日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【07年7月31日】
日曜日。「醍醐会」。しどろもどろもの説明に終わってしまった。力不足ということである。ただ、終わってみれば、随分色々な本を読み、考え、勉強になったと思う。また、辻田克巳という俳人が、独自の道を歩みつつあるということを、再確認した思いである。それは茨の道であり、余人が容易に足を踏み込めない道ではあるけれども。
二次会を終え、本当に久しぶりに祇園の「米」さんに顔を出す。お元気そうでなによりだった。1時間ほどいて、まだまだ白熱の議論が続く中、早めに退席。
タクシーで帰宅。参議院議員選挙は、すでに大勢が決した状態であった。国民を愚民視して、傲慢不遜な発言をしていた某大物政治家が落選した事に象徴されるように、しかるべき結果で終わったようだ。天網恢々、というところであろうか。
月曜日。火曜日。通常勤務。外は日射しがきついけれど、空気が乾燥しているので屋内は意外と過ごしやすい。職員室も、午前中はエアコンを入れなくてもなんとかなるくらいの状態である。授業準備、作文の添削指導。図書館より借りてきたなだいなだ著『狂歌について』読了。読みやすい一冊であった。2学期の国語総合では、1学期の短歌・俳句の延長で一度狂歌を作らせてみようか、と思う。ユーモアと批判精神。ちょっと高度な作業になるか、と思う。定時に退勤。帰宅後、二人分の食事の準備。昨日は、たまたま鰻丼であった(土用の丑の日だったのだ)。今日は、酢豚(出来合いのものだったけれど)。サラダはたっぷりと添える。その後は、夜濯ぎ。洗濯物を干し終えて、一休み。ベランダを渡る夜風が涼しい。甥は、書斎の方で勉強をしている模様。
『巨船ベラス・レトラス』読了。作者自身も参戦した虚実混淆世界の中で展開される現代文学論争、という印象。面白かった。『大いなる助走』の流れの延長にあるメタ小説。

【07年7月29日】
土曜日。午後。朝食用のパンを買いに京都駅まで行く。最寄り駅までの道のりが、異常に暑い。気温は36度ほどあったようだ。私の平熱より高い。ともかく暑い。京都駅のパン屋で、パンを仕込み、ついでに近所のソフマップと大型書店へ行く。ソフマップでは、二台目の電子辞書を買うための参考に値段を見に行く。高い。よけいな辞書や色々な機能はいらないから、最小限の辞書(『広辞苑』だけでも良い)が入って1万円以内というものがあれば、即購入するのに。本屋では、『尾崎放哉前句集』と、ひさしぶりに筒井康隆の著書『壊れたか指南』(短編小説集)と『巨船ベラス・レトラス』(得意の文壇もの)の二冊。ともかく暑いので、そのまま帰宅する。
夜、甥が来京。明日から大学の夏期講習に参加するため。エアコンをつけているのに、暑い。長期予報では、今夏は平年並みの暑さということのようだが、これが平年並みとすれば猛暑が当たり前になったということか。『巨船〜』を少し読んで就寝。エアコンをつけっぱなしにして寝ていたので、今度は室内が冷えすぎ状態となる。
日曜日。朝食を終え、甥は早めに大学へ出かける。こちらは、午後から『醍醐会』が控えているので、話すことをもう一度確認しておこうと思う。そういえば、今日は参議院議員の選挙の日。民意の反映機関とはいえ、衆議院に比べ参議院はその法案決定力の無さがなんともおぼつかなくまだるっこしい存在ではあるけれど、一応投票には行こうと思う。

【07年7月28日】
5時前に起床。5時過ぎから、「歩き」。さすがにまだ日は昇っていない。ただ、空気はほわーっと温かい。同じ道筋を歩くのは、やはり退屈なので、出来るだけ歩いたことのない路地を見つけては、そこを歩いたりしている。昼間だったら、きっと怪しい人と見られるかもしれないけれど、早朝で起きている人は、新聞配達や「歩き」のご老人や、朝帰りの若者ぐらいであるから、見とがめられることはあるまいと思っている(かえって怪しまれるかもしれないが……)。
1時間半ほど歩いてから帰宅。ついでに、資源ゴミを出しに行ったりする。シャワーを浴び、朝食を食べ、洗濯をし、毛布や布団を1時間ほど日に当てる。一休みして、午前中一杯をかけて「翅の会」のレポートの仕上げを行う。雑誌掲載の時期が分からない評論が残っていて、その時期確認のために段ボール2杯分を引っかき回す。昼食は、蕎麦と野菜炒め。その後、近所のコンビニで30部ずつコピーを取る。帰宅後、ホッチキスで綴じて、資料作り終了。もう、見たくないので、明日までテーブルの隅にそっと安置しておくつもり。


【07年7月27日】
朝から雲一つない青空。暑くなりそうだ。駅から職場まで歩く。40分弱。普段なら出来ないこと。途中、川沿いの木下道が数百メートル続いているところがあって、大変気持ちが良い。少し汗ばむ位で、8時前には職場着。午前中、仕事。午後は土曜出勤分の代休を取って帰宅。
昼食は、冷凍しておいたカレー。大きめの野菜とささみ肉のカレー。ルーも低カロリーのものを使った健康カレーである。その後、洗濯と掃除。そして、「翅の会」のレポートの仕上げ作業。辻田氏の全句集のごく大雑把な評価と、秋元不死男の俳句観を追加資料として加える。A4版3〜4枚でまとめようと思う。30部コピーしなければならないので、ページ数を増やす訳にはいかない。
最近読んだ本。長嶺超輝『裁判官の爆笑お言葉集』。ベストセラーの一冊。爆笑、というほどではないけれど、裁判官の本音やら情やらが窺われる発言集。割と面白かった。大角修『日本人の死者の書』。『往生要集』についての解説本。六道世界の解説が面白い。そういえば、昔『チベット死者の書』みたいな本を読んだ記憶がある。NHKの番組が火付け役になって、結構読まれた本ではなかったか、などとふと思う。邑書林セレクション俳人『高野ムツオ集』。新興俳句の流れをくむ詩的俳句の典型的な作かと思う。清純な詩情に心惹かれた。関根眞一『となりのクレーマー』。興味本位で読んだ一冊。某百貨店の苦情処理担当の方の体験談と教訓をまとめたもの。実際に、こんな理不尽なクレームの処理にかかずらう事になったらやりきれないだろうな、と思いつつ読む。そういえば、昔、匿名の保護者から一度えらい剣幕の抗議電話をもらった事があった。テスト問題に一文字誤字があり(もちろん教室でその部分は訂正はしたのだが)、それが気になってテストが出来なかったと子供が言っている、どうしてくれるのだ、という内容であった。こちらのミスなので丁寧に謝罪したのだが、教育委員会に訴えるぞ、などと畳み掛けるように言われて、さすがにちょっとムカッときたりもしたものだ。『近世の俳人』『江戸小咄』は研究論文集。川名大『新興俳句表現史論攷』。本棚に置いたままで読まずにいたもの。訳あって読む。新興俳句関係の評論集。読んでみるとなかなか面白い。


【07年7月26日】
土曜日。陶芸家の「おるか」さんをお招きしての「連句の会」。今までになく?格調の高い歌仙を一巻、巻き上げる事が出来ました。料亭「花軍」(岩城先生のお宅の別称)は素敵な料理が盛りだくさんでした。夏の京都らしい鱧料理も美味しかった。歌仙を楽しみ、料理を味わい、美味しいお酒を頂いて、本当に贅沢な一日でした。夕食は、ベランダにテーブル・椅子を出して、夕涼みをしながらの食事。雲間に繊月、真上に夕星を見ながら、食事と歓談を楽しみました。
日曜日。午後、同僚の人が、山の版画の展覧会を平安画廊で開いているので、見に行く。地下鉄四条で降りて、錦市場をぶらぶらして、寺町京極を「平安画廊」まで。単純化された山の形と切りつめられた色彩が面白い絵。実は、自宅の寝室と居間にはこの人の絵が飾ってあるのだ(ちなみに書斎には、某古書肆で入手した偽「ムンク」のリソグラフが一枚飾ってあったりもするのだが)。綺麗な絵を鑑賞できて、眼福であった。帰りに「三月書房」まで足を延ばして、2冊ほど本を購入。
月曜日。終業式。火曜日。今日から、生徒は夏期休業に入る。こちらは、いつも通り。とは言っても、外部会場で、夏季補習をこなしてから、出勤。夕方まで仕事。水曜日。昨日同様、補習後、出勤。夕方まで勤務。木曜日。午前中は、クラブ日直。午後はクラブ当番。直接の指導は出来ないので、体育館に顔出ししたり、職員室に戻って2学期用の教材準備をしたり、図書館から借りてきた本を読んだりする。弟の勤務する高校が、甲子園出場を決めたという情報が入ってきたりもする。
「翅の会」のレポートが、なんとか9割方出来上がる。内容は、みすぼらしいものだろうけれど、今のところこれで一杯一杯という状態である。あとは、細かい部分を手直しして、日曜日を迎えるということになる。ちょっと気が重いけれど、仕方がない。土曜日から、甥が来京。大学の夏季講習を受講する事になっている。4泊5日。

【07年7月20日】
本日で、1学期の授業が終了。最後は、2時間連続の授業だったけれど、感想を書いてもらったところ、面白かった、受講して良かったとの感想が多く、ほっとしているところだ。この2時間連続の授業は、国語表現的な内容を中心にしたものだったけれど、その都度色々知恵を凝らして授業展開をしてきたつもりなので、この結果は嬉しいものだった。さて、2学期はどうしていこうか、ちょっとプレッシャーを感じるところでもある。特に生徒の評判が良かったのは、短歌・俳句作りと、歌会・句会の授業であったようだ。短歌・俳句ともに面白い作品が作られたことと、その作品評がなかなか真摯なもので、評を受けた者やそれを聞いていた者が、胸打たれる経験をしたということが良かったらしい。確かに、会を進めているこちらも、なるほどと感心する作品や感想が多かったように思う。短歌と俳句については、それぞれ一つずつ小さなコンクールに応募させたりもしたので、その結果も楽しみである。
今日は、さすがに10時を過ぎても眠くならないが、今週はともかく異常なくらい眠くて仕方がなかった。夜9時を過ぎると、もう起きているのが苦痛なくらい眠くて、ちょっとベットで横になったつもりが、ふっと気づくと2時間くらい時間がたっていて、眠り込んだという意識が全くなくて、ほとんど気絶するみたいに、瞬間に眠り込んで夢一つみなかったということのようだった。やはり、新しい職場でこの1学期間、ずっとどこかで神経を使い続けてきたような気がする。ともかく疲れた、というところだ。今日は、金曜日。いつもならミューズのレッスンがあるのだが、夏の合唱を終えて、2ヶ月ほどお休みということになる(合唱団の募集は、間もなく始まるはずだけれど)。仕事を終えて、市内まで出かけて9時過ぎまで立ち詰めで歌うのは、やはりしんどいものだ。2ヶ月間、週末の夜が空くのは、ありがたい。ただ、朝食用のパンを買いに行くのが、これまでは練習のついでにと言うことだったのだが、ここしばらくはわざわざパンを買いに京都駅まで行くことになる。それがちょっと面倒くさいような気がする。
明日は、『鼎座』の連句の会。雑誌自体は、現在滞っているのだけれど、それでもその次の号の為の集まりである。毎回ゲストをお招きしての連句の会だが、今回もお客様を招いての句座となる。とても楽しみである。
茨木和生氏に送っていただいた句集『椣原』を読了。非常に端正な印象を受ける句が並んでいる。本当に律儀なくらいに五七五のリズムを生かしつつ、簡潔・端的に季の世界を詠いあげておられると感じる。読み終えて、とても気持ちが良かった。『国文学』が川柳関係の特集を出している。さっそく購入して読んでいる。内容的には、随分出来不出来の差のある論文・論評が並んでいる印象を受けるのだが、それはそれとして結構面白い内容である。

【07年7月16日】
土曜日、午後。コンサートホールへ。本番は7時から。それに向かってスケジュールはみっちりと詰まっている。小ホールにおいて、体操・発声練習・ゲネプロ前の練習。10分ほどの休憩を挟んで、集合整列。コンサートホール大ホールで、ゲネプロ。広い客席に、関係者の姿がぽつりぽつりと見える。前日のオケ合わせでは欠席だったソプラノの方も参加しての通しのリハーサル。最後の詰めを行う。ゲネを終えて、一旦楽屋へ移動。軽い食事と着替えを行う。少し時間的に余裕があるのはこの時だけである。終演後、知り合い達との二次会があるので、ごく軽くお腹に入れ、しばらく楽屋ではなく廊下の方でぼんやりと過ごす。開演40分前には、小ホールへ再集合。発声練習の後、再度注意点だけを簡単になぞる。すでに7時を過ぎ、演奏会は始まっているはずだ。本番にむけてすべてを終えて、小ホール前に集合。まだ暮れ残っている窓外は、かなりひどい雨降りだ。時間になって、会場へ移動する。
終わってみると、本番は本当にあっという間という印象である。これは、いつものことだ。満足感よりも、ほっとしたという気分。ざんざん降りの雨の中をわざわざ来てくださった、岩城先生ご夫妻はじめ、Oさん、Sさん、M氏、いつもの飲み助諸君とその奥様方に感謝します。
二次会は、いつもの「あじさい」にて。11時前に解散。その後、タクシーで帰宅する。帰ってみると、皆まだ起きていた。姪は、大学のレポートが大変ということで、書斎の方で勉強中であった。大学生とは言え、全くお気楽な学生生活とは無縁の毎日らしい。コンサートについて、甥・姪の感想を聞くが、二人とも絶対音感の持ち主で、的確な批評が返ってくる。逆に、一般参加の合唱団とは言え、単なるお楽しみサークルという訳ではない、ということでもあろうけれど。疲れていたので、そのまま寝る。
日曜日。曇天。しかし、台風一過ということで、天気は回復の兆し。ただ、姪は今日東京に帰らなければならないのだが、新幹線が降雨と富士川増水のため止まっているのが気になる。母と甥も、今日の電車で帰ることになっているのだが、こちらは大丈夫のようだ。せっかくなので、事前に予約を取っておいて、昼食はちょっと名前の知られた料亭で京会席を食べる。甥・姪にとって本格的な会席は初めてなので、口に合うか心配であったが、美味しい美味しいと言って食べている。足の悪い母のために、1階の部屋に敷物をしいて椅子席にしてくれた店の心遣いもうれしい。箸置きの下に置かれた和紙の紙(何て言うのだろうか)に、大女将の作という俳句と俳画風の絵が印刷してあるのもなかなか素敵であった。甥・姪にとって、良い京都土産になったのではないか、と思う。
午後になって、新幹線は無事動きだし、姪も母と甥も帰って行く。京都駅でそれを見送り、駅に来たついでにいつものパン屋で何種類かパンを買って帰る。数日分の朝食用のパンである。帰宅後、少々疲れているので、ベットにごろりと横になり、山口誓子の自句自解を読む。ここしばらく山口誓子の文章や作品を読んでいるうちに、少しだけ誓子に対する印象が変わってきたような気がする。夜、辻田先生の自選句集を読む。相変わらずベットに横になって読んでいたら、「牀中のなまくら読書漱石忌」の一句に撃たれる。それにしても、辻田氏の本領が発揮され始めるのは、第二句集『オペ記』からだ、と思う。第一句集『明眸』は、巧みで上手いけれど、生真面目で生硬で、どこかに「らしくない」匂いを感じてしまう。その後、茨木和生氏から送っていただいた句集『椣原』を少し読む。

【07年7月14日】
金曜日。疲れているので、年休を2時間取って退勤。帰宅後は、休みたかったのだけれど、6時過ぎから京響の練習場でオケ合わせがあるので、一休みして出かける。雨である。台風が、少しずつ近づいてきているという。明日の本番の時刻辺りには、近畿地方に最接近しているらしい。どうなる事であろうか。
立ち詰めの2時間。オケが加わると、さすがに緊張感も高まってくる。天井の高い京響の練習場は、音響効果も十分計算された造りだそうで(当たり前か)、声の響きもいつもと違って聞こえる。京響の演奏やソリストの歌唱を間近に聞きながらの練習というのは、なかなか得難い経験だと、毎回感じる。とは言え、ともかく疲れているので、2時間は正直きつかった。練習を終え、明日は台風が来てもコンサートは必ずあります、との力強い?一言を聞き、強くなった雨の中を帰る。明日のコンサートを聴きに、京都へ来ることになっていた母と甥に、偶然駅で出会う。
日曜日。雲が低い。稲荷山の頂上辺りに、分厚い雲がたれ込めている。強くもなく弱くもないという風な降り方で、雨が降り続いている。厭な降り方である。今日は、東京から午後の新幹線で姪がコンサートを聴きに来ることになっているのだが、交通の便はだいじょうぶなのだろうか。
ここ数日、空いた時間を使って山口誓子の簡単な伝記と作品の抄出を読んでみる。本人の言うひんやりとした「誓子的な皮膚」の裏にある熱い思いを感じさせるような句に少し気づかされたようで、誓子の印象がちょっと変わったような気がする。繊細で頑固で慎重で、その分少し臆病で、大変理知的な頭の持ち主で、同時に情熱的でその熱情をぐっと押さえ込むほどストイックで、すごい人なのであろうな、と思う。そんな人物を師と仰いだ辻田氏にとって、その大きさは魅力でもあり、圧力でもあったのだろうか、などと思う。秋元不死男の『万座』は、まもなく読み終わる。作品の中に諧謔の精神というものが色濃くなってきているような気がする。句集の最初の頃の作品に感じる、鋭くてちょっと観念的な臭いがずいぶん消えているようだ。ただ、そんな中に「戦後の鱈鹹しまだみる獄中夢」などという一句が入っていると、ちょっとどきりとする。基本的に、『万座』に描かれる生に対する愛着が、哀惜として次の『甘露集』に繋がっていくように思われる。
昼過ぎには、コンサートホールへ向かう。すでに、衣装や靴など準備を終えている。雨なので、出来るだけ荷物は少なくしていこうと思う。さすがに、全部着込んで行くことは出来ないけれど。後は、時間までのんびり過ごすつもりだ。

【07年7月10日】
日曜日。妙な一日の始まりであったせいか、甥を送って後、体調不良状態となる。どうにも怠いので、念のため体温を測ってみると、熱がある。最近、突然発熱したりと言うことが、たまにあるのだけれど、どうやら今回もそれらしい。午後からは、ミューズの特別レッスンがあるのだけれど、急遽休む。気休めに、近所のドラッグストアーから風邪薬を買って来て、飲んで寝る。疲れていたせいか、夕方まで寝入ってしまう。夜、少しだるさから回復はするが、熱は下がらず、夕食後はそのまま寝る。ミューズから電話が入る。今日の欠席についての電話かと思ったら、最後の指揮者レッスンで、一部音の変更があったとのこと。それを知らせるための電話であった。わざわざ知らせていただいて、とちょっと恐縮する。
月曜日、一晩寝て、少し回復。熱はまだあったけれど、薬を飲んで出勤。試験監督と2クラス分の採点。夕方までかかって終える。ちょっときついかな、と思っていたのだが、なんとかやり終えて退勤。帰宅後は、薬を飲んですぐに寝る。
火曜日。今回は長引かなかったようだ。ほぼ平熱に戻り、通常の出勤。3クラス分のノート点検、成績の原案作り、明日からの授業の準備。定時に退勤。駅まで、小雨の中を歩く。蒸し暑い。帰宅後、また少し熱が出ていたが、昨夜までほどではないので、薬もやめて少し早めに寝ることにする。
細切れのようにして時間を使って、秋元不死男の句集『万座』を読んでいる。表現の厳格性を山口誓子から、内容の一つとしての滑稽・諧謔的要素を秋元不死男から辻田氏は学んでいたのか、などと勝手に思っていたのだが、秋元氏に関してはどうも目算違いのような気がしてくる。秋元氏の滑稽の質と辻田氏のそれとの間には、かなりな違いがあるように思えてきたからだ。というのか、辻田氏の滑稽句は、本当に「滑稽」なのだろうか、という気がし始めているからだ。「滑稽」の外装をまとった一種の韜晦的手法が、辻田俳句の中にありはしないか、という事だ。

【07年7月8日】
金曜日。夜。ミューズ定例レッスンの最終回。半年間の練習も、日曜日の本番指揮者による特別レッスンと、来週の金曜日の京響練習場でのオケ合わせを残すだけとなった。全体を通しての練習。ニュアンスを付けることに重点を置く練習。今までやって来たことを確認するという内容の練習となる。参加者が少ないのが気になる。結局、参加率は、全体を通して7割から8割と言うところではなかったか。9時過ぎまで練習。最後に団長の檄を含む挨拶で終了。日曜の特別レッスンが、どうなるか、気になるところではある。
土曜日。丹後の「すき句会」。珍しく指定席が取れる。前の席が、熟年の女性四人組、横が女の子二人を連れた家族連れ。向かい合わせの席にして座っているのだが、少々五月蠅い。句を作り、その後往復の時間を使って、辻田氏の師の一人、秋元不死男の句集『甘露集』を読むつもりであったのが、ちょっと計画が狂う。小学校高学年くらいの二人の女の子が、喋り、嬌声を上げ、喧嘩を始め、とうとう泣き出すという有様は、もう静観するしかないような気分になる。ちょっと変だぞ、家族連れという思いである。宮津で下車。普通に乗り換えて、丹後大宮へ。顔のあちこちにピアスを装着した若者二人が乗り込んできて、前の席に座る。天を指す髪と、顔面前部に簾状に垂れ落ちる髪のバランスが、とてもアンバランスである。簾の向こうに精気のない両眼があって、少し気味が悪い。席で小さくなって、『甘露集』を読む。梅雨の雲が厚く天を覆っていて、大江連山も雲の向こうに隠れている。
岩城先生宅。久しぶりに犬のビッキーと会う。六畳の和室で、眠そうにごろごろしている。ちょっと撫でてやると、手を休めるたびに鼻先をこちらの腕に押しつけるようにして、「撫でろ」と催促する。はいはい、と撫でてやる。句会の席題は四つ。「銀竜草」「七夕」「捩花」「合歓の花」であった。丹後大宮の府道沿いには、合歓の木の街路樹があって、今繊細な花を咲かせている。一人10句投句。皆さん、頑張って作られる。4時過ぎまでの句会。句会が終わって、電車の時間まで俳句四方山話。水野さん、吉田さんが残られ、やがて近所に住んでおられる加藤さんが来られて、話に加わられる。俳句研究の事。女流俳人のこと。「醍醐会」のことなど。時間が来たので、水野さんに駅まで車で送っていただく。車中では、ひたすら『甘露集』を読む。大変面白い句集である。こうなると、本棚に置いたままである句集『万座』も読まなければ、と思う。帰宅する。甥が、大阪でのレッスンを終えて来ていた。
日曜日。早朝の「歩き」。ついでに、知人にコンサートのチケットを届けるつもり。近所のマンションを通りかかると、植え込みのところに若い女の子が倒れ、連れの同い年くらいの女の子が介抱している様子。酔っぱらって朝帰りの挙げ句、一人が動けなくなったようだ。先週は、「歩き」の途中でこれも酔っぱらって路上に寝込んだ初老くらいの男性が、近所の人が呼んだ救急車に運び込まれるのを目撃したのだが、今回は寝てる子も介抱している方も、緊迫感がないので放っておく。女の子の二の腕の赤と黄色の派手な入れ墨が目に残る。生理的にかなわんあー、と思う。妙な一日の始まりであった。

【07年7月5日】
期末試験、第1日目。試験が一つあり、集中的に採点を終える。疲れる。2時間年休を取って退勤。かろうじて、郵便局の為替振り込み時間に間に合う。4時5分前。俳句結社『澤』の創刊7周年記念号の振り込み。二十代、三十代の若手俳人の特集。ネットで申し込んで、数日を待たず分厚い記念誌を送っていただく。対応の早さに感心する。
「翅の会」のレポートの関係で、時間をかけて読む事が出来ず、冤罪事件などを扱っている『裁判官はなぜ誤るのか』を読むことを一時中断して、職場への往復の時間を『澤』を読む時間にあてている。杉浦圭祐氏、山根真矢氏、冨田拓也氏の50句など、読み応えのある内容である。第4回澤特別作品賞の佳作に『銀化』の弥榮浩樹さんの作品「滋賀銀行」が掲載されているのを見つけたりもした。
「布団たたみ雑巾しぼり別れとす」「寒の水もて今朝の畳を拭きに拭く」「綱よごすまじく首拭く寒の水」「叫びたし寒満月の割れるほど」いずれも、死刑囚達の作った俳句である。中には冤罪のまま死刑が執行された「叫びたし」の作者の作品もある。死刑制度自体については、様々な考え方があるであろうけれど、刑の執行を目前に控えた中で詠われた一句は、やはりとても重い、胸を打つものではあった。『裁判官はなぜ誤るのか』の中で明らかにされる冤罪の構図は、ほとんど唖然とするような内容であり、そのようないい加減な審理の結果死刑を宣告され、そのまま刑が執行されるという事になれば、死刑制度の根本の部分が揺さぶられる事態となりうるだろう。ただ、逆に死刑制度廃止と言う理念のために、被告までも(おそらく)巻き込んでの、理解不能に近い21人の弁護士たちの活動も、「死刑制度廃止」という活動自体の根本を押し崩すような活動であろうとも思うのだが。
7月の「醍醐会」の案内状が、今日届いた。やはり圧迫感を感じる。困ったものだ。夜は、辻田先生の文章と山口誓子全集の読みすすめを行っているが、読む分には面白いのだけれど、さてレポートとしてまとめる段になると、相変わらず漠たる状態である。ここしばらく、こんなことばかり書いているようだ。

【07年7月1日】
日曜日。「山口誓子全集」を読む。俳句論関係の巻。ずいぶん抽象的な内容で、難しい。辻田先生の文章に出てきた「内部構造」という言葉が、どのような意味なのか分からなかったのだが、誓子の文章を読んでいく中で、それに該当する内容に行き当たり、得心したりする。芭蕉の「格に入りて格を出づる」という言葉に対する解釈については、辻田先生の「格に入りつつ格を出づる」という誓子俳句に対する基本的姿勢との関連で、レポートの材料になりそうな気がする。やはり、読んでみるべきであったのだ。
午後、小雨のぱらつく中を、パルスプラザで開催される「京都骨董市」に出かけてみる。数十の骨董店が一堂に会する盛大な骨董市である。趣味と値段の関係で、実際に何か購入するということはほとんどないのだが、あちらこちらの出店をぶらぶらと冷やかすのは面白い。いかにも胡散臭そうな店やおやじの姿などを眺めるのも、なかなか面白いものだ。犬・猫関係のアンティークな人形があって、値段が適当であれば一つくらい買いたいと思っていたのだが、ほしいなと思うものは値段が一桁違うので、やはり手が出ない。見て楽しむだけで我慢する。
小雨の中を帰宅。誓子の続きを読み、句集を送っていただいた谷口智行氏に遅くなったけれどお礼状を書き、夕食のカレーの仕込みをしておいて、早めの風呂に入る。ぬるめの風呂で湯に浸かりながら、誓子全集の続きを30分くらい読む。全集と言っても単行本サイズなので、風呂に持ち込んで読めるのだ。もっともその分、活字が随分小さいのだが。
夕食のカレーは、我ながら美味。ニンジンがなかったのが残念だったけれど、有機栽培のジャガイモと玉葱がとても美味しかった。「豚」プラス「シーフード」風のごちゃ混ぜカレーであった。夜は、引き続き「誓子全集」読むつもり。ただ、9時くらいになると、本当に眠くなるので困ってしまう。