わったので、乗り換えも宮津駅でした方が便利だと車内放送で知って、携帯電話で同じ車中の岩城先生に連絡を取って、宮津で急遽下車することになる。
句会は、定時に始まる。宿題は「花祭」2句。持ち寄りは、5句から8句。さすがに桜の句が多かった。私は、過日真如堂で見た涅槃図の句を中心に出句する。岩城選には、「花祭」「涅槃図」「春の川」の句が入る。ちなみち最高点句は、Kさんの「日永」の句とSさんの「桜」の句。前者はちょっと言葉遊び的な要素もある巧みな一句、後者は柔らかな感性が魅力的な桜の句であった。出句数が多かったので、句会終了は、4時半ぎりぎりとなる。片づけをおえ、メンバーの方が帰られて後、車で駅まで送ってくださるMさんを交え、三人でしばらく俳句について話す。この時間も結構楽しい。時間が来たので、駅まで送っていただく。丹後ディスカバリーも、着時間が少し遅くなっていた。電車を待つプラットホームの脇に、句会でも話題になった「ホトケノツヅレ」が小さな花を咲かせていた。8時過ぎに京都着。自宅に帰ると、大阪でのレッスンを終えた甥が、すでに到着していた。京都駅から電車に乗って、うっかり寝過ごして、奈良まで行き、大仏と鹿を見てきた、とのこと。長閑な話である。
日曜日、甥を駅まで送り、その後郵便局と買い物に行き、府会・市会議員選挙を済ませて帰宅。夕方からは、平野神社の「月の出」で連句の会の予定。
【07年4月5日】
加藤彦次郎氏の句集『方丈記』の中から、その句集名にもなっている『方丈記』を素材とする三十八句の連作の中から、面白いなと思った句を紹介したい。ある新聞の句集紹介の記事の中で、竹中宏氏が語るように、「身辺のなんでもない事物をなんでもなく描けば俳句になるという、そんな一般に流布している教えは、氏を納得させない」ように、この一連の作品も鴨長明の『方丈記』を題材としつつ、作者の自在な想像を作品化したものだ。「凶年や牛の睾丸草を擦り」「黒ぐろと鴨が流るる夜火事かな」「炎上や七珍万宝空にあり」「発心は葱折れてゐる匂ひより」「而して庵結べり春の山」「手は奴足は乗り物春の雲」「蓬長け世の衰ふる気配あり」「捨てし世をすたすた歩む竹落葉」「高麗笛となるべき竹を伐りにけり」「惑ひつつ澄みたる独楽となりにけり」「大沢も広沢も鴨帰ること」。その自在な詠みっぷりが見事だ、と思う。
今日は、午前中は会議、午後は赴任者のガイダンスで、少々疲れた。新しい環境の中で、不慣れなことも多くて、気疲れしてしまうようだ。それにしても、前の職場に比べ、LANが整備されていて、自分の机にいてネットに繋がったり、内部資料を取り寄せられたり、プリンターが使えたりと、快適な環境はちょっと気分が良い。昨日は一日中、教材準備に費やし、授業教材を現文・古文ひっくるめ十数種類作る。ネットが自由に使えるので、古典教材の補助資料を集めるのが簡単で随分重宝した。説話の「浦島太郎」を教材とするので、丹後の浦島伝説や浦島神社の説明や画像、丹後風土記逸文など、色々資料を集め、それを再構成して教材に仕立てる作業はなかなか楽しい。時間的な余裕があれば、いろいろ工夫できる余裕が生まれるので、休業期間中というのはありがたいものだ。一太郎の文字の中抜き機能を使って、今はやりの書写本ふうなものを作ってみたりもした。結構うまく出来たので、はやく実際の授業で試してみたいという気持ちにもなるものだ。
本来は、最寄りの駅からバスを使って通勤する手はずなのだが、気分的に余裕があるので、朝夕の行き帰りは、かなり長い時間を徒歩で行き来している。朝はそれでも、7時40分には職場に到着するので、余裕を持って仕事に取りかかれる。今朝は、北山の稜線が雪で白く見えたのだが、それでもさほどの寒さを感じなかった。昼は、かなり温かく、夕方駅へと向かいながら、川沿いの桜並木が満開になっているのを眺めつつ帰る。
『鼎座』第8号の感想を少しずつ頂いている。ありがたいことだ。「発想の森」についても、感想をいただいている。こんな事は、めったにないことなので、これもありがたい。
【07年4月3日】
新しい職場で仕事を始めるようになって、さすがに緊張しているのだろうか、今朝は4時過ぎくらいに目が覚めてから、眠れなくなってしまった。ここでもう一眠り出来ると、気持ちよく目覚めることができるのに、と思いながら、色々考えているうちに、とうとういつもの起床する時間になってしまった。起きる段になって、何をとりとめもないことをうろうろと考えていたのだろうか、と呆れてしまう。いつもより早めに家を出る。寒い。四月に入って、肌寒い日が続いている。花冷え、と言うと、ちょっと美しいイメージを伴うけれど、寒いのはもうそろそろ終わりにしてほしいな、と思う。電車に乗り込んで、軽く暖房が入っている車両に和むと、急に眠気が襲って来る。目を閉じると、ふらっと眠りの方に引き込まれていきそうだ。間の悪いことに、車中で読む本を自宅に忘れてきてしまい、読書で目を覚ますわけにもいかない。出勤時間としては十分余裕を残しているとは言え、このままうつらうつらして下車駅を乗り過ごしたりするのも煩わしい。仕方ないので、一つ前の駅で下車して、職場まで歩くことにする。風が寒く、お陰ですっかり目が覚める。夕方まで、パソコンの前で仕事。
昨日は、月曜会。投句時間ぎりぎりに会場着。あわてて、席題3句を作る。「土筆」「春眠」「黄砂」。10分ほどでともかくまとめ上げ、あらかじめ用意しておいた5句と併せて、8句を投句する。結果としては、辻田選はなし。「涅槃図」の一句だけが、ちょっと辻田先生の興味を惹いたようだ。句会の席で、加藤彦次郎さんから句集『方丈記』をいただく。『方丈記』は、昨年度の宇治市主催「紫式部市民文化賞」の受賞作品集である。「あとがきにかえて」という彦治郎さんの文章を紹介しておきたい。「去年の9月、下咽頭癌で、言語・音声機能を失いました。その時の孤絶感・隔絶感はすさまじく、適応障害に陥りました。そんな時、それまで細々と10年近く続けていた俳句が私の目の前に棒切れのように転がっていました。それを拾ってみると、声を失ったことは悲しみでしたが、その悲しみを半分にしてくれる力が俳句というものがあっることに気づき、自分で驚きました。それは生きる力と言い直してもよいようです。そういう力を俳句が持っていることを誰彼なしにいいふらしたいと素直に思うことができ、それがきっかけとなって応募作をまとめました。読みづらい生原稿に目を通してくださった選考委員の先生方に感謝いたします。」。作者と作品、そして俳句というものにちょっと感動してしまいました。
遠藤順子著『夫・遠藤周作を語る』を読んでいる。その中で、晩年の遠藤氏が薬害のために全身の痒みに苦しめられたこと、そんな遠藤氏が旧約聖書の「ヨブ記」の主人公ヨブの身の上に自己を重ねる中で(ヨブも悪魔のたくらみにより、様々な苦痛を味わう中で、その一つに強い痒みに襲われ、大変に苦しむというエピソードがあるそうだ)、自らの「ヨブ記」を書こうと決意する中で、その苦痛を乗り越えていかれた、というお話を読み、あっと思った。『鼎座』第八号で私の書いた「クリスマス」という話が、原因不明の苦痛に襲われる主人公の美那子とそれを見守る私との話だったのだ。「痛み」と「痒み」の違いこそあれ、原因不明の苦痛に苛まれる人間の苦しみの姿と、そこからの克服の道のりが遠藤氏と「ヨブ記」の中にあるのではないか、と思ったのだ。宗教書としてではなく、遠藤氏の作品を読んできた者が、改めてこんな形で遠藤周作と出会うことになるとは、との感慨が深い。ともかく、一度「ヨブ記」を読んでみようと思う。
【07年4月1日】
『鼎座』第8号の発送を終える。今回歌仙にゲストでお招きしたSさんや連衆の0さんにはご迷惑をおかけしたと思う。今号は、特別作品4ページが増ページとなり、全部で17ページほどの、文字通りの小冊子である。忙しい時代に、「15分で読める冊子」と言うことも基本コンセプトの一つなので、これで良いかなと思う。同人(と言っても三人だけだけれど)個々の配布分を除けば、100部足らずをお配りしているだけなので、まさに微々たる活動ということになるかなとも思う。自分たちの身の丈に合った活動ということで、これはこれで良いかな、などと思う。ちなみに、今号の内容は、『作品10句』(「新年考・京事(八)」岩城久治、「血糖・プリズム(六)」清水貴久彦、「寒茜・汽水」minoru)、『創作』(「影踏み(その八、保田與重郎)」清水貴久彦、「発想の森(クリスマス)」minoru)、『特別作品三十句』(「生検」清水貴久彦、「神無月二十二日」minoru)、『歌仙』(「『師走の戸口』の巻」)というようなラインアップになる。発行遅れが、もろに反映している内容、と改めて思う。反省しきり、である。
土曜日、午前。京都洛東の「真如堂」の涅槃図の公開が3月中ということなので、「泉湧寺」の涅槃図を見逃したこともあり、出かけてみることにする。空模様は、次第に雲が厚くなりつつあるけれど、まだ雨は来ないものと判断する。京都の良さの一つは、それなりに公共交通機関があること(まだまだ不便だ、との声もあるけれど)と、どこを歩いてもそれなりに歩きを楽しめる環境がある(最近、景観論争が改めて高まってきているが)ということだと思う。京阪丸太町駅下車、丸太町通り、白川通り経由で「真如堂」へ。こちらの道からだと脇門の方から入ることになるようだ。境内の桜はまだまだで、どこかで鶯がしきりに鳴いている。本堂の中で拝観料600円を払って、涅槃図の前へ行く。江戸時代の作とのことで、縦6メートル横3メートルの立派な涅槃図である。実物の涅槃図は初めて見るので、随分長い間、絵の前に座っていた。薄暗い本堂の中で、そこだけ照明があてられてほの明るく浮かび上がっている様が印象的であった。時折、浮かんでくる句を手帳に書き付けておいた。後で数えたら8句ほどあった。その後、別棟に移動して、涅槃の庭を見る。東山が借景となる枯山水の庭で、指呼の間に如意が岳(大文字の送り火の山で有名)が眺められる。庭そのものは、こじんまりとしたものだけれど、白砂と石と木々の対照が美しい。ここでも、ただひとりでかなり長い時間をぼんやりと過ごす。良い時間であった。
見学を終え、住宅街の中の細い道を通って帰る。京大病院前の「教育文化センター」の食堂で、遅い昼食を食べる。ここの日替わり弁当は、値段・味ともになかなか良いと思う。鴨川伝いに京阪三条駅まで。ついでに、川端三条の「ブック・オフ」に寄ってみる。遠藤順子著『夫・遠藤周作を語る』、藤木倶子『句集 堅香子』、堀口星眠『句集 青葉木菟』、丸山海道『句集 露千万』、そして小川英晴の詩集『誕生』を購入。小川氏は、小川未明の孫で、京都ミューズで唱った『創生記』の原詩の作者である。なぜこの人のこの句集がこんなところに、とびっくりすると共に、ありがたくもあった。帰りの車中で、少しだけ『誕生』を読む。『創生記』と深い繋がりを持つ詩集である。そういえば、前回の『創生記』合唱の際に、『創生記』世界の理解を深めるためにということで、紹介されてあった詩集であることを思い出してもいた。
日曜日。今日から、四月である。エイプリルフールの日ではあるが、今の世の中、「嘘みたいな」出来事が頻発していて、何が本当で、何が嘘やら、馬鹿馬鹿しいほどに混迷しているなどと思ってしまう。そういえば、今日は、姪の大学入学式の日であった。喜ばしいことである。