日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。
08.1「日々録」
08.2「日々録」
08.3「日々録」
08.4「日々録」
08.5「日々録」
【08年6月29日】
日曜日。朝から、激しい雨。今日は、午後から「醍醐会」で出かける予定なのだが、少々鬱陶しい。今回は、近刊句集評。中原道夫『巴芹』、高橋信宏『夷狄』の二句集。会員外の句集をするのは久しぶりのことではないか、と思う。どちらも句集が手元にないので、発表者の「百句選」を参照することになる。
土曜日。一日自宅。一日、持ち帰り仕事をやりこなす。夜までかかって、なんとか元資料が出来上がる。PCにデータ入力して、それを添付ファイルにして自分宛にメール送信。明日、職場でメールを開けば、データが入手できる。便利になったものだと思う。夜、四国の知人から電話が来る。久しぶりのことで、しばらく四方山話。大学時代の同期生である。同じサークルのメンバーで、随分長い付き合いということになる。甥は、本日奨学金対象学生選抜の為の審査会に参加。新入生のうち、わずか4名のみが奨学生の対象になるという。帰宅は今日も遅めのようだ。
免許更新制度というのが出来て、更新の為、所定の時間の講義を受講することとなる。今年は試行期間なので、数校の大学で講義が開講されることになっているのだが、京都で開講される数少ない大学の1校に受講申し込みをしていたら、その結果が届いた。申し込んでいた4講座のうち、2講座は許可、2講座は人数多数のため不許可となっていた。一番時間数の多い講座は、幸い許可になったのだが、受講両日は綾部泊まりとなる。不許可になった2講座は、別の学校の講義を受講しようか、と思っている。今年は、試行のため無料、来年度からは3万強の費用が必要となる。ちなみに、私より数か月早く生まれた人は、免許更新の対象者にはなっていない。今後も受講する必要はない(免許が失効するまでに定年が来るので)。
【08年6月28日】
忙しい一週間が終わる。仕事に追われてトイレに行く暇もないというけれど、気が付いたら今週職場で一日トイレに行っていなかった日が二日あった。出張も二日。職場を空ける分、仕事が詰まってくる。朝も、駅からの歩きを中止して、バスを使い、早めに職場に着くようにしている。7時半過ぎから仕事に入り、後は全力疾走状態となる。進路部ということもあって、通常の仕事に割り込むように、アポ無しの来訪者が二人、三人と来られる。仕事を止めて対応するのだが(応接も仕事の一部と言えばそうかもしれないけれど)、集中が中断されるのが腹立たしい時もある。訪問者の中には、どうやら教職経験者だったと思われる人も交じっているのだが、そんな人が一番対応しずらい。妙に慇懃であるか、変に馴れ馴れしくぞんざいなところがあって、さっさと話を切り上げたくなる時もある。教師は教師に対して辛辣とは良く言われることだけれど、どこかに「近親憎悪」みたいなものがあるのだろうか。心しなければ、と思う。それでも出来るだけ丁寧に応対しようと、15分から20分程度の時間を応接に使うけれど、挨拶と宣伝の話だから、一向に面白くない。ただ、そんな中でごく稀に『この人の話をもう少し聞きたいな』と思われる方の来訪を得るときがある。そんな時は、こちらの方からつい質問や話題を持ち出して来て、時間を長引かせてしまうこともある。なんとも、身勝手なことである。あまり無理な事はしたくないので、残って仕事をしている人たちに挨拶して、7時前後には退勤をする。まだ、空に明るさが残っていて、グランドの方からはクラブをしている生徒の声が響いたりもしている。今は、母が来てくれているので、夕食の準備をする心配がないのが有り難い。甥は、ここしばらく7月にある発表会の練習の為に帰宅が随分遅くなっている。体調の関係で、昔みたいに9時10時の遅い時間帯には食事を取れないので、8時までには夕食を終え、その後持ち帰り仕事があればそれを済ませ、9時か10時頃には寝室の方へ引っ込む。少し本を読んで、就寝。翌朝は、5時起床。そんな毎日になっている。
通勤用に、磯辺勝の『江戸俳画紀行』を読んでいる。芭蕉・蕪村・一茶を始め、総勢23名あまりの俳人の句と俳画の紹介と、そして俳人の痕跡を探訪する短い紀行をまとめておられる。往復の車中で、一人分の内容が読めるほどの分量で、通勤中の読書として手頃だし、楽しい。就寝前の一冊としては、柴田宵曲の『蕉門の人々』を読んでいる。最初か順番に「其角・嵐雪・惟然」と読んできている。個人的には、「丈艸」が好きなので、早く読んでみたい気もするが、「凡兆・去来」の次が「丈艸」という順番になっているので、いつたどり着けるか、今のところわかならい。それぐらい、遅々たるペースで読み進めている。
昨日は、ミューズのレッスン。土日の持ち帰り仕事を三つほどザックに入れて、退勤。久々の大遅刻で、ある時間帯以降は出席簿を撤去するらしいので、ひやひやしながら8時過ぎに会場到着。幸い、まだ片づけられずにおいてあったので、出席印を押す。これで、登壇条件まで、あと1回ということになった。到着後すぐ、中休みに入ったので、練習参加は後半だけとなる。男声合唱から始まり、全体練習。男声合唱の部分は、個人的にはいまだにガタガタ状態である。十分に歌えない有様である。本番、大丈夫なのだろうか……。今日は、全体に合唱の高音部分が伸びない。微妙に低くて、歌い聴きながら、少々気持ちが悪い。半音の半音くらい低いのだ。皆さん、やや疲れ気味でないか、などと思う。9時半、練習終了。駅前のパン屋で朝食用のパンを買って帰る。帰宅すると、俳人協会から、8月の俳句講座の授業実践報告の学校宛の講師依頼文章が届いていた。8月1日(土)が発表の日であった(日にちを勘違いしていた)。そちらの方の準備をしなければ、と思う。先日終えた俳句の授業などもネタの一つにして、なんとかまとめなければと思う。
【08年6月22日】
日曜日、朝。天気は、小康状態。朝方は、しとしと降っていた雨は、今はやんでいる。京都府全域は雷注意報が出ているようだ。湿度が高いので、エアコンをかけっぱなしにして部屋に籠もっているような状態だ。
天気が不安定なため、外に出かける訳にも行かず、今頃知り合いの人たちは雨の中、ゴルフのクラブを振り回しているのだろうか、などと思う。明太子記念みたいなコンペに出るとか、金曜日、大雨の中を近所まで車で送ってくれた同僚の話を思い出す(……なぜ、「明太子」なのだろうか)。ベランダの大玻璃ごしに見える稲荷山の山頂が、雲に隠れたり、現れたりを繰り返しているのを、ぼんやりと眺めたりもする。
そろそろ7月のコンサートのチケットをお送りしなければ、とも思う。すでに、公式には完売状態で、ただ合唱団内で時に余ってしまった1枚、2枚のチケットを融通しあうことがある程度の流通状態になっているようだ。案内状を作り、チケットの郵送準備を始めようか、と思う。今回は、珍しく午後2時開演なので、観客の方の動きも従来と違ったことになっていくのだろう。午前中に準備をすませ、午後はちょっと出かけてこようか。雨も午後の方が降水確率が低いようだし。
日曜日は、
「週刊俳句」
の日、という事で、今週の10句は望月哲土・作『草』の連作?ではないか、草を共通の素材とする一連の作。基本的に伝統派の私などには、全体にちょっと微妙な感じ。「心身の親に似ない子竹煮草」の「心身」の観念性が微妙。季語の「竹煮草」との取り合わせで、全体にやんわりと具象性がもたらされるのか、とも思うけれど。 そんな解釈が的はずれでないとすると、作者自身基本的には随分オーソドックスな作り方をしているということになるかもしれない。「草の根の運動時間風薫る」の「草の根」と「風薫る」の関係なども。「人間に尻の大きさ草を刈る」「瑠璃蜥蜴草葉の蔭を出入りする」「斑猫茫々として草千里」「文字多き薬草図鑑梅雨の夜」などは伝統的な写生句。ただ、「人間に」の句は、焦点化の手法でちょっと滑稽の味付けが楽しい。「薬草図鑑」の素材的な面白さも。「雑草は夏の生き方無衣無縫」「夏の草逃亡の時見失う」「隣人を愛せずにいる草いきれ」「草魂やピッチャーゴロで夏閉じる」など心境を反映したような句は、私には今ひとつであった。「サバービア俳句」についての対談は、とても文学的な内容の話であった。俳句をより一般的な「詩」へと位置づける、そんな動きの中の一方向のような気がするからだ。俳句は元々やや脱力系の「詩」的要素があったような気がするが、従来の詩歌(俳句も含め)がカバーしていた世界の、さらに周辺部分の空白地帯に「詩因」を見出すという点で。それにしても、対談中で紹介された作品の「絶対電柱少女ぎしぎし歩く」も「なんと気持ちのいい朝だろうああのるどしゅわるつねっがあ」の句も、すでにある物の組み合わせ、コラージュの面白さなのかな、などと思う。でも、もしそうだとするとそれは絵画の世界ではすでにかなり使い古しの技法ということになるような気もする(俳句の「取り合わせ」も、そもそも一種のコラージュのような気もするし。)。
【08年6月21日】
土砂降りの夜が明けて、現在小康状態。雨は止んでいる。低く垂れた雲から、根のように一部が丘陵地に垂れ落ちてくる。吊し雲というものなのだろうか。それを珍しがった母が、携帯のカメラで撮そうとするが、接写から通常撮影への切り替え操作が分からず、ちょっと困っている。使いやすいように特化された携帯なのだが、幾つか「穴」があるようだ。あちこち探して15分後、切り替えスイッチが付いていることに気が付く。珍しい雲は、すでに雲散霧消していた。
毎晩、「日々録」を更新しようとは思いつつも、ついつい滞ってしまう。早寝、早起きの習慣が定着して、夜の時間が短くなってしまったせいであろう。気が付くと、1週間が過ぎている。時間が経過するのが、早い。先日は、とうとう永年勤続対象者として、表彰式があり、丹後時代の同僚と数十年ぶりに再会することにもなった。配布された対象者の一覧を見ていると、教師で俳人のあの人も、同じく永年勤続だったのか、などと知ることも出来た。
金曜日。ミューズのレッスン。体調を崩している方が、今日の参加がなくて、規定の出席回数を割り、ステージに立てない事になってしまったようだ。頑張って参加されていたのだけれど、残念だ。練習も佳境に入ってはいるけれど、男子合唱の難しい部分などが、まだまだ不十分な状態として残っている(他人事ではないのだが、歌詞の暗記がとても大変なのだ)。練習は、最後まで参加。練習中は立ちっぱなしのせいか、会場から外へ出る帰り道の長い階段で足がぐらぐらしているのに気付く。毎日、歩いたりはしているのだが、それでも足腰が弱っているのだろうかと思う。駅からの、ざんざん降りの道を帰宅。道が川のようになる、というが、まさにそんな感じであった。ちなみに、実家の方でも大雨が降って、自宅前の道が文字通り川になったそうだ。数年前の夏、ものすごい夕立が降って、例の道路が川になり、推進15センチくらいになった水が、ざあざあ音を立てて流れているのを、玄関から目撃したことを思い出す。
外山滋比古の『ユーモアのレッスン』読了。ユーモア自体を分析することは、なかなか大変であったとの感想あり。たくさんの用例と、対談形式による分析、という面白い体裁の一冊。用例がなかなか面白く、楽しく読ませていただいた。俳句とユーモアの関係についても触れてあったけれど、新見解等はなし。ただ、俳句と滑稽の関係については、考えていく必要があると改めて思う。
【08年6月15日】
土曜日。南座に、藤山直美の喜劇を見に行く。母が行きたいと言っていたのだが、ここしばらく掃除・洗濯・食事等世話をかけていたので、骨休めの積もりで出かけることにする。前日に急遽予約を取ったので、席は1等席でも一階後ろの方になる。演目は、昼休みを挟んで、現代劇「夜明けのスモッグ」、時代劇「浪花の夢 宝の入船」の二本立てだった。「水無月喜劇名作公演」として、京都では四年ぶりとのこと。藤山直美の芸達者ぶりは言うまでもなく、競演陣も巧みで、セットも美しく、3時間ほどの舞台を堪能する。大変面白かった。
いつもは、選んでMタクシーを使うのだが、生憎通りかからなかったので、別のタクシー会社の車を使って帰る。ところが、運転手の人が、変に話し好きの人で、一方的にどんどん話をしかけてくる。私も母も、適当に相づちをうっておくが、次第に聞くのがしんどくなり、マンションの近くまで来たので、途中で降りる事にする。Mタクシーの場合は、適度に気を遣ってくれるので、こんなことはないのだが、他のタクシー会社の車を使うと、人によって態度が随分違うので、こちらが気を遣って疲れてしまうことがある。
観劇の影響なのか、夜は何か楽しい夢を見た(もう、憶えていないけれども。楽しい、という印象だけは残っている)。日曜日、5時に起床。「歩き」に出かける。高曇りで、やや肌寒いくらい。1時間ほど近所を歩いて、帰宅。気持ちよい。
いつも寝る前に読んでいた『近世俳諧集』を、午前中で集中して読み、読了。『江戸期の俳人たち』に登場した俳人達も再登場して、その代表句とされる句も一通り読めて、なかなか面白かった。知的計らいの強い句柄から、情感溢れる句、観察眼の効いた句、機知諧謔の句、人事詠から自然詠まで、幅広い作品に触れることが出来て、古俳諧と言えども、思いの外多彩多様な世界が興味深かった。
日曜日は、
「週刊俳句」
の日、という事で、今週の10句より。『標本空間』佐藤文香・作、「雪の日のやうな朝日が紫陽花に」「シトロンに手帖の路線図がうつる」「明易や吊れば滴るネガフィルム」「麦笛に真白な空の近く見ゆ」「大皿の酢豚冷めゆく星月夜」、『縫目』 齋藤朝比古・作「仙人掌の花押し出してゐたりけり」「縦よりも横に長くて泉なり」「金属を通つてきたり夏の水」「峰雲の縁よりだらしなくなりぬ」などが面白かった。
【08年6月14日】
水曜日。指揮者レッスンの日であったが、疲労のため休む。金曜日、本日は参加。仕事を終えて、夜出かけるのはやはりしんどい。練習中のミーティングで、何年か、一緒に歌ってきたベースのメンバーの一人が、体調不良とそれにともなう練習不足で退団されたときく。練習時も、しんどそうな様子を我慢しつつ参加しておられた姿を思い出す。もうひとり、同じくベースの中心メンバーの一人で、ミューズのご意見番のような方も、体調を崩して入院中と聴く。大きな病気から回復されて、元気に練習に来ておられたのに、ここ数回姿が見えなかったのはそのせいだったのか、と思う。今日の練習参加で、18回中15回の参加となった。あと、3回でステージに立つ条件を満たすことが出来る。まあ、何とかなるだろうと思う。練習は、9時半まで。腹痛を我慢しながら、参加する。週末になると決まったように腹の調子がおかしくなる。10時前、帰宅。甥はまだ帰っていない。母は、居間のソファーで横になっている。
午前中、手に出来た出来物の治療に、甥と母が私も通っている病院に治療を受けに行く。それ以前に、近所の小さな病院で治療を受けていたのだが、指示通り薬を付けているにもかかわらず、だんだん状態が悪くなるばかりなので、別の病院に行くことになったのだ。治療の際、開口一番医師の言ったことは、そんな事では直りません、という言葉だったそうだ。すぐに、出来物を焼く治療を施す。2週間に一度通って、この治療を受け、早ければ2ヶ月ほどで完治するらしい。1年ほど通って、薬を付けておけばよいとした、前の医者の判断と治療は一体何だったのだろうか、と思う。そのまま指示通りに「我慢」していたら、さらに酷い状態になっていたことだろう。恐ろしいことだと思う。
榎本好宏の『江戸期の俳人たち』を読了。芭蕉とその一門の作品を読み直してみたいと思う。エッセイ風であるけれど、なかなか読み応えのある一冊だった。最近書店の詩歌のコーナーで見る妙な俳句入門書とか、俳句の作り方みたいな物は、全く読む気はしないけれど、こんなエッセイなら読んでみるのも悪くないかな、と思う。
稲田眸子句集『風の扉』を読む。軽く、明るい、句柄。気持ちよく、読む。なかなか巧みな作り手でもあると、感心しながら読む。ところが、句集の最後に、贈呈者にあてた短信が挟んであり、そこに某有名俳人の名前があって、妙な物を見つけてしまったな、と思う。ブック・オフで購入した一冊で、普通なら読むことも出来ないだろう良い句集が手に入ったと、こちらは嬉しかったのだが、贈呈を受けた人は果たしてちゃんとこの句集を読まれたのか、などとふと思う。有名俳人に贈呈される句集は、毎月膨大な数に及び、多くの句集は、積ん読、一括処分という道筋を辿るとも聴いたことがあるけれど。
以前、「醍醐会」でお話を聞いた、「参」の句会にも参加されている、D大学大学院生の青木亮人さんが、第17回柿衞賞を受賞されたと聴く。若い研究者に送られる賞とのこと。非常に良く勉強をしておられる方で、「醍醐会」で講演を聴いたときも、今回の話の話題の一つののために15万句を渉猟されたなどと聞いて、本当にビックリした事があったものだ。ネット検索をかけると、D大学の紀要の発表論文の幾つかがヒットしたので、ダウンロードして読んでみる。
【08年6月9日】
日曜日。午後、ミューズの練習に行く。日曜レッスン。一部有志が、午前中にも練習をしていたはず。こちらは、午前中のうちに、持ち帰り仕事を終えておいて、午後から参加。会場に行くと、出席簿に受付へ呼び出しの印が付いていた。顔を出すと、出席率の事で注意。あと4回出席しないと、ステージに乗れないとのこと。まあ、大丈夫ではないか、と思う。副作用でしんどい時期の練習が続いていたので、服薬が終わり、体が大分楽になってきて、もう休むことはないだろうと思う。曲自体は、大分良い感じになってきているように思う。今週の水曜日に指揮者レッスンがあるので、それに向けての練習であった。
練習を終え、荒神橋から鴨川河畔に降り、三条まで歩く。暑いくらいの陽気である。京阪三条駅横のブックオフに立ち寄り、ホトトギス系の作家の句集を2冊買って帰る。帰りの車中で、その内の1冊を読む。素直な句柄で、日々の暮らしがさらりと詠まれていて、良い感じだ。帰りに近所のスーパーに立ち寄って、食材を買う。すでに、自宅の方には母が来ていると思う。
月曜日。甥は、朝練習で6時半に登校。こちらは、7時前に出勤。高曇りの空。蒸し暑い。電車の中で、雨が降り出すのに気付く。小雨の中を、出勤。午前中は仕事、午後からは出張。京都市内まで出る。車中で、榎本好宏の『江戸期の俳人たち』を読む。軽い読み物。寝る前の20分ほど、古俳諧を読んでいるので、ちょうど良かった。
帰宅。夕食は、母が作っていた。チンゲンサイの炒め物と、カレーの煮付け。サラダやら、丹後の句会のお土産にいただいたもずくなど。甥は、帰宅が遅くなるという。7時過ぎに夕食を取る。その後は、コーヒーを飲んでのんびり過ごす。
【08年6月8日】
土曜日。気がつけば、すでに前回の書き込みから1週間経過。その間、気でも失っていたのではないか、と思うくらいに、時間が早く過ぎていく。仕事が詰まってきているのと、早寝早起きの習慣化で、こんな風な感覚になっているのだろう。昨夜は、ミューズの練習に最後まで参加。薬を飲んでいた頃に比べると、疲労感が随分軽くなってきている。それが有り難い。10時前に帰宅し、「風の谷のナウシカ」など見ながら、「週刊俳句」の作品鑑賞文を慌てて書く。久しぶりに、12時前まで起きていた。朝、5時過ぎに起床。いつものごとく、洗濯から始まる一日。天気は一日良さそうだけれど、今日は丹後の句会の日で外出するので、念のため部屋干しにしておく。8時過ぎには、出かける予定。甥は、いまだに寝ている。甥が借りてきたレンタルビデオがテレビの横に置いてあったが、ふと見ると、貸出期間をすでに過ぎている。おいおい、どうするつもりだ。とりあえず、書き置きだけしておく。朝のニュース。政策も、官僚も、高級?公務員も「国土交通省」を筆頭に各省庁も、制度疲労の極みではあるまいか、と嘆息する。本当に、日本は奇妙な国になってしまったように思う。丹後に出かける前に、ちょっと書き込む。ようやく、甥が起きてきた。
京都駅にて、指定席を購入し、いつものように季節の和菓子を手土産に購入し、さらに書店で車中に読む本を購入(もっとも読めなかったけれど)、大階段を屋上にむかい、靄がかった京都の町並みをしばらく眺める。東寺の黒い塔と周辺の新緑が印象的だった。「はしだて1号」いつにもまして、乗客は少ない。今日は、「ごま駅」へ臨時停車するとのことで、するとザイラー夫妻の連弾コンサートの日かと思うが、それにしてはこの乗客の少なさはちょっといつもと違う。車中は、窓外の景色を見ながらの句作、その後うとうと。岩城先生とは宮津駅にて合流、丹後大宮に向かう車中で、いつも利用している大宮駅駅舎の喫茶店が閉鎖したことを知る。昼食は、いつもそこで取っていたので、不便にもなり残念だった。「とろとろオムライス」や「とろとろカレー」、そしてホットコーヒーが美味しかったのだが。句会は、参加者10人。宿題は「卯の花月夜」。一人10句投句で、作品を堪能する。皆さん、自分の思うままに自由に作っておられて、その持ち味が生かされた作品が楽しい。5時前に句会終了。ビールを持って、駅舎まで車で送っていただく。電車の時間まで30分以上あるので、待合室でビールを飲む。引き続き、車中でも。沿線の夕景が美しい。二条駅で岩城先生は下車され、8時過ぎ、京都駅着。そのまま帰宅する。帰ると、甥が最近はまっている某アニメのDVDを見ていた。疲れているので、すぐに寝室に引っ込む。Iさんから、6月の「醍醐会」の案内状が届いていた。今回は、会員外の方の句集評2冊。
疲れていたせいか、変な夢を繰り返し見る。夢をみて疲れて目を覚ますのは、鬱陶しいものだ。何度か、目を覚まし、最後に明け方の夢で大きな川の横の道を気持ちよく自転車で走っている夢を見て、ちょっとすっきりして、起床。5時前。歩こうかと思うけれど、あいにくの雨模様であった。仕方がないので、コーヒーをいれて、テレビをつけると、落語をやっていた。「火焔太鼓」。志ん生に比べると、随分聞きおとりがする。テレビを付けっぱなしにしたまま、「日々録」の書き込み。今日は、午前中、持ち帰りの仕事。午後は、ミューズのレッスン。母が、郷里から来ることになっている。
日曜日は、
「週刊俳句」
の日。ごく短い拙文を載せていただいた。よろしければ、お読み下さい。
【08年6月1日】
金曜日。午後、買い物に出かける。一駅分歩いて、大きな百円ショップまで。カードを留める金属リングがあれば買ってこようと思ってのこと。文房具の棚に置いてあったけれど、1パック8個入りと言うことで、必要個数分なかったので、買わないでおく。その代わり、別の物をあれやこれやついつい買ってしまう。甥用のコップ、魚用の皿、セロテープ、マジックインキ、荷造り用テープ、ハンドソープ、ハンガー、イカリソース、封筒など。さらに、別のドラッグストアーに立ち寄って、歯磨き粉、散り蓮華、さらに中国製簾、こしひかりなど買う。さすがに、荷物が両手一杯になったので、一度マンションに引き返す。廊下に買った物を置いておいて、さらに近所の大型小売店へ。壊れたコーヒーメーカーの変わりに新しいものを購入、ラーメン用の丼、さらに夕食の材料なども買って帰宅。ちょうど甥が帰って来たところだった。甥はそのまま、BSで小澤征爾の特集番組を見るし、こちらは買い物の整理。ついでに、夕食のカレーの準備をする。以前は、玉葱をキツネ色に炒めてみたり、ワインや果物を入れてみたりもしていたけれど、結局具材をどかっと入れて、アクを取りつつ、とろとろ煮れば失敗無く美味しく出来上がるという結論に達して以降、その簡潔なやり方を通している。準備も10分以内で出来るし。買い物忘れに気付いたので、甥に買いに行かせ、その間に寝室と甥の部屋とに、簾をかける。ちょうど西日が差し込む方向に窓があるので、これで多少は日よけになるだろう。ただ、サイズがちょっと大きかったので、窓から下にさらにだらりと垂れているのが不細工ではあった。
カレーは、少々辛かったかもしれないが、美味しく出来上がった。こちらは普通に卵かけカレーで食べ、甥は玉子焼きにしてオムライス風カレーにして食べる。夕食後、甥はすぐ部屋に行き、こちらも寝室に引っ込む。吾妻ひでお(知る人は知っている漫画家。『失踪日記』で手塚賞をはじめ各種の賞を受賞して、一躍メジャーに……なってはいないか)の『逃亡日記』を読む。『失踪日記』は漫画だったけれど、こちらは文章。『失踪日記』の背景などが分かって、なかなか面白い。作者の写真も載っていて、自筆の似顔絵より、彼の描く某漫画家I氏の方に良く似ていると思う。2回の失踪、アルコール中毒と入院、鬱病等、なかなか凄まじい経歴の持ち主ではあるけれど、その割にはちょっと自分を突き放したような、結果として飄々とした生き方が面白い。途中まで読んで、一休みのつもりでいたら、いつの間にか眠り込んでいた。その後は、本格的に寝るつもりで、4時過ぎまで睡眠。
5時に起きて、マンションのベランダからご来光を見て、「歩き」に出る。今朝は、半袖で歩くと寒いくらいだ。昨日とは、別のコースで1時間ほど歩く。びようやなぎの黄色い花が目につく。帰宅後は、昨夜のカレーで朝食。コーヒーを入れて飲む。美味しい。やがて、甥が起きてくる。甥も朝食は、カレー。しかも、昨日と同じ、玉子焼き乗せ。部屋干しにしていた洗濯物を仕舞い、甥は学校へ。こちらは、一休みである。
日曜日は、
「週刊俳句」
の日。田島健一氏の評論。その緻密な論理構成にすごいな、と思いつつも、西洋の「原罪」的な発想をそのまま、俳句と「作者」「読者」の関係の中に持ち込むのはちょっと辛いのではないか、などと思う。俳句との間に「倫理」的な関係を設定する事には違和感もあるし。相子智恵氏の評論『「われら」の世代が見えない理由〜マイクロポップ時代の俳句 〔前 編〕』は面白い。日々の生活の中に『刹那的でも「いま、ここ」のリアルな手触り』を求める心情という点に実感があった。〔後 編〕が楽しみである。