日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
07.9「日々録」
07.10「日々録」
07.11「日々録」
08.1「日々録」
08.2「日々録」
【08年3月30日】
土曜日。朝、広瀬ちえみ氏から送っていただいた『垂人』を読む。中西ひろ美、広瀬ちえみ氏、渡辺隆夫三氏による膝送り形式による連続評論が読み応えがあった。「狂句百年の負債」と本文で表現された初代柄井川柳以降、明治三十年代の新川柳にいたるほぼ百年間にわたる期間、川柳が「狂句」と称され、家元によって制度的な縛りを受け、内容的にも言葉遊びに堕したとする「狂句」について、明治以後「狂句百年の負債」として封印されていた時期に対して、川柳をトータルな視点で捉え直そうとして、あらためて考察を加えようとする試みのようである。「狂句百年の負債」という刺激的な言葉を含め、大変興味深く感じた
午後、外出。冷蔵庫の調子が悪くて、修理に出そうかとも思ったのだが、電気店で聞いたところでは、冷蔵庫の寿命はだいたい10年くらいで、すでにその耐久期間を随分すぎており、またもう生産されていない機種のようで、修理自体も難しいかもしれないので、もうしばらくは使いながらも、あらたに購入しようかと考えた。チラシなどで調べると、冷蔵庫は随分高い物だと改めて驚く。とりあえず、駅前の大型電気店に行って、値段だけでも確かめてみようと思ったのだ。店内は、ちょうど新大学生達の引っ越しシーズンで、家電を購入に来た学生と父兄で文字通りごった返し状態であった。あまりに人が多いので、一渡り値段だけを確かめて、店を出る。せっかく京都駅まで来ているので、このまま帰るのももったいなく、ちょうど駅ビル内の美術館で開催されている「広島美術館所蔵展」を見にいくことにする。展覧会は30日までで、ここも随分たくさんの見学者が来ていた。チケット売場で入場券を買おう並んでいると、見知らぬ人が横にやってきて、余分がありますのでよかったら使って下さいと、入場招待券をくれた。ありがたく使わせていただく。展覧会は、印象派の作品を中心にして、キュビズム・ナビ派・エコールド・パリの作品などが展示されてあった。見応えのある作品が並んでいたが、特にゴッホの最晩年の作品「ドービニーの庭」には強く胸を打たれた。セザンヌの「座る農夫」も大変良かった。少々、疲労を感じながら帰宅。
夜、体調がおかしくなる。腹痛と震え。腹痛は、手術以降たまにあることだけれど、今回はいつもより痛みがひどい。体温を測ると、35度5分くらいしかない。冷や汗が流れる。脱力感でしばらく居間にへたり込んでいて、それから寝室へ移り、ベットに横になる。布団にくるまっって1時間半くらいじっとしていると、徐々に楽になる。体温を測ると、36度くらいにあがっている。一体どうしたのかと思うが、心当たりがあるとすれば、夕方焼酎を少し飲んだことぐらいだ。ちょっと疲れているところに、服薬との関係で、アルコールは良くないのかもしれない。しばらくは、禁酒しなければ……。やがて、ほぼ復調。横になったまま、映画「ハリーポッター」を見る。なかなか面白い。
日曜日。ともかくゆっくりと寝ることにする。起床は8時前。朝食は、念のためおじやを作って食べる。コーヒーを1杯飲む。清水さんに「醍醐会」のことで携帯を入れて、その際昨夜の事を少し話す。特に心配はないだろうとのこと。体温・冷や汗・脱力は、痛みのせいで一時的に神経が不調状態になったせいだ、とのこと。腹痛も、手術跡が治っていく過程で起こることらしい。「醍醐会」は、昨夜のことがあるので、欠席しようかと思っていたのだが、安心して出かけることにする。本日は、同志社大学院生の木村亮一さんの講演。タイトルは「『写生』の成立とその限界ー明治の子規達を中心にー」というものであった。今回の話の出色の部分は、当時の月並み俳句の宗匠(主に三森幹男)と子規との比較という構成で話をされたことで、子規に対する新たな視点を提供していただいたことだ。時の宗匠と宗匠俳句について、実は大きく知識が欠如しているというのが現状であり、その欠落部分を埋めていただくことになり、大変ありがたかった。また、わずか数語の語句の出現状況を確認するために、15万句もの当時の作品を渉猟されたと聞き、研究者の熱意の強さと深さに大きな感銘を受けたりもした。体調のことを考え、二次会は欠席して帰宅する。途中、近所の家電店に寄り、かなり割安で冷蔵庫を購入。来週末に運び入れてもらうことにする。
【08年3月27日】
部屋の掃除はあらかた終了。ベットを置く空間も確保出来た。6畳足らずの部屋なので、広いとはいえないけれど、自分だけの居場所としては用をなすだろうと思う。31日に来京の予定。
本日も、教材作りと、データの整理。校内ランがあるので、あちこちから必要なデータを集め、練習のつもりで「桐」を使ってあらたなデータベースを作る。午後、職員室で掲示用黒板設置の作業が始まり、作業音がうるさいので、2時間ほど年休を取って帰宅する。
駅と職場の間を、往復とも歩く。校地の周りには麦畑が広がっているのだが、その丈が30センチくらいにまで生長している。暖かい日射しの中で、風に揺れている麦の青さが心地よい。
本格的なミステリー『硝子のハンマー』貴志祐介・作を読む。何重にも引かれた伏線が大変面白い。奇抜なトリックも、お見事と思う。続いて、篠田節子の『カノン』を読み始める。弟の奥さんの推薦。最初は、どうかなと思ったけれど、読み進むうちにどんどん面白くなる。音楽絡みのホラー小説なのだが。ふと、川又千秋の『幻詩狩り』などを思い出したりする。
【08年3月26日】
「日々録」の更新が、すっかり滞っている。昼は仕事、夜は甥の引っ越しの準備で、毎日を送っている状態。
部屋の片づけは、8割方終わったのだけれど、木製の大型の本箱は一人で動かすことは困難なので、これは甥達がやって来てから、和室の方に移動させなければならない。その上に、甥の部屋にネットを開通させようと、無線ランの準備をしているのだが、それがなかなか上手くいかなくって、連日苦労している。普段は9時、10時には寝床についているのが、設定をあれこれやっているうちにいつの間にか11時を過ぎていて、慌てて寝につくような有様だ。今夜、なんとか開通して、甥の部屋でもインターネットが出来るようになったのだ。ただ、如何せん状態が不安定で、いつ切断してしまうかわからない(かなり出力は強力な機種を買ってきた、というか、溜まっていたポイントを使ったので、直接の出費は免れたのだが)。パソコンは、つい夢中になってしまうのだ。少々、疲れる。
職場は、年度末でばたばたしている。私は、転勤はなかったけれど、分掌が進路部に変わる。前任校では5年間、進路を担当していたので、そのことも勘案されたらしい。授業の持ちも決まり、新年度は1年と3年を担当することになった。今日の午前中は、教材の準備を進め、午後は進路関係のデータを作る。久しぶりに「桐」を使って、データの整理を行う。
いつの間にか、ユキヤナギが綺麗に咲いている、白木蓮の豪勢な開花に帰宅の途次で出会ったりもした。桜もちらりと咲き始めてる。
【08年3月18日】
書斎に使っていた部屋を整理している。4月から、甥が下宿をすることになるので、そのために室内を片付けることになったのだ。本棚が部屋の半分ほどを占めているので、本箱を幾つか別の部屋に移動させて、そこで寝起きが出来る程度にしようとする。小さな本箱は、本を抜いて一人で移動出来るが、大きな本箱は一人での移動は難しいので、どうしようかと考えている。二台並べて置いていたパソコンの一台を、そちらの部屋の方に移動する。甥専用に使わせようかと思っている。無線LANでネットと繋がるようにしなければならない。少しずつ、やっていこうと思う。
ここ数日、1日1冊の割で評論を読んでいる。小論文関係の推薦図書で、読んでは簡単な紹介の文章を書いて、図書部の方に提出している。新年度になってから、図書館報に掲載してもらう予定。山田昌弘著『希望格差社会』、諏訪哲二著『オレ様化する子どもたち』、正高信男著『考えないヒト』の三冊。今日は、さらに『下降志向』(著者名失念)を読み始める。いずれも、面白い。ただ、高校生にはやや難しいかも知れないが。
明日は、午前中病院。明後日から、また服薬が始まる。ちょっと鬱陶しいが、仕方ない。
十年ぶりくらいに、前々任校の同僚から電話有り。共通の知り合いが定年を迎えるので、退職記念の麻雀大会を開催するが、参加しないかとのこと。懐かしい人たちが集まるので、十数年ぶりに麻雀をすることになる。一時期、麻雀に夢中になっていて、毎週のように土曜日は朝帰りという生活を送っていたことがあり、それはそれで楽しい日々だったと思い出す。念のため、PCに入っている麻雀ゲームで練習をしておこうかと思う。
【08年3月15日】
土曜日。高曇りの日。甥は、受験二日目。見送って後、洗濯物を外に干し、その後「ちりとてちん」の1週間分をBSで見る。母も長椅子で一休み。天気が良さそうなので、午後からは市内に出かけてこようかと思う。
金曜日。成績を出し終えて、一仕事終了。ここ数日、デスクワークが多くて、少々気疲れする。夕方、同僚に近所まで車で送ってもらう。夕方まで雨が降るとの天気予報だったが、酷い土砂降りの中を送ってもらう。車の中で墓移しの話などを聞く。明日は、そのことで高知県まで行くとのこと。大変だね、と話す。ミューズのレッスンの日だったけれど、疲れていたので欠席とする。甥が来ている関係で、夕食には数年ぶりにトンカツを食べる。食べてみると、結構美味しい。食事を終えると、もう眠くて仕方がない状態になる。9時過ぎには、母も私も寝室に。甥は、しばらくテレビを見ている風だった。10時過ぎには、就寝。朝5時の服薬がしばらくないので、その分ゆっくりと寝られるのがありがたい。
山田昌弘『希望格差社会』を読む。社会の様々な部分で進行する「リスク化」と「二極化」の中で、社会全体が構造的に変化している状態と展望を、精緻な分析とともに描き出す。小論文関係の推薦図書ということで、図書館から借りて読んでみたのだが、高校生がこれを読み、しかもある程度内容を理解できる程度の生徒であれば、かなり暗澹たる思いに囚われるだろうな、と思う。最終章に、対策についての提言が何点かに渡って説かれるが、いずれも政治的な力業を直ぐにでも必要とすることで、政治力の貧困という現状に、二重に暗澹たる思いに囚われるかもしれない、などとも思ってしまう。坪内稔典編『夏目漱石句集』を読む。変な句が多くて、面白い。
木割大雄氏から『カバトまんだら通信』を送っていただく。「第二期 九号」。第一期二十冊、合本一冊と合わせ、今号で三十冊となるとのこと。個人誌として三十冊の歩みは重く、大きいと思う。本号の評論「俳句は純文学か」の中で、「かって、私は、選者・赤尾兜子に勝負をしたつもり。作家・赤尾兜子には、勝負を望んだことはない。だが、今の私には、兜子作品の読者として勝負したい、と思っている。この『通信』を、何故つづけているのだろうと、自らに問いつづけて、きた。そうなのだ。今気がついた。私は、兜子作品と勝負したいのだ。」とある。胸に留めておきたい置きたい、と思う。作品「あの人に この人に」より数句。「風鈴へ血族ひとりふたり来よ」「秋風や寄り添う人の多きこと」「風鈴を畳んで包む指十本」「実ざくろのあの子この子や雨催」「秋の田の土の匂いに風の笛」「雲流れ我より高き草の花」「早起きをして立冬の帯を締む」「手に勝る器は無かり石蕗の花」「安心をあんじんと読み厚着せり」「腰すわる男同士のとろろ汁」「煮凝りの目玉は暗中模索せり」「かの人の生家の跡の薄氷」
樋口由紀子さんから『MANO』『バックストローク』を送っていただいたうえに、さらに昨日は手作りの「いかなごのくぎ煮」まで贈っていただく。ちょうど、受験で甥と母が来ていたので、皆でいただく。美味。我が家の食生活が、豊かになりました。『MANO』より樋口句数句。「すじ肉はやわらかくなる悲哀かな」「要するに隣の部屋で肉煮える」。「肉」二題。「肉」は、生体から毛や皮膚など外物がはぎ取られた生々しい実体でありながら、さらに例えば人間関係や家族関係の象徴でもある、というように読んでみたい気がする。「たこやきはたった六個でつまらない」。たわいないと言えば、これくらいたわいない句もないかのしれないけれど、そのあまりのたわいなさについ引き込まれ、共感を感じたりしている私もずいぶんたわいないのかもしれない。「窓ガラス割れてよろめく日本地図」は、ちょっと意が余っているかも。「むずかしや膝に両手を置く演技」「くちびるをぎゅっと結んでおく遊戯」。「演技」と「遊戯」。いずれも現実から半歩身を引き、現実と現実に処する自己をクールに見つめる視線が面白い。俳句の場合と距離の取り方が微妙に違うような気がする(俳句は一歩くらいだろうか)のが、また面白い。
【08年3月10日】
日曜日。鵜殿の葭焼を見に行く。良い天気である。昨日の強風も、収まっている。阪急烏丸駅から、急行・準急乗り継ぎで、上牧まで。そこから、徒歩20分ほどで、淀川堰堤へ出る。2週間前は、雪景色だった周辺が、すっかり春めいた日差しの下にある。堰堤には、すでにかなりの人数の見学者が集まって来ている。小型の消防車も数台配置され、地元の人や消防署の人達が、すでに河川敷に降り立って、点火の準備にかかっているようだ。
9時に葭に火を付けると聞いていて、それに間に合うようにやって来たので、点火の瞬間から葭焼を見学することが出来た。広い河川敷を数カ所に分かれて火を付けるようだ。数名の人が、松明のようなものを手に、堰堤寄りから流水の方に移動しつつ、倒伏の葭を撫でるようにして火をつけてゆく。最初はゆっくりと、やがて馬蹄形に橙色の炎が広がってゆく。上流の方を眺めやると、さらに2カ所から白煙が上っているので、そちらでも葭原に点火されたらしい。風が、川下に向かって吹いているので、その方角に、炎の広がりに随うように歩いてゆく。
カメラで撮す人、土手に腰掛けて眺める人、談笑しながら見物をする人、さらには、句帳を手にした俳人のグループも目にする。『里』の関西地区の人達が、吟行に来ていることは知っていたのだが、昔お世話になったUという結社の人達が来ていないかと、それを探しながら、ゆっくり移動していく。探鳥会の人達が、指導者の説明を聞きつつ、双眼鏡をあちらこちらと向けている姿も見える。地元の見物らしい親子連れの姿もある。葭焼の炎はますます勢いが盛んになって、灰色の煙を吹き上げながら鵜殿の広い葭原を一条の火線となって移動していく。濃い煙に光を遮られた太陽が、黄色い円盤になって天空に浮かんでいる。葭の爆ぜる音が、小さく聞こえる。土手上に設営された仮設テントの所まで歩き、そこから来た道を引き返すことにする。
あと1時間くらいで、燃え尽くすだろうと話す消防団の人の声が聞こえる。復路は、燃え広がる炎の背後を見ることになる。そこは、黒く焦げた地面と、あちらこちらから立ち上る白煙とで、ずいぶん凄まじい情景となっている。焦土、などという言葉がふと浮かぶ。しばらくは、そんな風景を見ながら歩くと、やがて往路で背後に見た別の葭焼の場に行き着く。そこは、葭の密度が高いのか、炎が人の身の丈の二、三倍の高さにまで燃え盛っている。すると、その一角が竜巻のように渦巻き、ひときわ高い火柱となって周囲の炎を圧するように立ち上がった。それは、壮絶で凄惨な情景であった。芥川の『地獄変』の中で描く、女を乗せた牛車を巻き上げる紅蓮の炎とは、あのようなものを言うのか、と思った。
やがて、葭焼の場を過ぎると、淀川のゆったりとした流れが行く手に見え始めた。先ほどの情景とは対照的に、なんとものどかな風景だった。このまま、暖かい日差しを浴びながら、水無瀬の駅まで歩こうと思った。空から、炎に吹き上げられた葭の細長い燃え殻が、くるくる回転しながら、しきりに舞い落ちて来た。
半日、外出して、少々疲れる。午後、昼日中ではあるが、風呂に入る。そういえば、岩城先生の句に「竹酔日陽のあるうちに湯をつかふ」という句があったのを思い出す。ちょっと季節が違うけれども。入浴後、しばらく昼寝して(眠ってはいないけれど)、その後思い立ってあちらこちら部屋の片付けをする。つい気合いが入って、夜になっても片づけを続け、かえって収まりがつかなくなる。ここ数日かけて、なんとか片付けなければならない。疲れることだ。
月曜日、試験二日目。採点をしたいけれど、試験は明日。点数さえつければ、あとはデータ入力だけで自動的に評価が出るように準備万端整っているので、ともかく明日は集中して採点したい(と思いつつ、明日の午後は国語研究会の出張であったのだ)。
「ブログ版日々録」
に「葭焼」の写真を数枚貼り付けてあります。よろしければ、ご覧下さい。
【08年3月8日】
昨日、明日は鵜殿の葭焼と書いたけれど、一日勘違いしていた。9日の日曜日に延期されたはずだった。洗濯も終え、「ちりとてちん」を録画するためのビデオの準備も終え、デジカメのメモリーも空っぽにして(何しろ古いデジカメでメモリの容量も小さいので)、電池も交換し、準備万端整えて、出かけようとする時に思い出した。際どいことであった。二日連続で鵜殿まで出かける気力・体力にはまだ若干欠けるようなので。明日、改めて仕切直しとしたい。
金曜日、夜。ミューズのレッスンで、京都市内まで。駅前のビルならありがたかったのだけれど、今日の会場は京都市のど真ん中に近い辺りにあるので、出かけるのが少々つらい。会場に向かう途中、一軒の店の閉店に気がついて、ビックリする。それは、錦市場の近くにある「東錦」という小さな飯屋なのだが、物静かなおやじさんと「超」お喋りなおばさんの二人でやっていた店。市内に行ったときは、何度か食べに入った店だけれど、おやじさんの作る料理は美味しく、おばちゃんのお喋りは結構楽しくて、印象に残っている店だったのだ。昨年の12月4日閉店、61年間続いた店だったらしい。念のため、ネットで検索してみると、店の評判は毀誉褒貶半ば(ちょっと悪評の方が多いかな)という状態で、これにも意外な感がしたのだけれど、個人的には面白い店という印象が強くて、閉店は残念だった。「春寒の夜や東錦の店を閉づ」。
ミューズの練習。会場のせいか? なかなか良い感じであった。特に、高音部に今回上手い人が入って来ているみたいで、気持ちよく歌唱を聴くことが出来た。本番は7月なのだけれど、この調子で練習が進めば、面白い「カルミナ・ブラーナ」が出来そうな気がする。ただ、これから大変な歌唱部分がどんどん出てくるので、良い気でいるわけにはいかない。まだ、こちらの状態は十分とはいえないので、早めに練習を切り上げて帰宅する。
夜中、夕食が早かったせいか、空腹で目が覚める。しばらく眠ろうと努力するが、胃の中が空っぽという感覚がひしひしと迫ってきて、目が冴えるばかりなので、仕方なく起きて、冷蔵庫に入っていた飲むヨーグルトを1本飲む。効果はてきめんで、すぐに眠くなり、朝方までゆっくり眠る。普段、こんなことはないのだが、ごくたまに腹ぺこで目が覚めるときは、牛乳を温めて少し飲んだりしているのだが。
アマゾンで漫画を二冊注文していたのだが、それが届く。こうの史代作『この世界の片隅に・上』と『街角花だより』。こうの史代は、被爆の地広島を舞台にした『夕凪の街 桜の国』で知られた作家。けっしてメジャーな漫画家ではないけれど、すぐれた作品を書かれる人、という事を今回改めて知る。特に、『この世の片隅に』は、広島でうまれ育った主人公が、軍都呉に嫁いでからの日常生活を、ほのぼのと洗練された(変な言い方だけれど)絵柄で、淡々とユーモラスに描いていて、大変面白い。物語は、刻々と敗戦の日に向かい、今後の展開がとても気になる作品である。早速、他の作品も注文しなければ、と思う。
【08年3月7日】
水曜日。一日入試業務。授業とはまた違った疲れあり。午後、窓の外に雪がちらつく。春の雪と言えば、ちょっと雰囲気があるけれど、もうそろそろ寒いのは勘弁してほしい気分である。豊富な雪を残しながら、丹後のスキー場はそろそろシーズン終了となるのではないか。郷里のスキー場は、いまだ2メートル以上の雪が残っている。今年は、いつまで滑走可能なのだろうか。こんな雪の豊富な年に、一度もスキーに行けなかったのは残念なことだ。
夜、たまたまテレビを点けたら、古今亭志ん朝の落語をやっていた。昨日は、ネット上で志ん生の落語「風呂敷」を見たのだが、今日はその息子の志ん朝の落語を見ることが出来た。顔立ちがよく似ている。若々しく勢いのある落語だった。すでに亡くなってどれくらいたつのだろうか。小林信彦が、その突然の死に非常な衝撃を受けたことを、以前読んだエッセイの中で書いていたのを思い出したりもした。
木曜。特に何事もない一日。しばらく前から、冷蔵庫内が妙に甘酸っぱいような匂いがしていて、何なのだろうと思って、夜、中に入れた物を整理したりしていたのだが、やっと原因が分かった。野菜室のキウイフルーツが傷んでいたのだった。悪臭の一歩手前という状態で、慌てて始末をする。臭いが残っているので、キムコを買って来ることにする。庫内には備長炭を数本入れてあったのだが、それでは間に合いそうもなかったので。
金曜日。暖かい。今日から、学年末考査。今日は、試験も監督もないので、午前中、エクセルを使って仕事に使う集計表などを幾つか作ったりする。エクセルは、ほとんど使ったことがなかったのだが、不便と感じる点もあったけれど、面白い機能や関数などがあって、ちょっと興味を感じたりもする。私は、表計算はロータス123、データベースは「桐」という、かなりマイナーな使い手なので。
少し風が強い。明日は、延期になっていた鵜殿の葭焼だ。前回、雪の葦原を堪能したので、今回は是非とも葭焼を見てみたい。煙害のため、一時中断していた行事ということらしいけれど、どれほどの規模のものなのだろうか。
【08年3月3日】
俳人協会から「俳句文学館」(会員向けの機関誌のようなもの)。今号の記事の中に、「俳人協会賞」の選考経過の報告がなされてあった。その中に、最終候補作に残った辻田先生の句集『ナルキソス』についての評もあったけれど、それを読みながら少々違和感を感じたりもした。特に、辻田俳句を「危うさに遊ぶことの俳句の典型」としながら、それが「どうまとまるか将来を見たい」として、選評を終えている点だ。それはかなり的はずれな評ではないか? ちんまりと「俳句的」に纏まることを拒否する処に「危うさに遊ぶ」本領があるのではないか。その部分を否定し、「将来」において「まとまる」事を期待して一体何になるのだろうか。それは、一人の作家の基本的な姿勢、俳句的な営みの否定に繋がることではないのだろうか。講評の最後に、付け足しのように一言「やりすぎか、の一言も。」と添えられてあったが、そこいらあたりが本音の部分でもあろうか、と思ったりもした。ただ、最終選考において、辻田先生に1票入れた選考委員がいた事にわずかに溜飲が下がる思いがしたものだ。
「週刊俳句」
で現在、『第2回週刊俳句賞 大学生大会』が開催されている。現役の大学生20数名のの作品10句が掲載されている。選考過程には、読者による投票の部分もあり、自由に選考が可能である。私も一票を投じさせてもらったけれど、興味ある方は一度学生諸君の作品をご覧下さい。なかなか面白い作品が揃っています。五十嵐秀彦氏の「一遍上人論 私性の誕生と「うた」の漂泊(3)」は今回で 完結する。俳句における「私性」の源流を「一遍」の営みに見るという視点は、含意に富んだものではあるまいか、と思ったりする。中嶋憲武氏の「スズキさん 第9回 ラビット」、最初は捕らえ所のない作のような印象があったのだが、前回・今回と「都市生活者の含蓄小説」風な展開の中で(こんな受け止め方がピント外れなのかもしれないが)、ちょっと面白いかな、などと思い始めている。それにしても、毎号楽しませてくれる「週刊俳句」ではある。
昨日、ちょっとマニアックな品揃えの書店に行って、『俳句界』を入手。竹中宏氏の「みじかい舞踊」52句を読む。五十嵐氏は、「週刊俳句」の『俳句界3月号を読む』の中で、「意味性にとらわれないゴツイ句が並ぶ。こういう作品を前にして、理解できるとかできないとか言うことは貧しいことだ。」と語っておられるけれど、私などは竹中俳句の「意味の構造化・重層化」とでも言う部分を、とても理解してみたい(こちらの力不足ゆえにほとんど不可能に近いような気さえするのだが)という気持ちでいるのだ。岩城先生の「竹中俳句の基底にあるのは写生だ」という謎みたいな言葉もずっと気になってはいるし。
9時過ぎには床にはいるつもりで居たのに、つい「日々録」に書き込んでいたら、10時近くなってしまった。もう休まなければ。今日、新たに古今亭志ん生の落語テープを貸して下さる方がいて、1本借りてきた。横になりながら、しばらく志ん生の落語を聞いて寝につこうと思う。
【08年3月2日】
金曜日。4年に一度の日が、卒業式の日となった。干拓地を走る通勤の車中から窓外を見ると、野面は一面の強霜で真っ白であった。朝の冷えの厳しさは、快晴の証でもあり、時間が経つに連れ、気温が上がってくる。暖房施設のない体育館での式だが、寒さに震えるような卒業式になはならなくて済みそうだ。。会場警護ということで、卒業式の時間帯は校門にて立ち番。日射しが暖かい。以前の職場のように、妙な連中が車でやって来るということは、さすがになかった。卒業生達が晴れやかな表情で教室に帰って行く姿を遠くに眺める。教員と、式典参加生徒で会場の後始末。クラブ関係の生徒が多いせいか、長いすの片付けや幔幕の吊りおろし、床にしいたビニールシートの巻き上げなど、あっけないくらい速やかに行われ、体育館が復元される。午後、注文していたテレビの配送があるので、年休を取って帰宅する。
午後、テレビが来る。居間の正面に設置して貰う。画面が随分大きい。一度接続をばらしておいたビデオやらDVDプレイヤーやらオーディオ関係を繋ぎ直す。ともかく、2時間ほどDVDを見る。夕方、新聞を取りに下に降りると、郵便受けにメール便が届いていた。やっと『俳句研究』が来る。「角家」で開かれた第三回の『蕪村忌俳句大会』の記事を読む。岩城先生も参加され、高点句をものしておられた。先日著作を読んだ地球物理学の尾池和男氏がご夫妻で参加されていた。地震の権威らしい講評が大変面白かった。
土曜日。丹後の「すき句会」。岩城先生の都合で1週間早まる。参加者を心配したけれど、10名の参加を得た。いつもの「はしだて1号」。蟹の季節を終わったせいか、乗車率はぐっと落ちたようだ。服薬の関係で、初めて駅弁を買って乗る。時間的には、「はしだて1号」から各停に乗り換えて大宮駅に向かう間が、昼食時間になりそうなので、食べやすいようにおにぎり弁当にする。ついでに、初めて駅弁で1句作る(句会では数名の方の選に入った)。丹後に近づくにつれ、沿線に雪が増える。宮津で乗り換え。阿蘇の海越しの丹後半島は、まだ冬の様相であった。3月に入ったのに、丹後半島中央部のスキー場では、まだ滑走が十分可能らしい。岩城先生宅で、久しぶりに犬のビッキーに会う。思ったよりは元気そうだった。例の足袋を後ろ脚に履いているのが可愛かった。宿題は、「雛一般」、当日席題は「春荒」「春霰」であった。10句投句10句選、うち特選3句。面白い句が随分あって、絞り込むのに皆時間がかかったようだ。句評やらお喋りやらを取り混ぜて4時半まで。楽しい半日であった。皆さんが帰られて後、Mさん夫婦とともにビールをいただきながら、電車の時間までしばらく雑談。やがて、出かけておられた奥様とビッキーが帰宅。入れ替わるようにして、辞去。夕暮れが迫る丹後大宮駅ホームで、周りの雪山の景を眺めながら電車が来るのを待つ。車中ではビールを飲みつつ、『俳句研究』の続きを読む。それにしても、缶ビールを三缶も飲んだのは数年ぶりのことだ。小林恭二氏の「恭二歳時記」を読む。連載再開。今回は、篠原鳳作と渡辺白泉。特に、渡辺白泉紹介の中で、「支那事変群作」については初めて知って驚いた。これは全編一度読んでみたいと思った。「恭二歳時記」は今後も楽しみな企画である。仁平勝の「おとなの文学」も佳境に入ってきたとのこと。この人も、俳句を西洋的な「近代文学」と一線を画したものとの認識の上で独特の俳論を展開していて興味深い。復刊なった『俳句研究』は、俳人440名による「春の作品集」などは嵩張るだけみたいな印象もなきにしもあらずだけれど、全体としては読み応えのある企画が多くて、夏号も注文してみようかな、と思う。失敗すればその時点でこけると言うことで、毎号が勝負になるので大変なことだろうが、是非頑張ってほしいなと思う。
ところで、『俳句界』に竹中宏氏が、52句作品を掲載されたらしい。一挙掲載ということなのだろうが、昔のことはしらないけれど、それだけ纏まった作を商業誌に発表されるのは、近年希な快挙と言って良いのではないか、と思う。普段は、『俳句界』は買わないのだけれど、今回は是非手に入れたいと思って、2件ほど大きな書店を廻ったのだけれど、見あたらなかった。売れてしまったのか、本を置かないのか、いずれにしてもこのまま読まないのでは残念なことだ。さらに書店を廻ってみようと思う。
日曜日。朝食は、お土産にいただいた「ばら寿司」と干しカレイ・はたはた。朝から、美味。良い天気なので、午前中に「歩いて」おきたいが、数日前から軽いぎっくり腰みたいで、少々鬱陶しい。歩く分に差し障りはないとおもうけれど、腰の違和感がちょっと厭である。