日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

07.1「日々録」 07.2「日々録」 07.3「日々録」 07.4「日々録」 07.5「日々録」


【07年6月30日】
午前中、クラブ当番で出勤。試験1週間前を切っているのだが、野球部・バスケット部・そしてバレー部が練習をしている。野球部は、今日が抽選会ではなかったか。体育館は蒸し暑い。女バレはきびきびと練習を進めている。旧チームより一回り強いチームになる可能性を持つメンバー達である。バスケは中学生が練習に来ている。宇治田原の方からわざわざやって来ているチームもある。何処のチームの顧問なのか、ひっきりなしに怒鳴っていて、少々暑苦しい。生徒の耳には届いているのか……?
昼過ぎに退勤。近所に食堂等がないので、大回りをして大通りまで出る。日が射すと暑いが、日が陰ると涼しい風を感じる。一膳飯屋で昼食。その後、ブック・オフを見つけて立ち寄る。めぼしいものはなし。2時過ぎに帰宅。朝、洗濯が出来なかったので、今から洗濯。天気は下り気味なので、おそらく室内干しということになりそう。
総合誌『俳句研究』が休刊するとのこと。大変ショックだ。事実上の廃刊、なのだろう。緩い企画の多い「いわゆる俳句総合誌」の中で、「硬派」の位置を保ってきた『俳句研究』が休刊に追い込まれるとは、いったいどういうことなのだろうか。俳人は結社誌しか読まない、とか、その中でも自分の作品しか見ないとか、いろいろ言われているけれど、現実にはそんな事はあるまい、とは思うけれど、それにしても雑誌発行が立ち行かないほどの窮境に立っていたのだろうか。ともかく、残念で仕方がない。9月号が最後になるらしいと、岩城先生に携帯を入れた際、教えていただいた。あと2号か。岩城先生も大変驚いておられたようだ。飯島晴子の自死に次いで驚いたとのこと。それにしても、毎月楽しみにして読み続けてきた雑誌がなくなるのは、大変辛いものだ。
「翅の会」辻田克巳研究。レポートは依然として留まったままである。かなり苦しい。初期段階の計画に問題があったか、とつくづく思う。苦し紛れに、「山口誓子全集」(図書館に一揃い置いてあったのだ)の俳句論関係を読み始めている。辻田氏も精読されたことだろう、と思う。

【07年6月24日】
朝から雨である。かなり、本格的な降りの雨である。ベランダの庇の内側まで、雨が降り込んでいる。天気のせいか、朝から眠いような気怠いような状態である。とりあえず、サイホンでホーヒーを立てている。豆は、有機栽培とかのブルマン。近所にある自家製のパンを売る小さなパン屋が扱っていて、市販?の2割くらい安い。ここは、卵とか牛乳とかもちょっと面白いものを扱っていて、たまに買いに行く店である。
土曜日、午後。外出。良い天気で日射しはきついけれど、日が陰ると空気は涼しい。梅雨の晴れ間らしい大陸性の高気圧に覆われたせいであろう。岡崎の美術館に出かけてみる。小さな美術展を見るが、10分で出る。50番煎じくらいの作品を10点ほど並べて、何の刺激も魅力もない展示。こんなに期待はずれの作品展を見たのは久しぶりだった。大きな会場の1階のホール全体を使って、何やっているんだろうと思う。入場料500円は、ホール使用料として協力したというだけのことなのだろう、と思う。しかも、来た時には、会場入り口付近を使って、演劇の100年みたいなテーマで、パフォーマンスが行われていて、回顧的な催しということで、30年ほど前林立した小集団がやっていたような舞踊を、「展覧会の絵」中「キエフの大門」だったかを、流しながらやっていて、周りの人だかりのため、展覧会場自体に入る事が出来ず、待たされることになる。自分を取り巻く観衆など全く眼中にないという様子で、黙々と踊り続ける演者の姿に、変なところで感心もしながら、いつまで待っていても終わりそうにないので、仕方なく4階の常設展示を見に行く。結局、面白かったのは、そちらの展示品の絵画作品の幾つかだった、というのはちょっとありがたかった。
美術館を出て、歩く。二条通りにある古書肆に立ち寄り、そのまま鴨川を渡り、「三月書房」へ。さらに、土曜の寺町京極の雑踏の中を抜けて、三条京阪へ。ついでに、ブック・オフに立ち寄って本を眺める。文庫本で『一茶父の終焉日記・あらが春』、中江兆民『一年有半・続一年有半』(子規が「つまらないことを書く」と批判していたのではなかったか?)、『幕末百話』(先週「幕末維新ミュージアム霊山歴史館」にでかけた影響だろうか)、『瓦礫の街から−阪神大震災のうた−』、古賀まり子『句集 竪琴』、『自薦100句選 品川鈴子集』など購入する。夜、浅酌、パチンコ、帰宅後、『誓子俳句365日』中、辻田先生のかかれた部分の読み直し。
『運河』『里』『湖心』同人の谷口智行氏から、第2句集『媚薬』を送っていただく。『運河』の中では、ちょっと異色の句柄で句作を行っておられるのではないかと思い、『里』においては、随分自由に作っておられるなと思い、『湖心』においては手堅い作家の一人として、その作を楽しみにしていた方なのだが、それらの総合として1冊の句集が上梓された。送っていただいてから、一気に読み終えてしまった。大変面白い句集である。『運河』的な風土に深く根ざした世界を根底に置きつつ、その上で自在な「俳」的世界を展開するという、とても個性的な作品群が楽しかった。宇田喜代子・片山由美子・三村純也三氏の「栞」も、それぞれに谷口俳句の魅力を説いておられ、面白かった。この三氏の人選は、誰がされたのだろうか。最初の数ページから(ぬき始めたら膨大な数になりそうだ)。「花筏熊野灘へと曳き込まる」「滝壺をもたず千古を轟けり」「蛇消ぬる川洲に砂金こぼす音」「鼬穴蟹穴蛇穴高畦灼く」「米作りやめて茄子胡瓜はやめず」「越瓜のなますの口伝秘伝かな」「目薬も媚薬も冷蔵庫にしまふ」

【07年6月23日】
5時過ぎ、起床。昨夜来の雨はあがり、青空が広がっている。絵筆で擦りつけたような絹雲が所々に見えるのは、梅雨の晴れ間というせいだろうか。軽装にして、朝の「歩き」に出かける。涼しくて気持ちがよい。日中はぐんぐん気温が上がるらしく、歩くとすれば早朝か夕方が最適ということだ。新聞配達のひと、犬の散歩をさせる人、バイクで走りまわっている若者、すっかり明け切った街、しかし少ない車通りと人影。そんなちぐはぐさが面白い。水のほとりを歩くのは、よい気分なので、疎水の端を選んで歩く。水量は多い。1時間半ほど歩く。
帰宅後、洗濯機のスイッチを入れ、朝食の準備。パン、コーヒーか牛乳、野菜たっぷり、ゆで卵1個、チーズ1欠片、ウインナ2本、果物。カロリーで言えば500キロカロリー程度。これが定番の朝食となっている。毎日ほぼ同じ内容なので、ごく短時間で出来るのがうれしい。一番時間がかかるのは、卵を茹でる10分間か。固ゆでにして、水で冷やして、殻がくるりと剥けるようにする。テレビでミノモンタやらコウノタロウやら野党の諸氏やらが、好きなように喋っているのを半分聞きながら、ゆっくり食事を取る。朝食を終える頃、ちょうど洗濯が終わるので、ベランダに洗い物をひろげ干す。すでに、暑い。午前中に濡れた物は完全に乾くのではないか、と思う。干し終えて、部屋の中を軽く掃除。第4土曜日なので、資源ゴミの古新聞をまとめて階下に持って行く。以上を終えて、一段落ということになる。
木曜日は、指揮者レッスン。金曜日は、通常レッスンと、二日続いての練習は厳しい。指揮者レッスンは、ステージに立つ条件になっているので休む訳にいかず、連日の暑さで少々バテ気味の体にはこたえる。指揮者レッスン、皆変に緊張していたのか、散々な出来であったようだ。指揮者の顔が、微妙に強ばってくるのが見てとれるような有様。レッスン後の、指導の先生の講評も「今まで一体何をやってきたのか」という厳しいものであった。素人の甘さということなのか、自己コントロールがまるで出来ていないのではないか、という思いになる。いつものパン屋で、少し多めに麺麭を買い、鬱陶しい思いで帰宅。体が怠いので、体温を測ると微熱が出ていた。すぐに、就寝。
昨日の今日なので、もうレッスンは休もうと思ったけれど、結局遅れて行く。昨日に比べて、参加状況が悪い。全体練習の後、パートに分かれての練習。そして、再度全体練習。途中、20分近く指導の先生からの話が挟まる。指揮者と団員、そして音楽との関わりの話。その後、団員の歌が少し変わる。昨日のレッスンの出来の悪さに萎縮していた団員の気持ちが、少し解放されたようで、歌が少し伸びやかになる。指揮者の先生も、その変化にと胸を衝かれたようで、瞬間絶句状態となる。「最高に近い状態に戻ったようです」の一言が出る。「昨日のような出来では、私は絶対満足は出来ない」という厳しい言葉がその前にあったので、その一言は強烈なカンフル剤になったようだ。良い雰囲気で練習終了。行きは、疲れでぐたぐた状態だったのが、帰りは何故かちょっと元気になったものだ。

【07年6月17日】
金曜日。大遅刻ではあったけれど、ミューズのレッスンに参加。京都駅前が会場で良かった。全体を歌い通す。来週の木曜日が、指揮者レッスンの日にあたっているので、そのための一区切りの練習という位置づけのようだ。それにしても、大人数が集まる合唱団のことゆえ、半年間の活動の中には色々とあるようだ。良い出会いを経験するひともいるようだし、仕事の都合でやむなく退団をされた方もあるようだ。皆勤でレッスンに参加する人もいれば、私のような中途半端な参加者もいる。指導者と団員との関係も様々な色合いを帯びるようだけれど、今回指導に対する憤懣をネット上の掲示板に書き付けた人がいたらしい。そのことが明らかになって、ちょっと厭な雰囲気が団内に生まれそうになった。色々な人の集まりで、様々な思いが交叉する場であるから、各種の齟齬が生じることは仕方がない面はあるだろうが、その思いをミューズなり担当者なりに向けず、匿名掲示板に誰と特定できる内容で書き付けることは、やはりルール違反だと思われる。書き付けられた方は、一方的に意見を押しつけられて説明も反論も弁明も直接は出来ない、という状態に追い込まれることになる。
私自身、小さな疑問や不満は当然あるけれど、それを補って余りあるものが現在の活動にあると考えて、退団することもなく、延々と合唱に参加を続けているという事がある。ただ、一度だけチケット販売に関して、その運営の拙さに強く抗議したことがあった(団員でありながらチケットが1枚しか買えないという、ある意味で夢見たいなチケットインフレが生じた事があったのだ)。ミューズと何度かの話し合いを持ち、同じような不満を持つ人もいて、次の回から改善され、現在のようなチケット販売の形式が整うということにもなったのだ。きちんと言えば良いのに、と思う。結果はどうなるかはわからないけれど、誠実に対応はしてくれると思うのだが。それを匿名ネット掲示板に書き付け、一般に公開するのは短慮だと思う。まして、現在の掲示板の状態では、本人の真剣な思いや悩みがおちゃらけや悪意の対象として弄ばれることは十分にあり得るのだし。それは当人にとっても二重の意味で不本意ではなかろうかと考えたりする。そんな事があったせいか、今回の練習はいつも以上に熱の籠もったレッスンとなった。指導者自身も、匿名の誰かさんに向けて、練習を通じて思いを伝えようとされたのだ、と思う。それをどう受け止めるかは、「誰かさん」の問題ではあるが。
土曜日。丹後の「すき句会」の日。ここ数回、満席で指定席がとれない状態が続いている。京都駅で出句用の作品を作ることが最近の習慣になっているので、そのための時間確保に指定席券を購入しているのだが、仕方がないのでちょっと贅沢だけれどグリーン車の指定を買う。約1時間の時間的余裕が出来たので、まず丹後への手土産を買っておいて、いつもの通り駅構内を歩き、屋上へと向かう。途中の大階段はゆっくりと徒歩で上る。5階相当から11階相当まで登る事になる(傾斜がかなり急なので、まさに登るという状態になるのだ)。毎年ここで、階段駆け上り競争が行われ、その入賞者の名前と所要時間が、階段の一番上にプレートとして称揚してある。屋上から、まず南方面を眺め、その後場所を移して北の方を眺める。北山の新緑が鮮やかだ。比良山系はうっすらと水蒸気にもやって見える。こんな時は、作るというよりやってくるのを待つ感触になる。俳句を「賜る」という事をいう人がいるが、私個人はその表現は変な臭みを感じて好きにはなれない。ただ、表現している状態は実は似たようなものかもしれない、とは思う。「はしだて1号」、グリーンの座席はゆったりとして、座り心地が大変良い。孫を連れた老夫婦が乗ってこられたのだが、席が一つ離れていたので、座席の交換をする。お礼を言われたけれど、こちらの本来の座席の前後に分かれた窓より、広い窓の席に移る方がありがたかった。窓外の新緑の沿線風景を眺めながら、文字通り目が洗われる思いがする。福知山駅で元の座席に帰った際、後ろの席から声をかけられた。岩城先生も指定席が取れずにこちらに来られたという。本来ならこちらであらかじめ指定を取ってお送りするというような配慮をするべきなのだろうが、なんとも大雑把なことである。
宿題は「錦木の花」、席題が「蛇の衣」と「俵グミ」。8から10句投句とする。欠席が二人会ったけれど、出句数はいつもより多かった。なかなか面白い句が多く、終了時間がいつもより遅くなる。句会を終え、いつものように缶ビールをご馳走になりながら、しばらく雑談。その後、水野さんに車で駅まで送っていただく。車中でもビール。いつもの車掌さんが検札にまわってくる。この車掌さんとも10年以上の「おつきあい?」となる。最初の頃は、席のことでちょっとやりとりをしたこともある人だけれど、10年もたつと、なんとなく顔なじみという親和的な雰囲気が生まれるらしい。もっとも、相手は毎月のように電車に乗り込む酒飲みの変な二人、とでも思っているのではないか、と思うのだが。
なお、今回西舞鶴駅で意外な人と乗り合わせることとなる。プラットフォームを歩くOさんをめざとく発見されたのは岩城先生で、急いで声をかけに行かれる。所用で舞鶴に行かれたOさんが、偶然同じ電車に乗り合わせることになったのだった。たまたま指定席が空いていたので、二人ともそちらに移動して、京都までOさんと同道することになる。お寿司や、舞鶴名物の竹輪などいただきながら、楽しく帰京。幸運な偶然であった。

【07年6月12日】
日曜日。久しぶりに京福電車に乗る。一乗寺下車で金福寺に出かけるためである。天気は今ひとつで、一乗寺の小さな駅に着いた時には、時折小雨がぱらついている状態であった。駅近くの小店で昼食をたべ、その後金福寺へ向かう。駅前の道を山の方に真っ直ぐに歩いて行く。やがて、宮本武蔵と吉岡一門の決闘で有名な一乗寺下り松を右手に見ながら、住宅街の狭い道をしばらく歩くと金福寺のこじんまりとした山門に到着。中に入り、拝観料300円を払って、横手の門から庭に入る。新緑と白砂、そして山の斜面に植えられたやや盛りを過ぎたツツジの赤が美しい。躑躅の植え込みの向こうに芭蕉庵の茅葺き屋根が見える。細い石段を登り、やがて土の道に変わる植栽の間の道を行くと、芭蕉庵に到着する。歴史を感じさせる小庵である。板と竹を組み合わせた狭い回廊に腰を下ろし、しばらくぼんやりする。柱や梁は一部虫に食われてちょっとおぼつかないような状態になっていた。
時折、小雨がぱらつき、その音を聞きながら、しばらく時間を過ごす。やがて、庵を一巡りして、蕪村の墓に参ることにする。立ち上がって、裏手に回ると、屋根を支える梁に空蝉が一つぶら下がっているのに気がついた。昨年の夏の空蝉である。芭蕉庵とともに良い物を見たと満足感を感じる。庵の裏手の山道をすこし登ると、やがて青木月斗の墓があり、その背後少し上に蕪村の墓がすっきりとした姿で立っている。墓前に立ち、振り返ると木の間越しに京都の町が眺められる。その後、本堂で蕪村の描いた芭蕉像や風景画を眺め、外の廊下で雨上がりの明るい日射しを浴びながら、再びぼんやりと時を過ごす。日曜日でありながら、来訪者が多くないのがありがたい。
金福寺を出て、15分ほど歩いて、学生時代以来数十年ぶりに詩仙堂に行く。鹿おどしの音を聞き、ついでに教材用に写真を撮ろうと思う。が、さすがに有名な場所で、たくさんの見学者があり、しかも座敷から庭を眺めながらぺちゃぺちゃ喋っているので、ゆっくりと鹿おどしの乾いた音を楽しむ余裕もなく、早々に退散する。ここは、できたら平日に訪ねた方が良いと思う(無理だけれど)。学生時代の印象をそのまま持ち込んだのが、間違いであった。
その後、北白川通り、今出川通りを経て、出町柳まで引き返す。京阪にて帰宅。少し歩き疲れる。
月・火ともに通常勤務。少々蒸し暑いここ二日である。

【07年6月10日】
土曜日。天気が不安定のため、一日自宅で過ごす。『稗史』10句抄出。まず、一通り読んでみる。ただ事に近い内容の句から、随分大胆な発想・表現の句まで、辻田俳句の許容量は大きい。ただ、「翅の会」で発表した際は、辻田俳句を「滑稽」という点からまとめようとしたけれど、どうやらそれは少々問題ありと思うようになってきている。たしかに、「滑稽」は辻田俳句の一面を語っているけれど、それを包摂したまとめ方が必要だと思う(さらに言えば、はたして辻田俳句は本当に「滑稽」なんだろうか、との思いも生まれているのだが)。それをとりあえず「面白さ」という言葉で表すなら、表現・内容両面からより広く辻田俳句を眺め渡すことができるように思う。そんな観点で10句抄出を行う必要があると思う。
午後、一休みのつもりで、ネットの動画サイトを眺めていると、最新作の「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」を配信しているではないか。きっと映画宣伝用のフイルムか何かだろうと思ってアクセスすると、3時間近い映画本体の配信である。えっ、こんなのやっていて良いの、と思いつつも、つい本編をしっかり鑑賞してしまったのだが、先月ロードショウ公開したばかりの映画が、もうネット上で無料で見ることが出来るような状況が生まれている事に(偉そうなことは言えないけれど)さすがに驚く。念のため、いまそのサイトにアクセスしてみたけれど、依然として公開が続けられているようだ。
偉そうなことついでに言えば、年金問題の相談電話のダイヤルの「ゴロ合わせ」には、全く呆れ果ててしまった。どこかの生命保険のコピーそのままみたいな「ゴロ合わせ」。番号を覚えやすいようにとの担当者の「気遣い」なのであろうが、ならば「宣伝」めいた馬鹿な「ゴロ合わせ」などに心を砕くより、単純に連番にするとか、何か別の「気遣い」もあったことだろう(と言うより、街頭で職員がお詫びのビラまきをするだの、今回の「気遣い」だの、そんな無駄なことにエネルギーを使う暇があったら、もっとまっとうな対応策に力を尽くすべきだろう。ところで、そのビラの印刷費用はどこから出ているのか、などとも思う。根本の部分がズレているのではあるまいか。)。ビラだの、「ゴロ合わせ」だの、そんなことで民心を懐柔できるとでも考えているのか、当の「担当者」たちの中に、一般人をその程度と軽く見る、「愚民意識」的なものがちらついているようで不快感を感じる。それにしても、私の年金は大丈夫なのだろうか。中には、一度も仕事を変わらず、税金を含め諸費用を源泉徴収されているにもかかわらず、本人が知らぬ間に「本人」が年金費用の還付請求を出して、その結果数か月の未納期間が生じ、年金の減額がなされている例すらあるらしいので。どれほど杜撰な処理が行われていても不思議ではない状況があったのではないか、とその事を怖れる。
日曜日。朝から天気は今ひとつのようである。天気予報では、曇りではあるが、雨が降る可能性もあるとのこと。一乗寺の金福寺に一度行ってみたかったのだが、どうしようかと考える。芭蕉庵・蕪村の墓などを訪れてみたかったのだが。さて、……。

【07年6月9日】
4時過ぎに目を覚ます。しばらく横になってテレビなどつけて見ていたが、もう眠れそうもないので、起床することにする。雨はすでに止んでいた。ベランダに出ると、空気がひんやりとして気持ちよい。5時からひさしぶりに早朝ウオーキング。まだ、雨が降りそうな空模様なので、近所をぐるりと歩くことにする。途中、頭の白い雀を見かけたり(まだ幼鳥なのだろうか)、全く車の走っていない府道をのんびり斜め横断したり、疎水沿いの砂利道を歩きながら、自分の足音が横に建つマンションの壁に反響して、異様な音を立てているのに気がついたり、近郷のパチンコ店が軒並みつぶれる中で1軒だけ残った店が、以前の倍近くの巨大店舗に変わっているのに気がついたり、地下室付きのマンションなのだろうか、大きな新築マンションの土台部分が作られているところが剥き出しで眺められたりもした。歩きながら、お話のネタを一つ思いついたりもした。1時間強歩き、帰宅。洗濯機のスイッチを入れ、朝食の準備にかかる。
現在、8時過ぎ。一時青空も見えていたのだが、今は曇天の空模様である。ベランダに洗濯物を出すのは不安なので、室内干しとする。ベランダのサッシ戸は開けっ放しにしてあるのだが、そこから時折涼しい風が吹き込んでくる。大気が不安定なのが実感できる冷風だ。
先週の試合に勝つと、今日もクラブ引率ということになったのだが、ベスト8のチームとの対戦で負け、それはなくなった。会場の関係で、土・日の練習もない。天気が回復しそうなら外出、今ひとつ不安定ならば自宅に籠もって読書、という一日になりそうだ。持ち帰り仕事も一つあるので、そちらもさっさと片づけてしまわねば、と思う。


【07年6月8日】
金曜日。やっと週末が来た、という感じ。帰宅したのが遅めで、疲労感も強いので、ミューズのレッスンは欠席する。母は、昨日入院、本日手術であった。個室に入っているので、夜携帯で連絡をとる。3本目の点滴中とのこと、麻酔が切れて、痛みが出てきたそうだ。弟は、体調不良で、午後から仕事を休んだそうだし、気懸かりな事である。
中村堯子さんから、辻田克巳10句抄の原稿が届く。句集『頬杖』『幡』両句集から各10句ずつ。面白い句が引かれてある。早速、入力しておく。私は、最新句集『稗史』からの抄出が担当なので、明日か明後日には済ましておきたいと思う。
今日は、普段より早く5時前に起き出し、5時半には朝食が終わり、ゴミ出しや途中のコンビニで教材用の封筒を購入したりしなければならないので、6時半に出勤する。7時過ぎには、最寄りの駅に着き、そこから歩いて職場まで。住宅地を抜け、田植えの済んだ田んぼを両側に眺めながら、とっとと歩く。早めに着くかなと思ったのだが、結局いつも通りの出勤時間となる。
放課後、文化祭演劇の指導として、東京から劇団の方に来ていただいてガイダンスを行う。現役の劇団員で、演劇に対してとても情熱的な人で、話も演技指導もなかなか面白い。生徒も乗り気になって、実際に演技指導を受けたり、居残って質問をしたりで、なかなか良い取り組みになった。こちらも春先から準備しておいた演劇指導の手作り冊子を各クラスに配布したりして、かなり良い雰囲気になったのではないか、と思う。それにしても、ここ6年ほど継続して指導していただいていて、その好意に甘える形で今回も東京往復で2時間超の演劇指導をしていただいて、その謝礼の少なさに申し訳ない思いがする。

【07年6月6日】
月曜日。「月曜句会」の日だった。参加するつもりで、持ち寄り句5句を短冊に準備していたのだが、出勤直後、同僚の父君の不幸を知る。通夜が、今夕、葬儀は明日午前中と言うことで、通夜の方に行くことにする。「月曜会」欠席となる。先月は、発熱で寝込み、今月はこのような事情で不参加ということになる。残念である。斎場は、電車で二駅向こうの町の、文字通り町外れにある。足を持たないので片道30分歩いて、焼香に出かける。焼香を済ませ、夕暮れのたんぼ道を駅へとたどりながら、ふともう十数年蛍を見ていないな、などと取り留めないことを考えている。
火曜日。仕事を終え、その後7時から、宇治の県祭の巡回指導に出る。JR宇治駅集合だったのだが、少し早めに着いたので、時間調整を兼ねて、御旅所の方へ行ってみる。以前、「運河城陽句会」の吟行会で訪ねたことのある小さな神社。鳥居をくぐってすぐのところに巡行用の雄獅子・雌獅子が置かれ、奥の社殿内にはおおきな「ぼんてん」が安置してあった。横の集会所では、氏子の人たちが夕食をとっておられた。めいめいの前に、小さな缶ビールが一つずつ置かれてあるのが見えた。集合場所へと引き返し、巡回開始。ともかく大変な人出で、屋台の並ぶ狭い路地に入ることが出来ない。ようやく、流れの中に身を置くことが出来ても、今度はその流れのペースでゆるゆると進む他はない。はたして巡回指導になったかどうか、かなり心許ないものではあった。巡回を終え、ネクタイにザックという場違いな格好なので、そのまま祭見物という訳にも行かず、おとなしく帰宅することにする。遅い夕食をとり、風呂に入って、寝る。
水曜日。ここ3週間でまともな休みは土曜日が1日だけという、かなりハードな毎日で、しかも月・火と普段とは違うペースの生活になったせいか、朝からちょっと疲れる。いつもなら、駅から職場まで30分ほど歩くのだが、今日はバスを使う。乗り物は、やはり楽である。通勤の読書は、井上樹著『いちばんやさしいオブジェクト指向の本』。コンピュータ関係の本である。ここ数日読んでいるのだが、「いちばんやさしい」といいつつ、読者としては内容の6割は分からないという印象。トイレでの読書は、相変わらず「C++」の本で、そのなかに出てくる用語の解説的な面があるので、あそこに書いてあったことは、あるいはこの事か、程度の当たりの付け方はできるか、という現状である。しかし、何となく頭の体操みたいで面白くないことはない。
時実新子の『有夫恋』を読む。読みながら、俵万智の事をふと思ったりしている。俵万智は、短歌というちょっと構えてしまいそうな短詩型文学を一気に広く若者達のものにした、それはそれで大きな功績があったと思う。私でも、短歌を通じて、日々の自分の思いを率直に表現できるのだ、と言うことを、その実作において実践・証明してみせたのだから。同じように、時実新子は、川柳というやはりちょっと距離をおいてしまいそうな短詩型文学に対して、その中でかくも大胆率直に、そして力強く自己の思いを表白することが可能なのだ、と言うことを読者の眼前で証明し、強烈なインパクトを読者に与え、機知・諧謔の文学的な川柳のイメージを一新し、川柳によってより深く自己表現をはかろうとする人々に一つの道を指し示したと言う点で、大きな功績を川柳にもたらしたのではないか、と思う。変な表現だが、晴れの文学としての短歌に、俵万智は「褻」の世界を持ち込み、一種の風通しの良さをもたらし、時実新子は川柳という「褻」の世界に、文学としての質の高さ、「晴れ」的な要素をもたらしたのではないか、などと思ってみたことだ。
過日の府県レベルのコンクールで、甥っ子が優秀賞を獲得した。最優秀1名、優秀4名の中の一人である。それまでにも、いくつかのコンクールに出場したことはあるが、予選は通過しても受賞にはいたらず、ずいぶん悔しい思いもしたことと思うけれど、今回初めて入賞という形で、一つの手応えを得たのではないか、と思う。「叔父さん」としては、ちょっと嬉しいことである。

【07年6月3日】
午前中は、クラブ引率。現地集合なのだが、会場が駅から遠く、バスも1時間に1本というところ。生徒達は、保護者の車に分乗して会場まで行くとのこと。監督の先生は、自家用車で。私は、足を持たないので、最寄りの駅まで電車で行き、そこからタクシーを足代わりに使う。これで、本日のお足(日当)はほぼ消える。往復の電車賃を含めると、足が出る、という完全に親父ギャグの世界となってしまう。冗談はさておき、試合は健闘するも、惜敗。相手はベスト8のチームで、やや相手の方が攻守ともに勝っていたという印象。負けたチームが次の試合の審判をするということになっているので、1年生が審判を終えるのを待って現地解散。生徒達は、行きと同様保護者の車に学校まで送ってもらうことになる。こちらは、1時間に1本のバスを待つよりはと思い、1時間ほどかけて駅まで歩く。昨日ほど暑くはないので、歩きやすかった。
1時過ぎに帰宅。朝、風呂にお湯を入れて入って来たのだが、もう一度入る。ぬるいのが、かえって気持ちよい。30分ほどお湯に浸かりながら、新潮新書の『人は見た目が9割』を読む。ぬるい内容の本ではあるが、お風呂のなかで読むにはちょうど良いかもしれない。
午後になると、眠くなる。昼寝をするつもりで、ベットにごろりと横になり、以前買ってきた本の中から谷口謙詩集『半月』を読む。谷口氏は丹後で開業医を勤めながら詩を書いておられる方だ。岩城先生の第1期『参』に、70枚ほどの小説を掲載して頂いたとき、それを読まれた谷口氏からお誉めの言葉をいただいたことがある。『半月』は、異色の内容の詩集だと思う。全編「検視」を詠ったものだからだ。一人の人の死因を判断する中で、その人の死と生、その人をとりまく人々の姿がほの見えてくる。詩集の題名となった「半月」を紹介する。空欄は改行を意味します。「湾を左に曲がる 半月が海を照らし 細い道 右に左に くねくね折れた果て パトカーも入れない 暗い平屋に着いた 八十五歳 老爺 四年前脳梗塞 数か月入院のあと 自宅療養 ここ二年ばかり薬も飲んでいない 半年前から寝たきりになる きれいな遺体だった 午後一時生きていたが 息子が畑に出かけ 午後六時頃帰ったらみまかっていた 帰路 いつの間にか半月は左の上空にあり 国道のバイパスを走ると いつか右に移り やがて前方に 車は月に向かって走った」
読み終えて、しばらくうとうとする。なぜか、埃っぽいグランドで野球をしている夢を見る。広いグランドで、ぽつりぽつりと人の姿が見える。突然、はるか向こうのバッターボックスから、鋭い打球が飛んできて、それを素手で受け止めたところで目が覚める。

【07年6月2日】
6月に入った。金曜日。慌ただしい一日。退勤後、一度自宅に帰って、それからミューズのレッスンに京都市内へと向かう。8時前、練習会場着。そのまま、合唱に加わる。9時半終了。真っ直ぐ帰宅する。疲れる。風呂にも入らず、就寝。
土曜日。午前中は、クラブ引率。公式戦。対戦相手は、前任校。会場は、前々任校。試合は、圧勝と言って良い結果。今春退官された前任校の同僚の先生が、応援に来ておられた。体育館全体に響き渡るような大声での応援。先生らしいな、と思う。試合後、学校まで送っていただく。一仕事済まして、昼過ぎに退勤。暑い日だったけれど、少し歩こうと思い、二駅向こうまで、歩く。周囲は田植え真っ最中という中を、1時間強ひたすら歩く。
帰りの車中では、飯田龍太編『集成・昭和の俳句』を読む。本の後ろの方から読んでいる。角川春樹・上田五千石・鷹羽狩行・岡本眸・藤田湘子・三橋敏雄・飯田龍太・草間時彦・野沢節子・石原八束と読んで来た。今回改めて岡本眸・飯田龍太・草間時彦・野沢節子が良いな、と思う。複数に渡る句集の抄出なので、抄出句によって多少印象が変わるのかもしれない。角川春樹氏は第一句集『信長の首』の感覚が面白かったけれど、以後の作品は妙な臭みがあって結局好きになれなかった。上田五千石氏は以前から面白いと思っていたので、今回もその印象は変わらず。童話風の作品が特に好みに合う。鷹羽狩行氏は、こんなにたくさんの句集を出しておられたのかと改めて驚く。藤田湘子氏は、なんとなくもの足らない印象が強かった。抄出句に問題があるのではないか、とちらりと思う。石原八束氏は、スタンスの違いを強く感じる。
帰宅後、図書館で借りていた田村隆一詩集『奴隷の歓び』を読む。「奴隷」「もの」「水」と変幻自在な作者の発想と、鋭い時代感覚、風刺精神を楽しむ。あまりに面白かったので、本箱から中央公論社『現代の詩人3 田村隆一』を引っ張り出してきて読み直す。『初期詩篇』『四千の日と夜』を読む。その直向きさや清新さに、心動かされる。
夕方、ベットで少しうとうとする。明日も、午前中はクラブ引率。試合会場が、とても不便な場所なのでどのようにして行こうか、と思う。夕刊で、北白川の蛍の話題を読む。一度見に行きたいが、蛍を見ることが出来るのもここ数日と言うことなので、無理かなと思う。北白川は、出かけて行くには、意外と遠い。