日々録
日記のようなものを書いてみようかな、と思いまし た。             
備忘録を兼ねて、日々思ったことを書き付けておこうか、とい う事です。             
一人言めいた内容もありますが、興味があれば、お読み下さ い。

      
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【10年1月30日】
本日の月齢は、14.8。満月である。すでに青みを帯びた月が、山の端をずいぶん離れた位置に浮かんでいる。月の出は1日につき50分ずつ遅くなる、などと昔教わったことなどを思い出す。。
朝、6時前に「歩き」に出る。外はまだ、ほとんど夜である。西の空低くに、紅い月が姿を見せている。月から、少し離れた位置に、星が一つ輝いている。火星か、金星なのだろうか、と思う。
「丘陵コース」を歩く。竹林の中は、薄暗くて、少々気味が悪いほどだ。見上げると、竹群の間から、藍色の空が覗いている。夜が明けるまでに、もうしばらく時間がかかりそうだ。明るくなった頃、住宅地を抜け、公園になっている谷を下り、さらに運動公園へ向かう。網フェンスの向こうに紅いサーカスのテントが見える。巨大なテント全面が、霜で白っぽい。携帯で、2・3枚写真を撮る。キリンは、今日も元気そうで、白い息を吐きながら、もりもり餌を食べている。グランド脇に設置された自販機で、缶コーヒを買って飲む。温かくて、美味しい。
山の手のお屋敷町を歩き、建設中のお屋敷(どんな人が住むのだろうと、素朴に思う)を見物してから、坂道を下って行く。
帰宅後、朝食。洗濯、掃除、ついでに風呂場と洗面所も気合いをいれて磨く。
甥は、実技試験ということで、すでに普段通りに大学に出かけたようだ。
一通り家事を終えて、読書にかかる。『俳人青木月斗』。夕方までには、ほぼ読了。年譜の部分は、夜読む事にして、夕食の買い物。既に甥は帰宅していて、部屋で休んでいる。実技は結構上手くいったらしい。寿司を買って帰る。


【10年1月29日】
月齢は、13.8.微妙に満月とは言えない状態。夕方、東の空に赤っぽい姿を見せていた。見た瞬間、ああ満月かと思ってしまった。
金曜日。週末である。1週間が早い。つい先日、大阪中之島で絵画を見ていたのに、もう……という感じである。
授業と試験監督とテストの採点で、昨日・今日と大忙しだったけれど、どうにかやりこなす。採点も、持ち帰り仕事にしなくても済んだ。ありがたいことだ。
同僚の方から、大根を丸ごと1本いただく。それが並みの大きさではないので、どうやって持ち帰ろうかと寸時考える。結局、部室の水屋に置いてあったフォーク(誰がそんなところにそんなものを置き忘れたのか?)を使って、全体を3分割にして、ビニール袋に入れ、ザックに押し込む。そのまま背負うと、大根の丸みが背中に当たり、少々痛い。そんな状態で、バスに乗り、駅の高架下のスーパーで夕食を買い込み、電車に乗って帰ってくる。帰宅後、大根は即、冷蔵庫の野菜室に入れる。明日は、まず大根の味噌汁ということになりそうだ。ともかく大きいので、全部をどう調理しようかと思う。
明日は、朝の「歩き」の時以外は、家に籠もって、『俳人青木月斗』を読了しなければならない。少しずつ読んできたのだが、あまりに細切れな読書になっているので、ともかく残りをまず一気に読み切らねば、と思う。ずいぶん精査され、資料なども読み込まれた労作という印象を持つ。「醍醐会」は明後日なので、どのような話し合いになるのか、ともかく楽しみである。
おとといも、昨日も、録音された年末の「第九」を聴いて眠る。自己満足と言えば、まさにその通りなのだろうが、様々に問題点を見せつつも、そのパワーに惹かれる。ほぼ、おじさん・おばさん達の合唱団の演奏なのに、歌から響いてくる物は、ずいぶん純粋な力なのだ(おじさん・おばさんが不純と言うわけではないのだが)。不思議なことである。


【10年1月27日】
角光男氏が、『俳人青木月斗』で俳人協会評論賞を受賞された。折しも、今月末の第五日曜日は『醍醐会』の日。そこでの話題が、この著作である。筆者の角氏から、直接お話を聞く機会を持つことが出来る。楽しみなことである。著作は、すでに手に入らないようであったが、幸いアマゾンに在庫が見つかり、注文して至急便で送ってもらう。予備資料は、事前に頂いていたのだが、改めて一冊を読んでみようと思う。
ちなみに、「第49回俳人協会賞」は、榎本好宏『祭詩』(ふらんす堂)・栗田やすし『海光』(角川書店)。「第33回俳人協会新人賞」は、加藤かな文『家』(ふらんす堂)金原知典『白色』(ふらんす堂)森賀まり『瞬く』(ふらんす堂 )、とのことだ。それにしても、出版元は「ふらんす堂」が多いな。高柳克弘氏の句集『未踏』は、予選は通過していたようだけれど、選にもれたのかと思う。ずいぶん高く評価されていたようだったけれど。
3年生は、学年末考査。1・2年生は平常授業。試験監督に行ったり、次の時間には授業に行ったりで、慌ただしい。
昨日、京都ミューズから、年末の『第九』の録音テープが届いた。いまだにカセットテープというのは、ちょっとすごいけれども、ちゃんとした再生装置がないので、小型のテープレコーダーで再生して、イヤホンで聴く。悪くない出来だと思う。曲に力があり、合唱に勢いがある。何かを歌い上げようという迫力を、合唱団に感じる。ミューズの殻を少し破った演奏となったように思う。
ベットに横になり、灯りを消して聴いていたのだが、一度聴いて、さらにもう一度第四楽章だけを聴いてみたりする。悪くない。
今夏は、ベルディーの「レクイエム」を唱う。この曲も、膨大なエネルギーが必要な大曲である。正直言って、素人集団であるミューズ合唱にとっては、とても敷居の高い曲である。果たして、今回はどこまでこの曲に接近することが出来るであろうか。遠く仰ぎ見る雪嶺のような曲である。


【10年1月24日】
午後の大阪で、月齢8.8の昼の月を見る。久しぶりの大阪。国立国際美術館で開催されている、現代絵画の展覧会「絵画の庭」を見に来たのだ。28人の現代日本の若手芸術作家の作品をまとめて展示するという贅沢な展覧会である。世界的に著名な奈良美智を初めとして、加藤泉、加藤美佳、町田久美、村瀬恭子、草間弥生などの作品が、一人1コーナーのスペースを設けて数点ずつ展示してある。鑑賞するには、なかなかエネルギーが必要な作品も多いけれど、各自の自らの手法と主題に対する強いこだわりと、旺盛な創作力とに圧倒されそうになりながらも、大変興味深く鑑賞することが出来た。
折しも、角川『俳句』の2月号が届いていて、そこで高柳克弘氏が、『新撰21』を話題として取り上げ、若手作家達の俳句に対する姿勢について、懇切に語る連載「現代俳句の挑戦」が載っており、その若手作家達の姿を思い浮かべながら、展覧会会場を回ったりもしたものだ。岩城先生が先日のメールでの『新撰21』読後感として指摘しておられた、俳句表現自体に対するこだわりの弱さという点を、高柳氏は括弧付きで保留し、ともかくまず各自が何を詠うのか、と言う点で一つの評価軸を提示しておられる点が、とても面白かった。ともかく、好きなことをやってみられたらよいのだ、と乱暴な事を思ったりもする。
それにしても、画家達は線・形・色彩・素材等様々な手段を駆使して、自己の思いを作品化するのに対し、若手俳人達の手にあるのは、ただ言葉だけである。その言葉を駆使して、どのような風景を今後展開してくれるのか、楽しみである。
中之島のとある店で、遅い昼食を取る。ご飯は玄米でお代わり自由、マイ箸を持参の人は料金が10円安くなる、という特典のある店。味は、やや薄目であった。使われた料理素材は、契約農家からの直販。あるいは、味は問題ないけれど、形などが不細工なものも、上手に食材として生かしているのではないか、などとふと思う。食事に対して、そんな細やかな配慮を感じさせる店であった。
マスコミなどで、大阪はなんとなく粗雑でがさつ町、大阪人も恥じらいに乏しいみたいなイメージが作られているような気がするのだが、おそらくそれは大間違いであって、大阪は独特な細やかさと繊細さに満ちた町であると、改めて思う。
夕方、帰宅。昨日は、私が「キムチ鍋」を用意したので、今日は甥。カレーライスを作る。食事までの間、ちょっとワインを飲んで、「日々録」を更新中。良い一日を過ごせて、さらに微醺の影響もあって、今日の「日々録」はやや饒舌過ぎるかもしれない、と思う。


【10年1月23日】
夜中、喉が痛くて、何度か眼を覚ます。風邪なのか、部屋が暖房のせいで乾燥しているのか。起きて、うがいをして、また寝る、という事を繰り返す。
5時過ぎに眼を覚ます。しばらく、ベットに横になったまま、テレビを見る。6時前に起床。「歩き」に出る。1時間ほど近所を歩くつもりであったが、歩いているうちに、大きくコース変更。丘陵地帯の遠距離コースを歩く事になる。まだ薄暗い中を、平坦地へ向かう坂道を登って行く。住宅地から耕地、さらに春は筍を採る見事な竹林へと周囲の景観が変わっていくのが楽しい(登りはかなりきついのだが)。振り返ると、京都市南部地域から京都駅、さらにその北の地域辺りが見渡せる。街路灯などは、まだ灯った状態である。
さほど寒い朝ではなかったけれど、丘陵の平坦部では、霜が降り、薄氷がはるという状態であった。頂稜部を南下して、西に方向を変え、谷の部分をそのまま小川の流れる公園にしている所を通過して、そのそばに併置された運動公園の方へ抜ける。3月1日まで、そこのサッカーグランドを利用して、Kサーカスが公演をしているので、その紅い巨大テントを来たついでに見物しようと思ったのだ。以前、その準備が進んでいる頃に一度来たことはあるのだが、その時はまだ施設のみで人の気配もしない状態だったが、今日はテントの中で何かを動かしている音がする。さらに、妙に獣臭いので何かな、と思って歩いて行くと、テントを囲む施設越しに、きりんの長い首が突き出ているのが見える。最初は、作り物かと思ったのだが、時折首を振り、寒そうに白い息を吐き出している。きりんは南の国の動物かと思っていたのだが、厳冬の日本で、露天状態で飼われているのかと思う。飼育係らしい人が、猫車に餌袋を二つも三つも乗せて歩いている姿も見える。
運動公園の駐車場まで来ると、一台の車が駐まっていて、中から出てきた60歳代かと思われる男の人が、まだ紅いコーンの置かれた駐車場入り口のところで、うろうろしている。横を通りかかると、サーカス会場はどこかと尋ねてくる。この奥と答えると、この駐車場はまだ開いていないみたいですねと言う。少し早いようですね、と応じると、そうですね、と言って車の方を振り返る。車の中には、小学生高学年くらいの男の子が一人フロントシートに腰掛けている。二人のやりとりには、まるで無関心のような様子で、前の方を見つめている。なんとなく表情の乏しい子だな、と思うけれど、あるいは少し知的障害のある子か、と気づく。お爺さんとお孫さんが、二人でサーカスを見に来られたのか、と思う。開場までには、まだ2時間以上あるけれど、どうされるのかと思いながらその場を去る。
結局、2時間半ほど歩いての帰宅。1万歩を十分にクリアした「歩き」となる。コンビニで買ってきたものを食べ、洗濯をして、曇りがちだけれどベランダに干す。電子ジャーにほとんどご飯が残っていないのに気づき、ご飯を炊く。まだ寝ている甥は、ご飯派なのだ。
11時過ぎ、「俳句王国」を見ていたら、Iさんが出演出演されていて驚く。「醍醐会」のメンバーの一人。辻田先生の『幡』の会員さんである。


【10年1月22日】
パソコンに、月齢標示が出来るガジェットをダウンロードして、立ち上げた際に、眺めたりしている。日ごとに、月がデスクトップ上で太ったり、痩せたりする様を眺める。本日は、月齢6.8。現実の大空にも、同じような太り方で月が浮かんでいる。ちょっと、月とのシンクロを楽しんでいるような気分になる。仮想空間と、現実空間のとのこんな関係は、奇妙でもあり、しかし面白くもある。
1週間が終了。3年生の授業も、来週月曜日の2時間を残して、ほぼ終了である。クラスに恵まれたせいか、気持ち良く10ヶ月を送る事が出来た。感謝である。
山口昭男氏から『秋草』を送っていただく。気持ちの良い1冊である。山口氏の作より。「眼の玉の奥がこつんと末枯るる」「塵取は土のしめりの浮寝鳥」「忘年の土龍と亀の話かな」。会員さんの作品から。椹木雅代氏「短日の衛士日華門月華門」、三輪小春氏「鶺鴒の折り目どほりに羽たたむ」、藤井紀子氏「寒禽や海のつぺりと昏れてくる」。
気持ちが悪いほどに温かい日があったかと思うと、また一気に冬らしさを取り戻したりと、本当に奇妙な天気である。
甥は、今日は帰宅が遅い日。
こちらは、少し早めに休もうかと思う。


【10年1月19日】
久々に、朝寝坊する。とは言っても、起床したのは、5時40分で、まだ寝ている人も多い時間帯ではあろうとおもうけれど。昨日、ひどく眠くて、帰りのバスの中でも電車の中でも、うっかりすると、本を読みながらうつらうつらする状態であった。寝ているつもりではあっても、実は睡眠不足だったのだろう。そういえば、朝方の夢見も良くはなかったと思い出す。携帯電話の詐欺に遭うという、そんな夢。
大急ぎで、朝食の準備をし、食べ、出勤の準備を済ませて、ゴミ袋を片手に、6時40分過ぎには前に家を出る。ちょうど、甥が起き出してくる。
寒い。今日もバスを使おうかと思ったけれど、霜の降りた田の様子などを見たかったので、歩くことにする。しかし、住宅街を抜けた田の様子は期待はずれであった。自分が感じているほどには、冷え込んではいないようだ。というのか、入院・手術以後、なぜかずいぶん寒さに弱くなったような気がする。足先の冷たさを感じることが多くなる。冷え症なのだろうか、と思う。
今日は、職場にアイドルが来る。卒業生のNという人。グラビア集を出し、映画やテレビドラマにも出演(最近のドラマでは、ヒロイン役を務めたらしいが)しているらしい。テレビ番組の企画で、卒業した学校を訪ね、在校生達と交流したり、恩師に再会したりするというものらしい。在学中の彼女の事を憶えている教師などもいて、当時のエピソードを聞いたりもする。昼休みの時間の、中庭での握手会には沢山の生徒が集まり、こちらはそんな様子を見物したりもする。ちょっと華やいだ雰囲気も、時には良いものだと思う。。
朝寝坊の効果か、帰りの電車の中でも、気持ち良く読書出来る。清水健著『漢籍伝来』を読む。『白氏文集』に関する論文。
帰宅後、元気になった甥が夕食の準備をしてくれている。牡蠣フライと温野菜。なかなか美味しい。
過去の俳句作品を、ホームページ上で少しずつ整理している。


【10年1月18日】
17日。阪神大震災の日。5時過ぎに目を覚まし、そのままベットに横になって、テレビを見る。5時46分。15年前のあの時は、まだ前の下宿住まいで、その時はなぜか地震の1分ほど前にふと目を覚まし、妙な胸騒ぎのようなものを感じて、起き上がり、立ち上がって灯りを点けた瞬間、強烈な揺れが来た。初めて経験するような異常な揺れであった。横にある本棚に体を支えながら、揺れが収まるまで立ったままで耐える。その時は、大きな揺れだと思ったけれど、特に被害はなく、地震自体さほど気にはしなかった。その後、駅で電車を待っている時に、かなり大きな余震がきたけれど、ごく短時間で収まったので、そのまま電車に乗り、職場へ向かう。電車を降り、いつもの通勤路の途路、2階建てアパートの側壁が一部崩れているのを見かけたくらいで、たいした被害もないものと思っていた。空襲にでもあったかのように、神戸の街が燃えているテレビ映像を見たのは、職場の事務室でのことだった。我が目を疑う、と言う言葉があるけれど、それを実感したのはテレビ画面を目にしたその瞬間だった。
午前中、まとまった時間、読書。古典文法についての本を読む。午後、「歩き」に出かける。最寄りの地下鉄駅まで歩き、そこから「北大路駅」まで電車に乗る。駅を出て、南下する形で歩こうと思う。烏丸通りを歩き出して間もなく、沿道に人々が並び立っているのに行き会う。そう言えば、今日は「全国女子駅伝」の日であった。数日前、職場で、本日の駅伝の某県の第一走者が本校の卒業生だ、という事を同僚が話していたことを思い出した。さらに歩き、鞍馬口の駅の手前辺りが、第八中継地点になっていることを知り、そこでしばらく見学することにする。2時過ぎに第七走者の中学生達がここにやって来ると言う事で、そうこうしているうちに沿道の人の数はみるみる増え、そんな中で各都道府県の走者達が銘々道路を使ってアップしている姿などを間近に見る。時間が近づくにつれ、明らかに選手達が緊張していくのが、分かる。やがて、着順に選手達がならび、防寒用コートを路上に脱ぎ捨て、走る格好になって路上に立ち、たすきの受け渡しを待つ体制になると、見ているこちらも緊張の思いでそんな選手達の姿を見守る事になる。次々と、競技関係の車が中継地点を通過し、程なくトップの岡山県の選手の姿が、道路脇に並んでいる人越しに認められる。小柄の選手が、中継地点に走り込み、次の選手にたすきを渡し、渡された選手は前を見つめて走り出す。それは、とても気迫に満ちた姿である。
46都道府県すべての選手が中継地点に走り着き、走り過ぎていく姿を目にし、やがてごく短時間のうちに、沿道の人混みが本当に水が引くようにいなくなってのち、「歩き」を再開する。途中、久しぶりに立ち寄ったブックオフで、本を数冊購入し、ザックに詰めて、歩く。意外と重い。賀茂川河畔に出、高野川との合流地点でちょっと休憩し、さらに鴨川を京阪三条駅まで歩く。これで、ほぼ「1万歩」超である。電車で、帰る。帰宅後、肩が痛む。
18日。朝から、調子が今ひとつであった。後遺症が出たようだ。注意しながら出勤する。今日は、朝の歩きは中止し、バスに乗る。午前中くらいで、なんとか落ち着く。
午後、甥からメール。体調不良で、大学を早退するとのこと。そのまま帰宅して、休んでいたようである。
定時退勤するつもりが、1時間ほど残業後、帰る。夕食の準備を買って帰る。


【10年1月16日】
朝、5時過ぎ。「歩き」に出かける。充分な防寒対策をして出かけるので、寒さはほとんど気にならない。外は、まだ夜そのもので、人通りや車通りの少ない点で、真夜中の町中を歩いている雰囲気になる。天気はあまり良くないようだ。歩いていて、外灯の灯りに照らされた範囲に、時折ちらりと白いが見えたりするのは、風花であろうかと思う。夜が明ける頃に帰宅する。
味噌汁に食パン、玉子焼きとサラダの朝食。味噌汁には、出しジャコを使うようにする。味噌汁の味わいが、ふわりとやさしくなる。粉末だしとはひと味違う。出しジャコは、そのまま食べる。これもおいしい。
今日は、午前中に消防点検があるので、買い物にも行けない。洗濯を終え、風呂の水を落として、バスタブを洗う。一段落した頃に、甥が起床。味噌汁を沸かしなおしたりしている。あるブログを読んでいたら、『新撰21』にちょっと批判的な内容に対して、『新撰21』の出版に際して出資された方がコメントを書いておられるのが目に止まった。純粋読者として、俳句が質的に高められ広まって行くことを願っておられる思いに触れることが出来た。
出版元の邑書林のブログで、島田牙城氏が、「『新鮮21』に対する反撥というのか反感というのかが聞こえてくるようになりました。それだけ今回の版行がもたらした衝撃が大きかったということであります。」と書いておられたが、ネット上でも反響の広がりが見えてきたように思われる。
ついでに言えば、ヤフーの書籍販売で、その『新撰21』が古書扱いで売りに出されていたりもする。その価格が、なんと4500円(新刊で1800円である。書店にはほとんど残っていないらしいけれど、邑書林にネットで申し込めばまだ手に入る)である。発行部数が少ない上に、おそらく書籍としての価値を見越した誰かが、法外な値段で売りに出しているらしい。なんとも、浅ましい世相の一端を見たような気持ちになる。
そういえば、今回の東京地検特捜部の国会会期直前の逮捕劇も、どこやら胡散臭い世相の一端のような気もするが。
寒さのせいか、時折後頭部が痛む。母も、似たような状態になることがある。体質のせいだろうか。
『一茶』は、どうにか相続問題が決着をみたところ。一茶の老年・晩年の生活が、このあと描かれていくことになるのだろう。江戸においては、俳諧師として俳句一本で生きていくことが困難であり、先輩俳人の野垂れ死にの最後に衝撃を受けた(このエピソードは、作者の創作なのだろうか)結果、故郷へ帰る決意をした一茶の姿には、現代の俳人の中にも身にしみものを感じる人もいるのかもしれない。


【10年1月15日】
中断していた『一茶』の続きを読み始める。相続問題に絡み、義母・義弟との間での軋轢の中、自分の本心の声を俳諧に託していく一茶の姿が描かれていく。大変面白い。
金曜日。定時に退勤。来週月曜日1時間目の国語表現の授業予定が立ったので、ちょっとほっとして学校を出る。3年生残り3時間は、発表で締めくくろうと思う。1学期は、スピーチ、2学期はプレゼンテーション、そして3学期は卒業生らしく「メッセージ」を残すという内容で。1週間に2時間の授業については、毎回の立案と授業後の評価作業でずいぶん苦労もしたけれど、しかし、1番面白かったのは、この国表の授業であった。生徒も結構満足もし、楽しんでもくれていたようで、その点では生徒にも恵まれていたのかもしれない。今日は、その講座の「おーいお茶新俳句大賞」の応募作品の郵送も完了。面白い作も含まれているので、もしも佳作に選ばれることでもあれば、彼らにとって高校時代の面白い思い出の一つになるだろうにと思う。
帰宅。浅酌ののち、夕食。今日は、甥は行事のため帰宅が遅くなるとのこと。テレビも、つまらない番組ばかりなので消して、「日々録」の更新。第一句集『遊歩』全作品のホームページ掲載もあと少し。今から6年ほど前に出した句集で、読み返してみると、自分の中の抒情体質というものを改めて感じる。ここしばらく、懐古的な気分になっているようである。


【10年1月13日】
ホームページを、少しずつ修復中。『参』のホームページの掲載記事の中で、リンク等の不備で断絶していたところを直していく。
岩城先生の句集『冬焉』のページについても、もう少し内容を充実できたらと思う。
今日は、ひどく寒い。日本海側は、暴風雪状態との天気予報だったけれど、その分、こちらは冷え込んだようだ。
1時間ほど、残業して退勤。体調の関係で、遅くまで残る事が出来ないので、その分朝早く出勤するようにしている。11時間ほどの勤務時間となる。少々、疲れる。今日は、さらに持ち帰り仕事が一つ。
帰宅。甥は、今日は授業が遅い。出来合いのもので夕食。その後、洗濯。風呂を洗い、お湯を入れる。入浴後は、一仕事となるだろう。
ベランダに出ると、寒気がきつい。しかし、その分、夜空が澄んでいるようで、いつになく星の数が多いような気がする。中天近く、オリオンがゆったりと横たわっている。


【10年1月11日】
藤沢周平『一茶』を読む。面白い。ただ、各人物の描き方が割と淡泊のようで(一茶自身はちょっと俗な部分を取り立てる描き方がされているようだけれども)、さらりさらりと読めてしまう。自然描写が、とても丹念であることが印象的だった。
10日。十日戎の日。午後、鴨川「歩き」に出かける。文字通り、「歩く」ことが目的なのだけれど、ついでに周辺の風景や催しなどを覗き、句材があれば拾ったりもしている。
京阪七条で下車、地上に出て、鴨川河畔を歩く。疎水への放流が中断された分、鴨川自体の水量が多いような気がする。冬の涸れ川とはおおよそ様子が違う。鴨たちが、水に浸かった中洲で、草をはんでいる姿があちこちで見られる。
ふと思いついて、どんぐり橋から上に上がり、祇園の方へ。ちょうど、十日戎の屋台がどんぐり通りから大和大路通りにかけて出ていて、手に福笹を持った人などを含めて、狭い通りを埋めるように大変な人込みとなっていた。しばらく、その雑踏の中を流れに従って歩いていたが、やがて完全に人の動きが止まってしまったので、横道に逸れて、別の道へ。あとは、祇園の中を、人通りの少ない道を選んで、うろうろと歩きまわる。祇園の各家は、戸をぴったり閉めて、人の気配すら感じさせないような様子である。根付き松が、鳥総松として玄関の両側に飾ってあるのが目につく。
祇園を抜け、八坂神社から円山公園へ出て、冬枯れの枝垂れ桜を見上げ、その近くで若者が一人で演じているパフォーマンスをしばらく見物し、知恩院の山門を横に見て、三条通りまで歩き、さらに京阪三条に到着して、歩きは終了。いつもの、ブックオフをちょっと覗いてから、京阪で帰る。朝の歩きを含めて、16000歩ほど歩いたことになる。
夜、鍋。もっぱら、魚と野菜の健康的な寄せ鍋であった。
11日。気詰まりな夢を見る。それも、目を覚まして、また寝付くとその続きが始まるというふうで、6時過ぎには起床する。朝の歩きは中止。昨夜の鍋の残りで朝食。
外は、高曇りの空模様。しかし、寒そうである。
成人の日。京都市も、成人式は今日行われるのではないか。朝のニュースでは、毎年のお決まりのように、成人式で暴れる「新成人」たちの姿をぼかし付きで報道している。馬鹿馬鹿しいので、もうニュースで流すのは止めたらよいのにと思う。ニュースとしての価値はないのでは。日本のゴシップマスコミももうちょっとなんとかなったら良いのに、と思う。


【10年1月10日】
10日。6時過ぎから「歩き」に出る。1時間ほど、歩く。意外と寒くない。白んだ空が、いつのまにかすっかり明けている、そんな空の推移が面白い。
朝食。味噌汁を作り、卵を浮かべ、味噌汁ぶっかけご飯となる。昨日、いつもより少し飲み過ぎたせいか、胃が少々重い。洗濯。9時過ぎに、甥が起きてくる。いつもより早い。さっさと朝ご飯を食べ、大学に練習に行くと言って、出かける。
9日。丹後「すき句会」。新年句会である。年末から、年始にかけて100句くらい句を作っていたので、今回は余裕であった。持ち寄り句は8句だけれど、少し多めに準備しておく。余裕である。「はしだて1号」は、指定席が満席であった。さすが、「蟹シーズン」の丹後であると思う。車中では、駅売店で買ったPC本を読む。途中まで読んでいる藤沢周平の『一茶』も持って来たけれど、結局読まず。途中、ふと変な句が出来たので、これも句会に出そうと考える。中丹地域は雲が低く垂れ込めている。朝のニュースでは、どこかの山頂カメラから撮された映像として、きれいな雲海と紹介されてあったものだ。地上からは、単なる曇天のようだけれど、しかし雲の切れ間から時折覗く青空がひとしお青く澄んで見えるのが不思議だ。
宮津駅で岩城先生と合流。丹後大宮へ。大内峠を越えると、急に雪景色に変わる。車中では、もっぱら『新撰21』のことについて話す。小論執筆者のMさんから、岩城先生の方に1冊送られたものを、先生もざっと読んでおられたようだ。
丹後大宮着。いつもの食堂で昼食をとり、岩城先生宅へ。すでに、会員の方が数名来て居られた。
1時過ぎから句会。宿題は「年の市」、席題は「餅間(もちあい)」。ちょっと珍しい季語かも知れない。全員参加とはいかなかったけれど、にぎやかで面白い句会となる。岩城先生の方から、昨年なくなった架橋さんへの追悼句10句の紹介などもあった。
5時前、句会終了。その後、ビール。今日は、いつものMさんNさんの他に、YさんやSさんも残って雑談。Mさんが持って来て下さったピーナツが美味しくて、ついビールが進む。Nさんに駅まで送っていただく。Nさんは、無所属から結社へ入会することを決められたという。
京都への車中。初句会の余韻なのか、いつもより駅前コンビニで買った缶ビールの本数が多い。普段は、セーブしているこちらもつい数を重ねてしまう。京都に着くまで、ずっと俳句の話であった。
京都駅着。少々酔っているようだけれど、買い物があったので、駅前ビルまで足を延ばす。しかし、売り場まで行って、面倒になり、買わずに帰る。まさに、酔っぱらいの行動である。
今週の『週刊俳句』は豪華版である。(http://weekly-haiku.blogspot.com/)。そう言えば、ブログに『日刊俳句』というのを見つけた。『週刊』の次は『日刊』か、と思う。


【10年1月7日】
1998年9月13日から、この「日々録」は書き始められた。最初は、『参』句会のホームページの企画のひとつ、というより、なかなか本体の更新がままならないので、その埋め合わせのようにして始めたものだ。頭にかいてある「日記のようなものを〜」の文句は、その最初の時から変わっていない。
2010年が始まった。10年一昔という言葉があるけれど、この「日々録」もすでにその「一昔」を越えて書き継いできた。我ながら、よくもまあ、と感慨しきりである。ちなみに、一番最初の記事は次のようなものだった。

「丹後峰山の『いさなご句会』に参加。
丹後の緑がなつかしい。
4時間程の句会。一句毎に、岩城先生の寸評が加えられる。
四方山話を交えて、のんびりと進行。土地に根ざした話が聞けるのが、この句会の楽しみでもある。
のんびりし過ぎて、電車の時間ぎりぎりに駅へ。
帰りの車中で、ビールを片手に第二句会(?)。題詠。題は次の通り。
『簟名残』『行水名残』『秋の初風』『盆鯖』『からすみ』『白露降る』『盆栗』『ほおずき』など。
難しかった。
俳句漬けの一日でした。」という風なものであった。今とたいして変わらない内容だ、と改めて思う。マンネリ、というばマンネリ。しかし、その中にも、小さな変化はあるものだ。文中『いさなご句会』とあるのは、現在の『すき句会』の前身とも言える丹後の句会だった。車中でのビールは変わらないが、なんと岩城先生と1対1で車中句会を開いていたのだった。
新年にあたり、ちょっと懐古的になってしまった。
本日、5時過ぎ起床。甥の帰京は本日なので、自分の分の朝食を準備、食べてすみやかに出勤。外は、寒い。郷里とは、寒さの質が違うようだ。そう言えば、こちらでは必需品だった保湿薬を、郷里では一度も使わなかった。
午前中は、会議。午後は、授業準備。定時、退勤。日没後の、西空が美しい。