日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
07.2「日々録」
07.3「日々録」
07.4「日々録」
07.5「日々録」
07.6「日々録」
【07年8月30日】
2学期が始まる。始業式・大掃除・その後、早速テストと授業。午後は、学校祭の準備。休業期間中に準備を進めてきたクラスもあるけれど、本格的な活動は今日から。昨日までの、閑散とした校舎が、生徒の熱気で埋まる。
朝、通勤途上。とんでもない豪雨に見舞われる。最寄りの駅で下車して、2キロほど歩くことになるのだが、歩き出してすぐぽつりぽつりと降り出した雨は、一気に豪雨へと変わる。道路は川の流れに変貌し、歩道の方に遠慮なく流れが溢れてくる。幸い風がないので、傘を真っ直ぐに立てていると、上の方からは濡れない。しかし、地面からの跳ね返りで、ズボンがずぶ濡れになる。雨宿りをする場所もなく、開き直って歩いていくと、急に雨勢がおちて、小雨状態に変わる。ある地域だけが雨の弾幕に包まれていて、そこをすぽっと抜け出したようである。下半身に気持ち悪さを感じつつ、職場にたどり着く。散々な新学期の始まりではあった、全く。
赤塚一犀氏から『晩紅』第二十八号を、木割大雄氏から『カバトまんだら通信』を送っていただく。本当にありがたいことだ、と思う。赤塚氏「信濃柏原」より数句紹介する。「梅雨晴間黒姫駅に山迫る」「ががんぼや残る土蔵はがらんどう」「ひやひやと一茶土蔵の黒き梁」「吾もまた一茶の行年半夏生」「十薬や一茶の里に法話聞く」。
三好潤子全句集『曼珠沙華』が届く。日曜日が大阪の「空の会」の日なので、なんとかそれまでに作品だけでも一通り読んでおきたいと思う。箱入りの美しい装丁の一冊である。栞と題された小冊子が添えられてある。加田由美氏の文章を読んでおく。
【07年8月28日】
夜、8時を過ぎて、東の空を覆っていた雲の一部が切れ、流れる雲の合間から赤い月が顔をのぞかせる。今夜は皆既月食である。蒸し暑いベランダで、10分ほどそんな月の姿を眺める。やがて、月が懸かっている辺りは厚い雲に覆われてしまい、その後の月の姿を確かめることは出来なかった。きっと雲上で、次第に光を取り戻しつつあるのだろう。
夏季休業中ということもあり、昼食を外に食べに行く。天気予報では雨が降るはずだったのだが、降雨なし。但し、曇天とはいえ、蒸し暑い。総菜を自由に選べる食堂で、二三品選んで食べる。昼食後、職場に帰る途次、背後の空で、雷がごろごろ鳴り出す。雨は来ないのだが、いつ降り出してもおかしくないような、不気味な雲が広がり始めたので、大急ぎで帰る。結局、雨は降らなかったが、しばらく遠雷が聞こえる。
『尾崎放哉全句集』を読み続ける。長律・短律などと変な区別の付け方をしたけれど、仮に17文字を一つの基準として眺めた場合、晩年になるほどに、句の長さが17文字より短い作品の数がどんどん多くなって来るのに気付く。凝縮された表現が、余白を生かした絵画を見るようで、とても感銘深い。
あさのあつこ作『The MANZAIA』読了。ちょっと漫画を読んでいる感じはあるけれど、少年や少女の描き方は、繊細で生き生きとしていてコミカルで、十分楽しめる。子供の頃に読んだ、『クオレ』などを思い出したりもしたものだ。こうなると、是非、『The MANZAIB』を読む他はない、と思う。
【07年8月26日】
土曜日。朝、5時半から「歩き」。まだ、日も昇っていないのに、すでに蒸し暑い。これでは、何のためにこんな早朝に歩いているのか、その甲斐がない。1時間20分ほど、歩く。歩き終わった後は、結構気分はすっきりとしていて、すっかり目も覚めている。第4土曜日なので、資源ゴミを所定の場所に出しておいて、シャワー、朝食。洗濯。ベランダが東向きなので、日が射しているうちにと、布団を干しておく。
午前中。『鼎座』用のお話を書く。タイトルは、「無中心論」。変なお話である。ちょっと筒井康隆が入っているな、と我ながら思う。午後、暑い中を京都市美術館に絵を見に行く。「フィラデルフィア美術館展」。この日、京都は最高気温36度。ちょうど気温がピークを迎える頃に出かけたので、ともかく日陰の乏しい中を歩くと、頭がくらくらしてくる。京阪三条まで電車で行き、折角だからと「ブック・オフ」に立ち寄る。『戦後口語俳句』、水原秋桜子『定本高濱虚子』角田光代の本を4冊購入。ザックで背負うが、かなり重い。帰りに立ち寄るべきであったと、少々後悔する。駅から歩く気力がないので、美術館までタクシーを使う。1メーター。「フィラデルフィア美術館展」は、大盛況の状態。展示品のレベルは大変高かった。この彫刻を、この絵を、この現物を目の前にすることが出来るとは、という作品が随分たくさんあった。会場を一通り見て回り、引き返しつつ展示品を最後から見直し、そして今度は特に心惹かれた作品をもう一度順番に鑑賞し直す。人の多さが、若干鬱陶しいけれど(自分もその中の一人ではあるが)、これは見る価値のある美術展である。見終えて、外に出ると、周りの風景が本当に新鮮に目に映った。良い作品を見た後では、自分の中の感覚の錆が刮ぎ落とされるのであろうかと思う。展覧会を見てのこの感覚は、久しぶりのものであった。ここしばらく、たいした美術展に行っていない、という事であるか。大汗をかきつつ、最寄りの地下鉄駅まで歩く。
夜。前の学校の同僚数名との飲み会。以前から、何度か誘われていたのだが、色々不都合があって参加出来なかったので、本当に久しぶりの参加。場所が、勤務地の最寄り駅なので、電車で出かける。歓談9時まで。その後、皆は、近所のカラオケで二次会とのこと。
今時の作品読書第3弾、ということで、あさのあつこ作『The MANZAI@』を読んでみる。意外と面白い。これは、図書館で借りたものだけれど、まだ2巻3巻とあるはずだから、是非続きを読んでみようと思う。以前、図書館で同じくあさのあつこ作『NO6』というSF小説を立ち読みして、これはゲームやアニメの世界だなと思って、ちょっと敬遠気味だったのだが。
日曜日。早朝の歩きは前日同様、1時間半ほど歩く。昨日よりは、涼しい。シャワー・朝食・洗濯も昨日同様。その後、午前中『増補決定版 尾崎放哉全句集』を読む。長律・短律という作品の分け方は変だとは思うが、句は短律の方が断然良い、と思う。
【07年8月24日】
1年に一度、人間ドックで検査を受ける。本日が、その日。職場での健康診断は、幾つかの問題点が在るため、ここ数年来受診はしていない。なにしろ、1年に一度なので、こんなに細々と検査をうけていたか、と思うほどの検査を受ける。この1年間の体重調整の結果、全体的な状況はずいぶん改善されてきているようだ。午後は、日曜出勤の代休を取る。職場検査の問題点の一つに、胃部検診の際のバリュウムの事がある。検査後、緩下剤を飲むが、授業を控えながらの状態では随分辛いものがある。つい我慢をしていて、酷い状態に陥った人の事も知っており、出来るだけすみやかに体外に排出すべきなので、自宅で過ごせた午後は大変有り難かった。
小林信彦の『名人 志ん生そして志ん朝』を読んで、是非その落語を聞いてみたいと思い、図書館からCDを2枚借りてくる。いずれも、複数の落語家の話を収録したものの中に含まれていたものだった。一つは「黄金餅」、もう一つは「饅頭こわい」。味のある語り口で、どちらも大変面白かった。ただ、「黄金餅」の方は、一部言葉が聞き取りにくくて、その点が少し残念であった。
今時の作品読書、ということで、角田光代の『キッドナップ・ツアー』という小説を読んでみる。主人公は小学生の女の子で、父と娘の交流を描くお話。その子の視点で話が進むので、とても読みやすく、読書に慣れない生徒には取っつきやすい一冊か、と思う。角田氏の小説の導入としても好適な作品であるかもしれない、とも思う。
地元俳人の句集を読む、ということで、帰省の際古書肆で購入した松本穣葉子氏の『句集 穣』を読む。松本氏は、「ホトトギス」「山茶花」の俳人である。穏やかな生活吟が多く、しっとりと落ち着きのある句柄が魅力である。身辺雑詠の句群の中で、自らの従軍体験を詠った30句が異色であった。従軍の句を数句。「梅雨時化の玄海越ゆる船にあり」「ほのかにも蓼の匂へる露営かな」「砲身に月光流れ更けにけり」「月を浴びて発砲の命待つばかり」「弾よけて冬木を楯に暫くは」「壁に貼る慰問絵葉書冬灯」「砲車守り佇つ朧夜の影なりし」
【07年8月23日】
瀬尾まい子『天国はまだ遠く』という小説を読む。今時の作品も読まねば、との思いで、図書館から借りてきた本。自殺未遂の女性を主人公にしたお話だけれども、癒し系の比較的軽い小説。作者は、小説の舞台にもなっている丹後の地で中学校の先生をしているとのこと。そういえば、そのような方がおられるという事は聞いたことがあったけれど、この人なのか、と納得する。丹後の地での、自分自身の体験も折り込んだ小説ということで、自然描写や主人公の体験の記述の中に、心引かれる部分が随分あって、面白く読み終わることが出来た。
大阪の「空の会」で、三好潤子氏のことを加田由美さんが話されるという。三好潤子氏については、一度ちゃんと作品を読んでみたいと思っていた俳人の一人で、三好氏のごく近くでその謦咳に接したことがあるという加田さんの話は、是非聞いてみたいと思い、その旨を「翅の会」の折、竹中さんにお話しすると、数日を待たず、加田さんから年表などの資料とともに『三好潤子俳句抄 花吹雪』を送っていただく。早速、読む。もともと随分以前何かの折に読んだ一句に強い印象を受けて、普段なら人の名前を覚えることの苦手な私が、一度でこの俳人の名前を覚え、ずっと記憶のどこかに留めていたのだった。もともと強い個性の持ち主で、旺盛な生の意欲を持ちつつ、一方で生涯にわたり様々な業病に苦しめられ、否応なく死と向かい合わざるを得ない、その生の振幅の大きさが、作品に強く反映しているように思われた。その後、ネットで検索して、『三好潤子全句集 曼珠沙華』があることを知り、幸い在庫のある古書肆が見つかったので注文をする。
昨夕は、今夏初めての本格的な夕立に見舞われる。帰宅の途次、猛烈な降雨と強烈な雷のために、しばらく駅で雨が弱まるのを待つ羽目になる。昼間は、炎天下で学校公開の駐輪場整理をし、その後これまた屋外で生徒会の文化祭のアーチ制作につきあっていて、夕方までかかり、その挙げ句の雷雨という状態で、帰宅後、熱を出して早々に寝込む。暑さにやられたようである。
一晩寝て、体調は回復。朝から雨の中を出勤。午前中は、新学期の準備。午後は、学校公開のクラブ担当。夕方まで、残務整理などして、退勤。帰る頃になって、また雨が降り出す。遠雷も聞こえる。昨日の今日なので、大急ぎで帰る。今夜も、ゆっくり休むことにする。明日は、人間ドックの日である。
【07年8月20日】
金曜日、午後帰京。ベランダに出しっぱなしだった「金貨のなる木(だったか……?)」が、連日の猛暑に耐えきれず枯れているのではないかと少々気懸かりであったが、葉っぱにやや窶れはあったけれど、無事生き延びていたので一安心する。帰省の前、多めに水を与えたり、土中に保水材を仕込んで(水を吸収した薬剤が分解しながら少しずつ土中に水分を解放するというもの)、徐々に水が供給されるようにはしておいたのだが、とこかく今年の異常な暑さは例年の工夫を凌駕するものではなかったか、と気懸かりではあったのだ。室内におけば、籠もった暑さのために即駄目になってしまいそうだし、ベランダならば夕立等の僥倖に巡り会う機会も多かろうと考えたりもしたものだ。葉っぱを通しての大気中からの水分補給という手もあるということだし。木がまだまだ小さかった頃、葉っぱをすべて落として、幹だけになって暑に耐えてたということもあり、切羽詰まった対処法を自ずと備えているものだと感心したこともあった。ある程度大きくなると、耐久力も増してきたのか、夏の帰省期間中、放置しておいても全く大丈夫な状態になっていたのだが。
土曜日。1年学習合宿の講師として参加。今回は、講座が1講座で担当が二人いたので、前半・後半に分け、私は前半を担当する。1泊2日で、古文講座3コマ。生活指導付き、という内容であった。会場は、宇治の山奥にあるAという公共施設。四囲は緑濃い山に囲まれ、携帯の電波は届かず、全館テレビ無しという、学習をする分には絶好の環境の施設であった。木造二階建てで、館内は結構凝った作りになっていて、なかなか印象も良かった。食事は、もう少し野菜類が多ければ、と思うが、随分安い費用で宿泊と会場使用が可能なので、贅沢は言うまい。合宿は、淡々と進行し、夜の指導もほとんどなくて、早朝に会場周辺を散策する程度の余裕もある合宿であった。私が歩いている横を、運動クラブに所属する生徒が早朝ランニングをしていたり、会場へ帰ると野球部の部員達が前庭でバットスイングをしていたりという、そんな長閑さもある(やっている当人達は大変だろうが)ものだった。午前中で担当の3コマを終え、同僚の車に便乗させてもらい、帰宅。途中、宇治山中で道を失うというハプニングなどもあった。
日曜日、午後。「翅の会」で北文化会館へ。合宿が比較的楽だったとは言え、泊付きは気疲れする。地下鉄車中で、何度か居眠りしそうになる。「翅の会」は、今回で岩城久治研究は終了。最後の回ということで、一応のまとめ作業を行う。都合5回に渡る岩城久治研究は、辻田研究同様、プレレポート報告ののち、「醍醐会」にて成果を発表することになるだろうが、結論めいたことをいえば、辻田克巳氏が現在の俳壇の中で独自な歩みを続けておられるように、岩城久治氏もまた、同氏らしい独自の道を歩いておられることを実感できた点が、大きな収穫であったように思う。特に、「メタ俳句」という言葉(これは、岩城氏が筒井康隆のメタ小説群に興味を持たれたというエピソードを会の中で紹介した際、竹中氏が口にされた言葉であったが)は、大きな意味を持つものかもしれないと思ったことだ。5時前に会を終え、京都駅前に移動して二次会。私は、そこで失礼したが、竹中・弥榮両氏は果たして何次会までこなされたことであろうか……。
帰京の車中で、角田光代氏の『まどろむ夜のUFO』を読む。現代人の寄る辺無さみたいなものが描かれていて、面白いなと思う。表題作が、ちょっと風俗小説的な側面が在るのに対して、「もう一つの扉」の方が、より純度の高い小説で、そのシュールで底のない世界にふっと引き込まれるようで大変読み応えがあった。「ギャングの夜」は、中途半端な小品風。この人の作品も、まとめて読んでみたいものだと思う。読後、さらに小林信彦著『名人 志ん生そして志ん朝』を読み始める。一連の芸人伝の一つ。自分が見聞したことしか書かない、という作者の拘りが、独特の魅力を持つ一書。
【07年8月8日】
火曜日。句会二日目。会場になっている部屋に行ってみると、なぜか、教室の半分が茶席に変わっていた。教壇の上に畳が敷かれ、赤い毛氈が畳んでおかれ、幕で囲った茶立ての場所が教壇の横に作られてある。教室半分のスペースについて、長机が撤去され、椅子だけが数列並べ置かれてある。一瞬、部屋を間違えたのかと思ったのだが、入る前に部屋番号は確認していたし、後ろの普通座席には女子学生が一人すでに来ていて、投句用紙を机の上に置いて、句を案じている様子である。急いで、総括責任者の岩城先生に連絡をして、大学当局と連絡をとっていただく。結局、翌日から開催される国際会議の歓迎行事会場に当てられた教室を、早めにセッティングしてしまったというミスという事であった。後ろ半分を使って、机・椅子を配置して、句会場とする。
受講生は、数名遅刻者がいたけれど(人のことは言えないが……)、全員出席。当季雑詠2句投句の3句選ということで、句会が始まる。昨日の今日なので、特によけいな説明も必要なく、スムースに句会が行われていく。学生の句の披講を終え、世話役の二人の選を発表する。春の句と新年の句が1句ずつあったけれど、面白い句だったので私は頂いた。昨日の倍くらいの数を選する。なかなか面白い句があって、楽しかった。最後に講師の足立先生の披講と講評がなされ、まだ少し時間があったので、ちょっとだけ意見交換の時間を設定する。進んでの発表はなかったけれど、数名の学生さんから発言をもらう。予定の時間が来て、句会は終了。昨日同様、大教室に集合して各講師の披講と講評が行われる。他会場の作品にも、ずいぶん面白い句がある。なかなかやるな、今時の学生! などと感心する。自分がお世話していた講座だけでも、何人か良い感覚の人がいるのに気づいたものだ。11月の鴨川吟行会に、その中の一人でも来てくれたらうれしいな、と思う。本日の仕事を終えて、皆さんは四条の方に行かれるそうだが、私は失礼して帰宅する。気分良く疲れた、というところである。
水曜日。クラブ当番。小論文指導の生徒が来たので、じっくり指導する(時間が十分あるので)。
「狂歌」について書かれた本を読む。代表的な作者(上田秋成とか平賀源内なども有名な作家なのだ)とその作品を数句、そして解説、というお手軽な内容。先行文学(特に和歌)の「もじり」みたいな作品が多かったけれど、滑稽・諧謔の精神に溢れたもの、風刺の効いたもの、かなり際どい内容、悪意に満ちた作品、ちょっと風格すら感じさせるような作とか、その多彩多様な内容がなかなか面白かった。
【07年8月7日】
月曜日。単位互換制宇治吟行の日。快晴である。電車の乗り継ぎが悪くて、時間ぎりぎりの到着となる(もっと余裕を持って出かけるべきであった)。学生諸君の集合は20分ほどずらしてあるのだが、すでに十数名が来ているようだ。集合予定時間を過ぎたので、全体をAからHの8班に分けて、右回り班・左回り班の二つに分けて、吟行に出発する。私は、FさんとB班を担当する。目印の旗ではなく、Bと大書した団扇を手に、歩き出す。宇治橋を渡り、商店街、平等院横、塔の島、宇治神社、宇治上神社と、先日の下見の時とは逆のコースを歩く。大型バイクを手押ししながら歩いている学生も居て、なんとなく「大学生」の引率という気になる。
一通りコースを歩き、最後の宇治上神社で少し時間を取って、句作を行う。皆、コンパクト版の歳時記を片手に、意外と熱心に句作りに励んでいる。4日間の受講で2単位の取得が認められるということで、学生にとっては結構「おいしい」講義となるようで、受講希望者は300名をこえたのではないかと思うが、当日の吟行参加者はその半分強くらいの参加者ではないか、と思う。やる気のある子達が参加した吟行会なので、この熱心な姿に繋がったのだろうか、とも思う。京阪宇治駅まで引っ返し、一度解散となる。午後、龍谷大学で句会と講評がなされる。
1時15分から講義再会。通常の手順を踏んで句会が始まる。一人二句投句の三句選。句会講師の足立氏(後で知ったのだが、足立氏のお子様二人は互換制講座の受講経験者で、秋の鴨川吟行の常連の二人だった。ちょっとビックリする)の他に、お手伝い役二人も選に加わる。学生諸君は、皆俳句の未経験者なのだろうが、出来上がった作品はなかなか面白いものが多かった。中には、いかにも今時の学生らしい大胆な作品もあって(おもわず選をしてしまったが)、大変楽しい経験をさせてもらった。各班の句会が終わり、大教室に一同会して講評。ここで、他の班の作品を読むことが出来たが、随分たくさんの佳吟に出会うことが出来た。そのせいか、各講師の先生方の講評にも力が入り、講義時間超過という状態となる。かくて、句会一日目は、終了。
夜、月曜句会。昼の吟行でちょっと疲れていたのだが、ここ数回病欠などで不参加が続いたので、参加する。辻田選にはもれたけれど、個人的に感銘の深い一句に出会う。大分の小松生長氏の一句であった。9時前に句会は終了。遅い夕食を取り、帰宅。シャワーを浴びて、そのまま就寝。
火曜日。本日は、当季雑詠による第二句会の日である。どんな句が登場するか、楽しみである。
【07年8月5日】
土曜日、午後。下見で宇治まで出かける。京阪宇治駅で下車すると、一天にわかに晴れ上がり(故遠藤周作氏の言い回しだそうだが)、強烈な夏の日射しが照りつける。駅頭に立った時点で、今日は出直そうかと思うほどの暑さである。気を取り直して、歩き出す。学生諸君は、おそらく季語の部分で困惑するのではないかと思われるので、季語を確認しながら、歩く。細かい道筋は聞いていないので、一応橋寺、宇治神社、宇治上神社、塔の島、平等院横、宇治橋コースで歩く。世界遺産の宇治上神社は、なかなか味わいのある神社であった。社殿背後の常緑樹の杜が良かった。神社横の木下道も、涼しくて気持ちの良い道であった。宇治神社は、特に何と言うこともない神社。朝霧橋を渡って、塔の島へ。宇治川の中洲である。日が陰っていて、川風が吹いていたら最高の涼みの場所になるだろう。台風の雨の余波で、やや水量の多い宇治川の景が目に涼しい。この吟行のハイライトは、やはり宇治川の鵜飼いだろう。舟溜まりの側に、鵜小屋があって、十羽近い海鵜が、中で休んでいる。鵜の様子を眺めたり、鵜舟や観光船、周辺の料亭の風情など眺めて句作に励めば、面白い句も生まれるのではないか、と思う。
木立越しの平等院の建物や池水の一部を眺め、商店街を宇治橋まで歩く。橋上に作られた三の間(ちいさな出っ張り部分)から、宇治川上流の山々を眺め、橋を渡って、京阪宇治駅へ帰着。明日も暑い一日になりそうなので、吟行自体は午前中二時間ほどではあるけれど、帽子と水の準備は必要だと思う(講義相当の吟行だから、勝手に買い食いとか出来ないだろうし……)。トイレやベンチ、休憩所の位置なども確認しておいた。冷房の効いた京阪電車内で、ほっと一息。念のため、季寄せで今日現地で確認した季語と、吟行中に使えそうな季語をピックアップしておく。
帰宅後、着ていたものを全部洗濯機に放り込んで、シャワーを浴びる。体重が1キロほど減っていた。汗の分であろう。糖質ゼロの低カロリー発泡酒を一本飲む。夜、少々疲れたので、8時過ぎにはベットにごろ寝しながら、筒井康隆の小説の続きを読む。まさにタイトル通り、様々な小説形式の破綻の仕方を作品化している。面白いけれど、続けて読むのはちょっと疲れる。本を取り替えて、松井利彦の『新編昭和俳句史』を読み始める。ちょっと各俳人の逸話の羅列みたいなところがあって、「俳句史」と言うよりは、読みものとしての面白さがあるように思う。
日曜日。六時前から「歩き」に出かける。蒸し暑さは前日同様だけれど、琵琶湖疎水の辺を歩くと、風の通り道になっているのか、快適であった。1時間少々歩いて、帰宅する。
【07年8月4日】
土曜日。五時半起床。六時前から「歩き」に出かける。曇天で、早朝にもかかわらず、じっとりと蒸し暑い。台風の影響であろうか。昨日は、一日南風が強かったけれど。普段はあまり歩かない方向を歩く。以前は、全く気づかなかった小さな御陵などに行き当たったりもする。1時間ほど歩く。帰宅後、着ているものを全部洗濯機に放り込んで、シャワーを浴びる。その後、洗濯しつつ朝食の準備。パン・野菜たっぷり・ウインナ・ゆで卵、チーズ、そしてコーヒー。デザートに、メロンを少しの朝食をとる。相変わらずの曇天だけれど、洗濯物を外に干す。午前中は自宅にいるので、雨が降り出したらすぐにでも取り込むつもり。洗濯を終え、ついでに洗濯機の洗濯槽の洗浄をする。薬剤を入れ、1時間ほど放置しておいて、普通に洗濯の手順で機械を動かす。漂白剤なのか、匂いがちょっときつい。
筒井康隆の『壊れ方指南』を読み始める。短編小説集である。「漫画の行方」。虚実混沌の世界。筆者をモデルとしたと思われる一人の作家の意識の中に、夢の世界がどんどん進入していくという、筆者お得意の世界の一つ。私小説風な体裁を取りつつ、いわゆる「現実」世界(もちろん小説における「現実」だから、実は「虚」の世界。「虚」を、さらに「虚」で揺さぶるというややこしいお話)の揺れの感覚を楽しむ、というような作品。
フィルターの掃除をしたら、エアコンの調子が俄然良くなった。温度設定を高めにしないと、ちょっと寒いくらいの状態になるほどだ。やっぱり掃除をしてみるものだと思う。洗濯槽も綺麗にしたので、洗濯物も一入綺麗になることだろう、と思う。
天気が持てば、午後は宇治の方に行ってみようと思う。来週の月・火と、大学コンソーシアムの単位互換性関係の講座で、宇治方面で行われる吟行関係のお手伝いをすることになっているので、念のためちょっと下見をしておこうと考えたからだ。引率と句会の補助員の仕事なので、まあ普段の生徒引率のつもりで参加すればよいかな、とは思うのだが。大学生諸君の句作と句会を見学できるのは、楽しみである。
【07年8月2日】
『季寄せ−草木花』は中村草田男選・監修の歳時記である。四季別に植物に限定しての季寄せで、大きなカラー写真と句が数句、簡潔な説明がついていて、見て楽しむという体裁の歳時記である。その中に1句竹中宏氏の作品を見つけた。「ハンマー投げ仆れて土に李嗅ぐ」という句である。念の為に調べてみたら、第一句集『饕餮』に所載されてあった。「李」の項には同氏の作を含め三句が掲載されてあった。「葉隠の赤い李になく小犬」一茶、「門川のほとばしり落ち李熟る」山口青邨、そして竹中氏の作である。一元、取り合わせ、そしてそのいずれとも言い難い同氏の句(「土に李嗅ぐ」という感覚の飛躍が面白いが)、と草田男の選句の面白さを感じる。
台風5号が宮崎に上陸。すでに今年二つ目の台風の本土上陸だ。京都は、現在曇天で時折風とともにぱらぱらと雨が降る、という状態である。蒸し暑い。近畿への最接近は明日になるらしい。
4泊5日で、大学の夏季講習を受講しに来ていた甥が帰郷。京都、大阪の往復は結構きつかったのではないか、と思う。帰郷に際し、台風の影響が気になったが、全く問題はなかったようだ。
エアコンの調子が今ひとつ良くない。効きが悪いので、フィルターの掃除などするが、すぐに室温が30度くらいになってしまう。生暖かいけれど、外からの風を入れた方が、かえってマシなくらいだ。
川名大著『新興俳句表現史論攷』を読み進めている。新興俳句の諸相が分かりやすく説明されてあるので、読んでいて興味深い。