日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
06.12「日々録」
07.1「日々録」
07.2「日々録」
07.3「日々録」
07.4「日々録」
【07年5月31日】
結局、五月は、眠い眠いで過ぎた1ヶ月のような気がする。新しい職場に移って、2ヶ月が経過し、ようやく慣れてくるとともに、溜まっていた疲れが少しずつ出てきたせいなのだろうと思う。今日は、近所に住む同僚の人の車に乗せてもらって帰宅。車中では、ゴルフの話。こちらは、やらなくなって7〜8年たつけれど、話を聞く分には結構愉しい。
7時過ぎに帰宅。料理を作るのも面倒なので、近所のコンビニで買った出来合いのもので夕食。食事を終えると、もう眠い。困ったものである。
日曜日の「翅の会」。レポート発表後、色々討論していただき、改めて一から出直すこととする。会を終えて、今年初めてのビヤガーデンに行く。夕景の京都の町はきれいだったけれど、風が強くてかなり寒い初ビアガーデンとなった。もっとも座席は満員で、観光客や小さな子供達まで団体でやって来ていたものだ。最近のビアガーデンは、昔の百貨店の食堂みたいな雰囲気である。もっとも考えてみると、ビアガーデンに来たのは数年ぶりのことだった。
杉浦さんから『quatre』NO25を送っていただく。今号のテーマは「数学」。中田美子氏「朝桜関数ひとつ解き明かす」、金山桜子氏「惜春の博物館の粘土板」、上森敦代氏「公式のとおりに曲がる春の水」、杉浦圭祐氏「三月の雨や不可説不可説転」(「不可説不可説転」とは仏典に現れる最大の数詞だそうだ。超空間あるいは異空間に降る三月の雨とは、などと勝手に思ってみたりする)杉浦氏の「風の記」は、毎号楽しみに読んでいる。今号は、いつになく気になる終わり方(続き方というのか)をしているので、次回が一層気懸かりなことである。
【07年5月27日】
土曜日。クラブの保護者会が思った以上に長引き、同僚の車に便乗させてもらって帰宅したのは3時過ぎだった。ともかく、昼食もとっていないので、あり合わせのもので食事をとる。「翔の会」のレポートをまとめようとするが、酷く眠くて、しばらくベットで横になっているつもりが、いつの間にか眠りこけてしまって、目を覚ましたのは6時前だった。時間をロスしたけれど、頭はすっきりしていて、その勢いで、一気にレポートをまとめ上げる。2時間ほどで、本文と資料編をまとめる。なんとなく、メモの延長みたいな内容で、申し訳ないような気もするが、とりあえずこれで一端終了とする。「糖質ゼロ」の缶ビールを1本のみ、軽く夕食をとり、メールを2本送る。その後、久しぶりに夜のウオーキング実施。涼しくて、歩きが気持ちよい。帰宅後、シャワーを浴びるつもりが、面倒になってそのまま寝る。夜中に数度目を覚ますのはいつもの事だ。
日曜日。朝食7時。その後、洗濯と掃除機かけ。ダイニングのフローリングの一部が浮きかかっているのが気になる。貼り付けていたボンドが効かなくなってきているのだろうか。昨日まとめたレポートの読み直し。追加と修正。その後、プリンターで打ち出そうとするが、ややこしい問題があって、B4の大きさで印刷できず、A4の詰め詰め印刷となる。読みづらい。コンビニのコピー機は「拡大」が出来たのだろうか……。
ともかく、朝から暑い。思わずエアコンをかけようか、と思う(かけなかったが)。今日も黄砂の影響が残っているのだろうか、ベランダから見える風景は、ピンぼけ写真の風情である。一層暑さを募らせるようだ。
「翔の会」は午後からなので、少し時間がある。『鼎座』第9号の短編をちょっと書いてみようか、と思う。先日、府立植物園に行ったのだが、そんなことがネタのひとつにならないか、などと漠然と考えている。
【07年5月26日】
早朝は、かなり濃い霧がかかっていた町並みも、8時近くなる頃には、厚い雲が上空に広がってはいるものの霧は上がり、明るさを取り戻している。洗濯を終え、朝食を済まし、今日は第4土曜の「資源ゴミ」の日なので、新聞紙を二山マンションの公開空地まで運び下ろす。つけっぱなしのテレビからは、繰り返し「年金問題」が放映され、責任の所在があやふやなまま、追い風を背後に受けた風な野党議員の追求に対して、太り気味の総理大臣や痩せた担当大臣が、時に怒声を発しつつ、しどろもどろの答弁を繰り返しているようだ。
今日はクラブの父母会が予定されているので、遅めに出勤予定。天気予報では暑くなるとのことだが、曇りのため予想ほどではないにしろ、確かに暑くなりそうな気配である。ここ二・三日、上着を着ないで出勤しているのだが、今日は鞄の中に上着を準備しておかねば、と思う。
そもそも、「翔の会」の辻田克己研究で、辻田氏の諧謔を取り上げようと思ったのは、最新句集『稗史』を読みながら、自らの俳句の進むべき方向に対してさらに肝の据わった姿勢を「どん」と感じたと言うことがあり、その方向性の中に、従来から毀誉褒貶はありつつも同氏の作柄の特徴として評価されてあった「滑稽・諧謔」の要素が、さらに強く打ち出されてあるような印象を受けたことがある。すでに、その一つ前の句集『焦螟』のあとがきにおいて、「滑稽味を帯びた句」に対して、辻田氏らしい慎重さの中で、「面白い俳句を作ってやろうと意図したことは一度もない。滑稽など、演出できるものではないからで、そんな事をいったら滑稽が泣くだろう。」との、やや屈折を含む一文があり、以前「醍醐会」の『焦螟』句評において、「そうはいっても、滑稽味を帯びた句に対して、全く意図・企図なしということもあるまい。」との発言があったりして、その両方に対しても興味を感じたということもある。
その後、ある年度の『俳句研究年鑑』の中で、大石悦子氏の「作品展望70代」の記事の中に、先の辻田氏の発言に呼応するような、辻田俳句鑑賞の一文を見出し、なるほどと肯く経験もあった。これらを出発点として、なんとかレポートをまとめてみようとしたのだが、そこでちょっと足踏み状態になってしまっている。これが、辻田作品を通じての「滑稽味」分析みたいなものであれば、実作品を例に挙げつつ、その特徴点を(いつだったかの、『俳句』合評鼎談の中で小島健氏がちょっと触れておられたように)「表現」面(たとえば、巧みな比喩表現の活用とか、リズムの微妙なずらし、部分の拡大・縮小とかの方法面)、「内容」面(意味のずらしや、拡大・縮小による焦点化……絶対化・相対化の違いはあれ、どちらの場合も、結果としてはある凝縮された内容が描き止められる点で、等がもたらす「発見」と言ってもいいけれど一種の「違和感」とか……考えてみると、たわいないとも思われる作は除き、辻田作品の「滑稽」味とは、この「違和感」がもたらすもののようにも思われるのだが)双方からの分類・分析でまとめ上げ、そのよってきた所を辻田俳句の特質や独自性として押さえていくことができるのかもしれないけれど、それを評論やエッセイという分野に限定して検証していくのはかなりくるしい。言葉として語られ、説明されているものがないと、なかなか話を展開しずらいのだ(と書きつつも、実は配付資料の中にそれがあるのに、こちらが気づいていない迂闊さというものも大いにありそうなのだが)。丹後のMさんにお願いして、『幡』誌の中で、辻田氏が「滑稽」や「諧謔」について直接触れておられる文章があれば、送っていただけることになってはいるのだが、明日に間に合いそうにない。……また、愚痴をこぼしてしまったようだ。書きながらちょっとずつ内容を整理しつつもあるのだが、『日々録』を思わずメモ代わりにしてしまったようだ。
【07年5月25日】
試験第一日目。午後、先週の土曜出勤の代休を取って帰宅。帰り道、いつもの書店で『俳句』6月号を購入。帰りの電車の中で少し読む。蛇笏賞決定。岡本眸氏が受賞とのこと。満場一致の受賞だったのだろうか。NHK俳壇の選者としての姿を何度かテレビの画面でみたことがある。句集『午後の椅子』抄出50句を読む。「温めるも冷ますも息や日々の冬」はこの人の作であったかと思う。以前俳句総合誌(『俳句』だったか)で読んで、印象的な句だったのだ。
帰宅後、「翔の会」のレポートをまとめようとする。が、どうにも上手くいかない。ともかく、取り急ぎまとめておいて、7月までにもう一度体制を立て直した方が良いか、と思う。何とも気弱な事である。
石峯寺の五百羅漢像が多数引き倒されたという。伊藤若冲が下絵を描き、作らせたものだという。寺の背後の竹藪の中に設けられた、釈迦の誕生から寂滅までを描いた石像群。素朴な羅漢像がほのぼのとして、とても良かった。その羅漢像を乱暴に引き倒したものが、時折出没するという動物ではなく、人間だったとしたら、その人間の心根に対しただ呆れるばかりである。ちょうど伊藤若冲の作品展が開催されていることもあり、若冲が注目を浴びている最中の出来事である。
例えば、年金納入記録が5000万人分特定されていないという。本当に信じられないような事が現実に起こるものだと思う。すでに、10年前にはその事実は確認されていたとも聞く。そのまま手つかずのまま放置していたらしいとも。本当に、国家としての機能の一部が完全に破綻しているのではないか、とその事を恐れる。単純に「死刑」を是認するわけではないが、例えば「死刑廃止」という理念や思想のために、21名もの大弁護団を結成して、異様な主張を展開しようとする一群の弁護士達の姿に、司法制度の破綻のようなものを感じ取ったりもする。色々な立場があり、様々な考えがあり、種種の主張の機会と場があることは認めるし、それらは尊重されなければならないとも思うが、それにしてもどこかで何かが煮詰まっている状態になっているのではないか、とも思う。そんな状況が、なんとも恐ろしい。
【07年5月22日】
ともかく、眠気との戦い状態である。仕事を終え、帰宅して、夕食を食べると、もう眠くて仕方がない。テスト問題は、頑張ってなんとか仕上げたので、その点は気楽になったのだが、「翔の会」の発表は迫っているし、『鼎座』の小説も実はまだ手つかず状態である。清水さんからは、締め切り指定日の20日にきっちりとメールで原稿を送っていただき、内心申し訳ない気持ちでいるのだが、ともかく何とかしなければと考えている。「翔の会」のレポートも、手元にある資料の再読込はほぼ終了したのだが、レポートの内容はどうにもおぼつかない。今ふたつもみっつも突っ込みが足りない、という感じ。昨夜読んでいた資料の中で、山口誓子の後期の作品に「軽み」を見、その要素の中に「滑稽」を含める辻田氏の読み取り方に興味を惹かれたのだが、こちらの力不足で、そこからの展開が出来ない有様である。こんな調子で、色々な方向に対して中途半端に線が引かれていると言うのが、残念ながら現在の状態。当日は、どんなレポート報告をすることになるのか、かなり気がかりである。昨日、加田由美さんから分厚い追加資料を送っていただいた。今夜は、これを読まなければ、と思う。
それにしても、すでに帰りの電車の中で、本を読みながら、ついうとっとしている状態なのだ。時には、そのまま眠りこけてしまいそうな恐れを感じて、本を読むのを中断して、眠気が去るのを待つことがある。そうこうしているうちに、駅へ到着してしまったりしているのだが。ともかく眠いといいつつも、朝はきまって5時10分には起きているのだが。これを6時起床にまで持ってくれば、全体に一日のリズムが微妙に変化して、暗くなると眠くなるという(ある意味とても健全な状態なのかもしれないけれど)、現在の状態が変化するやもしれぬ、とも考えている。しかし、6時まで寝ることの方が、眠いのを我慢して起きていることよりも一層エネルギーを必要としそうな気も、一方ではするので、相変わらず5時10分になるとおもむろに起床ということになる。朝が早い分、確かに朝食の準備や朝の支度、トイレでの読書(先日までは、少しずつ『新C言語入門』という初心者向けのコンピューター言語関係の本を読んでいた。一冊読み終わったので、今度は『C++基礎講座』という本を読んでいる。こっちの方は、かなりちんぷんかんぷん状態である。そもそも、早朝のトイレ読書にふさわしい本なのかどうかが、疑問ではあるのだが)など、ずいぶん時間的に余裕はあるのだが。
【07年5月19日】
一日仕事のはずが、半日仕事となってしまった。これはこれで、ちょっと残念である。トーナメントのかなり良いところまでいけるのではないかと判断して、試合会場が周りに何もないへんぴな場所なので、昼食も自分で弁当を作って準備をして、万全の体制のつもりで出かけたのだが、残念な結果に終わってしまった。
引率を終えて、そのまま帰宅。部屋で遅い昼食を食べる。自宅で食べる弁当というのは、なんとなく侘びしい。天気は良くない。寒気が入り込んでいるせいか、突然土砂降りの雨が降り出したりして、帰る途中も難儀をした。往復の車中では、秋元不死男の『俳句入門』を拾い読みする。辻田先生が、俳句入門の時期に読んで大変共鳴した評論とのこと。「俳句」と「諧謔」について、何か書かれていないかと本文渉猟をするが、「諧謔」についてはほとんど触れられていなかった。「俳句独特のポエジー」というところで、詩性の内容の中に「枯淡・閑寂」等と並べられて「諧謔」という言葉が出てくる程度であった。
夕方までは、テストの原案作り。時間的に余裕が出来たのはやはりうれしいものだ。
明日は、京都市内への引率。今日よりは明日の方が試合は厳しいと考えていたので、あるいは明日も半日仕事で終わるかもしれない。ただ、こうなるとせめて明日だけでも勝ち進んでほしいという気持ちにもなってくる。
【07年5月18日】
10時過ぎに帰宅。ミューズのレッスンに参加しての帰宅である。空模様が怪しくて、北の方の空が、時折ぴかりぴかりと稲光に照らされている。間もなく酷い雨が降り出しそうな気配である。
明日・明後日は、久しぶりにクラブの引率。両日とも一日仕事になりそうなので、若干気が重い。来週後半から中間考査が始まるので、試験作りも進めなければならない。「翔の会」の資料の読み込みと、『鼎座』第9号の原稿書きも控えている。なんとも盛りだくさんな日々になりそうである。そんな中で、高村光太郎詩集『智恵子抄その後』とか、『高村光太郎と智恵子』という詩作と書簡の本なども読んだりしている。『智恵子抄その後』は、6編の詩とエッセイで構成されたものだが、その両者に光太郎の静謐な心境のようなものが感じられて、『智恵子抄』とはまた別の深い感銘を受けたものだ。
居間のガラス戸を1枚開けているのだが、それでも室内に何となく昼間の熱気みたいなものが残っているようだ。どうやら、雷雲は別の方向に進んでいったらしい。時折、遠くからの雷鳴が届くだけだ。雨は、降り出したようだ。これで少し室内も涼しくなることだろう。
もう少し休んだら、とりあえず試験問題作りの第一弾に取りかからねばならない。少々眠いのが辛い。
【07年5月15日】
日曜日。予定より随分早い時間に本箱が届く。さっそく、寝室に据え付けてもらう。部屋に置いてみると、思った以上に、大きい。午前中一杯、そして午後にかけて、昼食もとらずに、本の整理をする。書斎の本棚から、俳句関係の本で特に興味深い評論関係の本、全句集関係の厚手の本、身近な人たちの句集や評論、著作などを中心に置くことにする。その分、書斎の方の書棚に余裕が生まれたので、ちょっと本を仕入れに行こうと思う。最近は、俳句関係の本を手に入れるのに、古本屋だけでなく「ブック・オフ」をよく利用する。こまめに探していくと、意外と良い本に比較的安く巡り会えるのだ。
今日は、2軒まわってみることにする。一軒は、近鉄東寺駅前店。小さな店舗で、俳句関係の本もわずかしか置いてなかったので、一通り見て、店を出る。そのまま、次の店舗、五条堀川店へ向かう。暑いくらいの陽気で、歩くにはちょっときつい日和だったけれど、ともかく歩き出す。東寺が近いので、立ち寄る。新緑が眩しく、そんな木々の向こうに姿よく立ち上がる五重塔がなかなか良い。JR線に沿って西行するが、随分西に行きすぎたせいか、五条堀川まで引き返すのに随分時間がかかる。ただ、その途中、松尾大社の御旅所で小さな縁日や御輿の渡御などを見物出来たのは幸運だった。ひどい大回りをした挙げ句、五条堀川の「ブック・オフ」へ。1階が駐車スペースになっている、ずいぶん大きな店舗である。店内をゆっくり歩き、面白そうな本を物色する。結局、そこでは小島健著『大正の花形俳人』、時実新子句集『1と2と3と4』、花神コレクション『金子兜太』句集、三田誠広著『白い丘』の4冊を購入。俳句関係の本は、ここでもあまり多くは置いてなくて、また価格的にも少し高いような印象を受ける。五条烏丸まで歩き、地下鉄に乗る。
夜、「翔の会」の発表の準備として、辻田克己関係資料を読み直し始める。すでに何度か読み返している資料ではあるが、今回は「諧謔」という点にポイントを絞って読んでいく。読みながら、一太郎を使って関係部分の引用集を作る。辻田作品における諧謔味は、ほとんど定番的な内容とはいえ、それを筆者の評論・エッセイの中から抜き出していくのは、それほど簡単というわけにはゆかない。ほとんど収穫なしで、疲れて就寝。
月曜日。帰宅の途中で、いつもの本屋に立ち寄り、『俳句研究』6月号購入。飯田龍太特集。大岡信の文章を少しだけ読む。今夜も、帰宅後は食事を済ませてから、一休み後は資料の読み直し作業。少し整理が進む。
【07年5月12日】
金曜日、夕方。ミューズのレッスン。先週は連休のために練習は休み。今回は、「サンクトス」の部分の練習。きれいな曲である。アルトパートは最後の数小節しか歌う部分がないので、別練習。8時過ぎからの合同練習では、初めて全体を通しての練習となる。9時過ぎまでかけ、一応一通りを歌い通してみる。まだまだ雑な部分が多い。これからという事なのだろう。本番は7月14日。当面、本番指揮者のレッスンまであと4回の練習。指揮者レッスンは、その1回と本番前日の京響とのオケ合わせ、そして本番当日のゲネプロの3回のみなのだ。そんな貴重な練習の1回のためにも、ある程度の形を作っておく必要があるらしい。来週の土日は京北町で合宿(私は仕事のため両日とも欠席なのだが)。そこでどこまで行けるかが大きな意味を持つと言う。チケットの方は、ようやく800枚超。しかし、満席を目指すならあと600枚は売る必要がある。なかなか厳しい状況である。
土曜日。丹後の「すき句会」。クラブの関係で欠席するはずだったのだが、事情が変わって参加できることになった。少し早めに家を出る。京都駅で、句会への差し入れを買って、駅屋上で何句か作るつもりでいたのだが、2句ほど出来ただけだった(結局、句会には出さず)。それにしても、良い天気である。北山の山並みから、その向こうに比良山系の姿までがくっきりと眺め渡せる。駅の大階段下のステージでは何かのコンサートが予定されているらしく、まだ9時前なのに、若い子達がたくさん集まっていた。「橋立1号」では、窓外の新緑の山並みを眺めながら句作り。少しうとうとして、その後は大岡信編の『現代詩の鑑賞101』を読む。現代詩のアンソロジーのようなもの。現代詩の実に多彩な世界の一部に触れた思い。面白い。三木卓「客人来たりぬ」、鈴木志郎康「私小説的処女キキの得意なお遊び」(何て言うタイトルだろう……)、富岡多恵子「身上話」、清水哲男「チャーリー・ブラウン」、吉行理恵「青い部屋」、長田弘「ふろふきの食べかた」、などいずれも面白かった。
丹後は暑いくらいの陽気。岩城先生のお宅に着いたときは、すでに大方の会員さん達は来ておられて、当日の席題「初夏の露」を作っておられるところだった。犬のビッキーも6畳の部屋の方で昼寝の最中。構ってやる余裕もなく、こちらも席題句を考えたり、句会の準備を進めたりする。1時過ぎから句会。宿題句は「つちふる」席題は先に紹介した「初夏の露」。それ以外に持ち寄り句を7〜10句投句。最高点句は5点で数句、4点句も同様で、全体に点が散らばったようである。4時半過ぎに句会は終了。会員の方をお送りしてから、岩城先生、水野さん夫妻としばらく俳句談義。ビッキーも部屋から出てきて、岩城先生の足下にごろりと横になって甘えている。そこで、岩城先生が昭和41年に出された『負債感』をいただく。第一句集以前に出しておられた作品集である。高校時代の作から教師になってしばらくの頃までの作品をまとめられたもので、やがて第一句集へと内容が整えられていくものである。丹後のお宅の蔵書を整理しておられる中で偶然出てきたとのこと。清水さんから内容を以前お知らせいただいていたとは言え、こちらとしては「幻の句集」であり、大変幸運なことであった。
帰りの車中では、『現代詩の鑑賞101』の続きを読む。吉野弘・茨木のり子の一連の作、中村稔「夜」、辻井喬「白い馬」、岸田衿子「音無姫」、新川和江「わたしを束ねないで」、川崎洋「結婚行進曲」飯島耕一「母国語」、多田智満子「初夢」など。茨木のり子は、別に図書館から詩集『よりかからず』を借りてきて読む。毅然たる姿勢が快い。京都駅からの帰りの近鉄で、偶然同僚の人と出会う。帰宅後、お土産にいただいた「とり松」のばら寿司を夕食にいただく。美味。
【07年5月10日】
体調が十分回復をしていないせいか、夜になるととにかく眠くて仕方がない。今月末には、「翔の会」の辻田先生についてのレポートの大筋を報告しなければならないので、帰宅後はそのために時間を使わなければならないのだが、睡魔に負けて、どうにも資料を読み直す気力に欠けているようだ(とは言いつつも、少しずつ資料の読み直しを進めてはいるのだが。だが、何とも今ひとつだ)。
眠る時間が長くなるとは言え、その分眠りが浅くなるせいか、いろいろな夢をみている。随分奇妙な夢(岩城先生の部屋掃除の夢もそんなものの一つなのだろうが)をみたりもする。そんな中で、繰り返し繰り返し出てくるのが、大学時代の下宿の四畳半の部屋なのだ。大学を卒業してすでに数十年、数年前にその下宿を訪ねて、すでに部屋のあった場所は駐車場に変わっているのをこの目で確かめてきているにも関わらず、いまだにその部屋に繰り返し帰っているのだ。時には、夢の中でそんな状態に対して自ら不条理な感じすら抱いているにもかかわらず、ふと気がつくとそこにいるのである。
下宿と言えば、丹後の宮津での生活、途中二戸一の家に変わったとはいえ、学生時代と同じ四畳半一間の部屋に数年を過ごし、京都に帰ってのちも、バストイレ付きとは言え、六畳三畳二間の部屋で随分長い時期を過ごしたにも関わらず、それらの部屋あるいは家はほとんど夢には登場しない。出てくるのは、決まったように学生下宿の四畳半のあの部屋なのだ。部屋の半分近くをベットが占め、机と椅子、そして本棚。小さなテレビ。簡素と言えば本当に簡素な部屋が、ほとんどそのままの状態で夢の中に現れる。自分は、学生だったり、社会人だったりするのだが、いずれにしても常に居心地の悪さを感じつつも、そこに留まってしまっているようなのだ。その四畳半が自分の原点のひとつなのか、あるいはその時点からほとんど何も変わっていないということなのか、とにかく夢の中においても、夢から覚めた後も「居心地の悪さ」を感じ続けている。困ったものだ。
「部屋」というタイトルで、いつか『鼎座』に書いてみたいと思う。どんな話になるのかは、皆目わからないけれど、おそらく意味のある一作になることだろうと思われる。ただ、いつそれが書けるのか、それは分からない。とりとめもなくこんな事を書き付けているうちに、まだ9時を少しまわっただけなのに、もう眠くて仕方がない。困ったものだと思う。
【07年5月8日】
5月5日と言えば、上賀茂神社の競べ馬の日だったけれど、同じ日、伏見区の藤の森神社では、駈け馬の神事がとりおこなわれる。長さ200メートルほどの走路を、馬に乗った氏子が馬上で様々な妙技を見せつつ駆け抜けるという、なかなか勇壮な神事である。近郷近在(とはなんとも古めかしい言葉ではあるが、たとえば「競べ馬」などにくらべたら随分ローカルな行事だろうとは思う)の人たちが集まって、走路の両側に大きな人垣を作って、駈け馬の神事を待つ。「駈馬」と染め上げた浴衣を着た氏子衆が、会場の取り仕切りを行っている。その姿も、なかなか凛々しい感じだ。神事本番は、馬上で文字を書いたり、逆立ちに近い状態で目の前を走り抜けたり、その速度と迫力は本当に賞賛に値するものだったけれど、実はそれ以上に心に残った、というのか気がかりな事が一つあったあった。
それは、神事本番前の馬に走路を慣れさせる試走の時に起こった事故である。駈け馬の神事用の馬は全部で3頭いたのだが、その中にきれいな白馬(あおうま)が一頭いた。それは、今年初めてこの神事に参加する馬だったという。その馬が、初めての試走の際、ゴール地点で転倒してしまったらしい。行事はかなり長時間中断し、会場は何が起こったのかと次第にざわつきを増しているような状態だった。そんな中で、どうやら馬が転倒して動けなくなったらしいという事が人づてに伝わって来た。様子を見に行くと、たしかに地べたにあの馬が横倒し状態になっていて、とても動けないような様子だった。やがて、天幕に乗せられて、引きずるようにして運ばれていったのだが、後ろ脚に大きな傷を負っているようで、それが痛々しかった。地面にこぼれた血の跡を水で流しているのも無惨な感じがした。初めて見に行った行事で、不幸な場面に遭遇して、強く印象に残ってしまったものだ。あの白馬はどうなったのだろうか、と気がかりである。
6畳ほどの書斎に使っていた部屋が、収拾のつかない状態になってきたので、とうとう寝室とダイニングに書棚を置くことにした。置こうと思えば、廊下にずらっと本棚を横並びにする手もあるのだが、それでは人間の歩行が困難になるので、それは最後の手段として、とにかく本箱を購入に行く。このマンションに引っ越したとき、そこで新しい家具のほとんどを購入した店を今回も利用する。ちょっと予算より高かったけれど気に入ったものが一つあったので、寝室置き用に購入。一回り小さい本棚は、予算の関係で近所の大型スーパーで購うことになった。これで、少し本が分散されることになるので、書斎の環境もそこで本を読める程度には改善されそうだ。本当は、思い切って本を大量処分すれば良いのかもしれないが、まだそこまでの踏ん切りはつかないでいる。
火曜日。体調が今ひとつの上に、五月上旬にしては異常に暑い一日で、少々へたばってしまう。この気候は、一体どうなっているのだ。夜になっても、まだ暑い。国崎先生の著作は、ほぼ読了。面白い。俵万智の短歌の新しさと古さというものも、これを読んでわかったような気がする(個人的には、俵万智の短歌は好きで、歌集などもその都度購入したりしているのだが)。先生の著作には『啄木論序説』というのがあるはずなのだが、是非読んでみたいと思う。実作にも手を染めておられた時期もあるらしく、できれば短歌作品も読んでみたいものだ、とも思う。
【07年5月7日】
午前中、3時間の授業。ともかく、出勤。朝の立ち番、小テストの採点もこなして、午後年休を取り、退勤。いつもの駅で、担任をしていた卒業生に偶然出会う。5年ぶりか。クラブの顧問でも会った生徒。信号が変わるまでの短い間、立ち話。京都市内のホテルに勤めているとのこと。大変忙しいらしい。同じく、担任をしていた生徒の近況も少し聞く。懐かしいことだ。
帰宅。遅い昼食を取り、薬を飲んで寝る。熱がまだ下がりきってはいないので、額に熱ピタクールとかいうのを貼り付けて寝る。薬のせいで、夕方まで寝たり目を覚ましたりの状態であった。岩城先生が、大学時代私が下宿していた家に何故かしばらく部屋を借りておられて、近日引っ越すというので畳まであげて懇切丁寧に掃除をしておられるという、どう解釈したらよいか分からないような奇妙な夢まで見る。
今日は、本当なら「月曜句会」の日なのだが、こんな状態なので欠席。昨日今日と、大事な集まりを二つもパスすることになってしまった。残念である。中丼小とひたすら野菜の夕食を食べ、薬を飲んであとはまた寝るだけ。夕方になると、熱が上がるらしいのが、鬱陶しい。
目が覚めている時は、寝床に横になりながら、大学時代の指導教官の一人、国崎望久太郎氏の著書を読む。国崎先生は啄木の専門家で、いま読んでいる本も短歌関係のものである。もっとちゃんとした状態の時に読めばよいのだが、読み始めたら面白いのでつい読んでしまう。少々疲れる。
【07年5月6日】
書き込む材料はたくさんあるのに、こんな時に限って体調不良。
今日は、せっかく「空の会」に福田基氏の「林田紀音夫の俳句」についてお話を聞きにいくはずだったが、発熱のため断念する。
薬を飲んで、一日寝込んでいたけれど、夜になってもあまり状態は変わらず。
明日から仕事だけれど、こんな調子で大丈夫なのだろうか、と思う。
【07年5月3日】
若干、タイムラグがあったみたいだけれど、ネットを始めて以来、ずっと入っていたプロバイダとの加入契約が4月一杯で終了した。地元の小さなプロバイダだったけれど、料金の安さや相談に対する懇切な対応等、結構気に入っていたので、光への一部未対応の関係でやむなく退会することになったのは、ちょっと残念だった。契約終了にともない前のプロバイダ経由のメールは届かなくなり、ここしばらく設置しておいたこちらのホームページへ接続用のページも、繋がらなくなった。メールに関しては、迷惑メールが毎日数十通も送られてくるというありさまで、消しても消しても……という状態だったので、その点はありがたい。
吟行を兼ねて、「歩き」に出る。鴨川河畔を歩く。京阪三条下車、地上に出てそのまま鴨川右岸を上流に向かって歩く。日射しはまぶしいほどだが、風があって気持ちが良い陽気だ。先日、「醍醐会」の二次会で四条方面に向かうとき、鴨川の両岸に幾本かの白いテープが渡されてあるのを、不審の思いで眺めたりしていたのだが、今日の朝刊の新聞記事で、それが鵜の被害から放流された稚鮎を守るために張り渡されたものであることを知る。ほんの数羽の鵜で、周辺の稚鮎が全滅してしまうほどの大きな被害をもたらすらしい。私はまだ鴨川で鵜の姿を見かけたことはないが、他の地域で鵜の食害を聞いたことはあったので、とうとうこの鴨川でもそんな被害が発生する状況になってしまったのか、と思う。今日は、足を延ばして、上賀茂神社まで歩くことにする。5月5日は、有名な賀茂の競べ馬の日だが、当日は大変な人出だろうし、天気も良くないようなので、とりあえず競べ馬が行われる場所だけでも見ておこうと思ったのだ。上賀茂神社自体も、まだ行ったことはなかったので、ちょうど良い機会でもあった。神社の境内の一画に馬場は設けられていて、直線のコースに芝生が植えられ、両側に竹の柵が設えられてあった。草の上に馬の蹄の跡が残り、かすかに馬臭がしていたのは、すでにそこで試走などをしたのだろうかと思う。上賀茂神社は、楢の小川周辺を除き、樹木が少ないせいか、全体に明るく開けたような印象を与える。本殿まで行き、そのまま楢の小川沿いに歩く。小川とは言いながら、思ったより水量のある流れであった。小さな子供達が水遊びをしていて、一人の子の靴が流れにさらわれて、大人達が慌てて拾いに行く様子を、休憩のつもりで流れの端の石に腰を下ろして眺めたりもしていた。
上賀茂神社を出ると、カキツバタで有名な太田神社へ向かう。途中、道路の端に巨大な楠が鎮座していた。太田神社はこじんまりとした神社で、境内の大きくはない池一面にカキツバタが密生していて、花期には大変美しい光景が眺められるとおもうけれど、今日はまだ花の時期には早すぎたようだ。石段脇に無造作に置かれた小さなカセットデッキから、謡曲「杜若」が流されていたが、取って付けたような印象で、少々興ざめであった。囲いの外から池の様子をちょっと眺めて、そのまま神社の裏手の方にまわって、背後の山に設けられた太田の小径という散策の道に入る。きちんと整備された道で、途中にベンチなどもあり、道を登り切った辺りからは西に植物園方面が、また北にゴルフ場のきれいなコースが眺められる。一登りの後、一下りで小径の出口へと出る。軽く汗をかく程度の行程である。住宅街の裏手に出て、府立植物園に向かう。
植物園は、春の花がとても美しかった。人出も盛大なもので、なんとなくゆっくり花を愛でるという雰囲気ではなかった。園内をぐるりと一回りし、毎年恒例の山野草の展示だけを見て、少し疲れを感じたので、「歩き」を止めて地下鉄北大路駅へと向かう。今日は、随分長時間長距離を歩いたことだ、と思う。あとは、真っ直ぐ帰宅する。
【07年5月1日】
赤塚一犀氏から、『晩紅』第27号を送っていただく。インタビュー記事、「八田木枯戦中戦後私史」が読み応えがある。聞き手は藺草慶子氏。今回は、「橋本多佳子と東京天狼句会」と題しての話だった。『紅絲』時代の橋本多佳子氏の姿と八田青年の姿が彷彿とする内容であった。うさみとしお氏の『素逝雑感・余滴』も注意を引かれる内容の話だった。長谷川素逝に関わる実証的検証という内容が興味深かった。履歴の齟齬、あるいは宇田喜代子氏の『ひとたばの手紙から』の中の素逝句にたいする疑義の表明など。内容がどの程度正鵠を得たものか、判断は付きかねるが、関心を惹起されるものであった。
『晩紅』から、数句紹介させていただく。八田木枯氏「畦火のごとくありたし生の終着は」「戦時雛綿ほぐしては刺しこみぬ」「つと道にいでて道ゆく日永かな」、うさみとしお氏「五線譜に椿は椿らしく落つ」「大マスクして老顔を消しにけり」「手も足もこれこの通り春の風邪」、赤塚一犀氏「冬晴や蒟蒻の縄十文字」「甍より辷り牛ほど残る雪」「寒明や説法の幕たたみをる」、山田征司氏「梟がむかしの闇にぶちあたる」「忍ばせるなら艶書など雛道具」、寺澤一雄氏「孕み猫別途相談致します」「節分の豆撒く前に歌謡ショー」。色句の作は菅野匡夫氏の折句で、たとえば「桟敷から首のべて見る落暉かな」(さくら)「森潜る水からくれなゐの地獄谷」(もみぢ)など。
西村清和・松村到著『笑う人間・笑いの現在』を読み始める。文字通り「笑い」に対する論考。モナリザの微笑に始まる「微笑」の持つ意味の探求。ベルグソンの「笑い」論の検証など、読んでいてとても面白い。小津安二郎の映画のカメラアングルと「微笑」との共通性や、能面の表情の意味など興味深い論考も多い。まだ、半分ほどしか読んでいないけれど、ゆっくりと読んでみたい一冊である。
笑いと言うことで、今月末の「翔の会」の事を思い出す。今回、予定を若干変更して、次回の『醍醐会』の準備作業として、辻田克己研究のレポートの骨子をまとめなければならない。私は「辻田克己の俳諧味」について書くことになっているのだが、当然その中には「笑い」的な要素も含まれる事になるだろうと思う。ちょっと難しいなと思いつつも、準備を進めていかなければならないとも思う。