日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
07.7「日々録」
07.8「日々録」
07.9「日々録」
07.10「日々録」
07.11「日々録」
【08年1月31日】
現在、夜の10時。いつもならもう眠っている時間だ。ただ、今日は、少し遅い目の風呂に入った関係で、こんな時間まで起きている。それに、現在「ブラック・レイン」をやっていて、ついそれを見ているという事もある。松田勇作の光を反射しない硝子のような目玉が、とても印象的だ。
復本一郎の『俳句と川柳』を読んでいる。面白い。俳句と川柳の違いについて、一つの見識が示されてあるように思う。川柳側の論者として、樋口由紀子氏が紹介されてあるあたりにも、目配りの広さを感じる。今後、俳句と川柳を考える際の、参考書の1冊になりそうだと思う。入浴用には、草野心平のエッセイ集『酒味酒菜』。そのグルメと酒豪ぶりには、かなりビックリする。
「日々録」がなかなか更新できない。仕事を終えて帰宅して、9時過ぎにはもう就寝する生活では、度々の更新は難しいかもしれない。投薬の影響が少しずつはやはり体の方に出ているので、極力無理はすまいと思う。こんな状態での毎日5時起きの生活も、やはり負担になっているのかもしれない。まあ、仕方がない。
最近、はまっているおかず。サバ缶(ちょっとだけ良いサバ缶)の中身をそのまま鍋に入れ、適当に水を足して、そこに竹輪(やっぱり竹輪はT取産のアゴ竹輪)と白菜のぶつ切りを入れて、ただぐつぐつと煮るだけ。サバ缶の汁で味は付いているし、白菜が甘く煮えて美味。なんとも手軽で雑で大雑把なものだが、夕食のおかずの1品としてここ三日ほど、具を足しながら食べている。なんとなく、飽きない。
【08年1月27日】
雪が降っている。ベランダ越しに見渡せる屋根の上に、うっすらと積雪がある。いかにも寒々とした情景だ。寒いので、カーテンを僅かに開いて外を見ている。寒さと乾燥のせいか、親指の先がわずかだがぱくっと割れていて、時折血がにじむ。それが、ちくちくと痛む。
昨日は、所用があって大阪へ。夕方まで大阪にいて、夜帰ってくる。出かけた先は、伊丹空港の近くで、ひっきりなしに町の上空を飛行機が通過していく。私には物珍しい光景なので、間近に爆音が聞こえるとそのつど空を見上げて、中型機や大型の飛行機が通り過ぎていく様子を眺める。往復の車中で、下川裕治著『日本を降りる若者たち』を読む。「外こもり」という言葉を初めて知る。仕事や人間関係に対する強い違和感から、日本での生活を捨て、タイで暮らす若者たち(一部中高年・老人も)の姿を描く。
『週刊俳句』
更新。第二回週刊俳句賞は、大学・専門学校生限定となるらしい。どんな作品が出てくるか、楽しみにしたい。作品は、茅根知子氏(正当派作品という印象。「ポケットの深きところに竜の玉」「ひとりなら八手の花を思ふなり」「……なら」がちょっと不満)と上田信治氏(「北風の吹いてするめの大きくて」「押入を開けて布団の明るしよ」「新聞に切抜きの穴うぐひす鳴く」面白い目を持った人だとつくづく思います)。連載作品が4本「近代俳句の周縁 3」橋本 直・「上州の反骨 村上鬼城」斉田仁・「そんな日02」かまちよしろう(クールな癒し系という感じが良いな、と思う)・「林田紀音夫全句集拾読 003」野口 裕)そろったけれど、いずれも見応え、読み応えがあって面白かった。
俳人協会賞が決定したらしい。大嶽青児『笙歌』と今瀬剛一『水戸』の両作品だそうだ。どんな句集なのだろうか。いずれ書店で販売されるのかもしれない。評論賞は小澤氏『俳句のはじまる場所』。いちど読んでみたいと思うが、一般書店で手にはいるのだろうか。新人賞はどうなったか。
【08年1月24日】
夕方になって、雪が降り始めた。気温は低い。このままで一晩降り続けたら、明朝には積雪が見られるかもしれない。すでに、路上駐車の車には、うっすらと雪が乗っていたりするのだ。
今日は、体調が今ひとつで、かなりしんどかった。朝、賞味期限切れのドレッシングを食べたせいでもあるまいと思うけれど。夕方まで仕事をして、どうにか復調したみたいなので、夕食は豚肉のすき焼きにする(牛肉は進んで食べる気にならないので)。茸と野菜たっぷりのすき焼きとなる。焼酎をちょっと飲む。
角川『俳句』2月号が届く。また、中山世一という方から『季語のこと・写生のこと』という著作を送っていただく。ありがたく読ませて頂こうと思う。
今週の『週刊俳句』には、対中いずみ氏と岡村知昭氏の作品が掲載されてあった。「氷柱」対中いずみ・作より「ことごとく蓮折れてゐる時雨かな」オーソドックスな句。しかし、景の中に対中氏らしい感覚の良さが感じられる1句。「外套の内ポケットの波打ちぬ」面白い1句。ただ、何が面白いのかといわれると、ちょっと困ってしまう。内ポケットという素材とそれが波打つという形状。それを重ね着の向こうに感じ取る作者の感覚、なのだろうか。「煮凝に鮟鱇の足ありにけり」鮟鱇の足とは腹側の小さな鰭のことなのだろうか。煮凝の中にそのようなものが留まっているのがいかにも鮟鱇らしい。「水鳥の群にまじりてゐはせぬか」何がではなく、誰がまじっているのだろうか、と思う。魂の姿で交じっているような……。「ふくろうワルツ」岡村知昭・作については、野口裕氏と堀本吟氏の書き込みが興味深い。「ふくろうの涎なりけり不凍港」「ふくろうの脂に濡れて寝台車」「ふくろうの声ワルツには及ばざる」ふくろうの涎・脂・声を素材に二元・二元とも一元とも取れる句・一元句と俳句三態を提示しているような、という印象。色々読み・考える面白さはあるけれど、内面の形象化的な句はつい詩の一節のような感覚で受け取ってしまう。
【08年1月20日】
土曜日、午後。久しぶりに、鴨川に「歩き」に出かける。京阪三条で下車、「ブック・オフ」を覗いて、句集を1冊購入して、それから河畔を歩き始める。ニュースで話題になっていた鴨川上空の鳶の乱舞は、少々異様な印象を受ける。ゆりかもめの姿も見える。小鴨や真鴨の姿もある。雪の見える北山を正面に眺めながら、鴨川を遡って行く。寒い。出町から高野川の方に向かい、そこから下鴨神社まで足を延ばす。糺の森を歩くのは、気分が良い。見上げると、高い梢の向こうに青空が覗いている。お参りを済ませ、出町駅から電車に乗る。夜、買ってきた句集を読む。
偶然、以前『醍醐会』で一緒だったM氏のブログを見つける。私の句集を『醍醐会』でレポートして下さった一人だった。私の句を数句取り上げて、鑑賞しておられる。ただ、「狼も詠ひし人もはるかなり」の句を「ご隠居」風と読まれるのは、少々つらい。「はるかなり」という言葉にひっかかられたのか、と思うけれど。ただ、「はるかかな」などと詠うより、甘さも心境も抑えめの表現とは思うのだが。それに、前書等は付けなかったが、これは追悼句なので。
日曜。天気は下り気味ということなので、朝のうちに「歩き」に出る。体重調整の関係で、少し長めに歩こうと思う。数か月ぶりに丘陵コースを歩く。ついでに、名水で有名な神社と御陵とを廻り、さらに最近映画撮影のため改装なった城郭などを見学してこようと思う。約2時間の「歩き」。ただ、思ったほど歩数を伸ばすことが出来なかったのが、残念。
午後から、雪になるかと思ったら雨であった。久しぶりに、遠藤周作のエッセイ『ルーアンの丘』を読む。作者のフランス留学の初期の頃を描いたもの。当時の日記(未発表のものだったか)も併載されてある。ちょっと感傷的で、直向きなところが新鮮であった。作者は、この世界をある意味で振り捨てて、モーリヤックの世界に向かい、やがて『白い人』をものすことになるのかと思う。
【08年1月19日】
ともかく、寒い。朝の室温は、16度だったけれど、これは、昨夜の余熱と厚いカーテンを引いて外の冷気を遮断した状態でのことで、朝の洗濯を終えて、洗い物をベランダに干すためにサッシ戸を開けると、冷気の塊がどんとやってくる。寒い。外気温は、3度くらいだろうか、と思う。天気は高曇り。これが快晴だったら、気温はもっと下がっていたことだろう。ライブカメラで確認すると、丹後地方は積雪もあるようだ。京都でも、西山まで雪が来ているので、北の丹後の地ではさもありなんと思う。丹後半島スイス村のスキー場では、こんな時間なのにもうゲレンデで滑走している人がいる。まだリフトも動いていないのに、どうやってゲレンデまで登ったのだろうか。
5時に目を覚ますつもりが、4時に目が醒めてしまい、そのまま眠れなくなる。仕方がないので、テレビをつけてぼんやりと見る。西田敏行が金田一探偵を演じる映画のような物をやっていた。ずいぶん若いなと思って見ている。薬を飲み、早く目が覚めたせいで、空腹を感じながら、ベットで横になる。6時過ぎに起床。大急ぎで朝食の用意をして、食べる。いつもの食事。なぜか、昆布巻きが追加されている。デザートに柿一つ。
早寝・早起きを励行?しているので、平日はほとんど本を読む時間がない(若干、気力に欠ける部分もあるか……)。通勤の往復時に文庫本を読む程度。現在、角田光代の短編小説集『太陽と毒ぐも』をすでに1週間くらいかかって読んでいる。若いカップル(恋人同士だったり夫婦だったりするが)の日常生活を描いているが、二人の関係性の底に潜む様々なものを、若干ベタな展開ではあるが手際よく引き出して、それを読み物として描きあげる手腕には改めて感心する。早い話が、どの短編もとても面白い。外れがない、というのがすごいと思う。昨日、文学の森社とかいうところから、『俳句界』の見本が送られてきた。営業活動の一環らしい。ネット上で『新・増殖する俳句歳時記』の運営者である詩人の清水哲男氏が新編集長になったとかいう俳句総合誌だそうだ。岩城先生も雑詠の選者をつとめておられるという。今朝、ちょっと読んでみたけれど、広く俳壇状況を展望しようという姿勢がちょっと感じられる雑誌かな、などという印象を持つ。「週刊俳句」の世話役さいばら天気氏の短文も掲載されてあった。可能性を気楽に楽しんでます的な肩の力の抜けた内容。そういえば、「週刊俳句」は既成俳壇とネット俳句の世界との境界領域に絶妙なバランスで(こういうのも「サバービア」というのでしょうか)浮かんでいる気がする。面白いと思う。
「創生記」再演版を聞き、今ひとつ感銘が薄いのは何故かと思っていたのだが、結局声に思いが乗っていないせいではないか、と考えてしまう。綺麗に歌っているけれど、それだけという面があるように思う。もちろん、小川英晴氏の詩は哲学的で、難解なものであり、それを十全に理解して声にのせるということは大変困難な事だとはおもうけれど。初演の際、詩の理解という点では、実は再演と差はなかったかも知れないけれど、その時には曲の持つ力は当然のこととして、「創生記」をそれこそ世界で初めて歌うという熱い思い(思い入れというのか)が合唱団の中にあり、それが熱気となって歌に込められていたように思う。しかし、再演は曲自体も手を加えられ、歌曲としてさらに完成されたものとなり、歌自体も洗練されたものになったと思うけれど、その分落差として、声にのせられる思いの薄さが耳立ってしまうことになったのではないか、と思う。「創生記」はお祭り騒ぎの歌でも、自己満足のためのカラオケ的歌でもなく(ミューズの合唱がそうだというわけではもちろんないが)、「生」と「死」と「再生」という深くて重いものを主題として持ち、それを歌うことによって何かが変わるみたいなそんな要素を含む曲のような気がしているのだ。そして、残念ながら現在のミューズ合唱団の力では、「創生記」のそんな微妙な部分を歌いきることはなかなか困難なのではないか、と思ってしまう(「第九」や「レクイエム」はどうなのだ、という事は今は措いておいて)。ミューズの為に書き下ろされたカンタータではあるけれど、詩を提供して下さった方にも作曲者の思いにも今のところ合唱が応え切れていないのではないか、と思う。それが悔しい。夜闇の中で、曲を聴きながらそんなことを思ったりしていた。
【08年1月15日】
『週刊俳句』
が更新された。お二方の作品が掲載されたが、いずれも面白い作品だった。『珊瑚漂泊』青山茂根・作より。「湯豆腐に瓦礫ののこる寧けさよ」「うろくづといふ雑炊の小さき色」「最果ての地にも蒲団の干されけり」「雪催橋をたづねて旅終へむ」独特の美意識の面白さ。風狂の匂いなどもちょっと感じたりした。いずれにしても、作品としての面白さに満ちているようだ。『回天』村上瑪論・作より。「万延の帆柱すでに氷りたる」「柊を挿して出揃ふ攘夷論」「同盟に裏書さるる風花も」「奉還と海鼠の中にありしもの」虚実のあわいに遊ぶ、という風情のように思えた。野口 裕『林田紀音夫全句集拾読』は、簡潔な感想だが、もうすこしまとまった鑑賞も読んでみたい気がする。次回も楽しみにしたい。かまちよしろう『そんな日』、楽しい。おもわず同氏のブログ(http://manhai.blog118.fc2.com/)にも行ってみた。
月曜午後、学業成就のお守りを購いに、北野天満宮まで出かける。JR嵯峨野線「円町」下車。タクシーにてワンメータ程の距離。お参りの人の波が、参道から本殿へと延々続いている。受験生らしき若者の姿が多いように思う。ともかくまずお守りをいただきに行く。列に並んで購入。その後、本殿にお参りして、境内をぐるりと巡る。あちらこちらの梅の木は、まだまだ蕾状態であったが、一本だけ数輪花を付けている紅梅の木があった。「歩く」つもりで、上七軒を抜け、千本通りからJR二条駅まで歩く。途中見つけた古書肆に立ち寄って、草野心平のエッセイや岩城先生の師である桂樟蹊子氏の句集『朱雀門』などを購入する。
木造吹き抜けの二条駅プラットフォームで電車を待つ。北の方に雪の愛宕山の姿が眺められる。寒い。帰宅後、まず風呂で暖まり、その後夕食。10時前には床について、ベットの中で『朱雀門』を少し読む。
【08年1月14日】
日曜日、午後。1万歩を目標に「歩き」に出かける。寒気団の影響で、ずいぶん寒い。漫然と歩くのも気詰まりなので、某催し物会場で行われている「大骨董市」を見物に行くことにする。手頃な西洋アンティック風の何かがあれば買っても良いな、と思って、少しお金もおろしてきたりしたのだが、展示物は焼き物やら仏像やら、得体の知れない軸物などばかりで、結局見物だけで終わる。天気が良いので、さらに足を延ばして、家電の専門店に行く。再生専用のDVD機器が以前から欲しかったので、値段が手頃だったら購入しようと思ったのだ。思ったより広い売り場の一角に、数種類の再生機が置いてあったのだが、そのうちの1台を購入。手に提げて持ち帰る。真っ直ぐかえるのも芸がないので、さらに近くの有名な神社へ立ち寄って、健康祈願などして帰宅する。
一度帰って荷物をおいてから、夕食の準備の買い物。寒いので鍋、と決める。野菜は白菜のみ、肉なし魚たっぷりの鍋とする。健康鍋である。土鍋に具を山盛りつっこんで、ぐつぐつ煮立てるというこの大雑把さもありがたい。焼酎を舐めながら、鍋をいただく。汁を吸ってとろりとした白菜が絶品のおいしさであった。
10時過ぎには就寝。今日は、『創生記』を聴きながら寝ることにする。これは、ミューズ合唱団のために作られたカンタータで、当然世界初の演奏であった。(その後、ミューズで一部作曲しなおされて再演されたけれど、個人的には初演版の方が好みである。それにしてももっと色々な合唱団が歌ってくれたら、と思う。ピアノ伴奏バージョンがあれば良いのだが)。
月曜日、成人の日。各地で、式も含め、色々な行事が開催されていることだろう。今年もまた、成人式の混乱が報道されたりもするのだろうか。朝5時、目を覚まし、服薬後、二度寝。昨日と同じパターンである。7時過ぎに起床。珍しく朝食はパン食ではなく、昨夜の残り鍋。昼食は、これでおじやを作って食べて、お鍋の1サイクルが終了、ということになる。手術の影響で、腹の状態が落ち着くまで、しばらく時間がかかる。休日は時間的に余裕があるので良いのだが、平日は時間に追われる中で、お腹の状態と相談して動かなければならない生活なので落ち着かない。慣れるまでには、まだまだ時間がかかるのだろうと思う。昨日買ってきた再生専用DVD装置で、映画を見る。『トランスフォーマ』。映像には目を奪われるが、お話自体はごくごく薄手のSF物で、お腹が落ち着くまでの時間つぶしのようになってしまった。今日は、受験を控えた甥のために、北野天満宮のお守りを買いに行かなければ、と思う。
【08年1月13日】
朝、5時に目を覚まし、薬を飲んで二度寝。次に目を覚ましたのは6時過ぎだった。起床。FAXを送って以降、ちゃんと新聞は届いている。洗濯機を回し、朝食の準備。買い置きのパンがなくなったので、昨日駅で買ってきた新しいパンを食べる。コーヒーが美味しい。
昨日は、丹後の句会。初句会である。私にとっては、9月以来の久々の句会だった。朝から京都は雨。丹後も一日雨の天気だったが、句会はほぼフルメンバー参加ということで、盛り上がる。席題は、「初昔」。特に1句、大変感銘を受けた句に出会う。物自体に語らせる、という俳句の特質が万全に生きた1句。こんな句に出会えるとは、「今年は春から縁起が良い」ということであろう。岩城先生と二人だけが選んだ句であった。句会は、4時半まで。満たされた気分で終了。その後、缶ビールを頂いて一休み。駅までMさん夫妻に送っていただく。車中、綾部以降二人ともうたた寝。京都に着いた頃には、雨はやんでいた。
食事の時間に制限があるので、やむなく駅構内で夕食。某カレー専門店に入ると、ラブラブの店員に出会う。カウンターの向こうで、手を握り合ったり、お冷や用の氷をふざけて投げつけたり、やがて客そっちのけで二人で厨房の方に引っ込んで仕切のカーテンを閉めてしまう。カレーを食べながら、こちらの方が鼻白む。そういえば、早朝資源ゴミを出しに行ったとき、マンションの自動ドアの向こうで、エントランス内なのに黄色いパーカーの帽子部分を目深にかぶった男性が一人、自動ドアを手で開けようとしているのに出会った。外からは鍵がなければドアは開かないのだ。マンションの住人なら、持っているはずの鍵なり、自宅を呼び出して開けてもらうなりすればよいので、外部の人かなと思い、このままドアを開けて外に出るのは少々まずいかなと考えたけれど、そこを通らないと集積所に行けないので、しかたなくドアを開ける。私が外に出るのと入れ違うようにその男は中に入ってきて、そのまま廊下の方に歩いていく。ところが、雨の中を資源ゴミを置いて引き返してくると、その男がまたドアの外に出ていて、エントランスの壁にもたれかかるようにして立っているのだ。その時になって、強烈なアルコール臭が狭いエントランスにぷんぷん臭っているのに気がつく。酔っぱらいの雨宿り?なのかと思う。変な人たちにも出会った土曜日であった。
土曜日、夜。帰宅後、すぐ就寝。寝付くまで、ミューズの合唱を聴く。昨年夏のフォーレ『レクイエム』。ところが、聞いているうちに違和感を感じる。合唱と演奏とが、ごくごく微妙にずれているのだ。気負って走り気味の合唱団と、ゆったり奏でようとするオケとのテンポがわずかにずれたまま、演奏がなされているのだ。このずれは、かなり気持ちが悪い。やがて修正されたのだが、コンサート当日、演奏の最初の辺り、居心地の悪さみたいなものを感じた聴衆の方達もずいぶんおられたのではないか、と今にして思う。12月のミューズの「第九」はどうだったのだろうか。不本意ながら今回欠席したのだが、感想文集は送ってほしいと思う。そういえば、今年は丹後でも「第九」の演奏会が地元と周辺地域の方達の合唱参加で開催されたということが、句会の中でも話題になった。大友直人指揮、京都市交響楽団演奏によるもの。句会参加者の方でも、合唱に参加した人、当日コンサートを聴きに行かれた方が数名おられた。
【08年1月10日】
朝、5時前に目を覚ます。とりあえず、薬を飲む。昨夜は、ずいぶん昔の京都ミューズの合唱テープを聴きながら寝る。井上道義指揮によるモーツアルトの「レクイエム」。自画自賛めくけれど、こんな風に歌っていたのかと、感心する。四声のバランスがずいぶんと良い。その結果、聞き応えのある、厚みのある合唱になっている。気分良く寝付くことが出来たものだ。
薬と食事の間は1時間空ける必要があるので、その間にゆっくり朝食の準備をする。一時期配達を止めていた新聞が、その期間を過ぎて数日たつのに配達を再開しないので、ちょっと頭にきて早朝クレームFAXを送る。7時前には出勤。一つ前の駅で下車して、そこから職場まで30分ほど歩く。町並みを抜けると、冬枯れの田んぼが広がっている。稲の枯れ株に霜が降りて、寒々とした風景が一層強調される。
復帰三日目。本格的に授業も始まり、1階と4階の教室の往復も増えて、夕方になると体力・気力ともに若干息切れ状態となる。退勤。以前なら駅まで歩いたりもしたのだが、素直にバスに乗る。電車に乗り換え。車中では、『古季語と遊ぶ』を読み継ぐ。帰宅すると、未配の新聞が数日分まとめて郵便受けに入っていた。
夜、9時。薬を飲むと、もう眠い。ともかく、風呂に入り、明日のゴミ出しの準備をする。あとは、寝るだけである。
【08年1月8日】
復帰、二日目。朝は、びっくりするほどの濃霧であった。そのせいで、通勤電車も遅れてしまう。本日は、始業式、頭髪検査、大掃除、そして、模擬試験で午前中終了。午後は、教材作りと模試の採点に追われる。放課後も引き続き、採点並びに教材作り。休養期間中、あまり使っていなかった頭をフル稼働したせいか、頭が痛くなってくる。おまけに腹痛のダブルパンチで、少々げんなりする。
夕方、退勤。少し体を動かす必要を感じているので、遠くのバス停まで歩き、そこからバスに乗る。電車に乗り換え、二つ手前の駅で下車して、引き続き歩く。スーパーで、天然ものの立派な鯛のアラを買う。それが夕食のメインディシュ。ただし、ちょっと味付けに失敗してしまう(もちろん、食べたけれど)。明日は、通院。明後日から、また服薬が始まる。
往復の車中で、あさのあつこの『ガールズ・ブルー』という小説を読む。中高生向きのお話だけれど、今時の普通の女の子のお話という感じで面白い。ちょっと吉本ばななの『TUGUMI』なども思い出したりしたものだ。
久しぶりに5時起きだったので、もう眠い。まだ、9時過ぎではあるが、寝室に引っ込もうと思う。寝るまでは、宇多喜代子著『古季語と遊ぶ』を少しずつ読んでいる。
【08年1月6日】
『日々録』を再開します。2ヶ月の休職期間が明け、明日から職場復帰となります。体調を考えながら、日常復帰に努めていこうと思います。
土曜日。長い休養を終え、離郷。特急電車が山峡に入ると、車窓からは雪景色が続く。車窓左手に見え隠れするはずの霊峰と言われる山は、生憎雲に隠れその姿は見えない。やがて、分水嶺のトンネルをぬけると、一気に景が変わり、雪のない枯れ山の連なりが延々と続く。明るい日射しが差し込んでくる。電車を乗り換え、昔海底だったという頂上が丸みを帯びた低山の連続を左右に見ながら、進む。この景色を眺めると、いつも遠藤周作のある短編小説の一場面を思い出す。妻と息子を乗せた車を運転しながら、主人公がこの景色の中を行く場面である。明るすぎる風景の中で、主人公の男の沈鬱な心情が語られるという内容であったように思う。ある短編小説の一節である。やがて、山々は背後に遠ざかり、平野部が広がってくる。右手に海が横たわっているせいか、空間的な広がりが一層感じられる。大阪は、晴れ。京都も良い天気だ。冬靄のせいか、比叡の向こうに見えるはずの雪の比良連山は確認出来ない。車中では、ずっと指揮者岩城宏之のエッセイ集『音の影』を読む。ABC順に有名な指揮者や作曲家のエピソードを、自分の体験や思いを交えながら語るというもの。面白い。
京都駅のいつものパン屋で、朝食用のパンを数種類購入して、帰宅。マンションの入り口には、紙製の門松が飾ってあった。居間の暖房を点け、年賀状を読む。皆さんお元気そうだ。追加の賀状を数枚書き、食事の買い物がてら投函しに行く。近所のスーパーで、食料品を一抱え購入。両手に提げて帰る。重い。夜、テレビを点けっぱなしにして、百人一首の課題を2種類作る。仕事始めである。その後、「のだめカンタービレ パリ編」を見る。昨夜は、家族で大笑いしながら見ていたのだが、今夜一人で見てもやはり面白い。
日曜日。6時過ぎに起床。朝食を準備する。パン・生野菜と完熟トマト・ポテトサラダ・ゆで卵・チーズ・昨夜の酢豚の残り・ヨーグルト。食後、ネットで『週刊俳句』を見る。新年詠特集。100人近くの人の新年詠1句が掲載される。読み応えのある作品が並ぶ。私も、1句掲載していただく。面白いと思った句、数句を紹介。「着ぐるみの覗き穴から去年今年」石原ユキオ「 初荷よりこぼれし菜なり啄める」うまきいつこ「寝正月とはこの人のことを言う」神野紗希「 曳猿のやや着崩れてをりにけり」さいばら天気「飛び立てば羽ばたきやめず初雀」榮 猿丸「 川風の堤をあふれ福寿草」津川絵理子「尻尾から始まる年やかたちなし」寺澤一雄「 年の夜の栞のさしてありにけり」鴇田智哉「元日の掃除機顎を上げ眠る」仲 寒蝉「 手も洗ひ飽きて三日の虚(うつ)け空」媚庵 やはり、個人的に好みが偏ってしまうかな、と思う。良ければ一度ご覧下さい。
「週刊俳句」