日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【08年9月27日】
免許更新講習を今夏受けた大学の一つから、2講座についての修了書が届いた。6時間の2講座で計12時間分にあたる。丁寧に配達記録付きの郵便で送られてきた。途中、各講座共にレポートなども作成して、大変ではあったけれど、2講座いずれも面白い内容で、結構満足していたので、この丁寧な応対に感心する。残り2講座18時間分については、いまだ連絡がない。
土曜日。朝、「歩き」。天気が良い分だけ、ずいぶん肌寒い。 1時間ほど歩く。東の空に、繊月が小さな傷のように薄く見えている。陸橋の上で、日の出を確認して帰宅。資源ゴミを出し、ベランダの整理をしているうちに、時間は7時になっていた。急いで、朝食の準備。その間に洗濯。朝食後は掃除。ずいぶんバタバタした慌ただしい朝となる。洗濯物を部屋干ししてから、一休み。朝風呂に入る。興味本位で買ってみた英語haikuの本を、湯船に浸かりながら少し読んでみる。3行分かち書きのごく短い英詩。「俳句」とは全く別物だけれど、この「haiku」もちょっと面白い。訳文と俳句風に翻訳し直したものがついていて、読みやすい。
昼食は、焼きめし。午後、外出。市内まで。秋の高気圧におおわれているせいか、気温が高くなくて気持ちよい外出になる。四条のJEUGIAで志ん生のCDを1枚購入。そのまま、錦市場へ向かい、錦の中をぶらぶら歩き、人出の多さに途中から市場外に出て、北に向かい、御池通りを越えて、小さな古本屋へ。ここは、短冊や色紙や古書籍がずいぶん無造作に積んであって、以前その短冊の山の中から結構著名な俳人の短冊を数枚見つけたことがあった。牧羊社の角川源義句集『神々の宴』と三一書房の小川太郎著『寺山修司その知られざる青春』を購入。続いて同じ寺町通り沿いの三月書房に行き、沖積舎『寺山修司全歌論集』と『富澤赤黄男全句集』を買う。ザックに4冊の本が入って、ずいぶん重くなる。久しぶりなので、足を延ばして、御所へ。緑豊かな御所内をぐるりと歩き、ついでに萩で有名な梨の木神社まで行って、萩の花を見る。萩祭がしばらく前にあったせいか、俳句の短冊がずいぶんたくさん萩に結びつけてあって、それが少々風流ならざる雰囲気であった。鴨川河畔に抜けて、京阪丸太町駅まで歩き、電車に乗る。数時間の気持ちよい「歩き」であった。久しぶりに17000歩ほど歩いたことになる。
夕食は、ハヤシライス。実は、またご飯の炊き方が不十分で、それが昼のチャーハンと夜のハヤシライスということになった訳なのだ。カレーは良く作るのだが、ハヤシライスは初めてだったので、上手くできるかと思ったけれど、思っていた以上に上手くできて、なかなか美味しく夕食を食べることが出来た。甥は、朝から学校で、夕方まで練習をしていたらしく、ぐったりして帰宅。しかし、夕食はもりもり食べていた。

【08年9月23日】
秋分の日。5時前に起床。「歩き」に出かける。外は、まだ暗い。中天に半月。消え残っている星もいくつか見える。ただ、東の空は、すでに朝の気配が濃厚だ。近所をぐるりと廻って、空が明るくなってきたのを力に、すこし遠出する。有名な神社まで足を延ばし、銘水を汲みに来ている人たちの姿を横に見ながら、引き返す。1時間と少し歩いて、帰宅。そのまま炊飯器のスイッチを入れて、ゴミ出しの準備。まだ静かなマンションの共用廊下を歩いてエレベーターへ。1階まで降り、ゴミを捨てて引き返す。廊下を部屋に戻りながら、北の方を眺めると、京都市街の向こうに広がる北山の一画、愛宕山の裾野の切れるその先辺り、保津峡があるところから白い霧がゆっくりと市内へと流れ込んで来ているのが見える。亀岡盆地の放射霧が渓筋を伝って、京都まで川が流れるようにやって来たのだ。京都の秋から冬の情景の一つである。そう言えば、今日の「歩き」は、少し肌寒いほどであった。良い天気である。
久しぶりに、炊飯に失敗する。中途半端な量を炊いたので、水加減が微妙に少なかったらしい。芯だらけのご飯となる。水をさして炊き直そうと思ったけれど、ちょっと無理そうなのであきらめる。その上、炊飯のさい異常電流が流れたらしく、ブレーカーが落ちていたのが、なんとも気味が悪い。改めて炊き直す。丹後から送ってもらった新米を炊く。朝、甥が食べるかと思ったら、甥もパン食だったので、新米を食べるのは昼ご飯になりそうだ。蟹の穴も出来ていて、今度はなかなか美味しそうに出来ている。もう10年以上使っている炊飯器なのだが、よく頑張ってくれている、と思う。
スカイプというのは、ずいぶん便利なソフトだと思う。昨日も、郷里の母がアメリカに留学中の姪とスカイプを使って話をしたという。動画もちゃんと出るので、本当にテレビ電話のようである。ルームメイトの韓国の人ともちょっと挨拶をかわしたそうだ。17時間の時差があるので、通話する時間帯に配慮が必要だけれど、何かあれば顔を見ながら普通に話ができるので、使い勝手の良いソフトである。私も、先日繋いでみたけれど、会話はごく普通に出来るけれど、回線状態の関係か、向こうからの動画が静止画像状態になっていたのが残念であった。
平畑静塔俳論集を読み次ぐ。新興俳句の成果と限界など、ずいぶん緻密な論考が為されていて読み応えがある。『天狼』に対する強い思いなども、感銘を与える。『俳人格』に繋がる論考なども興味深い。この人は、本当に頭の良い人なのだな、という事をつくづく感じる評論群である。『芭蕉、旅へ』も読み継ぐ。芭蕉筆とされる「旅十体」の絵に対する解釈を元に、芭蕉の一連の旅の文章並びに、芭蕉自身の旅に対する思いなどを論究する内容。何となく強引な部分が無いわけでもないような気がするけれど(素人の勝手な印象だが)、しかしこんな切り口で芭蕉の旅について語っている文章は初めてなので、面白い。
茶番劇のような総裁選も終わり、問題山積のまま総選挙に移ろうかという趨勢ではあるようだ。日本の屋台骨は、ほんとうにガタガタになっている、という事を思う。

【08年9月21日】
外は、ひどい雨が降っている。滋賀県の方は大雨警報が出ているらしい。強い雨の膜のために、視界が数十メートルほどしかない状態だ。その上、どうやら雷まで鳴り始めた。本当に不安定な天気である。
朝、4時過ぎに目を覚ます。久しぶりにひどい耳鳴りに驚く。左耳の方が、キンキン鳴っていて、少々心配になる。しばらくそのまま横になっている。20分ほど静臥していると、ようやく落ち着いてきたので、そのまま二度寝する。5時半頃、目を覚まし、起床。居間に入って、カーテンを引くと、マンションの大規模修繕工事用の足場がベランダの外に組んであって、なんとなく落ち着かない。本格的な工事が始まる前に、ベランダ内の荷物の整理をしておかなければならない。
昨日は、結局半日、NTTの光フレッツのセキュリティーソフトの最新バージョンのインストールで潰してしまった。まず、自分でやってみて上手くいかず、電話相談を3度かけ、指示通りの手順で繰り返しアンインストールとインストール作業をおこなうけれど、きまってアウトルックのところで、操作が止まってしまう。プレインストールされてあったセキュリティーツールの影響下とも言われ、それを削除して操作を繰り返してみても、同じ事。30分ほど接続操作が続いて、結局サーバーが反応しないとの警告が出る。こちらは何をしているわけでもなく、パソコンの動きを見ているだけなのだが、変な具合に消耗してしまう。夕方になって、操作をほったらかしにしておいて、気分転換の散歩を兼ねて、夕食の買い物に出て、1時間ほどして帰宅して、結局また同じところでストップしていて、改めて電話相談しようとしたら、相談時間をオーバーしていたという有様。夜、手順は憶えてしまったので、再度インストールを試みるが駄目。嫌になって、中止。それが、昨日の午後から夜にかけてのことだ。何とも時間を無駄にしたように思うけれど、何となくパソコンが不調というのは落ち着かない。私も、かなりのPC依存状態になっているのかもしれない、と思う。おそらく、この事が今朝方の耳鳴りに繋がっているように思う。
セキュリティーソフトは、今朝、前のバージョンをインストールする。ごくあっさりとインストール完了。やはり新バージョンには、インストールのどこかに問題があるのではないか、と思う。
アメリカに送った姪の荷物の一部が返送されてきた、という。何かの手違いがあったのだろうか。色々とややこしいことではある。
ついでのことだけれど、NTTはトレンドマイクロの「ウイルスバスター」を使っているみたいだけれど、セキュリティーソフトがインストール出来ないので、とりあえず「ウイルスバスター2009」の30日お試し版を入れておこうとしたのだが、やっぱり同じく「アウトルック」のところで、フリーズみたいな状態になってインストール出来なかった。仕方ないので、ADVのフリーソフトを臨時に入れておいたのだけれど、こちらは問題なく入る。あるいは、NTTの問題というより「ウイルスバスター2009」のインストールに問題があるのではないか、とも思う。

【08年9月20日】
本日、姪がアメリカへ旅立つ。1年間の留学生活を送るためだ。台風13号の影響が心配だったのだが、たぶん大丈夫だろう。一度、郷里に帰り、途中京都にも遊びにやって来て、18日には東京に戻り、今日出発ということだ。「わくわくしている」「(英語)ぺらぺらになってきます」とメールを貰う。いずれにしても、出発というのはなかなか良いものだ。甥は、その姪を見送るために一時帰郷。明日までは向こうにいる予定のようである。
15日。その甥とその仲間達の初めてのコンサートを聴きに、明石まで出かける。京都から、新快速で1時間余り。初めての町である。小雨もよい、やがて本降りという生憎の天気であった。会場は明石市民ホール中ホールで、少し早めに着いたので、会場から5分ほど歩いて海を見に行く。防波堤には、小鰺のサビキ釣りをする人たちがずらりと並び、左手遠くない所に小雨に霞んだ明石海峡大橋がゆるやかなアーチを描いて本州と四国を繋いでいるのが見える。本州側の起点が、ビルの林立の中から始まっているのがちょっと異様な感じを与える。対岸は緑の谷間の中へ入り込んで行く。その巨大な橋の下を、タンカーから漁船まで大小の船舶が行き来しているのだが、その数が並みでないのも、いかにも瀬戸内海という気がする。タコフェリーなどという、船腹に巨大な蛸の絵を描いた船が航行しているのも面白い。傘の中から、しばらくそんな景色を眺めているうちに、開演時間が近づいたので、会場へ戻る。ちょうど、大ホールの方では、明石フィルハーモニーの定期演奏会が同じ時間に開演予定で、その聴衆達がぞくぞくとやって来るのを横目に見ながら、中ホールへ向かう階段を上っていく。ホール前ロビーで弟夫婦と合流し、会場へ。特別出演のチューバ四重奏を含む金管五重奏の演奏を2時間ほど楽しむ。皆、最初はちょっと緊張気味であったが、曲目が進むに連れて、自然な感じになってくる。後半は、ギャグなども交えたちょっとブラバンの定期演奏会風な内容となる。第一回目の演奏会としては、良かったのではないかと思う。終演後、車で駅まで送ってもらい、そこで弟夫婦と別れ、帰る。その日、甥が帰宅したのは10時過ぎくらいであったか。疲れがでないかと心配ではあったが、大丈夫のようだった。
今週は、残暑が続いたせいか、仕事は4日間とはいえ、疲れてしまった。帰宅後は、食事をとると早々に寝につく毎日で、「日々録」の更新も滞ってしまった。碌に本も読めず、かろうじて『芭蕉、旅へ』というちょっと変わった内容の岩波新書を半分ほど読んだ程度。
土曜日。五時過ぎに起床。「歩き」に出かける。朝が遅くなっていることを感じる。中天に月が明るい。まだ薄暗い中を歩く。行き会うのは、新聞配達の人と、「歩き」の人、早い出勤の人と、時に朝帰りの若者といったところか。台風一過とは言え、爽やかというわけではない。少々湿度が高いようだ。1時間歩いて、帰宅。洗濯も滞っていたので、大量の洗い物。朝食の用意をしつつも、まずコーヒーをたてて飲んで、一息つく。体温は毎日測っているのだが、昨日新たに買ってきた体温計が、何度測っても35.5度を超えないので「??」状態となる。安いのを買ってきたのだが、文字通り「銭失い」となってしまったかと悔やむ。

【08年9月14日】
「すき句会」。宿題は、「古池に蛙飛び込む」の下五付け、「古池や」の中七下五付け、「花火」と当日の席題「鬼灯」であった。「古池〜」の二題は難しい宿題であったが、意外と面白い句が出ていて、楽しんだ。「鬼灯」は、岩城先生の丹後のお宅に飾られていたもので、ふと目に止まった和室の奥に置かれた犬のビッキーの遺影とからめて1句を作る。挨拶の句である。一人11句投句11句選。うち、特選3句。投句数はいつもより多い。
5時前に句会は終了。その後、しばらくMさんを交えて、俳句談義。今日の投句の中でMさんの1句は大変感銘を受けたものであった。純度の高い自然詠であった。途中、清水さんから岩城先生に携帯が入る。関西に来ておられるらしい。今日は、駅まで歩きなので、早めに先生宅を辞去。残暑気味の通りを駅に向かう。途中の中学校は、今日が運動会だったらしく、生徒達がちょうど下校しているところに行き会う。皆ちょっと興奮気味で、今日一日を楽しんだという様子が伺える。駅前のコンビニで夕食代わりの弁当を購入。プラットフォームで電車を待っていると、岩城先生の奥様から携帯。丹後産の新米を送った、とのこと。食べ盛りの甥もおり、感謝。電車の中で、窓外の低い山並みの向こうに広がる夕焼けなどをしばらく眺める。綺麗なものである。
9時前に帰宅。郵便箱に先日の人間ドックの結果の入った大判封筒が届いていた。部屋に帰って、早速見る。経過観察の部分もあるが、概ね異常なしということで、安心する。そういえば、今日投句した句の中に「バリウム」を素材とした作があったのだけれど、それは人間ドックでのことをもとにしている。特異な材料ということかもしれないが、岩城先生の選に入った1句ではあった。
京都駅構内にある某書店で、平畑静塔俳論集『「京大俳句」と「天狼」の時代』を見つけ、3500円と高かったけれども購入。丹後行きの車中で少し読む。帰りは『女性俳句の世界』の続きを読む。橋本多佳子、三橋鷹女、中村汀女、石橋秀野と読み進む。京都着。電車を乗り換えて、一駅前で下車。マンションまで歩く。明日は中秋の名月と思いながら歩くが、生憎月は雲の向こうに隠れたままであった。少々、蒸し暑い。

【08年9月13日】
土曜日。5時過ぎに起床。「歩き」に出ようと思ったが、あいにくの雨。しかも、かなり強い降りである。仕方なく、中止。資源ゴミの整理をして、階下まで運ぶ。ついでに、向かいのコンビニで朝食用のサラダや牛乳などの買い物。朝食の準備をし、まだ眠っている甥の分は冷蔵庫に収めて、朝食。コーヒー豆をいつもと変える。香りと味が変わってなかなか良い。今日は、丹後の「すき句会」の日。雨もよいの丹後に出かける。
金曜日。退勤後、京都市内まで。ミューズの「第九」団員募集の〆切が迫っているので、ともかく申し込みだけはしておこうと、出かける。いつもの、駅前ビルが会場。すでに練習自体は数週間前から始まっているはず。受付で申し込み用紙を貰い、記入後、団費とともに提出。発声練習の声が聞こえるけれど、今日はこのまま帰る。時間が少し遅いので、外で食べることにする。回転寿司に入る。店内はほぼ満員状態で、一人ということもあり、一番奥の席に案内される。加工された食材が多く、新鮮ネタが少ない。すし飯が皿にくっつく。さらに悪いことには、蠅が一匹目の前を飛び回っている。横で、生ビールを飲みながら寿司をつまんでいたおじさんが、「蠅が飛んでるじゃねーか。」と小声で言う。早々に退散する。
帰宅後、しばらくして甥も帰ってくる。少々疲れ気味の様子。15日には、A市の市民ホールを借りて、他のメンバーと一緒にミニコンサートを予定していて、その追い込みでかなり疲労がたまっているようだ。当日は、郷里から弟夫婦も聴きにいくらしい。私も出かけてみようか、と思う。ちなみに、ちょうどその日は、職場の隣の席の同僚の先生が属する「深草交響楽団」の定期演奏会の日で、日程がかぶってしまって聴きにいけないのが残念だ。
金子兜太読了。歌舞伎の用語解説の本も読了。上野さち子著『女性俳句の世界』を読み始める。杉田久女にたいする虚子の理不尽と思える仕打ちを読むにつけ、残酷でもあり無惨でもあると思う。金子兜太の別の著作を見つけて読み始める。芭蕉連句集は『猿蓑』まで読んで、一休み状態。

【08年9月10日】
火曜日。重陽の節句。朝から、大変良い天気だ。湿度が低く、涼しくて気持ちが良い。今日、明日の両日は学校祭。午前中は、仕事の合間に、演劇や展示、そして顧問をしている茶道部の様子などを覗きに行く。午後は、出張。京都市内の某大学。入試説明会並びに意見交流会。高校側からの質問が相次いで、予定時間を大分超過して終了。説明会場で、数年ぶりに知り合いと出会う。以前、同じ職場で、数年間は一緒に合唱にも参加していた人だ。地下鉄で帰りながら、思い出話など。懐かしくて、話が弾む。
買い物をして帰宅。すでに甥は帰って来ていた。甥が下ごしらえしていたサーモンが主菜で夕食。美味。今日は、出張の関係もあり、15000歩ほど歩き、少々疲れる。早めに横になる。ここ数日、金子兜太の『わが戦後俳句史』を読んでいる。戦中から戦後にかけての、回想も含めて有名、無名の多くの俳人達との交友が語られていて、それがとても印象的だった。人間と生活に対する作者の愛着を感じさせる著作であった。それが同氏の俳句を支える力のようにも感じられた。
水曜日。文化祭、二日目。昨日同様、仕事の合間に観劇。通して見られたのは授業を担当するクラスの1本だけだったが、思っていた以上の出来で感心する。高校生の演ずる演劇というのは、上手・下手と言うことを越えて、なかなか魅力的である。


【08年9月6日】
居間は東向きなので、朝の遅い時間帯まで日が差し込む。寒い時期はありがたいのだが、夏、そして残暑のこの時期は、暑くて困る。結局、カーテンを閉め切った状態で、エアコンをかけて過ごすことになる。朝、6時前に起床。朝の「歩き」。なんとなく蒸し暑い。まだまだ爽涼の候とはいかないようだ。マンション横の小川は、河川工事の後、僅かに水の流れる人工河川に変貌してしまったけれど、一夏を終えて、緑の細長い藻が水流に揺れたりしている。1時間ほど歩く。帰宅後、朝食。同僚の人がパン作りの名人で、わざわざ作ってくれたふわふわパンと胡桃・ブドウ・乾燥無花果入りの黒パンを食べる。美味である。特に、乾燥無花果の食感が絶妙である。無花果はちょっと苦手な果物なのだが、これはおいしい。
金曜日、姪が帰郷。洗濯を済ませておいてくれたのが有り難い。また、甥との二人暮らしが始まる。夕食は、その甥が作った豚丼。なかなか美味しい。当たり前に料理を作る腕は、父親譲りなのだろう。今日は丹後行き、と思っていたら、こちらの勘違いで、実は来週だった。残念である。かなり厄介な宿題が出ていたので、どうしたものかと思っていたのだが、もう1週間の猶予が生まれた。ただ、どこかに出かけたい気持ちが残ったので、今日も暑そうだけれど、どこかに出てみようか、と思う。甥は、今日も大学へ練習に出かける予定。
芭蕉の全発句集を読み終え、連句集に取りかかる。連句は1句の背景まで分かっていなければ、その句の面白さや付け合いの面白さが分からないので、解説と首っ引きで読んでいる。なかなか厄介。しかし、世界がどんどん展開していくそのスピード感は、意外性をともなう楽しみであり、ある種爽快ですらある。好みのネタなどは、繰り返し使われる事もあり、解説抜きで理解できる時はちょっと良い気分である。昼は服部幸雄著『歌舞伎のキーワード』を読み、夜は連句集を読むのが、この1週間の読書である。そう言えば、姪は京都にいるあいだに、村上春樹を何冊か、読んでいたようだ。帰郷に際し、荷物の中に本棚にあった『海辺のカフカ』を追加したりもしていたものだ。村上春樹の最高傑作は『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』だ、というのは二人共通の見解だった。
京北町から帰った日曜日の午後、1時間ほど遅れて『醍醐会』に参加。今回は、俳人の友岡子郷氏から師の飯田龍太についてのお話を聞く会。回想談も含め、友岡氏から飯田龍太氏の人物と俳句についての話。質問者は、対中いずみ、岩城久治、中村堯子の三氏。各氏の切り込み方も面白かった。5時前に終了。そのまま場所を移して、二次会。宴会を解禁した私も、久しぶりに参加。文字通り談論風発状態の二次会を楽しむ。1時間半ほどいて、早めに退席する。席上、次回の『醍醐会』の「近作百句」のレポーターの一人としての依頼を受ける。
火曜日の人間ドック。その場での診断では特に異常はないとのことで、ほっと一息つく。10月末には、1年目の検診が控えている。

【08年9月3日】
9月に入って、思い出したように暑さがぶり返す。昨日、甥が帰京。9月半ばにはアメリカへ1年間の留学に出る姪も、一緒に来る。姪は、京都の知人に会ったり、京都の町を楽しんだりする予定。甥の学校にも行ってみるつもりのようだ。今日は、夕方から知人に会いに出かけている。私と甥は、姪が作り置きしておいてくれたクリームシチューをおかずにして、夕食を食べる。こってり風味のシチューは、なかなか美味しい。
土曜日、京北町へ知人達と出かける。2年ぶりの「鮎網」の会。鮎の網漁の解禁の日に出かけて、大いに鮎を捕り、かつ食べようという集まりであったが、2年前は5匹しか採れず、夜の宴会の時、お隣さんから大量に鮎を頂いたものだった。知人の家に荷物を置き、徒歩で近所の川へ。すでに何組ものグループが、川のあちらこちらに点々と散らばって網漁を行っていた。我々も、早速川に入る。2枚の縦長の網を両岸に張り渡して、上流と下流から魚を挟み撃ちにするようにして、鮎を追い込んでいく。最初は冷たいと感じた川水もそのうち気にならなくなり、太ももの上辺りまで濡らしながら鮎を追い込む。鮎は両岸の草むらが被さる辺りに逃げ込んでいるので、石を投げ込んだり、棒で草むらをたたいたりして追い出す。水中に渡された網の鮎がかかると、白銀の鱗がきらきらと輝いてなかなか綺麗なものだ。数度、網を張り替えて漁を続け、計21匹の鮎を捕まえる。なかには20センチほどのものもまじっている。
夜は、買ってきた肉やら獲ってきた鮎やらで、屋外の宴会。獲りたての鮎が美味しい。内臓もたべようと思ったのだが、砂が混じっていてちょっと食べられなかったのも、醍醐味のひとつかも。十一時くらいまで、飲み食いかつ喋り、最後は手花火で締めくくり。楽しい、一日であった。
日曜日。昼から市内で用事があるため、一人だけ早めにバスで帰る。峠越えのバスの車窓から見下ろした藍色の鮎の川が印象的だった。
月曜日、勤務。火曜日、人間ドック。バリウムを下ろす下剤が、しばらく落ち着いていた後遺症を誘発して、腹痛に苦しむ。来年からは、胃カメラを飲むことに(嫌だけれども)する。