日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
07.6「日々録」
07.7「日々録」
07.8「日々録」
07.9「日々録」
07.10「日々録」
【07年11月21日】
退院後2週間が経過し、検査並びに今後の治療について指示を受けに行く。タクシーで病院に向かい、病棟を下から眺めて、改めて大きな病院だと思う。あの6階に入院していたのだ、と思う。
京都の叔母が会いたいということで、病院を待ち合わせ場所にする。12時過ぎに検査終了。院内の食堂で昼食を3人でとり、少し話などする。時間がないということで、叔母はそのまま帰る。今回、叔母にも本当に心配をかけてしまった。
入院中は病院とマンションの往復、退院後は身の回りの世話のすべてを母に任せていたので、せめてもの事と、少し大回りをして帰る事にする。T寺の紅葉がそろそろ綺麗になってきているという事を聞いていたので、病院からさほど遠くない事もあり、タクシーにそちらに廻ってもらう。せめて、秋の京都らしい風情を少しでも味わってもらおうと思ったのだ。残念ながら、寺内の紅葉はいまだしという状態ではあった。けれど、秋の京都の美しさのほんの一端は味わって貰えたのではないか、と思う。
帰宅後、荷物の整理などを行う。夕方になると、ぐっと寒さが増してくる。風も強い。西山も北山も厚い雲に隠れている。荷物を出しに外に出ると、雨が降っているのに気付く。
【07年11月20日】
一日の大半は、ソファーに座って過ごしている。ついテレビを見ることが多くなり、ワイドショーとかサスペンス劇場とか、こんな番組があるのだと思いつつ見ている。頭を使うと疲れてしまうので、結構漫画を見たりもしている。総集編みたいなのがあるので、『ベルセルク』とか、『三丁目の夕日』とかを見たりしている。『働きマン』というのが結構面白い。テレビドラマになっているとか、いないとか……。送って頂いた雑誌に目を通したりもする。杉浦氏から『quatre』No26、広瀬さんから『垂人』、小池氏から『五七五定型』、樋口さんから『バックストローク』を送っていただき、読んでいる。いずれの雑誌も面白い。俳句や川柳の雑誌である。『鼎座』も頑張らねば、と思う。夕方、1時間くらい横になる。昼寝のつもりだが、実際には眠れないので、横になったままで句集などを読んだりしている。稲田眸子『風の扉』を読み(瑞々しい作品群)、林徹『句集 飛花』を読む(第40回の俳人協会賞を受賞した句集とのこと、写生句ではあるけれど、独特の切り込みがこちらをはっとさせる、インパクトに富む作品群。大変面白い)。
外との繋がりは、朝夕の「歩き」と、「歩き」の延長で時折の近所への買い物。ベランダから見る周辺の風景。ネットサーフィンならびにネットへの書き込みと、携帯メールによるやりとり、実家への電話くらいだ。こうやって列挙出来る状況というのは、ある意味すごいことだと思う。
母が少し風邪気味であるのが心配である。明日は、通院。明後日からしばらく実家へ引き上げる。『日々録』は再びこちらのみ(
「ブログ版日々録」
)になることと思う。
甥は、コンクール疲れか、一日休んだそうだ。飼い犬のジェニビは、2日間のペットホテル暮らしで調子を崩してしまったらしい。
【07年11月19日】
6時過ぎに目を覚ます。朝の「歩き」に出掛ける。寒い。万歩計を付けて、近所をぐるりと歩いてくる。いつもの公園で、日毎に進む紅葉を眺める。朝日が眩しい。マンションに帰り、廊下から何気なく北山の方を眺めると、稜線が白くなっている。初雪が降ったのだ。とうとう雪が来たのか、と思う。季節は急速に冬を深めつつあるのだと思う。普段はたおやかな北山の様相が、雪によって随分厳しいものに変わっている。朝は晴れている空も、時間が経つにつれ、どんどん雲が厚くなり、やがて日射しもすっかり隠れてしまった。
昨日は、甥のコンクールの日。結果がどうなったか、気になり、演奏を聴き良いっているはずの姪に携帯を入れる。幸い携帯は通じて、姪のちょっと興奮した声が聞こえる。予選に通過して、本選出場がこの後3時半からだという。参加者60名で、予選通過者は10名。その一人に選ばれたのだ。かなりレベルの高いコンクールで、まず予選通過が第一目標だったので、第一関門を突破したことになる。電話で、良かった、良かったとやりとりする。本選の出場順は一番ということで、すでに次の演奏に向けて気合いを高めていることだろうと思う。本選の結果は5時過ぎに分かるということで、それを待つ。5時を過ぎても連絡が来ないので、6時過ぎにこちらから携帯とメールを入れる。やがて、返事があり、入賞は逃したとのこと。ただ、音の美しさは各審査員が一様に評価していたという。ご苦労様とねぎらって電話を切る。「疲れた」という携帯の向こうの姪の一言が本日の締めくくりであった。頑張ったね、と母と喜び合う。三人は、東京からの最終便で帰宅する事になっている。緊張と慌ただしさの二日間であったろうと思う。
朝方の夢。授業で手こずっている夢。大声で叫いているうちに目が覚める。かなわんな、と思う。何となく足先が冷たい。室内が冷え切っているのだろう。エアコンのスイッチを入れる。
今日は、京都の叔母が来ることになっていたのだが、都合で来られないと朝電話がくる。叔母にも今回本当に心配をかけた。I氏とのメール題詠句。第4回は「綿虫」。そういえば、昔々「綿虫の飛ぶ夕景をうべなへり」などという句を作った事を思い出す。
【07年11月18日】
早朝の「歩き」。30分ほど近所を歩く。今日は、坂道・階段コースを歩いてみるが、平坦路に比べて、やはり少々しんどい。腹筋を使うところも、負担になっているのかもしれない。紅葉は、一気に進んでいるようだ。
朝方に見た夢。急な引っ越しが決まって、ほとんどの家財道具をそのまま残して、家移り。あまりに何もかも残していくので、それはちょっとまずいのではないかと思って、一人後に残り、持って行けそうなものをあちらこちら物色しているという夢。久しぶりに、以前住んでいたY町の家が出てきた。二階の六畳間とか、物乾し場になっているベランダとか、そのままの姿で出てきた。そういえば、一昨日母とちょっと前の家の事などを話していたので、それがこんな形で出てきたのか、とも思う。
今日は、甥っ子のコンクールの日。弟夫婦、本人が東京へ。昨夜は、Y大に通う姪も合流して一緒に夕食を食べたらしい。部門参加者が60人という大人数で、一体どんなことになるのだろうか、と思う。飼い犬のジェニビは初めて二日外泊ということになる。さすがに、ペットホテルに預けられる時はちょっと心細そうに「クンクン」ないていたという。普段は、そんな殊勝な犬ではないのだけれど。
I氏とのメール題詠句。第3回は「冬構え」。私の出題。前2回の「夜着」「冬北斗」はいずれも面白い句であった。紹介できないのが残念だけれども。『鼎座』第10号の編集作業にかかり始めている。出来たら年内に出したいと思う。今回の目玉は、清水氏と私の「特別作品50句」(目玉にならないか……)。「角川俳句賞」予選通過作品をそのまま掲載するという、ちょっと安直な特集ではある。
【07年11月17日】
今日は、丹後の「すき句会」の日。残念ながら、参加は出来ない。岩城先生にFAXで句を送り、欠席投句扱いにしてもらう。丹後も紅葉が進んでいることだろうと思う。
朝から快晴。リハビリで近所を歩く。吐く息が白くなっていて、ずいぶんと寒い。近所の児童公園の木々も、次第に赤や黄色に染まり始めている。元気な時に歩いていたコースを3分割くらいにして、日毎に道順を変えて歩いている。歩いている最中は、傷の痛みはほとんど感じない状態になっている。水平方向の移動はなんとかなりそうだが、階段の上り下りはまだ一度も試してはいない。歩いて4階の教室まで往復するなんて事は、まだまだ無理だろうな、と思う。
朝の連続ドラマ「ちりとてちん」。なかなか感動的で良かった。BS11の再放送も見る。これも良かった。BS「俳句王国」。主宰は長谷川櫂氏で20代特集。残念ながら、作品自体には見るべきものはほとんどなかった。そんな中で一人アシスタントの神野 紗希の句が結構面白かった。主宰10句選は、ほとんど月並み句という印象のものばかりであった。改めて、なんで? と思う。
メールを使って、I氏と題詠句の交換をすることになった。昨日は、その1回目で私が「夜着」の題を出す。本日は、I氏の出題で「冬北斗」である。一応、モチーフのようなものは自分の中で出来ているので、それを句としてまとめる作業を夕方から夜にかけて行おうと思う。こんな風に、叱咤激励してもらえるのが、大変ありがたい。
【07年11月16日】
退院後、ずいぶんむさ苦しい様子のままなので、散髪へ行く。マンションの真下の小さな理髪店である。親父さんが、事情があって他の店の手助けに行っているので、若主人が理容の方を担当している。若いけれど、結構腕の良い理容師さんである。音楽の話やら、例の亀田親子や沢尻エリカの事、紅白の司会者のことなど、芸能ネタで話をしながら、調髪してもらい、顔をあたってもらう。すっきりとする。昨日は小春日和風でぽかぽかと暖かかったけれど、今日は雲が全天を厚く覆っていて、少々寒々としている。頭が冷たい。早々に帰宅する。
今までの生活なら考えられないことだけれど、NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」を見るのが楽しみの一つになっている。へたをすると、朝2回見て、昼過ぎにさらに1回見るというような見方をしている。深刻すぎず、適度にギャグや笑いがあって、見ていて楽しいので(特に、今のところ深刻なもの、重たいもの、暗いものは見る気にならない)。
清水さんから今回予選を通過した「角川俳句賞」応募作50句を送ってもらう。なかなか面白い作品群であるけれど、自在な発想と表現のいつもの清水色が少し薄まっているところが気になった。その点は、清水さん自身も感じておられたようだった。今回の私の予選通過作も、いつもの自分の作に比べていかにも「俳句」という点が強く打ち出されていたような面があったし。ちょっと、微妙で複雑な気持ちではある。
宇多喜代子氏の『古季語と遊ぶ』を読んでいる。岩城先生も参加しておられる「あ」句会の作品紹介と鑑賞、ならびに古季語・難解季語の解説など。手練れの俳人達の、古季語・難季語との奮闘の姿が、大変面白い。一度に読むことがしんどいので、少しずつ少しずつ読み進めている。
昨日、朝・夕と二度「歩いた」せいか、今日は少々疲れ気味である。何となく雨が降り出しそうな様子でもあり、今日の「歩き」は中止しようと思う。
【07年11月14日】
夜、横になっているほうが傷が痛むせいか、1〜2時間毎に目を覚ます。ちくちくとずきずきの中間くらいの痛みを感じる。傷が治っていく段階で、腸閉塞等の病気になることがあるらしいので、そのことが気になる。しばらくベットに腰をかけていると、痛みが薄らぐので、枕元のスタンドだけ点けて待つ。痛みが弱まると横になる。眠りが浅いせいか、夢ばかりみているようだ。また、目が覚め、ベットに腰掛け、また横になり、そんな事の繰り返しである。
朝、近所を歩く。昨夜、S氏からメールをもらい、無理しない程度で歩くことを勧められ、その助言に従う。それに、買い物でスーパーの雑踏の中を歩くより、人の姿のない早朝の道を歩く方が、随分気分が違う。寒さはさほどでもなく、マンションの周囲をぐるりと歩く。さらに、近所の公園にまで足を延ばし、引き返す。一度部屋まで帰り、ゴミ出しをする。もう、それで十分かな、と思う。7階に上り、廊下を歩きながら、近所の数棟のマンションがいずれも朝日に輝いているのが見える。そういえば、いずれの棟も東に向かって立てられていることに気がつく。どこかの部屋のカーテンが開けられるのが目に入ったりもする。それが何故かとても新鮮な印象を受ける。
【07年11月13日】
昨日退院。2週間あまりの入院だった。長いような、短いような入院生活であった。これから、長い予後の生活に入る。
入院生活は、術後数日の点滴と痛みの時期を除き、ずいぶん快適?なものであった。親切な医師、細やかな看護師さん達(本当にこの病院の看護師さんたちはすごいとつくづく感心しているのだ)、準個室と言うことでゆったりとした療養空間。病室のある6階の窓からは、京都市内や西山の風景が遠く眺められた。病室前の廊下の突き当たりの硝子張りのドアからは、自分のマンションが遠望出来る。夜になると、そこが綺麗な光の飾り窓のようになって、トイレの帰りなどちょっとその景色を眺めやるような瞬間もあった。
ちょっと驚いたのは、手術の翌日から「歩け」という事だった。朝のうちに尿の管を抜いて、以後トイレは自力で行くことになる。最初は、目眩とふらつきが酷かったけれど、何とか一人で歩いて用を足す。トイレの往復が回復の訓練にもなっている。寝たままでいるよりも、上体を起こしている方が回復につながるということで、ベットの背もたれを立てて、それに凭れるようにして、一日を過ごす。本を読むつもりで、準備をしてきたのだが、とても読書などできる状態ではなく、その代わり漫画ばかり読んでいた(入院後半になって、なんとか少しずつ活字が読めるようになるのだが)。インターネットも使える液晶テレビが各ベットに備え付けになっているので、たまにネットで
『週刊俳句』
を見たり(ちょうど、「角川俳句賞・落選展」をやっていたので)、あとはほとんどテレビはつけっぱなしにした状態であった。退屈というのとはちょっと違う、病院の一日が過ぎていく。5時前には目が覚めているのだが、病室に明かりがつくのは6時からで、消灯時間の21時半までが病室の一日ということになるのだろうか(もっとも、21時半になったら眠られるというわけでなく、結局夜中くらいまでベットの上で転々として、日にちが変わるぐらいから細切れに眠るというような状態だった。眠れにない時には「古今亭志ん生」のCDを聞いていた。楽しんで聞いているうちに不思議と眠ることが出来るのだ。目が覚めると、また聞いて眠り、また目が覚めると聞いているうちに朝になるのだった。
退院した日は、タクシーで帰宅し、その後訓練を兼ねて、近所のスーパーへ買い物に出掛けてみたが、やはり少々無理で、途中から母が買い物を終えるのを店内のベンチで待つことになる。午後は、室内で過ごす。横になるより椅子に座っている方が回復が早く、他の病気の予防にもなるということなので、リビングのソファーに座って過ごす。夕方近く、2時間ほどベットに横になり、入院中にTさんから贈られた『飯田龍太の時代』を読んで過ごす。夜は比較的安らかに眠られた。夜中に目を覚まし、傷が痛むのでベットに腰掛けてしばらくやり過ごす(座っている方が、傷は痛まなくなっている)。その後は「志ん生」氏のお世話にはなって眠る。