日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
07.11「日々録」
08.1「日々録」
08.2「日々録」
08.3「日々録」
08.4「日々録」
【08年5月31日】
朝、5時起床。天気は良くないのだが、まだ雨は降っていないので、「歩き」に出かける。半袖で歩いても、ちょうど良いくらいの温かさだ。人影のない街を歩くと、いつもちょっと新鮮な気分になる。ぱらぱらと降り出した雨は、やがて本降りになりそうな気配なので、「歩き」を中止して、急いでマンションまで引き返す。出かける時に洗濯機を回しておいたのが、ちょうど終わったので、部屋干し。朝食の準備をしながら、洗濯の2回目開始。朝食は、パンとみそ汁、野菜のいためたもの、チーズとバナナ。先日、突然コーヒーメーカーが壊れてしまったので、今日久しぶりにサイフォンでコーヒーを入れる。朝食を終わる頃、洗濯の第2回目が終わる。それも部屋干しにしたら、それだけで部屋の半分くらいが埋まるような状態となる。やがて、甥が起き出してくる。自分で卵を焼いたり、野菜炒めやみそ汁やらで朝食。あちらは御飯派。今日も朝から練習に行くという。こちらは、また腹の状態が今ひとつなので、一日引きこもり状態となるのだろうか、と思う。
金曜、夜。次第に仕事が詰まってきて、きょうも帰宅が遅くなったので、ミューズのレッスンは休む。その代わり、ちょっとお酒を飲む。と言っても、焼酎のお湯割りをコップ一杯という程度。近所のスーパーで売っているばら売りの煎餅が美味しくて、数枚買い置きにしているのだが、その1枚を囓りながらちびちびと飲む。横で、ソファーに座ってテレビを見ている甥が、お酒飲んでいるの、などと言う。二十歳未満には飲ませません、と言いつつ、ちびちびと飲む。やがて、甥は部屋に帰り、こちらはしばらくテレビを見て後、寝に行く。少々、疲れ気味であった。
31日は、「K俳句賞」応募の最終日。当日消印有効なのだが、昨日のうちに投函を済ます。初稿とか、二稿とか、資料はすべて処分する。次は、『鼎座』を出すことなのだが、これも間もなく何とかなるのではないか、と思う。8月に、俳人協会の関西夏季俳句指導講座で授業実践の報告をすることになったので、俳句の授業を数時間計画して、それも含めた授業報告をしてみようかと思う。ちょっと、その構想を考えたりしてみる。教員免許の更新講習と日程がかぶることが、最近になって分かったので、やむなく更新講習の時期をずらして申し込む事にする(ただ、今年は試行の上に、受講者は主催する大学の出身者を優先するということなので、申し込んでも刎ねられるかもしれない……)。煩わしいことだ。
大西巨人の『五里夢』を読み始める。内容・表現ともにやや古風な印象を与える短編小説集。「船場吉兆」廃業。その会見に登場した例の女将。その姿を画面で見ながら、毎回こちらが気恥ずかしいような思いになるのは、何故なのだろうか。
【08年5月26日】
朝、6時前に起床。前夜が一晩中寝たり起きたり状態だったので、随分眠かったのだろう。まだ、腹の状態が心配なので、パンとみそ汁、コーンスープの朝食。水物が多い。甥はまだ眠っている。その顔を見ないまま、出勤。一駅前で下車して、歩く。腹痛が心配で、ちょっとびくびくしながら歩く。麦が金色に実っている。一方、田んぼでは土を起こして、水を入れ始めている。用水路の壁のあちらこちらに、ちょっと気持ち悪いうす紅色の、ジャイアント田螺の卵がスプーンで抉って貼り付けたようにぺたりとくっついている。昨年、この道を歩いて通勤し始めた頃を思い出す。無事、学校着。
午前中は、テスト監督2時間。その間に、テスト後の授業準備と、分掌関係の仕事をこなす。午後は、出張。京都駅近くまで。夕方、出張を終え、卒業生が働いているという職場をちょっと覗きに行く。と言っても、実は毎週朝食用のパンを買いに行く店の、その奥でパンを焼いているというのだ。明日からのパンを購入がてらの職場見学となる。レジの背後が硝子張りになっていて、奥の様子が丸ごと眺められるのだ。ただ、残念ながら卒業生の姿はなく、ただパンを買いに行っただけということになってしまった。
京都駅の巨大な建物の背後に、薄水色の青空が広がっている。夕方ということもあるのか、その水色がひどく繊細な色合いで、電車が来るまでの間、ぼっと眺める。本当に不思議な色合いであった。こちらのほっとした心情も、多少はその色彩に加味されているのかもしれないけれど。「静かな場所」、引き続き、車中で読む。最近は、夜早く寝る癖がついてしまって、乗り物に乗る時間が読書の時間ということになってしまっている(あとは、お風呂に入っている時か……)。間もなく、読み終える。
帰宅後、洗濯。甥が来てから、洗濯の回数が増える。人数が増えたから当たり前、と言うことではなく、洗濯物の量が2.5倍くらいに増えているのだ。その4分の3は甥のもの。自宅にいた頃は、その日に着たものは、Gパンから寝間着まですべて毎日洗濯をしていたのだから、こちらに来てから少しは「マシ」になった、と言えるかもしれないが。放っておけば、すぐに洗濯槽から洗濯物が溢れ出すので、天気予報を参考に、時間を見つけては洗濯をするほかはない(明日までは晴れそうなので、今夜の夜干しは大丈夫だろう)。買い物に行くのも面倒くさくなり、ご飯を炊き、実家から送ってもらった新玉葱を使って肉じゃがを作り、肉じゃが丼にして食べる。朝作ったみそ汁付き。7時を過ぎても、甥が帰って来ないので、先に食べる。今日は、授業がたくさんある日のようだ。二日間、最悪に近かった腹の状態は、大分良くなる。
【08年5月25日】
日曜日。甥は、朝から大学へ練習に出かける。こちらは、一晩中寝たり起きたりの繰り返しで、眠い。8時過ぎまで、床で横になっている。
夜中ずっと降っていた雨は、9時過ぎくらいに上がる。パンとポタージュだけの朝食。その後、午前中をかけて「K俳句賞」の作品を整理する。タイトルを考える。二字の熟語とする(そういえば、岩城先生も句集名や作品のタイトルに二字の熟語が多い)。整理したものを、とりあえずパソコンに打ち込む。昼食は、また蕎麦。卵を一つ入れる。
雨は上がったようだが、体調が今ひとつなので外へ出るわけにもゆかない。『静かな場所』の続きを読んで、午後を過ごそうと思う。亡くなった田中裕明氏に対する会員の方達の深い思いが、薄くはない冊子の随所に感じられて、大変読み応えのある一冊である。主宰句に対する会員さんらしい、多様で深い読みに、感心したりする。田中氏の句集未収録作品や、様々な文章類なども幅広く渉猟掲載されていて、資料的価値も大きな一冊であると思う。このようにして、一人の作家の全体像が明らかにされ、改めのこの空漠たる時空の中に定着されていくのかと思う。『田中裕明全句集』を買ってみようか、などと思う。
昨夜は、甥の手による「ニンニクの茎のいためもの」と「八宝菜風春雨」であった。ちなみに、ニンニクの茎は実家の家庭菜園で採れたもの。ちょっと若向きの味付けで、少々味は濃いけれども、なかなか美味しい。ご飯も上手く炊けていて、豪勢な夕食となる。それにしても、口からものが普通に入るのに、その後が上手くいかないというのは、何とも鬱陶しいものである。
【08年5月24日】
早朝の「歩き」。天気予報は雨のはずが、どうやら天気が崩れるのは、もうしばらく後になりそうだ。高曇りの空のあちこちに青空が覗いている。1時間足らず、近所を歩く。公園の木々の緑が、不自然なほどに鮮明に見える。早朝の効果なのだろうか。犬を連れた散歩の人、新聞配達、朝帰りの若者などと、行き違う。相変わらずの早朝の風景ではある。それにしても、犬の散歩の人が、糞の始末の準備を何もしないで、犬をつれて歩いている姿を見かけて、違和感を感じる時がある。落下物は、そのまま放置していくつもりなのだろうか……。新緑の候と、そぐわぬ話題ではあるが。
昨日は、企業訪問。3件廻るはずが、1件は直前に日時変更となり、1件はアポありにもかかわらず、担当者が外出中ということで名刺と資料を置いておくだけということになる。午後、さらに1件。5月にもかかわらず、気温は31度。暑い。訪問先まで駅から30分ほど歩く。まだ、アポの時間には早いので、スーツの上着を手に、時間調整のため、しばらく桂川河畔でぽつねんと流れを眺めたりする。はるかに愛宕山が青い姿を見せている。魚道の側壁からも水が溢れこぼれて、いかにも涼しそうな風景である。企業訪問は、広い会議室で人事担当者と20分ほどの面談。訪問を終え、また30分を歩くのは少々辛かったので、最寄りの近鉄駅までタクシーを使う。学校に帰り、本日分のテスト問題を受け取り、そのまま定刻まで採点。とうてい終わるはずもないので、残りは持ち帰りとする。
一旦帰宅して、ミューズのレッスンに。疲れているので、今日こそは休もうと思うのだけれど、仕方なく出かける。昼間使ったのと同じ径路で京都市内まで。服薬を終えて、体調が回復するかと思いきや、腸の状態が今ひとつという有様で、辛い。練習は、熱のこもったものとなる。部分部分で、良い響きが聞こえたりして、気分良く歌える。歌い始めは、疲労感でぐたぐただったのが、歌い終わる頃には、何となく元気が出てきたりする。不思議なものである。鼻歌交じりに、夜の烏丸通りを地下鉄へと向かう。
甥は、朝から練習のために登校。こちらは、午前中、持ち帰り仕事の続きを片付ける。休み休みで昼過ぎに何とか終了。昼食は、昨日に続き、蕎麦。そば湯が取れる本格的な蕎麦で、美味しくいただく。午後、腹の状態が良くないので、出かけるわけにも行かず、自宅で過ごす。「K俳句賞」の申し込み〆切が今月末なので、そろそろ応募作品を整理しなければならない。昨年度は、予選を通過したので、今年もまずそれを第一目標としたいものだ。きっとS氏も頑張っておられることだろうと思う。あるいは、もう提出されたのか。『鼎座』が未だ刊行出来ていないのも、気懸かりである。
【08年5月22日】
本当に長かった服薬期間が、昨夜で終了。最後の薬を飲み終えて、ほっとして床に入ったら、次第に手術をした部分の調子がおかしくなり、その後3時間くらいしんどい思いをする。一体どうしたのだろうか、と思う。2時間くらい我慢していて、ふと「とんぷく」を貰っていたことを思い出し、それを飲んでじっと横になっていると、なんとか収まってきた。折しも、甥の帰宅が遅く、そちらの方も気にしながら横になっているのは、鬱陶しい。11時過ぎになって、甥は帰宅。こちらもしんどかったので、ちょっと顔を見て、自分の部屋へ帰る。12時を過ぎて、随分落ちついてきて、それに伴って眠気が襲ってくる。うとうとして気がつくと、1時過ぎ。さらに2時、3時と目を覚ましつつ、5時過ぎまで眠る。次から次へとなにやら気詰まりな夢を見ていたような気がする。
翌朝、もう5時に起きて薬を飲む必要もなく、かといって急に生活のペースがかわるはずもなく、5時半には起床。朝食の準備をし、みそ汁を作り、6時過ぎに朝食。その後、ちょっとごたごたしたことがあって、自宅を出たのが7時15分。いつもより、2本分遅い電車に乗ることになる。体調は、まだまだ不安定だったけれど、4時間授業とその後の大掃除、細々とした分掌の雑務をなんとかこなす。疲れる。同僚の人に、自宅近くまで車で送っていただく。夕食の材料を買ってくることになっていたのだが、すでに7時過ぎで、これから夕食を作るのも面倒くさく、甥もすでに自宅にいるので、近所のコンビニで弁当を買って帰る。甥は体調が今ひとつと言うことで、部屋に引っ込んでいる。ひとりで、もそもそ弁当を食べる。
『静かな場所』NO3を送っていただく。すごい執筆陣である、と驚く。「醍醐会」のMさんや、「翔の会」のKさんも本号の執筆陣に入っている。ゆっくりと、読ませていただこうと思う。
明日から、中間考査。こちらは朝から出張。京都市内を、あちらこちらする。月曜日も、午前中は学校、午後は出張、火曜日も同様。6月に入っても、週一くらいのペースで出張が入る。服薬期間の終了とともに、忙しくなる。無理をしないように気をつけなければならない、と思う。
【08年5月18日】
日曜日。昨日に続き、4時過ぎに目が覚め、それから眠れなくなる。テレビをつけてみたりするうちに、もう眠気はどこかに霧消していた。服薬の時間まで床の中でごろごろしていて、5時前に薬を飲み、その後二日続けての「歩き」に出かける。すでに日は昇っていて、長袖を着て出たのだが、やはり少し肌寒い。マンションのエントランスには、新聞配達の人たちが来ていて、配達の準備をしている。昨日とは道順を変えて、疎水の方を宇治川に向けて歩く。犬の散歩をしている人とすれ違う。二人でゆっくり歩いている老夫婦の姿を見かける。疎水沿いの桜の木に、ちいさなサクランボの実が、赤く熟しつつ、たくさん実っている。数日後には、きっと鳥たちの餌になることだろう。水量の少ない疎水に、丸々と太った野鯉が時折小さな水柱を上げながら、群泳している。鮒なら、のっこしという風情であろうか。1時間ほど歩いてから帰宅する。朝食の準備。パンとみそ汁と野菜・果物、そしてヨーグルトの朝食。甥は、少々風邪気味のようで、朝食を終えると、今日は休養日にしよう、と言って、そのまま部屋に引き返してしまった。
土曜日。朝の「歩き」、掃除、洗濯、炊事を終え、近所で買ってきた廉価版DVDの『聖衣』を見る。ハリウッド超大作の一つだそうだ。ゴルゴダで処刑されたイエスが身に纏っていた赤い衣を題材にした、宗教劇。古風な感じは否めないけれど、それなりに面白かった。『十戒』などに比べると、二回りほど小粒な印象ではあったが。その後は、昼まで持ち帰り仕事。午後も、引き続き仕事。一休みするつもりで、自転車に乗り、宇治川の河川敷まで葭原を眺めに行く。広大な敷地一面を埋める緑の葭の絨毯(言い古した表現だけれど)が見事だった。葭切や時に鶯の声なども聞こえる。良い気分転換になったけれど、自転車の遠出は腹にはあまり良くはないようだ。帰宅後は、また仕事の続き。夜、ブリかまとゴーヤチャンプル。甥は、苦瓜の苦みが苦手らしく(ゴーヤは冷水で曝しておいたのだが)、チャンプルはあまり食べず。その分、玄米を仏飯なみにてんこ盛りにして食う。夜、9時過ぎには就寝。
夜明け前に見た夢。新幹線に乗っている。帰省かなにかするらしい。都市部に入って、新幹線と平行して他の路線も走るようになり、新幹線がスピードを緩めると、それを追い越すようにして「雷鳥」風の特急電車が追い越していった。その様子が異様であった。運転台の横が、巨大な刀か何かで切り裂かれたようになっていて、斜めの開口部から中で運転している運転士の姿が覗いているのだ。そして、わずか3両ほどの客車が接続されているのだが、それらの外面は火事か何かに遭ったように焼けこげており、そんな状態のまま満員に近い乗客を乗せて走っていくのだ。なぜか、その客の中で髪の長い赤いコートを着た女が、不安そうな表情を横顔に浮かべて席に着いている姿が、瞬間的な印象として残っている。ちょっと凄まじいような情景であった。
良く見に行くブログの中に、ずいぶん酷いことを書いているものがあって、少々うんざりする。それが匿名の無責任な書き込みではなく、ちゃんと名乗った上で、相手も本名を上げての書き込みだけに、その口汚さにこちらがはじらむような思いになる。自分とは違うところで、活動の中心人物として活発に動いている人で、そんな世界もあると言うことについて、知っておいていいと思い、その情報の窓口として結構頻繁に見に行っていたのだが。
金曜日。レッスン。定例の練習はあと8回。土日は、京北町のセミナーハウスに合宿に行っているはずだ(私は、不参加)。全体の練習は、着々と進んでいるようだが、個人的には練習不足を思う。互助組合報に「カルミナ」のことが掲載されたという。互助の協賛事業でもあったのだ。通常より、若干安くチケットが買えるようだ。
【08年5月15日】
今日の夕食は、甥の作ったハヤシライス。それに、近所のコンビニで買ってきたおでん3品。取り合わせとしては妙だけれども、なかなか美味しい。たまにあることなのだが、今朝から腸の状態が今ひとつで、一日中倦怠感を感じつつ、仕事をしていたので、帰った時夕食が準備してあるのはありがたい。甥は、大学生活に大分慣れたそうで、1時間余りの通学時間も苦にしないで、通っている。秋には、仲間とアンサンブルをするそうである。
『古今亭志ん生読本』もとうとう読み終えてしまう。評論やら、対談やら、回想記やら、盛りだくさんの内容で、ここしばらくはこの本一冊をずっと読んできたのだが、読むほどに古今亭志ん生という人物の破天荒さが面白い。スコーンと突き抜けた部分があって、それがこちらの呼吸まで楽にしてくれるところがあるような気がする(もっとも、一緒に暮らしてきた家族は大変だったようだけれど)。
ここ数日、通勤の行き帰りに、いつも見る犬の姿が見えない。今朝、その家の前を通りかかると、門のところに一枚の張り紙があった。そこには、「トマトは良い人に貰われていきました。ご心配はなさらないように」という内容が、手書き文字で書いてあった。何かの事情があって、貰われていったのか、という思いもあったが、あの犬の名前がトマトであったと言うことを初めて知ってちょっと驚きだった。あの犬は、小犬の頃にあの家にやって来て、犬小屋が玄関脇に置いてあることから、それからの生長を毎日の行き帰りの中で見続けてきたので、無愛想な犬だったけれど、ちょっと気にはなっていた犬なのだ。今年で、7〜8歳になるのではないかと思う。そんな歳になってからの変転というのは、犬にとっても思いも寄らない事だったのではないか、などと勝手に思ったりしている。ささくれの目立つ木の犬小屋に、鎖代わりの組紐状の太い綱が残っている。
【08年5月11日】
昨日は、京都は一日中雨だったようだ。朝、洗濯したものを部屋干しにしておいて、丹後へ。「すき句会」の日である。出かける準備をしているところへ、目を覚ました甥が来る。彼は、出かけるつもりだったのが、雨が降ったためと、ちょっと疲れたと言うことで、今日は家に居るという。雨の中を出かける。いつもの「はしだて1号」。差し入れのつもりの季節の和菓子と、昼食用のおにぎりを買い込んで、乗り込む。指定席は満席ということで、グリーン席を購入したのだが、自由席の方は随分がらがら状態であった。一人席に腰を掛け、雨の窓外を見る。太秦の映画村の脇を通過するとき、新緑の句が一句できた。保津峡を通過するとき、新緑の句がまた1句。亀岡盆地に入る辺りからは、どうにも眠くて椅子を倒して、しばらく眠る。昨夜、「週刊俳句」へ掲載してもらう作品鑑賞文を、12時近くまで書いていたので、眠くて仕方がない。この半年で、この時間まで起きていたことはなかったので、ともかく眠い。金曜日は、さらにミューズの練習があったので、仕事を終えてから出かけたので、しんどくて仕方がなかった。いっそ練習は休もうかとも思ったのだが、欠席がかさむとステージに立てないということにもなりかねないので、ともかく出かけることにしたのだ。練習会場には8時過ぎ着、9時前までレッスンに参加して、いつもの通り、外のフロアで一人薬を飲んで、いつもなら近鉄を使うところを、疲れていたのでタクシーを使って帰る。帰るとすぐ、鑑賞文を書き始めたのだが、結局12時近くまでかかってしまう。車中では、その後も寝たり起きたりの繰り返しで、目を覚ますと降雨の中、窓外の新緑が異常なくらい眩しくて、ちょっと面白い1句をものすことが出来たりもした(句会では、岩城先生選に入った句の一つであったが)。
句会自体は、色々な都合で参加者が少なく、残念だった。ただ、出句自体はなかなか面白い作が多くて、大いに楽しむ事が出来た。席題は、「花御堂」。メンバーの何人かの方は、実際に吟行をされたそうで、その句がたくさん出句された。岩城先生の「麦の秋風」「ほととぎすの初音」句なども出された(どちらも、あまり馴染みのない季語だったので、面白かった)。句会を終えて、後に残る人が多くて、5時過ぎくらいまで、岩城先生を囲んで何人かで四方山話。その後、Mさんに車で駅まで送っていただく。駅前のスーパーで、発泡酒(糖質0、というやつ)やつまみ、夕食用のサンドイッチなど買って、人気のない丹後大宮駅のホームで、列車を待つ。車中では、古今亭志ん生の特集本をずっと読む。面白くて、思わず何度か小さな声を立てて笑ってしまった。傍目には、ビールやらサンドやら囓っている、変なおっちゃんと映ったのではあるまいか、などと思う。
岩城先生のお宅にお邪魔したとき、愛犬ビッキーの死を知った。4月29日、「緑の日」に、突然に近い状態で死んでしまったそうだ。その数日前から、食べられなくなったらしいが、まさか死ぬとまではお二人とも考えてはおられなかったようだ。奥様の悲嘆は深くて、今日も私に会うとまた辛さが増すということで、外出の時間を延ばされたそうだ。句会とともに、ビッキーに会える楽しみのあったのだけれど、それがこの先かなえられることはなくなり、とても残念だ。和室の床の間に、二つの骨壺に分けられたビッキーと出会う。線香を上げる。丹後の地に、分骨をされるということだ。2枚の写真が、飄々とした風貌のビッキーの姿をとどめていた。
「週刊俳句」
の今週号に、拙文を掲載していただいた。以前、「日々録」に少し書いたことのある二輪 通氏の「豚の春」の句についての鑑賞文だった。他の方達の鑑賞文を合わせ読んで、いかに自分が生真面目で若干堅苦しい姿勢で俳句に対しているのか、ということを思ったりした。もう少し、余裕と自在さがほしいものだ、と思ったりもしたものだ。
【08年5月5日】
現在、帰省中。天気は、高曇り。霊峰と言われる山は、山頂あたりが雲に包まれている。裾野が藍色に翳りながら海の方へと長い裾野を延ばしている。昨日は、その山に吟行を兼ねて出かけた。快晴の日で、標高800メートルにある駐車場は、暑いくらいの状態だった。山岳仏教の有名な寺院へ続く坂道を上り、やがて自然石を敷き詰めた奥の院への参道に入り、さらに途中から山道へと道を逸れる。全身が染まりそうなほどのブナの新緑の中を一登りすると、やがてスキー場の斜面に出る。ゆったりと傾斜した広大な芝のスロープの途中に立つと、新緑の木々の向こうに、残雪を渓筋に見せて、黒光りする大岩壁の主稜線が標高を上げながらゆったりと横たわっているのが眺められる。ケラ類の木を叩くドラミングの音がかすかに聞こえる。傾斜の底に目を転ずると、緑のうねりのその向こう遙かに、弓なりの半島と日本海が眺められる。山毛欅の原生林の中を、奥の院へと向かい、途中2メートルあまりのアオダイショウが、するすると山道を横切る姿を目撃したりしながら、枯れきった木の色の奥の院の社殿へと到着する。土に汚れた雪が、境内の一角に小さな山をなして残っている。昼食時間に制限があるので、参道の石段をそのまま宿泊施設や土産物店が集まる地域へ引き返す。名物の蕎麦を食べ、そのまま下山。山裾を周回する道路を途中まで走って、放牧場などを車中から眺めて、昔は観光道路などと呼ばれた道を車で走り下る。帰宅後、服薬。疲れたので、午後は夕方まで横になっている。毎日、歩いてはいるけれど、ちょっと負荷がかかると、薬の副作用のせいもあるのだろうが、まだ体力的に対応できないようだ。毎年のように、登山を繰り返していた山の、その一角を歩いただけでこんな調子では、いつまたキャラボクとお花畑の美しい山頂周辺を散策出来るだろうか、と思う。その前日、高校時代の知り合いの家を訪ねる。歴史のある写真館の主人。 東京で暮らす母方の一族が、東京大空襲で焼け出されて、郷里へ帰郷した時、一時期、伯母がこの写真館の事務員としてお世話になっていたと言うことを知ったのは、つい先年のことだった。入院をする前に一度訪ね、その後休職期間中にも挨拶にいけなかったので、事後報告をかねて顔を出す。地方都市の例として、経済的に停滞した状態の中で、写真館を経営する苦労などの話を聞く。また、同級生の一人が、心身症で職を辞して帰省し、つい今朝訪ねてきたことなども聞く。前回、訪ねた時には、知人の一人で高校時代同人誌のグループの一員だった男が、市内で新たに中華料理店を経営し始めた直後、病気で亡くなったという話をきいたのもの、この友人からだった。 子供の日ということで、テレビでは賑やかに特番などをやっていたりする。15歳以下の人口はまた減少したらしい。後期高齢者保険制度といい、この国は子供と老人が暮らしにくい国に着々と変貌を続けているようだ。
5月5日に、ブログにアップしたものを、逆にこちらの方に再アップしました。