日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。 |
08.8「日々録」 | 08.9「日々録」 | 08.10「日々録」 | 08.11「日々録」 | 08.12「日々録」 |
【09年1月31日】
5時過ぎに起床。「歩き」に出ようと思ったが、小雨が降っているので中止する。
朝食。その後、洗濯。室内干しする。1年生のテストの採点。午前中に終了。ついでに、データの集計をしておく。
小雨が降り続いている。少し、風もあるようだ。「歩き」に出たいけれど、無理のようだ。
甥は、朝から大学。試験は終わっているが、毎日のように練習に出かけているようだ。
簡単な昼食を取り、雑貨類を買いに近所の小売店まで。あれこれ細々買い込んだら、結構な出費になってしまった。一度、自宅に帰り、換気扇のフィルターを早速交換し、洗濯槽の丸洗いを行い、パイプ洗浄を行う。いずれも少し時間がかかるので、その間にもう一度買い物に出る。今度は、いつものスーパー。校内履きのサンダルと、今夜の夕食の食材を買いに出る。夕飯は、魚と野菜の純和食とする。
片手に傘、片手にエコバックを持って帰宅。お米まで買ったので、とにかく重い。
帰宅すると、洗濯槽の洗浄は終わっていた。パイプの方は、ジャージャー水を流す。ついでに、風呂桶も洗う。
少し早いけれど、夕食のおかずの準備。鯵の煮付け。カボチャの炊いたもの。厚揚げと竹輪の煮たの、など。魚と野菜とご飯があれば、という所。肉はあまり食べたいとは思わない。夕方になって、甥が帰宅する。ちょっと料理を覗いて、部屋に引き上げる。
温泉の素も買って来たので、早めに風呂に入ろうかと思う。
【09年1月30日】
3年の試験と1年の課題テストが一度に返ってくる。午後は、とりあえず、3年生の採点。夕方までかかってしまう。途中、気分転換に1年生の採点も少ししたので、結局、こんな時間までかかってしまう。
雨の中を退勤。京都市内まで出かける。同僚が、車で途中まで送ってくれるということなので、乗せてもらう。最寄りの駅で、電車に乗り換える。車中、『里山を歩こう part1』を読み始める。棚田の村とでもいう場所を中心にしたルポルタージュ。棚田の向こうに家並みが見え、その先に琵琶湖の銀色の湖水が見える。そんな写真が掲載されていて、その里の雰囲気を伝えている。
京都駅着。そのまま、駅前ビルの、いつもの会場へ。今日は、合唱団の入団手続きにだけ行く。夏の合唱は、モーツアルトの『レクイエム』である。すでに、入団募集期間も終盤に入っているはずだ。ホール外の受付で、必要事項を記入した用紙を提出し、団費を支払い、さらに新たに楽譜を買う。今回は、ジェスマイヤー版とは違うものを使うらしい。
受付を終えて、そのまま7階の大型書店まで降り、昨日弟の嫁さんから紹介された本を探しに行く。書店内をあちらこちら探したが見つからないので、仕方なくサービスカウンターで調べて貰い、ようやく手に入れる事が出来た。
駅ビル内の、いつものパン屋で何種類かのパンを買って帰る。
相変わらず、びしょびしょ降る雨の中を帰宅。雨のせいか、さほど寒くはない。明日も、こんな天気なのだろうか。明日で1月も終わる。
【09年1月29日】
今日も、寒い。昨年に比べて、今年の冬はずいぶんと寒いような気がする。それとも、こちらが寒さに弱くなってしまったのだろうか。
朝見た夢。ずっと走り続けている夢。昔、フルマラソンを走った経験があるけれど、その時のことが強い印象に残っているらしい。何度も、マラソンの夢は見ているが、今朝の夢のように、ひたすら走り続ける夢は珍しい。やがて、走ることに疲れて、目が覚めた程だ。ただ、二度寝をして、その時に見た夢はとても印象に残っている。それは、甥と一緒に、なぜか交番を探して町外れまで来た時、家並みが途切れた野原の遙か向こうに、雪を頂いた巨大な山脈がゆったりと横たわっていたのだ。夢の中で、あれが「白山連峰だ」と話していたので、いつか見たことのある加賀の白山の印象が残っていたのだろうけれど、銀色に輝く雪の山並みがゆるゆると起伏を繰り返す姿は、本当に神々しく神聖なものだった。
現実の生活では、いまだに走ると腹部に痛みを感じるので、極力走らない生活を送っている。たまに、昔みたいにジョギングを楽しみたいと思う時もあるけれど、今のところ致し方ない。ただ、今日は、ある事情で校舎内を走らざるを得ないことがあったけれど。内容は書かないけれど、さすがに勘弁して欲しいと思う。
今日は、知人が勤める短大からの訪問者があった。試験などの連絡や報告などに来られるのだけれど、たまたま昨日知人と一緒に学生の試験の監督をしたということで、本題を離れてちょっと話をする。学内での知人の姿が彷彿とするような話を聞いて、なかなか頑張っておられるなと思う。短大は、どこも全体に厳しい状況が続いているようだが、知人の勤める短大も例外ではないらしい。
『里山を歩こう part2』読了。本文中に出てくる、琵琶湖西岸の町へ、春になって暖かくなったら出かけてみようと思う。豊かな地下水系に裏付けられた「水」と日々の生活の深い繋がりというものは、センチメンタルな意味ではなく心惹かれるものがあるのだ。
【09年1月28日】
朝から快晴だったが、その分ひどく冷え込んだ。
まるで習慣のように、通勤途上の田んぼの端の捨てバケツを覗く。中に、七分目ほど雨水が溜まっていて、それが朝の寒さの度合いによって、薄氷が張っていたり、そうでなかったりするのだ。天然の寒暖計のようなものである。今朝は、かなり厚い氷が張っていた。普段は、そんなことはないのだが、職場の近所を流れる小さな川も、寒さのせいで白く水蒸気を上げていた。
今日は、授業2時間、会議二つ、百人一首カルタ取り大会のお手伝い。あとは、教材研究と、1年生のテスト作りというところ。今回試しに、漢文の読みテストを生徒達同士に行わせてみた。思った以上に真剣になってやっていたので、次回もう少し改善した形で再度やってみようかと思う。
帰りのバスの中で、今森光彦著『里山を歩こう part2』を読み始める。琵琶湖岸のある町を舞台にして、水と生活の繋がりをルポしたものだった。写真家の文章なので、ふんだんに綺麗な写真も掲載されていて、面白い。季語の「乗っ込み鮒」が、琵琶湖の場合、鮒寿司に使われる二ゴロブナであることを知った。面白い。鮒は湖から水路を経て田んぼにまで上って来たと言う。すでに今では見られなくなった季節の風物詩だということだが。
甥は新年会ということで、帰宅が遅くなるという。帰ってみると、洗濯物が干してあり、ご飯が炊いてある。一日良い天気だったけれど、さすがにまだ生乾き状態だったので、中に取り入れて干し直す。夕食は、買って来きたもので済ます。
スカイプで自宅とちょっと話す。珍しく、弟の嫁さんが出てきて、本を1冊紹介してくれた。是非、甥にも読ませて欲しいとのこと。内容を少し紹介してくれたが、なるほどと思うような中身だった。明日にでも書店に行ってみようか、と思う。ついで、というわけでもないが、久しぶりにでた『ガラスの仮面』なども買ってこようか、と思う。
【09年1月27日】
今年に入って、一日も欠かさず「日々録」を更新している。博多の兄から、「ホームページビルダー」を送ってもらったことが直接のきっかけになって、毎日の更新が続いている。いつまでこの状態が続けられるか、覚束ない面もあるのだが、せっかくだからぼちぼちと続けていこうか、と思っている。
岡倉天心「茶の話」読了。茶が、禅宗の一椀の茶を回し飲みながら、高邁な思想を語り合う禅僧達の習慣を出発点とし、現実を変化の相と捉えながらも、そんな日常の中に永遠を見るという発想の中で、茶道とは茶人自身が茶を営む「芸術家」ではなく、自身のその立ち居振る舞いから始めて、生き方それ自体を「芸術」そのものに自己昇華していく過程として考えられているのか、などと思う。
さらに、他の部分をぱらぱら読んでいくと、「日本風景論」の中に、登山に関する事柄がかなり微に入り細にわたり書いてあった。昔取った杵柄ということもあるので、そちらも少し読んでみようかと思う。
前任校が、統廃合になる関係で、図書に所蔵された大量の本が、処分されることになり、周辺の各校が早い者勝ちという風で本の引き取りに出向いたらしい。本校からも、司書さんが出かけて行かれ、段ボール数個分の本を引き取って来られた。本箱3つ分ほどもあったマンガ関係は、統合される学校がほぼそのまま引き取っていったらしい。俳句関係の本は、N高校がまとめて持って行かれたという。N校に俳句に興味を持つ方がおられるらしい。あるいは、あの人かと心当たりがないでもないのだが。司書さんが、かろうじて『花の大歳時記』4巻と、小林恭二の俳句本2冊などを確保して下さった。学校によっては、300冊も持って取って行かれたようである。残しておけば、廃棄処分になるだけなので、何はともあれ良かったと思う。
【09年1月26日】
日曜、午後、大阪へ。梅田三番街の古本街へ。目的の店は、詩歌関係の本が比較的揃っている「梁山泊」だけれど、一通り見て回る。結局、「梁山泊」で、金子兜太著『定住漂白』、草間時彦『句集中年』、別の店で村山古郷『明治大正俳句史話』を購入する。その後、三番街周辺を少しうろつく。大阪は、本当に活気に満ちた面白い街である。雑踏の中に紛れて、歩いていくと、周りの人々から活力がじわじわっと注入されるようだ。句材も、あちらこちらにあるように感じる。いちいち立ち止まって、句帳に書き付けるわけにいかないけれど、いつかまとまった句作が出来れば、と思う。駅前の「ヨドバシ梅田」に入る。広大なパソコン関係売場の中をぶらぶら歩く。機材をあちこち見て歩きながら、いつか自作パソコンを作ってみたいと思う。パソコンは、都合3台あるのだけれど、純粋な遊びで1台作ってみたいものだ。夕方近くなって、大阪、京橋経由で帰る。滋賀方面に、繊維のような雪雲が懸かっているのが見える。
月曜日。昨日から、お腹の具合が変であったが、今日も調子が今ひとつだ。手術の後遺症だとは分かっているので、適当にだましだまししながら、仕事をこなす。3年生は、今日ですべての授業は終わり。明日から、学年末考査が始まる。
茶道の話を読んでいた関係で、岡倉天心の「茶の話」を読み始める。ちょうど、図書館に天心の本が所蔵されてあるのを見つけたのだ。元は、全文英語で書かれたもので、日本文化の中心に「茶」というものを据えて、西欧人に対して啓蒙的な意図で書かれたもののようだ。天心の語る茶の本質とはどのようなものなのだろうか、という興味で読んでみる。
帰宅すると、ちゃんと夕食の準備が出来ている。甥は、今日で試験がほぼ終了。明日から、実質長ーい休みである。羨ましいことだ。ただ、2月初旬に、専門楽器の試験がひとつ入っているので、そのための練習だけは引き続きすることになるらしい。夕食は、鰈の煮付けと味噌汁、大学芋。私が買って来た刺身も並べての食事。
夜。今日はちゃんと本を読むことにしよう、と思う。
【09年1月25日】
土曜日。昼過ぎに、防火点検の人が来る。どうやら、午前中の点検が、午後に回されたらしい。各部屋をまわり、10分ほどで点検終了。
やっと自由になったので、国立博物館へ「京都御所ゆかりの至宝展」を見に出かける。外に出ると、さっと雪が降って来る。ともかく、随分寒い。マフラーを巻き、念のため薄手のタイツを下にはく。京阪で七条まで出て、そこから徒歩15分ほどで、会場着。思った以上に見学者が多かった。天皇の肖像と宸筆、文台と蒔絵の硯入の展示から始まり、工芸品、仏具関係、障壁画、衣類まで、幅広い展示が行われていた。狩野探幽の「源氏物語図屏風」は、特に素晴らしかった。「荒海障子」の手長足長の図も面白かった。冠の精緻な造りには本当に驚いてしまう。当時の職人達の技術の高さは、もの凄いものがあったのであろうと、改めて感心する。見応えのある展示であった。
日曜日、朝。5時半に、防寒対策をしっかり取って、「歩き」に出る。そのつもりはなかったのだが、歩き始めて、久しぶりに丘陵地帯にでかけてみようと思う。いわゆる山の手の住宅地の、幅広い道ををゆるゆるのぼりながら、まだ星がちらちら輝く空を眺めたりする。頂上台地まで出て、そこからゆるりと曲線を描くようにして、下って行く。人工池に薄く氷の張る公園を抜け、広い運動公園の脇をかすめ、映画撮影のためにずいぶん綺麗になった昭和の天守閣を眺め、墓陵地域の常緑広葉樹林の中を歩く。高低のある歩きだったせいか、寒さがかえって気持ち良い。途中で、数句作る。場所柄か、『万葉集』など思いながら作る。そのせいか、出来た句は、ずいぶん古風な句であったが、作りたいものを作れば良い、と開き直った思いになる。2月の丹後の句会にも出してみようかと思う。
2時間足らず歩き、一日のノルマ「1万歩」を、朝の歩きでクリアしてしまった。帰宅後は、朝食準備と朝食。主食は、昨日買って来た「焼き芋」半分であった。その後、洗濯と掃除。今日は、古本を探しに、大坂まで行ってみようかと思う。
昨日のテレビの某番組で、「渡り」を6回も繰り返し4億近くもの給与を手にした、某元「高級」官僚経験者が、組織に対する忠誠心の維持の為にも、渡りは必要な制度だとのたまっていた。「忠誠心」などと言いつつ、その実態はその体制のもたらす「うま味」に粘着しているだけのことではないか、とつくづく思ってしまう。在任中は、それだけの仕事をしたという口ぶりであったが、その仕事の一つが官僚天国の維持とその率先的享受であったとは。恥ずかしくて、顔にモザイクがかかるはずである、と思う。
【09年1月24日】
故郷は、現在積雪が5センチほどあるという。日が射して、積もっていたものが少し融けたそうだ。スカイプでやり取りをしながら、そんな事を聞く。犬のジェニビーは、散歩が出来ぬまま、廊下の窓際で所在なさそうにごろごろしているらしい。今は日があるが、午後からは本格的な雪になるとのことだ。
京都は、朝から良い天気だ。溜まった洗濯物を2回に分けて洗い、ベランダ一面に干す。外気は、ぴんと冷えているので、洗濯物はあまり乾きそうにはないのだが、日が射しているかぎり、窓を隔てた室内はずいぶんと暖かい。レースと厚手の両方のカーテンを、一杯に開けて、日差しを部屋の奥まで取り込む。
甥は、8時前には大学へ。今日は、ピアノの試験。部屋の中でごそごそしているので、様子を見に行くとネクタイを締め、スーツを着込んでいる。何をしているのかと聞くと、ピアノの試験なので、きちんとした身なりをしているのだと言う。かなり、気合いが入っているようである。試験の時間は、10時。充分に時間をおいて、登校するつもりらしい。
消防署の方から、防火点検に来ると言うことで、待っているのだが、一向にやって来る気配がない。時折、どこかで警報機のピッピッという音が聞こえるので、各戸をまわって点検をしているのは確かなようなのだが。
角川『俳句』2月号が来る。「俳壇の新しいテーマや潮流はこれだ!」との特集記事があって、期待して読んだが、自社の『俳句年鑑』の作品鑑賞の域を超えない内容で、少々拍子抜けであった。
林檎を食べながら、「俳句王国」を見る。坪内稔典主宰。主宰と神野 紗希の作品が、やっぱり面白い。会場は、松山の「愚陀仏庵」である。漱石の下宿にしばらく同居した子規が、しきりに句会を開いた部屋だそうである。6畳くらいの部屋であろうか。いずれ、実地に見学したいものである。林檎がしゃりしゃりと冷たい。
【09年1月23日】
ここ数日、夢に頻りに猫が登場している。私は、基本的に犬派だと思うのだけれど、これはどうしたことだろうか。今朝の夢では、異常に仲の良い猫が二匹現れて、部屋中を猛烈な勢いで組んずほぐれつ状態で、転げ回っていたりする。目が覚めて、少々疲労を感じるほどだった。
目覚ましを使わなくても、だいたい5時過ぎには、毎日目を覚ます。さすがに朝は寒く、電気ストーブをしばらく入れる。寝室のカーテンを少し開けるが、外はまだ真っ暗である。
いつも通りのペースで朝の準備をしていたつもりなのに、朝の出が遅くなってしまった。一電車遅い分に乗るが、わずか数分の違いで、車内の混雑状況が随分違うのが面白い。どうにか座って、お茶の本を読み次ぐ。もう、何日この本を読んでいることだろうか。遅遅として進まず、という状態である。本を読むスピードが、本当に遅くなったものだ。集中力が落ちているのだろうか。
今日は、3年生のもう一つのクラスの最後の授業。相変わらず、バタバタしているうちに、時間が来る。何となく、尻切れトンボ的な感覚を残して、終了。しかし、廊下に出て、さすがにほっとする。肩の荷がひとつ下りた、という感じ。
その後、2時間の授業。会議。代行1時間。試験問題作り。芯が疲れているというのか、今日はやたらと眠い。定刻、退勤。朝、歩いたのだが、帰りも歩くことにする。やっと、週末が来た。野良の遠くに、住宅街の明かりがぽつりぽつりと灯っている。人通りが無いのを幸いに、鼻歌を歌いながら帰る。そろそろ、ミューズの合唱に申し込みに行かなければ、と思う。まだ、〆切までは間があるはずだが。
帰宅する。甥が、一品。こちらも1品作って、夕食。その後、甥は明日の試験準備に部屋へ。ピアノの試験なのだが、自宅にはピアノはないので、エレクトーンで代用しているようだ。途中で、部屋から出てきて、暗譜していたはずの練習曲の一部を忘れた、という。水を一杯飲んで、ちょっと落ち着いたらしく、思い出したと言って、部屋へ帰る。階上の部屋で、バタバタ走り回る音がする。邪魔にならないだろうかと、ちょっと気になる。
【09年1月22日】
残業を終え、雨の中を同僚の車に別の同僚と相乗りして帰宅。パソコンのデータ入力。目が疲れる。
帰宅すると、部屋干しにしてあった洗濯物がかたづけてあった。早めに帰って来た甥がやってくれたらしい。
ともかく、疲れているので、もう寝ようと思う。少しだけ、本を読むかもしれない。
今日、3年生の授業が一つ終わった。掃除の時間、清掃指導をしていると、廊下を帰り支度をした何人かの女生徒が、通りすがりに「授業、ありがとうございました」と挨拶をしてくれた。明日も、この1年間散々苦労したクラスが、1つ終わる。終わった瞬間、ほっとすることだろうな、などと今から思っている。
ともかく、もう寝よう。
【09年1月21日】
大寒の日は、さほどでもなかったけれど、今日はずいぶんと寒かった。車中からの、宇治川の放射霧と一面の霜野は、今冬もう何度目にした風景だろうか。
一駅前下車の歩きも、寒い日は少々辛い。特に、住宅街を抜けて田地に出ると、白々とした霜の風景は一入寒さを感じさせる。入院以来、何故か普段でも足先が冷え冷えとしていて、これが冷え症と言うものだろうか、などと思うこともあるのだが、こうやって歩いていながらも、上半身に対して下半身の冷えの感じが強いのは、どうにも具合がよくないものだ。
一日の仕事を終えて、雨の中を退勤。歩いていく横を、ライトを光らせながら車が雨水をはね飛ばして走り過ぎていく。寒いのは嫌だけれど、雨が降るくらいなら、いっそ雪になれ、などと思う。故郷の霊山と言われる山の、裾野に展開するスキー場のライブ映像を、帰宅してから一日に一度はネットで見たりするのだが、夜間照明に照らし出された銀色の雪面の綺麗さは、雪に対する懐かしさの方をかき立てるものだ。京都の冬が、寒いばかりで、雪が降らないと言うことがずいぶんと物足りなく思われる。
最近、甥は試験期間中ということもあってか、早めに帰って来ることが多い。今日も、早いので、夕食を準備してくれているらしいが、ちょっとだけ朝食の準備など買い足して、帰宅。夕食は、鍋。何鍋と名付けてよいかわからないような、チャンポン風のものなのだが、食べてみると、これが大変美味しい。豆板醤か何かが入っていて、しばらくすると、体がほかほか温まってくる。鍋に結構な量が入っていたのに、二人ですっかり食べてしまう。ちょっとテレビを見ると、甥は部屋に帰り、こちらは引き続きテレビを見ながら、『日々録』を書く。
この後は、『高屋窓秋』句集を少し読んで、寝るだけである。実は、この時間帯が、一日の中で一番休まる時間なのだ。病気、入院以来、一日を終えることの心やすさを、つくづく感じるのが、この時間帯なのだ。
【09年1月20日】
夕食は、甥の作ったビーフストロガノフであった。こちらは、生食用の牡蠣だけれど、消費期限が本日で、半額になっている分を買って来て、味噌汁にした。和洋折衷というより、和洋混合の夕食であったが、どちらも大変美味しかった。
昨日の、延々待ちが疲労として残っている。授業は、4時間。3年生は、1月で終わりなのだけれど、センター試験も終わり、先も見えてきて、ちょっと弛み気味である。3年生の学年末考査も、そろそろ準備にかかる。
『茶人たちの日本文化史』を読み継ぐ。お茶の世界もなかなか面白そうである。
そういえば、テレビの連ドラなど、ほとんど見ないのだけれど、最近始まった月9のドラマ「Voice」は、先週、今週と見ている。法医学教室を舞台にしたお話。登場人物が個性的で、お話が気持ちのツボに嵌っていてとても面白い。ただ、視聴率を稼げるかどうか、ということになると微妙かもしれない。しばらくは続くことを願っている。
やっぱり、今日は少々疲れ気味のようだ。
【09年1月19日】
日曜日。数十年ぶりに(というか、その記憶がないのだが)、昼食にピザを食べる(そう言えば、帰省したとき、これまた数十年ぶりに昼食で、ケンタッキーフライドチキンを食べたものだが)。甥が、ネットで近所のピザ屋を探し、注文する。二人でMサイズ。いかにも、カロリーが高そうである。美味しかったけれども。ところが、遅い昼食を終わった後で、電話が入り、先程のピザ屋から、実は飲み物を配達し忘れていたとの連絡。今すぐ持って行くとのこと。それに気がつかなかったこちらもこちらだけれど、ピザ屋もピザ屋である。
午後になって、雨が降り始める。甥は、博物館に京都御所展を見に行くと、雨の中をでかけていった。こちらは、昨日買って来た『高屋窓秋俳句集成(全句集ではなかった)』を読む。途中、1時間ほど昼寝の時間を取って、その後昼風呂に入って、完全に目を覚まし、続きを読む。『白い夏野』(「頭の中で白い夏野になつてゐる」「ちるさくら海あをければ海へちる」)『河』『石の門』(「金色の羽凍み凍みし石の門」「石の家ぼろんごつんと冬が来て」)を読む。出発点が秋桜子の『馬酔木』であったことが、ちょっと驚きであった。新興俳句系の作家の出発点としては当然なのかもしれないけれど。その後、『京大俳句』、そして『天狼』へと移って行かれたようだが。「感覚に倦みし夜よ蛙鳴き月光る」の句に、作家としての基本的な資質が伺えるような気がする。ちゃんと読むのは初めてなのだが、ずいぶんと面白い。
夕方、雨が上がったのを見計らって、夕食の買い物。ノルマ残り「2000歩」もカバーするつもり。鯵、京水菜、その他野菜、果物など買って帰る。帰宅後、鯵は煮魚に、水菜はじゃこ・油揚と一緒に煮る。昨夜の残りの餃子も温めて、夕食とする。
月曜日。午前中、年休を取って付き添い。のはずが、10時前に病院に入ったのに、終わって出てきたのは夕方の5時であった。急遽、年休を延長して、一日休みとなる。二つの科をまわって、診察時間は合計1時間足らずだっただろうか。残りの時間は、「待ち」だった。恐るべきK病院、である。かなり、疲れる。待ち時間の間に、堀内都喜子著『フィンランド 豊かさのメソッド』を読了する。『フィンランドの教育』の続きで読んでいた本。フィンランドについて、留学経験に基づく体験的エッセイ。さらに、谷晃著『茶人たちの日本文化史』を半分ほど読む事が出来た。
夕方、鴨川河畔を七条まで歩く。なんとか、10000歩のノルマを確保する。鴨川沿いに見る京都の町並みは、いかにも京都らしい情景の一つ。まして、夕景の茜がかった空を背景に見る町並みは、なかなか素敵なもので、K病院での「待ち疲れ」がじわじわ解消されていくのを感じる。癒されている、という感じであろうか。
【09年1月18日】
土曜日、夕方。京阪電車で三条まで出て、そのまま寺町筋の「三月書房」へ。『高屋窓秋全句集』『渡辺白泉全集』の2冊を購入。いずれも6割引での販売だった。その後、西行して、地下鉄御池駅から、北山駅まで。地上に出て、5分も歩けば、京都コンサートホールである。施設内のレストランで、軽食を取り、そのまま大ホールへ。開演まで30分ほど時間があるので、久しぶりのコンサートホール客席から、ステージの方を眺め、12月の「第九」のことなど思い出してちょっと感慨にふける。7時開演。ニコライ「ウィンザーの陽気な女房」・ラフマニノフ「ピアノ協奏曲2番」と続き、休憩を挟んでメンデルスゾーン「交響曲3番」という曲目。京教管弦楽団OBオーケストラの第8回演奏会であった。チェロ奏者の中に、職場で席を隣にしている人が出演している。ニコライは軽く、ラフマニノフはなかなか聴き応えがあり、メンデルスゾーンは楽章毎にやや出来不出来があり、という印象。限られた条件の中での演奏というアマチュア・オーケストラの醍醐味と大変さの両方を聞き終わって感じる(もちろん、それはミューズの場合も同じことなのだが)。たまたま同僚の人が、斜め前の席で聴いておられた。挨拶をして退席。夜気が冷たい。この辺りは、京都市内と言っても、気候区が一つ違うと言われている。地下鉄で、帰る。一駅前下車、歩きを励行する。
日曜、朝。NHKの朝の落語を聞いてから、「歩き」に出る。高曇りのようだ。30分ほどで切り上げるつもりが、つい1時間以上も歩いてしまう。疎水堰堤から、夜明けの町並みが広く見渡せて、気持ちが良い。ほぼ、8000歩ほど歩く。一日のノルマまで、あと2000歩ほどである。
【09年1月17日】
皆で集まって、山を下りることになった。集まった者の中には、ベテランの登山者達のグループもあり、またまったくの素人もいた。中に一人、お調子者の男がいて、その男が下山の不安のせいか、一人ぺらぺら喋っている姿が目についた。下山路には、本当に危険な箇所もあり、この男などへたをすると滑落などで大怪我をするか、命までも落としかねない、そんな事を思いながら、下山の準備を進めていた。そんな場面で、ふっと目が覚めた。ここしばらく、夢を見てもまるで憶えていない事が続いていたので、今朝の夢は妙に印象的であった。
5時前に目を覚まし、5時半に「歩き」に出かける。外は、まだ全く夜の様相である。天心に半月がぼんやりとかかってる。歩き始めはそうでもなかったが、歩き出すと次第に寒さが身にしみてきた。5時46分は、歩きながら迎えた。阪神淡路大震災は、今年で震災後14年が過ぎたことになる。あの日も、こんな暗い中で、突然の激震に襲われて、多くの命が失われたのだ、と思う。街はまだ、静かに眠ったままで、本道を離れた住宅街のこの通りには、車も人の姿もまるで見えない。
1時間ほど歩いてから、帰宅。途中、某大学の前を通ったら、正門の所に「センター試験会場」との掲示が張り出されてあった。まだ、6時過ぎなのに、校舎内の一室にすでに灯りがともっていた。
帰宅後は、いつもの通り、洗濯、朝食準備。ついでに、レンジ周りの掃除も。朝食を終えて、ソファに座ってテレビを見ていると、ベランダ正面に朝日がゆっくりと昇って来た。居ながらにして、ご来光を拝めるというのは、とても贅沢な状況であると思う。
甥は、練習に大学へ出かける。こちらは、工事が何時になるか分からないので、一日待つつもりでいたら、10時前に工事関係の人が来て、30分ほどで終了。昼前まで、昨日の持ち帰り仕事をする。ついでに、簡単な作業プリントを一つ作って、添付ファイルにして、職場のパソコンに送っておく。
昼食は、簡単に茄子の炒め物など作って済ます。夕方、コンサートに出かけるつもりで、午後はともかく『子規を語る』を読む。3時過ぎに読了。巻末に、子規の母や妹の律さんの聞き取り談話なども載っていて、興味深かった。
思ったより早く、甥が帰宅。こちらは、4時過ぎには出かける予定。コンサートホールへ行く前に、「三月書房」に立ち寄って、先日確認しておいた本を数冊買ってこようかと思う。
【09年1月16日】
ついさっき、08年の日付のままで「日々録」を書いていたことに気がついて、急いで書き直した。昨夜は、甥がネットである申請手続きをする際に、どうしても手続きが受け付けられないので、困っていたのだが、平成20年のままで、申請をしていることに気づいて、修正をしたら、すんなり手続きが完了したそうだ。なんとなく、意識がちゃんと時間の流れの上に乗っかっていないのではないのか、などとつい考えてしまう。
今日は、3時間授業。時間内会議が一つ。放課後は、追試験が一つ。空き時間には、昨日打ち込んだデータの処理作業を行う。色々と面白いことが見えてくる。
放課後は、追試験の採点。月曜日は、所用の為、半日年休をとることになるので、今日のうちに採点を済まし、成績の処理をしておこうと、猛烈なスピードで採点をする、はずだったのだが、ここ1,2年若干老眼気味で、特に細かい字が少々見えづらくなっており、それが採点スピードのブレーキとなってしまう。結局、時間をかけて丸付けを行い、得点処理を行う。このままでは、昨日と同じ事になってしまいそうだったので、帰らないかとの同僚の誘いに乗って、とりあえず持ち帰り仕事とすることにして、退勤。同僚の車で、途中まで送ってもらうことになる。同僚は、そのままお菓子の小売り店に、明日のセンター試験の応援のための、「キットカット」チョコレートを大量に買いに行くという。「きっと勝つと」とのしゃれらしい。明日は、センター試験会場の大学の校門前で、やって来た本校受験生に激励の思いを込めて、チョコレートをプレゼントをするという。
今日も、帰りが遅くなったので、甥が夕食を作ってくれている。ブリの焼いたものと、ひじきの煮たもの。そして、味噌汁。こちらも、スーパーで総菜をひとつ買ってきたので、それをあわせて夕食とする。
明日は、マンションの改装作業の関係で、自宅待機していなければならない。各戸毎の作業の立ち会いが必要になっているのだ。何時に作業が行われるのか、具体的な連絡がないので、待ち状態でいなければならないようだ。夕方からは、同僚の人が演奏者の一人として立たれるクラシックコンサートに行くつもり。京都コンサートホールで行われる。複数枚、チケットを頂いたので、甥にも勧めるが、今ひとつ乗り気でない様子だ。曲目は、「メンデルスゾーン「交響曲第3番」、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」などである。ラフマニノフが楽しみである。
碧梧桐著『子規を語る』を読み継ぐ。読書時間が少ないこともあり、他の本が読めないのが、困る。それほどに、この1冊は面白い。
【09年1月15日】
久しぶりに残業。データ入力のために、進路部員一同が居残っての作業となる。帰りは、同僚の人に車で送ってもらう。食事を取るには、少々遅い時間になっていたので、軽く食べるつもりで、近所のコンビニで、ソイジョイなど買って帰る。明日の朝の準備が何も出来ていないので、とりあえずサラダなども買って帰る。
甥は、すでに帰宅。今日は、遅くなると言っていたのだが、さほど遅くもならなかったようだ。夕食は、何を食べたのだろうか。
ともかく、眠い。今年に入ってから、「日々録」を途切れずに書いているので、このペースを保つためにも、少しでも書き付けておこうと思うのだが、ともかく眠い。夜中に目を覚ます事は、以前よりは頻繁ではなくなっているのだが、それでも最近になって、目を覚ましてしばらく眠れないでいることが増えつつある。色々と夢はみるのだが、前ほど見た内容を憶えていないのはなぜなのだろうか、とも思う。夢は第二の人生とまでは言わないけれど、夢もごく個人的な体験の一つだと思っているので、それを憶えていないのは、なんとももの足らない気持ちがする。
テレビで、ニュースを見る。心温まるような話題が、本当に乏しいと思う。イスラエルの国連施設攻撃、大学校内での殺人、迷走を続ける政治と経済の状況、14年目の阪神淡路震災忌が二日後に迫っている……。
舞鶴地方は、大雪に見舞われて、市内でも30センチ近くの雪が積もったらしい。中学生達の雪掻きボランティアの姿が映されていた。元気なものだ。20年以上前、私が丹後にいた頃には、雪で休校になることもあるくらいに、毎年結構雪が降ったりもしたものだが、温暖化のせいか、年々降雪量が減って来ているようだ。若気の至りで、一日降っていた雪が止んだ夜の宮津の町中を、長靴を履いて歩き回ったりしたことを思い出す。雪が街の音をすっかり吸い取ってしまって、町並みも通りもしんと静まっているのは、とても印象的だった。家々の明かりが、雪に反射して、ぼんやり燐光を放っているさまも美しかった。そんな時は、さほど寒さを感じたりもしないものだった。飲み屋さんが集まっている新浜の方に行ってみたり、ついでに小さな焼鳥屋さんでちょっと暖を取ったりもしたものだった。そう言えば、今朝、ほんのしばらくではあったが、雪がちらついていた。上空に雪雲の姿はなかったので、風花という風情であった。
【09年1月14日】
間違いなく、今季一番の寒さであると思う。通勤の車通からの景も、一駅前下車で歩き出した途上でも、ひしひしと感じる。ともかく、寒い。防寒着を通して、大気の冷たさがしんと伝わってくるようだ。昨夜の雨が、路上で薄く凍りついている。野良一面が、霜のために真っ白になっている。雪か、と思う程の霜の厚みである。遠く、愛宕山が擦れたような雪雲に包まれている。いつもは、外周歩廊を走っている陸上部の生徒達の姿が、今日は見えない。この寒さと何か関係があるのだろうか。
授業は、3時間。さらに1時間、ホームルームの時間を使わせてもらって、3クラス合同で、歌合のビデオを生徒に見せる。ドラマ仕立ての番組で、なかなか面白い。ビデオ視聴後、提出させた感想文でも、生徒達に好評であったことが分かる。こんなビデオが何本かあると、古典の授業もさらに興味深いものになると思う。
定刻に退勤。もう少し歩こうかと思ったけれど、夕食の準備と洗濯があるので、バス停に向かう。通勤の往復では、河東碧梧桐の『子規を語る』を読んでいる。碧梧桐の子規の思い出を、子規周辺の若者達の思い出を交えつつ、語っている。子規からの多くの書簡も引き合いに出されていて、子規や彼を囲む若者達の姿や碧梧桐自身の率直な思いなども語られていて、俳句に熱中している明治の青年群像が生き生きと描き出されている。大変、面白い。特に、「三津のイケス」という話は、子規・碧梧桐・虚子・非風の四人の句会でのやり取りと句とで描かれた一章で、実に楽しそうな四人の姿が彷彿とするもので、読んでいてこちらも楽しくなってしまったものだ。
帰宅すると、甥が味噌汁だけ作って待っていた。魚を焼き、茶碗蒸しを温めて、夕食。具沢山味噌汁が、なかなか良い。
洗濯物を室内干しして、その後、『鼎座』関係の連絡の手紙をTさんに書く。少々疲れているので、今日は早めに寝ることにする。
【09年1月13日】
月曜日。朝の雨のため、中途半端に終わった「歩き」のため、午後追加の「歩き」。鴨川河畔を歩くことにする。京阪三条下車、地上に出て、そのまま鴨川河川敷へと降りて行く。午前中とはうって変わって、快晴の天気である。鴨やゆりかもめの様子を眺めながら、上流目指して歩いていく。途中、カメラマン達が集まっている場所を覗いてみると、カワセミがいた。この近辺に棲息している一羽である。枯れ葦の先端に止まって、きょろきょろしている様子である。巨大な望遠レンズを装着したカメラを持った数人が、息を殺してそんなカワセミの様子を眺め、時折シャッターを切っている。こちらも、邪魔にならないように注意しながら、翡翠色の羽を持つきれいな鳥を眺める。やがて、ふっと思いついたように枝を離れて、カワセミは上流の方に飛んでいく。それを数人のカメラマンが三脚やら一脚やらに付けた大きなカメラを抱えながら、急いで移動する。私もその背後について行く。次の場所で、カワセミは、本流から少しはなれた淀みの傍らの葦の先端に止まり、不意に眼下の淀みに突っ込んでいく。一瞬、水中に姿を消したカワセミは、次の瞬間青い背中を見せて、水面から空中へと飛び上がる。そして、先程の葦の先端にちょこんととまる。その一連のしぐさが、ちょっと滑稽で可愛い。二度、三度と水中ダイブを繰り返した後、ふっと気が変わったように一瞬のうちに飛び去ってしまった。
日が西へ傾く中を、北大路通りまで歩く。北山の前山の背後に、白く雪をいただく桟敷が岳の姿が見える。かって、何度も登ったなつかしい山である。2月の単独行の際、豪雪に埋められ、危うく遭難しそうになった山でもある。
少々疲れたので、そこで「歩き」は中止。地下鉄北大路駅へと向かう。地下鉄で、帰る。一駅前下車で、さらに歩く。夕食の食材を買って帰る。今日は、粕汁と麻婆茄子、ついでに山芋というメニュー。帰宅後、早速粕汁作り。一旦風呂に入ってから、さらに麻婆茄子を作る。山芋を摺り下ろして、準備完了。部屋に籠もっている甥を呼んで、夕食。
夜、岩城先生から電話が入る。『鼎座』連句の会についての連絡。背後が賑やかである。そう言えば、今日は、俳人協会関西支部の新年会。私も参加資格はあるのだが、体のことがあるので、宴会等はつい尻込みしてしまう。今回は、欠席。
火曜日。退勤の時間になって、雨が降り出す。傘はいつもザックに準備しているので、それをさしてバス停まで。雨が降ると、覿面にバスの着時間が大幅に狂う。バス停着と同時に、遅れたバスがやって来る。電車へ乗り換え、一駅前下車を励行。運良く雨は上がっていたので、そのまま歩き出す。酷く寒い。手袋をはめているのに、指先が冷や冷やしている。路面を濡らす雨が、地表を冷やしたのだろうか。陸橋の寒暖計を確認すると、気温は2度しかない。寒いはずである。高度の低い雲が、地上の明かりに白く反射して、奇妙な模様のように見える。
帰宅。早く帰った甥が夕食の準備をしている。他人丼。追加でエノキともやしで味噌汁を作る。ごま豆腐を添えて、夕食。なかなか美味しい。食後、ひどく眠くなってくる。最近、夜中に目を覚ます事が続いて、ちょっと睡眠不足のようだ。眠るために、志ん生の落語をかけっぱなしにしているのも、良くないのかもしれない。
【09年1月12日】
夜中、目が覚めて、台所に水を飲みに行った際、居間のカーテンの間から覗く外の景が妙に明るいので、カーテンを開けて外を見ると、眼下の家並みが雪で白くなっていた。いつの間にか、うっすらと雪が降り積もっていたのだ。最初は、月明かりかと思っていたのだが、雪と知って、ベランダまで出てみる。外は、思ったほど寒さを感じない。外の明るさは、雪そのものが発光するわけではないので、街の明かりを雪が反射するのかと思う。もう、一眠りするために部屋に戻る。
朝、6時前、「歩き」に出かける。路面が濡れているので、普通のジョギングシューズでは濡れるので、スノーシューズを履いて出ることにする。近隣をぐるりと歩く。やがて、冷たい雨が降り出す。次第に本格的な降りになってきたので、やむなく帰宅する。上着がかなり濡れた状態で帰宅。暖房を点けて、朝食の準備をする。
日曜日。午後、中途半端な状態だったので、追加の「歩き」に出かけることにする。京都市内まで。御所の辺りを歩こうかと思う。地下鉄で今出川まで行き、そこから歩き出す。どうやら、全国女子駅伝が終わって間もない時間帯らしく、コースを示す旗や、応援の余韻を残す人達のグループの姿などを見かける。御所を歩く。緑鮮やかな松を除いて、冬枯れの樹木の間を、枯れ気味の芝を踏んで歩く。ひどく静かである。北の方を眺めると、松林の向こうに雪の北山が、中間の町並みがすべて松の植栽に隠されて、ごく間近な風に見える。東には、薄雪を残す大文字も見える。
御所を抜け、寺町通りを下がり、いつもの「三月書房」に立ち寄り、何冊か読みたい本があったのだけれど、値段と入れ物の関係で、確認だけして、書店を出る。それから、鴨川の方に出て、暖かい日差しの中を、川沿いに三条まで歩く。疎水の水を本流の方に流しているせいか、12月より水量が多いような気がする。三条京阪で、電車に乗り、帰宅。車中、茶道関係の本をちょっと読む。「暁の茶会」の影響であろうか。
いつもの大型小売店で、夕食の食材を購入。今日は、豚・ささみ入り、茸たっぷりすき焼きとする。
今日は、成人式。京都市内は、昨日成人式が終わっているのだろうか。昨日の駅頭でも、それらしい姿の女性達の姿を見かけたりしたし。朝のニュースは、お定まりの変わり種成人式を紹介していた。成人式のアトラクションとしてのバンジーなど。バンジーは、そもそも入社(会社ではなく、社会)式の儀式だったはずで、ある意味まっとうなアトラクションかも……。相変わらず、お騒がせ成人達のぼかし映像も紹介されてあった。何であれ、自分たちが注目されることがうれしいという幼い心性を残す「成人」達の姿は、もうわざわざニュースで流すこともあるまいと思うけれど。新聞では、内閣支持率は20%足らず、定額給付政策は過半数以上が評価せず、という結果を報道している。150万人を封鎖地区に押し込めて、そこへ集中的に爆撃を加えるという「絶滅収容所」と化したガザ地区に対する危惧を訴える某大学教授の寄稿の一文は、「ヒロシマ・ナガサキ」そして「アウシュビッツ」に繋がるものとして、今回のイスラエルの攻撃を位置づけていた。背景は、単純なものではあるまいけれど、普通の市民が大量に殺されていく状況は、胸を騒がせる。
【09年1月11日】
昨日の丹後行きで、久しぶりの降雪の感触を味わった。雪の大宮駅前で車を降り、買い出しをして、駅舎に入ると、待合室には石油ストーブが燃えていて、随分と暖かい。電車待ちの人達が既に何人かいて、ストーブに当たったり、長椅子に腰掛けたりして電車の到着を待つ。岩城先生が、切符を買いがてら、運行状況を尋ねると、時間通りだとのことで、もし遅れていたら、駅舎内の喫茶で電車が到着するまで一休みする計画は、残念ながらお流れになってしまった。
岩城先生は、ストーブのそばで早速1本目の缶ビール。美味しそうに飲まれる。こちらは、車中まで我慢する。到着時間が近づき、待合の人達がプラットフォームへ移動し始める。私たちも、それについて移動。プラットフォームには、15センチほどの積雪。先人の踏んだ後をついて行くのは、雪道の知恵?であろう。雪は依然として降り続いている。移動して間もなく、小さく警報機の音が聞こえる。すぐに、降雪の中、特急電車の前照灯が滲んだように見えてくる。
席について、早速飲み始める。飲みながら、話すことはもっぱら俳句のことだ。あらたに「すき句会」に参加を希望しておられる方のこととか、醍醐会のこと、注目している俳人のこと。私の方からは、「週刊俳句」について、携帯でHPを出しながら、紹介する。若手俳人のことなどにも話が及んでいく。時折、暗い窓の外を眺めると、白く雪景色が浮かんで見える。やがて、東の空にしんと月が浮かんでいるのに気づく。「月が」と言うと、「月齢が13か、14ですね」と岩城先生。その後、常に車窓に月を見ながら、京都へ。
京都駅で、私鉄に降り変え、一駅前下車で、自宅まで歩く。やや高度を高めた月が、薄雲の向こうに見えている。
日曜日。6時前に「歩き」に出る。西の空低くに、明るく昨夜の月が残っている。周りの雲を輝かせて、本当に明るい。きれいだな、と思いながら、路地から路地へと歩く。1時間足らずの「歩き」。冬枯れの象徴のように、疎水の流れが消えて、底が見えている。改めて、大きな放水路なのだなと思う。春が来るまで、この状態は続く。
帰宅後、朝食の準備。コーヒーの代わりに、昨日の味噌汁の残り。やがて、日が昇ってくる。窓の結露がすごい。
【09年1月10日】
5時に目を覚まし、せっかくなので「歩き」に出ようと思ったが、生憎雨が降っていたので中止。そのまま、寝室に引き返し、ベットに横になっているうちに2度寝。次に目を覚ましたのは6時前で、今度はちゃんと起床。いつも通り、朝食の準備をし、朝食。朝風呂にも入り、句会の準備で、データベースから20句ほど選んで、プリントアウトする。8時前に、家を出る。出がけに、まだ寝ていた甥を起こしておく。甥は、今日は練習のはず。雨は、雪に変わっている。
いつもの「はしだて1号」乗車。指定席は、運良く最後の一枚が取れた。3連休の初日で、蟹シーズンの丹後行き特急である。二条駅からは、岩城先生も乗車して来られる。保津峡を抜け、亀岡盆地に入ると、一面うっすらと雪景色であった。その後、雪は激しさを増し、沿線は厳寒の様相を呈し始める。降雪の丹波高原を抜け、綾部に近づくと一旦雪は消えるが、福知山を経て、由良川沿いに進むうちに、再び雪が姿を現し、積雪を増してゆく。
雪のない宮津で各駅停車に乗り換え、奥丹後に向かうに連れて、再びの雪景色となる。丹後大宮に着く。駅舎内の喫茶で、激辛のカレーを食べる。本当に辛い。そのうち、体が内側からほかほかしてくる。路面にシャーベット状の雪の残る道を、靴を濡らしながら、岩城先生宅に向かう。
やがて、会員の皆さんが次々車で到着。いつもより若干遅れて、句会が始まる。宿題は、「暁の茶会」「湯漬」。席題は、「十日戎」であった。句会の間中、雪は降り止まず、やがて道路上も雪が積もり始める。5時前に句会は終了。15センチほどの積雪の中、皆さん、帰って行かれる。遠隔地の2人を除いての参加で、初句会は結構盛り上がったものとなる。
車で駅まで送っていただく。駅前のスーパーで、ビールとちょっとしたつまみを買い、定刻到着の特急に乗車。車中では、呑みながらの四方山話。雪のために、やや遅れながらも京都着。二条駅で岩城先生は下車され、私は終点京都駅まで。全く雪のない京都である。ともあれ、一日楽しい初句会であった。
【09年1月9日】
朝から、小雨。久々に、電車・バスの乗り継ぎで職場まで。雨が降るだけ、寒くはない。霧雨状態の中、校地の周回歩廊を、陸上部の生徒達が朝のトレーニングで、ゆっくりと走っている。
今日は、3時間の授業。うち、2時間は最初に中テストを実施したので、残りの時間はその採点に使う。百人一首前半50首の暗記テストの採点なので、神経を使う。細かく書かれた小さな字を80人分見続けたので、酷く目が疲れる。
夕方、雨が上がったので、駅まで歩くことにする。満月に少し欠けた月が、東の空高くに輝いている。駅頭で、前々任校で一緒だった人と偶然出会う。年賀状のやりとりは続けていたのだが、10数年ぶりの対面である。同じ電車だったので、隣り合って腰掛けて、しばらく近況などを報告し合う。途中駅でその人は降り、こちらは一駅前で下車。さらに歩くことにする。寒くない。途中の陸橋の側面に、大きな寒暖計が設置されているところがあって、確かめると、気温は8度と標示されてある。8度を寒くないと言う程度に、体が寒さに慣れているのだろう。いつもの大型小売店で、夕食の準備を買って帰る。野菜と果物と、今日は豚肉。
帰宅すると、甥はまだ帰って来ていない。洗濯をして、ご飯を炊き、夕食の準備をする。豚肉のソテーと野菜色々。準備が出来上がる頃、タイミング良く甥が帰宅する。
明日から3連休に入る。土曜日は、甥は大学で練習、こちらは丹後の「すき句会」。初句会である。冬型が強まってきそうで、恐らく丹後は冷たい雨か雪なのではないか、と思う。宿題が出ているので、その分の句を作る必要がある。投句作品は、帰省中の作の中から選んで持っていこうと思う。楽しみである。
【09年1月8日】
5時過ぎ、起床。朝食の準備。こちらは、生野菜主体で、目玉焼き、チーズ、バナナ、キウイなど。甥には、目玉焼き、炒めたエリンギ、ポテトサラダ、バナナ。それに昨夜のスープ(ポトフと言うそうだ)。主食は、こちらはパン、甥はもっぱらご飯(ただ、甥はまだ睡眠中だけれども)。甥を寝かしたまま、7時前に出勤。外は、猛烈に寒い。駅までひたすら急ぐ。宇治川を渡る鉄橋から、河川敷が降雪でもあったかのように霜で真っ白に見える。それに続く畑地も真っ白。いかに今朝の寒さが厳しいか、実感する。
一駅前下車。毛糸の帽子の上に、防寒具のフードを被って、ひたすら歩く。寒すぎて、何も考える気がしない。ひたすら歩くのみである。学校についても、体は温まっていない。
今日は、始業式。式並びに全国大会に出場するマラソン選手の壮行会。その後、大掃除。そして、試験並びに授業が始まる。試験監督2時間、授業1時間。久しぶりに大きな声を出したら、しばらく喉が痛かった。定時に退勤。同僚に途中まで車で送っていただく。車のナビから、国会中継の応答が流れる。定額給付金のやりとり。何か、切羽詰まった感じがまるでしないのは、何故なのだろうか。
帰宅。甥はまだ帰って来ていない。今日は、私が夕食作り。塩鯖、茸の味噌汁、厚切りベーコンを使った肉じゃが。ベーコン肉じゃがは和洋折衷風の出来上がりになって、これが美味しい。やがて、甥が帰って来て、夕食。食後は、帰宅後すぐ洗濯機を回しておいたのだが、終わった洗濯物を室内干しする。
帰省中の句を、パソコンに打ち込む。気がついた部分を添削しながら、データベースに打ち込む。句数は、まもなく5000句になろうとしている。
打ち込み終えたら、あとは少し本を読んで、その後就寝の予定。『源氏物語と枕草子』の続きを読むつもり。
【09年1月7日】
いつもは、5時起床なのだけれど、今日はまだ授業等はないので、遅めに6時前起床。朝食の準備をして、ついでに朝風呂に入って(寒い!)、食事。甥はまだ起きてこない。講義があると言っていたので、7時前に起こすと、勘違いだったとのこと。また、寝直している。学生は、呑気なものだ。7時過ぎ、出勤。昨日作った年賀状を投函しておく。一駅前下車、歩く。ずいぶん寒い。初めて見る外人さんと行く手が同じになって、抜きつ抜かれつ状態となる。別に競ったわけではないのだが。
今日は、会議のみ。その後は、授業の準備や、学期当初の試験の用意など。3年生は、1月いっぱいで授業が終了する。既に、教材の準備は終わっている。明日が始業式。その後、課題テストそして3学期の授業が始まる。
定時に退勤。同僚に車でマンション近くまで送ってもらう。年末、年始の話などする。正月は、親戚の子ども達のお相手で大変だった、とは同僚の弁。毎年の事だ、と笑っていた。近所の大型小売店で、食材など買って帰る。一日休みの甥が、夕食は準備してくれることになっている。なんやかや買っていたら、ずいぶんな出費になってしまった。「七草がゆ」セットも売っていたのだが、購入せず。
帰宅すると、甥はテレビでDVDを見ている。夕食の準備は終わったそうである。今日は、スープと手作りハンバーグのようである。ご飯もちゃんと炊いてある。甥は部屋に引っ込み、こちらはちょっと晩酌しながら、「日々録」を書く。
【09年1月6日】
分水嶺をトンネルで抜けると、天気は一変する。それまで、冷たい雨が降っていたのが、雲が急速に切れて、青空が広がっていく。
京都は快晴で、意外なほど寒くない。車中から見た北山の遠景も、国境稜線辺りに積雪が見えるだけで、雪の少なさを感じさせる。
帰宅後、まず年賀状の整理を行う。今回新しいソフトを使ったのだが、住所録が不備で、配達先不明で返って来た葉書と未送の分が数十枚分もあって、急いで住所録を再度作り直し、不足分の年賀状を買い足しに行ったりしているうちに夕方になってしまった。印刷を終えて、明日朝出勤の時に投函することにする。
今朝方、『藤原定家』読了。時代状況の中で、歌の家の後継者として、また中流貴族として、和歌に官職にと心を砕く定家の姿が興味深い。車中での読書の為に、駅構内の書店で『源氏物語と枕草子』をいう新書を買う。タイトルは『……枕草子』となっているが、内容的には『伊勢物語』あるいは、『竹取物語』の影響関係などが語られてあって、なかなか面白かった。