日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。

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【08年10月26日】
日曜日。6時過ぎまで寝る。金曜日の夜更かしの影響が、今日出たのであろう。朝の「歩き」は中止。天気は、良くない。まだ、雨は降らないけれど、いつ降ってもおかしくないような空模様である。昨日は、工事の音が聞こえていたが、今日は静かだ。
とうとう雨が降り始め、しとしとと降り続いている。工事用のシートが建物全体を包み込んでいて、視界が靄がかったような状態であるうえに、この雨もよいで、少々鬱陶しい思いである。今日は、外出もままならない。「歩き」も中止であろう。
甥は、部屋籠もり、母は煮物を置いて、ソファーで角川『俳句』をぱらぱらと読んでいる。鍋の音がことことと聞こえる。長閑と言えば長閑なひとときではある。
復本一郎の『俳句源流考』を読んでいる。大部な一冊。愛媛新聞社刊なので、新聞に連載していた文章なのだろうか。タイトル通り、俳句の源流としての「俳諧・発句」についての多面的な考察のようだ。

【08年10月25日】
5時前、起床。「歩き」に出かける。昨夜、テレビで歌舞伎を見ていて、夜更かしをしたせいか、眠い。歩いているうちに、次第に目が覚めてくるという有様であった。1時間歩いて、6時になっても、まだ薄暗い。夜が長くなった事を実感する。空には、細月が雲間に輝いて見えた。帰宅後、第4土曜日は、リサイクル品を出す日なので、新聞やペットボトル、アルミ缶と鉄缶などを分別してマンションの所定の場所まで持って行く。朝食の準備、そして朝食。その後は、洗濯2回、掃除、ついでに新しい洗剤を買ってきたので、風呂場を綺麗に磨き上げる。気が付くと、8時になっていた。
昨日は、「第九」の日。一旦帰宅してから練習会場へ。今日は、男声合唱の練習もある。9時15分まで、ほぼ立ちっぱなし。練習を終えて、混んだエレベータを避けて、9階の会場から地下1階まで、階段を使って降りるのだが、足ががくがく状態となっている。いつもの駅高架下のパン屋で朝食用のパンを買う。時間が遅いので、欲しいパンは売り切れの事が多い。色々の種類のものを買う。帰宅は、一駅前で下車、歩く。今日の歩行は、ほぼ15000歩。
『第二芸術』。最後は、子ども達には、学校教育で俳句を教えるな、という提言で終わっていた。何年か前に、俳人協会なのか、個人的見解なのか、教科書に自由律俳句を載せるなと提唱したとか、しないとかという事があったらしいけれど、外と内の違いこそあれ、何とも狭量な事であると思ったものだ。それが、当時の進歩的主張の軽薄さであり、最近の俳句界の狭小さだったのだろうか、などと思う。
午前中のうちに、『鼎座』の校正を終えようと思う。夕方、郷里から母が来京予定。

【08年10月23日】
『鼎座』第10号のデータを印刷所に渡してから、数日を待たず、ゲラ刷りが上がってきた。早めに校正を終えて、印刷所へ返す予定。10月中には仕上げると言うことで、印刷所の方も頑張ってくれるようだ。ほぼ1年ぶりの発行ということになる。ちなみに、本日名村早智子さんから『玉梓』11・12月号を送っていただく。
茂木健一郎・黛まどか共著の『俳句脳』を読む。茂木氏の評論、二人の対談、黛氏のエッセイという構成の本。黛氏の文章は、俳句全般に目配りをきかせた俳句入門書としてうってつけの一文となっているように思う。なまじ、入門と銘打った実作鑑賞本などを読むより、こちらの文章の方が断然良い。筆者も、啓蒙的な意図も含めて、自己の俳句観も交え丁寧に話を進めておられると思う。
桑原武夫の『第二芸術』を読む。今にして、このどこか青臭い感じを残す評論が、戦後間もない俳壇に大きな波紋を投げかけたと言うのが、やや意外な気もする。戦後の文化状況や時代状況があって、当時の俳壇が、過剰に反応したような部分がありはしなかったのか、などと思ったりもした。その点、虚子の姿勢や西東三鬼の態度などは、ある種大人としての応対であったのかもしれない。
本日で、中間テストは終了。採点、成績処理は昨日のうちにすべて済ませ、今日は授業準備と、新たな就職斡旋、公務員指導などに追われる。昨日は、時代祭と鞍馬の火祭。2年連続して、火祭りに行ったこともあったけれど、もうなかなか見にいけないかもしれない。

【08年10月19日】
朝、5時過ぎに目を覚ますが、朝の「歩き」は中止。昨日、ずいぶん歩いたので、少々疲労気味。昼間の「歩き」に切り替える予定。良い天気なので、どこかに出かけようかと思う。
土曜日。午前中は、『鼎座』の編集作業。ついでに、「発想の森」の作品を手直しする。プリンターで原稿を打ち出して、見本本を作り、データ自体はフロッピーに入れて準備完了とする。試しに印刷所の担当に携帯を入れるが、通じず。土曜日だしね。あり合わせのもので、昼食。午後、出かける。中京区辺りをぐるりと歩く。風は涼しく、日陰は気持ちよいのだけれど、日射しだけは未だにぎらついているような有様。秋暑しといっても、すでに10月半ばである。
夕方、帰宅。コンクールの結果を聞こうと、実家に電話するが、通じず。まだ帰ってきていないようだ。発泡酒を1缶飲み、あり合わせの夕食。夜、再度電話を入れると、今度は通じる。結果は残念だったけれど、審査員の評価はずいぶん高かったようだ。参加者中、1名のみが中央大会へ行くことになったようだ。
昼間、歩きすぎたせいか、眠い。8時過ぎに、寝室に行き、本を読もうと思いながら、ごろりと横になったら、そのまま眠ってしまった。12時過ぎに一度目を覚ますが、そのまま寝る。夢の中に、いつもの小さな家が出てくる。引っ越し先の家である。いつもは二間なのに、今回は玄関の脇に三畳ほどの板間の部屋が出来ている。引っ越しを終えて、母や甥、そしてお隣さんなどが集まって引っ越し祝いのような事をやったりする。やがて、外は雨が降り出したようだが、すると奥の間がひどい雨漏り状態となる。天井一面から、雨漏りがぼたぼた落ちてくる。部屋の中の家具もびしょぬれになり、どうしようと思っているうちに目が覚める。妙な夢であった。

【08年10月18日】
週末となる。風邪が抜けきれず、少々鬱陶しい1週間であった。中間試験を来週に控え、授業の方も追い込み、さらに試験作りも加わって忙しかった。
金曜日。夜は、「第九」の練習。男声合唱の部分を除いて、ひととおりさらい終える。今回の「第九」は、いままでとちょっと違うという印象を持っている。本番指揮者によって、毎回違った「第九」になるのは当然のことかもしれないが、今回は全体の印象がずいぶんと違う。特に、最後の部分などは、えっ! と思うほどの、今まで一度も歌ったことのないような終わり方なので、いまだに上手く歌えない状態である。最終的にはどのような「第九」になっていくことか、楽しみである。チケットは現在900枚弱売れているようである。まだ、空席が500席。これはなかなか厳しい。
甥は昨日から帰郷。週末に全国大会につながるコンクール二次予選に参加するため。今回は、実家の近くの街で開催されることになったので、帰省することになった。明日には帰ってくるはずなので、コンクールに出てほとんどとんぼ返り状態である。朝、5時前に「歩き」に出る。外は、まだ夜そのもので、中天に下弦の月が煌々と輝いていた。長袖で歩くが、それでもずいぶん寒い。町中とはいえ、草むらなどがあれば、虫の鳴き声が聞こえるが、それも気のせいか弱々しいものとなっている。1時間ほど歩いて帰宅。まだ朝日は昇っていないが、空は縹色に綺麗に晴れ渡っている。洗濯と同時進行で、一人分の朝食を準備し、食べる。ベランダは工事の関係で出ることが出来ないので、洗い物は室内干し。二つの干し台が鈴なり状態となる。乾燥を早めるつもりで、ドライをかける。『鼎座』の編集が、この1週間滞った状態だったので、今日のうちには完成しなければならない。今号は私と清水さんの特別作品50句を載せるので、ページ数が一気に6ページ増となる予定。
往復の車中の読書。姜尚中著『悩む力』を読む。漱石とマックス・ウエーバに触れつつ、自己・金・知性・青春・宗教・労働・愛・死・老い等の様々な問題について、現代という状況を踏まえながら、考えを語る。その姿勢にはやや古風な印象を受けるけれど、真摯で誠実な態度が伝わって来る論評である。夜は、俳文集か蕉門の連句を読んでいるが、面白いのだけれど、すぐに眠くなってしまうので困る。

【08年10月12日】
土曜日。丹後の「すき句会」の日。3連休初日で、「はしだて1号」は満員状態であった。昨日、切符を購入しておいたのは、正解だった。車中では、いつもの通り句作、その後車窓の晴れ曇る景色を眺めつつ、ぼんやり過ごす。少々眠い。宮津で各駅停車に乗り換え、時折強い日射しが射す中を、丹後大宮まで移動する。駅舎内の喫茶店で昼食を取ろうとすると、今日はお祭りなのでとメニューが制限されている。オムライスとコーヒーを注文して食べる。まだ時間的に余裕があるので、少し大回りして岩城先生宅へ向かう。いつもなら、野球の練習をしているはずの中学校のグランドに、子ども達の姿が全く見えない。やはり、お祭りのせいなのだろうか。各戸ごとに、弓張り提灯が飾られ、あちらこちらに幟が立っているのが見える。宿題の「十三夜」の句を考えながら歩く。すでに頭の中に着想が一つあるので、それがなんとか句に纏まらないかと思いつつあるいていると、ふっと素材がひとつ浮かび、するすると1句の形を取った。表現を整えて、何となく面白そうな1句が出来上がる。ほどなく、岩城先生宅到着。
本日の句会は、久しぶりにほぼフルメンバーの参加となる。宿題は「十三夜」。当日の課題は、「着せ綿」。重陽の節句にまつわる行事の一つだそうだ。一人10句投句なのだが、投句数がずいぶん多くて、結局5時近くまでの句会となる。30分ほどの延長句会。面白い句が25句ほどあって、それを10句に絞り込むのに苦労する。参加の皆さんも、ずいぶん苦労をしている様子である。駅から先生宅までに出来た1句は、岩城選を含め、幸い本日の最高得点句となる。こんな事は「すき句会」に参加して以来初めてのことである。句会が終了し、ビールをごちそうになりながら、しばらく四方山話。帰りは、Mさんに駅まで来るまで送っていただく。岩城先生から『鼎座』の原稿を受け取る。しばらく中断していた『鼎座』第10号の発行準備にかからなければならない。駅まで送っていただくと、偶然駅前の路上で、お祭りの太刀振り踊りが行われていた。屋台に太鼓を置き、子ども達が笛を吹き、中学生くらいの男の子達が法被風の衣装に小型の長刀の様な物を手にして、ゆったりと踊り始める。ちょっとアクロバチックな振り付けを時折交えた踊りは、見ていて楽しい。中学生の子ども達がちょっと緊張した表情で踊っているのも好ましい。10分ほど、見物をして、駅へと向かう。
帰りの車中は、がらがらに空いていた。途中から、前の席をぐるりとこちらに回して、一人で4席独占状態となる。靴を脱いで、足を延ばし、姜尚中著『愛国の作法』を読む。重い内容。
日曜日。5時から「歩き」。真っ暗で、頭上にオリオン座が輝いていた。中の三つ星、さらにその中の二つ星まで見える。20分ほど歩いていると、みるみる空が明るくなってくる。1時間ほど歩いて帰宅する頃には、東の空はまだ太陽は昇っていないけれど、綺麗な朝焼けが広がっていた。帰宅後、洗濯。朝食は、茄子の炒めたものだけ作って、ご飯は昨日の句会の後で、Kさんからいただいた栗ご飯を食べる。美味。サツマイモのみそ汁も作り置きがあったので、それも飲み、秋満載の朝食となった。朝食後、ベランダの片付けを行い、大量の洗濯物を干す。

【08年10月11日】
『寺山修司全歌論集』を読み継ぐ。歌人論の中の「塚本邦雄論」が面白い。寺山が師の一人と考えている塚本邦雄の論ということで、作品細部の鋭い読み込みと、作家の全体像の真摯な追究の姿勢が相まって、寺山の描く一人の作家の姿が論の向こうに立ち上がってくるようで、大変面白かった。
風邪気が抜けない。医者に行き、漢方薬を貰って飲んだけれど、かえって調子がおかしくなり、市販の薬に戻す。合わなかったのだろうか。
金曜日、夜。ミューズの「第九」の練習に行く。ちょうど、本日からチケットの販売が開始される。早い人は、5時から並んで、チケット購入の順番を取ったらしい。私も必要枚数を購入。すでに良い席はかなり売れてしまっていた。結局、1日で700枚強チケットが売れたらしい。予定席数の半分ほど。これから、どれだけ販売数を伸ばすか、が問題になってくる。9時過ぎまで、練習に参加。合唱のほぼ8割まで練習が進む。来週は、残りの部分と、男声合唱。その次の週の週末は、京北町で1泊2日の合宿が持たれる(私は、不参加)。練習を終え、いつものパン屋で朝食用のパンを購入。酔っぱらいのおじさんたちが、山盛りのパンをトレイにのせて並んでいるのだが、その声がうるさい。一駅前で下車。10時前の夜の街を久しぶりに歩く。薄雲の向こうに月影が見える。
土曜日。朝から、雨。本日は、丹後の「すき句会」。3連休の初日ということなので、昨日のうちに切符と指定席券を購入しておく。金曜日、夜の緑の窓口はずいぶん混んでいた。外人さんの旅行客が、その列の中に3組。後ろに並んでいる二人組の人は、どこの国の人だったのだろうか。顔立ちは中東辺りか、と思う。二人で、頻りに小型カメラをいじっていたりしたものだ。

【08年10月7日】
日曜日。発熱のため、一日臥せる。甥も、体調が悪く、一日部屋籠もり状態であった。
月曜日。休むわけにもいかず、出勤。甥は、今日も体調が良くなく、休んでいる。こちらも、今ひとつの状態なので、思い切って時間割を調整して、授業のみ穴が空かないように組み替えて、午後年休、帰宅する。果物や夕食の総菜などは買って帰らなければならないので、駅から最寄りのスーパーに立ち寄って、必要な物だけ購入して帰宅。甥も私も昼食がまだなので、食欲がないという甥は、メロンとバナナ、私は買ってきた寿司を食べる。以後、臥床。
火曜日。まだ本調子という訳ではないが、出勤。甥はまだ寝ていたが、調子は大分良くなっている様子ではある。放課後まで勤務して、また状態が悪くなってきたので、2時間年休を出して、退勤。夕食の買い物だけすまして、一度帰宅。その後、病院へ。診察を受け、薬を受け取って帰宅。甥は、大学に行っていたようで、7時前に帰宅。夕食は別々に食べる。
『寺山修司全歌論集』を少し読んでいる。思ったほどには面白くない。ペダンチックな面が、ちょっと鼻につく気がする、ただそんな論評のスタイルもあの時代の匂いという所もあって、多少は懐かしいような気もする。

【08年10月5日】
土曜日。久しぶりに、鴨川河畔を歩く。北大路から上賀茂神社、そこから引き返して、地下鉄北山駅まで。ずいぶん暑くて、汗をかきながら歩く。時折、吹く風は涼しいのだけれど。
夜。『富澤赤黄男全句集』の日記部分を読む。ただ、日記と言いつつも、日付を消し(本文は「 月 日」としか、書いてない)、作者の個人生活は一切書かれず、想念やイメージの断片的書き付けとか、詩作品の一部という内容。富澤赤黄男の詩人体質(そんな言葉があるかどうか、知らないが)を強く感じる。
寝苦しいのでおかしいな、と思ったのだが、念のため体温を測ってみると、熱があった。「冷えピタ……」を探して、とりあえず額に貼り付けて、寝る。少し寝やすくなる。
朝、さらに熱が上がっていた。朝食の準備をして、自分だけ食べる。食欲は普段通り。コーヒーもお代わりして飲む。甥は、一度起きていたようだが、また眠ってしまったようだ。薬を飲み、今日は一日横になっていようと思う。疲労なのだろうか。

【08年10月4日】
土曜日。5時過ぎに「歩き」に出かける。外は、まだ暗い。夜の町を歩いているような様子だが、東の空にはすでに夜明けの気配がある。やがて、1時間ほどの間に、みるみる明るくなっていく。朝の歩きは、その世界が短時間に変わっていく様子を目の当たりに出来ることが、なかなか楽しい。さすがに、少々寒いので、短パンに長袖という珍妙なスタイルで歩く。山歩きなどしてみたいなと、最近ちょっと考えている。ただ、長時間の歩きは、まだ自信がない。ずいぶん体力が落ちているな、という実感があるからだ。フルマラソンに挑戦したり、毎日のようにジョギングに励んでいたのが遠い遠い昔、という感じである。
金曜日。年末の「第九」に向けて、ミューズのレッスンに出かける。ただ、会場がはっきりしなかったので、嫌な予感を感じながら、いつもの会場へでかけてみると、案の定別会場で本日は練習が行われていた。仕方がないので、さらに地下鉄を乗り継いで市内まで出かけ、何とか後半練習に参加する。募集を1週間延長して、団員を募ったようだけれど、結局200名に満たない団員数で今回の「第九」はスタートすることになったようだ。若干人数は少ないけれど、今回のテノールメンバーはなかなかのもの、とまず感心する。練習は、思った以上に進んでいて、通しの練習が中心であった。久しぶりに歌ったのだが、これまた思った以上に声が出るのも意外なことであった。そのことに力を得て、今回の男声合唱は「テノールU」パートを申請してみることにした。練習を終え、十字屋で志ん生のCDを1枚購入して、帰宅。甥はまだ帰って来ていなかった。結局、帰宅したのは11時くらいではなかったか、と思う。忙しいことだ。
『蕪村』読了。後書きに、岩城先生が出しておられた文芸誌『参』(第1期と第2期の『参』があるのだけれど、そのうちの第1期に該当)のことがちょっと出てきているのに気づく。第1期『参』に藤田先生は「夜半亭日乗」という文章を連載されていたのだ。私が蕪村のことについて知ったのは、その文章がきっかけだったように思う。
木割大雄氏から『カバトまんだら通信』を送っていただく。俳人の村上鬼愁と言う方の追悼文、木割氏の師である赤尾兜子氏の追想文、そして近作と言う内容。近作より数句紹介させていただく。「切株に春の滝音すさまじく」「涼しさや君が遺骨を手のひらに」「ヨットより遙かに見ゆる君が街」「蛍狩りまず眷属のありにけり」「晩年はついて行きたし蟻の列」「御嶽までサンゴ踏み行く暑さかな」「赤瓦雨戸がなくて涼しくて」「左より時は流れて端居かな」

【08年10月2日】
10月になった。本当に早いものだと思う。昨日、免許更新講習の残りの分の結果が郵送されてきた。必修講座12時間、選択講座6時間のいずれも合格と言うことで、履修済み証明が届いた。これで、免許講習は、更新手続きを残して終了ということになる。これで、あと10年は更新講習を受ける必要はない、というよりも、それ以前に退職ということになるだろう。
今日は、良い天気になった分、蒸し暑かった。すっきりとした秋晴れという風には、まだいかないらしい。すでに制服の移行期間に入っていて、校内は夏と秋、さらには冬服までが入り乱れているような状態である。気候が今ひとつということがあるのか、疲れ気味状態である。日曜日にあった「翅の会」も、それで休んでしまった。後程メールをいただき、KさんやNさんが久しぶりに参加されたと言うことを聴き、参加できなかった事がとても残念であった。
今週は、仕事。帰宅すると、『富澤赤黄男全句集』を読み、寝る。その繰り返しであった。『全句集』は日記類を除き、読了。作品は、大変面白かった。その後で、今月号の角川『俳句』を一通り読んだけれど、上手いなりになんとなく緊迫感にかける作ばかりのような気になった。それだけ、富澤赤黄男の作品の印象が強かったのかも知れない。あわせて、高柳重信の『赤黄男ノート』が所載されてあって、これも刺激的で大変面白い内容であった。今週、やや睡眠不足気味であったのは、この一巻のせいであったとも言える。
藤田真一著『蕪村』を往復の車中で読み、こちらも大変面白い。岩波新書ではあるけれど、蕪村の仕事の全体像が見渡せるような内容であり、さすがと思う。今週は、本に恵まれた一週間だった。それにしても、ちょっと疲れた。今日は、本当に早めに寝ることにしようと思う。ちなみに、今日の夕食は甥の作った中華料理2品。私が、それにみそ汁を添えて、食べる。みそ汁を含め、いずれも大変美味であった。それにしても、今使っている地元産の味噌は、本当に美味しい。今までに使っていた味噌はいずれも味おとりがするほど、このN産の味噌は美味しい。京都には全く流通していないので、わざわざ故郷から送ってもらって使っている。