日記のようなものを書いてみようかな、と思いました。
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、という事です。 一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さい。 |
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【09年2月28日】
金曜日。今日は、卒業式。普段はブレザー姿なのだが、今日はスーツを着て出勤。天気は、生憎の雨降りであったが、式が始まる頃には小降りとなっていた。9時前から、1時間あまり、傘をさして駐車場の整理。式は定刻10時から始まる。一度、進路室に帰って、冷えた体を温めてから、式場の体育館に。体育館の後ろで、式に参加する。式そのものは、粛々と進んだけれど、卒業生答辞の中で、保護者一同が一斉に「うるうる」する演出がなされていて、答辞終了時に、期せずして会場に拍手が鳴り響くということがあって、卒業生もなかなか粋な事をするものだと感心した。式が終わり、卒業生の退場時、何人もの男女生徒が涙を流しつつ体育館を出て行く姿も、久しぶりに見たように思う。最後の最後まで、卒業を危ぶまれた女生徒は、満面笑み状態であったけれど。
卒業式を終え、生徒達が帰った午後、ぶらぶらと3年生の教室のある階を歩く。黒板一杯に別れのメッセージの残された教室や、すでにきれいに机・椅子が整頓された教室やら、担任の先生が一人後片付けをしている教室やら、見るでもなく見ながら歩く。居残っていた卒業生と、ピースサインで写真に納まったりもする。
急遽、就職に志望変更した生徒の就職照会が不調に終わり、仕切り直しということで、仕事をしようかと思ったのだが、式を終えて気が抜けてしまったのか、パソコンを前にぼんやりしてしまう。
2時間の年休を取って、退勤する。少し歩いて、いつもとは別のバス停まで行き、バスに乗る。一旦帰宅し、早い夕食をとって、ミューズのレッスンに出かける。今日は、いつもの駅前ビルの会場。車中で、藺草慶子句集『遠き木』を読む。感覚的に近い部分があるのか、作品世界を心地よく楽しむ事が出来る。俳句らしい俳句と言えば、漠としたものの言い方になるけれど、たとえば「城門に夕日さしけり花衣」「花屑のはりついてゐる蹄かな」という端正な諷詠句に続いて、「老幹を噴き出す枝や朝桜」の感覚を生かした句、さらに「天の鬱きはまるしだれざくらかな」の心境句へと変転する世界が面白い。
今日は、遅刻せずに練習に参加。モーツアルトの絶筆8小節を含む「ラクリモサ」の部分を集中練習。今回使用するレビン版はジェスマイヤー版とは最初の8小節以降が一部異なっており、前の記憶があって、最初はちょっと戸惑う。こちらの方が変化に富んでいるように思われる。
パート練習後、全体練習。初心者に配慮して、テンポの遅い曲目を中心に、練習しているらしい。今日で団員募集は終了。ほぼ予定の260人が集まったとのこと。来週から、本格的な練習に入る(毎回新しい曲の練習が中心になるらしい)とのことだ。9時過ぎに練習は終了。気分は良いけれど、少々疲れる。
帰宅後は、すぐ就寝。妙な夢を見る。
土曜日。5時起床。5時半に「歩き」出かける。
【09年2月25日】
火曜日、夜。『渡邊白泉句集』読了。出自である馬酔木の叙情性を留めつつ、素材の開拓、連作の試み、社会的事象(特に戦争に対して)への先鋭的な取り組みなど、読み応えのある作品群であった。ちょうど、角川『俳句』の今月号が届いたので一通り読んでみたりしたのだけれど、全体にちょっと物足りないというのが正直な印象であった。若い人達の作品が楽しみだったのだけれど、今号は少々大人しい作品が集まったように思われる。
水曜日、午後久しぶりの出張。小論文指導の研究会に参加する。基本的な指導法については、すでに理解していることだったけれど、具体的な指導の精緻さには、ずいぶん感心した。朝は雨だったのが、昼前から上がり、そんなことで持ってきた傘を講演会の会場にうっかり置いたままにして帰り、慌てて取りに戻ったりしたものだった。
会場で座っている間中、足先が冷たくて、気持ち悪かったのだが、歩き出して元に戻り、いったい何だったのだろうかと思う。やはり、冷え症なのだろうか。
帰宅後、ちょっと晩酌、その後出来合いのもので夕食。夜は、ちゃんと本を読もうと思う。
【09年2月23日】
日曜日、午後。パソコンをちょっとだけバージョンアップ?するつもりで、メモリを買いに行く。それまでのメモリ容量は、2本差しで1GBであったので、ビスタとしてはやや不満があり、この際1GBの2本差しで、一気に容量を倍増しようと企てたのだった。最初は、ネットの価格comとか言うところで、安いメモリを探して、購入するつもりでいたのだが、とりあえずいつもの駅前ソフマップで現物を見てから考えようと思い、思い立ったが吉日とやらで、早速出かける。
ここ1、2週間の間に、甥用のパソコンを買い、中古のモニターを買い、ケース冷却用のファンを買い、とPC関係の出費が嵩んでいるので、今回で買い物も一段落のつもりで出掛ける。さて、バルクものというメーカーの純正部品とはちょっと違う、その分価格的にずいぶんと安いメモリを、いくつか見せて貰う。さすがに、千円台のものは不安を感じ、二千円台の比較的安心なものがあるというので、ネットショップで買うより数百円は高くなりそうだけれど、購入を決める。紙袋に、ぽんぽんとメモリ2枚入れたものを渡されて、結構ぞんざいな扱いだな、などとも思うが、これがメーカー品ならざるものの宿命なのか、と思う。
せっかくなので、さらに1階上の大型書店で、今月号の『俳壇』を探す。N氏の新作と、I氏のエッセイで読んでみたいものがあったので、いつもは買わないのだけれど、購入する。
帰宅して、早速メモリの入れ替え。あらかじめやり方を調べて置いたので、その通りにケースを開け、それらしいものをマザーボードから外して、入れ替える。差し込む方向に気をつけろだとか、爪がきちんと収まるまで、しっかり挿しこめだとか、色々あるらしいけれど、ともかくやりこなす。ケースを閉め、パソコンを立ち上げて、ちゃんとメモリが2GBと認識されているのを確認して、一安心する。容量アップで、操作性が急に向上したという訳でもないようだけれど、少しだけ動きが速くなったような気はする。
夕食は、ちょっと晩酌の後、ブリカマと味噌汁、サラダと高野豆腐。
夜、寝る前に『俳壇』を読む。N氏の新作は今ひとつ。自選旧作50句が同時掲載されていたのだが、そちらは面白かった。「空飛ぶ法王」の一連の作は今ひとつだったけれど。でも、これが作者のオリジナリティの証明として、評価されることになるのだろうか。I氏のエッセイは、俳句との出会いとその縁の深さを語っていた。痛切な体験の中で、俳句が自己の深部に深く根付いて行く様を語っているように思えた。句作に対する、妥協を排した厳しさの背後にあるものを伺い見たように思う。
月曜日。胃が重たく、朝はおじやを作って食べる。外は、かなり強い降りの雨。少々鬱陶しい。
「おくりびと」「つみきのいえ」の両作品がアカデミー賞を受賞したという。素晴らしいことだと思う。うんざりするような世情の中で、こちらまで浮き浮きするような出来事である。
【09年2月22日】
土曜日、午後。暖かく、良い天気なので、「歩き」第2弾に出かける。伏見稲荷まで。境内は、ずいぶん沢山の人出であった。ちょうど、「京の冬の旅」の特別公開が行なわれていたので、見学に入る。「お茶屋」と棟方志功の襖絵のある「松の下屋」並びに回遊式庭園の公開であった。「お茶屋」は、御所からの移築、「松の下屋」「庭園」は、大正時代のものだとか。志功の絵は、艶麗な「稲荷姫」の掛け軸も、ダイナミックな形と色彩の寒椿や牡丹、松の絵などが見応えのあるものだった。庭園は、こじんまりしたものだったが、落ち着いた雰囲気のあるものだった。
見学を終えて、千本鳥居と少し歩いて、自宅まで引き返す。本日の「歩き」は、26000歩ほどになった。充分な歩数であろう。夜は、ササミ肉と野菜たっぷりのヘルシーカレーを作って食べる。もちろん、カレー粉もカロリー30パーセントオフのものを使った。なかなか美味しかった。
夜、甥のパソコンの調子がおかしくなる。ネットが繋がらなくなったので、無線ランの接続作業を1からやり直して、なんとか復旧する。
日曜日、朝。5時過ぎに歩きに出かける。ところが、少々寝ぼけていたのか、万歩計と時計をしないままで歩いていた。途中で気がついて、一旦引き返し、歩き直す。遠出が面倒になり、近所をうろうろする。昼間だったら、明らかに不審者扱いされたろう。1時間ほど歩く。朝食は、一晩置いたカレー。これも、なかなか美味しい。お腹が落ち着いた頃、朝風呂に入る。風呂の中で、寺田寅彦の俳句関係の文章を読む。現在俳句に関して問題になっている様々な点が、既に寺田寅彦の文章の中に網羅されていることを知る。
先週の「週刊俳句」の中で、五七五定型の俳句を10句も20句も読まされると読者は退屈するが、その中に長句(17音より幾分か長い句)が混じっていると、変化がもたらされて良い、というような意見が書き込まれてあったけれど、混じっていようといまいと、単調なものは単調だし、退屈なものは退屈なので(特に、冗長な印象を与えるような種類の長句の場合は、読む気の喪失につながるし)、話はあまり単純にはいかないようだ。そんなことも、寺田寅彦の文章を読みながら、思ったものだ。つい、長風呂になってしまう。体には、あまり好ましくない入浴法ではある。
昼前、散髪に行く。一気に短くなって、頭が寒い。
【09年2月21日】
金曜日。久しぶりに、朝の通勤にバスを使う。かなり強い雨が降っていたせいで。7時半には職場に着いて、仕事を始める。一つ前の駅から歩く時に比べ、バス待ちの時間はあるにしても約10分早く着く。
定時、退勤。一度自宅に立ち寄ってから、ミューズの練習に参加する。地下鉄で、京都市内まで出る。車中で、『落語にみる 江戸の酒文化』という本を読んでいて、うっかり下車駅を乗り過ごしそうになる。落語を素材に、酒にまつわる文化の諸側面を複数の著者が民俗学・民族学的な視点で多面的にまとめ上げていく。これが読んでみると、ずいぶん面白くて、つい乗り過ごしそうになったりもする。
先週に比べ、男性陣の人数が増えている。男声・女声に分かれての練習では、テノール絶好調という様子である。聞いていても、つい聞き惚れるくらい上手い。ベースの方は、それにくらべやや力足らずという状態か。いつもの会場に比べ、練習時間が制限され、9時前には終了。まだまだ人通りの多い河原町通りを地下鉄駅まで。
帰宅後、週末ということで、ついだらだらと夜を過ごす。気がつくと11時前で、本も読まずに、就寝。
土曜日。五時過ぎから歩きに出る。昨夜の天気予報では寒くなるということだったが、天気が良い割にさほど寒くはなく、歩きやすい。今日は、丘陵コースを2時間ほど歩く。歩きながら、朝が早くなっているのを感じる。繊月が東南の空低く浮かんでいる。辺りが明るくなり始めた頃、ちらちらと雪が舞い始める。ごく短時間であったが、春の雪の風情を楽しむ。
近所のコンビニでサンドイッチを買って来ての朝食。手抜きである。コーヒを飲みながら、次回の『鼎座』の連句のゲストのT氏へ、連絡の手紙を書く。投函に外に出ると、朝よりも寒くなっている。西山も、北山も雲に隠れている。帰宅後、ネットで確認すると、丹後地方では雪が降っていた。鞍馬寺のライブカメラも覗いてみると、こちらも雪が降っていた。
「歩き」の途中、あちこちで白梅が咲いているのが目に付いたけれど、冬と春の二つの季節が交叉しているのが、ちょうどこの頃なのだろう、と思う。
【09年2月18日】
昨日より今日はマシだったけれど、それでもずいぶんと寒い。道ばたの溜まり水に氷が張っているのを見かけたのは、これで2度目である。つい、踏んでみたくなる気持ちを抑えて、急ぐ。時間的にはずいぶん早いのだけれど、ともかく寒いので、早く職場に到着したいのだ。
今日は、3年生の登校日で、6限の2年生進路ガイダンスを終えて、進路室に帰ると、やって来た3年生の応対で大忙しになる。一段落して、放課後は職員会議であったことを思い出し、急いで会議室へ行くが、席についてほどなく会議終了。しかし、さらにクラブ関係の会議が接続していて、それを終えると、ほぼ退勤の時間となっていた。少し仕事が残っていたので、それを済まして退勤。日が落ちると、またまた寒い。バス停までの道が辛い。しかも、吹きさらしの場所で、バスが来るのを待つのが、また辛い。青みを残す空の一角で、金星らしき星が、ギラギラ輝いていて、それが一入寒さを強調する。
駅に到着。ちょっと読んでみたい本があったので、高架下の書店に行ってみるが、探しても見あたらず、やむなく諦めて駅へ引き返す。
近所のスーパーで夕食のおかずを買って帰り、それを食べる。なんとも手抜きな夕食となってしまった。
睡眠不足というわけではないのに、眠くて仕方ない。眠りの質が良くないのかも知れない。枕が合わないのかも、とも思う。
『悼む人』読了。最後まで、主人公に対する違和感は融けなかった。それよりも、主人公の母の姿の方が、より印象的で切実であった。ごろつきめいたジャーナリストの姿も印象深かったが、最後の登場シーンは現実の出来事ではなかったのだろうか、と後になってしきりに思う。もう一度、読み直してみようか。続いて、『利休にたずねよ』を借りる。しかし、読み始めるのは、少し後になるかもしれない、と思う。それなら、借りるなよ、とつい自分に突っ込みを入れてみたりもする。すでに『人物叢書 千利休』を少し読み始めているので、どうしようかな、と思っているのだ。同時進行的に何冊かの本を読んでいるので、相乗効果で面白くなったり、そうでなかったりするもので。
【09年2月16日】
日曜日、午後。昨日購入したパソコンの梱包をほどく。甥専用のパソコンとして買ったもの。本人は、幾らかは負担する、と言っている。基本的なところだけ準備をしておこうと思う。モニターは古い分のアナログモニターをそのまま使う積もりであったが、接続が合わないので、仕方なくアダプターを購入に(実は、アダプターは梱包内に入っていたのを見落としていたことが、後になって分かったのだが)駅前のソフマップまで出かける。指定のアダプターを探すが、見あたらず、店員さんと相談しているうちに、中古の液晶モニターに変更することにする。机上の巨大モニターが、いかにも邪魔だったので、買い換えのちょうど良いきっかけになった。割と品質の良い中古モニターを買い、費用も溜まっていたポイントを使ったら、それで充分まかなえたので良かった。二日連続で、タクシー帰宅。
その後、接続端子を間違えていて、しばらく画面がでないなどの小さなアクシデントはあったけれど、セットアップも終わり、無線ランの設定も簡単に終了、リカバリーディスクも作って、一応使える状態になった。
ついでに、自分のパソコンのケース冷却用のファンをより強力なものに付け替える作業を行う。本体を開いて、手を加えるような作業は、今回が初めての事で、ずいぶん緊張する。作業自体は、終わってみると実は簡単なものだったのだけれど、電源を入れて、ファンがきちんと回るのを確認するまでは、ドキドキ状態であった。なかなか新鮮な体験であった。
夜、『悼む人』を読み次ぐ。
月曜日、通院。待合でも『悼む人』を読む。主人公に対する読者の違和感は、作中人物たちが感じる違和感と同様のものなのだろう。そんな形で、読者自身を作中人物化するという風な仕掛けを作者は意図したのだろうか、と思う。それにしても、重たい話である。
【09年2月15日】
金曜日。ミューズの練習に行く。夏のモーツアルト「レクイエム」の練習。すでに、1月から団員を募集し、練習自体は始まっていたので、遅めの申し込み・参加ということになる。260名を目標にした団の募集は、まだ200名足らずということで、募集期間が1週間延ばされるようだ。男声のバスの数が、全く足りない。新しい楽譜を見ながら、久しぶりに歌ったけれど、声はまだ全然でないが、一通りは唱うことが出来たのでちょっと安心する。テノールは、今回もなかなか良い。ソプラノは、まだまだというところか。練習を終えて帰宅。夕方降り始めた雨は、小降りのまま止まない。
土曜日。丹後「すき句会」。いつもより、早めに出る。チケットを買い、お土産は「北野梅林」と、甘酒入りの可愛い「雛」のお菓子。書店に立ち寄ると、『ガラスの仮面』が平積みになっていたので、1冊購入。「はしだて1号」は、ガラガラ状態であった。まだまだ蟹のシーズンのはずだが。二条駅で乗って来られた岩城先生と、車中で合流。『鼎座』連句会の打ち合わせなどして、後は岩城先生は句作、こちらは昨日借りてきた直木賞受賞の天童荒太『悼む人』を読む。内容が内容だけに、ちょっと真実味に欠けるところがあって、読みながら微妙な違和感を感じる。天童荒太の著作は、以前に『包帯クラブ』という作品を読んでいて、これも「癒し」をテーマにした作品で、学生達を主人公にしたことで、同様の違和感が薄まっていたのだけれど、今回は社会派風な所もあって、逆に主人公の「悼む人」の存在が、「微妙」であった。実に虚をぶつけることで、実の揺らぎを描くみたいな方法はあると思うのだけれど、その為には「虚」の部分に真実味がなければ、揺らぎも弱い。
「すき句会」。今回、新たに二人の方が参加をされた。一人は、宮津時代の同僚の方(私よりかなり年上ではあるが)、もう一人は岩城先生の教え子の保護者にあたる方のようだ。お二方とも、なかなかの作り手で、面白い作品を読ませていただいた。
句会後、さらに車中にかけて、ビールを飲みつつ、俳句の話。京都帰着後、岩城先生はさらに所用があるとのこと。こちらは、駅前のソフマップに寄って、安いパソコンを購入、持ち帰る。タクシーを利用する。
帰宅。夕食は結局、車中のビールとおつまみということであった。少し疲れたので、パソコンの荷ほどきは翌日回しにして、寝る。
日曜日、朝。6時前に「歩き」に出る。今日は、方向を変えて宇治川の方に行く。河畔に出ると、一面の川霧である。早い川の流れと、水面やや上にゆらゆら揺れる霧の姿がちょっと神秘的できれいであった。対岸の葦の枯野の方からは、時折鶯の笹鳴きが聞こえて来たりもした。季節は、確実に歩みを進めていると感じる。
写真は、川霧の宇治川。対岸は、霜野であった。
【09年2月11日】
最近は、休みになると、丘陵地帯まで朝の「歩き」の足を延ばしている。夜明け方から、早朝への風景の変化が、とてもきれいで気持ちがよいので、歩行時間は2時間近くかかるのだけれど、つい出かけてしまう。丘陵地帯は、その裾からしばらくは宅地が続いているのだけれど、その先には運動公園や墓陵などが稜線部にかけてゆったりと広がっているので、緑も豊かで、何より空の広さを感じることが出来るのが良い。今日も、5時過ぎに、防寒対策をしっかりして、出かける。帰って来たのが8時前だったので、今日は2時間半ほど歩いたことになる。昔は、その辺りは、やや長距離のジョギングコースとして走っていたこともあるのだが、今ではもう走る事が出来そうにない。ただ、歩くことで、周りの風景をゆっくり眺め、気に入った所では立ち止まる事が出来る。それが、良い。今日も、常緑広葉樹林の中の小さな沼の前で、しばらく時間を過ごす。鴨、鷺、さらには鵜までが、こんな小さな沼にまで飛んでくる。
帰宅すると、珍しく甥が起きていて、もう朝食も食べたという。9時過ぎには、家を出ないと、電車に間に合わないので、もう起きているのではないかとは思っていたのだが、その通りであった。すでに、帰省の準備は昨夜のうちに終えて、手荷物と、ザック、そして楽器ケースがベットの脇に置いてある。
こちらが、朝風呂に入り、朝食を食べ、洗濯を始める頃には、時間が来て、なんとなくいそいそという雰囲気で、甥が出かけて行った。後は、一人である。昨年の4月以降の二人暮らしが、ごく普通のことになったこの時期に、また一人になるのは、少々奇妙な感じがするものだ。
何となく家にいるのも落ち着かないので、昼食後、出かける。いずれパソコンを一台買うつもりなので、格安のものの値段確認のつもりででかける。ついでに、ケースの冷却ファンのもうちょっと性能の良いものを一つ買って来ようと思う。駅前に、大きな電器店が二つあるので、両方を見てまわり、値段の比較を行う。5万弱で、そこそこのパソコン本体が買えそうである。ファンは、2千円ほどのものを購入。帰りの電車で、雨がぱらぱら降り始め、降りた駅から自宅までは小雨の中を帰ることになる。
帰宅後、少々疲れたので、ベットに横になって、『渡邊白泉全句集』の続きを読む。有名な「憲兵の前ですべつてころんぢやつた」「戦争が廊下の奥に立つてゐた」はいずれも昭和14年の作であった。そう言えば、昭和13年の作に「海坊主綿屋の奥に立つてゐた」という奇妙な句があり、「戦争」の句はその作句順から言えば自己等類句という事にもなるのかもしれないけれど、「戦争」の方が断然良い。
夜、チンゲンサイと茸の炒め物、具だくさんの味噌汁を作って食べる。後は、だらだらとテレビを見る。自宅と、スカイプによる通信。母の背後で、ベットにごろりと横になって犬と遊んでいる甥の姿が映っていたりする。もう、寝ようと思う。
【09年2月10日】
明日、甥が帰省することになった。本当は、明日は、友人と過ごして、明後日帰省する予定とのことだったのだが、友人達が軒並み風邪を引いてしまって、明日の予定がキャンセルになったという。すでに、帰りの電車の切符も買っているとのこと。大学自体はとっくに春休みに入っているので、甥もこれから本格的な春休みに入ることになる。とは言え、また3月に入ると京都に来ることになるのだが。こちらも、これからしばらくは、以前のように一人暮らしの生活が始まる。洗濯、食事の準備等、甥にはずいぶん助けて貰っていたのだが。
ここしばらく、バス停のある駅で下車して、職場まで歩いている。あるく距離が少し長くなるのだが、朝歩くのに気持ちよい道があるので、こちらの方を選んでいる。川沿いの道と、住宅街に沿った遊歩道のあるところと、日によってコースを選んで歩いている。遊歩道コースは、小鳥の集まる道で、目白の遊ぶ様などを見ながら歩くのは、楽しいものだ。
仕事は、忙しい。3年生の卒業指導に追われていて、その準備や、特別授業などが通常の授業の上に乗っかっているので、その分忙しさが増しているのだ。こちらの方の指導は、可能な限り早く終えたいものだ。
夕方、帰宅する際、南西方向にずいぶん明るく輝く星が見える。恐らく金星か、火星かと思うのだけれど、空の明るい都市部の上空で、その星だけがひどく目立って輝いているので、ちょっと気になる。
『後白河上皇』読了。歴史的に動乱の時期の権力者の生き様が、なかなかドラマチックで面白い。源平争乱の影の策謀家的な面もあり、それも面白い。『梁塵秘抄』関係のことは、ほとんど出てこなかったのが、残念ではあったけれど、独裁者的な政治家とコアな文芸愛好家の両面性が、一人の人間の中で共存しているのが、大変興味深い。
【09年2月9日】
日曜日。一日家に籠もって、尾崎放哉『尾崎放哉随筆集』を読む。『層雲』に数度の渡り掲載された回想記風の文章が、しみじみとした所があって、よかった。書簡もいくらか掲載されてあって、放哉の生の声が読み取れるようで、印象深かった。ただ、放哉の書簡には経済的援助を間接的に乞う意味などもあると、後の解説に書いてあって、なるほどと思ってしまう。愛嬌がある人であったかどうかは、分からないけれど、上手に人に甘えるところがあったのかもしれない。最後の方、死が間近に迫っている中での書簡には、静かな真剣さとでもいうものが感じられた。最後を見取った近所の老婆の事なども出てきて、感銘深かった。
夕方、弟の指導するクラブのアンサンブルコンクールの結果が、母の方から入る。2部門に参加し、1部門は金、もう1部門は銀を受賞したとのこと。同じ県から参加した他校の結果も教えられたが、1校は銀と銅、もう1校は銅二つということであった。アンコンで金を受賞したのは、久しぶりか、初めての事ではなかったかと思う。本当に良かった。
月曜日。一日、忙しい。
【09年2月8日】
土曜日、午後。寺町の電気街に久しぶりに出かける。しかし、電気街とはもう言えない凋落状態で、2件ほど見てまわって終わる。何か、掘り出し物はあるまいかと思っていたのだが、期待はずれであった。同じ町筋に古本屋が2軒あるので、そちらにも立ち寄ってしばらく本を探す。が、めぼしいものは見あたらず。2冊ほどは面白そうな本があったけれど、数万もする本で、とても手が出せない。一冊高濱虚子著『正岡子規』甲鳥書林(文庫本があると思うのだけれど)を購入。
久しぶり次いでに、寺町京極を歩く。京極通りに比べると、やや人通りは少ないけれど、やはり人混みは鬱陶しい。そのまま、北に抜けて、閉店してしまった「平安画廊」の前にしばらく佇む。中では、今日も店内の整理が行われていて、数名の人が作業着姿で片付けをしていた。下ろされたシャッターの前に、「自由にお持ち帰り下さい」と書かれた小物調度や湯呑み、小物入れなどが置かれてあった。記念に持ち帰る人もいるのだろうと思う。
寺町京極を抜け、御池通りを渡り、しばらく歩くと、こちらも閉店した「八百卯」がある。梶井基次郎の『檸檬』で有名な店だった。シャッターが降りた店舗に小さく閉店挨拶の紙が貼られてあった。明治12年創業以来の伝統のある八百屋(後、2階にフルーツパーラ併設)であったそうだ。すぐ近くに「三月書房」があるので、そこに行く時はいつもちょっと意識ししていた店である。ただ、一度も買い物をしたことはなかったけれども。
「三月書房」で河東碧梧桐『子規の回想』(『子規を語る』とその続編が掲載された回想録)を購入。尾崎放哉『尾崎放哉随筆集』も購入。放哉の随筆は、帰宅後初期作品「俺の記」というのを読んでみたが、漱石の『我が輩は猫である』の焼き直しみたいな変な作品であった。
鴨川へ出て、しばらく河畔を歩き、三条京阪から電車に乗る。帰宅後、万歩計をみると「23000歩」。一日の「歩き」としては、充分な歩数であった。
夜は、甥の作った夕食。鶏の南蛮揚げ、ポタージュスープ、それに買って来た刺身。ちょっと高カロリーの夕食であったかもしれない。
日曜日。朝、1時間ほどの「歩き」。神社にお詣りをしてくる。神域の白い玉石と常緑樹の緑と古びた木の神殿のシンプルさがもたらすある種の清々しさが結構気持ちよい。白梅が、五分咲きであった。紅梅は、まだ蕾状態。
【09年2月7日】
金曜日。夜、職場の送別会。お世話になった臨採の方をお送りする。ちゃんこ鍋を囲んで、わいわい騒ぐ。少し飲んで、軽く酔う。私は、一次会で帰る。他の方達は、果たして何次会まで行かれたことだろうか。
帰宅すると、甥は寝ていた。普段ならまだ起きている時間なので、よっぽど疲れたのだろう。専門の楽器の試験が行われたので、きっとずいぶん緊張していたことだろう。しばらく起きていると、甥が目を覚まして来たので、試験の様子を聞いてみると、特に問題はなかった、と言う。上出来だったのだろう、と解釈する。
土曜日。5時過ぎに「歩き」に出かける。先々週、丘陵地帯に歩きに行って、大変気持ちよかったので、今日もそちらの方に歩きに出る。ゆっくりと傾斜地を上り詰めると、標高が数十メートルしか違わないだろうに、寒さの感じが違う。息を吐くと、面白いほどに白い。薄闇の中に、怪物の噴射炎みたいにすっと延びていく。公園を抜け、運動公園を横切り、天守閣を見上げ、墓陵をいくつか巡って、2時間半ほど歩き、すっかり夜が明けた街を帰って来る。ほぼ15000歩ほど歩き、一日のノルマを早朝の歩きでクリア出来た。
帰宅後、甥の分の朝食の準備をし、自分は近所のコンビニで買って来たサンドイッチを食べる。手抜き朝食である。
その後、洗濯2回、掃除を済ませ、スカイプで自宅や九州の兄と少し話す。今日は、珍しくアメリカに留学している姪ともスカイプが繋がったので、様子などを聞く。
『梁塵秘抄』読了。引き続いて、歴史人物選書の『後白河上皇』を読み始める。貴族政権から、武士政権へと権力機構が移り変わっていく動乱の時機に、「暗愚」などと厳しい評価もある中で、30年ほども院政を継続して、十二分に政治力を発揮し続けた一人物の生き様は、なかなか面白いと思う。
【09年2月4日】
5時起床、というか、目が覚めて時計を見たらぴったり5時であった。起きることにする。朝食の準備。ごく簡単なものにする。寝汗をかいたようなので、朝風呂に入る。
今日も、甥が早く起きてくる。練習用の部屋を確保するために、早く大学に行かなければならないらしい。こちらも、早めに出勤する。
バス停のある駅で下車。昨夜聞くつもりだった年末の「第九」のテープを、歩きながら聴く。次第に、顔が上がってくる感覚。良い、のではないか、と思う。テンポが速い、との感想があったりもしたが、このテンポ感も嫌ではない。ともかく、曲全体がある一点へと突き進む感覚が、かえって心地よい。感動しながら歩いていた。(実は、帰りも聞きながら帰った)あながち、自己満足というわけではない。男声合唱が奮起していて、女声とのバランスが今までになく取れていたように思う。
本日の占いでは、ハプニングの連続でばたばたするとの事なので、逆手を取って、何やかや色々やっているうちに、いつの間にか、夕方となってしまった。
帰宅の車中では、引き続き『梁塵秘抄』を読む。頼朝に「大天狗」と言われた後白河が、やはり面白い。一度上皇関係の本を読んでみたいと思う。宗教哲学的な解釈などに話が進みつつある。
夕食は、甥が準備してくれていた。サバの味醂付けが、片面焦げ焦げになってしまったのが、ご愛敬だった。浅蜊の味噌汁と、豆腐と肉のオイスターソース煮というのが、なかなか美味であった。
【09年2月3日】
色々な事があって、充分眠られず、いつもより早めに起きて、朝の準備をする。6時過ぎには、いつになく甥も起き出してきて、こちらはパン、甥は昨日のカレーライスを食べる。ゴミ捨てを頼んで、出勤。いつもの駅は乗り過ごして、バス停のある駅で下車。バスには乗らず、歩く。こちらの方が、少し歩く距離が長い。
一日、気分がすぐれず。ただ、退勤前の、同僚の人が用意してくれた節分用の和菓子で、ちょっと気持ちが和む。豆を模した綺麗な菓子であった。
昼過ぎから降り出した雨は、夕方になってもしとしとと降り続いている。車中では、加藤周一『梁塵秘抄』を読む。民衆史の一環として、『梁塵秘抄』を読もうとしているのだろうか。後白河上皇の評伝が面白い。
丸かぶり寿司と鰯の焼いたもの、節分用の豆などを買って帰る。
既に、甥は帰宅していて、二人で早速豆まきをする。各部屋毎に、丹念に豆をまく。まさに「鬼は外、福は内」の心境である。
少し疲れているので、早く寝ることにする。甥も、早く休むという。
【09年2月1日】
『高屋窓秋俳句集成』読了。ずいぶん時間がかかったけれど、面白かった。世評では、第一句集『白い夏野』に収められた句などの評価が高いような気がするけれど、個人的には後期の句集『ひかりの地』『花の悲歌』の作品群が良かった。どの句がと言うわけでなく、全体として詩的で自在なところに心惹かれた。『花の悲歌』の最後の句が、「黄泉路にて誕生石を拾ひけり」という句であった。ゆったりとした生の円環とでもいうものを感じた。この感覚に心惹かれたのかもしれない、と思う。平成2年の「追憶の旅」と題された一連の句では、彼の心にとまった俳人達のパロディというよりは、挨拶の一句がまとめられてある。例えば、「古池や蛙も見たり雲に鳥」(芭蕉の句)、「モネ飛んで打重なりぬ二三片」(蕪村の句)、「赤貧はここよここよとおらが春」(一茶の句)、「きのこ雲糸瓜の水も間にあはず」(子規の句。なお、高屋氏には終生原爆に対する強い問題意識があったと思う)、「白雪といふといへども恋ほのか」(虚子の句)、「赤い帽子白い帽子と被りけり」(碧梧桐の句、なおかっこ内はいずれも私が付けた余計な注です)。最後は「船長が沈んだ海の帽子は泳ぐ」(高柳の句)であった。初期作品の、叙情的で若々しいいかにも『馬酔木』風の句も面白かった。この『集成』は、初出句との異同の指摘や、句集からは漏れている句も「補遺」という形で丁寧に収載されてあって、ネット上で高山れおな氏であったかが書いておられた、一人の作家の作品を読もうとする場合は、その人の代表句だけではなく、つまらない句凡作と思える句まで含めて、全体として読んでいく必要があると言う指摘は、当たり前のようでありながら、改めて頷けるものであった。
2月に入った。昨日の分も含めて、6時前から2時間ほど、「歩く」。丘陵地帯をぐるりと一周して、朝早い街の遠景を眺めたりする。大変気持ちが良い。快晴で、その割に寒さを感じなかったけれど、しかし京都の西山もその並びの愛宕山も稜線が雪で白くなっていた。山の方は、昨夜雨ではなく雪が降ったようだ。